2013/09/07 - 2013/09/15
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akiyasuさん
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去年(2012年)、上野で開かれたインカ帝国展を見てからずっと行きたかったペルー・マチュピチュへ。
成田発のアトランタ経由で、リマ〜クスコ〜アグアスカリエンテス(マチュピチュ村)〜プーノ〜ナスカを回ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エス・ティー・ワールド
-
アメリカン航空に比べて割安のデルタ航空を利用しました。
まずは乗り継ぎ地のアトランタ・ハーツフィールド空港まで11時間のフライトです。
残念なことに、座席のモニターが壊れてて、映画見れませんでした。 -
アトランタで乗り継いだ後、さらに7時間のフライトでやっとペルーの首都リマにあるホルヘ・チャベス空港に到着。
日本との時差は14時間。
着いたのは夜11時過ぎでしたが、空港は混雑してました。 -
日本語のガイドさんとともに、新市街にあるカルメルホテルへ。
新市街とはいえ、リマは治安が良くない(特に夜)とのこと。
約1ヶ月前に、NHKのクルーがカメラ一式強奪されたのもリマ。
空港からホテルまでは車でしたがガイドさん曰く、
「カメラ等を持ってたら信号待ちしてる時に窓ガラス割られてカメラ強奪されるので、外からは見えないところに置いといてください。」だって。 -
ホテルの部屋からの景色はこんな感じ。
朝方に撮影しました。 -
そして再びホルヘ・チャベス空港へ。
昨夜は暗かったのであまり街が見えませんでしたが、
明くなったので、街中を見ながら。
6月〜9月は冬で、ガルーアと呼ばれる霧が空を覆うため、天気はどんよりとした曇天。 -
そしてペルビアン航空にてクスコへ。
所要約1時間半。 -
クスコ到着。
標高約3400m。
少し階段あがっただけで息切れ、、、
空気はやはり薄い。
隣は一緒に旅した妹。 -
インカ帝国の首都だったクスコはケチュア語で「ヘソ」の意味。
16世紀にスペイン人の侵略を受けてインカの人々は山奥に追いやられた後、
スペイン人はインカの礎石の上に教会などの建物を造ったため不思議なコントラストの建物が並んでいます。
インカの精密な石組みはまた後で。 -
昼からはクスコ市内観光へ。
まずはサント・ドミンゴ教会。
昔はコリンカチャ(太陽の神殿)と呼ばれてたところです。
当時この神殿は黄金だらけで光り輝いていたみたいだけど、
侵略したスペイン人にほとんどを奪われて、更に石組みの上を取り壊してその土台の上に教会を建てられました。
しかし、その後のクスコの大地震でこの教会は崩れ落ちたけど土台の石組みはひずみ一つ起こさずに残ったことから、
インカの石組みの精巧さが計り知れます。 -
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これがインカの石組みです。
この精巧さには感服せざるを得ません。 -
続いて、元々は要塞だったサクサイワマンに。
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巨大な岩も、インカ人の手にかかればこの通りぴったり。
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スペイン人に反逆を企てたマンコ・インカが陣取ったサクサイワマン。
夜は戦わないインカ兵のスキをつかれ敢え無く陥落したみたい。 -
ガイドさんとともに。
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愛くるしいアルパカもいます。
1ドルで写真を撮らしてもらいました。 -
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石を組み合わせたのではなく、削って作られたケンコー遺跡。
中は洞窟になっていて、生贄に使われたとみられる台も。 -
ここはインカ時代の沐浴場タンボマチャイ。
標高約3900mくらいだったかな。
真ん中からは水が流れているんですが、
この水の水源は謎みたいです。 -
夜のアルマス広場。
侵略したスペインはまず街の中心にアルマス広場を作って、
そこから街づくりをしました。
そのため、殆どの都市にはアルマス広場があります。 -
夜ご飯は、アルマス広場が見渡せる、
TUNUPAというお店。
ビュッフェスタイルで、アルパカのお肉が鹿肉に似てて思いのほか柔らかく美味でした。 -
ペルー名物のセビーチェ。
白身魚やタコなどの海鮮類を酸っぱく味付けしたマリネみたいなの。
僕は好きな味です。 -
民族音楽、フォルクローレショーを見ながら。
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食後は12角の石を見に。
よく「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われるインカの石組みですが、
その象徴的な岩がこの12画の石だと思います。
四角で済むとこをワザワザ12画にしたということは何かしらの意味があっるんだと思います。 -
ホテルに帰る前に、アルマス広場にいた警察官に写真を撮ってもらいました。
ペルーはスペイン語圏なんですが、
警察は「ポリシア」と言うみたいです。 -
クスコの夜景は綺麗です。
ブレてますが… -
翌日、朝4時15分ホテル発で、車にてオリャンタイタンボ駅へ。
クスコからオリャンタイタンボ駅までは車で約2時間。 -
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そして、インカトレイルにて、アグアスカリエンテス(マチュピチュ村)に。
所要約2時間。 -
アグアスカリエンテス駅からはすぐさまバスに乗り換えて、マチュピチュ遺跡に向かいます。
