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1911(明治44)年4月、大正天皇が皇太子(32歳)のとき、七北田で大規模な軍事演習が行われた。殿下は演習視察のため村内を一望に見下せる片欠山に登られた。この山は仙台藩七北田刑場の西側にあり、北西が断崖になっているところから「片欠山」といわれた。大演習の翌年、明治45年4月4代村長によって頂上に行啓記念碑が建てられ、山の名も「肩掛山」に改められた。この一帯を七北田村は今上陛下御成婚記念事業として公園を造るべく上谷刈字丸田沢部落から買い上げたものであったが、その後、向原町営住宅が建てられ、現在では新興住宅地とマンション<br />等立ち並ぶところとなった。<br />※大演習は、七北田川を挟んで、北は愛宕山、南は肩掛山に拠点をおき、それぞれ砲台を備え付け空砲を鳴らし、歩兵の戦闘は七北田の西の稲刈りを終えた水田で行われた。

仙台新名所物語(エピソード8:皇太子殿下(のちの大正天皇)行啓記念碑(肩掛山))

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2013/09/01 - 2013/09/01

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青柳トラベル

青柳トラベルさん

1911(明治44)年4月、大正天皇が皇太子(32歳)のとき、七北田で大規模な軍事演習が行われた。殿下は演習視察のため村内を一望に見下せる片欠山に登られた。この山は仙台藩七北田刑場の西側にあり、北西が断崖になっているところから「片欠山」といわれた。大演習の翌年、明治45年4月4代村長によって頂上に行啓記念碑が建てられ、山の名も「肩掛山」に改められた。この一帯を七北田村は今上陛下御成婚記念事業として公園を造るべく上谷刈字丸田沢部落から買い上げたものであったが、その後、向原町営住宅が建てられ、現在では新興住宅地とマンション
等立ち並ぶところとなった。
※大演習は、七北田川を挟んで、北は愛宕山、南は肩掛山に拠点をおき、それぞれ砲台を備え付け空砲を鳴らし、歩兵の戦闘は七北田の西の稲刈りを終えた水田で行われた。

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