松江・松江しんじ湖温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2泊3日で山陰の旅に出掛けました。最終日は、松江市内観光と境港の水木しげるロードの散策です。まず、午前中の松江市内観光ですが、松江城、城山稲荷神社、小泉八雲旧居、武家屋敷などを回りました。<br /><br />旅行記は、次の4冊構成となります。<br />①鳥取砂丘~三朝温泉<br />②出雲大社~日御碕<br />③松江市内観光<br />④境港・水木しげるロード <br />

山陰の旅:③松江市内観光

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2013/09/27 - 2013/09/27

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morino296

morino296さん

2泊3日で山陰の旅に出掛けました。最終日は、松江市内観光と境港の水木しげるロードの散策です。まず、午前中の松江市内観光ですが、松江城、城山稲荷神社、小泉八雲旧居、武家屋敷などを回りました。

旅行記は、次の4冊構成となります。
①鳥取砂丘~三朝温泉
②出雲大社~日御碕
③松江市内観光
④境港・水木しげるロード

  • JR松江駅前 8:35頃<br /><br />ホテルで軽く朝食を済ませて、行動開始です。<br />駅前からバスに乗り、松江城に近い県庁前まで。<br />(乗車時間10分ほど、運賃170円)

    JR松江駅前 8:35頃

    ホテルで軽く朝食を済ませて、行動開始です。
    駅前からバスに乗り、松江城に近い県庁前まで。
    (乗車時間10分ほど、運賃170円)

  • 松江城 復元された櫓3棟<br /><br />県庁前から歩いて直ぐです。<br /><br />かつて二の丸には、御門、東の櫓、太鼓櫓、中櫓、南櫓、御月見櫓があったそうですが明治8年に取り壊され、平成13年、約125年ぶりに太鼓櫓、中櫓、南櫓が復元されました。

    松江城 復元された櫓3棟

    県庁前から歩いて直ぐです。

    かつて二の丸には、御門、東の櫓、太鼓櫓、中櫓、南櫓、御月見櫓があったそうですが明治8年に取り壊され、平成13年、約125年ぶりに太鼓櫓、中櫓、南櫓が復元されました。

  • 松江城 松江開府の祖「堀尾吉晴」像<br /><br />松江開府四百年祭にあたり、松江の礎を築いた堀尾吉晴公を後世に伝えるシンボルとして、今年5月に完成、6月に除幕式が行われたばかりです。<br /><br />「堀尾吉晴公銅像建設委員会設立趣意書」によれば、<br />松江開府の祖堀尾吉晴は、天文12年(1543)、尾張国で生まれ、織田信長、豊臣秀吉に仕えます。吉晴は秀吉の家臣として活躍し、数々の戦功を挙げて、近江国佐和山城主、遠江国浜松城主などを歴任。豊臣政権下では三中老の一人に任じられました。<br />秀吉の死後、吉晴と嫡子の忠氏は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦では徳川家康に与し、その功績により、出雲・隠岐24万石を与えられ、広瀬の富田城に入りましたが、新たな時代を洞察して立地や、戦術の上から松江に城を移すという大事業を敢行することになります。<br />しかし、不幸にも当主忠氏は在職4年で病没したため、吉晴は跡継ぎの忠晴の後見役として国政を担当しつつ、忠氏の遺志を継いで亀田山に城の建設を決めます。<br />松江城と城下町が建設されたのは、慶長12年(1607)から5年間で、この時期は、大坂の陣を控え、戦への備えが急がれており、吉晴の築いた城は実戦を強く意識し、町割も戦術上工夫された城下町を築き上げました。<br />吉晴は、城下町の完成を目前にして、慶長16年(1611)6月死去しましたが、この年松江開府の大事業は成就し、以来歴代城主260年の治政のもと、恵まれた自然・風土の中、産業が興り、固有の文化が生まれました。

    松江城 松江開府の祖「堀尾吉晴」像

    松江開府四百年祭にあたり、松江の礎を築いた堀尾吉晴公を後世に伝えるシンボルとして、今年5月に完成、6月に除幕式が行われたばかりです。

    「堀尾吉晴公銅像建設委員会設立趣意書」によれば、
    松江開府の祖堀尾吉晴は、天文12年(1543)、尾張国で生まれ、織田信長、豊臣秀吉に仕えます。吉晴は秀吉の家臣として活躍し、数々の戦功を挙げて、近江国佐和山城主、遠江国浜松城主などを歴任。豊臣政権下では三中老の一人に任じられました。
    秀吉の死後、吉晴と嫡子の忠氏は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦では徳川家康に与し、その功績により、出雲・隠岐24万石を与えられ、広瀬の富田城に入りましたが、新たな時代を洞察して立地や、戦術の上から松江に城を移すという大事業を敢行することになります。
    しかし、不幸にも当主忠氏は在職4年で病没したため、吉晴は跡継ぎの忠晴の後見役として国政を担当しつつ、忠氏の遺志を継いで亀田山に城の建設を決めます。
    松江城と城下町が建設されたのは、慶長12年(1607)から5年間で、この時期は、大坂の陣を控え、戦への備えが急がれており、吉晴の築いた城は実戦を強く意識し、町割も戦術上工夫された城下町を築き上げました。
    吉晴は、城下町の完成を目前にして、慶長16年(1611)6月死去しましたが、この年松江開府の大事業は成就し、以来歴代城主260年の治政のもと、恵まれた自然・風土の中、産業が興り、固有の文化が生まれました。

