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前回でもお話ししましたように、ギリシャにはずっと前から来てみたかったのです。<br />あちこち見て回らなくても、アテネの土をチョン!!と踏むだけでも、私の心は古代アテネと何らかの糸で結ばれるのでは?と、胸に描いていたのでした。<br /><br />そこに一歩降りてみるだけでいい!! 私には、そういう願いをもっているところがあるのです。アテネのほかにもローマもフィレンツェもそうですし、開拓者が走り楽しんだアメリカの荒野とミシシッピ川畔もそうです。ロンドンのかつてのスラム街も。そして、現代のデトロイトの姿・・。<br />今まで、旅行に行くのにこんなことを考えたことはありませんでした。トシのせいかも知れませんね(^o^)<br /><br />この6月になって、旅行記に備えて幾つかの本を読んでみました。読まなかったよりズッとよかったですけど、私などが全体を理解するには、まだまだ遠い道程です(-_-)<br />そうと知れば、手っ取り早く書くには、これまでどおり率直な印象を書いていくしかないなと思いました(~o~) <br /><br />そりゃそうですよね?。<br />ギリシャの歴史は本当に豊かで難しく、先生方が書かれた本を早急に理解するには、あまりにも無理がありすぎますからね?(-_-;)<br />でも、多くのことを気付かせて頂いたことには、心底から感謝でしたm(_ _)m<br /><br />この日の朝食時、偶然にも3年半ぶりにAさんご夫妻と再会して、心躍ってしまったのでした!(^^)!<br />とっても嬉しいことでした。<br />本当に幸先のよいクルーズになって、なによりでした!(^^)!。<br /><br />★参考文献<br />△西洋建築の歴史(佐藤達生・ふくろうの本・川出書房新社)<br />△哲学の原風景(荻野浩之・NHK出版)<br />△ヨーロッパを見る視角(阿倍謹也・岩波現代文庫)<br />△ギリシア神話を知っていますか(阿刀田高・新潮文庫)<br />△ギリシア・ローマ文化誌百科(上・下)(小林雅夫ほか監訳・原書房)<br />等々・・。<br />Wikipediaほか、ネット記事も多数参照させて頂きました。<br />★地名・人名等は、ギリシャ読み・ローマ読み・英語読み等々複数以上ありますので、私個人の読み方を選択しました。<br />★遺跡等の所在地をGoogle mapでご案内していますが、ご覧の際には「航空写真」でご覧下さい。

東・西地中海クルーズ(その2・アテネ&パルテノン神殿)

38いいね!

2012/11/17 - 2012/11/17

181位(同エリア1730件中)

15

126

カメちゃん

カメちゃんさん

前回でもお話ししましたように、ギリシャにはずっと前から来てみたかったのです。
あちこち見て回らなくても、アテネの土をチョン!!と踏むだけでも、私の心は古代アテネと何らかの糸で結ばれるのでは?と、胸に描いていたのでした。

そこに一歩降りてみるだけでいい!! 私には、そういう願いをもっているところがあるのです。アテネのほかにもローマもフィレンツェもそうですし、開拓者が走り楽しんだアメリカの荒野とミシシッピ川畔もそうです。ロンドンのかつてのスラム街も。そして、現代のデトロイトの姿・・。
今まで、旅行に行くのにこんなことを考えたことはありませんでした。トシのせいかも知れませんね(^o^)

この6月になって、旅行記に備えて幾つかの本を読んでみました。読まなかったよりズッとよかったですけど、私などが全体を理解するには、まだまだ遠い道程です(-_-)
そうと知れば、手っ取り早く書くには、これまでどおり率直な印象を書いていくしかないなと思いました(~o~) 

そりゃそうですよね?。
ギリシャの歴史は本当に豊かで難しく、先生方が書かれた本を早急に理解するには、あまりにも無理がありすぎますからね?(-_-;)
でも、多くのことを気付かせて頂いたことには、心底から感謝でしたm(_ _)m

この日の朝食時、偶然にも3年半ぶりにAさんご夫妻と再会して、心躍ってしまったのでした!(^^)!
とっても嬉しいことでした。
本当に幸先のよいクルーズになって、なによりでした!(^^)!。

★参考文献
△西洋建築の歴史(佐藤達生・ふくろうの本・川出書房新社)
△哲学の原風景(荻野浩之・NHK出版)
△ヨーロッパを見る視角(阿倍謹也・岩波現代文庫)
△ギリシア神話を知っていますか(阿刀田高・新潮文庫)
△ギリシア・ローマ文化誌百科(上・下)(小林雅夫ほか監訳・原書房)
等々・・。
Wikipediaほか、ネット記事も多数参照させて頂きました。
★地名・人名等は、ギリシャ読み・ローマ読み・英語読み等々複数以上ありますので、私個人の読み方を選択しました。
★遺跡等の所在地をGoogle mapでご案内していますが、ご覧の際には「航空写真」でご覧下さい。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • アテネの一夜が明けて、あの「クイーン・エリザベス号」に乗る日がやってきました。<br />「クイーン・エリザベス号」は、世界で最も名を知られた船としても有名ですね。<br /><br />その船に乗るというきょうの朝、とっても嬉しい驚きが待っていたのでした!(^^)!<br />朝食のレストランで、あの「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」で御一緒だったAご夫妻と3年半ぶりの再会したのでした(^-^)<br /><br />ホントにビックリするやら嬉しいやら。<br />お顔を拝見して、すぐに分かったモンね。抱きつきたいほど嬉しかったです!!<br />旅のスタートでこんな幸運に恵まれるなんて、幸福の女神様がお引き合わ下さったのかも知れませんね(^-^)<br /><br />写真はホテルから見た、アテネの光景です。<br />古〜い石垣と家。古都アテネにいることを印象づけられた光景でした。<br /><br />★↓は「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」で御一緒だったAご夫妻です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/16551928/src.html

    アテネの一夜が明けて、あの「クイーン・エリザベス号」に乗る日がやってきました。
    「クイーン・エリザベス号」は、世界で最も名を知られた船としても有名ですね。

    その船に乗るというきょうの朝、とっても嬉しい驚きが待っていたのでした!(^^)!
    朝食のレストランで、あの「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」で御一緒だったAご夫妻と3年半ぶりの再会したのでした(^-^)

    ホントにビックリするやら嬉しいやら。
    お顔を拝見して、すぐに分かったモンね。抱きつきたいほど嬉しかったです!!
    旅のスタートでこんな幸運に恵まれるなんて、幸福の女神様がお引き合わ下さったのかも知れませんね(^-^)

    写真はホテルから見た、アテネの光景です。
    古〜い石垣と家。古都アテネにいることを印象づけられた光景でした。

    ★↓は「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」で御一緒だったAご夫妻です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/16551928/src.html

  • ホテルのすぐ近くに、ボロボロになっている空き屋ながらも、どことなく気品を感じさせられる建物がありました。<br /><br />柱の太さと模様、窓枠の形、洒落たベランダ、屋上を飾るレンガ積みの形等々、整った形と重厚感は、単なる住宅ではなかったように思います。<br />ホント、その昔は銀行か商社の本店だったのかな?と感じさせる風格がありますね。<br /><br />手前の建物の2階から出ている旗は、ギリシャ国旗です。

    ホテルのすぐ近くに、ボロボロになっている空き屋ながらも、どことなく気品を感じさせられる建物がありました。

    柱の太さと模様、窓枠の形、洒落たベランダ、屋上を飾るレンガ積みの形等々、整った形と重厚感は、単なる住宅ではなかったように思います。
    ホント、その昔は銀行か商社の本店だったのかな?と感じさせる風格がありますね。

    手前の建物の2階から出ている旗は、ギリシャ国旗です。

  • ちょっと角度を変えて、2階の軒の部分を望遠で撮ってみました。<br /><br />柱と軒の部分が複雑な模様で飾られています。<br />この建物が現役だったころ、美しく気品に満ちた建物として人々から注目されていたと思いますね。<br /><br />過去の栄光はどこへやら、今は荒れ放題になっている様子に心が痛みます。

    ちょっと角度を変えて、2階の軒の部分を望遠で撮ってみました。

    柱と軒の部分が複雑な模様で飾られています。
    この建物が現役だったころ、美しく気品に満ちた建物として人々から注目されていたと思いますね。

    過去の栄光はどこへやら、今は荒れ放題になっている様子に心が痛みます。

  • 乗船はお昼頃ですから、それまでアテネ市内の観光に出掛けます。<br />アテネと言えば、ギリシャ文明で有名なところ(^^)<br /><br />さて、車窓の風景です。<br />写真中央に見える建物の柱を見ますと、かなり古い様式ですね。<br />ヒョッとして、大昔に造られた?と思ってしまいますけど、そうでもない感じです。<br />さすが歴史の町、アテネならではの光景ですね。

    乗船はお昼頃ですから、それまでアテネ市内の観光に出掛けます。
    アテネと言えば、ギリシャ文明で有名なところ(^^)

    さて、車窓の風景です。
    写真中央に見える建物の柱を見ますと、かなり古い様式ですね。
    ヒョッとして、大昔に造られた?と思ってしまいますけど、そうでもない感じです。
    さすが歴史の町、アテネならではの光景ですね。

  • 昨日、ホテルの前から見えた丘がこんなに近くになりました。<br />この丘は標高が273mもあるそうです。<br /><br />高い所を見つけると、すぐに登ったり、何かを作りたがる・・(^o^)<br />高い所が好きなのは、私だけではないようですね。<br /><br />ところで、頂上に見える白い建物は、アギオス・ヨルギオス教会とのことです。<br />キリスト教の一教派である、ギリシャ正教会の教会のようです。<br />東ヨーロッパを旅行したことのない私たちには、西ヨーロッパで正教会系の教会を見たことはなかったです。ただ、アラスカを訪れた時にロシア正教会の教会を見たことがありました。<br /><br />聖教会系の教会となりますと、私がこれまで見てきた西方教会と違って、教会の建物の外観も言葉・用語も変わってきます。そんなところがあって、チョットなじめないのが正直な印象です。<br /><br />★↓は、アラスカ・コディアックでのロシア正教会の教会です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/16578710/src.html<br />★カトリックと正教会のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%88%86%E8%A3%82<br />★この丘の場所は↓にて(再掲)<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.981856,23.74366&amp;spn=0.003641,0.004324&amp;iwloc=0004de26c6be61be2845d

    昨日、ホテルの前から見えた丘がこんなに近くになりました。
    この丘は標高が273mもあるそうです。

    高い所を見つけると、すぐに登ったり、何かを作りたがる・・(^o^)
    高い所が好きなのは、私だけではないようですね。

    ところで、頂上に見える白い建物は、アギオス・ヨルギオス教会とのことです。
    キリスト教の一教派である、ギリシャ正教会の教会のようです。
    東ヨーロッパを旅行したことのない私たちには、西ヨーロッパで正教会系の教会を見たことはなかったです。ただ、アラスカを訪れた時にロシア正教会の教会を見たことがありました。

    聖教会系の教会となりますと、私がこれまで見てきた西方教会と違って、教会の建物の外観も言葉・用語も変わってきます。そんなところがあって、チョットなじめないのが正直な印象です。

    ★↓は、アラスカ・コディアックでのロシア正教会の教会です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/16578710/src.html
    ★カトリックと正教会のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%88%86%E8%A3%82
    ★この丘の場所は↓にて(再掲)
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.981856,23.74366&spn=0.003641,0.004324&iwloc=0004de26c6be61be2845d

  • バスが最初に止まったところは、ギリシャの国会議事堂の前でした。<br />屋根の真ん中に掲げられている旗は、当然のことながらギリシャ国旗です。<br /><br />この建物は、1833年にギリシャの初代国王となったオットー一世の宮殿だったのを、1933年から国会議事堂にしたとのことです。<br />紀元前から世界に冠たる歴史を持つギリシャですが、その初代国王が1833年に即位したってどういうこと?? 考えてみれば、安易に「古代ギリシャ」って言うけど、その古代ギリシャの「ギリシャ」って、国名でも何でもなく地理上の範囲もいまいちハッキリしなかったみたいですね。<br />結局、1833年までギリシャという「国家」とか地域を一度も形成したことがなかったんですね。マジメな話、これにはビックリでしたよ(^O^)<br /><br />★そのあたりの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3#.E5.85.B1.E5.92.8C.E6.94.BF.E6.B2.BB.E3.81.AE.E7.A2.BA.E7.AB.8B<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89

    バスが最初に止まったところは、ギリシャの国会議事堂の前でした。
    屋根の真ん中に掲げられている旗は、当然のことながらギリシャ国旗です。

    この建物は、1833年にギリシャの初代国王となったオットー一世の宮殿だったのを、1933年から国会議事堂にしたとのことです。
    紀元前から世界に冠たる歴史を持つギリシャですが、その初代国王が1833年に即位したってどういうこと?? 考えてみれば、安易に「古代ギリシャ」って言うけど、その古代ギリシャの「ギリシャ」って、国名でも何でもなく地理上の範囲もいまいちハッキリしなかったみたいですね。
    結局、1833年までギリシャという「国家」とか地域を一度も形成したことがなかったんですね。マジメな話、これにはビックリでしたよ(^O^)

    ★そのあたりの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3#.E5.85.B1.E5.92.8C.E6.94.BF.E6.B2.BB.E3.81.AE.E7.A2.BA.E7.AB.8B
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89

  • 2階と3階の柱の飾り模様が面白いですね。<br />柱の両側に羊の角みたいにクルッと丸まってるのは、パーマをかけたみたいで可愛いです。<br /><br />そう言えば、欧米の昔のエライ人はパーマの掛かった髪型をしていましたね。<br /><br />★↓は、カールが決まっているルイ16世です。<br />http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/Ludvig_XVI_av_Frankrike_portr%C3%A4tterad_av_AF_Callet.jpg

    2階と3階の柱の飾り模様が面白いですね。
    柱の両側に羊の角みたいにクルッと丸まってるのは、パーマをかけたみたいで可愛いです。

    そう言えば、欧米の昔のエライ人はパーマの掛かった髪型をしていましたね。

    ★↓は、カールが決まっているルイ16世です。
    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/Ludvig_XVI_av_Frankrike_portr%C3%A4tterad_av_AF_Callet.jpg

  • そんなことより、記念写真を撮りましょう(^^)<br /><br />ここまで来てもこんな調子です。<br />夕べも足腰を揉んで上げましたらね(-_-;)<br />はるばるキリシアまで来ても、やっぱり「カカア天下」だね〜(^^)

    そんなことより、記念写真を撮りましょう(^^)

    ここまで来てもこんな調子です。
    夕べも足腰を揉んで上げましたらね(-_-;)
    はるばるキリシアまで来ても、やっぱり「カカア天下」だね〜(^^)

  • 左手の方から、このような3人組がやってきました。<br />帽子は赤いし、高校生みたいな服装だから、最初は女の子?って思いました(^O^)<br /><br />でもカッコいいですね。<br />しばらく追っかけてみましょう(^^)

    左手の方から、このような3人組がやってきました。
    帽子は赤いし、高校生みたいな服装だから、最初は女の子?って思いました(^O^)

    でもカッコいいですね。
    しばらく追っかけてみましょう(^^)

  • だいぶ接近してきました。<br />やっぱり男の子でしたね。<br /><br />ヨーロッパでは、王宮や国会議事堂などで衛兵のいることが多いようです。<br />皆さんの旅行記で衛兵の交代風景を拝見したことがありますけど、ここでそれが見られたなんてビックリでしたし、嬉しかったですね。<br /><br />ヨーロッパでは、民族の男子正装がスカートになっている場合がチラホラ見られるようです。<br />ギリシャの男子正装は、下衣がスカートになっている「フスタネーラ」っていう衣装なんですね。スコットランドの民族衣装の「キルト」もスカートになっていますね。<br /><br />★ギリシャの「フスタネーラ」の詳しいことは↓にて。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A9<br />★イギリスの「キルト」もご覧下さい。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%88_(%E8%A1%A3%E8%A3%85)

    だいぶ接近してきました。
    やっぱり男の子でしたね。

    ヨーロッパでは、王宮や国会議事堂などで衛兵のいることが多いようです。
    皆さんの旅行記で衛兵の交代風景を拝見したことがありますけど、ここでそれが見られたなんてビックリでしたし、嬉しかったですね。

    ヨーロッパでは、民族の男子正装がスカートになっている場合がチラホラ見られるようです。
    ギリシャの男子正装は、下衣がスカートになっている「フスタネーラ」っていう衣装なんですね。スコットランドの民族衣装の「キルト」もスカートになっていますね。

    ★ギリシャの「フスタネーラ」の詳しいことは↓にて。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A9
    ★イギリスの「キルト」もご覧下さい。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%88_(%E8%A1%A3%E8%A3%85)

  • 観衆の中を議事堂正面に向かって進む衛兵さんです。<br /><br />大勢の視線を浴びると、ちょっと照れちゃいますよね。<br />私だったら、照れちゃってニッコリしちゃうかも??←これだと衛兵失格かもね?(~o~)

    観衆の中を議事堂正面に向かって進む衛兵さんです。

    大勢の視線を浴びると、ちょっと照れちゃいますよね。
    私だったら、照れちゃってニッコリしちゃうかも??←これだと衛兵失格かもね?(~o~)

  • ココで階段を上がります。<br /><br />足がしっかり上がっていますね!(^^)!<br />私なんか、ああやって足を上げようとしても30cm位しか上がらないからね(&gt;_&lt;)<br />身体の柔軟な人でないと衛兵は務まりませんね(^o^)

    ココで階段を上がります。

    足がしっかり上がっていますね!(^^)!
    私なんか、ああやって足を上げようとしても30cm位しか上がらないからね(>_<)
    身体の柔軟な人でないと衛兵は務まりませんね(^o^)

  • ココで交代儀式です。<br /><br />カッコいいけど、なかなか大変だなって思いました。<br />「頑張ってー!!」<br />ッと、応援したくなりますね。

    ココで交代儀式です。

    カッコいいけど、なかなか大変だなって思いました。
    「頑張ってー!!」
    ッと、応援したくなりますね。

  • 実は、この衛兵さんたちは国会議事堂の為ではなく、国会議事堂の前にある無名戦士の墓を守っているんですよ。<br />その墓は、ギリシャ独立戦争(1821〜1829年・オスマン帝国からの独立)での戦死者ほか、それ以降の戦死者の霊を慰めるために造られたとのことです。<br />この浮き彫りは戦場で倒れた兵士の姿だそうです。<br /><br />ギリシャの兵隊さんもですが、戦場で倒れた世界中の兵隊さんの安らかな眠りをお祈りしたいですね。戦争に巻き込まれて亡くなった無数の市民の霊も、安らかなることをお祈りしたいです。<br /><br />それから、ここの衛兵さんの服装は、季節によって色や服が変わるのだそうです。<br />夏にきたら白っぽい服装かも知れません。薄茶の時もあるようです。<br /><br />★ギリシャ独立戦争の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89<br />★↓は衛兵交代の様子です。<br />http://www.youtube.com/watch?v=Dx0q6fLwosg

    実は、この衛兵さんたちは国会議事堂の為ではなく、国会議事堂の前にある無名戦士の墓を守っているんですよ。
    その墓は、ギリシャ独立戦争(1821〜1829年・オスマン帝国からの独立)での戦死者ほか、それ以降の戦死者の霊を慰めるために造られたとのことです。
    この浮き彫りは戦場で倒れた兵士の姿だそうです。

    ギリシャの兵隊さんもですが、戦場で倒れた世界中の兵隊さんの安らかな眠りをお祈りしたいですね。戦争に巻き込まれて亡くなった無数の市民の霊も、安らかなることをお祈りしたいです。

    それから、ここの衛兵さんの服装は、季節によって色や服が変わるのだそうです。
    夏にきたら白っぽい服装かも知れません。薄茶の時もあるようです。

    ★ギリシャ独立戦争の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
    ★↓は衛兵交代の様子です。
    http://www.youtube.com/watch?v=Dx0q6fLwosg

  • こちらの3人が任務を終えて帰る人たちです。<br />銃の先についている剣の形が、交代する人たちと違います。<br /><br />このような衛兵交代シーンは、観光資源にもなっているとのこと。<br /><br />ギリシャ国会議事堂の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.975132,23.736769&amp;spn=0.001806,0.002108&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb30681da23ec906,,,0,-31

    こちらの3人が任務を終えて帰る人たちです。
    銃の先についている剣の形が、交代する人たちと違います。

    このような衛兵交代シーンは、観光資源にもなっているとのこと。

    ギリシャ国会議事堂の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.975132,23.736769&spn=0.001806,0.002108&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb30681da23ec906,,,0,-31

  • 交代を終えて帰って行く衛兵さんです。<br /><br />微動だにせず、数時間をズッと立ちっぱなしの姿勢で姿勢でいることは、本当に大変だと思います。衛兵の姿勢を素人が真似したら、足がポンポンに腫れてしまうかも知れませんね。 ホントにご苦労様と言いたいですね。<br /><br />時には、衛兵さんが直立不動なのをよいことにして、ちょっかいを出したり、横に並んで写真を撮ったりする人もいるみたいですけど、いくらなんでも迷惑ですよね。<br /><br />★下は、ロシアクレムリンでの衛兵交代シーンです。<br />http://www.youtube.com/watch?v=MdeClXZRE1M

    交代を終えて帰って行く衛兵さんです。

    微動だにせず、数時間をズッと立ちっぱなしの姿勢で姿勢でいることは、本当に大変だと思います。衛兵の姿勢を素人が真似したら、足がポンポンに腫れてしまうかも知れませんね。 ホントにご苦労様と言いたいですね。

    時には、衛兵さんが直立不動なのをよいことにして、ちょっかいを出したり、横に並んで写真を撮ったりする人もいるみたいですけど、いくらなんでも迷惑ですよね。

    ★下は、ロシアクレムリンでの衛兵交代シーンです。
    http://www.youtube.com/watch?v=MdeClXZRE1M

  • 衛兵交代の様子を見た後、バスで移動を開始した直後、このような人物像を見ました。<br />これはどのような人か、全く分かりません。<br /><br />この人物に似た像がほかにもあるようですが、近代ギリシャ史にとって重要な人物なのかも知れません。<br />ご存知の方、教えて下さいね。

    衛兵交代の様子を見た後、バスで移動を開始した直後、このような人物像を見ました。
    これはどのような人か、全く分かりません。

    この人物に似た像がほかにもあるようですが、近代ギリシャ史にとって重要な人物なのかも知れません。
    ご存知の方、教えて下さいね。

  • この建物は、「アテネアカデミー」の建物とのことで、19世紀に建設されたようです。ちょっと昔風の形をしていますが、これは「ネオクラシック様式」と言われる形とのことです。クラシック様式の新しいヤツですね(^^)  <br /><br />修理中なのか、網が被せられているので分かりませんけど、アテネのアクロポリスの「エレクティオン神殿」をモデルにしたそうですよ。<br /><br />「アカデミー」と言えば、日本でも「日本アカデミー賞」というのがありますね。今年のアカデミー賞の最優秀男優賞は「阿部 寛」さんだったとか。<br />「アカデミー」って映画のこと??と思ったら、何かしら色々あるようですね? 「科学アカデミー」みたいなヤツもあるようです(^O^)<br /><br />★アテネアカデミーの場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.979765,23.734253&amp;spn=0.001806,0.002108&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25d952a6bcc6d5d,37.980012,23.733945,0,-32

    この建物は、「アテネアカデミー」の建物とのことで、19世紀に建設されたようです。ちょっと昔風の形をしていますが、これは「ネオクラシック様式」と言われる形とのことです。クラシック様式の新しいヤツですね(^^)  

    修理中なのか、網が被せられているので分かりませんけど、アテネのアクロポリスの「エレクティオン神殿」をモデルにしたそうですよ。

    「アカデミー」と言えば、日本でも「日本アカデミー賞」というのがありますね。今年のアカデミー賞の最優秀男優賞は「阿部 寛」さんだったとか。
    「アカデミー」って映画のこと??と思ったら、何かしら色々あるようですね? 「科学アカデミー」みたいなヤツもあるようです(^O^)

    ★アテネアカデミーの場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.979765,23.734253&spn=0.001806,0.002108&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25d952a6bcc6d5d,37.980012,23.733945,0,-32

  • ↑の建物の正面です。玄関手前の正面左右に人が座っていますね。<br />ガイドさんのお話ですと、ギリシャ哲学の大御所であるソクラテスとプラトンとのことです。どちらがソクラテスかは忘れてしまいましたが、そこはお顔を見ればなんとか分かります(^^) 多分、右がソクラテスだと思います。<br /><br />ソクラテスは、アポロン神殿の巫女さんから「ギリシャでソクラテスより利口な人はいない」といわれてビックリ(~o~) <br />彼は“それって本当?”と思って、アテナイ(当時は、アテネを“アテナイ”と言ったそうです)の最高の賢者を次々に訪ねて対話をしてみたのでした。彼らは確かに知識は豊富だけど、彼らのやってることを突き詰めて問いかけていくと、結局自分のやってることが分かっていない人ばかりだったというのです。<br /><br />そう言われてみると、学者先生も政治家先生も職場の上司閣下も、豊富な知識を持ち、口も達者だけど、その言ってることは意外なほど一面的で、問題の全体像を知らないんですね。<br />だいいち「人と社会」が分かってないモンね(-_-;) 。ホント、そんなことで大丈夫かな〜って思いますよね(^_^;) あの「有識者」というのも、考えモンですね!(^^)!<br /><br />でも、ソクラテスの活動を誤解したアテナイ市民は、彼を死刑にしてしまいます。アテナイ市民の取り返しのつかない間違いでしたね(&gt;_&lt;)<br /><br />★ソクラテスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9<br />★プラトンの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3<br />★デルフォイのアポロン神殿の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=38.481973,22.501998&amp;spn=0.001793,0.002663&amp;iwloc=0004df6e0dad8d00a677b

    ↑の建物の正面です。玄関手前の正面左右に人が座っていますね。
    ガイドさんのお話ですと、ギリシャ哲学の大御所であるソクラテスとプラトンとのことです。どちらがソクラテスかは忘れてしまいましたが、そこはお顔を見ればなんとか分かります(^^) 多分、右がソクラテスだと思います。

    ソクラテスは、アポロン神殿の巫女さんから「ギリシャでソクラテスより利口な人はいない」といわれてビックリ(~o~)
    彼は“それって本当?”と思って、アテナイ(当時は、アテネを“アテナイ”と言ったそうです)の最高の賢者を次々に訪ねて対話をしてみたのでした。彼らは確かに知識は豊富だけど、彼らのやってることを突き詰めて問いかけていくと、結局自分のやってることが分かっていない人ばかりだったというのです。

    そう言われてみると、学者先生も政治家先生も職場の上司閣下も、豊富な知識を持ち、口も達者だけど、その言ってることは意外なほど一面的で、問題の全体像を知らないんですね。
    だいいち「人と社会」が分かってないモンね(-_-;) 。ホント、そんなことで大丈夫かな〜って思いますよね(^_^;) あの「有識者」というのも、考えモンですね!(^^)!

    でも、ソクラテスの活動を誤解したアテナイ市民は、彼を死刑にしてしまいます。アテナイ市民の取り返しのつかない間違いでしたね(>_<)

    ★ソクラテスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
    ★プラトンの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3
    ★デルフォイのアポロン神殿の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=38.481973,22.501998&spn=0.001793,0.002663&iwloc=0004df6e0dad8d00a677b

  • 望遠で撮ったソクラテスです。<br />なんとなく悩んでいるみたいですね(-_-;)<br /><br />日本の柔道界が暴力問題を抱えて悩んでいる時、ある経済通の人が言ったことには、<br />「会長に外人を据えたら?」<br />でした(&gt;_&lt;) <br /><br />その論拠は、<br />「サッカーの監督も外人が多い」<br />ということでした。ハッキリ言えば、日本の政治も経済も教育も社会運営も、外人に任せた方が良いかも?ですよ。でもね、そうはいかないところに、日本人の苦悩と現在の諸問題があるんですよね〜(=_=)<br /><br />知識は豊富であっても、日本社会が歴史的・構造的に抱えている苦悩に気がつかず、安易な着想をポンポン言ってしまう「知識人」たち。そして原稿料も稼げる(-_-;) こういう知識ある人は、問い詰めていけば、自分が何を言ってるのか分かっていないんだと思いますよ。<br /><br />ソクラテスが多くの政界人・知識人と対話して分かったことは、そう言うことだと思いますね。

    望遠で撮ったソクラテスです。
    なんとなく悩んでいるみたいですね(-_-;)

    日本の柔道界が暴力問題を抱えて悩んでいる時、ある経済通の人が言ったことには、
    「会長に外人を据えたら?」
    でした(>_<) 

    その論拠は、
    「サッカーの監督も外人が多い」
    ということでした。ハッキリ言えば、日本の政治も経済も教育も社会運営も、外人に任せた方が良いかも?ですよ。でもね、そうはいかないところに、日本人の苦悩と現在の諸問題があるんですよね〜(=_=)

    知識は豊富であっても、日本社会が歴史的・構造的に抱えている苦悩に気がつかず、安易な着想をポンポン言ってしまう「知識人」たち。そして原稿料も稼げる(-_-;) こういう知識ある人は、問い詰めていけば、自分が何を言ってるのか分かっていないんだと思いますよ。

    ソクラテスが多くの政界人・知識人と対話して分かったことは、そう言うことだと思いますね。

  • こちらの建物は、アテネ大学とのことです。<br /><br />もちろんギリシャ国内では、最も優秀な大学のようです。<br /><br />なんせ、紀元前からソクラテスやプラトンなどが活躍したお国柄ですからね。哲学科などは特に関心を持ちますね。歴史や考古学の分野も期待できそうですね。<br /><br />★アテネ大学の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.980297,23.733864&amp;spn=0.001806,0.002108&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25d5b9c8c49531f,,,0,-31

    こちらの建物は、アテネ大学とのことです。

    もちろんギリシャ国内では、最も優秀な大学のようです。

    なんせ、紀元前からソクラテスやプラトンなどが活躍したお国柄ですからね。哲学科などは特に関心を持ちますね。歴史や考古学の分野も期待できそうですね。

    ★アテネ大学の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.980297,23.733864&spn=0.001806,0.002108&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25d5b9c8c49531f,,,0,-31

  • 私たちのバスは、またもやギリシャ国会議事堂へやってきました(^O^)<br />多分、一方通行などの規制があったのでしょう。<br /><br />先ほど衛兵の交代が行われていたところは、ギリシャの無名戦士の墓でしたね。<br />外国などでは、各国の元首級の来訪があった際に無名戦士の墓に花束や花輪を手向けることが良くあります。<br />日本の総理大臣も外国を訪問した際に、時々そういうことをしているようです。しかし、日本に来た外国の元首級の人たちは、そういうことはしないそうです。

    私たちのバスは、またもやギリシャ国会議事堂へやってきました(^O^)
    多分、一方通行などの規制があったのでしょう。

    先ほど衛兵の交代が行われていたところは、ギリシャの無名戦士の墓でしたね。
    外国などでは、各国の元首級の来訪があった際に無名戦士の墓に花束や花輪を手向けることが良くあります。
    日本の総理大臣も外国を訪問した際に、時々そういうことをしているようです。しかし、日本に来た外国の元首級の人たちは、そういうことはしないそうです。

  • とっても賑やかな落書きですね。<br /><br />外国では結構落書きを見ます。問題になっているのでしょうか?

