2013/09/12 - 2013/09/13
488位(同エリア2327件中)
おしどりさん
西国33カ所めぐり第27番札所 書寫山圓教寺へ9月12日参拝に行きました。朝6時半東大阪市を出発途中淡河SAで休憩し8時30分到着。ロープウェイで山上へ着きましたが小雨が降ってきたので初めてバスに乗って権現坂まで送ってもらいました。西国霊場の最西端で書寫山に建つ圓教寺は西の比叡山とも言われるほどの大寺院です。966年に山岳信仰の場として知られていた書寫山に性空上人が草庵を結んだのが始まりとと寺伝に書かれています。上人はここで六根清浄(眼、耳、鼻、舌、身、意)を文殊菩薩様からのお告げで悟りを開いたと言われています。更に桜の生木に六臂如意輪観音像を刻ませて摩尼殿(本堂)を建立しました。性空上人の名声は都まで届き花山法皇から”圓教寺”の寺号を与えられ天皇の祈願所としての待遇を得ました。その後大講堂、常行堂、多宝塔などが建立されましたが戦国時代に多くの騒乱に巻き込まれ寺は荒廃しましたが江戸時代に入り本来の荘厳さを取り戻し西国霊場の札所として賑わいを見せるようになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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播磨地区の地図です。
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書写山ロープウェイの駐車場
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名物の書写だんごの売店ですが朝8時30分なのでまだ閉店しています。
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切符売り場で往復切符を購入します。大人1名往復900円です。
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朝1番ですのでガイドさんが窓ガラスを拭いています。ご苦労様。
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山上までは約4分です。
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このロープウェイがないと山上へ登るのは大変です。
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山上から降りてきました。
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山上駅です。
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書寫山圓教寺の散策絵図。広大な土地です。
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入山には志納金として一人500円納めます。
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性空上人の教えを請うため書寫山を訪ねた和泉式部ですが上人に居留守を使われました。これを嘆いた式部が”暗きより暗き道にぞ入りぬべき遙かに照らせ山の端の月”と読みました。栄華を誇る都の人々との交流を避けひたすら修行に打ち込んでいた上人でしたが、この歌に胸を打たれ式部一行を呼び返し丁寧に法を説いたそうです。
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式部の生涯のあらましを説明しています。
幼名は許丸(もとまる)。名だたる儒家の大江家に生まれました。父は大江雅致(まさむね)。一家は学問のほかに母の妙子(昌子内親王のおん乳母)とともに、昌子(しょうし)内親王さまのお守り役をつとめました。昌子内親王さまは冷泉天皇の皇后(御父は朱雀帝)です。和泉式部はそうした教養溢れる雰囲気のなかで歌才に恵まれた美少女としておほらかに育ちます。 -
幼い日の和泉式部(お許丸)の毎日は内親王さまがお育てになっている幼いご兄弟の皇子さまと仲良く遊ぶことでした。皇子の御名は兄宮さまは為尊(ためたか)親王さま、弟宮さまは敦道親王さま、そして別邸にはその上の二人の兄宮さま(のちの花山天皇と三条天皇)がお暮しでした。お許丸のお相手はこうしたご身分のかたばかりでした。このご縁が彼女の生涯のコースをのちのちまで定めてゆきます。
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やがて三人は成人してゆきます。兄宮様は弾正ノ宮(司法官)に、弟宮の敦道親王は帥ノ宮(措置の宮、行政官)になられます。お許丸も才色秀でた新進歌人・和泉式部として名をあげてゆきます。その頃三人が幼い時からお慕いしていた昌子内親王様がご病気療養のために和泉の大江邸に滞在して、その家で薨去なさいます。その時兄宮さまは淡い恋情を和泉に抱かれますが翌年に早逝されます。そして弟宮敦道親王と和泉の”大きな恋”が始まります。
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弟宮の敦道親王は和泉にぴったりの多感な貴公子でした。容姿端麗、立居もきわ立っていました。和泉はいいます。「敦道親王こそ幼い日からわたしが夢見てきた最高の男性像です」初めての添寝の翌朝和泉は心身の深い満足度をこう詠います。
世のつねの ことともさらに思ほえず はじめて物を思う朝は
教養を突き破って自分の感情を歌いあげる大胆さ。この”歌魂”こそ彼女の特性であり、目のさめる近代性でした。 -
敦道親王は自宅の南院に和泉を住まわせました。翌春の加茂大祭には二人が相乗りした牛車が御簾を揚げて都大路へ出ました。そうした相愛の歌を彼女は”和泉式部日記”の中にたくさん遺します。親王の御子石蔵宮も生まれ生涯をかけた大恋愛でした。しかし二年後この最愛の敦道親王も二十七才で亡くなりました。その魂祭の夜、和泉は涙を涸らしうたいます。
亡き人の 来る夜と来けど君もなし わが住む里や魂なきの里 -
弟宮を亡くしてやつれ果てる和泉の姿を心配して関白道長は肩をたたいて「中宮の彰子はわしの娘だが、中宮御所へいって歌でも教えてやってくれないか」と気分転換をすすめます。道長は器の大きい人でした。彰子も利発で教養高い美妃でした。中宮御所には紫式部、伊勢大輔、赤染衛門など超一流の女性メンバーが揃った文学サロンがあります。彰子は「お美しいお子さんの小式部内侍もご一緒にどうぞ」と温かく和泉を迎えてくれました。
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いつもは山上駅から20〜30分山道を歩くのですがこの日は小雨になりました。生憎傘の用意が無かったのでバスを利用することにしました。滅茶苦茶楽ちんです。一人往復で500円です。暑い夏場は利用するお年寄りが多いそうです。
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雨が強くなってきました。歩かなくて正解でした。
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バスを降りて摩尼殿へ向かいます。