  • 松江城 馬溜跡<br /><br />大手木戸門跡から入ると、一辺46mほどのほぼ正方形の平地があります。<br />ここは、四方を石垣で囲った枡形と呼ばれるもので、敵兵の直進を防ぎ、出撃の時は城兵を待機させ隊形を整える機能を果たしていた所です。

    松江城 馬溜跡

    大手木戸門跡から入ると、一辺46mほどのほぼ正方形の平地があります。
    ここは、四方を石垣で囲った枡形と呼ばれるもので、敵兵の直進を防ぎ、出撃の時は城兵を待機させ隊形を整える機能を果たしていた所です。

  • 松江城 天守閣と石垣(二ノ門跡の近くから)<br /><br />手前の石垣は修復されたものですが、中央部分(黒く写っている部分)は400年前の石垣だそうです。<br /><br />松江城は、完成まで5年間を要しましたが、そのうちの3年間を石垣に費やしましたそうで、石垣積みは穴太衆が当たり、石工は大阪から招き、石垣を構築しました。

    松江城 天守閣と石垣(二ノ門跡の近くから)

    手前の石垣は修復されたものですが、中央部分(黒く写っている部分)は400年前の石垣だそうです。

    松江城は、完成まで5年間を要しましたが、そのうちの3年間を石垣に費やしましたそうで、石垣積みは穴太衆が当たり、石工は大阪から招き、石垣を構築しました。

  • 松江城 石垣と彼岸花

    松江城 石垣と彼岸花

  • 松江城内にある興雲閣(県指定文化財)<br /><br />明治36年(1903)、松江市が明治天皇の行幸を願って建てた白亜の木造洋館。明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、明治40年(1907)、当時の皇太子(後の大正天皇)の宿泊所として利用されたそうです。<br />昭和48年(1973)からは松江郷土館として、松江の歴史・民俗資料・民芸品などを収集・展示。平成23年には、松江開府400年祭博覧会の会場でした。

    松江城内にある興雲閣(県指定文化財)

    明治36年(1903)、松江市が明治天皇の行幸を願って建てた白亜の木造洋館。明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、明治40年(1907)、当時の皇太子(後の大正天皇)の宿泊所として利用されたそうです。
    昭和48年(1973)からは松江郷土館として、松江の歴史・民俗資料・民芸品などを収集・展示。平成23年には、松江開府400年祭博覧会の会場でした。

  • 松江城内にある松江神社<br /><br />明治10年、松江市街地の東側、西川津の楽山に松平家初代藩主松平直政を祀った楽山神社として創建され、明治31年に近くの西尾町にあった東照宮と合祀。明治32年(1899)城山に移され、松江神社と改名。<br /><br />祭神<br />松平 直政公(松平家初代藩主)<br />堀尾 吉晴公(松江開府の祖)<br />松平 治郷(不昧)公(松平家第7代藩主)<br />徳川家康公<br />

    松江城内にある松江神社

    明治10年、松江市街地の東側、西川津の楽山に松平家初代藩主松平直政を祀った楽山神社として創建され、明治31年に近くの西尾町にあった東照宮と合祀。明治32年(1899)城山に移され、松江神社と改名。

    祭神
    松平 直政公(松平家初代藩主)
    堀尾 吉晴公(松江開府の祖)
    松平 治郷(不昧)公(松平家第7代藩主)
    徳川家康公

  • 松江城内にある松江神社の手水舎<br /><br />西尾町にあった東照宮から移築されたもので、寛永16年(1639)藩祖松平直政の命により建築されたもの。<br /><br />

    松江城内にある松江神社の手水舎

    西尾町にあった東照宮から移築されたもので、寛永16年(1639)藩祖松平直政の命により建築されたもの。

  • 松江城 本丸一ノ門<br /><br />昭和35年(1960)復元。<br />この門を潜ると、入場券売り場があります。<br />松江城天守閣のみ550円と<br />共通券(松江城天守閣、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷の4館1,160円、3館920円)があります。

    松江城 本丸一ノ門

    昭和35年(1960)復元。
    この門を潜ると、入場券売り場があります。
    松江城天守閣のみ550円と
    共通券(松江城天守閣、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷の4館1,160円、3館920円)があります。

  • 松江城 天守閣(重要文化財)<br /><br />松江城は、千鳥城ともいい、天守現存12城の一つで、唯一の正当天守閣(説明は後述)ともいわれます。<br />天守の平面規模では2番目、高さは3番目、古さでは4番目だそうです。<br />慶長16年(1611)松江開府の祖・堀尾吉晴が5年の歳月をかけ完成。<br />天守は高さ30m、外観5層、内部は6層となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落としなど実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿を伝えています。

    松江城 天守閣(重要文化財)

    松江城は、千鳥城ともいい、天守現存12城の一つで、唯一の正当天守閣(説明は後述)ともいわれます。
    天守の平面規模では2番目、高さは3番目、古さでは4番目だそうです。
    慶長16年(1611)松江開府の祖・堀尾吉晴が5年の歳月をかけ完成。
    天守は高さ30m、外観5層、内部は6層となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落としなど実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿を伝えています。

