2011/12/29 - 2012/01/05
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kazimさん
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「リソザヴォーツク」と「カヴァレロヴォ」。いずれもロシア沿海州にある街だ。ウラジオストクからリソザヴォーツクへは列車で、カヴァレロヴォへは車で、それぞれ約6時間離れた田舎だ。出かけた私も全く知らなかった街だが、2008年の新年はリソザヴォーツクで過ごし、2012年はガヴァレロヴォで迎えた。田舎だけれど、あるいは田舎だからこそ味わえるロシアの深さ。ここではガヴァレロヴォについて。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ウラジオストク航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
1.ウラジオストクを発つ
2011年12月29日ウラジオストクに着いた私は、そのまま市内の知り合いの家で1泊し、翌30日の朝方、今回の案内者Y嬢と合流した。彼女の友人が住んでいるから、今回の目的地はガヴァレロヴォである。その友人の妹のL嬢はウラジオストクに住んでおり、年明けを故郷で過ごすため私たちに同行する。というか、彼女の里帰りに私たちが勝手に合流したと言うべきだろう。ハバロフスク在住のY嬢も、田舎に住む旧友との再会を心待ちにしており、早速、市内のバスターミナルに向かう。
近郊都市への大型バスが発着するターミナルの横にマイクロバスが並ぶ一角があり、そこから「マルシルートカ」に乗り込む。十数名の客と彼らの大きな荷物が詰め込まれ、ウラジオストクを後にする。 -
2.カヴァレロヴォへの道
カヴゥレロヴォはウラジオストクから直線距離で250キロほど北東に位置する。Googleの地図でそのあたりを中心に拡大していけば、その名前が出てくる。地図に記載されるような街が近くにないから分かりやすい。ただし、ウラジオストクとの間には険しい山脈がそびえているので、車はいったん150キロほど北上し、その後東に折れてさらに200キロほど山を分け入る。広いロシアの地図ではほんの少しの距離に見えるが、マルシルートカで6時間の行程だ。 -
3.マルシルートカの旅
車はしばらくハバロフスクへ向かうM60号線をたどり、ウスリースクを過ぎたあたりで右に進路を取る。すると一気に交通量が減った。途中アルセニエフという比較的大きな街があるけれど、あとは森林を切り開いた道をひたすら進むだけだ。たまに人家が見えても寒村と呼ぶべき集落に過ぎない。幸い雪はほとんど積もっていないが、マルシルートカは急カーブをかなりのスピードで進むので、少し恐ろしい。
「大型バスもあるけれど8時間くらいはかかる。以前、自家用車で行ったときには猛スピードで4時間で着いた」と言うL嬢は、冬のロシアなのに日焼けをしている。日焼けサロン「ソラリウム」だそうで、彼女はクレオパトラみたいだ。10時過ぎに出発して確かに6時間、夕方4時半にガヴァレロヴォに着いた。 -
4.カヴァレロヴォの人々
Y嬢の旧友、つまりL嬢の姉であるSさんは、夫のBさんとともに、この街の中心に近いアパートに暮らしており、この家に私たちは厄介になる。普段2人で住む家に私たち3人が加わり、さらに彼らの友人が1人訪れていたが、寝室2つと広い居間に別れて眠るので狭さは感じない。彼女たちの両親は離婚しており(ロシアではよくあることだ)、父親は再婚してこの街の郊外で暮らし、母親は1人暮らしでやはりこの街にいる。 -
5.凍り付いた川と絶壁
12月31日、女たちは年越しパーティーの準備とガールズ・トークに忙しい。そこで夫のBさんが街の案内を買って出てくれた。トラックの運転手をしている彼が最初に車を止めたのは、その事務所だった。日本製の中古トラックに乗っているが、日本語表示のダッシュボードの翻訳を頼まれた。