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はづき茶屋、徒歩で来たらとても有りがたい休憩所です。まだ朝早いので開店していません。
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はづき茶屋のお土産品
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西国33観音を祀るお堂です。
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立派な石碑です。
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徒歩で来たらこの橋を渡ってきます。
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石段の下から摩尼殿を見上げます。
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摩尼殿への石段です。
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上から昇ってきた石段を振り返りました。
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すごい造りですね。単層入り母屋造りと言われ西暦970年に建てられましたが大正末に失火が有り昭和8年に建て直されました。
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慈母観世音菩薩さまです。
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書寫山圓教寺散策絵図です。
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摩尼殿立派ですね。
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摩尼堂の内部
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賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)撫で仏として人気があります。
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昭和12年寄贈と書かれています。
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花山天皇書寫山行幸記です。当時の天皇家の権力と圓教寺の僧侶の権威がよく分かります。
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三之堂(大講堂、食堂、常行堂)へいきます。いずれも国の重要文化財です。
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摩尼堂の裏です。
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舗装はされていませんが歩きやすい道です。
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栂の大木です。
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三之堂までは約5分くらいです。
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何か見えてきました。
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杣観音堂(そまかんのんどう)杣とは古代国家や権門が所有していた山林の事で、杣から切り出された木や従事する人の事も含む。よって従事する人々の無事を願って建てられたと思います。
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樹齢700年の杉です。
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常行堂です。
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正面が食堂、左が常行堂で右が大講堂です。
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大講堂です。
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常行堂
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食堂
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大講堂
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常行堂
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後白河法皇の勅願で建立されました。
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食堂
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食堂
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食堂
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ご朱印をいただきました。
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前回は平成22年9月でした。
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昼食にたつの市のすくね茶屋へ行きました。このお店の100M程北側に野見宿祢(のみのすくね)のお墓が有ります。宿祢は怪力で相撲を取ったり埴輪を造ったりして文武両道の神様としてあがめられています。すくね茶屋で使用している御箸は宿祢神社で御祈願を受けているそうです。
余談ですが宿祢が龍野(兵庫県)で病死した時、出身地の出雲の人々が来て野に立ち河原より現在のお墓にまで石を運んだことにより、野に立つが”立野”現在の”龍野”の名前の由来になっているそうです。 -
美味しそうな店です。地元の人が教えてくれました。
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メニューです。
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趣があって良い雰囲気です。
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メニュー
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日替定食 1500円 予想より豪華です。
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