2011/05/10 - 2011/05/17
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ペコちゃんさん
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ピョートル大帝と、妻のエカテリーナ(ロシア初の女帝)の時代に発展したサンクトペテルブルクは、美しい自然と共に、多くの観光資源があります。
300万点の美術品を収蔵する「エルミタージュ美術館」、大小様々な噴水が旅行者を楽しませてくれる「ピョートル大帝夏の宮殿」、眩いばかりに美しい「エカテリーナ宮殿」、内部が見事な「聖イサーク大聖堂」や「血の上の教会」等々、多くの人を惹きつける魅力に溢れた街です。
旅行時期が5月中旬だったので、緑が鮮やかで、夜は11時になってもまだ明るい感じでした。
写真は、「ピョートル大帝夏の宮殿」の「大滝」の噴水です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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飛行機から見た、空港近くのサンクトペテルブルク市街。
サンクトペテルブルグの創建は1703年、ピョートル大帝がロシア近代化の要としてパルト海に開かれた港と要塞を築いたことに始まります。
沼沢地での建設は、運河を掘り、杭を打ち、建材を運搬し、雪解けの洪水と戦い、困難を極めました。
このために使役された捕虜のスウェーデン兵や農奴ら4万人以上が、疫病や飢えなどから命を落としたと言われています。
このような歴史のあるこの街は、現在も18世紀の姿をそのままに、素晴らしい街並みを留めています。
ネヴァ川のデルタ地帯に発達したこの街には、65本の川と100以上の島があり、「北のベニス」と呼ばれる水の都です。
この街の名前は、「聖ペテロの街」を意味し、建都を命じたピョートル大帝が、自分と同名の聖人ペテロの名に因んでつけたそうです。
現在の人口は503万人で、大阪と姉妹都市です。 -
1932年に完成した、サンクトペテルブルクの「プルコヴォ空港」・・・モスクワから1時間20分のフライトで20時45分に到着。
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風があって結構寒いのに、ポーターのお兄さんは半袖。
「ねェ、寒くないの? 若いのねェー!」
早速、Oさんは、お兄さんに、ちょっかい(?) -
今日の夕食は、このビルの地下にあるレストランで・・・
と言うより、ナイトクラブのようでした。 -
4人で、乾杯!
バイキングなので、いろいろ食べました。 -
レストランにはステージがあり、ロシアの歌を熱唱する歌手の歌を聴きながらの夕食でした。
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今日から「パーク・イン・プルコフスカヤ」に3連泊。
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5日目の朝。
朝食後、ホテルの前にある「勝利の広場」を散策・・・この広場は、独ソ戦争(1941~45年)の勝利を記念して、戦後造られました。 -
(上の写真)前線で戦う兵士と、後方を支援する労働者の像。
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市内観光に、出発。
車窓から見えた「モスクワ凱旋門」・・・1828~1829年の露土戦争の勝利を記念して建てられた門です。
はるか遠方のオスマントルコと戦争をしていたかと思うと、感慨深いものがあります。 -
聖イサーク大聖堂に面した「イサーク広場」に着きました。
ここは観光客相手の写真撮影など、観光地の広場です。 -
広場の中央にある「ニコライ1世像」・・・ニコライ1世は1825~1855年の30年間、ロマノフ朝第11代のロシア皇帝として在位しました。
冷徹な専制主義者でしたが、個人としては人格者であったそうです。 -
「宮殿広場」・・・エルミタージュ美術館の前にある広場ですが、血の日曜日事件(1905年)、十月革命(1917年)などの歴史的事件が、ここで起きました。
エルミタージュ美術館の反対側にある1827年に建てられた「旧参謀本部」は、半円形に構成された巨大なバロック風の建築物で、中央部に凱旋門が設けられ、凱旋門の上には、勝利の女神の騎馬像が宮殿広場を見下ろすように置かれています。
広場の中心にはナポレオン戦争の勝利を記念して1834年に完成した「アレクサンドルの円柱」があり、帝政ロシアを代表する広場になりました。 -
「エルミタージュ美術館」は、1762年に完成した歴代皇帝の住いであった「冬宮殿」と、関連する4つの建物が廊下で結ばれた巨大な建物です。
1754年にエリザベータ女帝によって建築が開始されましたが、後のエカテリーナ2世の時代に大改築され、現在の宮殿の形がほぼ完成しました。 -
西欧文化の信奉者だったエカテリーナ2世は、多数の西欧絵画を購入し、後のエルミタージュ美術館の基がつくられました。