    とっても賑やかな落書きですね。

    外国では結構落書きを見ます。問題になっているのでしょうか?

  • アテネにもチンチン電車が走っていました。<br /><br />ヨーロッパには、このような形の丸っこいチンチン電車がよく見られます。<br />でも、ヨーロッパの路面電車を「チンチン電車」って言うのは、ちょっと違和感がありますよね(^-^)<br />チンチン電車と言ったら、やっぱり「チンチン電車」らしい形が良いですね(~o~)<br /><br />★↓は函館のチンチン電車です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10354654/

    アテネにもチンチン電車が走っていました。

    ヨーロッパには、このような形の丸っこいチンチン電車がよく見られます。
    でも、ヨーロッパの路面電車を「チンチン電車」って言うのは、ちょっと違和感がありますよね(^-^)
    チンチン電車と言ったら、やっぱり「チンチン電車」らしい形が良いですね(~o~)

    ★↓は函館のチンチン電車です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10354654/

  • 道端に並ぶお店です。<br /><br />アテネでは道端の歩道上にこのような簡易店舗をよく見かけます。<br />日本ではあまり見かけない店舗形態ですね。<br />道路交通法上ではどうなっているのか?店舗設置の際の規制がないのか?ちょっと考えてしまいました(~o~)

    道端に並ぶお店です。

    アテネでは道端の歩道上にこのような簡易店舗をよく見かけます。
    日本ではあまり見かけない店舗形態ですね。
    道路交通法上ではどうなっているのか?店舗設置の際の規制がないのか?ちょっと考えてしまいました(~o~)

  • 交差点のところへ来ましたら、壊れかけた石柱が見えてきました。<br /><br />後で調べてみますと、ゼウスの神殿(ゼウス・オリンピア神殿とも)のようでした。<br />「ゼウス」というのは、私などは全く知らなかったギリシャ神話に出てくる神で、かなり我が儘でハチャメチャの神さんです。<br /><br />「ゼウス」という名前は、「明るく輝く空」を意味しているみたいす。 彼はギリシャ12神の中の最高神で、全宇宙や雲・雨・雪・雷などを支配していたようです。彼の意志は「掟」であって、彼の気まぐれは「運命」だというのです。<br />神にしては、その名の意味する「明るく輝く空」とは随分違って、非常に乱暴でいい加減ですね。私たちが人として、社会人として、彼に学ぶものはあんまりないみたいです(&gt;_&lt;)。<br /><br />ゼウス氏は何よりも精力絶倫で、数多くの女性神や人間の女性と子供を作りまくります。美人と知れば、何が何でも(何かに変身してでも)SEXを果たし、子供を作ってしまうのですね。品行方正どころか、人の世界では犯罪となる行為を平気で重ねていくんですよ(&gt;_&lt;)<br />とにかく、精力絶倫(&gt;_&lt;)←羨ましい!!(*_*)(^O^) そして出来た子たちがみんな「神」になってしまうのですから、たまったモンではないですね。神の粗製濫造だね(~o~)(^O^)<br /><br />現在なら、婦女暴行罪で何十回も警察に逮捕されているような人間ですよ(&gt;_&lt;)。 これでも神かと言いたいですが、ギリシャ12神の最高神なんですね。彼を拝んでも御利益がなんなのかも曖昧です(-_-;)<br /><br />日本にもゼウス氏みたいな神さんがいますね。大国主命ですよ。なんせ、子供を180人(一説では181人)もつくったってんですから、その絶倫ぶりはゼウス氏も脱帽でしょうね。それでも大国主氏はゼウス氏よりも多少はマジメ?で、 国造りの神、農業神、商業神、医療神などの仕事を担当していたようです。<br /><br />★ゼウス氏の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%A6%E3%82%B9 <br />★ゼウス神殿の場所は↓にて(ゼウス神殿は、他にもたくさんあります)<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.969064,23.733416&amp;spn=0.00189,0.001966&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb32a48a25fce351,,,0,-31<br />★大国主の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB

    交差点のところへ来ましたら、壊れかけた石柱が見えてきました。

    後で調べてみますと、ゼウスの神殿(ゼウス・オリンピア神殿とも)のようでした。
    「ゼウス」というのは、私などは全く知らなかったギリシャ神話に出てくる神で、かなり我が儘でハチャメチャの神さんです。

    「ゼウス」という名前は、「明るく輝く空」を意味しているみたいす。 彼はギリシャ12神の中の最高神で、全宇宙や雲・雨・雪・雷などを支配していたようです。彼の意志は「掟」であって、彼の気まぐれは「運命」だというのです。
    神にしては、その名の意味する「明るく輝く空」とは随分違って、非常に乱暴でいい加減ですね。私たちが人として、社会人として、彼に学ぶものはあんまりないみたいです(>_<)。

    ゼウス氏は何よりも精力絶倫で、数多くの女性神や人間の女性と子供を作りまくります。美人と知れば、何が何でも(何かに変身してでも)SEXを果たし、子供を作ってしまうのですね。品行方正どころか、人の世界では犯罪となる行為を平気で重ねていくんですよ(>_<)
    とにかく、精力絶倫(>_<)←羨ましい!!(*_*)(^O^) そして出来た子たちがみんな「神」になってしまうのですから、たまったモンではないですね。神の粗製濫造だね(~o~)(^O^)

    現在なら、婦女暴行罪で何十回も警察に逮捕されているような人間ですよ(>_<)。 これでも神かと言いたいですが、ギリシャ12神の最高神なんですね。彼を拝んでも御利益がなんなのかも曖昧です(-_-;)

    日本にもゼウス氏みたいな神さんがいますね。大国主命ですよ。なんせ、子供を180人(一説では181人)もつくったってんですから、その絶倫ぶりはゼウス氏も脱帽でしょうね。それでも大国主氏はゼウス氏よりも多少はマジメ?で、 国造りの神、農業神、商業神、医療神などの仕事を担当していたようです。

    ★ゼウス氏の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%A6%E3%82%B9 
    ★ゼウス神殿の場所は↓にて(ゼウス神殿は、他にもたくさんあります)
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.969064,23.733416&spn=0.00189,0.001966&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb32a48a25fce351,,,0,-31
    ★大国主の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB

  • ゼウス氏に気をとられてしまいましたが、ココにあったゼウスの神殿はあの有名なパルテノン神殿よりも大きかったとのことです。現在15本ほどしか残っていないあのような柱が104本もあったというのです(柱の並び方などの詳細は分かりません)。パルテノン神殿は周囲の柱が46本だというのですから、だいぶ違いますね。<br /><br />我が家の柱ですか?? 15本ほどかな? 家の小さい割には多いのですよ。<br />ヒマな時に数えてみますね。<br /><br />それはいいけど、この神殿を造り始めたのはアテナイの僭主(身分を越えて実力で君主の座を奪って君主になった者)であったペイシストラトスで、着工はBC:520〜515年頃のようで、ペイシストラトス一族の僭主政が終わると工事は一時中断し、その後のアレクサンドロス大王の東方遠征の後に生まれた、セレウコス朝のアンティオコス四世エピファネース王(BC175〜164年)によって建設(建て直し)が引き継がれたとのことです。それも、また中断(&gt;_&lt;) その後、帝政ローマのアウグストスなどが建設を進め、大体の形までは工事が進んだようです。最終的に工事を完了させたのが、帝政ローマのハドリアヌス帝で、A.D.(紀元)135年に完成式となったようです。結構長いことかかって造られたのですね。<br /><br />ハドリアヌス帝は古代ローマ帝国の5賢帝の一人と言われている人で、ギリシャ文化の理解者でもあったと言われる人でした。そういう経緯でしょうか、彼はアテネのために頑張ったと言われています。

    ゼウス氏に気をとられてしまいましたが、ココにあったゼウスの神殿はあの有名なパルテノン神殿よりも大きかったとのことです。現在15本ほどしか残っていないあのような柱が104本もあったというのです(柱の並び方などの詳細は分かりません)。パルテノン神殿は周囲の柱が46本だというのですから、だいぶ違いますね。

    我が家の柱ですか?? 15本ほどかな? 家の小さい割には多いのですよ。
    ヒマな時に数えてみますね。

    それはいいけど、この神殿を造り始めたのはアテナイの僭主(身分を越えて実力で君主の座を奪って君主になった者)であったペイシストラトスで、着工はBC:520〜515年頃のようで、ペイシストラトス一族の僭主政が終わると工事は一時中断し、その後のアレクサンドロス大王の東方遠征の後に生まれた、セレウコス朝のアンティオコス四世エピファネース王(BC175〜164年)によって建設(建て直し)が引き継がれたとのことです。それも、また中断(>_<) その後、帝政ローマのアウグストスなどが建設を進め、大体の形までは工事が進んだようです。最終的に工事を完了させたのが、帝政ローマのハドリアヌス帝で、A.D.(紀元)135年に完成式となったようです。結構長いことかかって造られたのですね。

    ハドリアヌス帝は古代ローマ帝国の5賢帝の一人と言われている人で、ギリシャ文化の理解者でもあったと言われる人でした。そういう経緯でしょうか、彼はアテネのために頑張ったと言われています。

  • ちょっと変わった遺跡が見えてきました。<br /><br />ガイドさんの話では、「ハドリアヌスの門」ということです。<br />調べてみますと、A.D.132年にローマ帝国のハドリアヌス帝によって建設されたそうです。これもだいぶ壊れていますが、1900年弱の長い年月を耐え抜いてき姿に感動しますね。<br /><br />この門は、ハドリアヌス帝がアテナイに新市域を拡張した際に、その境界として建設したという話です。ゼウス神殿側(写真左側)には「ここよりハドリアヌスの街。テーセウスの都市ではない」と書いてあり、大通り側(写真右側)には「ここよりアテネ」と書いてあるそうです。<br /><br />「テーセウス」というのは、伝説(ギリシャ神話)上でのアテナイの英雄で、王様になった人です。「テーセウスの都市ではない」ということは、ハドリアヌス帝が「こっち街は私が造った街だ」ということを、さらに強調したかったのですね。<br /><br />そのテーセウスですが、ギリシャ神話の12神の仲間ではないです。ですが、多くの怪物や山賊を打ち倒し、ミノタウロスまで退治した勇者でした。そんな彼も、神々の世界では複雑な「人間関係」に振り回されたようですね。<br /><br />ある情報によれば、ゼウス神殿側が「ハドリアヌスの街」となるそうです。しかし、これも見方によっては、ゼウス神殿側から門をくぐろうとする時に「ここよりハドリアヌスの街・・」と書いてあるならば、門をくぐった先の街が「ここよりハドリアヌスの街」ということになるわけで、左右反対に理解されてしまいますね。<br /><br />実際はどうなのか? ご存知の方教えてくださいね。<br /><br />★テーセウス(テセウス)の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%B9<br />★ミノタウロス(ミーノータウロス)の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B9<br />★ハドリアヌスの門の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.96988,23.732606&amp;spn=0.001865,0.002151&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25b585e21dfa05a,37.97021,23.732024,0,-32

    ちょっと変わった遺跡が見えてきました。

    ガイドさんの話では、「ハドリアヌスの門」ということです。
    調べてみますと、A.D.132年にローマ帝国のハドリアヌス帝によって建設されたそうです。これもだいぶ壊れていますが、1900年弱の長い年月を耐え抜いてき姿に感動しますね。

    この門は、ハドリアヌス帝がアテナイに新市域を拡張した際に、その境界として建設したという話です。ゼウス神殿側(写真左側)には「ここよりハドリアヌスの街。テーセウスの都市ではない」と書いてあり、大通り側(写真右側)には「ここよりアテネ」と書いてあるそうです。

    「テーセウス」というのは、伝説(ギリシャ神話)上でのアテナイの英雄で、王様になった人です。「テーセウスの都市ではない」ということは、ハドリアヌス帝が「こっち街は私が造った街だ」ということを、さらに強調したかったのですね。

    そのテーセウスですが、ギリシャ神話の12神の仲間ではないです。ですが、多くの怪物や山賊を打ち倒し、ミノタウロスまで退治した勇者でした。そんな彼も、神々の世界では複雑な「人間関係」に振り回されたようですね。

    ある情報によれば、ゼウス神殿側が「ハドリアヌスの街」となるそうです。しかし、これも見方によっては、ゼウス神殿側から門をくぐろうとする時に「ここよりハドリアヌスの街・・」と書いてあるならば、門をくぐった先の街が「ここよりハドリアヌスの街」ということになるわけで、左右反対に理解されてしまいますね。

    実際はどうなのか? ご存知の方教えてくださいね。

    ★テーセウス(テセウス)の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%B9
    ★ミノタウロス(ミーノータウロス)の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B9
    ★ハドリアヌスの門の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.96988,23.732606&spn=0.001865,0.002151&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de25b585e21dfa05a,37.97021,23.732024,0,-32

  • のあたりは、公園や遺跡の多いところです。<br /><br />こんな像がありました。<br />私の思い違いかも知れませんが、この像のことはどこかで読んだことがあるような感じがします。<br />今はちょっと思い出せません(-_-;) なにぶんにも物忘れが激しいモンですからね。<br />ご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。

    のあたりは、公園や遺跡の多いところです。

    こんな像がありました。
    私の思い違いかも知れませんが、この像のことはどこかで読んだことがあるような感じがします。
    今はちょっと思い出せません(-_-;) なにぶんにも物忘れが激しいモンですからね。
    ご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。

  • 昨日から見えていたリカベトスの丘が、別の角度から見えるようになりました。<br /><br />白い教会は、こんな感じになっていたのですね。

    昨日から見えていたリカベトスの丘が、別の角度から見えるようになりました。

    白い教会は、こんな感じになっていたのですね。

  • ココにも古代遺跡が・・と思いました。<br /><br />それが全然違っていて、「ザピオン国際展示場」とのことです。<br />内部には国際会議などにも使用されるお部屋もあるみたいです。 建設されたのは1878年とのことで、いまから135年も昔のことですね。 時代的には、「近・現代建築」に分類される建物のようです。<br /><br />この施設の中には、屋外映画館があるそうです(雨が少ない地域ですから)。いろいろなバザーやお酒類の試飲会なんかも催されるようです。<br /><br />★ザピオン国際展示場の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.971183,23.736713&amp;spn=0.00189,0.001966&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004e021f9de415f0e9db,37.971301,23.736563,0,-32

    ココにも古代遺跡が・・と思いました。

    それが全然違っていて、「ザピオン国際展示場」とのことです。
    内部には国際会議などにも使用されるお部屋もあるみたいです。 建設されたのは1878年とのことで、いまから135年も昔のことですね。 時代的には、「近・現代建築」に分類される建物のようです。

    この施設の中には、屋外映画館があるそうです(雨が少ない地域ですから)。いろいろなバザーやお酒類の試飲会なんかも催されるようです。

    ★ザピオン国際展示場の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.971183,23.736713&spn=0.00189,0.001966&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004e021f9de415f0e9db,37.971301,23.736563,0,-32

  • 街角に立つ老人。<br /><br />私も老人の部類の人間ですけど、この人は何をしておられるんでしょうかね。<br />眼光鋭く、まるで仙人のようです。

    街角に立つ老人。

    私も老人の部類の人間ですけど、この人は何をしておられるんでしょうかね。
    眼光鋭く、まるで仙人のようです。

  • その老人が信号停止しているドライバーに、タバコ大くらいのものを売っているようです。チョコレートでもあるまいし、やはりタバコでしょうか。なんか、老人の暮らしの一端を見るような感じがします。<br /><br />こういう姿を見ますと、ギリシャの財政破綻のことが胸をよぎりました。その想いはそのまま日本の財政破綻の可能性へと直結してしまいましたよ(-_-)<br />そうです、日本でも借入金や政府短期証券を含む「日本全体の債務残高」が1250兆円を越えているんですね〜(&gt;_&lt;) それでも、毎年35〜40兆円ほど国債が増え続けていくってんですから、どうなってるんでしょうかね??<br /><br />「カメちゃん アンタみたいな素人が心配することじゃないよ。日本の国債は国内で買われているから問題ないんだって!!」<br />じゃぁ、国債をどこまで増やせるの?3000兆円? 5000兆円?? イザとなったらお札を刷ればいいって言う経済通の人もいるよ(=_=)<br /><br />食料やエネルギー、各種資源の自給率が極端に低い日本ですから、万一財政が破綻したら非常に厳しい状況になると思いますね。「まだまだ大丈夫」と言うより、問題が大きくなる前に考える。←これが大事なような気がしてなりません。<br /><br />ギリシャの老人の姿は、決して他人事ではないと思えるのでした。

    その老人が信号停止しているドライバーに、タバコ大くらいのものを売っているようです。チョコレートでもあるまいし、やはりタバコでしょうか。なんか、老人の暮らしの一端を見るような感じがします。

    こういう姿を見ますと、ギリシャの財政破綻のことが胸をよぎりました。その想いはそのまま日本の財政破綻の可能性へと直結してしまいましたよ(-_-)
    そうです、日本でも借入金や政府短期証券を含む「日本全体の債務残高」が1250兆円を越えているんですね〜(>_<) それでも、毎年35〜40兆円ほど国債が増え続けていくってんですから、どうなってるんでしょうかね??

    「カメちゃん アンタみたいな素人が心配することじゃないよ。日本の国債は国内で買われているから問題ないんだって!!」
    じゃぁ、国債をどこまで増やせるの?3000兆円? 5000兆円?? イザとなったらお札を刷ればいいって言う経済通の人もいるよ(=_=)

    食料やエネルギー、各種資源の自給率が極端に低い日本ですから、万一財政が破綻したら非常に厳しい状況になると思いますね。「まだまだ大丈夫」と言うより、問題が大きくなる前に考える。←これが大事なような気がしてなりません。

    ギリシャの老人の姿は、決して他人事ではないと思えるのでした。

  • 競技場のようなところへやってきました。<br /><br />これは、パナシナイコスタジアムです。<br />とても大きな競技場ですね。観覧席の上端での大きさをGoogle mapの縮尺で見てみますと、幅130m、奥行き250mほどの規模になります。<br /><br />Wikipediaによれば、「紀元前329年に建築され、紀元前250年に改築、紀元前131年には大理石によって再建された。また1895年には、翌1896年の第1回近代オリンピックの為に修復された。」とのことです。<br />修復を重ね規模も大きくなったかと思いますが、今から2342年も前(日本の弥生時代初期)に、このようなスポーツ競技の場が設けられていたことは驚きですね。<br /><br />競技の場があるということは、多くの人々が日常的に種々の競技の練習に励んでいたということです。競技である以上、様々な参加規定があり、公正なルールがあるわけですよね(ローマ皇帝ネロのように、ルールをねじ曲げた者も中にはいたようですが)。そういうことが、あの時代に協議され組織されていたことを考えますと、ヨーロッパ史の奥の深さを感じないわけにはいきませんね。

    競技場のようなところへやってきました。

    これは、パナシナイコスタジアムです。
    とても大きな競技場ですね。観覧席の上端での大きさをGoogle mapの縮尺で見てみますと、幅130m、奥行き250mほどの規模になります。

    Wikipediaによれば、「紀元前329年に建築され、紀元前250年に改築、紀元前131年には大理石によって再建された。また1895年には、翌1896年の第1回近代オリンピックの為に修復された。」とのことです。
    修復を重ね規模も大きくなったかと思いますが、今から2342年も前(日本の弥生時代初期)に、このようなスポーツ競技の場が設けられていたことは驚きですね。

    競技の場があるということは、多くの人々が日常的に種々の競技の練習に励んでいたということです。競技である以上、様々な参加規定があり、公正なルールがあるわけですよね(ローマ皇帝ネロのように、ルールをねじ曲げた者も中にはいたようですが)。そういうことが、あの時代に協議され組織されていたことを考えますと、ヨーロッパ史の奥の深さを感じないわけにはいきませんね。

  • 「おかあさん あれがパルテノン神殿だと思うよ!」<br /><br />ちょっと右の方を見ましたら、高い所にパルテノン神殿らしいものが見えました(^^)<br />アテネといえば、誰が何と言おうとパルテノン神殿を見なくちゃね!! そんな想いがあったモンですから、ついついカミさんに言ってしまいました(^_^;)<br /><br />「オトコは黙って・・」←これを実行するのは、なかなか難しいですね(-_-;)<br />皆さんは如何ですか?

    「おかあさん あれがパルテノン神殿だと思うよ!」

    ちょっと右の方を見ましたら、高い所にパルテノン神殿らしいものが見えました(^^)
    アテネといえば、誰が何と言おうとパルテノン神殿を見なくちゃね!! そんな想いがあったモンですから、ついついカミさんに言ってしまいました(^_^;)

    「オトコは黙って・・」←これを実行するのは、なかなか難しいですね(-_-;)
    皆さんは如何ですか?

  • 私たちのいるスタジアムの前から、ちょっと遠くに小高い丘が見えました。頂上には何か変わったものが建てられています。<br /><br />この丘は、「フィロパポスの丘」だそうです。

    私たちのいるスタジアムの前から、ちょっと遠くに小高い丘が見えました。頂上には何か変わったものが建てられています。

    この丘は、「フィロパポスの丘」だそうです。

  • 観覧席の最上部は、だいぶ高い感じですね。<br /><br />この席にはどうやって行くのか? チェーンやロープが張ってありますから、私たちは中に入って確かめるわけにはいきません。<br />でも、右手前の壁を見ますと、中ほどの観覧席の高さまでの階段があるようですね。これはGoogle mapの航空写真からでも、なんとなく分かりますよ。<br /><br />そうそう、ここはね、今も続いているオリンピックの第一回目が開催されたところとのことです。収容人員は45,000人とか。1896年には8万人も収容できたようです。おそらく寿司詰めだったでしょうね(^O^)<br /><br />★パナシナイコスタジアムの場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.968432,23.740787&amp;spn=0.00189,0.002097&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb2dd412f9e8af5b,,,0,-31<br />★パナシナイコスタジアムの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0

    観覧席の最上部は、だいぶ高い感じですね。

    この席にはどうやって行くのか? チェーンやロープが張ってありますから、私たちは中に入って確かめるわけにはいきません。
    でも、右手前の壁を見ますと、中ほどの観覧席の高さまでの階段があるようですね。これはGoogle mapの航空写真からでも、なんとなく分かりますよ。

    そうそう、ここはね、今も続いているオリンピックの第一回目が開催されたところとのことです。収容人員は45,000人とか。1896年には8万人も収容できたようです。おそらく寿司詰めだったでしょうね(^O^)

    ★パナシナイコスタジアムの場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.968432,23.740787&spn=0.00189,0.002097&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004ddb2dd412f9e8af5b,,,0,-31
    ★パナシナイコスタジアムの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0

  • それで、観覧席の裏側を覗いてみましたら、上にのぼる階段がありましたよ(^^)<br /><br />そうだよねぇ、当たり前のことだもんね(^O^)<br />こんなこと、どうして気にしちゃったのか?なんて思うと,我ながらアホらしくなりました。<br />それにしても、観覧席にも入れないのはちょっと残念でした。たとえ一部でも入場させてくれると、あの時代の雰囲気を実感できたのにね(-_-;)<br />一人100円でも取って入場させれば、ギリシャ財政にも寄与するのにね〜。<br />皆さんも、そう思われませんか??

    それで、観覧席の裏側を覗いてみましたら、上にのぼる階段がありましたよ(^^)

    そうだよねぇ、当たり前のことだもんね(^O^)
    こんなこと、どうして気にしちゃったのか?なんて思うと,我ながらアホらしくなりました。
    それにしても、観覧席にも入れないのはちょっと残念でした。たとえ一部でも入場させてくれると、あの時代の雰囲気を実感できたのにね(-_-;)
    一人100円でも取って入場させれば、ギリシャ財政にも寄与するのにね〜。
    皆さんも、そう思われませんか??

  • オリンピックの旗が風にはためいて・・。←シャレではありませんよ。マジメな話です!(^^)!<br /><br />ところで、このスタジアムはB.C.329年に建設されたのですけど、もっと早くからオリンピックをやっていたところがあったんですね。<br /><br />そこは、ギリシャ南西部にあるペロポネソス半島西部にあるオリンピアというところです。最初のオリュンピア祭(オリンピック)は、B.C.776年にここで行われたというのです。ごく初めのうちは褌なんかを着用して競技をしていたようですけど、そのうち全裸で競技をするようになったとかです(全裸には、競技の公平性の意味もあったとか?)。<br /><br />オリュンピア祭の祭神がゼウスという男神だったため、女性は観覧できなかったとか(女性好きのゼウスなのにね)。参加者・参加国・競技種目も増えて、紀元前472年には5日間の大競技会となっていたというのですからスゴイですね。<br /><br />オリンピックの格も次第に上がって、優勝者は英雄扱いを受けるようになり、その一族も世間で幅を利かすようになったというのです。有力者は政界への跳躍台に利用するようにもなり、オリンピックは利害相衝突する場にもなったんでですね。<br /><br />余計な話ですが、こうした競技会の隆盛は、ギリシャの軍事力を高めたというのです。オリンピックに向けた練習や鍛錬がギリシャ全土で行われるワケですから、兵隊も強くなるわけです。実際B.C.5〜4世紀頃まではギリシャ軍は強かったですし(もちろん装備も関係するけど)、現在のトルコやエジプトなどに傭兵に出て稼いでいましたからね。<br /><br />★古代オリンピックのことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF<br />★オリンピアの場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.637863,21.630731&amp;spn=0.001899,0.002097&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de02fac1e5c47b68d,,,0,-31

    オリンピックの旗が風にはためいて・・。←シャレではありませんよ。マジメな話です!(^^)!

