2013/03/23 - 2013/03/23
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KawakamiKenさん
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徳川家霊廟に行ってきました。
「徳川家」の「15代」中「6代」の将軍のお墓があります。
徳川2代将軍「秀忠」その妻の最近有名になった「お江」のお墓もありました。
間近に「将軍家」のお墓を拝めるのには感動しました。
期間限定だそうです。
感動&勉強になりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
-
「徳川家霊廟」 の 「特別公開」 です。
「増上寺」 にあります。 -
「期間限定」 だそうですが、年初を除いて 「土・日・祝日」 は公開している模様。
「特別」 の価値が・・・ -
境内の 「隅(北西」」 に位置してます。
「戦後」 に 「移転」 されたようです。 -
「500円」 の拝観料がかかります。
-
まず、6代将軍 「家宣」 の 「公宝塔前の中門」 が移築されてます。
この奥に 「霊廟」 があります。 -
「徳川家霊廟」 の説明です。
「1945年」 の 「空襲」 でほとんどが 「焼失」 とあります。 -
入口付近です。
「寛永寺(上野)」 の墓所は 「非公開」 なので嬉しい限りです。 -
「桜の季節」 もあって 「団体客」 が多く、写真を撮るのに一苦労。
-
ここ 「増上寺」 の墓所には、
「6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)」
が葬られています。 -
参考までに、
1代 「徳川家康」 は 「久能山東照宮」と「日光東照宮」
2代 「徳川秀忠」 は 「増上寺」
3代 「徳川家光」 は 「輪王寺」
4代 「徳川家綱」 は 「寛永寺」
5代 「徳川綱吉」 は 「寛永寺」
6代 「徳川家宣」 は 「増上寺」
7代 「徳川家継」 は 「増上寺」
8代 「徳川吉宗」 は 「寛永寺」
9代 「徳川家重」 は 「増上寺」
10代 「徳川家治」 は 「寛永寺」
11代 「徳川家斉」 は 「寛永寺」
12代 「徳川家慶」 は 「増上寺」
13代 「徳川家定」 は 「寛永寺」
14代 「徳川家茂」 は 「増上寺」
15代 「徳川慶喜」 は 「寛永寺」
です。 -
「合祀塔」 です。
「増上寺」 では 「将軍の子女」 を含む 「計38人」 が葬られてます。 -
「最奥部」 にあるのが、
2代将軍 「秀忠」 と、
その妻 「お江」 です。 -
「NHKの大河ドラマ」 で有名になった 「お江」 のお墓も観れて感激しました。
「一緒」 に入ってるんですね。
秀忠は家康の第3子として、1579年に生まれる。1605年に第2代将軍の位に上った。将軍職にあること18年をかぞえ、1632年に54歳で逝去。台徳院廟に葬られた(HP)。 -
6代将軍 「家宣」 です。
家宣は家光の三男綱重の子として1662年に生まれる。将軍職を継ぎ、新井白石等を重用し政治の刷新をはかり、生類憐みの令を廃止するなど、「正徳の治」をなしとげたが、将軍職わずか3年にして病に倒れ、1712年に51歳の生涯を閉じた(HP)。 -
7代将軍 「家継」 です。
家継は家宣の第3子として、1709年に生まれる。父家宣の逝去とともにわずか3歳で将軍職についた。家継は元来病弱で、1716年に8歳で亡くなられた(HP)。 -
9代将軍 「家重」 です。
8代吉宗の長子として、1711年に生まれる。成長するにつれしだいに病気がちになり、将軍になっても政務は重臣にまかせた。調査によれば、重度の歯ぎしりにより発音障害ががあったようである。が、復元される容貌は歴代将軍の中でも最も美男子であったようで、遠くから拝謁するだけの大名にとっては気高く見えたという。49歳で将軍職を譲り、1761年に51歳で逝去(HP)。 -
12代将軍 「家慶」 です。
家斉の第2子として、1793年に生まれる。1837年に12代将軍となった。家慶は「天保の改革」に着手するが、改革は失敗に終わり、幕府は没落の道を進むこととなる。家慶はあわただしい世情の中、1853年に亡くなった。行年61歳(HP)。 -
12代将軍 「家慶」 です。
-
14代将軍 「家茂」 です。
家茂は11代家斉の子、斉順の長子として1846年に生まれる。1858年、将軍家の養子となり14代将軍となった。しかし、世継問題と日米通商問題で幕府は大きく揺れ、井伊直弼によって安政の大獄がはじまったが、事態収拾のために公武合体策をとり、和宮親子内親王(静寛院)を正室に迎えた。尊皇攘夷派と幕府の対立が激化するなかで、家茂は第1次長州征伐を指揮し、第2次長州征伐中、大阪城で病没した。1866年の享年21歳であった(HP)。 -
14代将軍の妻 「和宮」 です。
-
14代将軍家茂の正室、静寛院和宮は仁孝天皇の第8皇女として1846年に生まれる。和宮は1851年、6歳の時に有栖川宮と婚約が成立したが、婚儀間近になって前述した公武合体策によって降嫁。時に15歳であった。和宮は家茂死後、落飾して静寛院と称した。1877年に31歳で逝去(HP)。
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「明治」 の 「霊廟」 です。
現在の 「増上寺」 より広かったんですね。 -
かつての 「霊廟」 は大変 「豪華」 なものでした。
全てが 「国宝」 だったそうです。 -
焼け残った以下の建築が 「重要文化財」 に指定されてます。
「台徳院霊廟 惣門(芝公園・ザ・プリンスパークタワー東京内)」
「台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟は埼玉県所沢市に移築)」
「有章院霊廟 二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)」
です。
(ウィキペディア) -
最後に振り返って1枚。
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「霊廟」 の側面にも 「千躰子育地蔵尊」 です。
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「1300体程」 存在するそうです。
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一際 「際立った」 地蔵です。
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恐らく 「それぞれの地蔵」 が 「檀家の所有」 ではないでしょうか?
その 「檀家さん」 が地蔵の 「コーディネーター」 となてるんでは・・・
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