2013/09/13 - 2013/09/13
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bakanekoさん
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泉州 堺 船待神社のふとん太鼓です。一般に昼の写真は多いのですが、現地の知人より ふとん太鼓は、「夜のほうがすっごくきれい」 という話を聞き、夜、カメラを持って行ってきました。場所は、堺市東湊 駅は、阪堺電車御陵前です。駅の目の前です。昼の巡行は、パスしました。ので夜だけです。確かに美しい。見所は、いかに房をきれいに振りながら担ぐか。一度見てください。行ったのが金曜ということで大して込まず、境内ではよゆうでかぶりつきで見れました。子供づれはそれでも危険なので注意。この動画で大体雰囲気は分かると思います。
動画 http://youtu.be/E8Qp9agiBh4 祭り情報 http://www.be-rabe-ra.com/
ふとん太鼓(ふとんだいこ)とは大阪府河内・泉州地方や、兵庫県播磨・淡路その周辺で担がれる大型の太鼓台のことである。
重さは1.0t〜2.0tあり、約50〜70人ほどで毎年各神社の祭礼で派手な演出と共にいきおいよく担がれている。内部は中央に太鼓があり、「乗り子」と呼ばれる少年4〜8名が乗り込む。激しい動きでも転落しないように乗り子を縛り付ける地区もある。乗り子は舞台化粧並の厚化粧で、豪華な衣装を着る場合が多い。撥の形は野球のバットを短くしたような太くて短いものを使う場合が多い。
堺ふとん太鼓
堺市(旧市)のふとん太鼓は古くは江戸時代中期には住吉大社祭礼に担ぎ出されていたとされ、『三村宮祭礼絵馬』にも太鼓台のような練り物が描かれている。
しかしこのころは堺市内では明治の中ごろまでは祭礼時には各氏子がだんじりや鉾を曳行し、神事として太鼓台がありました。
ところが明治二十九年の旧暦の8月1日の祭礼の際、堺市中之町西の紀州街道(だんじりが1台通れるほどの狭い道)において湊組の船地車と北の鍛治屋町の地車が鉢合わせとなり、双方道を譲らず争論となり死傷者が出る事故が発生。
これは「堺の地車騒動」とされ、これ以後の堺市(現在の旧堺市街地域)での練物曳行は一切禁止となった。
その後、日本が日露戦争に勝利したことを祝して練り物の曳行が許可されたが、各氏子が地車を処分売却していたこと、それまでは堺に多くいた地車の職人が堺の地を離れていたり職を変えていたこと、地車の危険性などの理由から淡路よりふとん太鼓を買い付ける地域が多くふとん太鼓だけが残っていった。
大正時代には開口神社では13台、菅原神社では14台ものふとん太鼓が奉納され、堺のふとん太鼓の黄金期を迎え、各町個性を主張しようと、白色ではない房、刺繍の施された布団ラシャ(布団の布地)、色違いの結び(新在家濱は現在でも青色を採用)など各氏子趣向凝らした太鼓台も登場した。
しかし昭和へ入ると人手不足や諸事情等で太鼓台を手放す氏子が表れ始めその後には堺大空襲によって多くのふとん太鼓が焼失した。
戦後は物資不足等の影響で飾り付けは基本的なスタイルに戻ったが近年、戦前のような豪華なものに戻ってきている。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩 バイク
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