
2013/07/20 - 2013/07/20
78位(同エリア466件中)
ニッキーさん
通っている写真教室の撮影実習で江戸東京たてもの園へ行きました。
ここは昭和が懐かしい私にとってはなかなかおもしろい所です。
実習が終わってからクラスメイトと居残って、残りの場所を見学して来ました。
江戸東京たてもの園は、失われ行く江戸・東京の建造物の保存を目的として、1993年に東京都がオープンさせた施設です。7ヘクタールの敷地に江戸、明治、大正、昭和の建物が移築・復元されています。
入場料400円で、見どころたっぷりです。
復元された建造物は全部で30棟。
うち13棟は内部を見学できます。
内部は東ゾーン、センターゾーン、西ゾーンに分かれています。
【東ゾーン】 昭和の街並みが再現されている。
【センターゾーン】 2.26事件で暗殺された高橋是清邸など歴史的建造物。
【西ゾーン】 前川國男邸をはじめ、さまざまな住宅が復元・展示されている。
撮影実習は主に東ゾーンで行いました。
東ゾーンには昭和の下町が再現されていておもしろかったのですが、撮影実習は見学が目的ではありません。趣旨が違うので、ここに写真を載せるのは控えたいと思います。実習解散後、居残って自主的に見学したところを旅行記にすることにします。
ということで、見学範囲は江戸東京たてもの園の3分の2ぐらいに留まります。旅行記に載せなかった東ゾーンの昭和の街並みに関心のある方は江戸東京たてもの園のホームページをご覧ください。
江戸東京たてもの園
http://tatemonoen.jp/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.0
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-
江戸東京たてもの園は都立小金井公園内にあります。
入口までの道も広々。
突き当たりに見えるのが正面入口、ビジターセンターです。
このビジターセンターからして歴史的建造物「光華殿(こうかでん)」を改修したものになっているんですよ。
光華殿は紀元2600年記念式典の会場として1940年(昭和15年)に皇居前広場に造られた建物。翌年この地に移築されて来ました。 -
パンフレットの案内図です。
中央にセンターゾーン、向かって右手が東ゾーン、左手が西ゾーンです。 -
撮影実習は主に東ゾーンで行われ、昭和の下町の復元を眺めるこの場所で解散となりました。
文具屋、醤油店、荒物屋、旅館、乾物屋、仕立て屋、居酒屋など、すべて実在の建物を移築しています。
店内も再現されているので、おもしろいですよ。
つきあたりに見えているのは銭湯です。
その写真をお見せしたいのはやまやまですが、撮影実習は見学が目的ではありません。写真撮影の趣旨が違うので、この旅行記は撮影実習が終わったところからスタートさせたいと思います。 -
このまま帰るのはもったいない。
クラスメイトと居残って、まだ見ていない部分を見学することにしました。
都電7500形が展示されています。
行き先は新橋になっています。
私は関東の生まれではないため、昔の都電は知らないんですけど、縦長に感じます。
ビール瓶の栓抜きみたいな形の集電器が物珍しいです。 -
内部へも入れます。
楽しいけど、中は暑いので長くはいられません。
当然ながら扇風機は回っていません。 (^_^; -
運転席。
機械はずいぶんシンプルですね。
私、京都の市電なら知っています。
たしか運転席はこんな感じでした。 -
まずやって来たのは東ゾーンにある天明家(てんみょうけ)です。
-
江戸時代後期、鵜ノ木村(現在の大田区内)にあった農家の建物と庭を移築して来たもの。
もともと1万平方メートルの敷地があったと言います。
この立派な長屋門と言い、格式の高い旧家だったことが伺えますね。 -
主屋の屋根に三角形の破風がついています。
装飾・換気・採光のために設けられるもので、千鳥破風(ちどりはふ)というそうです。 -
土間からのぞき込んだところ。
靴を脱いで上がることができます。
ほとんどの部屋が畳敷き。
奥には書院の間や座敷、女中部屋なんていうのもあります。
農家と言っても豪農のお屋敷です。 -
天明家の庭も立派です。
私は日頃写真に夢中になって同行者を待たせてしまいがちなんですが、写真教室の人と回るとペースが合うのが可笑しい。 -
では次、センターゾーンへ行きます。
途中にあったもの。