  • 松江城 天守閣 桐の階段<br /><br />板の厚さ10cm、階段の幅1.6m、1階から4階の各階の間に設けられてある。<br />階段を引き上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので、他の城では見られない特殊なものだそうです。<br /><br />

    松江城 天守閣 桐の階段

    板の厚さ10cm、階段の幅1.6m、1階から4階の各階の間に設けられてある。
    階段を引き上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので、他の城では見られない特殊なものだそうです。

  • 松江城 天守閣<br /><br />城主は、堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間にわたって出雲国を治めました。

    松江城 天守閣

    城主は、堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間にわたって出雲国を治めました。

  • 松江城 天守閣

    松江城 天守閣

  • 松江城 天守閣

    松江城 天守閣

  • 松江城 望楼式の天守閣<br /><br />天守の起源の一つは四方を展望できる望楼、これが正当天守と言われるものです。<br />五重の最上階は手すり(高欄)を巡らし、壁のない360度展望のきく望楼で、展望台・司令塔の役割を持っています。<br />

    松江城 望楼式の天守閣

    天守の起源の一つは四方を展望できる望楼、これが正当天守と言われるものです。
    五重の最上階は手すり(高欄)を巡らし、壁のない360度展望のきく望楼で、展望台・司令塔の役割を持っています。

  • 松江城 天守閣からの眺め 北方向

    松江城 天守閣からの眺め 北方向

  • 松江城 天守閣からの眺め 東方向

    松江城 天守閣からの眺め 東方向

  • 松江城 天守閣からの眺め 南方向

    松江城 天守閣からの眺め 南方向

  • 松江城 天守閣からの眺め 西方向

    松江城 天守閣からの眺め 西方向

  • 松江城 天守閣の屋根裏<br /><br />棟札が収められているのが見られます。<br /><br />

    松江城 天守閣の屋根裏

    棟札が収められているのが見られます。

  • 松江城 天守閣

    松江城 天守閣

  • 松江城 天守閣<br /><br />天守から下ります。

    松江城 天守閣

    天守から下ります。

  • 松江城 天守閣<br /><br />急な階段は下りる方が危ないですね。

    松江城 天守閣

    急な階段は下りる方が危ないですね。

  • 松江城 天守閣<br /><br />鯱は、木彫銅張りで、高さは2.08m、現存の木造のものでは日本最大だそうです。<br /><br />明治8年広島鎮台は、松江城の建造物を民間に払い下げ、取り壊すこととし、天守閣は180円で落札されたそうですが、それを、勝部本右衛門、高城権八らの有志が買い戻し、取り壊しを免れ保存されることとなったそうです。<br />ちなみに、当時、米一俵が3円弱といわれますので、米60俵ほどの値段で払い下げられたことになります。

    松江城 天守閣

    鯱は、木彫銅張りで、高さは2.08m、現存の木造のものでは日本最大だそうです。

    明治8年広島鎮台は、松江城の建造物を民間に払い下げ、取り壊すこととし、天守閣は180円で落札されたそうですが、それを、勝部本右衛門、高城権八らの有志が買い戻し、取り壊しを免れ保存されることとなったそうです。
    ちなみに、当時、米一俵が3円弱といわれますので、米60俵ほどの値段で払い下げられたことになります。

  • 城山(じょうざん)稲荷神社<br /><br />松平直政が藩主として入国した翌年に藩内の安穏と繁栄を祈念して、かねて信仰していた稲荷大神(宇迦之御魂神)を出雲隠岐両国の守護神として場内に祀られた神社。<br /><br />小泉八雲が好んだという石の狐もここにあります。<br />日本三大船神事の一つであるホーランエンヤはこの神社の10年毎に行われる式年神幸祭です。

    城山(じょうざん)稲荷神社

    松平直政が藩主として入国した翌年に藩内の安穏と繁栄を祈念して、かねて信仰していた稲荷大神(宇迦之御魂神)を出雲隠岐両国の守護神として場内に祀られた神社。

    小泉八雲が好んだという石の狐もここにあります。
    日本三大船神事の一つであるホーランエンヤはこの神社の10年毎に行われる式年神幸祭です。

  • 城山稲荷神社 日本三大船神事の一つ「ホーランエンヤ」の解説 <br /><br />松平直政が入国してから十年目の慶安元年(1648)は天候不順で、これに心を痛めた直政は、当社の御神霊を船渡御によって出雲郷にある阿太加夜神社にお移しし、長期にわたり五穀豊穣の大祈祷を行わせたところ祈願が成就し、以来十年目毎に御神幸が行われる慣しとなった。<br />神輿船の曳船として櫂伝馬船が加わるようになったのは、文化5年(1808)の御神幸の際、大橋川から中海に出る馬潟沖で風雨が激しくなり神輿船が危険になったのを馬潟の漁師が助けに出て出雲郷まで無事お送りしたことに始まる。<br />その後、馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の五つの地区の櫂伝馬船が神輿船の曳船をつとめることとなり、江戸末期からは一二年目毎の五月に斎行されることになったが、現在では元の10年毎に斎行されることになっている。<br />この神幸祭は、初日の阿太加夜神社への渡御祭と「五穀よく稔り、諸の蒼生に至るまで、思わざるの災いなく、世のやすく、穏やかにありなんこと」を祈念する七日間の大祈祷の後、当社にお帰りになる遍御祭は百隻にも及ぶ大船行列で、櫂伝馬船の上では歌舞伎衣装の剣櫂や女姿の釆振が”ホーランエンヤ”の唄に合わせ勇壮華麗に舞い踊る絢爛豪華な時代絵巻を繰り広げる大盛儀である。<br />次回は平成31年に開催されます。