村から遺跡まではハイラム・ビンガムロードを通って約20分。 -
遺跡の入り口です。
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そしてマチュピチュ遺跡です。
標高約2400mなので、クスコより空気は濃いけど、
日射しはキツい。 -
こんな高地に、しかも道具など紐くらいしかなかった時代に、
どうやってこの遺跡を作ったのか、当時のインカの人々の姿に思いを馳せると何とも言えない気持ちになりました。 -
遺跡はまるで迷路。
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王の別荘にある石臼のようなもの。
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王様のベッド。
王とは、マチュピチュを建設したパチャクティー皇帝。
この石と壁に竹をかけてベッドにしていたらしいです。 -
なんと、これは王様の水洗トイレ。
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丸みを帯びた自然石の部分(下)が陵墓で、上の石組みが太陽の神殿。
太陽の神殿には窓が二つあり、冬至と夏至の日にだけ窓から真っ直ぐ入った光が中にある黄金の像を照らしたらしい。 -
遺跡とワイナピチュ山、更に遺跡の下方を流れるウルバンバ川を模した石碑。
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インティワタナと呼ばれる日時計。
ガイドさんがコンパスを置いてくれましたが、
この石の角と方角がピッタリと一致していました。 -
遺跡によく似合うアルパカ。
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天体観測の石。
これに水を入れ、夜空を観測していたと考えられてます。 -
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コンドルの神殿。
神殿の内部は元々は牢獄だったと考えられてる。
古代インカの世界観では天空をコンドル、地上をピューマ、地下を蛇が守ると考えられてたらしく、天空に限りなく近いマチュピチュにこのコンドルがあるのも頷けます。 -
マチュピチュの全景。
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ここでワイナピチュ山を望みながら休憩。
写真には写ってませんが真下には遺跡が広がっています。 -
市街地入り口の門。
額縁のようにして奥にはワイナピチュがそびえ立っています。 -
右側がワイナピチュ山。
左は小ワイナピチュ山。
マチュピチュ遺跡は、ケチュア語で老いた峰を意味するマチュピチュ山と、若い峰を意味するワイナピチュ山に挟まれています。 -
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精巧な石組みは、インカの特色で、
切った石の断面を叩き石で叩き、滑らかにして組み合わせています。
門の上のでっぱりは、木の扉を取り付けるためのものみたいです。 -
そして石組みは位が高い人の家ほど完成度が高くなっています。
これは王の部屋なので石組みの完成度がとても高いです。 -
マチュピチュ遺跡ができたのは1450年ごろ。
その時代に、誰も近づけないような山の尾根にこれだけの規模の都市を創り上げたインカ人のすごさは想像のはるか上をいきます。 -
手前はアンデネスと呼ばれる段々畑。
この段々畑は水の流れを調整するように作られていて、
ジャガイモなどの農作物を栽培していたといわれてます。 -
至る所にある水汲み場。
インカの徹底した水の管理システムには本当に驚かされます。
完成後600年近く経過するのに未だに水が流れています。 -
マチュピチュを発見したのはアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガム。
1911年7月24日のことらしいです。
こんな山奥の、しかも下からは全く見えない遺跡をよく発見したなと思います。
マチュピチュ遺跡に関する古い記録「非常に高い山の頂きにあり、精巧な技術で建造された壮大な建物がそびえ立つ」を見て探してたみたいで、
まるでインディージョーンズの世界ですね。 -
でも実は太陽の神殿の中にあるこの岩の落書きに「1908」と書かれていて、
これが本当ならハイラム・ビンガム以前に誰かが発見していたということになるらしい。 -
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これらは夜のマチュピチュ村。
雰囲気良くて、何でもあって、過ごしやすく良い町でした。 -
翌日は朝5時起きでワイナピチュ登山へ。
ワイナピチュ山は1日に7時〜200人、10時〜200人の入場制限があります。
環境保全と、急勾配で危険なので安全のためですかね。 -
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急斜面を登って行きます。
ワイナピチュは標高2700mなので、空気が薄くさすがにしんどい。 -
狭い岩もくぐって。
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外国人を抜き去り一番乗りで登頂しました。
普段はなかなか見られない反対側からのマチュピチュ遺跡です。
左に見える道がハイラム・ビンガムロード。
村と遺跡を繋いでいます。 -
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ワイナピチュからの帰りは、月の神殿へ。
軽い気持ちで行ったら、なんと山頂から40分かかり、さらにそこからワイナピチュ山の出口まで1時間半。
これでかなり体力削られました。 -
