2013/05/01 - 2013/05/10
271位(同エリア342件中)
JIC旅行センターさん
- JIC旅行センターさんTOP
- 旅行記327冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 423,404アクセス
- フォロワー9人
■お伽のタラーシキノ宮殿
5月にスモレンスクに行ったついでに、タラーシキノ博物館に足を伸ばしました。
スモレンスクに行く2週間ほど前に、フェイスブックの友だちが、とても美しいロシアの昔のお伽話の宮殿のような家の写真を載せて、「こんなケーキのような家を造った人は誰だろう?」というコメントを入れたのです(facebook「NATASHA FROM RUSSIA」)。興味をひかれた僕は、その宮殿のような家がどこにあるのか、インターネットで調べてみました。そしたら、スモレンスクのすぐ近くにあることがわかり、絶対に行きたくなってしまいました。
PR
-
タラーシキノ(Талашкино)は、スモレンスク市の南20キロぐらいのところにある村の名前です。タラーシキノ博物館を説明するためには、マリーヤ・チェーニシェバ(Мария Тенишева)というロシア貴族の話から始めなければなりません。1858年にペテルブルグで生まれた彼女は美術が大好きでした。ペテルブルグで芸術学校を作り、多くのロシア画家の水彩画やエナメル画を集め、ペテルブルグのロシア美術館に寄付しました。
チェーニシェバはタラーシキノ村に別荘を持っており、そこに貧乏な農民の家族のための教育施設を作ろうと思いたちました。そして、仲間の貴族や当時のロシアの有名な画家たちをタラーシキノに招待しました。その中には、「遥かなる姫君」(トレチャコフ美術館収蔵)を描いたミハイル・ヴルーベリ(Михаил Врубель)、ニコライ・リョーリフ(Николай Рерих)、ロシアで初めてマトリョーシカのデザインを作ったセルゲイ・マリューチン(Сергей Малютин)などがいます。1890年代から1910年代にかけて、タラーシキノはモスク郊外のアブラムツェボと同様、ロシアの芸術世界の中心の一つとなっていました。
マリューチンは1900年から3年間、家族とともにタラーシキノに住んでいましたが、そのときロシアのモダニズム様式でお伽の宮殿を建てたのです。宮殿の名前は「チェレモーク」(теремок)。その全面にロシアの昔話のモチーフがほどこされ、まったくお伽話の世界にいるようです。現在は、チェレモークの中にはチェーニシェバが集めた美術品が展示されています。僕が一番印象を受けたのは、ヴルーベリがデザインしたバラライカ(ロシアの楽器)です。 -
チェレモークの近くに、リョーリフのアイデアで作られた精霊教会があります。入口に飾られているモザイクの聖像(キリストのイコン)はリョーリフのデザインです(1914年作)。
十月革命の後、マリーヤ・チェーニシェバは外国に亡命し、1928年にパリ郊外で亡くなりました。現在は、チェーニシェバの別荘は博物館となっており、スモレンスク州の一番美しい博物館のひとつに数えられています。また、スモレンスク市の中心部では、現在、チェーニシェバ名称教育センターが建設中です。チェーニシェバが始めた教育活動は将来にわたって続くことでしょう。スモレンスクに行くことがあれば、タラーシキノにも是非、立ち寄ってみてください。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
その他の都市(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
2