2013/04/25 - 2013/04/25
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frau.himmelさん
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せっかくバイロイトカードを持っているのだから、貪欲に入場できる博物館に入ってみよう、
なんて張り切っていたのですけどねー。
ことごとく、修復中やそのほかの理由で入れず、すっかり目論見が外れてしまいました。
でも、さすがにワーグナー博物館にはもう入れるだろうと思っていました。
2011年に訪れたときに、2013年の春ころまでは工事中とありましたので、修復工事をやっていたのは知っていました。今年はワーグナーの生誕200年の記念すべき年だもの、いくら何でももう終わっているだろう・・って。
ところがまだ工事をやっているではありませんか。・・・・・。
ほんとに今回はついていません。
ただ、ワーグナーの義父にあたるフランツ・リスト博物館は入ることが出来ました。
《追加》
ワーグナーには関係ありませんが、バイロイト郊外のエルミタージュ宮殿に行ってまいりました。旅行書にはあんまり紹介されていませんが、バスで15分ほど、時間がありましたら、どうぞ足を伸ばしてください。
-
門からバーンフリート館に続く並木道は覆いで囲われています。
えっ、まだ工事中なの!?
2011年に訪れたときに、2013年春ころまで工事中って書いてあったけど、もうさすがに終わっていると思っていたのに・・ -
ワーグナーのパトロン・ルートヴィッヒ2世の胸像は表に出ていました。
ヴァーンフリート館の正面の壁絵は見えます。 -
ヴァーンフリート館の正面壁絵。
「Wahnfried」って辞書で引いても出てこないんです。
どうもワーグナーの造語らしいです。
なんでも空想とか情熱・平安という意味だそう。 -
「ここで私の情熱が平安を見出した・・・」??
-
門から館に続く並木道の後ろには、写真や説明文のパネルが飾られています。
これは修復工事に入る前の2010年の博物館の展示物の様子。 -
せっかくですから、展示してあるパネルをいくつか見てみましょう。
「ヴァーンフリート荘の歴史と文化」
「祝祭歌劇場」と同じくルートヴィヒ2世の資金援助を得て完成したバーンフリート館。
ワーグナーが、1874年から晩年まで、妻コジマや家族に囲まれて暮らした家です。 -
豪華な大広間。
ワーグナー夫妻を囲んでいろんな人が集いました。
ブルックナー、サンサーンス、それにコジマの元夫ハンス・フォン・ビューロ、リストなど。
若き日のニーチェも来たことがあったようです。 -
ワーグナーと妻コジマ、長男ジークフリート。
ワーグナーとコジマの間には3人の子供があります。
長女イゾルデと次女エファは、ビューローとの離婚が成立していないときの子供なのでビューロ姓を名乗っています。
コジマがビューローと離婚し、ワーグナーと正式に再婚したのは1870年でした。 -
1881年8月 ジークフリート館で記念写真。
リヒャルト・ワーグナーとコジマ、
二人の間の3人の子供(イゾルデ、エーファ、ジークフリート、前段の3人がそうだと思う)、
それにコジマの先夫ハンス・フォン・ビューローとの間の二人の娘、ダニエラとヴランディネ、
ワグナーの舞台演出家Paul von Jokowsky、
息子ジークフルートの教育係、
の総勢9人。 -
ワーグナーの死後、コジマと、息子ジークフリートが運営を任されます。
大のワグネリアンだったヒットラーとの強力な繋がりが出来たのはこのころです。
ワーグナーの音楽をナチのプロパガンダに利用したり、大の反ナチ派であったコジマもヒトラーと面会したり、なるべくしてそういう流れになったのですね。
ワーグナーとヒトラーは会ったことはありません。年代が違いますから・・。 -
ヒトラーとの繋がりがもっとも強かったのは、息子ジークフリートが亡くなりなり、その妻・ヴィニフレート・ワーグナーが後を継いでから。
