2007/12/31 - 2008/01/05
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kazimさん
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「リソザヴォーツク」と「カヴァレロヴォ」。いずれもロシア沿海地方にある街だ。ウラジオストクからリソザヴォーツクへは列車で、カヴァレロヴォへは車で、それぞれ約6時間離れた田舎だ。出かけた私も全く知らなかった街だが、2008年の新年はリソザヴォーツクで過ごし、2012年はガヴァレロヴォで迎えた。田舎だけれど、あるいは田舎だからこそ味わえるロシアの深さ。まずはリソザヴォーツク編から。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ウラジオストク航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1.なぜリソザヴォーツクか
ロシアへは現地の知り合いをつてにして出かけることにしている。今回のつてはTさんという女性。彼女の実家がそこにあるから、この年の目的地はリソザヴォーツクで、日本人の若者(仮称ヨージック)を伴って出かけた。
シベリア鉄道に乗った方なら、この街の名に記憶があるかもしれない。ウラジオストクとハバロフクスのちょうど中間あたりに同名の駅がある。ただし街の表玄関はその次のルジノ駅(写真)だが。リソザヴォーツクは、3万7千人ほどの人が住む、それなりの街ではある。 -
2.大晦日の旅立ち
仕事と飛行機のスケジュールの関係で、12月31日夕刻にウラジオストクのアルチョーム空港に着く日程になった。出迎えのTさんと空港で会うが、この日のうちにはリソザヴォーツクに着けない。しかし、この夜はロシア人にとって、各家庭で年越しのパーティーを行うべき大切な夜だ。そこで彼女は、空港から20キロほど離れたウーゴリナヤの知り合いの家(写真)に私たちを招いた。 -
3.年越しのパーティー
ウーゴリナヤのその家に着いた午後9時には、すでにパーティーの準備が始まっていた。室内に樅の木を持ち込んで飾り付け(写真)、料理や酒が並べられ、10時半にパーティーが始まった。
この家には6人が暮らしているようだが、Tさんに紹介されても覚えきれず、名前も知らない人に勧められるままウォッカを2杯3杯。オードブル、サラダ、鶏肉料理、魚料理、果物などなどを楽しむうちに、午前0時となり、改めて盛大な乾杯だ。と同時に、街中で花火が揚がる。
気が付くと、酒に弱い日本人ヨージックは、すでに熟睡している。一番面白い時刻を体験させようと揺り起こすが、数杯のウォッカのせいで眠りから覚めない。
-
イチオシ
4.午前4時の狂宴
その後、午前2時頃に訪ねてきた客もあり、パーティーは4時頃まで続いた。この時刻になるとさすがのロシア人も酔いを隠しきれない。屋外に出て騒いだり、わけもなく爆笑したり(写真)、挙げ句の果てにはここに載せられないデープ・キスの写真もあったりする。2つ前の写真と比べてほしい。減った人はすでに眠った人、増えた人は来訪者で、テーブルの料理や酒はほとんど残っていない。 -
5.静寂の朝
私たち酔っぱらいは4時半頃に眠った(らしい)が、日付が変わる前に就寝したヨージックは6時過ぎに目覚めたという。居間の惨状を目にしながらしばらく待ったものの誰も起きてこないので、ひどく退屈だったとか。結局、私がベッドを出たのは12時過ぎだった。
よく眠ってやたらに快調なヨージック、頭が重い私、完全な二日酔いのTさんの3人は、積雪に埋もれる道をしばらく歩き、ウーゴリナヤの駅(写真)に着いた。ここからいったん、ウラジオストクに出る。 -
6.ウラジオストクへ
ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の根っこのウーゴリナヤから、半島の先端のウラジオストクへ、シベリア鉄道の最後の約30キロになる。各駅停車で50分ほど、着いたウラジオストクの中心は、1月1日の午後ということもあり、さすがににぎわっていた。二日酔いのTさんだが、彼女自身ウラジオストクに出るのは久しぶりということで、レーニン広場の装飾(写真)を見る。この時期、ウラジオストクではほとんど雪のない年もあるが、この時はそれなりに積雪があった。ロシアの正月風景に雪は必須だ。 -
7.中央広場の新年