    ところで、このスタジアムはB.C.329年に建設されたのですけど、もっと早くからオリンピックをやっていたところがあったんですね。

    そこは、ギリシャ南西部にあるペロポネソス半島西部にあるオリンピアというところです。最初のオリュンピア祭(オリンピック)は、B.C.776年にここで行われたというのです。ごく初めのうちは褌なんかを着用して競技をしていたようですけど、そのうち全裸で競技をするようになったとかです(全裸には、競技の公平性の意味もあったとか?)。

    オリュンピア祭の祭神がゼウスという男神だったため、女性は観覧できなかったとか(女性好きのゼウスなのにね)。参加者・参加国・競技種目も増えて、紀元前472年には5日間の大競技会となっていたというのですからスゴイですね。

    オリンピックの格も次第に上がって、優勝者は英雄扱いを受けるようになり、その一族も世間で幅を利かすようになったというのです。有力者は政界への跳躍台に利用するようにもなり、オリンピックは利害相衝突する場にもなったんでですね。

    余計な話ですが、こうした競技会の隆盛は、ギリシャの軍事力を高めたというのです。オリンピックに向けた練習や鍛錬がギリシャ全土で行われるワケですから、兵隊も強くなるわけです。実際B.C.5〜4世紀頃まではギリシャ軍は強かったですし(もちろん装備も関係するけど)、現在のトルコやエジプトなどに傭兵に出て稼いでいましたからね。

    ★古代オリンピックのことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
    ★オリンピアの場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.637863,21.630731&spn=0.001899,0.002097&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de02fac1e5c47b68d,,,0,-31

  • パナシナイコスタジアムの見物を終えて、移動開始です。<br /><br />またまたゼウス神殿が見えてきました。ゼウス氏も我々日本人に会いたいのかも知れませんね(^^)<br />ゼウス氏が本籍を置いているギリシャ神話なんて、実のところ私は殆ど知らなかったですよ。絵とか彫刻とか、何かのエッセーなんかで、一瞬のタッチ程度に見たか読んだかの程度です。それに、真剣に議論する気もなかったですね。<br /><br />ところが、人々がこれほどの神殿まで造って、ゼウス氏を崇拝している!!それもあちこちにゼウスの神殿が造られているんです。確かに神々の大将で、全知全能の神で、全宇宙、天候(特に雷)、社会秩序?!を司る天空神だからってことで、人々は各地に神殿を造って崇めて来たんだと思います。<br /><br />しかし、ゼウス氏がとってきた行動は、なんなのか??<br />多数の女性神と離婚を繰り返したり、女性を犯したりします(それをゼウスの統治体制の構築のためとか、諸民族との融和の象徴なんて言ってるけど、あまりに説明的ですね)。また、これといった理想もないのに、一方を悪者にして権力闘争を繰り返します。<br /><br />ある人は、それこそが人間の本性を表現したモンだと言うんですね。また、神話一般にも言えることですが、「人間の心を深く掘り下げ、愛と憎しみ・欲望と狂気など人間のもっている本質を突いている」んだと、言う人もいます(-_-;)<br /><br />真面目に考えちゃイケナイんだけど、だったらどうすればいいの? それが人間の深層心理だとするなら、そのままに行動していいってこと?? それとも、人の本心ってああいうものだから、気をつけなさいってこと??<br /><br />やることなすこと、神の行動として説明され、そのように受け止められて、神話として歓迎されているんですね〜。芸術界や文芸界はそれをネタにして、命を繋いできたし・・(-_-)<br />しかしながら、恐るべきことは、ギリシャ神話などでのふざけた場面や殺戮場面が、私たちの実際の社会で、殺人や暴力やイジメのヒントになっていることです。<br /><br />世の中には、財産のあるなしにかかわらず、誠実に生き抜いた人もたくさんおられたはずです。でも、人々は時として、誠実に生きる人々を世間の片隅へと追いやり、ゼウス氏のような英雄を求めて危ない橋を渡ろうとするものです。平和と混乱を繰り返してきた人類史って、そういうものかも知れないですね。<br /><br />カメちゃん、そんなに真剣になるなよ(~o~)。<br />あれは民話や土地神話を集めた気楽な創作なんだから・・(^O^)(~o~)   アハハハ・・・(^O^)(~o~)

    パナシナイコスタジアムの見物を終えて、移動開始です。

    またまたゼウス神殿が見えてきました。ゼウス氏も我々日本人に会いたいのかも知れませんね(^^)
    ゼウス氏が本籍を置いているギリシャ神話なんて、実のところ私は殆ど知らなかったですよ。絵とか彫刻とか、何かのエッセーなんかで、一瞬のタッチ程度に見たか読んだかの程度です。それに、真剣に議論する気もなかったですね。

    ところが、人々がこれほどの神殿まで造って、ゼウス氏を崇拝している!!それもあちこちにゼウスの神殿が造られているんです。確かに神々の大将で、全知全能の神で、全宇宙、天候(特に雷)、社会秩序?!を司る天空神だからってことで、人々は各地に神殿を造って崇めて来たんだと思います。

    しかし、ゼウス氏がとってきた行動は、なんなのか??
    多数の女性神と離婚を繰り返したり、女性を犯したりします(それをゼウスの統治体制の構築のためとか、諸民族との融和の象徴なんて言ってるけど、あまりに説明的ですね)。また、これといった理想もないのに、一方を悪者にして権力闘争を繰り返します。

    ある人は、それこそが人間の本性を表現したモンだと言うんですね。また、神話一般にも言えることですが、「人間の心を深く掘り下げ、愛と憎しみ・欲望と狂気など人間のもっている本質を突いている」んだと、言う人もいます(-_-;)

    真面目に考えちゃイケナイんだけど、だったらどうすればいいの? それが人間の深層心理だとするなら、そのままに行動していいってこと?? それとも、人の本心ってああいうものだから、気をつけなさいってこと??

    やることなすこと、神の行動として説明され、そのように受け止められて、神話として歓迎されているんですね〜。芸術界や文芸界はそれをネタにして、命を繋いできたし・・(-_-)
    しかしながら、恐るべきことは、ギリシャ神話などでのふざけた場面や殺戮場面が、私たちの実際の社会で、殺人や暴力やイジメのヒントになっていることです。

    世の中には、財産のあるなしにかかわらず、誠実に生き抜いた人もたくさんおられたはずです。でも、人々は時として、誠実に生きる人々を世間の片隅へと追いやり、ゼウス氏のような英雄を求めて危ない橋を渡ろうとするものです。平和と混乱を繰り返してきた人類史って、そういうものかも知れないですね。

    カメちゃん、そんなに真剣になるなよ(~o~)。
    あれは民話や土地神話を集めた気楽な創作なんだから・・(^O^)(~o~) アハハハ・・・(^O^)(~o~)

  • 当然に、「ハドリアヌスの門」の前も通りました。<br /><br />ハドリアヌスってどういう人だったのか?<br />未だ伝説の時代と言われる王政ローマと、その後の共和制以後の、古代帝政ローマ時代の皇帝(最初の皇帝はアウグストス)です。彼は帝政ローマの12人目の皇帝になった人だと言われています。<br /><br />ハドリアヌス帝の時代は、ローマ帝国が安定期を迎えた時で、ネルファ帝以後の「五賢帝」によって平和と安定がもたらされた時と言われています。ハドリアヌス帝は五賢帝の中の3人目の皇帝で、その通りの賢い皇帝であったようです。<br /><br />ハドリアヌス帝は領土拡張政策を改め、守りを固め、諸制度を整備し、あの広大なローマ帝国内を隈無く調査して、ローマ帝国の強化と安定を推し進めた人でもあったようです。<br /><br />彼は皇帝に即位した時に執政官経験者4人を粛正していますが、全体としてローマ帝国の安定を重視した手堅い指導と統治をした賢明な皇帝だったようです。<br /><br />★ハドリアヌス帝の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9<br />★執政官の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E6%94%BF%E5%AE%98

    当然に、「ハドリアヌスの門」の前も通りました。

    ハドリアヌスってどういう人だったのか?
    未だ伝説の時代と言われる王政ローマと、その後の共和制以後の、古代帝政ローマ時代の皇帝(最初の皇帝はアウグストス)です。彼は帝政ローマの12人目の皇帝になった人だと言われています。

    ハドリアヌス帝の時代は、ローマ帝国が安定期を迎えた時で、ネルファ帝以後の「五賢帝」によって平和と安定がもたらされた時と言われています。ハドリアヌス帝は五賢帝の中の3人目の皇帝で、その通りの賢い皇帝であったようです。

    ハドリアヌス帝は領土拡張政策を改め、守りを固め、諸制度を整備し、あの広大なローマ帝国内を隈無く調査して、ローマ帝国の強化と安定を推し進めた人でもあったようです。

    彼は皇帝に即位した時に執政官経験者4人を粛正していますが、全体としてローマ帝国の安定を重視した手堅い指導と統治をした賢明な皇帝だったようです。

    ★ハドリアヌス帝の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9
    ★執政官の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E6%94%BF%E5%AE%98

  • 先ほどから取り上げている「ハドリアヌスの門」ですが、賢明なローマ皇帝がローマでなくアテネに、何故こんなモンを造ったのか?(^^)<br /><br />まぁ、あちらこちらにローマ風の都市を建設したローマ帝国のこと(ドイツのトリアーもその例です。また、後編のイズミールやアンタルヤの旅行記でもご紹介します)、アテネでこのようなものを作ったとしても、不思議ではないですけどね。<br /><br />それはさておき、ハドリアヌス帝はギリシャ贔屓の人だったようです。普通に考えると、戦争で負け支配された地域は、略奪と破壊に逢い、文明も衰退していくのが普通ですね。<br />ところが、ローマ帝国の場合は、アウグストスが言ったように、支配地域も大理石で埋め尽くそうという考えがあったのですね。ローマは支配地域(属州)を従属下に置くものの、人々をローマ軍の補助軍に組み入れたり、都市を建設したり、自治を認めたりしました。いろいろな経緯(ローマを訪れたギリシャの使節団のメンバーが、ローマ市内で講演したりして、ローマ人の関心を高めたり・・)の中で、ローマはギリシャ文化に関心を持ち、ギリシャを支配すると言うよりも、どちらかというと対等な感覚で扱うようになっていたというのです。ギリシャ文化への敬意ですね。<br /><br />ハドリアヌス帝がギリシャ文明贔屓になったのも、そうしたローマ帝国のギリシャ文化への関心という背景も無視できないと思います。ハドリアヌス帝はアテネと関係のある都市を集めて「パンヘレニオン」という都市同盟を創設し、アテナイの発展を支援したと言われているのです。<br /><br />ハドリアヌス帝が直接間接に手がけたもので有名なものは、パンアテナイ祭の大規模化をはじめ、上にお話ししたゼウス神殿がありますし、ローマン・アゴラの修復とハドリアヌスの図書館の建設、新市街地の拡張や、ハドリアヌス帝記念門の建設、ギュムナシオン(学校)の建設、水道の建設、食糧支援ほかが指摘されているようです。<br />ヘロデス親子によるパナシナイコスタジアムの建設やヘロディス・アティコス音楽堂の建設もハドリアヌス帝と遠い関係があるかも知れませんね。それはまた、アテナイやギリシャ全体へ帝政ローマの支配を印象づける「刻印」でもあったのですね。<br /><br />アテナイはこうして発展し、これまでのギリシャにおける地位を回復し、ローマ帝国の文化的首都と言われるまでになったというのです。<br /><br />ハドリアヌスの門は、帝政ローマのもとでのアテネ発展の画期を今に伝える象徴なのかも知れませんね。<br /><br />★ハドリアヌスの図書館の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.974845,23.728087&amp;spn=0.007459,0.008605&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004e54d1b447045fe0eb,37.975488,23.726317,0,-32

    先ほどから取り上げている「ハドリアヌスの門」ですが、賢明なローマ皇帝がローマでなくアテネに、何故こんなモンを造ったのか?(^^)

    まぁ、あちらこちらにローマ風の都市を建設したローマ帝国のこと(ドイツのトリアーもその例です。また、後編のイズミールやアンタルヤの旅行記でもご紹介します)、アテネでこのようなものを作ったとしても、不思議ではないですけどね。

    それはさておき、ハドリアヌス帝はギリシャ贔屓の人だったようです。普通に考えると、戦争で負け支配された地域は、略奪と破壊に逢い、文明も衰退していくのが普通ですね。
    ところが、ローマ帝国の場合は、アウグストスが言ったように、支配地域も大理石で埋め尽くそうという考えがあったのですね。ローマは支配地域(属州)を従属下に置くものの、人々をローマ軍の補助軍に組み入れたり、都市を建設したり、自治を認めたりしました。いろいろな経緯(ローマを訪れたギリシャの使節団のメンバーが、ローマ市内で講演したりして、ローマ人の関心を高めたり・・)の中で、ローマはギリシャ文化に関心を持ち、ギリシャを支配すると言うよりも、どちらかというと対等な感覚で扱うようになっていたというのです。ギリシャ文化への敬意ですね。

    ハドリアヌス帝がギリシャ文明贔屓になったのも、そうしたローマ帝国のギリシャ文化への関心という背景も無視できないと思います。ハドリアヌス帝はアテネと関係のある都市を集めて「パンヘレニオン」という都市同盟を創設し、アテナイの発展を支援したと言われているのです。

    ハドリアヌス帝が直接間接に手がけたもので有名なものは、パンアテナイ祭の大規模化をはじめ、上にお話ししたゼウス神殿がありますし、ローマン・アゴラの修復とハドリアヌスの図書館の建設、新市街地の拡張や、ハドリアヌス帝記念門の建設、ギュムナシオン(学校)の建設、水道の建設、食糧支援ほかが指摘されているようです。
    ヘロデス親子によるパナシナイコスタジアムの建設やヘロディス・アティコス音楽堂の建設もハドリアヌス帝と遠い関係があるかも知れませんね。それはまた、アテナイやギリシャ全体へ帝政ローマの支配を印象づける「刻印」でもあったのですね。

    アテナイはこうして発展し、これまでのギリシャにおける地位を回復し、ローマ帝国の文化的首都と言われるまでになったというのです。

    ハドリアヌスの門は、帝政ローマのもとでのアテネ発展の画期を今に伝える象徴なのかも知れませんね。

    ★ハドリアヌスの図書館の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.974845,23.728087&spn=0.007459,0.008605&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004e54d1b447045fe0eb,37.975488,23.726317,0,-32

  • バスはパルテノン神殿の近くに到着しました。<br /><br />馬車を引く白馬がお食事中でした。<br />アテネ市内を見物して回るには、こういう馬車に乗っていくのが一番似合うのかも知れませんね。<br /><br />ちょっと余計な話ですけど・・<br />ローマ人がギリシャ文明に敬意を感じていたとお話ししました。それには、ギリシャの特にアテナイでの哲学や修辞学・文芸の発達、またそれらを学ぶ人々の群像の存在、他方で民主政の発展や高度な建築思想と技術、そしてオリンピックの開催など多面的な素晴らしい発展があったことなどに着目されていたからだと思います。<br /><br />ただ、問題はそれだけではないと言うことですね。それらがどれだけ出来ても、アテナイの人々が自分たちの築いてきた諸文化に、自信を持っていたからなんですね(一時期はだいぶグラグラしていたようですけど)。ローマ人の敬意に対して、アテネは最先端の文化都市として向き合うことが出来たというのです。ギリシャ一国の政治的首都から、ローマ帝国(地中海域)の文化的中心地へと脱皮していったと言われています。<br /><br />現代風に言えばアメリカに対するヨーロッパみたいなものですね。アメリカはやっぱりヨーロッパに敬意をもっていますね。 また、各国に見られる政治的中心地としての都市と、文化的中心地としての都市みたいなモンですね。<br /><br />日本は明治維新と共に、文化までも西洋化を推し進めました。日清・日露戦争に勝った時には軍事力には注目はされましたけど、日本の文化は敬意を受けなかったですね。戦後はアメリカ化したけど、やっぱり敬意を得るようにはなりませんでしたね。

    バスはパルテノン神殿の近くに到着しました。

    馬車を引く白馬がお食事中でした。
    アテネ市内を見物して回るには、こういう馬車に乗っていくのが一番似合うのかも知れませんね。

    ちょっと余計な話ですけど・・
    ローマ人がギリシャ文明に敬意を感じていたとお話ししました。それには、ギリシャの特にアテナイでの哲学や修辞学・文芸の発達、またそれらを学ぶ人々の群像の存在、他方で民主政の発展や高度な建築思想と技術、そしてオリンピックの開催など多面的な素晴らしい発展があったことなどに着目されていたからだと思います。

    ただ、問題はそれだけではないと言うことですね。それらがどれだけ出来ても、アテナイの人々が自分たちの築いてきた諸文化に、自信を持っていたからなんですね(一時期はだいぶグラグラしていたようですけど)。ローマ人の敬意に対して、アテネは最先端の文化都市として向き合うことが出来たというのです。ギリシャ一国の政治的首都から、ローマ帝国(地中海域)の文化的中心地へと脱皮していったと言われています。

    現代風に言えばアメリカに対するヨーロッパみたいなものですね。アメリカはやっぱりヨーロッパに敬意をもっていますね。 また、各国に見られる政治的中心地としての都市と、文化的中心地としての都市みたいなモンですね。

    日本は明治維新と共に、文化までも西洋化を推し進めました。日清・日露戦争に勝った時には軍事力には注目はされましたけど、日本の文化は敬意を受けなかったですね。戦後はアメリカ化したけど、やっぱり敬意を得るようにはなりませんでしたね。

  • パルテノン神殿へ移動する前ですけど、このあたりにはワンコがたくさんいるんですよ。<br />野良ちゃんかな??<br />ホント、あっちにも、こっちにもゴロゴロしていますよ。

    パルテノン神殿へ移動する前ですけど、このあたりにはワンコがたくさんいるんですよ。
    野良ちゃんかな??
    ホント、あっちにも、こっちにもゴロゴロしていますよ。

  • 下から見上げたアクロポリスの丘に建っている建物・神殿です。<br /><br />「アクロポリス」というのは、「高いところ、城市」を意味しているのだそうです。アクロポリスの丘と言いますと、言葉がダブるようですね。<br /><br />ところで、右側の小さい神殿は、アテナ・ニケ神殿(アテーナー・ニーケー神殿)とのことです。「アテーナー・ニーケー」と言うのは、ギリシャ的な言い方のようで、日本語表記では、「アテナ・ニケ神殿」と言うのが多いです。皆さんがよく知っておられる「ヘラクレス」も、ギリシャ的には「へーラクレース」となって、何となく言いにくいですね。<br /><br />「アテナ」と言うのは、ギリシア神話の12神の一人で、女神です。彼女の仕事は知恵、芸術、工芸、戦略を司ることのようです。戦略の神でもあるので、戦争の時の戦略・作戦を練る時に将軍たちがアテナ神にお祈りするみたいです。御利益があるといいのですけどね。<br /><br />「ニケ」というのは勝利の女神だそうで、アテナと似たような仕事をしていますね。「勝利の神」というので、よほどエライ女神さんかと思ったのですけど、12神の中にはいないです。<br /><br />「古代ギリシャ」によれば、ニケは翼をもっていたのですが、この地に飛んできた後、ここから離れないと決めたことで翼が不要となり、取ってしまったようです。すると、アテナとそっくりさんになったため、人々はニケをアテナと同一神とみるようになったという話があります(Wikipediaでは、別の話になっています)。まぁ、ニケはアテナさんに吸収・合併されたみたいな格好でしょうか。<br /><br />★アテナの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC<br />★ニケの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC

    下から見上げたアクロポリスの丘に建っている建物・神殿です。

    「アクロポリス」というのは、「高いところ、城市」を意味しているのだそうです。アクロポリスの丘と言いますと、言葉がダブるようですね。

    ところで、右側の小さい神殿は、アテナ・ニケ神殿(アテーナー・ニーケー神殿)とのことです。「アテーナー・ニーケー」と言うのは、ギリシャ的な言い方のようで、日本語表記では、「アテナ・ニケ神殿」と言うのが多いです。皆さんがよく知っておられる「ヘラクレス」も、ギリシャ的には「へーラクレース」となって、何となく言いにくいですね。

    「アテナ」と言うのは、ギリシア神話の12神の一人で、女神です。彼女の仕事は知恵、芸術、工芸、戦略を司ることのようです。戦略の神でもあるので、戦争の時の戦略・作戦を練る時に将軍たちがアテナ神にお祈りするみたいです。御利益があるといいのですけどね。

    「ニケ」というのは勝利の女神だそうで、アテナと似たような仕事をしていますね。「勝利の神」というので、よほどエライ女神さんかと思ったのですけど、12神の中にはいないです。

    「古代ギリシャ」によれば、ニケは翼をもっていたのですが、この地に飛んできた後、ここから離れないと決めたことで翼が不要となり、取ってしまったようです。すると、アテナとそっくりさんになったため、人々はニケをアテナと同一神とみるようになったという話があります(Wikipediaでは、別の話になっています)。まぁ、ニケはアテナさんに吸収・合併されたみたいな格好でしょうか。

    ★アテナの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC
    ★ニケの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC

  • アクロポリスに登る途中、すぐ右下に見えたのが「ヘロディス・アティコス音楽堂」です。<br />「ヘロディス・アティコス」というのは人の名前で、裕福な篤志家であり、雄弁家でもあったという人です。ギリシャでもローマでもそうでしたが、大富豪は貧乏人を集めてご馳走したり、大きな建物を建造して寄贈したりしていました。<br />彼はまた、ソフィスト(金銭を取って人生の知恵、例えば修辞のテクニックなどを教えていた人=ソクラテスは彼らを批判したようです)だったようです。 ローマ帝国の執政官も務めたヘロディス・アティコスは、亡き妻へと称してこの音楽堂を建造し、アテネ市民に寄贈したとのことです。彼はまた、パナシナイコ・スタジアムを大理石を使って改造しているのですね。こうした寄付や寄贈は人々の人気を集め、出世への道に繋がったこともあったようです。<br /><br />ギリシャ時代とかローマ時代の大富豪というのは、当時のレベルで言いますと、実に莫大な富をもっていたようです。現代でも、欧米の大企業の社長・会長レベルの人は、日本の大企業の社長・会長と較べて格段に多い年収を得ていますね。<br />その代わりと言っちゃあナンですけど、彼らは寄付行為をしますね。ギリシャ・ローマ時代からそうでした。そういう歴史的な風潮があるように思えますね。 <br /><br />日産のゴーン社長の役員報酬が10億円弱でビックリしていますが、世界的に見れば、それでも上位100位にも入れないほど“低賃金??”なんですね(^o^) 古代ギリシャや古代ローマの大富豪と較べてどうだったでしょうね?

    アクロポリスに登る途中、すぐ右下に見えたのが「ヘロディス・アティコス音楽堂」です。
    「ヘロディス・アティコス」というのは人の名前で、裕福な篤志家であり、雄弁家でもあったという人です。ギリシャでもローマでもそうでしたが、大富豪は貧乏人を集めてご馳走したり、大きな建物を建造して寄贈したりしていました。
    彼はまた、ソフィスト(金銭を取って人生の知恵、例えば修辞のテクニックなどを教えていた人=ソクラテスは彼らを批判したようです)だったようです。 ローマ帝国の執政官も務めたヘロディス・アティコスは、亡き妻へと称してこの音楽堂を建造し、アテネ市民に寄贈したとのことです。彼はまた、パナシナイコ・スタジアムを大理石を使って改造しているのですね。こうした寄付や寄贈は人々の人気を集め、出世への道に繋がったこともあったようです。

    ギリシャ時代とかローマ時代の大富豪というのは、当時のレベルで言いますと、実に莫大な富をもっていたようです。現代でも、欧米の大企業の社長・会長レベルの人は、日本の大企業の社長・会長と較べて格段に多い年収を得ていますね。
    その代わりと言っちゃあナンですけど、彼らは寄付行為をしますね。ギリシャ・ローマ時代からそうでした。そういう歴史的な風潮があるように思えますね。 

    日産のゴーン社長の役員報酬が10億円弱でビックリしていますが、世界的に見れば、それでも上位100位にも入れないほど“低賃金??”なんですね(^o^) 古代ギリシャや古代ローマの大富豪と較べてどうだったでしょうね?

  • 「ヘロディス・アティコス音楽堂」の右側(西側)の様子です。この音楽堂はA.D.161年に建設されたとのことです。<br /><br />961年に修復されたとのこと、下の半円の舞台部分と客席が綺麗になっています。客席の階段数は上段・下段合わせて32もあるようで、収容可能人員はおよそ5.000人ほどとのことです。 そして、現在でもアテネ・フェスティバルとか演劇や音楽会で使用されているそうです。<br /><br />“堂”の定義については全く無知な私ですが、普通に“堂”というと屋根が付いていますよね〜。この音楽堂には、向こう側の壁から半円形の客席全体を覆う屋根が付いていたとのことです。そうなりますと、かなり大きな建物になりますから、建物内部が柱の無い作り方だったのか、ところどころに柱があったのか? そのあたりが気になって仕方ありません(^o^)。でもその辺のことまで書いてある資料が見当たりません(-_-;)<br />ご存知の方がおられましたら教えて下さいね。<br /><br />★「ヘロディス・アティコス音楽堂」の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.970641,23.724833&amp;spn=0.001911,0.001843&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de263056250c9d8a5,37.97087,23.724525,0,-32

    「ヘロディス・アティコス音楽堂」の右側(西側)の様子です。この音楽堂はA.D.161年に建設されたとのことです。

    961年に修復されたとのこと、下の半円の舞台部分と客席が綺麗になっています。客席の階段数は上段・下段合わせて32もあるようで、収容可能人員はおよそ5.000人ほどとのことです。 そして、現在でもアテネ・フェスティバルとか演劇や音楽会で使用されているそうです。

    “堂”の定義については全く無知な私ですが、普通に“堂”というと屋根が付いていますよね〜。この音楽堂には、向こう側の壁から半円形の客席全体を覆う屋根が付いていたとのことです。そうなりますと、かなり大きな建物になりますから、建物内部が柱の無い作り方だったのか、ところどころに柱があったのか? そのあたりが気になって仕方ありません(^o^)。でもその辺のことまで書いてある資料が見当たりません(-_-;)
    ご存知の方がおられましたら教えて下さいね。

    ★「ヘロディス・アティコス音楽堂」の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.970641,23.724833&spn=0.001911,0.001843&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de263056250c9d8a5,37.97087,23.724525,0,-32

  • 実は、この時気付かなかったのですけど、この写真の左手の方に「ディオニュソス劇場」の遺跡があったんです。事前に勉強もせずに行ったもんですから、こういうヘマをするんですね〜(&gt;_&lt;)<br /><br />「ヘロディス・アティコス音楽堂」はギリシャがローマ帝国の支配下に入っていた時代の建築物だったのに較べて、「ディオニュソス劇場」はB.C.325年に建設されたようです。劇場の名である「ディオニュソス」はギリシャ神話の神で、担当業務は「豊穣」と「ブドウ酒」と「酩酊」ということです。<br />「ブドウ酒」の神はいいとしても、「酩酊」の神には笑っちゃいますね。 ギリシャ神話が、人間の願望を神の超能力への願望と重ね合わせて語った「人間ドラマ」だっていう話も、何となく分かります。<br /><br />この頃には歴史上に輝くアテネの民主政は力をなくし、古代哲学でもプラトンは既に亡く、アリストテレスが3年後には亡くなってしまうという時代でした。そう、アテナイの輝きは、その光を殆ど失ってきた頃でした。<br /><br />ディオニュソス劇場では、もちろん演劇が上演されたのですが、その内容は、その名の通り宗教的な色彩のものが多かったとのことです。ディオニュソスの祭礼の時には、この劇場で5〜6日間も各種演劇(英雄の劇・悲劇・喜劇・風刺劇・男根崇拝の踊り等々)が上演されるそうです。その演劇は10人の審査員団によって審査され、優勝するとアテネ市内に記念碑が建てられるというのです。当然に劇のスポンサーとなった大富豪にも箔が付くわけです。同時にそれは市民のための公教育にもなってるとか。<br /><br />ディオニュソス劇場もヘロディス・アティコス音楽堂も、結局は市民の娯楽の場であったといわれています。また、このようなところで民会や討論が行われたこともあったようです。B.C.4世紀の時代に、このような文化的施設があり、十分に機能していたことは驚きですね。<br /><br />★ディオニュソス場劇の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%B9%E5%8A%87%E5%A0%B4<br />★ディオニュソスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%B9<br />★ディオニュソス場劇の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.970064,23.727982&amp;spn=0.001911,0.001843&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de263b1fdec7d44a5,37.970474,23.727679,0,-32

    実は、この時気付かなかったのですけど、この写真の左手の方に「ディオニュソス劇場」の遺跡があったんです。事前に勉強もせずに行ったもんですから、こういうヘマをするんですね〜(>_<)

    「ヘロディス・アティコス音楽堂」はギリシャがローマ帝国の支配下に入っていた時代の建築物だったのに較べて、「ディオニュソス劇場」はB.C.325年に建設されたようです。劇場の名である「ディオニュソス」はギリシャ神話の神で、担当業務は「豊穣」と「ブドウ酒」と「酩酊」ということです。
    「ブドウ酒」の神はいいとしても、「酩酊」の神には笑っちゃいますね。 ギリシャ神話が、人間の願望を神の超能力への願望と重ね合わせて語った「人間ドラマ」だっていう話も、何となく分かります。

    この頃には歴史上に輝くアテネの民主政は力をなくし、古代哲学でもプラトンは既に亡く、アリストテレスが3年後には亡くなってしまうという時代でした。そう、アテナイの輝きは、その光を殆ど失ってきた頃でした。

    ディオニュソス劇場では、もちろん演劇が上演されたのですが、その内容は、その名の通り宗教的な色彩のものが多かったとのことです。ディオニュソスの祭礼の時には、この劇場で5〜6日間も各種演劇(英雄の劇・悲劇・喜劇・風刺劇・男根崇拝の踊り等々)が上演されるそうです。その演劇は10人の審査員団によって審査され、優勝するとアテネ市内に記念碑が建てられるというのです。当然に劇のスポンサーとなった大富豪にも箔が付くわけです。同時にそれは市民のための公教育にもなってるとか。

    ディオニュソス劇場もヘロディス・アティコス音楽堂も、結局は市民の娯楽の場であったといわれています。また、このようなところで民会や討論が行われたこともあったようです。B.C.4世紀の時代に、このような文化的施設があり、十分に機能していたことは驚きですね。

    ★ディオニュソス場劇の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%B9%E5%8A%87%E5%A0%B4
    ★ディオニュソスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%B9
    ★ディオニュソス場劇の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.970064,23.727982&spn=0.001911,0.001843&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de263b1fdec7d44a5,37.970474,23.727679,0,-32

  • 「ヘロディス・アティコス音楽堂」の3階部分の窓のアーチを望遠で撮ってみました。<br />石積みでつくられたアーチ部分は、石の両面を楔形に角度を付けて、お互いの石が牽制し合うように造られているということは既に知っていたのです。でも、それを具体的な形で確認したことは、実のところ今まで一度もなかったです。<br /><br />そこで、このアーチが丁度いい感じで見えましたので、望遠で撮ってみました。写真を拡大してみましたら、やっぱりくさび形に角度が付いていました。<br /><br />角度を付けるという着想も大したモンですが、それを実際にアーチ状になるように個々の石の側面角度を計算しすることや、実際にそういう風な石を作る石工の腕前(石同士の接着面をピタッと合わせる仕上げ・研磨技術)も相当なレベルのように思いますね。<br />そして、どうやってアーチ状に組み立てたのか?そのあたりのくわしいことを知りたいですね。<br />ご存知の方、教えて下さいね。<br /><br />↓は時代も用途も違いますけど、ライヒスブルグ城の城門アーチです。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19895860/src.html

    「ヘロディス・アティコス音楽堂」の3階部分の窓のアーチを望遠で撮ってみました。
    石積みでつくられたアーチ部分は、石の両面を楔形に角度を付けて、お互いの石が牽制し合うように造られているということは既に知っていたのです。でも、それを具体的な形で確認したことは、実のところ今まで一度もなかったです。