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最後にマチュピチュ遺跡をまわってお別れをしました。
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村に降りてからは腹ごしらえにレストラン・プエブロビエホへ。
これはロモサルタドという現地の肉料理。
美味しい! -
これは食用ネズミのクイ。
味はチキンのようでした。 -
翌日は、クスコからインカエクスプレス(バス)にてプーノへ。
所要9時間。
その道中、いくつかの遺跡を巡ります。
ここはアンダ・ワイリーヤス教会。 -
なんとスタバ!と思ったら偽物でした。
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ここはラクチ遺跡。
インカ時代に建てられたヴィラコチャの神殿跡です。
この時下痢で体調悪く、ガイドさんの解説あまり聞いていません。 -
遺跡に現れたおじいちゃん。
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今回の旅行の最高到達点ララヤ峠。
富士山を軽く超えます。 -
この可愛い顔。
アルパカです。 -
プカラ遺跡近くの町並み。
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今回お世話になりましたインカエクスプレス。
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プーノの街に着きました。
ホテルからの街並みです。 -
町の市場にて。
体調悪く食べれず。 -
プーノの夜の街並みです。
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そしてお馴染みのカテドラル。
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翌日の朝、早起きしてタクシーを手配し、
街が一望できるコンドルの丘に。 -
この通りプーノの街が一望できます。
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そして、ホテルで朝食後に、
船でチチカカ湖へ。 -
チチカカ湖にはトトラという藁のような物で作られた島・ウロス島が点在しています。
元々は、スペインの侵略から逃れたウル族の人々が住み始めたみたいです。 -
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そして上陸。
足場はフカフカです。 -
島民の方がウロス島の作り方を教えてくれました。
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島の原材料トトラ。
島の材料というだけでなく、写真のように熱冷ましにも使ったり、
なんと食べることもできます。
無味でしたが。 -
ウル族の人たち。
標高が高いので、気温は低いですが、紫外線は強く、
日に焼けています。 -
みんなと衣装を着て記念撮影。
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島の全景はこんな感じ。
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トトラで作られたこの船で、隣の島を目指します。
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船頭さんと、今回の旅でお世話になりましたMさん。
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3時間ほどウロス島を観光した後、
プーノに戻りました。 -
そして昼食。
チチカカ湖で取れたニジマスのソテー。 -
午後にはラン航空で、
アレキパ経由して首都リマへ。 -
翌日の朝。
3時半ころホテルを出発してナスカへ。 -
途中、タンクローリーが横転していました。
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ピスこの飛行場です。
ここからナスカへセスナ機で向かいます。 -
キャプテンとの一枚。
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計器類は全く意味不明です。
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そして宇宙人やハチドリなど、10個ほどの地上絵を見て空港へ戻ってきました。
地上絵は、説明不要ですね。 -
帰りは海のそばのレストランにて昼食。
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ここのセビーチェはとても美味しかった。
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そして車で再びリマへ帰る途中、
信号待ちの間に芸をするアルゼンティーナを発見。 -
こちらは男性。
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お世話になったガイドさん。
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そして夜の便でアトランタへ。
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アトランタにてトランジットが6時間ほどあったので、
市内観光へ。 -
たどり着いたのがCNNの本社。
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車内見学ツアーにも参加しました。
そして飛行機で成田へ。
長かった旅もこれにて帰路です。
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