そして、街一番の見所という大きな岩に車を進める。凍り付いた川のほとりに2つに裂けた岩塊がそびえる荒涼たる風景だ。この岩の向こうには森林が広がり、そこで山スキーをするのが彼の趣味だという。また、夏にはこの川で水遊びや釣りをするのだそうで、今も氷の下ではかなりの魚が泳いでいる。 -
6.街の記念碑
街の一角に「カヴァレロヴォ」と書かれた記念碑が建っている。それによれば街の創設は1910年で、たかだか100年の歴史の街であることが分かる。そもそも、創建の年が分かっていること自体、自然にできあがったのではなく、殖民的な意味合いで作られたことを意味する。現在の人口は約15000で、もともと鉱山の街として栄えた。しかし、廃坑となって久しく、特別な産業のなくなった街からは人々の流出が激しい。 -
7.峠の記念碑
マルシルートカでたどった道をしばらく戻ると、街の入り口に小さな塔が立っていた。礎石には、「この峠を通過した」として3人の名と年号が書かれてある。このあたりで道は緩やかに登って下っており、確かに「峠」と言われればうなずけるが、日本でイメージする急峻な隘路ではない。最も古い年号は1858年で、つまりロシア人が初めてここを通って現在のカヴァレロヴォにたどり着いた年なのだろう。3つのうちの最後の年号は1908年であり、この時に鉱山が発見され、その後に街が作られたのかもしれない。 -
8.2011年のフィナーレ
大晦日の日が暮れ、年越しの雰囲気が高まってきた。家でパーティーが始まるのだが、その前に、料理の準備が終わった女性たちとともに街に出た。彼女たちはすでに念入りに化粧を済ませ、毛皮のコートでばっちり決め込んでいる。 -
9.野外劇場の芝居
街の中心の広場では、臨時の舞台が設置され、野外芝居が行われていた。小さな街なのに多くの観客が寒さもいとわず集まり熱心に見ている。民話を題材にしたもののようだが、役者はプロなのだろうか。この日はロシアじゅうの街でこのような催しがあるはずで、地元の人が演じているのかもしれない。 -
10.観客の扮装
見ている客の中にも写真のような扮装をしている人がおり、すでに街全体がパーティー気分になっている。もっとも、このスタイルならば寒さ対策にもなり、一石二鳥だ。若い人がこうした扮装で楽しんでいるようだ。 -
11.氷の彫刻
広場には氷の彫刻もいくつか飾られていた。数も多く凝ったものもあるハバロフスクの氷の彫刻には劣るものの、この小さな街もなかなか頑張っている。串焼き肉「シャシリーク」の屋台も出ており、当然ウォッカも流し込んで体を温めた。 -
12.パーティーの始まり
午後10時過ぎに家に戻り、同時にパーティーが始まる。居間を綺麗に飾り付け、樅の木も用意して、テーブルには食べきれないほどの料理が並べられる。この家では女性が多いので、ウォッカを飲む人は少なく、彼女たちはそれぞれにワインやシャンパンやカクテルを飲む。 -
イチオシ
13.年越しのカウントダウン
午前0時直前にテレビの番組が切り替わり、プーチンの演説、クレムリンの鐘、そして時計が出て「3・2・1・0」となる時、この家では照明を消した。蝋燭の光の中で改めて乾杯をし、「ス・ノーヴィム・ゴードム」(新年おめでとう)と叫ぶ。 -
14.街じゅうから花火が
と同時に、街のあちこちから花火が揚がる。これもロシアならどの街でも行われる習慣だ。ベランダに出てこれを眺めると、ロシアの新年を実感する。時差があるこの国で、1時間ごとに東から西へ移ってゆく花火を、上空から見られたら壮観だろう。 -
15.元旦の朝
前夜のパーティーは午前2時過ぎまで行われた。だから、元旦の朝は遅い。昼過ぎに起き出すと、夫のBさんが「郊外の鉱山を見せる」を言って車を出してくれた。街から15分ほどで、その鉱山跡に着く。 -
16.壮大な廃墟
上の写真の正面の建物の上に登り、一帯を見渡したのがこの写真だ。ヤマを中心に炭住が広がり、往時の繁栄を物語るが、今はほとんど人の気配がしない。Bさんのロシア語をなかなか聞き取れないのだが、ここはスズなどの鉱山だったらしい。鉱脈が尽きたわけではなく、古びた設備を更新する資金がないのでやむなく閉山したと言う。 -