    そこで、このアーチが丁度いい感じで見えましたので、望遠で撮ってみました。写真を拡大してみましたら、やっぱりくさび形に角度が付いていました。

    角度を付けるという着想も大したモンですが、それを実際にアーチ状になるように個々の石の側面角度を計算しすることや、実際にそういう風な石を作る石工の腕前(石同士の接着面をピタッと合わせる仕上げ・研磨技術)も相当なレベルのように思いますね。
    そして、どうやってアーチ状に組み立てたのか?そのあたりのくわしいことを知りたいですね。
    ご存知の方、教えて下さいね。

    ↓は時代も用途も違いますけど、ライヒスブルグ城の城門アーチです。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19895860/src.html

  • 先ほど、パナシナイコスタジアムの前からも見えていた塔?です。<br /><br />この塔のことを調べてみますと、A.D.2世紀頃の初めの頃にローマの執政官だった「フィロパポス」という人の「記念碑(墓碑とも)」とのことです。<br /><br />詳しいことは分からないんですが、彼はアテネの人々のために大変よく尽くしたとのとで、彼の死後アテネ市民たちが彼の業績を讃えて、あのような記念碑を建てたというのです。紀元2世紀の初めの頃と言えば、先にお話ししたハドリアヌス帝との関わりがあるかも知れませんね。

    先ほど、パナシナイコスタジアムの前からも見えていた塔?です。

    この塔のことを調べてみますと、A.D.2世紀頃の初めの頃にローマの執政官だった「フィロパポス」という人の「記念碑(墓碑とも)」とのことです。

    詳しいことは分からないんですが、彼はアテネの人々のために大変よく尽くしたとのとで、彼の死後アテネ市民たちが彼の業績を讃えて、あのような記念碑を建てたというのです。紀元2世紀の初めの頃と言えば、先にお話ししたハドリアヌス帝との関わりがあるかも知れませんね。

  • 画面中央に見える平たくて黒っぽい長方形の建物は、「アクロポリス美術館」だと思います。<br /><br />私たちは、そこに行っていませんが、貴重な史料がたくさんあると思いますので、是非のぞいて見て下さいね。

    画面中央に見える平たくて黒っぽい長方形の建物は、「アクロポリス美術館」だと思います。

    私たちは、そこに行っていませんが、貴重な史料がたくさんあると思いますので、是非のぞいて見て下さいね。

  • 先ほどから見えているアテネの街です。<br /><br />現在のアテネ市の規模ですが、人口は約65万人とのことです。その面積は約39K?と狭いですから大変な人口密度です。市街地はアテネ市を越えて広がっており、その市街地の広さでみた人口は約307万人とのことです。面積が約412K?になりますから、日本の旧6大都市並みの街ということになります。<br /><br />ところで、パルテノン神殿が造られた時代のアテナイの規模はどれくらいだったのか?実はこの詳しいことが分からないのです。<br /><br />最盛期で10万人ほどという話もありますし、20〜30万人くらいという話もあります。その内容も詳しくは分かりませんが、いずれにしてもかなり幅があります。少なくて15万人弱くらい、多くて30万人くらいになりそうですね。そのころの面積は2400K?強ということらしいです。<br /><br />そのうち市民と言われる層が8万〜15万人、奴隷と言われる層が6万〜10万人くらいでしょうか。市民の中でもアテナイの政治に参加する人々(成人男子)は3万〜4万人ほどかといわれています。<br />それ以外に仕事や留学その他の事情でアテナイに滞在している人もいるようです。<br /><br />いずれにしても、アテナイはあの時代(B.C.5世紀)の「大都市」であったのですね。

    先ほどから見えているアテネの街です。

    現在のアテネ市の規模ですが、人口は約65万人とのことです。その面積は約39K?と狭いですから大変な人口密度です。市街地はアテネ市を越えて広がっており、その市街地の広さでみた人口は約307万人とのことです。面積が約412K?になりますから、日本の旧6大都市並みの街ということになります。

    ところで、パルテノン神殿が造られた時代のアテナイの規模はどれくらいだったのか?実はこの詳しいことが分からないのです。

    最盛期で10万人ほどという話もありますし、20〜30万人くらいという話もあります。その内容も詳しくは分かりませんが、いずれにしてもかなり幅があります。少なくて15万人弱くらい、多くて30万人くらいになりそうですね。そのころの面積は2400K?強ということらしいです。

    そのうち市民と言われる層が8万〜15万人、奴隷と言われる層が6万〜10万人くらいでしょうか。市民の中でもアテナイの政治に参加する人々(成人男子)は3万〜4万人ほどかといわれています。
    それ以外に仕事や留学その他の事情でアテナイに滞在している人もいるようです。

    いずれにしても、アテナイはあの時代(B.C.5世紀)の「大都市」であったのですね。

  • アクロポリスに入ってから振り返って見た、アクロポリスへの出入り口です。出入り口と言っても一応は「門」でして「ブーレの門」と言われています。<br /><br />照明用のライトが見えますけど、アクロポリスにあるパルテノン神殿ほかの神殿が、夜になるとライトアップされるようです。<br /><br />私たちは午後から船に乗って、明るいうちに出航してしまいます。それで、アクロポリスのライトアップは見られないのです(&gt;_&lt;) 残念でした(T_T)<br />

    アクロポリスに入ってから振り返って見た、アクロポリスへの出入り口です。出入り口と言っても一応は「門」でして「ブーレの門」と言われています。

    照明用のライトが見えますけど、アクロポリスにあるパルテノン神殿ほかの神殿が、夜になるとライトアップされるようです。

    私たちは午後から船に乗って、明るいうちに出航してしまいます。それで、アクロポリスのライトアップは見られないのです(>_<) 残念でした(T_T)

  • 先ほど遠くから見えたアテナ・ニケ神殿が、近くに見えました。<br /><br />私にとっては初めて間近に見るギリシャの神殿です。石の柱と、柱の頭のところの両側に垂れてカールした飾り?などを見ますと、ギリシャに来た!!という感じがしますね。<br /><br />アテナ・ニケ神殿より以前には、アクロポリスは要塞だったようで、ミケーネ文明の時代(B.C.1450年−1150年)に要塞の入り口を防衛する塔が築かれたというのです。こうしてみると、アクロポリスの歴史は本当長いですね。<br /><br />この神殿が建てられたのは、B.C.421年とのことです。この神殿はスパルタとの戦争の勝利を祈って、アテナ・ニケ神を祭神に建設されたようです。ギリシャ建築と言いますと、○△式とか言われますが、この神殿はイオニア式と言われるようです。<br /><br />その一番簡単な見分け方は、柱の上(柱頭)の飾りです。柱の上の板の両側が下に下がってカールしているのが特徴です。B.C.6世紀の中頃からとのことで、これを「イオニア式」というワケは、イオニア地方で工夫されたからということらしいです。名古屋で工夫されていたら、名古屋式と言うことですね(^^)。<br /><br />上の方の壁の側面(フリーズ)に多くの浮き彫りがありますが、これもギリシャ建築の特徴のようです。神々の姿とか、戦闘の場面とか、いろいろな場面が掘られているようです。<br /><br />★アテナ・ニケ神殿の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E7%A5%9E%E6%AE%BF<br />★イオニア地方の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2<br />★イオニア式建築様式の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%BC%8F<br />★ミケーネ文明の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E7%A5%9E%E6%AE%BF

    先ほど遠くから見えたアテナ・ニケ神殿が、近くに見えました。

    私にとっては初めて間近に見るギリシャの神殿です。石の柱と、柱の頭のところの両側に垂れてカールした飾り?などを見ますと、ギリシャに来た!!という感じがしますね。

    アテナ・ニケ神殿より以前には、アクロポリスは要塞だったようで、ミケーネ文明の時代(B.C.1450年−1150年)に要塞の入り口を防衛する塔が築かれたというのです。こうしてみると、アクロポリスの歴史は本当長いですね。

    この神殿が建てられたのは、B.C.421年とのことです。この神殿はスパルタとの戦争の勝利を祈って、アテナ・ニケ神を祭神に建設されたようです。ギリシャ建築と言いますと、○△式とか言われますが、この神殿はイオニア式と言われるようです。

    その一番簡単な見分け方は、柱の上(柱頭)の飾りです。柱の上の板の両側が下に下がってカールしているのが特徴です。B.C.6世紀の中頃からとのことで、これを「イオニア式」というワケは、イオニア地方で工夫されたからということらしいです。名古屋で工夫されていたら、名古屋式と言うことですね(^^)。

    上の方の壁の側面(フリーズ)に多くの浮き彫りがありますが、これもギリシャ建築の特徴のようです。神々の姿とか、戦闘の場面とか、いろいろな場面が掘られているようです。

    ★アテナ・ニケ神殿の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E7%A5%9E%E6%AE%BF
    ★イオニア地方の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2
    ★イオニア式建築様式の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%BC%8F
    ★ミケーネ文明の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E7%A5%9E%E6%AE%BF

  • さぁ、この階段をのぼってパルテノン神殿の方へ行きますよ〜。<br /><br />先ほど「ブーレの門」はただの出入り口でしたけど(でも大事でした)、こちらはちゃんとした「入場門」ですよ。この門の名は「プロピュライア」と言われて、この通りとても重厚な造りです。<br />この門はアクロポリスの西側にあって、誰もが、どんな偉い人でもこの門を通ってアクロポリスに入ったとのことです。この門の平面形状は“凸”の上下の横線と消した形に似ており、今いるところは下の広いところの下です。<br />この門の柱の形を見ますと(右端の門と、中央奥の門参照)、柱頭の形が違います。右端の柱は先ほどのイオニア式ではなく、中央奥の柱はイオニア式になっています。<br />このイオニア式でない柱頭の様式は「ドーリア式(ドーリス式・ドリス式とも)」と言われるもので、ご覧の通りスッキリした形になっていますね。<br /><br />ドーリア式はギリシャ本土で成立したと言われ、その時期はB.C.7世紀頃という話です。そのころまでの神殿は木造だったようです(装飾等に素焼きのタイルも使用していたようです。木造でありながら、神殿がどのような形だったかは分かりませんけど・・(-_-;))木造から石造に変わるなかで、柱頭の形がこのような形になってきたのでしょうかね。<br /><br />プロピュライアの特徴は、このように2つの様式が混在していることです。ある人は、2つの様式の使い分けを「見事な調和」と賞賛していますが、どうでしょうか??<br /><br />★プロピュライアの場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.971312,23.725461&amp;spn=0.00178,0.001878&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de267b9ca18f8aa21,37.971703,23.725061,0,-32

    さぁ、この階段をのぼってパルテノン神殿の方へ行きますよ〜。

    先ほど「ブーレの門」はただの出入り口でしたけど(でも大事でした)、こちらはちゃんとした「入場門」ですよ。この門の名は「プロピュライア」と言われて、この通りとても重厚な造りです。
    この門はアクロポリスの西側にあって、誰もが、どんな偉い人でもこの門を通ってアクロポリスに入ったとのことです。この門の平面形状は“凸”の上下の横線と消した形に似ており、今いるところは下の広いところの下です。
    この門の柱の形を見ますと(右端の門と、中央奥の門参照)、柱頭の形が違います。右端の柱は先ほどのイオニア式ではなく、中央奥の柱はイオニア式になっています。
    このイオニア式でない柱頭の様式は「ドーリア式(ドーリス式・ドリス式とも)」と言われるもので、ご覧の通りスッキリした形になっていますね。

    ドーリア式はギリシャ本土で成立したと言われ、その時期はB.C.7世紀頃という話です。そのころまでの神殿は木造だったようです(装飾等に素焼きのタイルも使用していたようです。木造でありながら、神殿がどのような形だったかは分かりませんけど・・(-_-;))木造から石造に変わるなかで、柱頭の形がこのような形になってきたのでしょうかね。

    プロピュライアの特徴は、このように2つの様式が混在していることです。ある人は、2つの様式の使い分けを「見事な調和」と賞賛していますが、どうでしょうか??

    ★プロピュライアの場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.971312,23.725461&spn=0.00178,0.001878&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004de267b9ca18f8aa21,37.971703,23.725061,0,-32

  • ↑の写真の左の方の様子です。<br />左端に四角形で高い台座みたいなものが建っています。<br /><br />ここには、ペルガモンの王であった「エウメネス2世(在位B.C.197〜159年)」の像があったとのことです。<br />パルテノン神殿が完成したのはB.C.432年で、プロピュライアが建設中断されたのがB.C.431年です。ですから、エウメネス2世の像がここに建てられたのは、それから<br />240年以降のことかもし知れません。<br /><br />エウメネス2世は、ペルガモンの王位在位中にアテネの総督も務めたいたようで、ディオニュソス劇場と、ヘロディス・アティコス音楽堂の間に164mもある長い柱廊を建設したことでも知られています。 また、共和制ローマと協力して、セレウコス朝の勢力拡大を阻止するなど、共和制ローマに貢献しているようです(この時代のローマは帝政の前の「共和制時代〔B.C.509年〜B.C.27年〕」でした)。それで、彼の像があそこに建てられたということのようですね。<br /><br />それが、ローマ時代になってアグリッパ(古代ローマの皇帝の娘婿)の像に取り替えられたと言うのです。<br />時代の変化というのは、こういうことなんですね。<br /><br />★エウメネス2世の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B92%E4%B8%96<br />★アグリッパの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B5%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91<br />★プロピュライアの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2<br />★ベルガモン遺跡(ペルガモンとも。現ベルガマ)の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=39.132682,27.183555&amp;spn=0.003886,0.002843&amp;iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004dfd39835c064c9d12,39.132723,27.183609,0,-32

    ↑の写真の左の方の様子です。
    左端に四角形で高い台座みたいなものが建っています。

    ここには、ペルガモンの王であった「エウメネス2世(在位B.C.197〜159年)」の像があったとのことです。
    パルテノン神殿が完成したのはB.C.432年で、プロピュライアが建設中断されたのがB.C.431年です。ですから、エウメネス2世の像がここに建てられたのは、それから
    240年以降のことかもし知れません。

    エウメネス2世は、ペルガモンの王位在位中にアテネの総督も務めたいたようで、ディオニュソス劇場と、ヘロディス・アティコス音楽堂の間に164mもある長い柱廊を建設したことでも知られています。 また、共和制ローマと協力して、セレウコス朝の勢力拡大を阻止するなど、共和制ローマに貢献しているようです(この時代のローマは帝政の前の「共和制時代〔B.C.509年〜B.C.27年〕」でした)。それで、彼の像があそこに建てられたということのようですね。

    それが、ローマ時代になってアグリッパ(古代ローマの皇帝の娘婿)の像に取り替えられたと言うのです。
    時代の変化というのは、こういうことなんですね。

    ★エウメネス2世の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B92%E4%B8%96
    ★アグリッパの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B5%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91
    ★プロピュライアの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2
    ★ベルガモン遺跡(ペルガモンとも。現ベルガマ)の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=39.132682,27.183555&spn=0.003886,0.002843&iwloc=lyrftr:msid:215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375,0004dfd39835c064c9d12,39.132723,27.183609,0,-32

  • 足元の大理石の階段です。<br /><br />大理石をまじまじと見たことのない私ですから、これも大理石??と思ってしまいます。このような石を切り出すことも大変ながら、20kmほども運ぶことも、石のサイズを決めて仕上げることも、アクロポリスという丘の上にまで運び上げることも、そして、階段状に敷き詰めることも大変だったと思いますね〜。そういう実作業をしたのは、おそらく奴隷たちだったと思います。<br /><br />アクロポリスの神殿建設の費用も莫大なものだったけど、切り出した石を運ぶ苦労と費用も大変なものだったという話もあります。<br /><br />★白大理石が切り出されたという場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=38.071068,23.859386&amp;spn=0.124058,0.156555&amp;iwloc=0004e6e549a012de93824

    足元の大理石の階段です。

    大理石をまじまじと見たことのない私ですから、これも大理石??と思ってしまいます。このような石を切り出すことも大変ながら、20kmほども運ぶことも、石のサイズを決めて仕上げることも、アクロポリスという丘の上にまで運び上げることも、そして、階段状に敷き詰めることも大変だったと思いますね〜。そういう実作業をしたのは、おそらく奴隷たちだったと思います。

    アクロポリスの神殿建設の費用も莫大なものだったけど、切り出した石を運ぶ苦労と費用も大変なものだったという話もあります。

    ★白大理石が切り出されたという場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=38.071068,23.859386&spn=0.124058,0.156555&iwloc=0004e6e549a012de93824

  • プロピュライアを通り抜けたあとに、振り返って撮影したものです。<br />これで、漸くアクロポリスに入ったというわけです。<br /><br />こういう造りを見ますと、「入場門」というにはモッタイナイほど堂々としています。<br />私のように腰痛になってへっぴり腰でチョコマカしているのとは全然違いますね。<br /><br />しかし、破壊の跡は凄まじく、ところどころに金属材とボルトなどで補強してあるのが痛々しくも感じます(-_-;) まぁ、整形外科で治療してもらっているようなモンですね。<br /><br />マジメな余談はさておき、これを見て気がついたことはあの柱が一本の通し柱ではくて、たくさんの石を積み上げて一本の柱を形成していることでした。数えてみると10個の石を積み上げているのです。これは大変なことですよね〜。それも、当然とはいいながら太さと立て筋模様が合うように造られているのですから、感心してしまいました。

    プロピュライアを通り抜けたあとに、振り返って撮影したものです。
    これで、漸くアクロポリスに入ったというわけです。

    こういう造りを見ますと、「入場門」というにはモッタイナイほど堂々としています。
    私のように腰痛になってへっぴり腰でチョコマカしているのとは全然違いますね。

    しかし、破壊の跡は凄まじく、ところどころに金属材とボルトなどで補強してあるのが痛々しくも感じます(-_-;) まぁ、整形外科で治療してもらっているようなモンですね。

    マジメな余談はさておき、これを見て気がついたことはあの柱が一本の通し柱ではくて、たくさんの石を積み上げて一本の柱を形成していることでした。数えてみると10個の石を積み上げているのです。これは大変なことですよね〜。それも、当然とはいいながら太さと立て筋模様が合うように造られているのですから、感心してしまいました。

  • 「おかあさん パルテノン神殿だよ!!」<br />「男は黙って!!」だけど、ここだけは言わせて下さいね!!(^_^)v<br /><br />ようやくと言いますか、ついにと言いますか、パルテノン神殿に到着です!!<br />これが人類史上に燦然と輝くパルテノン神殿!!なんですね〜!(^^)!←←私の頭も輝いているけどね(*^_^*)<br />今回の旅行の最大の見物です!!(^-^)  もちろん世界遺産だよね〜〜??<br /><br />中学の歴史の教科書に載ってたかどうかなんて、加齢のせいもあって全然記憶にないですけど、そんなことはこの際どうでもいいのであります。そう、当家のカミさんと一緒に現物の前にいるんですからね。<br /><br />この神殿のご本尊は、ギリシャ神話の12神の一人である「アテナ神(女神様)」なんですよ。男勝りの神様で、処女神なんですね。カミさんが元気づきそうな神さんです(-_-)<br /><br />この神殿が建てられているアクロポリスの高さは、海抜154mだそうです。<br /><br />★パルテノン神殿の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.971523,23.727022&amp;spn=0.001907,0.002154&amp;iwloc=0004dd863a814cf91a330

    「おかあさん パルテノン神殿だよ!!」
    「男は黙って!!」だけど、ここだけは言わせて下さいね!!(^_^)v

    ようやくと言いますか、ついにと言いますか、パルテノン神殿に到着です!!
    これが人類史上に燦然と輝くパルテノン神殿!!なんですね〜!(^^)!←←私の頭も輝いているけどね(*^_^*)
    今回の旅行の最大の見物です!!(^-^)  もちろん世界遺産だよね〜〜??

    中学の歴史の教科書に載ってたかどうかなんて、加齢のせいもあって全然記憶にないですけど、そんなことはこの際どうでもいいのであります。そう、当家のカミさんと一緒に現物の前にいるんですからね。

    この神殿のご本尊は、ギリシャ神話の12神の一人である「アテナ神(女神様)」なんですよ。男勝りの神様で、処女神なんですね。カミさんが元気づきそうな神さんです(-_-)

    この神殿が建てられているアクロポリスの高さは、海抜154mだそうです。

    ★パルテノン神殿の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.971523,23.727022&spn=0.001907,0.002154&iwloc=0004dd863a814cf91a330

  • パルテノンの西側の面です。<br /><br />なにを修理しているのか分かりませんが、維持が大変なことだけは分かります。<br /><br />あの柱は、太くて頑丈な感じがします。とにかく貫禄があります。<br />こちらの柱も、プロピュライア(入場門)の柱と同じように、丸いブロックが積み上げられて一本の柱が作られているんですよ。ブロック数は11個のようです。<br /><br />そして、柱の数はこちら側には8本並んでいます。

    パルテノンの西側の面です。

    なにを修理しているのか分かりませんが、維持が大変なことだけは分かります。

    あの柱は、太くて頑丈な感じがします。とにかく貫禄があります。
    こちらの柱も、プロピュライア(入場門)の柱と同じように、丸いブロックが積み上げられて一本の柱が作られているんですよ。ブロック数は11個のようです。

    そして、柱の数はこちら側には8本並んでいます。

  • 余計な話ですけど、横の梁の上に草が生えてるんですよ。<br /><br />世界遺産に根付く草!!<br />世界遺産を食い物にするなんて、根性ある草ですね。<br /><br />それにしても、フリーズの石材はかなりボロボロになっています。<br />それだけに、石の重みと石の劣化が神殿を痛み付けて、維持が大変になると思いますね。

    余計な話ですけど、横の梁の上に草が生えてるんですよ。

    世界遺産に根付く草!!
    世界遺産を食い物にするなんて、根性ある草ですね。

    それにしても、フリーズの石材はかなりボロボロになっています。
    それだけに、石の重みと石の劣化が神殿を痛み付けて、維持が大変になると思いますね。

  • 神殿の北側側面に回ってみました。<br /><br />こちらの柱も、11個の石を積み上げて出来ています。この一つ一つの円形の石を「ドラム」と言うそうです。<br />プロピュライアのところでもお話ししましたが、ドラムを積み上げて1本の柱を造るというのは大変な作業だと思います。<br />石でも何でも積み上げるには、接触面がピタッ!!と合っていることが条件ですね。木のようなものなら接触面を削ってを合わせるのは簡単ですけど、大きな石となると、コトは大変です!!接触面を高い精度で仕上げるにしても(水平と平行を確保しながら)、石同士の面を摺り合わせをするにも、大変な手間と工夫があったものと思います。<br /><br />11個ものドラムを積み上げますと、一つ一つのドラムがどんなに精度良く造られていても、僅かずつ歪んでくるものです。柱頭に掛かる全荷重と柱身自体の荷重をしっかり受け止めるためには、梁(エンタブラチュアのアーキトレーブ部分)と柱頭の石の板(アバクス)と柱身頭部との接触面積と水平度が保障されなければなりませんからね。それぞれの接触面積が不足すると、荷重が偏ってかかり、石の疲労と割れが生じやすいですし、柱身の変形・崩壊の要因になりかねないですね<br /><br />ですから、各ドラムの接触面の保障は非常に重要な気がします。私の関心は、そのためにどのような作業が行われていたのか?に向いてしまうのです。 ドラムを吊る機械はあったのか? ドラムの反転はどのようにしてやったのか? ドラムはどのようにして摺り合わせ削られたのか? その道具はなにか? 気になることはたくさんあるのですね〜(^^)

    神殿の北側側面に回ってみました。

    こちらの柱も、11個の石を積み上げて出来ています。この一つ一つの円形の石を「ドラム」と言うそうです。
    プロピュライアのところでもお話ししましたが、ドラムを積み上げて1本の柱を造るというのは大変な作業だと思います。
    石でも何でも積み上げるには、接触面がピタッ!!と合っていることが条件ですね。木のようなものなら接触面を削ってを合わせるのは簡単ですけど、大きな石となると、コトは大変です!!接触面を高い精度で仕上げるにしても(水平と平行を確保しながら)、石同士の面を摺り合わせをするにも、大変な手間と工夫があったものと思います。

    11個ものドラムを積み上げますと、一つ一つのドラムがどんなに精度良く造られていても、僅かずつ歪んでくるものです。柱頭に掛かる全荷重と柱身自体の荷重をしっかり受け止めるためには、梁(エンタブラチュアのアーキトレーブ部分)と柱頭の石の板(アバクス)と柱身頭部との接触面積と水平度が保障されなければなりませんからね。それぞれの接触面積が不足すると、荷重が偏ってかかり、石の疲労と割れが生じやすいですし、柱身の変形・崩壊の要因になりかねないですね

    ですから、各ドラムの接触面の保障は非常に重要な気がします。私の関心は、そのためにどのような作業が行われていたのか?に向いてしまうのです。 ドラムを吊る機械はあったのか? ドラムの反転はどのようにしてやったのか? ドラムはどのようにして摺り合わせ削られたのか? その道具はなにか? 気になることはたくさんあるのですね〜(^^)

  • ちょっと余計な話を・・<br /><br />摺り合わせは、一般に一方を基準とし、他方の材料の凹凸や傾きを削って合わせることです。全体がピッタリ合って、傾きも無い状態になるまで摺り合わせます。<br /><br />普通は基準となるAドラムの下面に弁柄(ベンガラ)を塗って、B材の上に載せて左右前後に動かします。そしてA材を離しますとBドラムの凸部分にベンガラが付いていますので、そこを削ります。これを繰り返していますと、A材とB材の接触面が広がり、精密なものになってきます。 通常は、A材の代わりに仕上げ済みの薄い石材を用意して、これを基準にして摺り合わせをしていると思います。<br />でも11個ものドラムを積み上げていきますと、場合によっては、現場での調整で「摺り合わせ作業」が必要となることがあるかも知れませんね。<br /><br />このような摺り合わせ作業は、現代でも機械の摺動部分の合わせと仕上げとか、鋼材同士の嵌め合わせなどの時に行われていますよ。最近では、材質の工夫や機械の加工精度の向上などで、省略されることが多くなっています。<br /><br />★ベンガラの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84

    ちょっと余計な話を・・

    摺り合わせは、一般に一方を基準とし、他方の材料の凹凸や傾きを削って合わせることです。全体がピッタリ合って、傾きも無い状態になるまで摺り合わせます。

    普通は基準となるAドラムの下面に弁柄(ベンガラ)を塗って、B材の上に載せて左右前後に動かします。そしてA材を離しますとBドラムの凸部分にベンガラが付いていますので、そこを削ります。これを繰り返していますと、A材とB材の接触面が広がり、精密なものになってきます。 通常は、A材の代わりに仕上げ済みの薄い石材を用意して、これを基準にして摺り合わせをしていると思います。
    でも11個ものドラムを積み上げていきますと、場合によっては、現場での調整で「摺り合わせ作業」が必要となることがあるかも知れませんね。

    このような摺り合わせ作業は、現代でも機械の摺動部分の合わせと仕上げとか、鋼材同士の嵌め合わせなどの時に行われていますよ。最近では、材質の工夫や機械の加工精度の向上などで、省略されることが多くなっています。

    ★ベンガラの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84

  • ドラムを11個も積んで、どれかが横滑りしないかと心配になってしまいますね。<br /><br />でも、ご安心下さいね(^^)<br />横滑りしないようにドラムの真ん中に小穴を造って(これだけなら、“だるま落とし”の積み木に似ています)、芯棒も入れて、当時のコンクリートを横溝から流し込んで(押し込んで)、ズレないようにしているとのことです。<br /><br />考えてみれば、ズレないように工夫するのは当然のことですが、それを外から見えないように隠れたところでやっているのはニクイですね〜(^^)

    ドラムを11個も積んで、どれかが横滑りしないかと心配になってしまいますね。

    でも、ご安心下さいね(^^)
    横滑りしないようにドラムの真ん中に小穴を造って(これだけなら、“だるま落とし”の積み木に似ています)、芯棒も入れて、当時のコンクリートを横溝から流し込んで(押し込んで)、ズレないようにしているとのことです。

    考えてみれば、ズレないように工夫するのは当然のことですが、それを外から見えないように隠れたところでやっているのはニクイですね〜(^^)

  • もう少し、余計な話を・・(^^)<br /><br />↑で神殿の部分の名称をお話ししましたので、その部分の名前を書き出しておきますね。<br />ご覧下されば幸甚です。<br /><br />神殿の屋根の下の「フリーズ」といわれる部分をトリグリフで区切って(区切らないこともあるようです)「メトーブ」といわれる枠をつくって、ここを浮き彫り額で飾ることがよくあります。<br /><br />パルテノン神殿はフリーズの全周に92ものメトーブをつくって、浮き彫り額で飾っているとのことです。このような事例は少ないようで、このこと一つを見ても、パルテノン神殿の建築に際して、並々ならぬ意気込みのあったことが察せられるとのことです。

    もう少し、余計な話を・・(^^)

    ↑で神殿の部分の名称をお話ししましたので、その部分の名前を書き出しておきますね。
    ご覧下されば幸甚です。

    神殿の屋根の下の「フリーズ」といわれる部分をトリグリフで区切って(区切らないこともあるようです)「メトーブ」といわれる枠をつくって、ここを浮き彫り額で飾ることがよくあります。

    パルテノン神殿はフリーズの全周に92ものメトーブをつくって、浮き彫り額で飾っているとのことです。このような事例は少ないようで、このこと一つを見ても、パルテノン神殿の建築に際して、並々ならぬ意気込みのあったことが察せられるとのことです。