大きな樅の木を中心に、スケートリンクや屋台、乗馬体験などのアトラクション(写真)があり、氷の滑り台は子どもたちで長蛇の列だ。よく晴れた気持ちの良い午後で、気温はマイナス10℃くらいか。前夜のウォッカが残っているせいか、ほとんど寒さを感じない。 -
8.美人のお姉さん
私にはこの街で済ますべき用事がある。日本に在住する別のロシア人から、そのお母さんへの荷物を託されたのだ。ナロードヌィ・プロスペクト地区のその家を訪ねると、お母さんとともに超美人のお姉さんが待っていた。美人が多さはロシアの定評だが、このお姉さん(写真中央)も相当なレベルだ。シャワーを浴びたばかりのパスローブ姿でいらっしゃるのも大変よろしい。 -
9.愛の重さ
彼女たちの部屋はアパートの12階で、眺めも抜群だった(写真)。なお、帰国前にもこのお母さんと会い(お姉さんが一緒でなかったのは残念)、日本に住む娘への荷物を託された。これがスポーツバッグいっぱいの食品類で重さが20キロあまり。飛行機の重量制限や日本国内での移動を考えてほしいのだが、この重さが母の愛だと思い、苦労して持ち帰った。 -
10.リソザヴォーツクへ
ウラジオストクを夕刻発の急行で、いよいよリソザヴォーツクへ向かう。約350キロの道のりを6時間ほどだ。ここまで乗ってきた列車と同様の普通車(寝台車ではなく)で、広軌の車両は座席がゆったりして乗り心地は悪くない。この朝出発したウーゴリナヤやウスリースク、スパスク・ダーリニィなどに停まり、日付が変わる頃、ルジノ駅に着く。リソザヴォーツクという名の駅が一つ手前にあるが、急行が止まらない小さな駅で、このルジノ駅が事実上リソザヴォーツクの表玄関だ。迎えの車でTさん(写真)の家に着き、そのまま眠った。 -
11.田舎住まいの家族
この家には、Tさん以外に、そのパパとママ、お兄さん夫妻とその娘が住んでいる(写真)。リソザヴォーツクの郊外の一戸建ての家だ。何度かロシア人の家に泊まったが、ほとんどが団地やアパート住まいで、一戸建ては本当に少ない。なお、お兄さん夫妻は街の中心近くに部屋を買い、もうすぐ引っ越すとのこと。後に書くように、一戸建てに住むには、それなりの苦労がある。 -
12.リソザヴォーツクという街
ウラジオストクから直線距離で北へ250キロ余り、中国との国境をなすハンカ湖という大きな湖がある。この街はそこから東北へ40キロほどの所に位置する。名前の「リソ」は「森」、「ザヴォード」は「工場」、これに「街」を意味する語尾が付くから、「森の工場の街」という意味を持つ。一帯でとれる木材を利用した家具工場が主要な産業で、実際、ハバロフスクやウラジオストクの家具店で、この地の標示がある商品をしばしば見かける。しかし、付近の森林を伐採しすぎ、家具産業は難しくなっているとか。人口4万足らずの街では、中心(写真)も広々としている。 -
13.新年のイベント
翌朝、お兄さんの車で街の中心に向かい、まずは中心の広場に案内された。1月2日、街には新年の飾りが残り、広場にはいくつかの氷の彫刻(写真)が飾られてある。まわりには花火の残骸が散らばっており、ウーゴリナヤと同様に(というかロシア全土だろう)年越しのカウントダウンは盛り上がったのだろう。このあたりには、役所や文化ホールなどもあり、それなりに街としての様相を呈している。 -
14.新年のサンタクロース
広場の人出はかなりのものだ。サンタクロース(ロシア語で「ジェド・マロース」)の扮装をした人(写真)もおり、記念撮影にも応じてくれる。サンタクロースが活躍するべき時期はとうに終わっていると思うかもしれないが、ロシア正教のクリスマスは1月7日なのだ。だから、この時期はロシア人にとって祝日が続くイベント週間である。 -
15.戦争記念碑とウスリー川
続いて案内された川に面した高台は、街で最も眺めのよい場所だそうだ。第2次大戦の戦勝を記念した碑が建てられているが、その相手が日本でもあったことを、お兄さんは知っているのか。この街の基礎ができたのが1932年、市として認められたのがその6年後。第2次大戦の頃には、まだ新しい街だったようだ。氷結している川はウスリー川(写真)で、流れは北上し、ハバロフスク付近でアムール川と合流する。 -
16.雪道の向こうの教会
記念碑の近くには街一番という教会(写真)があった。この付近には人の姿がなく、雪道をかき分けて進まねばならない。川遊びなどを楽しめるから「夏に来るといいよ」と言われるが、天気も良いし、これはこれで悪くはない。 -
17.教会に入る
教会の中(写真)は静謐な雰囲気だ。ここも礼拝の人は見かけないが、かえってそれが荘厳さを醸す。内部は暖かく、清潔に保たれているのが好ましい。