上野消防署の望楼上部。
1925年(大正14年)建築。
つまり火の見櫓の先端部分ということですね。
現在展示されているのは先端の7メートルほどですが、もともとは23.6メートルあったそうです。
半鐘がついているのが目を引きます。 -
万世橋(まんせいばし)交番。
なんだかカワイイ。
交番は神田の万世橋のたもとにあったもの。
移築の時にはトレーラーでそっくり運び込まれたそうです。
建築様式から明治後期のものと推定されています。万世橋 名所・史跡
-
センターゾーンには歴史的建造物が移築されています。
これは伊達家の門。
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。
これは内側から見たところ。
左手には片番所がついていて、まるで江戸時代の大名屋敷の門のようです。 -
緑濃い庭へやって来ました。
-
こちらは高橋是清(これきよ)邸。
ここに移築されているのはその主屋部分です。
もとの屋敷は港区赤坂にあった大きな屋敷。
1902年(明治35年)建築の建物です。
庭の一部も復元されています。
高橋是清は明治から昭和初期にかけて活躍した政治家です。
当時、大蔵大臣を務めていた高橋是清は、1936年(昭和11年)、2・26事件の際、この2階で青年将校の凶弾に倒れました。
2・26事件:
1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の一部青年将校が1400名の兵を率いて起こしたクーデター未遂事件。首相官邸、警視庁などを襲撃、高橋是清蔵相らを暗殺して永田町を一時占拠、国家の改造を要求したが、29日鎮圧された。 -
表へ回ってみます。
-
かつては車を寄せることのできた立派な玄関。
今は主屋しかありませんが、当時はこの左手に離れがあったそうです。 -
高橋是清邸の内部。
主屋の周りには広い廊下が張り巡らされていて一周できます。
この廊下はガラス戸がおもしろいと思って撮ったもの。
明治のこの頃はガラスは高価だったそうです。 -
仏間。
書院造りでしょうか?
クリーム色に薄緑の壁の色が目を引きます。 -
2階に上がりました。
2・26事件で高橋是清暗殺の現場となった場所。
2月26日早朝、兵士十数人が屋敷になだれ込み、白い着物を着て布団に座っていた是清に向かって銃弾を浴びせたと言います。
ちょうどボランティアの人がいて、お話を聞くことができました。
この奥の部屋がおそらく寝室であったのだろうという話でした。
手前の部屋は書斎みたいでした。
孫のお嬢ちゃんと一緒の写真が飾ってありました。 -
2階の廊下はガラス戸になっていて、緑深い庭が望めます。
家族は離れの方で暮らしていたそうです。 -
離れは残っていません。
かつて離れがあった場所に今は西川家別邸が移築されています。
なぜ2つの別の屋敷をくっつけて復元したのかはわかりませんが、外から見ると延々と屋根が続いていて、離れがあった頃の高橋是清邸の大きさがしのばれます。 -
こちらが西川家別邸。
製糸会社を設立した西川伊左衛門が接客用兼隠居所として1922年(大正11年)、昭島市に建てた家です。
高橋是清邸とは廊下でつながっていますが、通り抜けられないようになっていました。
西川家別邸へは別の玄関から入ります。 -
長い廊下が接客用の部屋と日常生活に使う部屋をつないでいます。
-
大正から昭和初期に最盛期を迎えた養蚕・製糸業の勢いが感じられる立派な屋敷です。
-
お風呂場。
若いカップルが「隣りのトトロに出てくるお風呂みたい」って言ってました。 -
これは旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)。
東京都指定文化財。
三代将軍徳川家光の側室、自証院(お振りの方)を供養するために新宿区市ヶ谷のお寺に建てられた霊廟です。 -
江戸時代初期の1652年(慶安5年)建築と言いますから古いものですね。
建築当初の極彩色の姿が復元されています。
よく見ると非常に美しい。
金の象の彫刻がついていて、異国情緒さえ感じます。 -
次に西ゾーンへ。
西ゾーンには大正・昭和の住宅がたくさん復元されています。
それぞれ中へ入れるので、住宅に関心のある人にとってはここ、おもしろいですよ。
これは「田園調布の家(大川邸)」
1925年(大正14年)に大田区田園調布に建てられた住宅です。
この家は全室が洋間。
外には白いパーゴラがあり、とても大正時代の家とは思えません。 -