    城山稲荷神社 日本三大船神事の一つ「ホーランエンヤ」の解説 

    松平直政が入国してから十年目の慶安元年(1648)は天候不順で、これに心を痛めた直政は、当社の御神霊を船渡御によって出雲郷にある阿太加夜神社にお移しし、長期にわたり五穀豊穣の大祈祷を行わせたところ祈願が成就し、以来十年目毎に御神幸が行われる慣しとなった。
    神輿船の曳船として櫂伝馬船が加わるようになったのは、文化5年(1808)の御神幸の際、大橋川から中海に出る馬潟沖で風雨が激しくなり神輿船が危険になったのを馬潟の漁師が助けに出て出雲郷まで無事お送りしたことに始まる。
    その後、馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の五つの地区の櫂伝馬船が神輿船の曳船をつとめることとなり、江戸末期からは一二年目毎の五月に斎行されることになったが、現在では元の10年毎に斎行されることになっている。
    この神幸祭は、初日の阿太加夜神社への渡御祭と「五穀よく稔り、諸の蒼生に至るまで、思わざるの災いなく、世のやすく、穏やかにありなんこと」を祈念する七日間の大祈祷の後、当社にお帰りになる遍御祭は百隻にも及ぶ大船行列で、櫂伝馬船の上では歌舞伎衣装の剣櫂や女姿の釆振が”ホーランエンヤ”の唄に合わせ勇壮華麗に舞い踊る絢爛豪華な時代絵巻を繰り広げる大盛儀である。
    次回は平成31年に開催されます。

  • 城山稲荷神社 参道に並ぶ石の狐<br /><br />小泉八雲は城山内の散歩が好きで、稲荷神社にも毎日のように通っていたそうですが、その当時は、2千体とも、5千体とも言われる狐がいたようです。

    城山稲荷神社 参道に並ぶ石の狐

    小泉八雲は城山内の散歩が好きで、稲荷神社にも毎日のように通っていたそうですが、その当時は、2千体とも、5千体とも言われる狐がいたようです。

  • 城山稲荷神社<br /><br />松平直政が松江に来たとき、枕元に一人の美しい少年が現れ、「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げられ、それで直政は城内に稲荷神社を建てたと言われます。<br />それからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたようで、小泉八雲もこの神札が「松江の唯一の防火設備」だと紹介しており、その神札を大英博物館にも送っています。

    城山稲荷神社

    松平直政が松江に来たとき、枕元に一人の美しい少年が現れ、「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げられ、それで直政は城内に稲荷神社を建てたと言われます。
    それからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたようで、小泉八雲もこの神札が「松江の唯一の防火設備」だと紹介しており、その神札を大英博物館にも送っています。

  • 城山稲荷神社 八雲が愛した石の狐<br /><br />こんな解説がありました。<br /><br />小泉八雲がこよなく愛した城山稲荷神社の石の狐<br />中でも随神門前の一対の狐を一番好んでいたようです。<br />その狐は2百年の風雪により傷み、今は拝殿右脇の小屋囲いの中に納められています。<br />八雲没後百年の年、全国の方々からの募金で復元しました。<br />八雲が愛した石狐を通して、百年前の松江、これから百年後の松江を見つめてみませんか。 平成16年8月 小泉八雲の愛した石狐の復元をめざす会

    城山稲荷神社 八雲が愛した石の狐

    こんな解説がありました。

    小泉八雲がこよなく愛した城山稲荷神社の石の狐
    中でも随神門前の一対の狐を一番好んでいたようです。
    その狐は2百年の風雪により傷み、今は拝殿右脇の小屋囲いの中に納められています。
    八雲没後百年の年、全国の方々からの募金で復元しました。
    八雲が愛した石狐を通して、百年前の松江、これから百年後の松江を見つめてみませんか。 平成16年8月 小泉八雲の愛した石狐の復元をめざす会

  • 城山稲荷神社 拝殿<br /><br />祭神<br />宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)<br />誉田別尊(ほんだわけのみこと)

    城山稲荷神社 拝殿

    祭神
    宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
    誉田別尊(ほんだわけのみこと)

  • 松江城 内堀の新橋付近の眺め<br /><br />ここから、小泉八雲記念館・旧居に向かいます。

    松江城 内堀の新橋付近の眺め

    ここから、小泉八雲記念館・旧居に向かいます。

  • 小泉八雲記念館 (今回はパスして、隣の旧居を見学しました。)<br /><br />松江で最も城下町らしいたたずまいを残す「塩見縄手」の西端にあり、小泉八雲旧居に隣接しています。<br />小泉八雲の功績をたたえ顕彰して建設され、名作「知られぬ日本の面影」など松江を世界に紹介した小泉八雲の自筆原稿や遺品、妻セツの使った英単語覚え書きなど、収蔵品は1千点以上もあるそうです。