  • 柱の繋ぎ部分の様子です。<br /><br />下のドラムの筋模様が欠けてしまって、上のドラムの底面が露わになっています。<br />ドラムの底面をちょっと触ってみたのですが、ツルツルに仕上げられていました。凹凸の精度は5/100mm(子供の毛髪の太さ)以内に抑えて仕上げられているとのことでした。<br /><br />いまから2450年ほども前の時代に、いかなる方法で、いかなる道具を用いて、どのような人たちが、このような石材の仕上げをしていたのか?改めて考えてしまいますね。<br /><br />このような実作業は、殆ど奴隷がやっていたと思います。この時代のギリシャの奴隷は戦争で捕らえた捕虜や支配地域の住民であって、それなりの知識や技術を持っていた人もいたのですからね。

    柱の繋ぎ部分の様子です。

    下のドラムの筋模様が欠けてしまって、上のドラムの底面が露わになっています。
    ドラムの底面をちょっと触ってみたのですが、ツルツルに仕上げられていました。凹凸の精度は5/100mm(子供の毛髪の太さ)以内に抑えて仕上げられているとのことでした。

    いまから2450年ほども前の時代に、いかなる方法で、いかなる道具を用いて、どのような人たちが、このような石材の仕上げをしていたのか?改めて考えてしまいますね。

    このような実作業は、殆ど奴隷がやっていたと思います。この時代のギリシャの奴隷は戦争で捕らえた捕虜や支配地域の住民であって、それなりの知識や技術を持っていた人もいたのですからね。

  • メトープ(浮き彫り額)の浮き彫りです。<br /><br />フリーズ全周をメトープで飾っていることはお話ししましたが、そこに表されている場面は、神殿の東側では「神々とギガンデス(巨人族)との戦い」なのだそうです。いま見ている北側では、「トロイ戦争」がテーマになっているようです。<br />東西南北の4面のフリーズに、ギリシャ神話の4つの場面のストーリーをメトープの浮き彫り額のテーマにしていたようです。<br /><br />それらの浮き彫りの様子ですが、カタチがだいぶ崩れてしまっていますから分かりにくいのですけど、馬に近いカタチですね。もっとも、本物は大英博物館やアクロポリス美術館などで保存されており、ここにあるのは殆どがレプリカとのことです。<br /><br />また、多数の浮き彫りを見ますと、ノミなどの道具もかなりいいものがあったように思いますね(鉄器はヒッタイトの崩壊(B.C.13世紀ごろ)後、世界に広まったようです)。

    メトープ(浮き彫り額)の浮き彫りです。

    フリーズ全周をメトープで飾っていることはお話ししましたが、そこに表されている場面は、神殿の東側では「神々とギガンデス(巨人族)との戦い」なのだそうです。いま見ている北側では、「トロイ戦争」がテーマになっているようです。
    東西南北の4面のフリーズに、ギリシャ神話の4つの場面のストーリーをメトープの浮き彫り額のテーマにしていたようです。

    それらの浮き彫りの様子ですが、カタチがだいぶ崩れてしまっていますから分かりにくいのですけど、馬に近いカタチですね。もっとも、本物は大英博物館やアクロポリス美術館などで保存されており、ここにあるのは殆どがレプリカとのことです。

    また、多数の浮き彫りを見ますと、ノミなどの道具もかなりいいものがあったように思いますね(鉄器はヒッタイトの崩壊(B.C.13世紀ごろ)後、世界に広まったようです)。

  • 柱頭部分を望遠で撮りました。<br /><br />これで見ますと、柱身の一番上の部分の「エキノス」というところは、本当は柱身とは別の、柱身の上に載るものだったということが分かりました。エキノスまでを柱として考えると、柱を形成する石材は12個という事になります。<br /><br />それと、アバクス(四角な石材)を介して梁(アーキトレーヴ)を支えているのですが、そのアーキトレーヴは横から見ると1個の大きな石材のように見えたのが、3つの石材が平行に並んでいるように見えます。<br /><br />アーキトレーヴが3つの石材を平行に横に並べて形成されているとしますと、その3つの石材が離れないような対策もあったかも?ですね。また、三つの石材の高さも揃えなくてはなりませんから、大変なことになりましたね(^o^)

    柱頭部分を望遠で撮りました。

    これで見ますと、柱身の一番上の部分の「エキノス」というところは、本当は柱身とは別の、柱身の上に載るものだったということが分かりました。エキノスまでを柱として考えると、柱を形成する石材は12個という事になります。

    それと、アバクス(四角な石材)を介して梁(アーキトレーヴ)を支えているのですが、そのアーキトレーヴは横から見ると1個の大きな石材のように見えたのが、3つの石材が平行に並んでいるように見えます。

    アーキトレーヴが3つの石材を平行に横に並べて形成されているとしますと、その3つの石材が離れないような対策もあったかも?ですね。また、三つの石材の高さも揃えなくてはなりませんから、大変なことになりましたね(^o^)

  • 少し離れて、撮影してみました。<br /><br />この神殿の外周の柱の数は東と西にそれぞれ8本、南と北ににはそれぞれ15本(角の柱のダブりを除く)で合計46本となっています。<br /><br />こうして見ていますと、柱が水平線上に一直線に並んでいるように見えますが、柱を立てる基礎の石材(スタイロベート)の置き方が、東・西の両端よりも中央部を60mm高くなるような緩い曲線になっているというのです。そうすることによって、直線にした場合に感じる「中央部が低く見える」という「錯覚」を補正しているとのことです。<br />東面と西面の8本の柱が立っているところでも、同様に中央部が110mm高くなっているそうです(これによって排水も良くなっているそうです)。<br />と言うことは、パルテノン神殿の床部分(スタイロベート部分)全体を見るとしますと、真っ平らな平面ではなく、中央が高く造られているということなんですね。<br /><br />それから、4隅の柱身自体も、中央部が太くなっているとのことです。またどの円柱も内側に僅かに内側に傾いているとのことです。4隅の柱は、他の柱よりも少し傾きが大きくしてあるそうです。<br /><br />こうなると、柱の建て方は一層難しくなってきますね。床が平面でない上に、なお且つ、内側に僅かに傾いている分、(ドラムの柱身にズレ防止があっても)柱身を形成している一つ一つのドラムが滑落しないように、平面角度を工夫したり、ズレ防止を強化したりしたかも知れませんね。<br /><br />パルテノン神殿は、細部にわたる工夫と計算に基づいて造られており、古代ギリシャ建築の傑作と言われるだけのものがあったんですね。<br /><br />★ギリシャ建築の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%BB%BA%E7%AF%89

    少し離れて、撮影してみました。

    この神殿の外周の柱の数は東と西にそれぞれ8本、南と北ににはそれぞれ15本(角の柱のダブりを除く)で合計46本となっています。

    こうして見ていますと、柱が水平線上に一直線に並んでいるように見えますが、柱を立てる基礎の石材(スタイロベート)の置き方が、東・西の両端よりも中央部を60mm高くなるような緩い曲線になっているというのです。そうすることによって、直線にした場合に感じる「中央部が低く見える」という「錯覚」を補正しているとのことです。
    東面と西面の8本の柱が立っているところでも、同様に中央部が110mm高くなっているそうです(これによって排水も良くなっているそうです)。
    と言うことは、パルテノン神殿の床部分(スタイロベート部分)全体を見るとしますと、真っ平らな平面ではなく、中央が高く造られているということなんですね。

    それから、4隅の柱身自体も、中央部が太くなっているとのことです。またどの円柱も内側に僅かに内側に傾いているとのことです。4隅の柱は、他の柱よりも少し傾きが大きくしてあるそうです。

    こうなると、柱の建て方は一層難しくなってきますね。床が平面でない上に、なお且つ、内側に僅かに傾いている分、(ドラムの柱身にズレ防止があっても)柱身を形成している一つ一つのドラムが滑落しないように、平面角度を工夫したり、ズレ防止を強化したりしたかも知れませんね。

    パルテノン神殿は、細部にわたる工夫と計算に基づいて造られており、古代ギリシャ建築の傑作と言われるだけのものがあったんですね。

    ★ギリシャ建築の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%BB%BA%E7%AF%89

  • ↑の写真に続いて左の方(東の方)を撮ってみました。<br /><br />東側も、西側と同じように8本の柱があり、形も殆ど同じです。<br />最初見た時に、どちらが正面なの?と思ってしまいましたが、皆さんはどう思われますか?<br />日本の神社仏閣では門とか入り口に近い方が正面になる場合が多いのですが、このパルテノン神殿では門から遠い東側が正面とのことです。ギリシャの神殿では、正面は東側とするのが一般的なようです。<br /><br />一番大事な祭神(ご本尊)は、ギリシャ神話の12神の一人である女神・アテナとのことです。内陣(ヘカトンペドン)の奥には金と象牙で作られた巨大なアテナ像が安置されていたそうです。アテナは知恵、芸術、工芸、戦略を司る神ですから、アテナイの守護神にはもってこいの神でもあったのですね。<br /><br />これまで、いろいろお話ししていましたが、この神殿が建設され始めたのはB.C.449年で、全部が完成したのは装飾も含めてB.C.432年とのことです。<br />建物の基礎となる基壇のスタイロベートの広さは、幅30.9m、長さ(奥行き)69.5mとのことです。柱身の直径は1.9mで、高さは10.4mだそうです。神殿の外周を柱で囲む(内陣を囲む)建て方を「周柱式」と言うそうですが、ギリシャ神殿の多くは周柱式建築になっています(ここへ来る途中見えたゼウス神殿は、規模も大きくて2重周柱式を採用していますよ)。神殿の高さは、14mとのことです。<br /><br />使用された石材ですが、柱身のを造っている1個のドラムが5〜10トン、梁(アーキトレーヴ)材は15トン程度だったと言うことのようです。<br /><br />★パルテノン神殿の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%8E%E3%83%B3%E7%A5%9E%E6%AE%BF

    ↑の写真に続いて左の方(東の方)を撮ってみました。

    東側も、西側と同じように8本の柱があり、形も殆ど同じです。
    最初見た時に、どちらが正面なの?と思ってしまいましたが、皆さんはどう思われますか?
    日本の神社仏閣では門とか入り口に近い方が正面になる場合が多いのですが、このパルテノン神殿では門から遠い東側が正面とのことです。ギリシャの神殿では、正面は東側とするのが一般的なようです。

    一番大事な祭神(ご本尊)は、ギリシャ神話の12神の一人である女神・アテナとのことです。内陣(ヘカトンペドン)の奥には金と象牙で作られた巨大なアテナ像が安置されていたそうです。アテナは知恵、芸術、工芸、戦略を司る神ですから、アテナイの守護神にはもってこいの神でもあったのですね。

    これまで、いろいろお話ししていましたが、この神殿が建設され始めたのはB.C.449年で、全部が完成したのは装飾も含めてB.C.432年とのことです。
    建物の基礎となる基壇のスタイロベートの広さは、幅30.9m、長さ(奥行き)69.5mとのことです。柱身の直径は1.9mで、高さは10.4mだそうです。神殿の外周を柱で囲む(内陣を囲む)建て方を「周柱式」と言うそうですが、ギリシャ神殿の多くは周柱式建築になっています(ここへ来る途中見えたゼウス神殿は、規模も大きくて2重周柱式を採用していますよ)。神殿の高さは、14mとのことです。

    使用された石材ですが、柱身のを造っている1個のドラムが5〜10トン、梁(アーキトレーヴ)材は15トン程度だったと言うことのようです。

    ★パルテノン神殿の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%8E%E3%83%B3%E7%A5%9E%E6%AE%BF

  • 神殿建築のためには、大きいものでは15トン以上もあるかも知れない石を積み重ねていくわけです。その石をどうやって積み上げたのか?これは私たちにとって大きな謎でした。<br /><br />いろいろ調べてみますと、この図のようなカタチの「クレーン(起重機)」が考案され、使用されていたようです(この図は私の勝手な図で、正確ではありません)。<br /><br />動力源は何だったのか? ロープはどんなものだったのか?? ロープを掛けるところ(フック)はどんな材質のものをどのような形にして使ったのか?? 石材側の工夫は動だったのか?? そして何より、クレーン本体は何で造っていたのか?? クレーン本体の移動は??<br /><br />一番重要なのは、このような重量物を高く吊り上げて組み立てる際の人々の協働態勢です。<br />クレーンを操作する人々、クレーンの操作を指揮する人、吊り荷の動きを誘導する人、組付けを指揮する人、組み付け作業をする人、そしてそれらの作業を補助する大勢の人の息が合わなければなりません。そうでなければ、吊り上げた石は揺れて落下したり、積み上げた石材にあたって多数の石を落下させたりしてしまいます。<br />なんぼ奴隷を使っているからと言っても、死者を続けて出すような雑な作業は多くのものを浪費します。ですから、クレーンの操作の熟練と、どのような協働態勢を構築していたかも、知りたいところですね。<br /><br />東地中海周辺で、木造神殿が石造りの神殿に変わってきたのはB.C.8〜7世紀頃と言われていますが、そのころから加工技術や協働態勢の労働組織などが成長していたのですね。<br />こうしてみると、パルテノン神殿の時代には技術も、協働態勢も、かなり高度なレベルにあったといえると思いますね。 疑問は多々ありますが、こうした点を問い詰めてみるのも面白いと思いますね。

    神殿建築のためには、大きいものでは15トン以上もあるかも知れない石を積み重ねていくわけです。その石をどうやって積み上げたのか?これは私たちにとって大きな謎でした。

    いろいろ調べてみますと、この図のようなカタチの「クレーン(起重機)」が考案され、使用されていたようです(この図は私の勝手な図で、正確ではありません)。

    動力源は何だったのか? ロープはどんなものだったのか?? ロープを掛けるところ(フック)はどんな材質のものをどのような形にして使ったのか?? 石材側の工夫は動だったのか?? そして何より、クレーン本体は何で造っていたのか?? クレーン本体の移動は??

    一番重要なのは、このような重量物を高く吊り上げて組み立てる際の人々の協働態勢です。
    クレーンを操作する人々、クレーンの操作を指揮する人、吊り荷の動きを誘導する人、組付けを指揮する人、組み付け作業をする人、そしてそれらの作業を補助する大勢の人の息が合わなければなりません。そうでなければ、吊り上げた石は揺れて落下したり、積み上げた石材にあたって多数の石を落下させたりしてしまいます。
    なんぼ奴隷を使っているからと言っても、死者を続けて出すような雑な作業は多くのものを浪費します。ですから、クレーンの操作の熟練と、どのような協働態勢を構築していたかも、知りたいところですね。

    東地中海周辺で、木造神殿が石造りの神殿に変わってきたのはB.C.8〜7世紀頃と言われていますが、そのころから加工技術や協働態勢の労働組織などが成長していたのですね。
    こうしてみると、パルテノン神殿の時代には技術も、協働態勢も、かなり高度なレベルにあったといえると思いますね。 疑問は多々ありますが、こうした点を問い詰めてみるのも面白いと思いますね。

  • 当時の「近代技術」と「近代美術」の粋を集めて造られたパルテノン神殿(プロピュライアを含む)の総工事費はどれくらいか? これについては当時のアテネのおカネで2000〜3000タラントンと言われています(かなり大雑把な数字ですけど)。現在の日本のおカネに換算すると、1200〜1800億円億円ほどと言うことになります。<br />中間値をとって1500億円としますと、9万トンの客船であるセレブリティ「サミット号」3隻分、イージス艦なら一隻分と言うことになります。<br /><br />2000〜3000タラントンが、古代アテネの年間予算に較べてどのくらいか?と思って調べても、よく分かりません。と言うのは、そのころアテナイの市民は税金が課せられていなかったので、予算が分からないのです。アテナイの公共事業や大きな祭り、劇場費用なんかは富裕貴族などに指名して払わせていたというのです(中には進んで寄付する者も)。<br /><br />そこで、年代も規模も違う日本の都市の一般会計の予算と較べてみましょう。アテナイとほぼ同規模の人口20万人強として見ますと、それらの町の平均予算は650億円くらいです。たとえば「つくば市」は653億円ですから、つくば市の予算のほぼ2〜3年分の費用がかかったことになります。<br /><br />年間予算のないアテナイにそんなカネがあるわけもなく、対ペルシャ軍事同盟である「デロス同盟」の積立金を使ってしまったんですね(アテナイが管理していた)。デロス同盟のおカネでパルテノン神殿建築という「公共工事」をして、アテナイ市民を潤したと言われています。<br />ちょっと酷い話ですね。<br /><br />★デロス同盟の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%90%8C%E7%9B%9F<br />★↓は「セレブリティ・サミット号(9万1000トン)」です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12407408/src.html

    当時の「近代技術」と「近代美術」の粋を集めて造られたパルテノン神殿(プロピュライアを含む)の総工事費はどれくらいか? これについては当時のアテネのおカネで2000〜3000タラントンと言われています(かなり大雑把な数字ですけど)。現在の日本のおカネに換算すると、1200〜1800億円億円ほどと言うことになります。
    中間値をとって1500億円としますと、9万トンの客船であるセレブリティ「サミット号」3隻分、イージス艦なら一隻分と言うことになります。

    2000〜3000タラントンが、古代アテネの年間予算に較べてどのくらいか?と思って調べても、よく分かりません。と言うのは、そのころアテナイの市民は税金が課せられていなかったので、予算が分からないのです。アテナイの公共事業や大きな祭り、劇場費用なんかは富裕貴族などに指名して払わせていたというのです(中には進んで寄付する者も)。

    そこで、年代も規模も違う日本の都市の一般会計の予算と較べてみましょう。アテナイとほぼ同規模の人口20万人強として見ますと、それらの町の平均予算は650億円くらいです。たとえば「つくば市」は653億円ですから、つくば市の予算のほぼ2〜3年分の費用がかかったことになります。

    年間予算のないアテナイにそんなカネがあるわけもなく、対ペルシャ軍事同盟である「デロス同盟」の積立金を使ってしまったんですね(アテナイが管理していた)。デロス同盟のおカネでパルテノン神殿建築という「公共工事」をして、アテナイ市民を潤したと言われています。
    ちょっと酷い話ですね。

    ★デロス同盟の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%90%8C%E7%9B%9F
    ★↓は「セレブリティ・サミット号(9万1000トン)」です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12407408/src.html

  • 絵はがきとか資料の写真はべつとして、旅行者の撮ったパルテノン神殿の写真はいつも修理中です。年から年中修理している感じですねぇ。<br /><br />ところで、この神殿が建設された時期は、対ペルシャ戦争も勝利のうちに終わり、以後大きな戦争もない中で、政治的には古代アテナイで最も優れた指導者「ペリクレス」の指導下にあった時代で、軍事的にも強大な海軍力をもち、哲学・芸術・文学等々・・の分野も最も盛り上がっていた時期でした。ギリシャ地域では、自他共に認める力を持っていた時代のようでした。<br /><br />対外的には、デロス同盟にあって指導的立場を確保していた時期で、デロス同盟の資金をパルテノン神殿の建設費用に流用してしまうほどに、その財政を左右できる力と権威をもっていた時でもあったようです。<br /><br />パルテノン神殿の建設には、アテナイのこのような歴史的状況を無視することは出来ないと思います。 しかし建設の動機や目的は、別のことですね〜。<br /><br />ある見解によれば、対ペルシャの戦争に勝ったことから、アテナイの守護神である女神アテナを讃えるために建てられたというのです(それまでにあった破壊された古くて小さな神殿の再建も兼ねて)。<br /><br />また、別の見解では、広範な地域からの参加があるパンアテナイ祭が行われていることを考慮して、アテナイの政治的・文化的(哲学・文学・美術等)権威を示そうとしたとも言われています。確かに、パルテノン神殿には、それだけの威厳を示しうるだけの条件(大きさ・装飾・金と象牙のアテナ女神像・プロピュライアなどの諸設備・諸神殿)がありますからね。<br />こうした建設目的も、実は政治や外交の一環であるわけですね。

    絵はがきとか資料の写真はべつとして、旅行者の撮ったパルテノン神殿の写真はいつも修理中です。年から年中修理している感じですねぇ。

    ところで、この神殿が建設された時期は、対ペルシャ戦争も勝利のうちに終わり、以後大きな戦争もない中で、政治的には古代アテナイで最も優れた指導者「ペリクレス」の指導下にあった時代で、軍事的にも強大な海軍力をもち、哲学・芸術・文学等々・・の分野も最も盛り上がっていた時期でした。ギリシャ地域では、自他共に認める力を持っていた時代のようでした。

    対外的には、デロス同盟にあって指導的立場を確保していた時期で、デロス同盟の資金をパルテノン神殿の建設費用に流用してしまうほどに、その財政を左右できる力と権威をもっていた時でもあったようです。

    パルテノン神殿の建設には、アテナイのこのような歴史的状況を無視することは出来ないと思います。 しかし建設の動機や目的は、別のことですね〜。

    ある見解によれば、対ペルシャの戦争に勝ったことから、アテナイの守護神である女神アテナを讃えるために建てられたというのです(それまでにあった破壊された古くて小さな神殿の再建も兼ねて)。

    また、別の見解では、広範な地域からの参加があるパンアテナイ祭が行われていることを考慮して、アテナイの政治的・文化的(哲学・文学・美術等)権威を示そうとしたとも言われています。確かに、パルテノン神殿には、それだけの威厳を示しうるだけの条件(大きさ・装飾・金と象牙のアテナ女神像・プロピュライアなどの諸設備・諸神殿)がありますからね。
    こうした建設目的も、実は政治や外交の一環であるわけですね。

  • ↑でも少し見えていましたが、東側テュンパヌム(破風)に埋め込まれた彫刻です。<br /><br />こちらの破風全体には、ゼウスの頭から勢いよく生まれてきたアテナ女神の様子を見て、オリンポスの神々が驚いている様子が描かれていたとのことです。<br />これはその右端の彫刻で馬の頭のようですけど、たったこれだけでは、その様子を想い描くことは出来ませんね。破風にまで彫刻や浮き彫りなんて豪華だな〜と思いますね。<br /><br />でも、日本でも破風に彫刻やら浮き彫り、飾りのある神社仏閣がありますね。<br />その一番の例は、日光東照宮ですね。 他にもあると思いますよ。ご存知の方教えて下さいね。<br /><br />ただ日・欧では歴史も文化も違いますから、浮き彫りにする内容が違いますね。<br />日本ですと、犬・ネコ・猿に鳥類とか花などが多いですが、アチラは「神々とギガンデスとの戦い」とか「トロイ戦争」といったように、神話や戦争物を中心にした人物像が多いですね。 アチラはまさに戦いの歴史でしたからね〜(&gt;_&lt;)<br /><br />★↓も戦争にかかわる彫刻でした<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20133401/src.html

    ↑でも少し見えていましたが、東側テュンパヌム(破風)に埋め込まれた彫刻です。

    こちらの破風全体には、ゼウスの頭から勢いよく生まれてきたアテナ女神の様子を見て、オリンポスの神々が驚いている様子が描かれていたとのことです。
    これはその右端の彫刻で馬の頭のようですけど、たったこれだけでは、その様子を想い描くことは出来ませんね。破風にまで彫刻や浮き彫りなんて豪華だな〜と思いますね。

    でも、日本でも破風に彫刻やら浮き彫り、飾りのある神社仏閣がありますね。
    その一番の例は、日光東照宮ですね。 他にもあると思いますよ。ご存知の方教えて下さいね。

    ただ日・欧では歴史も文化も違いますから、浮き彫りにする内容が違いますね。
    日本ですと、犬・ネコ・猿に鳥類とか花などが多いですが、アチラは「神々とギガンデスとの戦い」とか「トロイ戦争」といったように、神話や戦争物を中心にした人物像が多いですね。 アチラはまさに戦いの歴史でしたからね〜(>_<)

    ★↓も戦争にかかわる彫刻でした
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20133401/src.html

  • こちらは↑の反対側の様子です。<br /><br />人が仰向けになって上体を起こしたような体勢になっていますが、これも意味が分からないですね。博物館へ行ってみれば分かるかも知れません。<br /><br />もし、オスマントルコとベネチアとの戦闘がアテネ市内で起こらなかったら、これらの彫刻もパルテノン神殿事態も、壊れずに済んだかも知れません。<br />1687年の両者の戦争の時、アテネはオスマン・トルコの支配下にあって、オスマン・トルコ軍はこともあろうにパルテノン神殿を火薬庫に使っていたのです。アテネに攻めてきたベネチア軍は、あのフィロパポスの丘からアクロポリスを大砲で撃ったんですよ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるわけで、当然命中ですよねぇ(&gt;_&lt;) 火薬が詰まっていたパルテノン神殿は大爆発というわけです。<br /><br />破壊されたパルテノン神殿に僅かに残っていた装飾品や浮き彫りなども、ベネチア軍に持ち去られたり壊されたりして、こんな無残な姿になったと言うことらしいです。<br />まぁ、いろいろありますね。

    こちらは↑の反対側の様子です。

    人が仰向けになって上体を起こしたような体勢になっていますが、これも意味が分からないですね。博物館へ行ってみれば分かるかも知れません。

    もし、オスマントルコとベネチアとの戦闘がアテネ市内で起こらなかったら、これらの彫刻もパルテノン神殿事態も、壊れずに済んだかも知れません。
    1687年の両者の戦争の時、アテネはオスマン・トルコの支配下にあって、オスマン・トルコ軍はこともあろうにパルテノン神殿を火薬庫に使っていたのです。アテネに攻めてきたベネチア軍は、あのフィロパポスの丘からアクロポリスを大砲で撃ったんですよ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるわけで、当然命中ですよねぇ(>_<) 火薬が詰まっていたパルテノン神殿は大爆発というわけです。

    破壊されたパルテノン神殿に僅かに残っていた装飾品や浮き彫りなども、ベネチア軍に持ち去られたり壊されたりして、こんな無残な姿になったと言うことらしいです。
    まぁ、いろいろありますね。

  • こちらはパルテノン神殿の北側にある「エレクテイオン(Erechtheion)」といわれる神殿です(プロピュライア側から見た様子です)。<br /><br />ある説では、「エレクテイオン」は「エレクテウスの家」という意味らしいです。それで、エレクテウスという人は、ギリシャ神話に登場するアテナイ王で、大地の神でもある男神です。<br />一方、Wikipediaでは、エレクテイオンはギリシャ神話の英雄である「エリクトニオス」に捧げられたものと言われています。さらに、アテナイの王である「エリクトニオス王」の名誉のために建てられたという説もあります。この3人が同一人物かどうかと言うことも分かりません。<br /><br />Wikipediaの続く記事では、「神殿自体」はアテナとポセイドンとエリクトニオスに捧げられたものとのことで、ここには神聖なヘビが住んでいて、アテネの役人から蜂蜜入りのケーキを食べていたというのですから、気持ち悪いですね(&gt;_&lt;)<br /><br />エレクテイオンは、パルテノン神殿の完成の11年後のB.C.421年に着工され、B.C.406に最終的に完成したとされています。しかし建設の動きは、古代ギリシャの内戦と言われるペロポネソス戦争(B.C.431年 − B.C.404年)の前半戦の最中にペンデリ山から大理石を運び込むなど、早くからこの神殿を建設する動きが始まっていたとのことです。<br />建設開始のB.C.421年は、スパルタとアテナイの和約が成立した年であったのです。B.C.415年に戦争が再開されますが(B.C.404年終結)、その間にも建設は進められたようで、アテナイの敗戦という形で戦争が終結する2年前に完成したのです。<br /><br />エレクテイオン建設の時代背景を見ますと、パルテノン神殿の時とはだいぶ違いますね。<br /><br />★ペロポネソス戦争の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89<br />★エレクテイオンの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3<br />★アクロポリスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9

    こちらはパルテノン神殿の北側にある「エレクテイオン(Erechtheion)」といわれる神殿です(プロピュライア側から見た様子です)。

    ある説では、「エレクテイオン」は「エレクテウスの家」という意味らしいです。それで、エレクテウスという人は、ギリシャ神話に登場するアテナイ王で、大地の神でもある男神です。
    一方、Wikipediaでは、エレクテイオンはギリシャ神話の英雄である「エリクトニオス」に捧げられたものと言われています。さらに、アテナイの王である「エリクトニオス王」の名誉のために建てられたという説もあります。この3人が同一人物かどうかと言うことも分かりません。

    Wikipediaの続く記事では、「神殿自体」はアテナとポセイドンとエリクトニオスに捧げられたものとのことで、ここには神聖なヘビが住んでいて、アテネの役人から蜂蜜入りのケーキを食べていたというのですから、気持ち悪いですね(>_<)

    エレクテイオンは、パルテノン神殿の完成の11年後のB.C.421年に着工され、B.C.406に最終的に完成したとされています。しかし建設の動きは、古代ギリシャの内戦と言われるペロポネソス戦争(B.C.431年 − B.C.404年)の前半戦の最中にペンデリ山から大理石を運び込むなど、早くからこの神殿を建設する動きが始まっていたとのことです。
    建設開始のB.C.421年は、スパルタとアテナイの和約が成立した年であったのです。B.C.415年に戦争が再開されますが(B.C.404年終結)、その間にも建設は進められたようで、アテナイの敗戦という形で戦争が終結する2年前に完成したのです。

    エレクテイオン建設の時代背景を見ますと、パルテノン神殿の時とはだいぶ違いますね。

    ★ペロポネソス戦争の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89
    ★エレクテイオンの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3
    ★アクロポリスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9

  • エレクテイオンを南東方向から見た様子です。<br /><br />エレクテイオン建設の理由と当時の情勢は上記のようなことですが、この神殿が造られる前から、ここには大地母神ガイア、ヘファイストス、アテナ、ポセイドンに加え伝説上の王や英雄であるケクロパス、エレクテウス、ブティスらの聖所があったとの話です。<br /><br />この神殿の設計者は、これらの神や英雄の聖所をこの神殿内に設けたとのことです。ということは、この神殿はこれらの神々や英雄の寄り合いアパートみたいなモンですね(^^) 個室か大部屋かは分かりませんけどね(^o^) 家主はアテナイ市民でしょうか?<br /><br />その聖所に天から降ってきたという「オリーブの木でつくられた女神アテナの木像」が安置されていたというのです。<br />それだけならいいけど、そのアテナ像に、アテナイの娘たちが手で織った新しい衣を着せ替えることが、アテナイ最大のお祭りであるパンアテナイ祭の最も重要な儀式だったとのことです。ですから、エレクテイオンの存在感はとても大きなものだったようですね。

    エレクテイオンを南東方向から見た様子です。

    エレクテイオン建設の理由と当時の情勢は上記のようなことですが、この神殿が造られる前から、ここには大地母神ガイア、ヘファイストス、アテナ、ポセイドンに加え伝説上の王や英雄であるケクロパス、エレクテウス、ブティスらの聖所があったとの話です。

    この神殿の設計者は、これらの神や英雄の聖所をこの神殿内に設けたとのことです。ということは、この神殿はこれらの神々や英雄の寄り合いアパートみたいなモンですね(^^) 個室か大部屋かは分かりませんけどね(^o^) 家主はアテナイ市民でしょうか?