内部を見学する時には靴を脱いで上がります。
靴の紛失を防ぐため靴袋が置いてあるので、各自靴を持って見学するようになっています。
脱ぎやすく履きやすい靴で行くのがお勧め。
ロングブーツやひも靴は向いていません。
この日、何度靴を脱いだり履いたりしたことでしょう。
外国の人も来ていましたが、外国人は靴の脱ぎ履きに慣れていないから、時間がかかって大変です。
これは玄関を入ってすぐ右手にある書斎です。
2面が窓になっていて、気持ちの良さそうな部屋ですね。 -
こちらは居間。
この家は居間を中心にした造りになっています。
大正期の建物とは思えないほどモダンです。
今の家とあまり変わりません。 -
食堂です。
この部屋の大きな特徴がキッチンと食堂を隔てる白い食器棚です。
食器棚の戸が一部、両面開きになっているので、キッチンと食堂の間でお料理や食器の受け渡しができます。 -
隣りにある前川國男邸。
前川國男さん(1905年〜1986年)は東京文化会館・東京都美術館や京都会館の建築などで知られる建築家です。
東京帝国大学卒業後、シベリア鉄道経由で単身パリへ渡り、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの下で学んだという経歴の持ち主。
この建物は自邸として品川区上大崎に建てられた住宅です。
1942年(昭和17年)築と言いますから、戦時中ですよね。
建築資材の入手が困難な時期の建物です。
大きな切妻屋根に、2階まで届く窓が特徴。
左右対称。
すばらしい外観です。
建築家が自分のために建てた家って興味あります〜。
この家だけはちょっと詳しくレポートしますね。 -
入口は反対側(北側)にあります。
大谷石の塀。
門扉はありません。 -
驚いたのが玄関です。
玄関はいったいどこだろうって探したら、この右手の隙間が玄関でした。
アプローチに対して直角になっていてドアが内側へ開くようになっているため、ここに玄関があるとは気づきませんでした。 -
玄関から入った奥にある書斎。
前川國男さんの自宅ということで、そう思って見ると、書斎も特別に思えます。 -
なんか、懐かしい物が置いてある〜。
-
リビングダイニングルームは広々した吹き抜けになっていて、可能な限り高い所まで格子の窓が取ってあり、明るい空間を作っています。
-
中2階にロフトがあります。
今でこそ山小屋や別荘などでこういう造りの家を見ますが、この時代には画期的なデザインだったのではないでしょうか?
日本のモダニズム建築の旗手と呼ばれる前川氏の自宅ならではです。
ロフトの下にダイニングテーブル。
ロフトへは上がれないようになっていました。 -
ダイニングテーブルは長方形ではなく、片方が幅広の台形なんですよ。
奥は左手がキッチン。
壁に窓口があって料理の受け渡しができるようになっています。
右手にはバスルームと寝室があります。 -
モダンなキッチン。
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窓の大きな寝室。
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そしてモダンなバスルーム。
シャワーこそありませんが、トイレは水洗式の洋式便座です。
くみ取り便所が一般的な時代、しかも戦時中によくまあこんなバスルームが作れたものです。
戦後の改装かもしれませんね。 -
山の手通りと名づけられたメインストリートに面していろいろな住宅が建っています。
それぞれの家は庭に囲まれているので、辺りは緑がいっぱいです。 -
さあ、次々に住宅を見て行きます。
住宅展示場を見ているみたいにワクワクします。
次は小出邸。
1925年(大正14年)築。
文京区西片にあった建物。
日本のモダニズム運動を主導した建築家、堀口捨己(ほりぐちすてみ)がヨーロッパ留学から帰国直後、30歳の時に設計した住宅です。 -
小出邸の入口。
この家は小出家の家族によって大切に住み続けられ、1996年(平成8年)まで使われていたそうです。
閑静な住宅地に普通にありそうな家。
江戸東京たてもの園の中とは思えませんね。
このお宅、門から玄関までのアプローチが素敵なんですよ。 -
応接間は洋風です。
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ね、何だかちょっとレトロな住宅展示場を見ているみたいでしょう?
