2010/08/01 - 2011/06/01
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kobusakuraさん
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正直、大連と聞いても最初はピンと来なかった。
その昔、日本に統治され満州と呼ばれていた、ということを知る程度だったのだ。
滞在先は大連の中心部、中山区。
ホテルの展望フロアから見下ろすと、「あれが大連で最も古いホテル、旧大和ホテル。現在も中国人経営のホテルとして使われているんだよ」と誰かが教えてくれる。フーン…、この中国に日本統治時代の建造物が残っているんだ。当時の日本の遺物など真っ先に壊されそうなものなのに…
しかし満州時代に建てられた日本の建造物はそれだけではなかった。旧大和ホテルの周囲には同じ時代の建物がいくつも残されている。
円形の「中山広場」を中心にして放射状に伸びた道路、その道路の一角ごとに、広場を囲むようにして建物は並ぶ。旧大連市役所、旧大連民政署、旧横浜正金銀行、旧関東逓信局、そして旧大和ホテル…どの建物も当時のままに保存され、そして今なお利用されている。
満州時代というと今からおよそ100年前、日露戦争が終結した時代に遡る。それまでロシアが統治していた大連、旅順など一帯を、戦争に勝利した日本軍が占拠し、そのまま委譲という形で統治することとなった。
そして「満州国」と名づけたその地で、ロシア軍が作りかけの道路や鉄道を整備し、駅を今の大連駅のある場所に造りなおし、日本人移民を迎えるにあたり、不自由ない生活を営むための「街」を作った。
当時の大連の街の様子を地図にしたものを入手した。驚いたことに、街の充実ぶりはまさに眼を見張るものがある。まず、学校の数がとても多い。小学校だけでも何校もあって、中学校、工業高校、高等女学校なども点在する。店の数や種類も日本の通常の街と比べて遜色ない。スーパー、食堂、菓子屋、そば屋にうどん屋、クリーニング屋に薬屋などなど、一通り揃っている。カフェや男性客相手と思われるバーだってたくさんある。またスポーツも盛んだったようで、野球場にテニスコート、ゴルフコースに乗馬場、スケート場まであったというから驚きだ。もしかしたら当時の本国よりも裕福な暮らしをしていたのではないか、と思えるほどである。この地図は旧大和ホテル(現大連賓館)のロビーで購入した。70元だったと思う。
大連に残された当時の建造物はどれも瀟洒で美しい。たとえば大和ホテルを見ると、当時のヨーロッパ建築を意識したルネッサンス様式の中にも、唐破風や唐草模様などの日本テイストをうまく織り交ぜている。100年もの長い時間を生き続けたとは思えないほど、しっかりとした造りで、壁の色が当時のままと思われるほど褪せているほかに、これといった損傷は見当たらない。
建物の全体像を見るためには中山広場がいちばんだ。当時、大連の街を整備する上で、中心に据えたのがこの広場。ロシア軍がパリを模して作ろうとしていた、広場とそこから伸びる放射状の道路。それらは日本軍の侵攻によって、投げ出すように放置された。日本軍の大連侵攻は無血入城だったという。その時の大将の銅像が中山広場(当時の大広場)に建てられたそうだが、さすがに現在は取り壊されている。
現在の中山広場は周囲がロータリー状になっており、交通量が非常に多い。それなのに横断歩道も信号も地下通路もないため、道路側から広場へと渡るのはひと苦労だ。地元の人たちはビュンビュン走る車の隙間を縫って渡っているが、慣れない人や高齢者にはとても無理。交通量が落ち着くのは早朝と夜。朝なら5~6時くらいがおススメだ。冬場はまだ暗いだろうけど。
中山広場を囲む建築群から6~7分行ったところに天津街という歩行者天国がある。大連駅からからも歩いてすぐだ。この通りは当時「浪速町」と呼ばれており、大連の中でもいちばん歴史が古い商店街らしい。天津街は友好路を挟んで更に向こう側へと続いている。だらだらと続く商店街に並んでいるのは、ぱっとしないお土産品ばかり。日本人形やマトリョーショカまである。それから古物商も多い。古い硬貨や小物の中には日本語らしきものもチラホラ。。。きっと満州時代の遺物だろう。天津街には食べ物屋も多い。中国名物の臭豆腐、ナツメに飴をかけたビンタンフール、ドラえもんが目印のどら焼きややたこ焼き屋、天津甘栗屋もあった。
夏になるとこの通りは祭りの場となる。と言っても特別な出店が出たり、外に出された椅子に座ってビールを飲む程度の小規模なものだが、それでも夏の雰囲気を楽しもうと、多くの人がやってくる。
私も夏の天津街を歩いてみた。いつもは店の出ていない場所にもびっしりと露天が並ぶ。実を剥いたジャックフルーツ、出来立ての小龍包、なんだかわからない食べ物、ものすごい色をしたジュース、臭豆腐の店は数を増やし、どら焼きやは支店を出していた。そして「泰国虫宴」と書かれた看板の下には、目を覆いたくなるような食材が並ぶ。サソリ、コオロギ、大きな蜘蛛、巨大なムカデ、ダメ、もう見てられない。これは全て食べるためのものである。大抵は串に刺して焼いて食べる。なぜわざわざこんなものを食べるのか知らないが、祭りの場には必ずこの手の店が現れる。
当時の浪速町にどんな店が並んでいたのか、もはや知る由もないが、この通りに立っていると100年前の通りの様子が…ダメだ、浮かばない、「泰国虫宴」を見た後では、もう何も頭に浮かばないのである。
せっかく大連にいるのだから、旅順にも脚を延ばすことにしよう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中山広場の入り口から写したもの。満州時代には「大広場」と呼ばれ、街の中心地点とされていた。
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中山広場の中。歴史的な建造物を周囲に眺めることができる。
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旧大連民政署。現在はシティバンクが入っている。
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旧大連市役所。現在は中国銀行が入っているらしい。
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旧大連市役所の正面入り口は、結婚式の写真撮影ポイントに良く使用される。ピークシーズンには撮影待ちのドレス姿のカップルが、何組も待ち構えている。
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旧横浜正金銀行。白い壁が美しい建物。現在は中信銀行として利用されている。
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旧大和ホテル。現在は大連賓館(ホテル)として利用されている。中には往時の写真や資料、溥儀(ふぎ)が泊まったと言われる部屋などが当時のままに保存されており、見学も可能。(有料)また、満州時代の街の様子を地図にしたものも(日本語)売られているので、ホテルに問い合わせを。
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旧大和ホテルの入り口にあるキャノピーは、唐草模様が施されている。