    その聖所に天から降ってきたという「オリーブの木でつくられた女神アテナの木像」が安置されていたというのです。
    それだけならいいけど、そのアテナ像に、アテナイの娘たちが手で織った新しい衣を着せ替えることが、アテナイ最大のお祭りであるパンアテナイ祭の最も重要な儀式だったとのことです。ですから、エレクテイオンの存在感はとても大きなものだったようですね。

  • エレクテイオンを見てまず惹かれるのが、この女性像です。<br />この美しい姿は、どれも立派な女神様ばかりと思っていたのですが、それが大ハズレ(^_^;)<br />女神様でも王女様でもなく、将来「カカア天下」を取るかも知れない普通の娘さんだというのです。道理で、お腹がポッコリしてないわけだね。<br />出来たばかりの像は、さぞかし美しかったことと思いますね。<br /><br />よく見ますと、同じような服装ながらこちら側3人は左足を軽く曲げています。ということは、ややリラックスした感じを持たせようとしているようにも感じられますね。(これらの像も、本物は博物館で保存されているようです)<br /><br />しかし、支柱の代わりにこのような女性像を用いたのは何故か? 単なる着想だったのか? ギリシャ神話などとの関わりがあったのか?そこのところは、分かりません(-_-;)<br />ご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。<br /><br />★エレクテイオン神殿の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.971878,23.726735&amp;spn=0.002326,0.00283&amp;iwloc=0004ddb2cb5d8767f948f

    エレクテイオンを見てまず惹かれるのが、この女性像です。
    この美しい姿は、どれも立派な女神様ばかりと思っていたのですが、それが大ハズレ(^_^;)
    女神様でも王女様でもなく、将来「カカア天下」を取るかも知れない普通の娘さんだというのです。道理で、お腹がポッコリしてないわけだね。
    出来たばかりの像は、さぞかし美しかったことと思いますね。

    よく見ますと、同じような服装ながらこちら側3人は左足を軽く曲げています。ということは、ややリラックスした感じを持たせようとしているようにも感じられますね。(これらの像も、本物は博物館で保存されているようです)

    しかし、支柱の代わりにこのような女性像を用いたのは何故か? 単なる着想だったのか? ギリシャ神話などとの関わりがあったのか?そこのところは、分かりません(-_-;)
    ご存知の方がおられましたら、教えて下さいね。

    ★エレクテイオン神殿の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.971878,23.726735&spn=0.002326,0.00283&iwloc=0004ddb2cb5d8767f948f

  • こんどは反対側から見てみました。<br /><br />真ん中の像の左手が外れて、四角な穴が見えています。腕は別につくって嵌めているんですね。ほかにも嵌め込みの部分があるのでしょうか?<br /><br />この6人の女性像は、いつの間にか「カリアティード(複数形でカリアティデス)」と言われるうようになっていたそうです。<br />それは、これらの像を見た人たちが、ギリシャでは強くて美人の多いことで有名なカリュアイ(“カリア”とも。ペロポネソス半島の古代の町)の乙女たちを想い起こして付けたらしいとのことです。<br />日本で言えば、秋田美人を想い起こすようなモンですね。<br /><br />それにしても、可愛い乙女たちに支柱の代わりを務めさせるなんて、あまりに気の毒ですね。出来れば私が代わってあげたいと思って医者に相談しましたところ、<br />「アンタ、腰痛の治療中だってことを忘れちゃダメだよ」<br />って言われて、断念しました(&gt;_&lt;)(^O^)<br /><br />★カリアティードの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89<br />★カリュアイの街の場所は↓にて<br />https://www.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.290584,22.501481&amp;spn=0.005604,0.005649&amp;iwloc=0004e71da8a436165a1a9

    こんどは反対側から見てみました。

    真ん中の像の左手が外れて、四角な穴が見えています。腕は別につくって嵌めているんですね。ほかにも嵌め込みの部分があるのでしょうか?

    この6人の女性像は、いつの間にか「カリアティード(複数形でカリアティデス)」と言われるうようになっていたそうです。
    それは、これらの像を見た人たちが、ギリシャでは強くて美人の多いことで有名なカリュアイ(“カリア”とも。ペロポネソス半島の古代の町)の乙女たちを想い起こして付けたらしいとのことです。
    日本で言えば、秋田美人を想い起こすようなモンですね。

    それにしても、可愛い乙女たちに支柱の代わりを務めさせるなんて、あまりに気の毒ですね。出来れば私が代わってあげたいと思って医者に相談しましたところ、
    「アンタ、腰痛の治療中だってことを忘れちゃダメだよ」
    って言われて、断念しました(>_<)(^O^)

    ★カリアティードの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89
    ★カリュアイの街の場所は↓にて
    https://www.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.290584,22.501481&spn=0.005604,0.005649&iwloc=0004e71da8a436165a1a9

  • エレクテイオンのもう一つの目に見える特徴は、イオニア式の建築だと言うことです。<br /><br />アテナ・ニケ神殿もイオニア式建築でしたが、プロピュライアではドーリア式とイオニア式とが併用されていました。エレクテイオンではイオニア式ですが、設計者が違それぞれ違っていたために、そうなったのでしょうかね。<br /><br />ほぼ同時期に建設されたアテナ・ニケ神殿に較べると、アバクスの模様も、エキノスの模様も格段に綺麗です。

    エレクテイオンのもう一つの目に見える特徴は、イオニア式の建築だと言うことです。

    アテナ・ニケ神殿もイオニア式建築でしたが、プロピュライアではドーリア式とイオニア式とが併用されていました。エレクテイオンではイオニア式ですが、設計者が違それぞれ違っていたために、そうなったのでしょうかね。

    ほぼ同時期に建設されたアテナ・ニケ神殿に較べると、アバクスの模様も、エキノスの模様も格段に綺麗です。

  • これは破壊された他の神殿か聖域の建物の柱頭のように思います。<br />エレクテイオンの柱頭の模様によく似ていますね。<br /><br />ギリシャ建築の特徴は柱を強調する建築方式だとのことです。<br />石の重力を直接に受け止める柱を、建物の外周に壁を伴うことなく裸で配置する方法ですね。柱には筋模様が彫られ、柱頭を飾る形式と模様が建築方式を特徴づけています。<br />パルテノン神殿が、その特徴を最もよく表していると思います。<br /><br />柱で囲まれた床全体の面積に対して内陣の占める割合は小さく、柱と梁の浮き彫りが建物の存在感を強調しています。<br />もちろん屋根はあるのですが、そんなに重厚さもなく、曲線的な反りもなく、強く装飾されてもいないですね。<br /><br />こうしたことから、ギリシャ建築は「柱の建築」と特徴づけている人もいるようです。<br />柱の建築に対して、「壁の建築」もあれば、「屋根の建築」と言われる建物群もあるようです。<br /><br />★こちらも「柱の建築」と言われるサン・ピエトロ大聖堂です。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AD%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82<br />★↓は「屋根の建築」と特徴づけられる名古屋城です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/30522466/src.html

    これは破壊された他の神殿か聖域の建物の柱頭のように思います。
    エレクテイオンの柱頭の模様によく似ていますね。

    ギリシャ建築の特徴は柱を強調する建築方式だとのことです。
    石の重力を直接に受け止める柱を、建物の外周に壁を伴うことなく裸で配置する方法ですね。柱には筋模様が彫られ、柱頭を飾る形式と模様が建築方式を特徴づけています。
    パルテノン神殿が、その特徴を最もよく表していると思います。

    柱で囲まれた床全体の面積に対して内陣の占める割合は小さく、柱と梁の浮き彫りが建物の存在感を強調しています。
    もちろん屋根はあるのですが、そんなに重厚さもなく、曲線的な反りもなく、強く装飾されてもいないですね。

    こうしたことから、ギリシャ建築は「柱の建築」と特徴づけている人もいるようです。
    柱の建築に対して、「壁の建築」もあれば、「屋根の建築」と言われる建物群もあるようです。

    ★こちらも「柱の建築」と言われるサン・ピエトロ大聖堂です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AD%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82
    ★↓は「屋根の建築」と特徴づけられる名古屋城です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/30522466/src.html

  • クロポリスから見たリカベトスの丘です。<br />そして、アテネの街です。<br /><br />私たちのいるアクロポリスの標高は約150mとのことですが、リカベトスの丘の標高は273mとか。見る位置と角度によって随分違うものでね。

    クロポリスから見たリカベトスの丘です。
    そして、アテネの街です。

    私たちのいるアクロポリスの標高は約150mとのことですが、リカベトスの丘の標高は273mとか。見る位置と角度によって随分違うものでね。

  • アクロポリスから見える有名な史跡に、このヘファイストス神殿があります。<br />建設された時期はB.C.460年からB.C.415年頃と言われていますので、パルテノン神殿の建設時期(B.C.449年〜B.C.432年)とダブっています。<br /><br />神殿の形は、パルテノン神殿のようにドーリア式周柱型神殿で、柱の数は前後に各6本、側面に各13本となっています。また、柱も中央が僅かに膨らみ、また僅かに内側に傾いていて、これもパルテノン神殿と同様の傾向です。内室には、ヘファイストスとアテナの像が安置されているそうです。<br /><br />ヘファイストス(ヘーパイストス、ヘパイストスとも)とは、ギリシャ神話12神の一人で、炎と鍛冶と金属加工の神が彼の仕事です。まぁ、鍛冶屋さんの神と言ってもいいでしょうか。<br />彼はゼウスとヘーラー(女神)の子でありながら、両足の曲がった醜い奇形児だったためにヘーラーからも嫌われ、海に投げ捨てられてしまいます(&gt;_&lt;) それを助けられ、成長して、河の神スカマンドロスを屈服させるなどの英雄的な活躍をしたのです。それなのに、それでも母から嫌われ、何とか結婚できたアプロディーテー(女神)からも醜さゆえに契りを拒否され、浮気までされてしまいます(T_T)<br /><br />神といえども、結局は「ルックス」で選ばれるのだ!!!!<br />ギリシャ神話なんて、結局は人をルックスで見て恥じないような気楽な人が書いたものですね。 ギリシャ神話のことを、「鏡に映し出された現代社会だ」とか、「本当に人間くさくて、人間そのものを描いている」なんて言ってる人たちもいますが、私に言わせれば、そんなことを分かったような顔をして言える人は無責任で幸せな人だと思います。<br /><br />「人は顔じゃないよ、心だよ」<br />本当にそうでしょうか!?!? ヘファイストスの苦労は決して他人事ではありません。<br /><br />「ルックスの悪さ」をもって生まれたり、途中で身体が変わったりしたばかりに、周りから冷遇され、人事評価などでも不当に評価され、納得できない人生を生きている人もいるのです!! <br />話をしたことも共に行動したこともない人たちから、ルックスだけを見られ「あんな奴に何が出来る」と言われて、低評価に甘んじてきた人々もいるのです。<br /><br />私自身は、ギリシャ神話のこの話を許せない思いでいっぱいです!!多様な人々の存在を書くにしても、書き方がある!! ルックスのせいで不本意な人生を強いられている人々にも、寄り添ってみて欲しいのです!!ホントに、そう思うのです。 <br /><br />「それが神話だ!」<br />確かに(&gt;_&lt;) 日本の神話も似たところがあるね〜(-_-;)<br />でも、そう言わずに誰もが幸せに・・と思います。 そんな話でなければ、神話とか神とか言わず、おバカな民話程度にして欲しかったですね!!!<br /><br />ちょっと、熱くなってしまいました。<br /><br />★ヘファイストスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9<br />★ヘファイストス神殿の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.975189,23.722143&amp;spn=0.002326,0.00283&amp;iwloc=0004ddb2c09eb69b39ae0

    アクロポリスから見える有名な史跡に、このヘファイストス神殿があります。
    建設された時期はB.C.460年からB.C.415年頃と言われていますので、パルテノン神殿の建設時期(B.C.449年〜B.C.432年)とダブっています。

    神殿の形は、パルテノン神殿のようにドーリア式周柱型神殿で、柱の数は前後に各6本、側面に各13本となっています。また、柱も中央が僅かに膨らみ、また僅かに内側に傾いていて、これもパルテノン神殿と同様の傾向です。内室には、ヘファイストスとアテナの像が安置されているそうです。

    ヘファイストス(ヘーパイストス、ヘパイストスとも)とは、ギリシャ神話12神の一人で、炎と鍛冶と金属加工の神が彼の仕事です。まぁ、鍛冶屋さんの神と言ってもいいでしょうか。
    彼はゼウスとヘーラー(女神)の子でありながら、両足の曲がった醜い奇形児だったためにヘーラーからも嫌われ、海に投げ捨てられてしまいます(>_<) それを助けられ、成長して、河の神スカマンドロスを屈服させるなどの英雄的な活躍をしたのです。それなのに、それでも母から嫌われ、何とか結婚できたアプロディーテー(女神)からも醜さゆえに契りを拒否され、浮気までされてしまいます(T_T)

    神といえども、結局は「ルックス」で選ばれるのだ!!!!
    ギリシャ神話なんて、結局は人をルックスで見て恥じないような気楽な人が書いたものですね。 ギリシャ神話のことを、「鏡に映し出された現代社会だ」とか、「本当に人間くさくて、人間そのものを描いている」なんて言ってる人たちもいますが、私に言わせれば、そんなことを分かったような顔をして言える人は無責任で幸せな人だと思います。

    「人は顔じゃないよ、心だよ」
    本当にそうでしょうか!?!? ヘファイストスの苦労は決して他人事ではありません。

    「ルックスの悪さ」をもって生まれたり、途中で身体が変わったりしたばかりに、周りから冷遇され、人事評価などでも不当に評価され、納得できない人生を生きている人もいるのです!!
    話をしたことも共に行動したこともない人たちから、ルックスだけを見られ「あんな奴に何が出来る」と言われて、低評価に甘んじてきた人々もいるのです。

    私自身は、ギリシャ神話のこの話を許せない思いでいっぱいです!!多様な人々の存在を書くにしても、書き方がある!! ルックスのせいで不本意な人生を強いられている人々にも、寄り添ってみて欲しいのです!!ホントに、そう思うのです。 

    「それが神話だ!」
    確かに(>_<) 日本の神話も似たところがあるね〜(-_-;)
    でも、そう言わずに誰もが幸せに・・と思います。 そんな話でなければ、神話とか神とか言わず、おバカな民話程度にして欲しかったですね!!!

    ちょっと、熱くなってしまいました。

    ★ヘファイストスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9
    ★ヘファイストス神殿の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.975189,23.722143&spn=0.002326,0.00283&iwloc=0004ddb2c09eb69b39ae0

  • 正面に見えるのは神殿なのか?何なのか?分かりませんが、アクロポリスからの光景です。<br /><br />話は↑の続きになりますが・・。<br />↑でいろいろ言いましたが、ヘファイストスの神殿が造られたことは嬉しいです!!<br />何と言っても、鍛冶屋の神さんですからね。現代で言うなら、機械工業の神さんですね。<br />そして、彼の実力があればこそ、神殿が造られたんだと思いますね。<br /><br />なぜ、彼の神殿が造られたのか??<br />ある話によりますと、この神殿の近くには鍛冶職人が多く集まっていたらしいです。<br />この付近で、溶炉や工房の跡が見つかっているというのです。<br />また、手工業や土器づくりの職人も多かったようです。<br /><br />アテネ周辺は土地が痩せていて、農作物の収穫が少なく元々貧しかった町のようでした。それが、B.C.5世紀初めに銀鉱山が見つかって、以来だんだんと裕福になってきて、強大な海軍を持つまでになったとか。<br />こんな背景が、鍛冶職人たちの集住を生み出すようになって、ヘファイストスさんの出番が回ってきたのかも知れませんね。

    正面に見えるのは神殿なのか?何なのか?分かりませんが、アクロポリスからの光景です。

    話は↑の続きになりますが・・。
    ↑でいろいろ言いましたが、ヘファイストスの神殿が造られたことは嬉しいです!!
    何と言っても、鍛冶屋の神さんですからね。現代で言うなら、機械工業の神さんですね。
    そして、彼の実力があればこそ、神殿が造られたんだと思いますね。

    なぜ、彼の神殿が造られたのか??
    ある話によりますと、この神殿の近くには鍛冶職人が多く集まっていたらしいです。
    この付近で、溶炉や工房の跡が見つかっているというのです。
    また、手工業や土器づくりの職人も多かったようです。

    アテネ周辺は土地が痩せていて、農作物の収穫が少なく元々貧しかった町のようでした。それが、B.C.5世紀初めに銀鉱山が見つかって、以来だんだんと裕福になってきて、強大な海軍を持つまでになったとか。
    こんな背景が、鍛冶職人たちの集住を生み出すようになって、ヘファイストスさんの出番が回ってきたのかも知れませんね。

  • またまたヘファイストス神殿が出てきました(^o^)<br /><br />実は、何の勉強もせずに旅に出たモンですから(いつもそうですけど)、このヘファイストス神殿の右(東)の方に古代アテネ時代の「アゴラ(市民の広場・市場)」があったのに、それに気づきませんでした(-_-;) それでも、写真の中にアゴラの位置が写っていたのがこれでした(写真手前の木のないところがアゴラの一角です)。<br /><br />ここには、B.C.5世紀の新・旧の評議会場や公文書保管所、評議員の詰め所などの遺跡があります(アゴラ全体では、民衆裁判所ほか20ほどの施設があります)。<br /><br />古代アテナイと言えば、何と言ってもアテナイの民主政ですよね。アリストテレスは「要塞は寡頭制に似つかわしいが、広場は民主政に相応しい」と言ったそうですが、その広場こそがアゴラなのです。<br /><br />アテネ市民はヒマさえあればアゴラに来て(家事は妻に、仕事は奴隷にやらせていたとか)、ストアを覗いたり、世間話から時事問題とか政治談義をしたり、ソクラテスやプラトンなどの哲学者もここに来て自らの意見を人々の前で発表したり(聞かせたり)議論したりしていたというのです。哲学の「ストア学派」もここから生まれたと言われていますよ(^^) とにかく、コソコソ話したりせず、大声で話をし議論をしあっていたということです。そう言えば、古代ギリシャ・ローマの読書は音読みが普通だったようです。<br /><br />アテネの民主政は、確かにソロンやクレイステネス、ペリクレスらによる制度の創設・改革によって発展した面もありますが、人々が生活の一部としてアゴラで日々議論と学習と交流をしていたことと、無関係ではあり得ないと思いますね。制度と人々の活発な議論とが噛み合っていたと言えるのでしょうか。<br /><br />★アゴラの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9<br />★アゴラの場所は↓にて<br />https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.974464,23.723205&amp;spn=0.001937,0.002033&amp;iwloc=0004dfa8da75477f90bef

    またまたヘファイストス神殿が出てきました(^o^)

    実は、何の勉強もせずに旅に出たモンですから(いつもそうですけど)、このヘファイストス神殿の右(東)の方に古代アテネ時代の「アゴラ(市民の広場・市場)」があったのに、それに気づきませんでした(-_-;) それでも、写真の中にアゴラの位置が写っていたのがこれでした(写真手前の木のないところがアゴラの一角です)。

    ここには、B.C.5世紀の新・旧の評議会場や公文書保管所、評議員の詰め所などの遺跡があります(アゴラ全体では、民衆裁判所ほか20ほどの施設があります)。

    古代アテナイと言えば、何と言ってもアテナイの民主政ですよね。アリストテレスは「要塞は寡頭制に似つかわしいが、広場は民主政に相応しい」と言ったそうですが、その広場こそがアゴラなのです。

    アテネ市民はヒマさえあればアゴラに来て(家事は妻に、仕事は奴隷にやらせていたとか)、ストアを覗いたり、世間話から時事問題とか政治談義をしたり、ソクラテスやプラトンなどの哲学者もここに来て自らの意見を人々の前で発表したり(聞かせたり)議論したりしていたというのです。哲学の「ストア学派」もここから生まれたと言われていますよ(^^) とにかく、コソコソ話したりせず、大声で話をし議論をしあっていたということです。そう言えば、古代ギリシャ・ローマの読書は音読みが普通だったようです。

    アテネの民主政は、確かにソロンやクレイステネス、ペリクレスらによる制度の創設・改革によって発展した面もありますが、人々が生活の一部としてアゴラで日々議論と学習と交流をしていたことと、無関係ではあり得ないと思いますね。制度と人々の活発な議論とが噛み合っていたと言えるのでしょうか。

    ★アゴラの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9
    ★アゴラの場所は↓にて
    https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.974464,23.723205&spn=0.001937,0.002033&iwloc=0004dfa8da75477f90bef

  • 写真中央の木のないところが「プニュクス」と言われるところです(私の推定です)。。<br /><br />「プニュクス」というのは、岩だらけの丘の名前です。<br />見に行っても岩のあるただの広場で、行ってもガッカリすると思いますね(私たちは乗船前の観光ですし、そもそも観光コースに入らないと思います)。<br /><br />Wikipediaによれば、そこは「平らな岩の演壇があり、周囲の斜面に沿って階段が彫られている。そのような地味な外観にもかかわらず、アテネでもそして世界的にも非常に重要な場所である。プニュクスは世界初の民主的立法府、すなわちアテネの民会が会議を開催した場所・・」と紹介されています。 続けて「プニュクスは、クレイステネスが権力を市民に譲渡したB.C.507年ごろからアテネでの市民集会に使われ始めた」とあり、クレイステネスらの改革が、アテネの古代民主政を推し進めたことを書いています。<br /><br />Wikipediaも書いているように、ここは市民集会や民会に使われていたように、常に市民の議論の場であったようですね。民会とは、18歳以上の男子市民が自由に参加して、月に4回開かれる国会のようなものです。<br /><br />プニュクスでは、あの名門貴族で歴戦の闘志だったキモンも、同じく名門貴族でありながら清廉な生活に徹し、力強い中にも理路整然とした名演説をしたペリクレスはもちろん、皮鞣し業者から身を立てて身振り手振りの演説でついにトップに立ったクレオンも、あの平らな岩の上から市民に話しかけ、人々の心を揺さぶったことと思います。<br />そう思いますと、アテネ民主政の心意気に感動せずにはおれませんね。<br /><br />このようなことが、2500年以上も前にギリシャのアテナイで行われていたことに、彼我の歴史のあまりの懸隔にたじろいでしまうのです。<br /><br />★プニュクスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B9<br />★民会の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BC%9A <br />★プニュクスの場所は↓にて<br />https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.971246,23.719992&amp;spn=0.003874,0.004066&amp;iwloc=0004e7315493d794d2c3c

    写真中央の木のないところが「プニュクス」と言われるところです(私の推定です)。。

    「プニュクス」というのは、岩だらけの丘の名前です。
    見に行っても岩のあるただの広場で、行ってもガッカリすると思いますね(私たちは乗船前の観光ですし、そもそも観光コースに入らないと思います)。

    Wikipediaによれば、そこは「平らな岩の演壇があり、周囲の斜面に沿って階段が彫られている。そのような地味な外観にもかかわらず、アテネでもそして世界的にも非常に重要な場所である。プニュクスは世界初の民主的立法府、すなわちアテネの民会が会議を開催した場所・・」と紹介されています。 続けて「プニュクスは、クレイステネスが権力を市民に譲渡したB.C.507年ごろからアテネでの市民集会に使われ始めた」とあり、クレイステネスらの改革が、アテネの古代民主政を推し進めたことを書いています。

    Wikipediaも書いているように、ここは市民集会や民会に使われていたように、常に市民の議論の場であったようですね。民会とは、18歳以上の男子市民が自由に参加して、月に4回開かれる国会のようなものです。

    プニュクスでは、あの名門貴族で歴戦の闘志だったキモンも、同じく名門貴族でありながら清廉な生活に徹し、力強い中にも理路整然とした名演説をしたペリクレスはもちろん、皮鞣し業者から身を立てて身振り手振りの演説でついにトップに立ったクレオンも、あの平らな岩の上から市民に話しかけ、人々の心を揺さぶったことと思います。
    そう思いますと、アテネ民主政の心意気に感動せずにはおれませんね。

    このようなことが、2500年以上も前にギリシャのアテナイで行われていたことに、彼我の歴史のあまりの懸隔にたじろいでしまうのです。

    ★プニュクスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B9
    ★民会の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BC%9A 
    ★プニュクスの場所は↓にて
    https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.971246,23.719992&spn=0.003874,0.004066&iwloc=0004e7315493d794d2c3c

  • アクロポリスの周囲には丘やちょっとした岩山があります。写真中央に見える岩山が「アレオパゴスの丘」といわれるところかと思います。<br /><br />この岩山の付近で、アレオパゴス会議が開かれていたとのことです。<br />アテナイ民主政が定着しつつある中でも名門貴族たちには寡頭政への郷愁が残っており、「アルコン」経験者がこの丘で会議などを開き、アテナイの政治に影響力を持っていたというのです。こうした動きは、民主政の発展の中では古い体質が残っていることを示すもので、民主政の前進の妨げになっていたようです。<br /><br />似たようなことは、私たちの周りでも結構あることで、自治区の三役や評議員の経験者や地元の公務員の上役経験者などが、地域運営の相談役や諮問委員などに担ぎ出され、何ごとも彼らの談合の中で決めていってしまうことをやっていますね。こうなると、年一回の総会はシャンシャン大会になるほかないですね。<br />農協も漁協も業界組合も労働組合も、似たようなことをやっています(&gt;_&lt;) これが日本の政治の土壌であり、また政治や行政の前進にとっての障害にもなっていたりしているんですね(&gt;_&lt;)<br /><br />これではイカン!!と言うことで、そうした動きを封じ込めたのが、あのペリクレスであり、彼の盟友だったエフィアルテスだったというわけです。<br /><br />アテナイ民主政と言っても、全てがいいことばかりではありません。有力者がポストを争うこともあれば、大衆も噂や利害に振り回されて有能な指導者を解任したり追放したり、死刑にしたりしました。偉大な哲学者・ソクラテスも民会によって死刑を宣告されました。制度的には、女性や奴隷など権利を認めなかったという欠陥もありました。<br /><br />しかし、それでもアテナイ民主政を推し進めた人々の知恵と勇気・決断と実行は、今に至るもその価値を失うことはないのです。世界史にとって、何よりも素晴らしい宝だと思います。アテナイの民主政は人々の主体性を鼓舞し、経済・哲学・芸術・修辞学等々・・を発展させたと言っても良いでしょう。<br /><br />アテナイの民主政の欠陥を声高に言うよりも、そこから何を学ぶのか!!それこそが求められているのではないでしょうか。<br /><br />★アレオパゴス会議の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0<br />★アルコンの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3 <br />★アレオパゴスの丘の場所は↓にて<br />https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.972424,23.723455&amp;spn=0.001937,0.002033&amp;iwloc=0004e4087a80c89fad06f

    アクロポリスの周囲には丘やちょっとした岩山があります。写真中央に見える岩山が「アレオパゴスの丘」といわれるところかと思います。

    この岩山の付近で、アレオパゴス会議が開かれていたとのことです。
    アテナイ民主政が定着しつつある中でも名門貴族たちには寡頭政への郷愁が残っており、「アルコン」経験者がこの丘で会議などを開き、アテナイの政治に影響力を持っていたというのです。こうした動きは、民主政の発展の中では古い体質が残っていることを示すもので、民主政の前進の妨げになっていたようです。

    似たようなことは、私たちの周りでも結構あることで、自治区の三役や評議員の経験者や地元の公務員の上役経験者などが、地域運営の相談役や諮問委員などに担ぎ出され、何ごとも彼らの談合の中で決めていってしまうことをやっていますね。こうなると、年一回の総会はシャンシャン大会になるほかないですね。
    農協も漁協も業界組合も労働組合も、似たようなことをやっています(>_<) これが日本の政治の土壌であり、また政治や行政の前進にとっての障害にもなっていたりしているんですね(>_<)

    これではイカン!!と言うことで、そうした動きを封じ込めたのが、あのペリクレスであり、彼の盟友だったエフィアルテスだったというわけです。

    アテナイ民主政と言っても、全てがいいことばかりではありません。有力者がポストを争うこともあれば、大衆も噂や利害に振り回されて有能な指導者を解任したり追放したり、死刑にしたりしました。偉大な哲学者・ソクラテスも民会によって死刑を宣告されました。制度的には、女性や奴隷など権利を認めなかったという欠陥もありました。

    しかし、それでもアテナイ民主政を推し進めた人々の知恵と勇気・決断と実行は、今に至るもその価値を失うことはないのです。世界史にとって、何よりも素晴らしい宝だと思います。アテナイの民主政は人々の主体性を鼓舞し、経済・哲学・芸術・修辞学等々・・を発展させたと言っても良いでしょう。

    アテナイの民主政の欠陥を声高に言うよりも、そこから何を学ぶのか!!それこそが求められているのではないでしょうか。

    ★アレオパゴス会議の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0
    ★アルコンの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3 
    ★アレオパゴスの丘の場所は↓にて
    https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.972424,23.723455&spn=0.001937,0.002033&iwloc=0004e4087a80c89fad06f

  • パルテノン神殿を見て、遠くからでしたがアゴラも見ることが出来ました。<br />アクロポリスを退出するのは、ちょっと淋しいですね。 出来ればもう一度なんて思いますが、それはもう無理でしょう。<br /><br />パルテノン神殿の手近な説明書などを読んで感じたことは、歴史の勉強と同じように、建築様式や外観の説明に終始していて、そこに人々の汗と想いが感じられないことです。<br /><br />パルテノン神殿の柱を構成している「ドラム」の上・下の面をツルツルに仕上げ、そして柱が真っ直ぐに繋がっていくように合わせる作業とはどんなものだったのかを、伝えていないですね。<br />現在なら機械で高精度且つツルツルに仕上げてしまうものを、あの時代はどんな道具があったのか? 石材を削る超硬材料はあったのか? 石の加工はたぶん手作業ですから、汗と疲労で腕も疲れる中、長時間を掛けて削り・磨いたものと思いますね。工具のサイズはどうだったのか?どのように持ち、腕や腰をどう動かしたのか? 家族はどうだったのか?<br />大勢でやれば、作業の要領のいい人・悪い人がいて、仕事の遅い人はムチ打たれたかも知れないですね(作業の要領は、運動神経とは別次元のことなんですよ)。<br /><br />パルテノン神殿は、設計図や管理者だけでは出来ないのです。こうして身体と道具を使って、汗と疲労にまみれ、身を粉にして働く人がいたから完成したのですね。身体を使って貢献した人々にどんな苦労があったのか、どんな喜びや満足があったのか?彼らの道具や仕事の姿勢も含めて、是非書いて欲しいのです!!<br /><br />こんなことを書いていますと、私は歴史の表面しか知らなかったなぁと思います。もっと人々の側に身を寄せて、人々の暮らし向きや仕事の道具や働き方、そして協働や配分の仕方などに関心を持たねばと思います。まぁ、生活史(社会学)や社会史に近い考えかも知れませんが、「人を愛する」という立場から、歴史を丁寧に見ていきたいなと思ったのです。<br /><br />★最近の石材加工技術のことは、「石材加工 機械 画像」のキーワードを検索ウインドゥにコピーされて、検索されてみて下さい。

    パルテノン神殿を見て、遠くからでしたがアゴラも見ることが出来ました。
    アクロポリスを退出するのは、ちょっと淋しいですね。 出来ればもう一度なんて思いますが、それはもう無理でしょう。

    パルテノン神殿の手近な説明書などを読んで感じたことは、歴史の勉強と同じように、建築様式や外観の説明に終始していて、そこに人々の汗と想いが感じられないことです。

    パルテノン神殿の柱を構成している「ドラム」の上・下の面をツルツルに仕上げ、そして柱が真っ直ぐに繋がっていくように合わせる作業とはどんなものだったのかを、伝えていないですね。
    現在なら機械で高精度且つツルツルに仕上げてしまうものを、あの時代はどんな道具があったのか? 石材を削る超硬材料はあったのか? 石の加工はたぶん手作業ですから、汗と疲労で腕も疲れる中、長時間を掛けて削り・磨いたものと思いますね。工具のサイズはどうだったのか?どのように持ち、腕や腰をどう動かしたのか? 家族はどうだったのか?
    大勢でやれば、作業の要領のいい人・悪い人がいて、仕事の遅い人はムチ打たれたかも知れないですね(作業の要領は、運動神経とは別次元のことなんですよ)。

    パルテノン神殿は、設計図や管理者だけでは出来ないのです。こうして身体と道具を使って、汗と疲労にまみれ、身を粉にして働く人がいたから完成したのですね。身体を使って貢献した人々にどんな苦労があったのか、どんな喜びや満足があったのか?彼らの道具や仕事の姿勢も含めて、是非書いて欲しいのです!!