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お次はデ・ラランデ邸。
1910年(明治43年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが元あった平屋建ての洋館を3階建てに増築したもの。
1999年(平成11年)まで新宿区信濃町に建っていましたが、最近東京たてもの園へ移築されて来ました。 -
デ・ラランデ邸の1階はカフェになっています。
この日はとっても暑い日でした。
私たち、撮影実習からずっと暑い中を歩き回って来たので、冷房の効く室内へ入って冷たいものが飲みたくなりました。
ここでちょっとひと休み。
撮影実習と言っても初心者コースなので、難しいことをやっている訳ではありません。
この日はホワイトバランスとピクチャースタイルをいろいろ変えて撮ってみよう、なんてことをやってました。 -
1階にあるカフェ、武蔵野茶房。
好きな座席を取ってから、カウンターで注文、支払いをします。
メイド服姿の店員さんがちょっと物珍しい。
品物は席まで運んでくれます。
ここ、ドイツビールとワインも飲めますよ。 -
私はソフトクリーム付きロールケーキとアイス・カフェオレ。
ソフトクリーム、味が結構濃い。
でも甘くて美味しいです。
アイス・カフェオレが美味しい。 -
クラスメイトの彼女は同じソフトクリーム付きロールケーキとアイス・ティーにしました。
カップには紅茶で作った氷が入っていて、見るからに涼しそう。
味は普通、って言ってました。 -
この屋敷にはデ・ラランデが家族と住んでいましたが、その後持ち主が変わり、1956年(昭和31年)からはカルピスの発明者、三島海雲氏が住んでいました。
そのせいか、メニューの中にミルクカルピスというのがありました。 -
冷たいものを食べてひと休みした後、屋敷内の見学をします。
カフェの中も見学コースになってるみたい。
通り抜けても構わないようでした。
隣りの部屋にもまた雰囲気の違う席があります。 -
マリア様のレリーフのある暖炉。
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部屋を仕切るカーテンのレールがメチャお洒落。
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2階への階段は幅狭です。
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建物の裏手に立派なエレベーターがあって、バリアフリーになっています。
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2階はまるでホテルの客室のようでした。
ただし、木の床はギシギシ鳴ります。
この家にデ・ラランデ氏は妻と4女1男の7人家族で住んでいたそうです。
なお、3階は見学不可でした。 -
西ゾーンの端の方には茅葺きの民家が3棟、復元されています。
その中の一つ、八王子千人同心組頭の家。
江戸時代後期のもの。 -
内部ではボランティアの人がかまどで火を焚いてみせる実演をやっていました。
写真を撮っていたら、ボランティアさん達がかまどに新しい薪をくべ、湯気がたくさん出るようにお釜の蓋を少し開けてくださいました。
うちわであおぐとよく燃えますよーと言われて、これ、私が扇子であおいで起こした火です。
暑い〜!
汗ダラダラ。
夏にかまどの写真を撮るのはチョー暑かったです。 -
先に東ゾーンで見た天明家の大きさにはとても及びませんが、奥に畳の部屋もあって、この家の格式の高さが伺えます。
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こちらはまた別の農家。
世田谷区岡本にあった江戸時代中期の綱島家(つなしまけ)です。
囲炉裏、神棚・・・。 -
太い柱。
茅葺き屋根の内部の作りが素通しで見えます。 -
今度はまったく雰囲気が変わります。
これは写真スタジオです。
1937年(昭和12年)築、板橋区にあった常盤台(ときわだい)写真場。 -
1階は家族の生活の場。
2階がスタジオになっていました。
安定した照度を得るために、北側は擦りガラスをはめ込んだ大きな窓になっています。 -
最後に見学したのは三井八郎右衛門(みついはちろうえもん)邸。
三井財閥総領家11代当主、三井八郎衛門高公(はちろうえもんたかきみ)の屋敷として港区西麻布に1952年(昭和27年)に建てられた邸宅です。
戦後の財閥解体後とは言え、堂々たる豪邸です。 -
玄関の屏風絵と板戸の絵。
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玄関。
ルネ・ラリック作の照明ボール。 -
板戸の絵は確か、高公氏の父、十代当主高棟(たかみね)氏自らが描いたと書いてあったと思います。
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この右手、客間と食堂の2部屋は、1897年(明治30年)頃京都油小路に建てられ、戦後東京へ移築されたものだそうです。
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客間は書院造りの和室に絨緞を敷き、テーブルとイスを置いた和洋折衷の作りになっています。