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上野駅を模して造られたと言われる大連駅。2003年に改装工事が行われる際にも、外観はそのまま保存することとなり、いまだに当時の姿を保っている。
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大連駅の出入り口。早朝からものすごい人混み。スリが多いので注意が必要。
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駅からまっすぐ出たところ。この道路を渡ると勝利広場に出て、更に天津街へと繋がっている。
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旧満鉄大連病院。現在は中山医院と呼ばれる。大連で地元の人たちにもっとも利用されている病院。
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旧南満州鉄道。現在は中国鉄路局、同じ鉄道関連の事務所として利用されている。
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満鉄をもう少し近づいて撮ってみました
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満鉄関連の資料が展示されている建物で、旧満鉄の並びにある。見学しようと思って訪れたが、閉館前だというのに、目の前でシャッターを下ろされた…
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そういうわけで、興味のある方は早めに訪れることをおススメします。
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労働公園からの景色。少しではあるが摩天楼も見られる。
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日中友好の碑か。。。労働公園の中にあります
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中国の中ではサッカーが強いと言われている大連。街のところどころにサッカーボールをかたどったモニュメントがあります。これは労働公園内。
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天津街の入り口のひとつ。目印は巨大なビール瓶。
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天津街の通り。昼には人出も多くなるが、朝早いとこんな感じ。閑散としてます。
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海に囲まれた土地であるだけに、自慢はシーフード。天津街の中には水槽の魚介を自分で選んで調理してもらう店が幾つも出ている。ただし、値段は最初にしっかり決めておかないと、食事の後にとんでもない値段をふっかけられる。必ず最初に値段のチェックを。
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天津街の中の店のひとつ。こんな乱雑な店ばかりではありませんが、こういう店があるのもまた事実。
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古物商が並ぶ通り。これも天津街の中です。
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古物商の売り物の中には、昔の日本の硬貨も売られています。本物かどうかは定かじゃありませんが…
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中東風の食べ物屋ですが、吊るされているのは豚さんです。グロテスクすぎて、いつも見ないようにして通り過ぎていたのですが…
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そしてゲテモノ食を売る店。主に祭りの時に出店されます。アー気持ち悪い。
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これもまたエグイ感じの串ですね。これら全て天津街で見ましたが、ビール祭りの頃には星海広場でも見かけました。
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こちらは臭豆腐。匂いは腐敗臭でも、意外とおいしいと言う人もいます。天津街の夏祭りで見かけた店。
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大連ビール祭りの様子。真ん中はゲストのパフォーマー、その周りで大盛り上がりの中国人たち。大連でいちばん気合の入ったイベントです。
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春節のころ。大連では爆竹、花火の制限がないため、街中が震えるほど多くの火薬が打ち上げられ、火災の数も大変なものだそうです。
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霧の大連なんてもんじゃない、迷惑なだけの濃霧。こうなると飛行機はほぼ100パーセント遅延・キャンセルとなる。
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そして混雑を極める空港内。チケットの取り直しの手続きカウンターは完全なパニック状態になる。これは乗り場の様子。
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この旅行記へのコメント (2)
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- エンリケさん 2013/09/21 20:47:56
- 東京よりも昔の日本が見える街
- kobusakuraさん
こんばんは。大連の旅行記、読ませてもらっています。
中国は今や昨年の尖閣諸島を巡る事件以来、訪れたい国ではなくなっているのですが、この大連では日本統治時代の建物が現役で使われているんですね。
どの建物も立派で、おっしゃられているように、完全なヨーロッパのスタイルではなく、どことなく日本テイストが感じられるところがあり、戦前の東京はこんな感じだったのかな〜と想像力がふくらみますね。
久々に中国の街に対して興味を持った旅行記でした。
また両国がなんのわだかまりもなく観光交流できる日が来ればいいですね。
- kobusakuraさん からの返信 2013/09/22 02:00:13
- RE: 東京よりも昔の日本が見える街
- ありがとうございます。
とっても嬉しいコメントでした。
満州当時のものは建物だけじゃなく、路面電車も健在なんです。
日本が興したガラス工場も受け継がれ(名前も経営者も違いますが)、今ではガラス製品は大連の特産品のひとつとなっています。
大連は、それまでこま切れだった知識を、ひとつの物語に繋げた場所です。
本当に貴重な体験ができました。
つたない文章ですが、読んでくださってありがとうございます。
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