    こんなことを書いていますと、私は歴史の表面しか知らなかったなぁと思います。もっと人々の側に身を寄せて、人々の暮らし向きや仕事の道具や働き方、そして協働や配分の仕方などに関心を持たねばと思います。まぁ、生活史(社会学)や社会史に近い考えかも知れませんが、「人を愛する」という立場から、歴史を丁寧に見ていきたいなと思ったのです。

    ★最近の石材加工技術のことは、「石材加工 機械 画像」のキーワードを検索ウインドゥにコピーされて、検索されてみて下さい。

  • さぁ、これより船に向かいますよ〜(^^)<br />その前に、ちょっとだけお土産屋さんをのぞいていきますけどね。<br /><br />アテナイの民主政の舞台となったところを見て、だんだんと熱くなってしまいました(^_^;)2500年以上も前にその舞台となったところを、遠いところからとは言え見ることの出来たことは何より嬉しいことでした。<br /><br />アテナイが民主政の方向に具体的に舵を切り出したのは、ソロンが実権を握ったB.C.593年頃以降のことです。ソロンは民衆裁判所や民会をつくりました。それをさらに進めたのがクレイステネスで、彼が実権を握ったB.C.524年頃以降500人評議会や陶片追放などの制度をつくりました。そしてアレオパゴス会議を廃止させたペリクレスへと繋がってきたのですね〜(^^)。<br /><br />民主政は人を信ずることが前提ですね。ソロンもクレイステネスもペリクレスも、人を信じていたからこそ、民主的諸制度を提案し指導してきたのだと思います。人々はその信頼に甘んじ、言いたいことを言って、時々大きな過ちを犯してきました。それでも、人を基本的なところで信じてきたからこそ、そうすることが良いと考えたらからこそ、180年もの間、民主政は苦労しながらも保たれてきたんだと思います。<br /><br />一方でアテナイでは哲学や修辞学が発展し、学問の町としても前進してきているのです。<br />哲学だけを見ても、B.C.7世紀頃からタレス、ヘラクレイトス、ソクラテス、アリストレスなどと継続され発展しているのです。アテネのこの時期は、本当に心ワクワクする時代でしたね。<br /><br />この時、他の地域では王政が発展過程にあったというのが殆どでした。<br />歴史の早い段階から発展した中国では、蘇州の「姑蘇城」の建設がB.C.514年と言われています。 地域による政治と発展過程の違いというものを強く印象づけられます。<br /><br />またまた、熱が上がってしまいました(^O^)(~o~)<br /><br />★ソロンの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%B3<br />★クレイステネスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B9<br />★ペリクレスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9

    さぁ、これより船に向かいますよ〜(^^)
    その前に、ちょっとだけお土産屋さんをのぞいていきますけどね。

    アテナイの民主政の舞台となったところを見て、だんだんと熱くなってしまいました(^_^;)2500年以上も前にその舞台となったところを、遠いところからとは言え見ることの出来たことは何より嬉しいことでした。

    アテナイが民主政の方向に具体的に舵を切り出したのは、ソロンが実権を握ったB.C.593年頃以降のことです。ソロンは民衆裁判所や民会をつくりました。それをさらに進めたのがクレイステネスで、彼が実権を握ったB.C.524年頃以降500人評議会や陶片追放などの制度をつくりました。そしてアレオパゴス会議を廃止させたペリクレスへと繋がってきたのですね〜(^^)。

    民主政は人を信ずることが前提ですね。ソロンもクレイステネスもペリクレスも、人を信じていたからこそ、民主的諸制度を提案し指導してきたのだと思います。人々はその信頼に甘んじ、言いたいことを言って、時々大きな過ちを犯してきました。それでも、人を基本的なところで信じてきたからこそ、そうすることが良いと考えたらからこそ、180年もの間、民主政は苦労しながらも保たれてきたんだと思います。

    一方でアテナイでは哲学や修辞学が発展し、学問の町としても前進してきているのです。
    哲学だけを見ても、B.C.7世紀頃からタレス、ヘラクレイトス、ソクラテス、アリストレスなどと継続され発展しているのです。アテネのこの時期は、本当に心ワクワクする時代でしたね。

    この時、他の地域では王政が発展過程にあったというのが殆どでした。
    歴史の早い段階から発展した中国では、蘇州の「姑蘇城」の建設がB.C.514年と言われています。 地域による政治と発展過程の違いというものを強く印象づけられます。

    またまた、熱が上がってしまいました(^O^)(~o~)

    ★ソロンの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%B3
    ★クレイステネスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B9
    ★ペリクレスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9

  • 土産物屋さんに到着しました。<br /><br />アテネに来た証しに、ソクラテスかペリクレスかの人形でも欲しいなと思いましたけど、カミさんには言えなかったですね。<br />「代表取り締まられ役亭主」は、やっぱり辛いのです(-_-;)<br /><br />でもね、当家のカミさんは写真集を買ってくれたのですよ(^^) 感謝m(_ _)mでしたね。<br />今夜もマッサージをしなくっちゃ!!(~o~)

    土産物屋さんに到着しました。

    アテネに来た証しに、ソクラテスかペリクレスかの人形でも欲しいなと思いましたけど、カミさんには言えなかったですね。
    「代表取り締まられ役亭主」は、やっぱり辛いのです(-_-;)

    でもね、当家のカミさんは写真集を買ってくれたのですよ(^^) 感謝m(_ _)mでしたね。
    今夜もマッサージをしなくっちゃ!!(~o~)

  • こちらは、キリストやマリア様です。<br /><br />右の方にあるマリア様の盾はいいですね。

    こちらは、キリストやマリア様です。

    右の方にあるマリア様の盾はいいですね。

  • パルテノン神殿のミニチュア。<br />孫に見せてやりたいですが、ちょっと荷物になりそう(^^;)<br />

    パルテノン神殿のミニチュア。
    孫に見せてやりたいですが、ちょっと荷物になりそう(^^;)

  • バスで移動中に見つけた、トヨタの販売店。<br /><br />「おかあさん!こんなところにトヨタの販売店があるよ!!」<br /><br />こんなとことろで<br />「おかあさん!!」<br />なんて言わなくてもいいのです!!<br />男は黙って写真を撮る(^_^;)<br /><br />それも出来ないなんて、困ったモンですね〜(-_-)

    バスで移動中に見つけた、トヨタの販売店。

    「おかあさん!こんなところにトヨタの販売店があるよ!!」

    こんなとことろで
    「おかあさん!!」
    なんて言わなくてもいいのです!!
    男は黙って写真を撮る(^_^;)

    それも出来ないなんて、困ったモンですね〜(-_-)

  • アテネの人々には失礼だけど・・m(_ _)m<br /><br />ガラクタの山かと思いましたよ!<br />ホントに、密集していますね。<br /><br />アテネ都心部の人口密度の高いのも分かります(^O^)

    アテネの人々には失礼だけど・・m(_ _)m

    ガラクタの山かと思いましたよ!
    ホントに、密集していますね。

    アテネ都心部の人口密度の高いのも分かります(^O^)

  • 教会が見えました。<br />これまで見てきたドイツやフランスの教会とは違いますね。<br /><br />屋根にはトゲトゲしいものもなく、ファサードの表情は落ち着いた感じです。<br />奥にはドーム型の屋根も見えていますよ。<br />ギリシャ正教の教会って、こういう感じなんですかね?

    教会が見えました。
    これまで見てきたドイツやフランスの教会とは違いますね。

    屋根にはトゲトゲしいものもなく、ファサードの表情は落ち着いた感じです。
    奥にはドーム型の屋根も見えていますよ。
    ギリシャ正教の教会って、こういう感じなんですかね?

  • 船が見えました!!<br /><br />なんか、こういう船に乗るのが随分久々な感じがして・・。<br />そう、長江クルーズに行ってましたからね〜。<br />体調もいろいろあったし・・(-_-;)<br /><br />だから、再び大型客船に乗れるのが嬉しかったですよ!!

    船が見えました!!

    なんか、こういう船に乗るのが随分久々な感じがして・・。
    そう、長江クルーズに行ってましたからね〜。
    体調もいろいろあったし・・(-_-;)

    だから、再び大型客船に乗れるのが嬉しかったですよ!!

  • 手続きを終えて、いよいよ乗船です!!<br /><br />クイーン・エリザベス号のことは、いろいろ聞いていましたから期待はしていませんでした。それでも一度は乗ってみたい船ですね。<br /><br />何と言っても、世界でその名を知らない人はいない!言われる<br />「クイーン・エリザベス!!」<br />ですからね!(^^)!<br /><br />写真のお二人は、ホテルでの朝食時に偶然に再会できたご夫妻です(^-^)<br />2009年5月の、「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」でテーブルをご一緒させて頂いたこともあるんですよ(^-^)<br /><br />もう、本当に嬉しい再会でした!!!(*^_^*)<br />こういうことがあるから、人生は楽しいですよね〜〜(^_-)<br /><br />★クイーン・エリザベス号乗船地は↓にて。<br />https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.935025,23.625777&amp;spn=0.007937,0.008819&amp;iwloc=0004e75a88b2d637d240f

    手続きを終えて、いよいよ乗船です!!

    クイーン・エリザベス号のことは、いろいろ聞いていましたから期待はしていませんでした。それでも一度は乗ってみたい船ですね。

    何と言っても、世界でその名を知らない人はいない!言われる
    「クイーン・エリザベス!!」
    ですからね!(^^)!

    写真のお二人は、ホテルでの朝食時に偶然に再会できたご夫妻です(^-^)
    2009年5月の、「カミさんのハタチの還暦記念クルーズ」でテーブルをご一緒させて頂いたこともあるんですよ(^-^)

    もう、本当に嬉しい再会でした!!!(*^_^*)
    こういうことがあるから、人生は楽しいですよね〜〜(^_-)

    ★クイーン・エリザベス号乗船地は↓にて。
    https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.935025,23.625777&spn=0.007937,0.008819&iwloc=0004e75a88b2d637d240f

  • 乗船前に船の前方をパチリ!!(~o~)<br /><br />22万トンなんて超大型船に乗ってしまうと、9万トンなんて小さく見えてしまうかな?なんて思いましたけど、やっぱり大きいですよ!!<br />ホント、大きいです(^O^)(~o~)<br /><br />22万トンが大きすぎたんですよね〜。<br />9万トンくらいが、丁度いいですよ!!<br /><br />★クイーン・エリザベス号の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9_(%E5%AE%A2%E8%88%B9%E3%83%BB3%E4%BB%A3)<br /><br />余計なことながら・・<br />客船の総トン数を「船の総重量」と勘違いされておられる方がたまにおられます。客船の「トン」は「船の総容積から、二重底と上甲板より上の部屋の容積を除いたもの」を表わしています。まぁ、大雑把に言えば船全体の容積(見た感じの大きさ)と思ってもいいでしょう。<br />他によく使われるのが、貨物船のトン数表示にによく使われる「重量トン(積載可能な荷物の、おおよその重さと思えばいいでしょう)」と、軍艦などの表示に使われる「排水トン(これは、船の重量です)」ですね。

    乗船前に船の前方をパチリ!!(~o~)

    22万トンなんて超大型船に乗ってしまうと、9万トンなんて小さく見えてしまうかな?なんて思いましたけど、やっぱり大きいですよ!!
    ホント、大きいです(^O^)(~o~)

    22万トンが大きすぎたんですよね〜。
    9万トンくらいが、丁度いいですよ!!

    ★クイーン・エリザベス号の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9_(%E5%AE%A2%E8%88%B9%E3%83%BB3%E4%BB%A3)

    余計なことながら・・
    客船の総トン数を「船の総重量」と勘違いされておられる方がたまにおられます。客船の「トン」は「船の総容積から、二重底と上甲板より上の部屋の容積を除いたもの」を表わしています。まぁ、大雑把に言えば船全体の容積(見た感じの大きさ)と思ってもいいでしょう。
    他によく使われるのが、貨物船のトン数表示にによく使われる「重量トン(積載可能な荷物の、おおよその重さと思えばいいでしょう)」と、軍艦などの表示に使われる「排水トン(これは、船の重量です)」ですね。

  • それで、きょうからの我が家です!!<br /><br />ベッドがツイン風になっていましたので、カミさんがクルーを呼んでちゃんとしたダブルにして頂きましたよ!!<br />こういう時のカミさんって頼りがいがあるモンね〜!(^^)!<br />何と言っても、この船で12泊するんですからね〜。ちゃんとしなきゃ(^-^)<br /><br />パナマ運河横断クルーズとかアラスカクルーズが、これくらいの日程でした(^^)。<br />一週間の乗船ですとアッと言う間に終わってしまいますが、12泊くらいありますと、ちょっと「旅をした」っていう気分になります。←これ、ホント。<br /><br />★↓はダブルベッドにならなかった例です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19938982/

    それで、きょうからの我が家です!!

    ベッドがツイン風になっていましたので、カミさんがクルーを呼んでちゃんとしたダブルにして頂きましたよ!!
    こういう時のカミさんって頼りがいがあるモンね〜!(^^)!
    何と言っても、この船で12泊するんですからね〜。ちゃんとしなきゃ(^-^)

    パナマ運河横断クルーズとかアラスカクルーズが、これくらいの日程でした(^^)。
    一週間の乗船ですとアッと言う間に終わってしまいますが、12泊くらいありますと、ちょっと「旅をした」っていう気分になります。←これ、ホント。

    ★↓はダブルベッドにならなかった例です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19938982/

  • キャビンに飾ってあった写真です。<br /><br />これがスイートキャビンですと、写真でなくて「絵」なんだと思いますけどね。<br />ま、そんなことはどうでもいいのであります。<br /><br />★↓はスイートキャビンに飾られていた本物の「絵」です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14037231/src.html

    キャビンに飾ってあった写真です。

    これがスイートキャビンですと、写真でなくて「絵」なんだと思いますけどね。
    ま、そんなことはどうでもいいのであります。

    ★↓はスイートキャビンに飾られていた本物の「絵」です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14037231/src.html

  • こんな椅子とテーブルもあります。<br /><br />この椅子とテーブルもよく使います。<br />あ〜、ベランダの写真を撮り忘れました(^^;)

    こんな椅子とテーブルもあります。

    この椅子とテーブルもよく使います。
    あ〜、ベランダの写真を撮り忘れました(^^;)

  • お昼は船で頂くことになっていますので、早速9階のブッフェへやってきました。<br /><br />ここは果物類ですね。<br />

    お昼は船で頂くことになっていますので、早速9階のブッフェへやってきました。

    ここは果物類ですね。

  • こっちは同じような果物でも、ちょっと違います。<br />私はスイカとかパイナップル、瓜類が好きです。<br /><br />船には熟して美味しい果物はありません。<br />どちらかというと、青いうちに積み込んで、熟す前に切って出してる感じですね。<br /><br />船内では、病気の発生が何より警戒されますからね。

    こっちは同じような果物でも、ちょっと違います。
    私はスイカとかパイナップル、瓜類が好きです。

    船には熟して美味しい果物はありません。
    どちらかというと、青いうちに積み込んで、熟す前に切って出してる感じですね。

    船内では、病気の発生が何より警戒されますからね。

  • これを取ってきたのは、私かな??<br />これで満腹になりましたよ。<br /><br />この時点から12泊13日の間、食べ放題の暮らしが始まるのですよ〜(~o~)<br />

    これを取ってきたのは、私かな??
    これで満腹になりましたよ。

    この時点から12泊13日の間、食べ放題の暮らしが始まるのですよ〜(~o~)

  • こっちはカミさんです。<br /><br />なぜだか分かりますか?<br />バナナがあるからですよ。<br />カミさんは、これだけで済むことはないですよ、<br />このあと、何度も取りに行くんですよ。<br />ですから、船に乗ってソンをすることなんて、絶対にないです!!<br /><br />そうなんです!!<br />太りたくない人でも、船に乗ったらどんどん食べて太って下さいね〜!(^^)!<br />そして、下船してから反省ましょう(^O^)(~o~)<br />でないと、クルーズ代金の元は取れないですからね!(^^)!

    こっちはカミさんです。

    なぜだか分かりますか?
    バナナがあるからですよ。
    カミさんは、これだけで済むことはないですよ、
    このあと、何度も取りに行くんですよ。
    ですから、船に乗ってソンをすることなんて、絶対にないです!!

    そうなんです!!
    太りたくない人でも、船に乗ったらどんどん食べて太って下さいね〜!(^^)!
    そして、下船してから反省ましょう(^O^)(~o~)
    でないと、クルーズ代金の元は取れないですからね!(^^)!

  • ブッフェの様子です。<br /><br />皆さんは乗船してヤレヤレといったところだと思います。<br /><br />

    ブッフェの様子です。

    皆さんは乗船してヤレヤレといったところだと思います。

  • パイロットが忙しそうですね。<br /><br />アテネは欧州連合域内では7番目に多い人口がありますし、何と言っても世界的な観光地。物流や人の流れも多いですね。

    パイロットが忙しそうですね。

    アテネは欧州連合域内では7番目に多い人口がありますし、何と言っても世界的な観光地。物流や人の流れも多いですね。

  • そんなこと言ってる間にも、どんどん食べています(~o~)<br /><br />急ぐことは、な〜〜んにもありません(^^)<br />この船で過ごすのですからね〜。<br /><br />大型客船に乗って、好きなモンを頂く・・<br />ま、そういうワケです

    そんなこと言ってる間にも、どんどん食べています(~o~)

    急ぐことは、な〜〜んにもありません(^^)
    この船で過ごすのですからね〜。

    大型客船に乗って、好きなモンを頂く・・
    ま、そういうワケです

  • 船がやってきました。<br /><br />大きな字で書いてあるように、フェリーですね。<br />ヨーロッパのフェリーは客室部分が結構大きいです。この地域でフェリーを利用された方の旅行記などを拝見しますと、客船のような多くの娯楽設備を持っていることが分かりますね。<br />ですから、遠くから船影を見るだけですと、客船と間違えそうです。<br /><br />この港からは、エーゲ海各地へのフェリーが多数就航していますし、大型客船のクルーズの始点にもなっていますよ。<br /><br />ところで、アテネには「アテネ港」という港がないんです。<br />ここはピレウスという町の「ピレウス港」なんですよ。<br />実質的にはアテネ都市圏の港ですから、実質はアテネ港みたいなモンですけどね〜。<br /><br />日本ではそんな例はないですね。<br /><br />★ピレウス港の場所は↓にて<br />https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&amp;msa=0&amp;ll=37.938122,23.642128&amp;spn=0.015637,0.023797&amp;iwloc=0004dd862fc16cf101b54<br />★ピレウスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B9#.E4.BA.A4.E9.80.9A

    船がやってきました。

    大きな字で書いてあるように、フェリーですね。
    ヨーロッパのフェリーは客室部分が結構大きいです。この地域でフェリーを利用された方の旅行記などを拝見しますと、客船のような多くの娯楽設備を持っていることが分かりますね。
    ですから、遠くから船影を見るだけですと、客船と間違えそうです。

    この港からは、エーゲ海各地へのフェリーが多数就航していますし、大型客船のクルーズの始点にもなっていますよ。

    ところで、アテネには「アテネ港」という港がないんです。
    ここはピレウスという町の「ピレウス港」なんですよ。
    実質的にはアテネ都市圏の港ですから、実質はアテネ港みたいなモンですけどね〜。

    日本ではそんな例はないですね。

    ★ピレウス港の場所は↓にて
    https://maps.google.com/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004a829774d7ce3e3375&msa=0&ll=37.938122,23.642128&spn=0.015637,0.023797&iwloc=0004dd862fc16cf101b54
    ★ピレウスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B9#.E4.BA.A4.E9.80.9A

  • 水中翼船が出港していきます。<br />水面からの浮上の低さとお尻を引きずるような姿勢は、どこかで見たな〜と思ったのです。それは長江の三峡で見た水中翼船でした。<br /><br />全体の大まかな形が長江の水中翼船に似ているので、ロシア製?なんて思ってしまいましたね。<br /><br />★↓は長江で見た水中翼船です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23368465/src.html

    水中翼船が出港していきます。
    水面からの浮上の低さとお尻を引きずるような姿勢は、どこかで見たな〜と思ったのです。それは長江の三峡で見た水中翼船でした。

    全体の大まかな形が長江の水中翼船に似ているので、ロシア製?なんて思ってしまいましたね。

    ★↓は長江で見た水中翼船です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23368465/src.html

  • 港に並ぶフェリー達です。<br /><br />ギリシャを中心として、アドリア海とかエーゲ海などの海域では、日本で仕事を終えてこちらに嫁いできた日本のフェリーがたくさん活躍しているとのことです。<br />そして、こちらの仕様に改造されます。客室や飲食・娯楽施設や救命ボートが追加されて、結構大きな船に変わってしまいます。<br /><br />日本では短距離フェリーが多いせいか、旅客用の設備が貧弱で狭いですね。関西や名古屋からの北海道航路の船では、旅客用の設備の充実がある程度見られますね。<br /><br />★太平洋フェリーの船内は↓にてご覧下さいね(大きいお風呂もありますよ)。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10583113/

    港に並ぶフェリー達です。

    ギリシャを中心として、アドリア海とかエーゲ海などの海域では、日本で仕事を終えてこちらに嫁いできた日本のフェリーがたくさん活躍しているとのことです。
    そして、こちらの仕様に改造されます。客室や飲食・娯楽施設や救命ボートが追加されて、結構大きな船に変わってしまいます。

    日本では短距離フェリーが多いせいか、旅客用の設備が貧弱で狭いですね。関西や名古屋からの北海道航路の船では、旅客用の設備の充実がある程度見られますね。

    ★太平洋フェリーの船内は↓にてご覧下さいね(大きいお風呂もありますよ)。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10583113/

  • 私たちのいるところから西の方に続く、貨物港です。<br /><br />コンテナ専用クレーンも林立しており、結構大きな港になっています。<br />それだけの経済力のある町なんですね。<br /><br />余計な話ですが、ギリシャ全体のGNPは、トヨタの連結売り上げの1割増し程度です。

    私たちのいるところから西の方に続く、貨物港です。

    コンテナ専用クレーンも林立しており、結構大きな港になっています。
    それだけの経済力のある町なんですね。

    余計な話ですが、ギリシャ全体のGNPは、トヨタの連結売り上げの1割増し程度です。

  • 燃料の補給でしょうか?<br /><br />クルーズ客船も燃料なしでは航行できませんから、こういう場面をたまに見ることがありますよ。

    燃料の補給でしょうか?

    クルーズ客船も燃料なしでは航行できませんから、こういう場面をたまに見ることがありますよ。

  • こんどは出航していく船です。<br /><br />これは小さいですね。<br />近くの島との航路なんでしょうね。

    こんどは出航していく船です。

    これは小さいですね。
    近くの島との航路なんでしょうね。

  • こちらはクルーズターミナルです。<br /><br />あの人達も乗船されるのだと思います。<br />横断歩道の左側の建物で乗船手続きをしたのですよ。<br /><br />乗船手続きといっても、ただパスポートと旅行者からいただいた書類を出すだけです。

    こちらはクルーズターミナルです。

    あの人達も乗船されるのだと思います。
    横断歩道の左側の建物で乗船手続きをしたのですよ。

    乗船手続きといっても、ただパスポートと旅行者からいただいた書類を出すだけです。

  • ピレウス港の奥の方を眺めてみました。<br /><br />この奥にもたくさんのフェリーが泊まっているんですよ。<br />私たちの船は港の出入り口付近に停泊していますから、奥の方の様子はついつい見落としてしまいそうです。 Google mapの航空写真で見ますと、結構たくさんの船が入っていますねぇ。客船ターミナルもあって、コスタクルーズの10万トン超の大型客船も停泊しています。<br /><br />港の形でもお分かりのように、ピレウス港は入り口が狭くて奥の広い天然の良港だったのです。古代アテネはよく戦争をしましたけど、その際、敵船の接近には入り口を封鎖したと言うこともあったようです。<br />このピレウス港を建設したのが、アテナイ海軍を成長・強化させ、対ペルシャ海戦を勝利に導いたテミストクレスだと言う話があります。B.C.5世紀の話です。<br /><br />★テミストクレスの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9<br />★サラミスの海戦の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6

    ピレウス港の奥の方を眺めてみました。

    この奥にもたくさんのフェリーが泊まっているんですよ。
    私たちの船は港の出入り口付近に停泊していますから、奥の方の様子はついつい見落としてしまいそうです。 Google mapの航空写真で見ますと、結構たくさんの船が入っていますねぇ。客船ターミナルもあって、コスタクルーズの10万トン超の大型客船も停泊しています。

    港の形でもお分かりのように、ピレウス港は入り口が狭くて奥の広い天然の良港だったのです。古代アテネはよく戦争をしましたけど、その際、敵船の接近には入り口を封鎖したと言うこともあったようです。
    このピレウス港を建設したのが、アテナイ海軍を成長・強化させ、対ペルシャ海戦を勝利に導いたテミストクレスだと言う話があります。B.C.5世紀の話です。

    ★テミストクレスの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9
    ★サラミスの海戦の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%B5%B7%E6%88%A6

  • また、フェリーがやってきました。<br /><br />この船は、20分後には出港していきましたよ。<br />忙しい船ですね(^o^)<br /><br />こうやって船の出入りを見ていると、本当に楽しいですね。

    また、フェリーがやってきました。

    この船は、20分後には出港していきましたよ。
    忙しい船ですね(^o^)

    こうやって船の出入りを見ていると、本当に楽しいですね。

  • ほらね、ちゃんと正規?のダブルになってるでしょう!!<br /><br />夫婦はいつでも一緒に寝る!!<br />これは聞こえの良いことですけど、実体を申しますと(ここだけの秘密です)、一緒に寝るとは言いながら、足腰のマッサージをさせられるのですよ。 私はカミさん専属の按摩・マッサージ師に過ぎないのであります(-_-;)<br /><br />その専属マッサージ師をやめられる作戦を考えました!!←まだ秘密です!!<br />ニャンコを飼って、ニャンコを真ん中に入れて3人で川の字になって寝る!(^^)! こうすると、カミさんとの距離が遠くなって、マッサージをしなくて済むかもね!(^^)!<br />よい考えだと思いませんか??