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金箔がまぶしい食堂。
さすがは三井家のお屋敷です。 -
天井も凝っています。
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欄間もユニークなデザインですね。
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これは望海床(ぼうかいしょう)と呼ばれる部屋。
茶室として使われていたようです。
障子の桟が繊細です。
土蔵の中も見学できましたが、内部はなぜか撮影禁止でした。
見学はこれで終わり。
江戸東京たてもの園、すごく見ごたえがありました。
いろいろな建物が見られて面白かったです。 -
小金井公園の中を歩いて帰ります。
SLが展示されていました。 -
江戸東京たてもの園は野外博物館です。
未来に残して行きたい江戸〜昭和の建物がみごとに復元されています。
内部へ入れる展示が多いというのも嬉しいです。
昭和の生活・文化に関心のある人は東ゾーン、
歴史に関心のある人はセンターゾーン、
住まいに関心のある人は西ゾーンがおもしろく感じられるだろうと思いました。
もちろん、全部見るのが一番です。 -
来る時は皆でタクシーで来たけれど、帰りはバスに乗って帰ります。
このバス停はあと何分でバスが来るかが表示されるので便利です。
ちなみにバスは5分〜10分間隔で来るようでした。
最近のバスはICカードが使え、小銭の持ち合わせや整理券番号を気にしなくてもいいので、乗りやすくていいですねぇ。
今日は暑い一日でした。
江戸東京たてもの園の見学は終わりましたが、家に帰り着くのはまだまだ。
千葉県民のさだめ。
これから2時間以上かけて家へ帰ります。(T_T)
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この旅行記へのコメント (7)
-
- ねいちゃさん 2013/09/12 16:07:17
- すいません。
- お久しぶりです、ニッキーさん。
すいません、こちらにお邪魔するのすっかり忘れておりました。
確かフランス編が終わって、すぐにUPされていたと思うのですが。
ペルー前後のバタバタで・・・。
ひとまずクスコ編まで終了したので、マチュピチュ編はじっくり腰をすえて・・・(笑)
私的にはやっぱり高橋是清邸かなー、一番みたいですね。2.26事件昭和維新が空振りに終わったことで、逆に一気に戦争に流れていった事件の舞台。
あれですか、事件についての案内などもあったりするのでしょうか?
大正まで行くと「ふーん」で終わるんだけど、昭和だと「あ、あれあれー」とかなんかテンションあがります。黒電話なんて今は見ないし、ドラム缶型赤ポストもついこの間まであった気もする。
京都の市電。。。か。もう何回乗ったかわかりませんね。
電車賃15円で、妹が座席の隙間に1円入れ込んだんで、14円しかなく訳を言って、運転手さんに降ろしてもらったこともありました。なつかしい。
当時の家は西陣の近くにあったんですが、今はすっかり様変わりです。
とてもなつかしい気分にさせてもらうことができました。
ありがとうございます。 ねいちゃ
- ニッキーさん からの返信 2013/09/13 23:43:54
- RE: 気楽にどうぞ。
- ねいちゃさん、こんばんは。
パソコンのトラブルがあったということでしたけど、クスコ編まで順調にアップされてますね。私もこのところバタバタしています。旅行記アップの予定もしばらくありません。><
> 私的にはやっぱり高橋是清邸かなー、一番みたいですね。
江戸東京たてもの園がただのテーマパークでない点は、すべて実在の建物を移築しているということ。日本人ならどこか懐かしさを感じる建物の数々が見られますよ。
ねいちゃさん的にはやっぱり高橋是清邸に関心がおありですか〜。(ねいちゃさんならそうじゃないかと思ってました)
高橋是清が散策を好んだという庭の一部も移築されていて、重厚な主家と共に江戸東京たてもの園の中心になっています。
事件の様子は説明板に書いてありました。
2月26日早朝、兵士十数名が屋敷2階の寝室になだれ込み、白い寝間着を着て布団の上に座っていた高橋是清に銃弾を浴びせ軍刀で切りつけ、是清は即死であったと書いてありました。市民から「ダルマさん」と呼ばれて親しみを持たれていたため、葬儀には大勢の人が別れを告げるため参列したとも書いてありました。
部屋にその痕跡は一切残っていませんが、ねいちゃさんがいつもおっしゃるように、ここで実際に歴史が刻まれてきたのだと思うと、感じるものの重みが違います。ボランティア・ガイドさんの話を聞くこともできますよ。
わー、京都の市電、運賃は15円でしたか〜。
祖父が市内のお寺の住職だったものの、私の家族は市電が走っていない桂(桂離宮の側)に住んでいたので、一人で乗ったのはずっと後。しかも運賃まで憶えていませんでした。
きっかり15円ずつを握りしめて市電に乗られた妹さんとの子どもの頃のエピソード、微笑ましいです。そう言えば、一昨年広島へ行った時、広島市内で緑色の京都の市電(たぶん)が現役で走っているのを見ました。(@o@)
懐かしく嬉しかったです。
ニッキー
-
- サウスピーチさん 2013/09/04 07:29:01
- 東ゾーンも見てみたい!