ロマノフ朝の財宝とソ連誕生後に国有化されたコレクションが豊富な世界有数の美術館・・・収蔵美術品は、300万点を超えます。
この『大使の階段』 がエルミタージュ見学のスタート地点・・・吹き抜けの高さは22mもあるそうです。 -
昔の華やかな宮廷生活が偲ばれます。
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(上の写真)「将軍の間」の見事なブロンズ製のシャンデリア
(下の写真)「紋章の間」は眩いばかりの広間。 -
「玉座の間」(ゲオルギーの間) ・・・床のモザイクが素晴らしい。
玉座には、ロシア皇室の紋章「双頭の鷲」があります。 -
「パビリオンの間」に置かれた「クジャクのからくり時計」・・・1772年にイギリスで作られたこの時計は、エカテリーナ女帝の愛人とされたグルゴリー・ボチョムキン公爵が1780年に購入し、エカテリーナに贈ったものです。
ドイツ人のエカテリーナ2世には、10人以上の愛人がいたようです。
通常は動いていませんが、毎週水曜日の午後1時にだけ時刻を告げるそうです。
テレビでは見ましたが、実際に羽根を広げたところを見たいものです。
クジャクの他にフクロウ、ニワトリ、リス、トンボもいます。 -
たまにしか動かない「からくり時計」って、どうやって時間が分かるのかな?・・・実はクジャクがとまっている木の根元にある大きなキノコみたいなのが時刻を表しています。
文字盤は『Ⅹ時』・・・現在の時刻は10:15だから合ってるウ~。 -
床に嵌め込まれた八角形のモザイク・・・メドゥーサやケンタウルス、トリトンなど、古代神話が描かれています。
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貝殻状の大理石のお皿に 涙のようにポタポタと落ちていく「涙の噴水」。
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ここから、名画の鑑賞です。
レンブラント「ダナエ」 -
(右上)レンブラント「聖家族」
(左上)レオナルド・ダ・ヴィンチ「ベヌアの聖母」(花を持つマドンナ)
(右下)レオナルド・ダ・ビンチ「リッタの聖母」
(左下)ラファエロ 「コネスタビレの聖母」 -
「ラファエロの回廊」・・・ここに描かれた絵画は、ローマのヴァチカン宮殿にあるラファエロのフレスコ画を模したもの。
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(右上)ラファエロ「聖家族」
(左上)ゴヤ「アントニア・サラテの肖像」
(右下)エル・グレコ「受胎告知」
(左下)ルノワール「ジャンヌ・サマリーの肖像」 -
(右上)セザンヌ「カーテンのある静物」
(左上)ゴッホ「茅葺の小屋」
(右下)ゴーギャン「果実を持つ女」
(左下)マティス「ダンス」 -
(右)ピカソ「姉妹」
(左)レジェ
想像以上のエルミタージュ美術館でした。 -
お迎えのバスを待っていても、なかなか来ない・・・今日は市民マラソン大会が開催され、バスが宮殿広場に近付けないため、ガイドのマリーヌさんが警官に、 ” どうなってんの! ” 。
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エルミタージュ見学の後、このレストランで昼食。
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メインは「シャシリク」・・・これは、マリネした肉を串刺しにして、炭火焼にする中央アジアの料理です。
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午後は、楽しみにしていた「ピョートル大帝夏の宮殿」の噴水を見に行きます。
この「宮殿橋」は、いわゆる ” 跳ね橋 ” で、大きな船が航行する際は、勝鬨橋のように橋げたが上がります。
ネヴァ川の橋はすべて可動橋になっていて、夜には跳ね上げられて陸上交通が遮断されることがあります。 -
1810年に建てられた「ロストラの燈台柱」・・・高さは32mあり、柱には、ロストラ(船首の部分)が付いていますが、これは海戦に勝利すると、敵船の船首を切り取る古代ローマの習慣に由来しているとのことです。
ネヴァ川の暴走族が、ロストラの燈台柱を見ながら疾走していました。 -
冬の宮殿前の船発着場より水中翼船でネヴァ川を西に向かい、フィンランド湾に抜けて、30分ほどでペテルゴフの夏の宮殿に到着しました。
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船を降りて進むと、宮殿と大滝が見えてきました。
最初に「下の公園」の噴水を見て回ります。 -
(右上)アダムの噴水
(左上)モンプレジール宮殿前の噴水
(右下)太陽の噴水
(左下)ローマの噴水 -
公演を歩いていると、カラスに狙われて、逃げ回るリス・・・リスが無事逃げられるよう、下で見ていた人たちは応援しました。
執拗なカラスの攻撃にリスは大丈夫だったでしょうか。 -
テレビでよく見た「いたずらの噴水」・・・ベンチに座っているおじさんが、何食わぬ顔でペダルを踏み、子供達はびしょ濡れ!