17.ロシアの輸送問題
そのうえ、再開しようとしても、そのための設備や人をここまで運んでくること自体が難しいらしい。これは広大なロシアならではの悩みで、例えばモスクワあたりで車を作っても、広い国土に運ぶために大変な手間がかかるから、極東地方なら、日本から中古車を輸入した方が手っ取り早い。そして、輸入するにせよ国産のものを買うにせよ、田舎ほど価格は高くなってしまう。 -
18.人口は流出中
そうした問題があるので極東地方から人口の流出が激しい。カヴァレロヴォも、この鉱山があったから人が集まったのであり、廃坑となってしまえば当然人々は去っていく。調べてみると、2010年の統計では15000人余りの人口だが、1989年には19000人が住んでいた。 -
19.パパの家へ
S嬢・L嬢の両親が離婚していることは上に書いた。彼女たちのママは年越しのパーティーにやって来たが、パパは再婚して別に一家を構えているので年越しは別行動だった。そこでこの日の午後、彼に会いに行く。このような形で1月に入っても宴会は何度か続くのだ。 -
20.ウォッカ、ウォッカ
彼は典型的なロシア人のおじさんだから、S嬢とL嬢が「パパはすごく飲むよ」と注意したとおり、ウォッカ、ウォッカの陽気な宴会となる。私も嫌いではないから杯が進む。女性と子どもが多い一族だから、こうしていける口の男性と飲むのは、彼も嬉しいらしい。 -
21.ペチカで温まる
この家はアパートではなく一軒家だ。街の中心からそれほど離れていないが、パパの好みでこの住まい方をしている。一戸建ての場合、アパートには必ず着いている温水循環式の暖房がないから、自らの手で家を暖めねばならない。それが写真のペチカだ。家の真ん中にこれがあり、たきぎを燃やして煮炊きをするとともに、その煙突は壁を通って各部屋に熱が回るよう配置されている。 -
22.地下の貯蔵庫
何と言っても一軒家には庭があり、そこで家畜を飼ったり野菜を植えたりできる。さらに、こうした家にはサウナが庭にある。ウォッカで結構酔っているのだが、彼に勧められて一風呂浴びた。また、台所の下が貯蔵庫となっており、写真のように野菜やジャムなどが保存されている。 -
23.パパの王国
こうした自由な暮らしができ、何より自分で自分の生活を営んでいるという感覚がいいのだとパパは言う。「アパートになんて住めない」と断言する彼は、庭の一角の作業小屋を見せ自慢げだ。たしかにここは、たくましい彼の王国である。 -
24.海があるのか
1月2日になった。「今日は海へ行くからできるだけ厚着をしなさい」とS嬢が言った。この山の中の街に海のイメージはなかったが、車を飛ばせは2時間ほどで日本海に出られるそうだ。彼女の友人の車を仕立ててガヴァレロヴォを後にした。 -
25.限界を超えた集落
私のためのイベントなのだろうが、彼女たちも自らの提案に心躍っている様子で、車内はおしゃべりが尽きない。ダリネゴルスクというとなり街(それでも50キロほど離れている)への道をはずれ、誰も住まない原野が広がる中を通り、1時間ほどで小さな集落で休憩をとる。車を降りれば、車内とは一転、しーんとした静けさの中、数軒の民家が寄り添うように建っている。 -
26.広大な閉所
私たちの車以外に通過する車両はない。快晴のもと遠くに山並みも見えて雄大な景色だが、ここに住むことを空想して、私は恐くなった。カヴァレロヴォでも相当な田舎だが、そこからさらに遠く離れ、全く孤立した村だ。まさに限界集落であり、かえって閉所恐怖を感じさせる。何をして暮らしているのだろうか。 -
27.海に着いた
それから先にも限界としか言えない集落を2つ3つ過ぎ、確かに2時間ほどで海岸に着いた。なるほど海であり、ということは日本海なのだった。この海を真南に突っ切れば能登半島あたりに着くことになる。水は青く澄んで美しいが、浜辺はしぶきが凍り付き、風も強くてとにかく寒い。 -