なお、ここまで雪深く細い登り道をたどる途中で車はスタックし、私もヨージックも汗をかくほど押して、何とか発進した。 -
18.もう一つの中心
ルジノ駅までは中心から4キロほどあり、その間は工場が点々とあるだけの雪原だ。駅近くではさすがに人家や商店が建て込むが、それでも中心に比べれば閑散としている。シベリア鉄道の敷設後に街が作られたのだろうが、駅から離れた家具工場を中心に人が住んだのだろうか。中心と駅との離れ具合が不思議である。ここで案内されたのは、またしても教会だ(写真)。たしかに他の見所はなさそうな駅周辺である。
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19.それなりに大きな駅
前日真夜中に降り立ったルジノ駅(写真)を見る。これはなかなかの駅で、ロシア語でも単なる駅の「スタンツィア」ではなく、大きな駅を意味する「ヴァグザール」と呼ばれている。ロシアの読みにくい時刻表(発着時刻がすべてモスクワ時間)を見ると、ここを始発・終着とする列車もいくつかある。ウラジオストク(南へ360キロ)とハバロフスク(北へ400キロ)の中間の接続駅になっているらしい。 -
20.駅構内を歩く
旅客列車の発着は少ないが、貨物列車はそこそこの便があるようで、構内の引き込み線に多くの車両が止まっている。ホームを突っ切り、かまわず車両基地に入り込んだ。「知り合いがいるからいいんだ」とお兄さんは言うが、その知り合いはどこにも見えない。機関車を前に写真を撮ったが、この直後に動き出した。長い長い貨物列車だった。 -
21.いつの戦争か
駅近くの広場にはいくつかの兵器が並べられている(写真)。まだ使えるような新しさで、少なくとも第2次大戦中のものではなく、中国との関係が緊張した時のものかもしれない。この街は中国国境から10キロほどしか離れておらず、今はそこを通過した中国人も働いていると言う。 -
22.一戸建ての苦労
Tさんの家(写真)が一戸建てであることは先に書いた。ロシアでは郊外に出ないとこうした一軒家は目にしにくい。リソザヴォーツクでもそれは同じで、この小さな街の、さらに郊外に彼らは住んでいることになる。隣人への気兼ねもあろうし、時に異臭がきつい壊れそうなエレベーターに乗らなければならないのがアパート住まいの欠点だが、一戸建てにはそれなりの苦労がある。 -
23.パパの一日
パパ(写真)の朝は水運びから始まる。この家には水道が通っていない。そのため、毎朝井戸から水を汲み、バケツで運んで、それを台所の貯水槽に入れる。井戸は庭にあるけれど、厳寒の朝に外に出ての作業は楽でないだろう。
また、ロシアのアパートには必ずある温水を通す暖房システムもない。だから、庭に貯蔵してある薪を燃やして暖を取る。庭には温度計がおいてあり、それをチェックして運び込む薪の量を調節するようだ。私たちが泊まった最初の夜は「マイナス25℃」と言っていた。家の中央にいわゆるペチカがあり、そこからの煙突は各部屋を回るように作られている。つまりどの部屋でも壁の一か所が暖かく、人々はこれを背にして座ることを好む。窓や入り口は二重になっているので暖気は逃げず、一度ペチカを炊けばほぼ一日暖かく過ごせる。 -
24.トイレのための重装備
水が自由に使えない以上、当然水洗トイレもない。くみ取り式にならざるを得ず、このトイレが庭の隅にある。夏場はそれでもいいだろうが、冬場は問題だ。ペチカのおかげでTシャツ一枚でもいられるほどの室内から屋外のトイレに行く以上、その度にコートを重ね、底が厚い靴を履かねばならない(写真)。数分だからと甘く考える大変なことになる。「頭と足だけはしっかり守りなさい」とアドバイスされるので、毎回、写真のような姿になる。このコートはパパから拝借したもので、屋外の作業用だそうだ。「小の方ならその辺の雪にしていいよ」と彼らは言うが、外に出ることに変わりはない。もちろん庭で排泄するのも申し訳ないし。 -
25.サウナの楽しみ
水道がなければ当然シャワーもない。そのかわり、庭の一角にサウナ(ロシア語で「バーニャ」)がある。ストーブで熱した石に水をかけ、高温の水蒸気で汗を流し体を洗う。香りの強い木の枝で体をたたいてもらえば最高で、これを1週間の1度くらい行うそうだ。閉め切った室内は80℃近くになり、驚くほど汗が出て体も温まる。ここから屋外の雪の中に飛び込むのがヨージックの夢だったそうたが、当然外気も雪もひどく冷たく、私は数秒でサウナに駆け込んだ。写真もあるが、もちろんここで見せられるものではない。したがって、この写真は湯上がりの姿だ。 -