    小泉八雲記念館 (今回はパスして、隣の旧居を見学しました。)

    松江で最も城下町らしいたたずまいを残す「塩見縄手」の西端にあり、小泉八雲旧居に隣接しています。
    小泉八雲の功績をたたえ顕彰して建設され、名作「知られぬ日本の面影」など松江を世界に紹介した小泉八雲の自筆原稿や遺品、妻セツの使った英単語覚え書きなど、収蔵品は1千点以上もあるそうです。

  • 小泉八雲旧居<br /><br />小泉八雲は明治23年(1890)中学校教師として赴任。<br />「耳なし芳一」や「雪女」などの名作を残しました。<br />八雲は明治37年(1904)、東京で亡くなるまで14年間を日本で過ごし、その間、松江・熊本・神戸・東京に住みました。松江では1年3ヶ月暮らし、その内約5ヶ月間をこの家で過ごしました。

    小泉八雲旧居

    小泉八雲は明治23年(1890)中学校教師として赴任。
    「耳なし芳一」や「雪女」などの名作を残しました。
    八雲は明治37年(1904)、東京で亡くなるまで14年間を日本で過ごし、その間、松江・熊本・神戸・東京に住みました。松江では1年3ヶ月暮らし、その内約5ヶ月間をこの家で過ごしました。

  • 小泉八雲旧居 南の庭<br /><br />この旧居は、庭が鑑賞の対象で、八雲が好んで眺めた庭がそのまま残されています。 <br /><br />栞には、「八雲自身になって作品「知られぬ日本の面影」の舞台となったこの庭を見ていただきたい」と書かれていました。

    小泉八雲旧居 南の庭

    この旧居は、庭が鑑賞の対象で、八雲が好んで眺めた庭がそのまま残されています。

    栞には、「八雲自身になって作品「知られぬ日本の面影」の舞台となったこの庭を見ていただきたい」と書かれていました。

  • 小泉八雲旧居 西の庭<br /><br />この家は、旧松江藩士根岸家の武家屋敷ですが、庭のある侍の屋敷に住みたいという八雲に貸すことになりました。<br />八雲が大層気に入った庭は、根岸小石の手によって明治元年に造られたもので、規模こそ小さいものの、枯山水の観賞式庭園として高い評価を受けています。

    小泉八雲旧居 西の庭

    この家は、旧松江藩士根岸家の武家屋敷ですが、庭のある侍の屋敷に住みたいという八雲に貸すことになりました。
    八雲が大層気に入った庭は、根岸小石の手によって明治元年に造られたもので、規模こそ小さいものの、枯山水の観賞式庭園として高い評価を受けています。

  • 小泉八雲旧居 居間<br /><br />床の間を背に座ると三方の庭が眺められるとご満悦であったそうです。<br />来客との話も進み、大好きだったタバコをうまそうにくゆらせたのもこの部屋だったそうです。

    小泉八雲旧居 居間

    床の間を背に座ると三方の庭が眺められるとご満悦であったそうです。
    来客との話も進み、大好きだったタバコをうまそうにくゆらせたのもこの部屋だったそうです。

  • 小泉八雲旧居 書斎<br /><br />この机と椅子は、小泉八雲が特注したもののレプリカです。<br />本物は、隣の記念館に展示されているそうです。

    小泉八雲旧居 書斎

    この机と椅子は、小泉八雲が特注したもののレプリカです。
    本物は、隣の記念館に展示されているそうです。

  • 小泉八雲旧居 書斎から北の庭

    小泉八雲旧居 書斎から北の庭

  • 塩見縄手に沿った堀川(北田川)<br /><br />彼岸花と遊覧船

    塩見縄手に沿った堀川(北田川)

    彼岸花と遊覧船

  • 塩見縄手(松江市伝統美観保存地区、日本の道100選の一つ)<br /><br />八雲記念館から武家屋敷にかけての通りは塩見縄手とよばれ、松江城築城の際に、亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を堀削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。<br />縄のように一筋にのびた道路のことを「縄手」といい、この塩見縄手には、二百石から六百石程度の中級武士の家中屋敷がならんでいました。<br />その中級武士の中の一人、塩見小兵衛が異例の出世をしたことを讃えて塩見縄手とよぶようになったそうです。

    塩見縄手(松江市伝統美観保存地区、日本の道100選の一つ)

    八雲記念館から武家屋敷にかけての通りは塩見縄手とよばれ、松江城築城の際に、亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を堀削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。
    縄のように一筋にのびた道路のことを「縄手」といい、この塩見縄手には、二百石から六百石程度の中級武士の家中屋敷がならんでいました。
    その中級武士の中の一人、塩見小兵衛が異例の出世をしたことを讃えて塩見縄手とよぶようになったそうです。

  • 武家屋敷 長屋門<br /><br />現在の屋敷は享保18年(1733)の大火で焼失後再建されたもので、築後約270年経っており、母屋は松江市の指定文化財(建造物)になっています。<br />松江藩の600石程度の中級藩士が、屋敷替えによって入れ替わり済んだところです。

    武家屋敷 長屋門

    現在の屋敷は享保18年(1733)の大火で焼失後再建されたもので、築後約270年経っており、母屋は松江市の指定文化財(建造物)になっています。
    松江藩の600石程度の中級藩士が、屋敷替えによって入れ替わり済んだところです。