楽しい風景でした。 -
ここにも、いたずらの仕掛けが・・・下の公園には大小さまざまな工夫をこらした噴水が点在しており、その数は何と150以上。
すべて土地の高低差を利用したもので、電力などは一切使われていません。 -
チェス山の滝の前で演奏する音楽家。
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以前、春のオランダ・キューケンホフ公園で見たのと同じ花が咲いています。
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「海の怪物の口を引き裂くトリトン」の噴水。
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地形を巧みに利用して造成された公園の噴水は、すべて丘の上から落とす自然の圧力のみで噴出し、高いものは20mほどもあります。
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サムソンの噴水。
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大北方戦争に勝利し、バルト海の覇権を手に入れたロマノフ王朝第4代・ピョートル大帝は、1714年、フィンランド湾に面したペテルゴフの地に離宮の建設を始めます。
宮殿が完成したのは1723年・・・彼が亡くなる2年前のことでした。 -
宮殿前から見た風景。
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この大滝からの眺めは、まるで絵葉書・・・虹もかかっています。
これを見たかった~!!! -
こんな美しい風景が見られて、幸せを感じました。
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ピョートル大帝がフィンランド湾を臨むテラス状の地形を利用して造らせた「ピョートル大帝夏の宮殿」・・・当時の先進国であったフランス、オーストリア、プロイセンなどに追いつけ、追い越せムードにあったロシアは、この宮殿と庭園に多額の財を注ぎ込み、調度品はベルサイユ宮殿以上とも言われています。
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ペテルゴフから市内に戻り、「ニコライ宮殿」へ・・・ここはかつて、皇帝ニコライ1世の子息の邸宅だった宮殿。
今回のツアーは、通常はモスクワで「ボリショイ・サーカス」を見ることになっていますが、海外公演中のため、代わりに「ニコライ宮殿のフォークロア・ショウ」を楽しむことになりました。 -
19時開演で、座席は先着順なので18時20分に着き、前から2列目中央をゲット。
その後、次々と各国の団体客が到着し、アッという間に満席になりました。
ホール入り口で迎えてくれた美人は、ショーの司会者。 -
最初は、男性ボーカルで『モスクワ郊外の夕べ』などを歌い、次は、男女が軽快なテンポで『カチューシャ』を歌い、その歌声がホールに響き渡ります。
どこか懐かしさを覚える陽気なロシア民謡・・・楽しい気分でロシアにたっぷり浸りました。 -
それから、ロシアの民族舞踊へと続きます。
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迫力満点のコサックダンス・・・男性の踊りにも、キレがあってすごい!