    ほらね、ちゃんと正規?のダブルになってるでしょう!!

    夫婦はいつでも一緒に寝る!!
    これは聞こえの良いことですけど、実体を申しますと(ここだけの秘密です)、一緒に寝るとは言いながら、足腰のマッサージをさせられるのですよ。 私はカミさん専属の按摩・マッサージ師に過ぎないのであります(-_-;)

    その専属マッサージ師をやめられる作戦を考えました!!←まだ秘密です!!
    ニャンコを飼って、ニャンコを真ん中に入れて3人で川の字になって寝る!(^^)! こうすると、カミさんとの距離が遠くなって、マッサージをしなくて済むかもね!(^^)!
    よい考えだと思いませんか??

  • これからディナータイムです。<br />ここはブリタニアレストランです。<br /><br />言い方は悪いですが、ここは下級船客用のレストランです。他にはプリンセス・クラス客用のレストランとか、クイーンズ・クラス客用のレストランがあります。もちろん、こうしたレストランには、私たちブリタニア・クラスの船客は立ち入り出来ません。<br /><br />とは言いましても、現在ではプリンセス・クラスとかクイーンズ・クラスの客は非常に少なく、ブリタニア・クラスの客が利用できない船内設備はほんの一部だけで、全く気にするようなことではありません。<br />日本の客船でも、スイート・キャビンのお客さん専用のレストランを用意している船もありますから、そんなモンです。<br /><br />このような船を「クラス・シップ」と言っていた人もいたようですが、タイタニック号の時代(大西洋横断航路華やかりし頃)は、船客は一等・二等・三等などに分けられ、一等の客達は豪華な船旅を楽しみ、三等の客達は雑魚寝同然の部屋のようでした。三等客は明るいデッキにも出られなかったようです。<br />もちろん、太平洋の客船もそうでしたし、戦後の三河湾でも小さい船ながら等級のある客船が運行されていました。<br /><br />★あの時は、ワンランク上の「カロニア・クラス」にしました(^^)<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/15152565/src.html

    これからディナータイムです。
    ここはブリタニアレストランです。

    言い方は悪いですが、ここは下級船客用のレストランです。他にはプリンセス・クラス客用のレストランとか、クイーンズ・クラス客用のレストランがあります。もちろん、こうしたレストランには、私たちブリタニア・クラスの船客は立ち入り出来ません。

    とは言いましても、現在ではプリンセス・クラスとかクイーンズ・クラスの客は非常に少なく、ブリタニア・クラスの客が利用できない船内設備はほんの一部だけで、全く気にするようなことではありません。
    日本の客船でも、スイート・キャビンのお客さん専用のレストランを用意している船もありますから、そんなモンです。

    このような船を「クラス・シップ」と言っていた人もいたようですが、タイタニック号の時代(大西洋横断航路華やかりし頃)は、船客は一等・二等・三等などに分けられ、一等の客達は豪華な船旅を楽しみ、三等の客達は雑魚寝同然の部屋のようでした。三等客は明るいデッキにも出られなかったようです。
    もちろん、太平洋の客船もそうでしたし、戦後の三河湾でも小さい船ながら等級のある客船が運行されていました。

    ★あの時は、ワンランク上の「カロニア・クラス」にしました(^^)
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/15152565/src.html

  • こちらも大賑わいです。<br /><br />きょうは満室のお客さんかもね?

    こちらも大賑わいです。

    きょうは満室のお客さんかもね?

  • きょうのメニューです。<br /><br />前菜です。<br />写真の色が悪くて、美味しそうには見えませんね。

    きょうのメニューです。

    前菜です。
    写真の色が悪くて、美味しそうには見えませんね。

  • これは、サラダですね〜。<br /><br />見れば分かるようなものばっかりです(^o^)

    これは、サラダですね〜。

    見れば分かるようなものばっかりです(^o^)

  • これは「おでん」です!(^^)!<br /><br />いや、違います!!<br />ハムの厚切りですかね??<br /><br />もう忘れました(-_-;)<br />

    これは「おでん」です!(^^)!

    いや、違います!!
    ハムの厚切りですかね??

    もう忘れました(-_-;)

  • これはデザートです。<br /><br />アイスとビスケットですね。

    これはデザートです。

    アイスとビスケットですね。

  • まぁ、こんな感じでやっております。<br /><br />当家のカミさんには、こうやって簡単に逮捕されてしまうんですよ(^^)<br />「代表取り締まられ役亭主」ですからねぇ〜(^^;)<br /><br />一度くらいは、カミさんを逮捕してみたいですね。<br />皆さんの場合はどうですか?

    まぁ、こんな感じでやっております。

    当家のカミさんには、こうやって簡単に逮捕されてしまうんですよ(^^)
    「代表取り締まられ役亭主」ですからねぇ〜(^^;)

    一度くらいは、カミさんを逮捕してみたいですね。
    皆さんの場合はどうですか?

  • 私たちの食事中、ズッと演奏して下さっていた方です。<br />お疲れさんでしたね。<br /><br />アテネには、訪ねてみたいところがたくさんありますね。<br />そういう点からみれば、ほんの一部を訪ねたに過ぎませんでした。<br />それでも、伝統の匂い豊かなアテネ市内の雰囲気に浸り、ソクラテスの像が見られ、パルテノン神殿を訪れることが出来、そこからアテナイ民主政の舞台となったところを見ることも出来ました。<br /><br />アテナイの民主政は、民主主義(“民衆政治”とも)の原点として、今なお見直され研究されて、発掘も続けられているのです。<br />あのアメリカも、アテネのアゴラ周辺の歴史的意義を、民主主義の原点として位置づけ、現在も発掘・調査・研究をしているとのことです。<br /><br />アテナイの民主政が、現在から見れば少なくない制約を持ちながら(B.C.5〜4世紀と言う時代背景を考えれば、それも致し方ないことかも??)、激しい議論を戦わせながらも命がけで実践されてきたことに、言葉では言い表せない畏敬の念を感じてしまうのでした。<br /><br />明日はミコノス島を訪ねます。その次は、ギリシャ古代史に欠かせないエフェソス遺跡を訪れます。<br /><br />(その3)に続きます。

    私たちの食事中、ズッと演奏して下さっていた方です。
    お疲れさんでしたね。

    アテネには、訪ねてみたいところがたくさんありますね。
    そういう点からみれば、ほんの一部を訪ねたに過ぎませんでした。
    それでも、伝統の匂い豊かなアテネ市内の雰囲気に浸り、ソクラテスの像が見られ、パルテノン神殿を訪れることが出来、そこからアテナイ民主政の舞台となったところを見ることも出来ました。

    アテナイの民主政は、民主主義(“民衆政治”とも)の原点として、今なお見直され研究されて、発掘も続けられているのです。
    あのアメリカも、アテネのアゴラ周辺の歴史的意義を、民主主義の原点として位置づけ、現在も発掘・調査・研究をしているとのことです。

    アテナイの民主政が、現在から見れば少なくない制約を持ちながら(B.C.5〜4世紀と言う時代背景を考えれば、それも致し方ないことかも??)、激しい議論を戦わせながらも命がけで実践されてきたことに、言葉では言い表せない畏敬の念を感じてしまうのでした。

    明日はミコノス島を訪ねます。その次は、ギリシャ古代史に欠かせないエフェソス遺跡を訪れます。

    (その3)に続きます。

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  • fukurandasodeさん 2015/01/18 20:48:31
    よく調べてあってビックリ!!
    初めましてfukurandasodeと申します
    とっても良く調べてあって感心しました…(^_−)−☆
    ご夫婦中も良さそうで…( ^ω^ )
    夫婦でいろんな場所に行けるのは、楽しいですよね〜
    ギリシャは昔に行ったので、感慨深く旅行紀見ました。 あれだけ調べて旅行紀を書くのは、とっても時間がかかったのではないかと…( ̄▽ ̄)
    また訪問させて下さいね♪♪

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2015/01/19 12:10:51
    RE: よく調べてあってビックリ!!←お恥ずかしいです。
    fukurandasodeさん こんにちは(^^)

    こちらへお越し下さってありがとう御座います!!(^_^)v
    また、コメントまで頂いて、嬉しい限りです!(^^)!

    > 初めましてfukurandasodeと申します

    当方こそ、よろしくお願いしますね。

    お名前をローマ字読みしますと“袖”と読めるところがありますが、そこには楽しいことお幸せなことが沢山入っているのではないでしょうか?
    幸せ多いfukurandasodeさんと、お察しします(^^)

    エルサレムもお訪ねになったんですね。
    羨ましいことです。
    私たちもエルサレムに行ける予定だったのですが、その地域で紛争が起こって行けなくなってしまったのです。
    fukurandasodeさんの旅行記で、エルサレムの様子を知ることが出来て、嬉しかったです。

    さて、アテネの旅行記をご覧頂いて、嬉しく思います!!
    fukurandasodeさんはギリシャもお訪ねになったんですね。
    私はいろいろなところへ行きましたが、最後にギリシャ・ローマを訪れることが出来て、本当に良かったと思っています。
    アテネには昔から関心がありましたので、恥ずかしいことも省みず思いの丈を書いてしまいました。
    アテネはもう一度行ってみたいところですね。

    > ご夫婦中も良さそうで…( ^ω^ )

    嬉しいお言葉をありがとう御座います(^^)
    カミさんに「上座」を取られてしまって以来、こういう状況でやっております(^_^;)

    > 夫婦でいろんな場所に行けるのは、楽しいですよね〜

    ホントですね。
    一人では、正直言って寂しいですね(~o~)

    そうそう、fukurandasodeさん宅の猫ちゃん、とっても可愛いですね。
    猫ちゃんと暮らせるfukurandasodeさんが羨ましいです。

    ありがとう御座いました。
    これからもよろしくお願い申し上げます。

    カメちゃん
  • kaz-ykさん 2013/10/13 11:01:40
    暫くです
    カメちゃんさん
    ご来場とご投票に感謝します。
    足跡を辿りお邪魔致しました。

    大変な勉強家に脱帽、詳しく教えて貰え有難うございます。
    小生も歴史は、好きですが、貴方様の足元にもよれません。 反省

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/10/13 12:28:33
    RE: こちらこそ、ご無沙汰しておりました。
    kaz-ykさん こんんちは(^^)

    久々にお邪魔させて頂きました。
    こっそりと・・(^_^;)でしたが、やっぱり足跡が残りましたか(^^)
    各地を旅して、お二人の人生を楽しんおられるkaz-ykさんご夫妻のお姿は、私たちの目標です!!

    定年して10年。
    先輩諸賢からはまだまだ若いと言われる私たちですが、もともとが横着な性分の私でしたから、身体の健康には自信もないのが正直なところです。
    そう言いながら、思い切って地中海まで行ってしまったようなわけでした(^_^)

    これというのも、4トラのお蔭です。
    4トラの皆さんのお元気な旅行記を拝見していますと、やっぱり出掛けてみようという気持ちが起こってきますからね。

    さて、私の拙いアテネ旅行記をご覧いただいて、有り難うございましたm(_ _)m
    海外旅行もボツボツ終わりにしょうかと思うようになりまして、それなら急がずのんびり書いてみようと思ったようなことです。
    拙いコメントを長々と書いてしまって、本当に恥ずかしいようなことです。まぁ、旅の中で感ずることも旅ならではのことと思って、思い切って載せてしまったようなわけです。

    kaz-ykさんは歴史がお好きとのこと。
    歴史は、それを辿れば辿るほど面白くなりますね。

    私の場合は難しいテーマです(-_-;)
    そんなワケで、東・西地中海クルーズの旅行記は焦らず急がず3年以上を掛けて、ノンビリやっていこうと思っています。
    時には、遊びに来て下さいね。

    有り難うございました。
    これからもよろしくお願いします。
    カメちゃん
  • 白い華さん 2013/10/02 06:19:42
    2、450年前・・・の 「パルテノン神殿!の 技術」に 脱帽〜。
    お早う御座います。

    「今頃・・・は、北海道を 旅してる!カメちゃん ご夫妻」だと 思います。が、どうぞ、お気をつけて、北海道を 廻って・・・くださいネ。
    美味しい 食べ物!も 多い。ので、羨ましい〜!デス。
    そんな・・・ お話。も 「待っています」から。。。 (♪)

    さて、見事!な 解説・・・で アテネの 様子。を じっくり!と 拝見し、 いろいろ、考えさせられました。

    「ギリシャの 財政破綻・問題」は、 対岸の火事。との・・・
    「遠い! 外国での お話」と 思いがち。な 私達 日本国。ですが、
    膨らむ! 国債や 利子。
    「この先、 生きていく!子供達・・・は、 将来、 どうなるんだろうか?」と 改めて、 胸が 痛く、辛く・・・なります。

    こうゆう・・・、どうどう巡り!には、
    最近、「頭を 切り替えて、『 考えないこと 』と しています」。
    ネガティブな 思考!を 止めて、
    「ポジティブな コト」に 思い!を 巡らそう。
    ーーー 「明るい 気分」で、 残り!の 人生を 彩りましょう。(♪) 
    (50代。60代・・・の 夫婦!には、 未来が いっぱい!ある。とは 言い切れませんので (笑))

    そんな・・・ 私達。 日本人も、 「かつて・・・は、 明るく、 未来を 語れた」のに、 
    昨今は、「未来・・・を 見よう」とは 怖くて、 考えられず、
    「今。 今日・・・を 生きていく」って 考え!に なってしまう。って アリマスヨネ。


    アテネの 自動車の 信号! 待ち時間・・・に 「車の 隙間!を 移動する お年寄り」を 見て、 
    ーーー 日本も こう・・・なるんだろうか〜? と、 正直、思ったりしています。 (汗)

    そして、 世界遺産「パルテノン神殿」は、首都 アテネ・・・の シンボル!ですね。
    大理石の 石柱!の アップ写真。
    この 接する・・・面!の お話。は、カメちゃん!の 「取り調べ!の 傑作」って 思いながら、
    私も 思考を 巡らし・・・ながら、 図の 解説。を 読ませてもらいました。
    一本の 円柱!も、11個に 分けられてて、「接する!面・・・の 精密さ」を 極めた・・・微妙!さ。も 許されない 構造物。って、
    2、500年前・・・の 古代!ギリシャ人。って 頭が 良かったンですね〜。

    更に、 「まっすぐ・・・では なくて、 真ん中を 6cm ふくらませたり」って 美的!な 構造センス・・・にも 驚き。でした。
    排水が 出来る・・・ように。とか、 「まっすぐ!に しがち」な 素人考え。では ないっ。。。 (汗)

    乗り込んだ! 9万トンの 大型客船 「QE2」は、 やっぱり、世界・・・の 豪華!客船。の 代名詞。。。
    クルーズ・ファンの カメちゃん!ご夫妻・・・には、 お似合い。だし、ひとしお・・・の 想い。が あったこと!と 思いました。

    12泊・・・と、 ゆっくり!と 船旅。。。
    この 先! どんな・・・こと。 どんな・・・もの。 見られるのでしょうか?

        これから もよろしくお願いします。

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/10/05 23:36:48
    RE: 人々の知恵と汗の結晶ですね。
    白い華さん こんにちは!!

    お返事が随分遅くなりましたこと、ごめんなさいね。
    北海道では、予想ですと2日ほどお天気がよくない見通しでしたけど、一日だけ
    霧や弱い雨に出会っただで、あとはよいお天気に恵まれてよかったです。
    お蔭で北海道を今まで以上に身近に感じるようになりました。

    さて、東西地中海クルーズのアテネ編をご覧下さって、有り難うございました(^^)
    下書きのつもりで何でも書いてしまったものを、清書するのも面倒になって長いコメント
    ばかりになってしまいました。
    それにも関わらずお目を通して下さったこと、とっても嬉しく思っています!(^^)!

    > 昨今は、「未来・・・を 見よう」とは 怖くて、 考えられず、
    > 「今。 今日・・・を 生きていく」って 考え!に なってしまう。って アリマスヨネ。

    あの老人の姿は、そのまま日本の現実へと繋がってしまいますね。
    オギャ〜と生まれた赤ちゃんまで含めて、一人当たり1000万円もある国債のことは本当心配ですね。それを「心配ないよ〜」って言う「経済通」の人が多いのですけど、日本の財政・信用などの評価は、外国の格付け会社とか他人がすること。日本国内だけの自己納得的経済観に任せておくことは、危険な感じもしますよね〜。

    私たちの若い頃は「未来図」などにワクワクしたものですけど、今は若者達がインターネットのゲームに埋没している時代でしょうか? 夢もなくなってきた感じですね(>_<)←新幹線に乗っているサラリーマンなどをみますと、マンガ本を読んだりスマホでゲームやマンガ動画をを見ている人がホントに多いですね。

    > 私も 思考を 巡らし・・・ながら、 図の 解説。を 読ませてもらいました。
    > 更に、 「まっすぐ・・・では なくて、 真ん中を 6cm ふくらませたり」って 美的!な 構造センス・・・にも 驚き。でした。

    私の勝手な想像であのような図を書いてしまいました^^;
    私は焼き入れしてある鋼材を、1〜2/100mmの以内の精度で面仕上げをし、それを組み合わせる作業もしまた。また、クレーンを使用した組み付け作業も経験していました。電気や蒸気機関などの動力もない時代に、パルテノン神殿の建設がどのようにして行われたのかと思いますと、その大変さは如何ほどかと色々に想像してしましました。

    幾つかの本を読んでも、本を書く人自身が現場での作業経験がないのでしょうか?そういう話がないのですね〜(>_<) 動力のな時代に腕一本で1〜2/100mmの以内の精度で面仕上げることが、どれほど大変か!!私には考えるほどに気が遠くなります。

    > 12泊・・・と、 ゆっくり!と 船旅。。。
    > この 先! どんな・・・こと。 どんな・・・もの。 見られるのでしょうか?

    この旅では、古代ギリシャのエフェソスのローマ都市とか、マルタ島での聖ヨハネ准司教座聖堂、ローマ、そしてフィレンツェなどの山場があります。
    そこで、何が大事なのか??今からしっかり勉強しなければと思っているのですけど、実力不相応な夢のことゆえ、大言壮語に終わってしまいそうです(-_-;)

    アテネとローマ。
    現代の私たちが抱えている何かに通じるものがあると、思われてならないのです。

    今月中頃までには、北海道編をあげようと思っています。
    また、のぞきに来て下さいね。

    有り難うございました
    これからもよろしくお願いします。
    カメちゃん
  • ガブリエラさん 2013/10/01 06:36:51
    ギリシャ、魅力的ですね♪
    カメちゃん☆

    おはようございます♪

    朝から、たっぷりの遺跡を拝見できて、とてもいい目覚めになってますヽ(^o^)丿
    もともとは、遺跡が好きで、エジプト・トルコなどが一番好きだったので、ギリシャには憧れてました(*^_^*)

    パルテノン神殿、本なんかで見ると小さく見えますが、近くで見ると大きいんですね!!!
    維持が大変でしょうが、残していってほしいですよね♪

    そして、相変わらず仲良しのカメちゃんと奥様!
    やっぱり、ツインはダメですね(^_-)-☆
    猫ちゃんを真ん中に案、却下ですよーきっと(^O^)

    豪華大型客船の旅、続きも楽しみにしています♪
    北海道、気をつけて行ってらっしゃーいヽ(^o^)丿
    奥様にも、よろしくです♪

    ガブ(^_^)v

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/10/01 08:22:13
    RE: ギリシャは良いところでした(^^)
    ガブちゃん お早う御座います。

    だいぶ秋らしいお天気になって、朝も清々しいですね。
    朝早くから見て下さったんですね〜(^_^)v

    > 朝から、たっぷりの遺跡を拝見できて、とてもいい目覚めになってますヽ(^o^)丿
    > もともとは、遺跡が好きで、エジプト・トルコなどが一番好きだったので、ギリシャには憧れてました(*^_^*)

    地中海と言えば紀元前後の遺跡がたくさんあって、いやが上にも「歴史」を感じさせて
    くれます。
    トルコやエジプトと言えば、そういう点ではとても興味あるところですよね。
    このクルーズでも、イスラエルとエジプトが当初予定にあったモンですから、とっても期待
    してたんですよ。古代のエジプトとギリシャの比較なんてのも、考えてみると面白いとおもいます。
    それに、そういうところは時間を掛けてじっくり見たいところですね。

    > パルテノン神殿、本なんかで見ると小さく見えますが、近くで見ると大きいんですね!!!

    本なんかで全体像をみますと、実際の大きさが分かりにくいですよね。
    部分を撮ってくれると、もう少し分かりやすいと思うけど、なかなか思うようにはいきません(^^;)
    お話のように、近くで見ると大きいです!!
    そして、ジッと見ていると、よくもまぁこんなものを造ったモンだと感心してしまいます。
    石は硬いし、重いし、仕上げた面同士ですと滑りやすいと思いますから、神殿を造る
    にはかなりの苦労があったと思います。
    そういう苦労を、もっともっと研究して書いて欲しいものですね。

    > 猫ちゃんを真ん中に案、却下ですよーきっと(^O^)

    やっぱり!!(^^)
    私の安心・安眠のためには、ニャンコは専用ベッドにするのがいいかもね?
    ま、いつのことか??(^O^) 分かりませんけど。


    ガブちゃんは11日からですね(^-^)
    ガブちゃんが元気なので、それがとっても嬉しくて!(^^)!
    風邪など、引かないようにしていて下さいよ〜〜(^_^)v

    有り難うございました。
    これからもよろしく〜!!
    カメちゃん
  • ちょびれさん 2013/09/30 23:54:17
    超力作!
    カメちゃん

    こんばんわ〜

    地中海クルーズの旅行記、いつ出るかいつ出るか・・って思っていたんだけど、いやあ、圧巻の内容!
    これだけ資料を読んで調べる作業だけで相当たいへんだっただろうなあ・・・と。
    あたしならきっと読む途中で挫折しちゃいそうですぅ。

    色んな行ってみたい国の土を踏むだけでもいい!そう書いてらっしゃる気持ちわかりますわかります。
    わたしも同じようにこの頃思いますもの♪
    いまはまだ時間も資金も許されないんだけど、ヨーロッパも行きたいし
    エジプトにも政情が安定すれば是非行ってみたい。
    ギリシャのパルテノン神殿はやっぱり見てみたい♪
    そして目の前に歴史そのものが存在するのを感じてみたいです☆
    12泊船の中、憧れる〜
    このバフェ三昧で太らない為には船内ジムで毎日頑張らねばね〜^^
    しっかりベッドはダブルになりましたね!

    ちょびれ

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/10/01 07:23:08
    RE: 恥ずかしいです(^_^;)
    ちょびれさん おはようございます(^^)

    だいぶ涼しくなりましたね。
    当家では、秋の花の彼岸花が紅白で咲いていますよ(^o^)

    さて、アテネ編をご覧いただいて、嬉しいです!!

    アテネ編は随分遅れてしまいました(-_-)
    相手が古代アテネ。
    パルテノン神殿だけでなく、アリストテレスと民主政などとなると、ちょっと襟を
    正さなきゃ〜とおもって、文庫本程度の本をちょっと読んでみました(^o^)

    最近は「無理をしない」主義になってきましたので、無理せずに書ける分だけ
    書いていましたら、こんなに時間が掛かってしまいました。
    大変なんてことはなかったですよ。

    > 色んな行ってみたい国の土を踏むだけでもいい!そう書いてらっしゃる気持ちわかりますわかります。

    ちょびれさんに私の気持ちを分かっていただいて、嬉しいです。
    歳もトシだし、とにかくそこへ行ってみるだけでいい!!
    「あそこへ行った!!」
    という気持ちさえあれば、あとは勉強すればいいですからね。
    長い旅行でなくても・・と思います。

    > ギリシャのパルテノン神殿はやっぱり見てみたい♪
    > そして目の前に歴史そのものが存在するのを感じてみたいです☆

    地中海は、やっぱり歴史感じますね。
    先人の必死な努力を思いますと、胸にジンとくるものがありますね。
    ちょびれさんも、お出掛けになる時がきっとくると思います。
    その時の、トキメクお話をお聞きしたいなと思いますよ(^^)

    > しっかりベッドはダブルになりましたね!

    これだけは、欠かせません!!(*^_^*)
    安眠・安心のためにもね(^-^)

    旅行記はこれからです。
    山場が幾つかあるのも楽しみです!!
    ゆっくり書きますので時間が掛かりそう(^^;)
    でも、見て下さいね!!(^_^)v

    嬉しいご訪問!!感謝です!(^^)!
    お身体、大事にして下さいね!!!
    カメちゃん

    Ps.
    余計なことながら・・
    きょうから4日間、北海道の紅葉をみてきますね(^_^)v

    ちょびれ

    ちょびれさん からの返信 2013/10/01 09:09:43
    RE: RE:おお!
    色づく北海道、自然満喫+グルメもね♪

    気を付けていってらっしゃい!暖かくしてね!(^^)!

    ちょびれ
  • norisaさん 2013/09/30 17:39:45
    素晴らしい!
    カメちゃんさん

    すごくお久しぶりです。

    今回の地中海クルーズ、素晴らしいですね。

    クルーズも素晴らしいのですが、解説が懇切丁寧。
    このまま出版できそうです(笑)
    とてもこうは書けません!

    地中海クルーズは波も荒くなさそうなのでいずれチャレンジしたいです。
    美しい海においしい食事、行く先々の美景。

    これぞ至福の旅ですね!

    norisa

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/09/30 19:23:18
    RE: 有り難うございます!!
    norisaさん こんにちは(^^)

    ご訪問頂いて、とっても嬉しいです!!
    そして、ご無沙汰しておりますm(_ _)m

    さて、アテネ編をご覧いただいて有り難うございました。

    > 今回の地中海クルーズ、素晴らしいですね。

    この地中海クルーズは、当初のコースは本当に素晴らしいものでした。
    情勢の変化でそれも変わってしまいしたけど、それでも古代ギリシャの遺跡
    見物が出来て、本当に楽しいクルーズでした。

    > クルーズも素晴らしいのですが、解説が懇切丁寧。

    最初はとにかく思ったままを書いてみて、あとで適当なサイズにしようと
    思っていたのですけど、もう面倒くさくなってそのまま載せてしまいました(^_^;)
    長々と書いてしまったことは、恥ずかしい限りです(-_-)
    でも、言いたいことのあるのも事実ですしね(^^;)

    お話の地中海クルーズは是非お出掛け下さいね。
    古代のギリシャ・ローマに想いを馳せてみるのも良いですし、
    地中海の光景を楽しむのも良いですからね。

    > 美しい海においしい食事、行く先々の美景。
    > これぞ至福の旅ですね!

    全く、お話の通りですね。
    歴史もありますし、しっかり楽しめます(^_^)v

    嬉しいお話を有り難うございました(^_^)
    これからもよろしくお願いしますね。
    カメちゃん
  • 大目付さん 2013/09/30 15:26:06
    カメちゃんさん今日は〜。お久しぶりです。
    やっと地中海クルーズ2が出ましたね。随分待っていましたが、これだけ丁寧に事細かく載せられるのは時間も労力も半端なかったのでは無いでしょうか?。

    時間が掛かっているのも納得出来ました。

    先日カメちゃんさんと一緒のこの旅に行ったUさんとも話していたところでした。

    相変わらず楽しい旅行記を久しぶりに拝見しました。

    最近他に興味があって4trからは離れています。では、またお邪魔します。


                                 〜大目付〜

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/09/30 16:36:55
    RE: 有り難うございましたm(_ _)m
    大目付さんさん こんにちは(^^)

    アテネ編をご覧下さったのですね(^^)
    有り難うございましたm(_ _)m

    いつの旅行でもそうですが、ギリシャやアテネのことも殆ど知りませんでした。
    知っていたことと言えば、ソクラテスのことをちょっとだけ(^^)
    あとは、最近の経済破綻ですかね。

    古代アテナイと言えば、あのパルテノン神殿とソクラテスとアテナイ民主政ですよね〜。
    色々思うところがあっても、そこの土を踏んだことがなければ、その思いは根無し草みたいなモンですからね。

    そういう点では、今回はアテネの土を踏んだだけでなく、多少の観光も出来て本当に幸せでした。
    あの旅行の時は長江クルーズを描いている最中で、東地中海へはなんの予習もせずに言ってしまいましたから、もういっぺん行ってみたいですね。

    > 先日カメちゃんさんと一緒のこの旅に行ったUさんとも話していたところでした。

    そうでしたか。
    Uさんにも、私の旅行記のことをお伝え下さいね。
    そして、御批評をいただければ、うれしいです。

    > 相変わらず楽しい旅行記を久しぶりに拝見しました。

    嬉しいお話をありがとうございます!!
    カミさんとカカア天下持ち回りでやっておるようなわけでして、相変わらずマッサージなどに頑張っております(~o~)

    有り難うございました。
    これからもよろしくお願いしますね。
    カメちゃん

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