イチオシ
26.懐かしい道
リソザヴォードスクの中心にはアパート式の建物がたくさんあるが、彼らの家の近くには同じような一戸建てが並ぶ。どの家の煙突からも煙が上がる心温まる景色であり、平屋が左右に並ぶ道(写真)は懐かしい情景でもある。街当局は水道くらい通せばいいのにと思うが。 -
27.街へのバス
1月1日の深夜に着き、2日はお兄さんの車で街を回ったが、3日の夜にはもう戻らなくてはならない。4日の昼の飛行機で帰国することになっている。それでも3日は深夜まで時間があるので、バスで街に出ることにした。家から数分歩いたバス通り(写真)で待つと、相当な年代物の韓国製のバスが来た。乗客や車掌はみな知り合いのようで、それぞれが新年の挨拶を交わしている。 -
28.街を歩く
街といっても、商店街らしい通りは1本しかない。ロシアの店の多くは寒さ対策で、ショウウインドー的なものはなく、また扉は閉められており、看板に何の店か書いているだけなので、何を売っているやら、営業しているのやら、慣れないと分からない。それでもTさんは知り合いと出会い、写真を撮ってくれと言う。せっかくだからこの地らしい記念のものを探したが、特別なものはなかった。 -
29.マッチョな一族
続いてお兄さんの奥さん(Tさんからすれば義理のお姉さん)の実家に招待された。その家にいた人は、なぜか多くが大変な巨漢だ。お兄さんの奥さん自体(11の項の写真、後列右から2人目)もなかなかの体格なのだが、その兄弟姉妹がことごとくマッチョである(写真)。ランニング姿の人だったか、沿海州のK-1チャンピオンだと言っていた。彼らのお父さん(右側)は普通の体格で、左側の美人は誰かの奥さんで医者だそうだが、真ん中の4人はすごい。当然ウォッカにも強く、私はだいぶ飲まされた。 -
30.ありがとうTさん
暗くなり、ルジノ駅に向かう前に再び氷の彫刻のある広場に寄った。1月3日の夜ともなれば、さすがに誰もいない。感謝を込めてTさんを抱えて記念撮影(写真)。彼女は年明けの宴会で飲み過ぎて胃を壊し、3日の朝まで体調不良を訴え寝込んでいた。列車に乗ってしまえばあとは自分たちだけでウラジオストクに行き、空港へも行けると言っても、我々を心配して着いてきてくれる。 -
31.駅への道で
すでに何度目かの駅への道だが、途中でリソザヴォーツクの看板(写真)を発見した。ロシアの街の多くはその名を冠した碑を建てているが、この街のそれはまさに「看板」である。上部に描かれているのが街の紋章らしい。蓮の花と虎(アムール・タイガー?)に見える。 -
32.踏切のお姉さん
列車まで時間があるので、構内の踏切に寄り、Tさんの友だちに紹介された。陽気なお姉さんが踏切番をしており、私たちを歓迎する。「しばらく列車は来ない」と言って、勝手に遮断機を下ろして写真を要求する。夜間1人で仕事をする彼女からすれば、格好の退屈しのぎだったのかもしれない。 -
33.「あんた、代わりに仕事して」
挙げ句のはてに、私に仕事服を着させ、誘導用の黄色い旗も持たせて(写真)「列車が来たらこうするの」と実体験をさせる。「じゃ、任せたから、私の代わりにしばらくここにいて」とは、もちろんジョーク。ロシアではこうした所でも女性が多く働いている。 -
34.かなたからの寝台車
私たちの乗る列車が来た。夜中にここを出て朝ウラジオストクに着く寝台車だ。この列車の始発はノヴォシビルスク(写真)。バイカル湖のはるか先から、5000キロを超える旅をしてきた列車の最終的な区間に乗ることになる。まだ年が明けないうちにノヴォシビルスクを発ったと思われる。ロシアは広い。 -
イチオシ
35.ヤークという飛行機
なお、この旅では富山発着のウラジオストク便を使った。当時この路線に就航していた「ヤーク40」という飛行機に乗りたかったからだ。定員は約30名、閑散とした待合室を出て、機内へは飛行機のお尻がぽっかり開いて入る形式だ。たった1人のCAが「席は自由です」と言う。アバウトだなぁと思って見回すと、機内の前方の座席は空港で預けた旅客の荷物が占領している。日本海を渡るだけなのに3時間近くかかったことも記憶している。
現在この路線は長期運休中だ。客が少ないことと、1980年代に作られたヤークの気体が古くなったからだと言われている。
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