音楽は生伴奏で、女性はとても優雅で綺麗です。 -
途中の休憩時、隣室でワイン・シャンペン・ウオッカとカナッペの無料サービスがあり、売店では舞台の女性たちが手に持って踊っていた素敵なスカーフ「ロシアン・ブラトーク」を販売していたので、記念に一枚買いました。
第2部も、民族舞踏など次々と舞台が進みます。 -
最後に、お笑いのダンス・・・客席まで、落っこちて来ました。
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そして、フィナーレ・・・1時間半の楽しいショーは、あっという間に終了。
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6日目。
「パーク・イン・プルコフスカヤ」のレストランで、ゆっくり朝食。 -
午前中は「エカテリーナ宮殿」の観光です。
宮殿があるのは、サンクト・ペテルブルグから南に27km離れた「ツァールスコエ・セロー」、ロシア語で「皇帝の村」を意味する街です。
これは、街の出入口にある「エジプト門」。 -
宮殿の駐車場でバスを降りると、まず楽団が、それまで演奏していた曲を止めて、「君が代」を演奏して出迎えてくれました。
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宮殿に行く途中、ロシアの詩人「プーシキン」の像がありました。
1799年モスクワで生まれたプーシキンは、サンクトペテルブルグで6年間学び、15歳のときに書いた詩『ツァールスコエ・セローの想い出』で世間の注目を集め、またたく間に人気となります。
その関係か、この地はソ連時代に『プーシキン市』となりましたが、現在は帝政時代の旧名『ツァールスコエ・セロー』に戻っています。
プーシキンは、1837年に美貌の妻を巡って決闘を行い、その傷がもとで死亡しました。 -
綺麗な花を見ながら歩いて行くと、黄金色に輝く門に到着。
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広い庭園を進むと、黄金色に輝く礼拝堂が見えます。
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この宮殿は、1724年にピョートル大帝妃のエカテリーナ1世のために建設され、1752~1756年に大幅な改築がされました。
建物幅は325m・・・青と白のコントラストが、いかにも夏を思わせるような爽やかさを感じさせてくれます。 -
建物の入り口の所にも楽団がいて『荒城の月』を演奏してくれました・・・ ” とっても上手! ”
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宮殿の中は土足厳禁・・・靴の上にカバーをつけて入ります。
(日本の刑事ドラマで、刑事さんが靴の上からかぶせている薄いビニール製のカバーです。) -
宮殿内部の階段室には「伊万里焼」の壺と壁飾りが・・・地震がないから大丈夫なんでしょう。
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窓辺の「目覚める天使」、反対側には「眠れる天使」がいました。
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1782年に、アリューシャン列島の孤島に漂着した大黒屋光太夫は、シベリアを横断し、数年後にこの「大広間」でエカテリーナ2世に拝謁し、帰国許可を嘆願しました。
日本との通商を希望していた女帝の思惑もあり、1792年に許可され帰国を果たしました。 -
「大広間」には、左右に大きな窓、窓の間に配された鏡、磨かれた床、天井にフレスコ画が描かれいます。
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柱がない大広間の素晴らしい天井画・・・天井いっぱいに描かれているので、シャンデリアはありません。
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そして、眩いばかりの黄金の輝きです。
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エカテリーナの「E」字形の食堂テーブル。
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オランダ・デルフト焼の陶器のペチカ。
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また、階段室を通り・・・
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「琥珀の間」に向かいます。
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マイセンの食器で飾られた「白の食堂」。
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「赤柱の間」と「緑柱の間」。
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「肖像画の間」・・・部屋の中央にエカテリーナ2世が着用した衣装が展示されています。
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部屋に掲げられたエカテリーナ1世(右)とエリザヴェータの肖像画。
農民の娘だったエカテリーナ1世(1684~1727)はピョートル1世(大帝)の妃となり、夫の死後、ロマノフ朝第2代のロシア皇帝に即位しました。
長女のエリザヴェータ(1709~1762)も1741年にロシア皇帝となります。 -
「琥珀の間」・・・当初の琥珀は、戦争中にドイツ軍によってすべて持ち去られたため、戦後、当時の写真を元に琥珀の間の修復を始めましたが、写真がモノクロだったので正確な色はわからず、また上質で色が揃った琥珀を調達するのが困難でしたが、ドイツの協力を得て完成しました。
ロマノフ朝の女帝の中で有名なのは、ドイツから嫁いだエカテリーナ2世(1729~1796)・・・彼女もこの宮殿がお気に入りで、「琥珀の間」をこよなく愛しました。 -
琥珀の間の出口。
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「緑の食堂」・・・古代ローマ風のレリーフが見事です。
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エルミタージュ美術館と同様、床は美しい寄せ木が・・・
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館内見学の後は、庭園に出てみました。