- ニッキーさん、こんにちは! 江戸東京たてもの園にお邪魔しています。
東京のど真ん中ですけど、貴重な江戸・東京の建造物の保存を目的としたこんな施設ができたなんて、
東京都もやりますねぇ♪
写真教室も相変わらず続いているようで、いいですね! 楽しそう。
破風というのは初めて聞きましたが、写真で見ると、アメリカの住宅にもこういう形の窓みたいなものがあるなぁ〜、と。
ニッキーさんもご存知ではないですか? 日本では、装飾・換気・採光のために設けられるものらしいですが、
アメリカの場合は、大抵屋根裏部屋の部分にこのような形の窓が付いていることが多いですね。
元は同じ意味で取り付けられたこの部分に、単にアメリカでは屋根裏部屋にしちゃった、ような気がします。
一石二鳥、ってね。(^^;
色々な時代の重要建築物が集められているんですね。 歴史的内容が面白いです。
それに、こんなに沢山の建物や住宅があるなんて、たてもの園全体の敷地も随分と広そうですね。
旧自証院霊屋の屋根の下の部分に、金の象の彫刻がありましたが、これを見て、昨年行った
高千穂の「天岩戸神社」で見た、象の彫刻を思い出しました。 丁度同じような部分に彫刻が
対になっていて、「阿・吽」の口元になっていること、そしてなぜ象なんだろう・・・と不思議に思ったのですが、
未だによく分かりません。 ここももしかすると、もう1体の金の象がいたのかなぁ〜、なんて
想像が膨らみました。(^^;
暑かったでしょうけど、ニッキーさんの頑張りのお陰で、かまどの写真、よく撮れてましたよ!(爆)
あ〜、美味しいロールケーキが食べたくなった・・・w
こっちでは、美味しいものが食べたい場合、自分で作るしかないんです。(T_T)
サウスピーチ :)
- ニッキーさん からの返信 2013/09/04 12:45:50
- RE: コマ象?大発見!
- > 東京都もやりますねぇ♪
意義のあることですよね。こうやって残しておかないと、古い建物はどんどん消えていきますものね。広い都立小金井公園(80万平方メートル弱)の中にあるんですけど、江戸東京たてもの園だけで敷地は7万平方メートル。かなり広いです。これで入場料400円って安過ぎ。国立科学博物館へ行った時ボランティア・ガイドさんが大勢いて驚いたけど、ここでもボランティアの人がお手伝いをしてました。
東ゾーンの写真を載せるか迷ったんですけどね。あそこは写真教室の撮影実習で回ったところなんで。ま、広義の「旅」と言えなくもないですが、今回は一線を引くことにしました。出不精の私の場合、今後も撮影実習ついでの観光が多くなると思います。
東ゾーンの昭和の街並みは千と千尋の神隠しの作画の参考にされたそうで、懐かしい気がしてとても面白かったです。お蕎麦が食べられる休憩所があって紙芝居もやってましたよ。
あと、江戸東京たてもの園は日にち限定で夜間開園もやってます。紅葉の時とか夏は夕涼み会とか。
> アメリカの場合は、大抵屋根裏部屋の部分にこのような形の窓が付いていることが多いですね。
あるある〜!って私は実際には見たことがないけれど、映画などで見かけます。天井が斜めで低いから条件のいい部屋ではないんでしょうが、秘密基地みたいで自分の部屋に欲しいくらいです。
> 対になっていて、「阿・吽」の口元になっていること、そしてなぜ象なんだろう・・・
対?