彼女は、ヒトラーとの親密な間柄を噂されるほどでした。
そのころヒトラーはヴァーンフリー館にもたびたび訪れ、彼女の子供たちから親しみをこめて「ウルフおじさん」と呼ばれていました。 -
バイロイト音楽祭は戦争中も、ヒトラーの庇護の下に経営がつづけられます。
戦況が思わしくなくなると、ナチスの象徴都市となったバイロイトは、連合軍によって、徹底的に攻撃されました。
街の相当部分が破壊されました。 -
ヴァーンフリート館とて例外ではありませんでした。
爆撃にあいボロボロになったヴァーンフリート館 -
さて、そろそろワーグナーのお墓参りを・・・
ヴァーンフリート館の裏に回るには、ホーフガルテンの入り口から入ります。 -
裏門。
と言っても立派な門構えです。 -
裏口の表札
-
中に入ると、工事用のクレーンがガーガーとうなり声を立てていたり、建築資材が雑然と置かれていたり・・・。
2011年からずーっと修復工事が続いているのでしょうか? -
その中にひっそりとワーグナーとコジマの墓。
工事中に訪れる物好きもいないようで、人影はありません。 -
いつもなら、お墓の回りは、ワグネリアンからの花束でいっぱい飾られているそうなのですが・・。
-
愛犬、ルスの墓。
観光案内所でベンチに腰掛けていたワーグナーのそばで、静かに座っていたあの犬かしら? -
こんな大きな工事用機械でドシンドシン、ガーガーやっていたら、おちおち眠っていられないよ…
なんて、ワーグナーのぼやき声が草葉の陰から聞こえそうです。 -
宮廷庭園がすぐ裏にあるんですものね。
ワーグナーとコジマがよく散歩をしたホーフガルテン。 -
・・・・
その後、どこそこ街歩きをして、2時になりました。
再びフランツ・リスト博物館にやってきました。
ヴァーンフリート館とはお隣同士。 -
ワーグナーの妻、コジマはフランツ・リストの娘なのです。
つまり、リストはワーグナーの義父になります。
2011年に訪れた時はちょうどリスト生誕記念200年でしたから、リストとワーグナーは2歳しか違わないのですね。
なのに・義父・!?・。
いろいろあるのです(笑)。 -
フランツ・リスト(1811-1886)とワーグナーはお互いの才能を認め合う友人でした。
ところがリストの娘コジマが、自分の弟子であり有名な指揮者である夫・ハンス・フォン・ビューロを捨ててワーグナーに走ったことから、長い間絶交状態になってしまいます。 -
入場料は、バイロイトカードを見せて無料でした。
受付の女性に、「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、
「フラッシュ無しで1人10枚程度ならいいわよ!」と。
私たちのほかに入場者は誰もいません。 -
フランツ・リストは、ハンガリーのライディング生まれ。
モーツアルトと同じように、父親の手引きにより幼少のころから音楽に才能を現し、10歳になる前にはすでに演奏会を行っていたそうです。
子供のころのリストも可愛いですね。 -
ウィーンやパリで音楽の勉強をし、父の死により15歳でピアノ教師をして家計を支えます。
リストといえばその整った端正な顔立ち。 -
まるでハリウッドスター(古い!)のポートレートのよう。
コンサートを開けば、多くの女性ファンが失神したという逸話もあります。
うん、なるほど! 頷けます。 -
同年代のリストとショパンはよく比較されます。
リストは演奏会でショパンの演奏を聴き、その類稀なる素晴らしい演奏に深い感銘を受けました。
それ以来、お互い親交を深め、また音楽的にも大いに影響を及ぼしあいました。 -
左がリスト、右がショパンです。
リストはショパン死後も、自身の演奏会でショパンの曲を弾いたり、弟子たちに指導したりして、彼の曲を広めていきました。 -
当時のパリのピアニストたちの絵がありました。
前列左からヴォルフ、ヘンゼルト、リスト、後列左からローゼンハイム、デーラー、ショパン、ドライショク、タールベルクだそうです。