建物の右にある礼拝堂のドームの金色の輝きが、眩しいばかりです。 -
池の周りを散策。
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宮殿近くのレストランで昼食。
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メインは肉料理・・・ドライバーさん・ガイドさん・添乗員さんも美味しそうに食べています。
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午後は市内に戻り、「聖イサーク大聖堂」の見学です。
現在の聖イサーク大聖堂は、1818年から40年かけてアレクサンドル1世の時代に建造され、1858年に完成しましたが、ロシア革命後は、ソビエト政権の下で博物館となりました。
第二次大戦での独ソ戦におけるレニングラード包囲戦で、寺院の黄金のドームはドイツ軍にとって絶好の標的となるため、ソ連側はドームを灰色に塗装し直したそうです。 -
巨大な黄金のドームが特徴的なロシア正教会の大聖堂・・・高さは約100m、面積は1万平方m、約1万4千人を収納できる、世界で3番目に大きな聖堂です。
名前の由来は、ピョートル大帝の守護聖人・ダルマチアの聖イサークからきているとのこと。 -
入り口の「天国の門」・・・イタリア・フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の有名な扉(天国への門)を模した浅浮き彫が施されています。
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入場すると巨大な空間が広がっており、正面のイコノスタシスは12本の緑の孔雀石と2本の青いラピスラズリの豪華版です。
中央にあるキリストのステンドグラス両側には、ピョートル大帝・エカテリーナ2世・アレクサンドル1世や聖ネフスキー・聖母子・聖パウロ・聖イサークなど、皇帝や聖人のイコンが飾られています。 -
中央にある「キリストの復活」のステンドグラス・・・ロシア正教の寺院ではあまりステンドグラスは使われないので珍しいとのこと。
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天井ドームの内側にも聖人たちの像や絵が綺麗に配置され、ドームの最上部中心には、白鳩が見えます。
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孔雀石の柱の間に飾られた聖人のモザイク画。
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内装には金400kg、青金石500kg、銅1,000kg、孔雀石16,000kgなど40種を越える貴石が使用され、著名な建築家や彫刻家、学者にエンジニア、そして100万人もの作業員たちが建設に携わったそうで、ただただ圧巻の聖イサーク大聖堂です。
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約200段の狭い螺旋階段を回りながら、最後は外の階段を上り、43メートルの高さの展望台に上りました。
高いところは苦手な私ですが、夫に助けられやっと登り切りました。 -
苦労して上った甲斐があり、サンクトペテルブルクの市内を一望出来る、素晴らしい絶景です。
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ネヴァ川の方を見ると、旧海軍省の金色の塔やエルミタージュ美術館の建物が見えます。
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眼下には、昨日観光したイサーク広場と、中心にニコライ1世像が見えます。
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遠くには、血の上の教会が見えます。
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展望台からのデカブリスト広場。
屋根の銅像は、使徒ヨハネ。 -
この後、「デカブリスト広場」に行きました。
1825年12月にこの広場で、ロマノフ王朝の圧政に苦しむ人民を助けるために、若い青年貴族が蜂起した「デカブリストの乱」(ロシア語で12月は「デカーブリ」)・・・1917年の革命後、ロマノフ王朝に最初に反旗を翻した記念すべき場所として「デカブリスト広場」と呼ばれるようになりました。
現在は、旧元老院や旧海軍省、聖イサク寺院、ネヴァ川に囲まれ、クラシカルで緑豊かな広場として地元の人の憩いの場となっています。
若者達が広場でダンスを楽しんでいました。 -
デカブリスト広場には、エカテリーナ2世が1782年に建立したピョートル大帝の巨大な銅像があります。
プーシキンがこの騎馬像を題材にた長編叙事詩『青銅の騎士』を1833年に発表して有名になり、この像自体もこの名で呼ばれるようになりました。
馬の足元にはヘビがいて、馬が踏みつけています・・・これは、北方の宿敵・スウェーデンへの勝利を意味するものだそうです。 -
今日は日曜日・・・市民もノンビリと休日を過ごしています。
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「血の上の教会」・・・モスクワの聖ワシーリー寺院に模して造られたこの建物は、建築に1883年から1907年までかかり、外壁はレンガ・モザイク画・タイル・大理石によって覆われ、屋根は9つの玉ねぎ型のドームが林立しています。
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公式名は「ハリストス復活大聖堂」ですが、1881年に皇帝・アレクサンドル2世がテロリストの手榴弾で爆殺され、次の皇帝・アレクサンドル3世(2世の子)が父を弔うために事件現場に教会を建てたので、このように呼ばれています。
教会の内壁や天井は、聖書の場面が壮麗なモザイク画によって埋め尽くされ、言葉を失うほどの素晴らしい景観です。 -
豪華絢爛な祭壇。
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血の上の教会は、暗殺されたアレクサンドル2世を慰霊するロマノフ家の施設だったので、正教会の一般的な礼拝所ではなく、麗々しいモザイク博物館として公開されています。
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天井中央のハリストス(キリスト)のフレスコ画。
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壁も天井も、あらゆる所に聖書を題材にした宗教画が描かれています・・・しかも色鮮やか!