  • 武家屋敷 内玄関<br /><br />玄関や座敷部分の立派な造りに対し私生活部分が質素であるなど、公私のけじめをつけていた江戸時代の武家の屋敷は持ち家でなく、役職が変わる毎に住み替えになりました。(いわゆる、現在でいう会社の社宅です。)<br />

    武家屋敷 内玄関

    玄関や座敷部分の立派な造りに対し私生活部分が質素であるなど、公私のけじめをつけていた江戸時代の武家の屋敷は持ち家でなく、役職が変わる毎に住み替えになりました。(いわゆる、現在でいう会社の社宅です。)

  • 武家屋敷 式台玄関<br /><br />

    武家屋敷 式台玄関

  • 武家屋敷 座敷

    武家屋敷 座敷

  • 武家屋敷 当主居間<br /><br />塩見縄手の名前になっている塩見小兵衛もここに住んでいたそうです。

    武家屋敷 当主居間

    塩見縄手の名前になっている塩見小兵衛もここに住んでいたそうです。

  • 武家屋敷 奥方居間

    武家屋敷 奥方居間

  • 武家屋敷 小間

    武家屋敷 小間

  • 武家屋敷 母屋の東側<br /><br />台所、湯殿、納戸、仏間などが並びます。

    武家屋敷 母屋の東側

    台所、湯殿、納戸、仏間などが並びます。

  • 武家屋敷の竹林

    武家屋敷の竹林

  • 武家屋敷 鼕(どう)の展示場<br /><br />10月第3日曜日に開催される「鼕行列」は、鉄の車輪のついた屋根つき山車屋台に鼕と呼ばれる太鼓を2台3台据えて、笛・チャンガラの囃しに合わせて打ち鳴らし、子供達数十人が綱を引き行列をする祭りです。 <br /><br />鼕の起こりは藩主松平直正が、正月に神をお呼びするために鼓を打ち鳴らしたことによるそうです。<br />鼕行列の歴史は、松平藩主の松平宣維の後妻として、享保9年(1724)、伏見宮家の岩姫が京都から嫁がれたときから始まると伝わるそうですが、鼕行列の本格的な始まりは、大正天皇の即位御大典のときからだそうです。<br />その後は、大きな行事に合わせて行われていましたが、昭和34年(1959)の松江市政70周年記念行事に23町内が参加して以降、毎年開催されています。<br />

    武家屋敷 鼕(どう)の展示場

    10月第3日曜日に開催される「鼕行列」は、鉄の車輪のついた屋根つき山車屋台に鼕と呼ばれる太鼓を2台3台据えて、笛・チャンガラの囃しに合わせて打ち鳴らし、子供達数十人が綱を引き行列をする祭りです。

    鼕の起こりは藩主松平直正が、正月に神をお呼びするために鼓を打ち鳴らしたことによるそうです。
    鼕行列の歴史は、松平藩主の松平宣維の後妻として、享保9年(1724)、伏見宮家の岩姫が京都から嫁がれたときから始まると伝わるそうですが、鼕行列の本格的な始まりは、大正天皇の即位御大典のときからだそうです。
    その後は、大きな行事に合わせて行われていましたが、昭和34年(1959)の松江市政70周年記念行事に23町内が参加して以降、毎年開催されています。

  • 武家屋敷 鼕の展示場にあったポスター<br /><br />鼕行列は、見るだけでなく、聞く祭りといわれ、豪快な音が腹にしみわたるそうです。<br />町内でそろいのはっぴを着て、かけ声をかけながら鼕をたたく勇ましい姿、そして、鼕宮を引くたくさんの子どもたちの姿は松江の秋の風物詩となっているそうです。

    武家屋敷 鼕の展示場にあったポスター

    鼕行列は、見るだけでなく、聞く祭りといわれ、豪快な音が腹にしみわたるそうです。
    町内でそろいのはっぴを着て、かけ声をかけながら鼕をたたく勇ましい姿、そして、鼕宮を引くたくさんの子どもたちの姿は松江の秋の風物詩となっているそうです。

  • 堀川めぐり<br /><br />松江城を囲む堀川を、船頭さんの案内で遊覧する堀川めぐり。<br />約50分の遊覧で、16もある個性的な橋をくぐり抜け、江戸時代の面影を残す「水都 松江」の風情を船上から楽しめます。<br /><br />大手前広場乗船場・ふれあい広場乗船場・カラコロ広場乗船場の3カ所の乗船場があります。

    堀川めぐり

    松江城を囲む堀川を、船頭さんの案内で遊覧する堀川めぐり。
    約50分の遊覧で、16もある個性的な橋をくぐり抜け、江戸時代の面影を残す「水都 松江」の風情を船上から楽しめます。