28.女たちの写真大会
冬型の気圧配置の時にかかる寒気の吹き出しの雲は、このあたりからも出ているに違いない。そんな寒さの中でも彼女たちは楽しむ。年に何度も来ない海なのだろう、海辺で遊び、ロシア人の写真好きが発揮されて、何枚もシャッターを切らされ、表紙の写真もその1枚だが、私の手は完全にかじかんでいる。 -
29.酔っぱらいはご注意
海岸には「酔っぱらいの人たちは注意!」と書いた標識が立っている。まさかこの時期にここで酒を飲む人がいるとは思えないが、夏は海水浴場としてそれなりににぎわうのだそうで、泥酔状態で海に飛び込む人がいるであろうことは、容易に想像できる。 -
30.車がパンクした
海岸から岬の高台に上る道で車がパンクした。私たちが乗ってきたのは小型車で、これに私と女性4人、さらに子ども2人が詰め込まれてきた。トランクにあった古タイヤを履かせて急場をしのぐが、もしこれもダメになったら、この僻地から当分出られないのではないかと不安になる。寒かったり、恐かったり、私には先ほどからの閉所恐怖が続いている。 -
31.どうにかなるさの写真
それでも彼らは平然としており、相変わらず陽気なおしゃべりはやまない。私も彼らにならうしかなく、地元の人に任せればどうにかなるだろうとと割り切って、とりあえず高台で全員の記念写真を撮った。 -
32.バンガローは営業中
高台を過ぎると公園のような敷地が広がり、バンガローが並んでいる。私たち以外に誰も客はいないのだが、何とその中の食堂が営業していた。ボルシチとウォッカでしばらく過ごし、無事にカヴォレロヴォに帰り着いた。この海はゼルカリナヤ湾というらしい。 -
33.氷の滑り台
1月3日、翌日はカヴァレロヴォを発ち、5日には日本に戻らなければならないから、実質最後の1日となる。昼間は冬の遊びを楽しんだ。街から鉱山方向に行く途中に、大きな氷の滑り台がある。 -
34.おてんばな女たち
木製の滑り台の底の部分をつるつるに凍らせており、もともと斜面に置かれているから、台が尽きてもそのままはるかに下方まで滑っていける。童心に返った彼女たちは「あざができちゃった」などとぼやきながらも、何度も繰り返し遊んだ。 -
35.スケートも堪能
街の中心にはスケート場もある。S嬢L嬢の姉妹は自分の靴を持っており、かなりうまい。スケートは街の人気スポーツで、アイスホッケーのチームに参加している人も多いそうだ。実際、リンクの半分は子どもたちのチームの練習に占領されていた。 -
36.街一番のレストラン
最後の夜、お別れパーティーをしてくれるということで、街一番のレストランに案内された。といっても、改めて写真を見ると、看板には「軽食のレストラン・バー」と書いてある。そういえば、サラダ中心の料理はウエイターに注文できるが、酒はバー・コーナーで別に頼む形式だった。 -
イチオシ
37.街一番の美人たち
その代わり、エレクトーンの生演奏があり、それに合わせて歌手(らしき人)が歌う。そして、そこはロシアのレストラン、ある程度酒が進むと皆フロアで踊り出す。私の連れの美人たちも、落ち着いて座っていたのはしばらくの間で、次々にフロアに立った。 -
38.モスクワ一番の美人
私たちの隣席に、田舎の街にはそぐわない美人がいた。「この街からモスクワに出て、美人コンテストで1位になった人」と教えられる。連れが踊っているすきに写真撮影を頼むと、カメラのシャッターを押してくれようとするが、「そうじゃありません、あなたの写真です」。彼女は快く応じてくれたが、それが我が街一番の美人たちにばれて、私はひんしゅくを買った。 -
39.踊るロシア人
一方、すでにフロアは地元の人でいっぱいだ。食事は頼まずバーで酒を買うだけで、あとは踊りに専念している人も多い。田舎の街ということを忘れさせる華やかな夜は、日付が変わる頃まで続いた。
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