えーっ、私気がつかなかった〜。なるほど〜。
私が撮った写真に写っている象は口を開いてますね。そうすると、対の方は口を閉じてるはず。でも私の写真では木の枝が邪魔して左が見えない。
興味を引かれてネットで調べてみたら、サウスピーチさんが言うとおりでした。向かって左にも対になった象の彫刻があって、そっちは口を閉じてました。
江戸東京たてもの園のHPの写真はわかりづらいので、こちらを。
http://www.youtube.com/watch?v=sMpLWQcgqao
わー、おかげで大発見〜!さすがはコマイヌ好きのサウスピーチさん!この象もコマイヌと同じ意味合いなんでしょうか、手前の柱に付いてますね。なんで象なのかはわからないけど、日本の文化っておもしろいですね。
ロールケーキ、おいしそうでしょ?
暑い日だったので、冷房の入ったカフェでひと休み、ホッとしました。
それでなくても更年期で夏はとにかく暑いのに、今年はまた異常な暑さ。
冷房の無い夏は考えられなくなって来ています。
ニッキー
- サウスピーチさん からの返信 2013/09/05 00:08:18
- RE: RE: 大当たり♪
- > 興味を引かれてネットで調べてみたら、サウスピーチさんが言うとおりでした。
> 向かって左にも対になった象の彫刻があって、そっちは口を閉じてました。
うわ〜♪ 自分の予想が当たって、めっちゃ嬉しい〜! (*^^*)
わざわざ調べて下さって、ありがとうございます。
それに、YouTubeで探すのも結構大変だったんじゃないですか?
口が閉じてる方のは、バッチリ大きく写ってましたね!
神社での必見ポイントがまた一つ増えました〜。(笑) (*^^*)
サウスピーチ :)
-
- るなさん 2013/08/18 10:08:33
- テーマパークのように楽しい
- こんにちは、ニッキーさん。
建物園、お邪魔しました♪
確かに千葉からでは遠いですね。
わが渋谷から武蔵野の地はそう遠くないですが、やっぱり駅から遠いとアクセスが面倒になりますね。
ニッキーさんは写真教室に通われているんですねぇ〜
私も一度は基礎をちゃんと学びに行きたいと思ってはいるのですが( ;∀;)
ここはホントに懐かしい雰囲気が漂っていましたね。
この旅行記には載せていらっしゃいませんが、昭和の商店街のエリアは楽しかったなぁ♪
私ぐらいの世代がぎりぎりでしょうか?最近の方じゃきっとわからないでしょうね。
私もあんまり期待しないで行ったんですが、なかなか楽しくて時間不足で回りきれなかったので、またリベンジしたいなって思います。
るな
- ニッキーさん からの返信 2013/08/20 13:56:17
- RE: いや、私世代でぎりぎりかと。
- ここは建物の野外博物館ということで、画期的な施設ですよね。ほんと、テーマパークみたい。昭和レトロが楽しめる。下町の商店街エリアはお店の陳列とか路地裏の再現とかもあって、特に面白かったですよね。
> ニッキーさんは写真教室に通われているんですねぇ〜
私が通っているのはEOS学園の初心者向けコースなんです。今は知識を得る手段がたくさんあるから、独学できる人は通う必要はないように思います。私には引っ張ってくれるものがあった方がいいと思って通い始めたんです。月2回ぐらいのペースでゆったりめなのも私に合ってるかな。他にも風景撮影とかスナップ撮影とかジャンル別、中級者向けのコースもあるので、基礎コースの後はそういうのも面白いかなと思っています。
> 私ぐらいの世代がぎりぎりでしょうか?最近の方じゃきっとわからないでしょうね。
るなさんでぎりぎり?
そうですかぁ?
カルピスの広告が貼ってあって「初恋の味 カルピス」って書いてありました。知ってます?私は懐かしかったです。今読むと、あまりにダサいコピーに笑ってしまいました。あのタイプの銭湯にしても路地裏に復元されていた手こぎの井戸水汲み上げポンプやトイレのくみ取り口にしても、幼い頃の記憶にあるのは私世代でぎりぎりだろうなと私は思ってたんですよ。
そう言えば、若い人たちは「トトロみたい」とか「千と千尋みたい」って言ってましたね。たとえ実物を見たことがなくても、ここは日本人なら誰しも懐かしい気がするのではないでしょうか?タイムスリップを楽しむつもりで行くといいですね。
昨日の本日の一枚にるなさんの写真が選ばれていましたね。おめでとうございます。
Facebookでもしばしばるなさんの写真を拝見します。
素晴らしい!ちゃんと見てますよ〜。
ニッキー
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