    大手前広場乗船場・ふれあい広場乗船場・カラコロ広場乗船場の3カ所の乗船場があります。

  • 堀川めぐり 大手前乗船場

    堀川めぐり 大手前乗船場

  • 道路に埋められてある堀川めぐりのタイル絵

    道路に埋められてある堀川めぐりのタイル絵

  • 松江市のマンホール<br /><br />デザインは、松江の中でも最も城下町の風情を残す「塩見縄手」のようです。

    松江市のマンホール

    デザインは、松江の中でも最も城下町の風情を残す「塩見縄手」のようです。

  • カラコロ工房(旧日本銀行松江支店の建物)<br /><br />小泉八雲がこよなく愛した松江<br />明治23年当時、木橋であった松江大橋をわたる下駄の「カラコロ」と響く音に、八雲は深く心惹かれたというエピソードから命名されたそうです。<br /><br />この建物は、建築家長野宇平治氏の設計で、昭和13年に日本銀行松江支店として建てられたもので、増改築を施し、2000年春に開館。

    カラコロ工房(旧日本銀行松江支店の建物)

    小泉八雲がこよなく愛した松江
    明治23年当時、木橋であった松江大橋をわたる下駄の「カラコロ」と響く音に、八雲は深く心惹かれたというエピソードから命名されたそうです。

    この建物は、建築家長野宇平治氏の設計で、昭和13年に日本銀行松江支店として建てられたもので、増改築を施し、2000年春に開館。

  • カラコロ工房の左手に並ぶショップ 11:05頃<br /><br />ここに寄りたかったのは、久々に会いたい人がいたからです。

    カラコロ工房の左手に並ぶショップ 11:05頃

    ここに寄りたかったのは、久々に会いたい人がいたからです。

  • カラコロ工房 ベーカリー&カフェ パサージュ<br /><br />このパン屋さんの奥様Kさんは、私の会社の後輩なんです。<br />松江にお住いのご主人と結婚されて、お二人でお店をされているのです。<br />松江で頑張っていることは知っていましたが、お元気な様子を拝見で来て良かったです。<br />お土産に、焼き立ての美味しいパンまで頂いてしまいました。<br />Kさん有難うございました。

    カラコロ工房 ベーカリー&カフェ パサージュ

    このパン屋さんの奥様Kさんは、私の会社の後輩なんです。
    松江にお住いのご主人と結婚されて、お二人でお店をされているのです。
    松江で頑張っていることは知っていましたが、お元気な様子を拝見で来て良かったです。
    お土産に、焼き立ての美味しいパンまで頂いてしまいました。
    Kさん有難うございました。

  • カラコロ工房 ベーカリー&カフェ パサージュ<br /><br />訪ねたこの日から、お店を拡張されていて、店内でパンと飲み物を頂けるようになっていました。<br />松江に行かれる方がいらっしゃったら、ちょっと立ち寄ってみて下さい。<br />「morino296の紹介」と言っていただいた方、先着10名様に、何かおまけがあるかも知れませんよ。(未確認ですが)

    カラコロ工房 ベーカリー&カフェ パサージュ

    訪ねたこの日から、お店を拡張されていて、店内でパンと飲み物を頂けるようになっていました。
    松江に行かれる方がいらっしゃったら、ちょっと立ち寄ってみて下さい。
    「morino296の紹介」と言っていただいた方、先着10名様に、何かおまけがあるかも知れませんよ。(未確認ですが)

  • 大橋川に架かる新大橋から 11:35頃<br /><br />カラコロ工房からJR松江駅までバスに乗ろうとしたのですが、バス停が見当たらず、結局、駅まで歩いてしまいました。

    大橋川に架かる新大橋から 11:35頃

    カラコロ工房からJR松江駅までバスに乗ろうとしたのですが、バス停が見当たらず、結局、駅まで歩いてしまいました。

  • 昨晩お世話になった「根っこや」さん<br /><br />新大橋を渡ると直ぐでした。<br />ここで、ランチも考えたのですが、別のお店を探すことにしました。

    昨晩お世話になった「根っこや」さん

    新大橋を渡ると直ぐでした。
    ここで、ランチも考えたのですが、別のお店を探すことにしました。

  • 松江駅に向かって歩いていると、こんな看板を発見 11:45頃<br /><br />「欲張りランチ」850円<br /><br />ちょっと驚きの内容です。

    松江駅に向かって歩いていると、こんな看板を発見 11:45頃

    「欲張りランチ」850円

    ちょっと驚きの内容です。

  • ダイニング なごみ<br /><br />このお店に入ってみることにしました。

    ダイニング なごみ

    このお店に入ってみることにしました。

  • ダイニング なごみ 「欲張りランチ」<br /><br />食事が出てくるまでは、少しで待ちましたが、内容は凄いです。<br />これだけあれば、夕食にも十分ですね。<br /><br />我々が食べ始める頃、地元のOLさん達がいっぱい入ってこられて、お店はほぼ満席になっていました。<br /><br />松江のランチは、絶対お得! と思います。<br />

    ダイニング なごみ 「欲張りランチ」

    食事が出てくるまでは、少しで待ちましたが、内容は凄いです。
    これだけあれば、夕食にも十分ですね。

    我々が食べ始める頃、地元のOLさん達がいっぱい入ってこられて、お店はほぼ満席になっていました。

    松江のランチは、絶対お得! と思います。

  • JR松江駅の近くにある松江テルサのロビー<br /><br />松江テルサ(松江勤労者総合福祉センター)のベンチで、少し時間調整をして13:05発の境港直行バスに乗りました。<br /><br />(境港へつづく)

    JR松江駅の近くにある松江テルサのロビー

    松江テルサ(松江勤労者総合福祉センター)のベンチで、少し時間調整をして13:05発の境港直行バスに乗りました。

    (境港へつづく)

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この旅行記へのコメント (6)

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  • きーちゃんさん 2013/10/04 23:01:21
    先着10名様ですか〜^^;
    morino296さん、こんばんは!