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アレクサンドル2世のモザイク画。
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教会を出て、芸術広場にあるロシア美術館とプーシキン像を見ながら・・・
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夕食のレストランに行きました。
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最後の晩餐は「ビーフ・ストロガノフ」・・・牛肉の薄切りを玉葱やマッシュルームと炒めた料理・・・美味しく頂きました。
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白夜のサンクトペテルブルクは、夜11時を過ぎても明るい!
ホテルに戻って、隣にあるこのスーパーでショッピング・・・お店の中は地元の人達で賑わっていました。
お店に置かれている品々はここも、とても豊富です。 -
7日目。
いよいよ今日は夕方の便で帰国ですが、午前中は最後の観光「運河クルーズ」へ・・・今日は曇りで、少々寒そう。 -
血の上の教会近くの運河にある船着場からクルーズ船に乗り、どんどん橋をくぐります。
橋が低いので、甲板のベンチに座っている人は、気を付けないと頭がぶつかります。 -
次々と変わる建物や景色をガイドのマリーヌさんが説明してくれますが、マイクが悪いせいか、よく聞き取れない!
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エルミタージュの横からネヴァ川へ入りました。
川側から見た壮麗なエルミタージュ宮殿の姿は、実に素晴らしい! -
「ロストラの灯台」と、その先にあるのは「クンストカメラ(左側)」・・・1714年にピョートル大帝により造られた、ロシアで最初の博物館で、現在は、国立の人類学・民族学博物館となっています。
「クンストカメラ」という名称は、ドイツ語のKunstkammer(驚異の部屋)からきています。 -
金色の塔がある「ペドロパヴロフスク聖堂」。
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帆船のレストラン。
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昨日、河畔から見た「宮殿橋」(跳ね橋)。
正面の円柱がある建物は「証券取引所」。 -
巡洋艦「オーロラ号」・・・1897年に建造されたこの船は、バルチック艦隊に編入され、1905年に日露戦争で日本海海戦を戦った船です。
また、1917年に、ロシア革命の始まりの合図をエルミタージュ冬宮に向けて発砲し、ロマノフ王朝は最期を迎えました。
現在は、博物館船として公開されています。 -
橋をくぐりながら船着き場に戻ります。
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河畔には美しい邸宅が並んでいます。
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血の上の教会が見えてきました。
あちこち見ごたえのあった運河クルーズも終了です。 -
ロシアでの最後の食事は、何と、一昨日フォークロア・ショウを楽しんだ「ニコライ宮殿」です。
庭園にはチューリップが奇麗に咲いています。 -
一昨日は、この階段を上ってショーを見ました。
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ピアノの生演奏付の、優雅な昼食です。
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普通のレストランと違い、ウェイターさんも優雅に・・・メニューは、ロシア名物の「壺焼き」。
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最期に、皆で記念撮影!
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16時15分にサンクトペテルブルクからモスクワに飛び、20時発の直行便で成田に向かいます。
これは1回目の夕食。 -
2回目の軽食。
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残ったルーブルで、胸のボタンを押すとロシア語を喋る「チェブラーシカ」を機内販売で買いました。
気候が良い時期に、少人数のツアーでゆっくりとロシアを観光出来ました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- takayuki132さん 2014/11/17 17:08:55
- はじめまして
- ペコちゃんさん
はじめましてtakayuki132と申します
サンクトペテルブルクの旅行記、拝見させていただきました
私が行きました時期は冬でしたのでまぶしい太陽のある
旅行記を見させていただいて、また違った魅力を
発見することができました。ありがとうございます。
琥珀の間は私も行った時は部屋の撮影は禁止でしたが
部屋の外から撮るのは全然良いと言われたので
部屋の外から中を一杯撮りまくりました。
また旅行記拝見させていただきますね
以上
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