    松江市内観光、いいですね〜 
    このようなところの見学、大好きです!
    多分時間を忘れて見ていそうです。 とても勉強になりました。

    松江城 天守閣も興味深々で拝見しました。
    小泉八雲記念館も興味のあるところ。。。 武家屋敷もいいですね〜

    カラコロ工房 ベーカリー&カフェ パサージュ(お名前長いですね^^;)
    おいしそうなパンがずらり♪
    先着10名。。。と言わず、「きーちゃんが訪れたら、おまけを♪」と言っておいてください(笑)

    欲張りランチ」850円!!
    スゴイ〜です@@; きーちゃんも驚き♪
    850円でお膳いっぱいのお料理! ちょっとした旅館の夕食ですよ〜
    そしてコーヒーのサービス。。。ランチとはいえかなりのお値打ちです!
    食べに行きたいです〜〜 島根県かぁ・・・・(>_<)

      きーちゃん



    morino296

    morino296さん からの返信 2013/10/04 23:55:04
    RE: 先着10名様ですか〜^^;
    きーちゃん

    こんばんは。
    いつも有難うございます。

    松江、今回は時間の関係で、半日しか観光できませんでしたが、
    もっとゆっくり楽しみたいところですね。

    松江城は、お城の好きな方には、是非、行ってもらいたいですね。
    この日はお天気も良き、天守からの眺めは最高でした。

    パン屋さん、きーちゃんが行かれる時は、スペシャルサービスをお願いしておきますよ。

    欲張りランチも、凄いでしょう。
    本当に、旅館の晩御飯くらいありましたよ。

    近かったら、毎日でも、食べに行ってしまいそうです。

    morino296
  • norisaさん 2013/10/04 10:42:22
    松江はいいですね!
    morino296さん

    おはようございます。

    松江はむかーし行った記憶がありますが、今回の旅行記拝見させていただいて記憶が蘇りました。

    松江城は登ったかどうかわすれましたが、改めて見ると風情のある姿かたちですね。
    戦火で持ちこたえたのでしょうかーー。

    堀川めぐりは乗ったことがありませんが次回は試したいものです。

    最後のランチ、これはランチとしては豪華かつ大量で次の目的地にまでたどりつけそうにないのが難点ですがおいしそうです。

    旅の醍醐味が満載でしたーー。


    norisa

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/10/04 23:43:03
    RE: 松江はいいですね!
    norisaさん

    こんばんは。
    山陰の旅、ご覧いただき有難うございます。

    私も、久々の再訪でしたが、松江の良さを再認識しました。
    松江城が取り壊されずに残ったことは、本当に良かったと思いますね。
    お天気も良く、天守閣からの眺めも素晴らしかったです。

    時間の関係で、駆け足での観光となりましたが、
    堀川めぐりなど、ゆっくりと楽しみたいものですね。

    松江は、食べ物も美味しく、値段も安いように思います。

    是非、また、お出掛け下さい。

    morino296
  • 前日光さん 2013/10/04 00:23:30
    午前中で、これだけ回られたのですか?(@_@)
    こんばんは、morino296さん。

    出雲大社に続いての松江市内観光。
    天気がよかったのですねぇ〜
    松江駅のビルに空が映り込んでいます。

    ここの所松江を訪ねても、天気がどんよりで蒸し暑いということが続いておりまして、こんな天気の日にゆっくりと散策できたらなぁと、つくづく思います。

    松江城は、良いお城ですよね。
    大きなお城ではありませんが、なんとなく遠くからこのお城を見ると、安心したような気分になります。
    私の好きな町というのは、これくらいの規模でお城が在り、近くに湖がある、そんな町なんだと最近思います。
    そしておいしいお酒と和菓子、つまりはこの町が一番好みに近いのです。

    お堀にコスモスが揺れている写真、すてきですね!
    彼岸花も鮮やかです。
    夏には見られない風景が、旅行記の至る所に満ちていて、ますます秋の出雲に行ってみたいと思いました。

    城山稲荷神社の「ホーランエンヤ」のお祭りは、町の人でさえ見る度に感動するそうです。
    この間、知り合いになった松江の知人が、ホーランエンヤの話をしてくれましたが、次の平成31年にこの祭りを見ることができたらと思っています。
    塩見縄手も大好きな町並みです。
    カラコロ工房のパン屋さん、ぜひ訪ねてみようと思います。

    午後は境港なんですね?


    前日光

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/10/04 09:13:36
    RE: 午前中で、これだけ回られたのですか?(@_@)
    前日光さん

    おはようございます。
    いつも有難うございます。

    お蔭様で、今回の旅は、お天気にも恵まれました。

    松江城、よく壊されずに残ったものですね。
    松江と言えば、やはり、お城は外せませんね。

    ホーランエンヤ、10年に1回となると、地元の皆さんも熱が入ることでしょうね。
    是非、見てみたいですね。

    カラコロ工房のパン屋さんにも、是非、お立ち寄りください。

    morino296

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