私はリストとショパンしか知りません。
それにタールベルクの名前は聞いたことがあるような・・・。 -
また当時のサロンの絵画もあります。
ピアノを弾いているのはリスト、後ろのソファーの女性はなんとショルジュ・サンド。
サンドは、ショパンと知り合う前にリストとも噂がありました。
その他、作家のデュマやヴァイオリンの巨匠パガニーニなどそうそうたる人物が描かれています。
リストの右の女性は、マリー・ダグー伯爵夫人、後にリストと駆け落ちし、二人の間にはワーグナーの妻コジマが生まれます。 -
ところでリストとワーグナーの関係。
リストはワーグナーの曲を大変賞賛していました。
ワイマール大公の招きで宮廷楽長に就任したリストは、ワーグナーの「タンホイザー」を演奏しました。
ワーグナーがザクセンから追放命令を受けたときは、リストを頼ってスイスに亡命したほど、極めて親しい友情関係を保ってきました。 -
ところが、自分の愛弟子のハンス・フォン・ビューロを捨ててワーグナーに走った娘コジマのことで、二人の間は長い間絶交状態になってしまいます。
-
リストが弾いていたドイツ最古メーカー・イバッハ製のピアノ。
さて、写真をパチパチ撮っていたら、受付の女性がやってきて
「ねー、もう10枚以上は撮ったんじゃない、いい加減にしなさいよ」みたいなことを言ってきました。
すかさずY子さん、
「私は撮っていないから彼女が20枚撮っているのよ」と。
その女性、「あーそう、じゃあいいわ。」って許可を。
その女性、結構うるさい人かと思ったら、その後いろいろ説明してくれました。 -
ここがリストが亡くなった部屋よ。彼はここに住んでいたわけではないのよ。とか。
ワーグナーと絶交状態になったリスト、
それでも再三の娘コジマのバイロイトへのお誘いにリストの気持ちも少しずつ氷解していきます。 -
1886年7月、リストは、コジマと前夫ハンス・フォン・ビューローの娘、リストにとっては孫娘の結婚式に出席するためにバイロイトを訪れました。
そのさい、ヴァーンフリート館のお隣、ここフレーリッヒ館に滞在しました。 -
バイロイト祝祭歌劇場で「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞したあと、リストは風邪をこじらせて、滞在していたこのフレーリッヒ館で亡くなってしまいます。
74歳でした。 -
リストがなくなった後、娘コジマの強い希望により、父リストの亡骸はバイロイトの墓地に埋葬されました。
そして最後に滞在したこのフレーリッヒ館がリスト博物館となり、リストの遺品などが展示されています。
いろいろ説明してくれた女性にお礼を言って、リスト博物館を後にします。 -
リスト博物館のすぐ横が、ジャン・パウル博物館。
庭には、彼の資料を展示した小さなパビリオンがあります。 -
これが博物館。
2011年に撮ったものです。
今年はジャン・パウリの生誕250年の記念の年でもあるのです。 -
ところで、ジャン・パウルって?
私は知りませんでした。
ドイツを代表する小説家。代表作「巨人」。
マーラーの交響曲「巨人」は彼の同名作品からとられたものだとか…。
写真はパンフレットからとりました。 -
彼が座ったのでしょうか、大きな石の椅子。
このバイロイトには、彼の名前を冠した、通り、広場、像などいろいろあります。
彼はバイロイトの有名人なのです。 -
ワーグナー博物館、リスト博物館、それにジャン・パウリ博物館、この3つのバイロイトを代表する博物館は固まって建っています。
2011年撮影。 -
《追加》
ワーグナーには関係ありませんが、バイロイト郊外のエルミタージュ宮殿に行ってまいりました。
追加いたします。
これ何だと思います?
実はバスの車体の絵なんです。
ドイツを旅していると、驚くほどカラフルなバスに出会います。 -
さてこれから私たちは、このバスターミナルから郊外にお出かけです。
バイロイトチケットを有効に使いましょう。 -
のどかな田舎道を15分ほどバスに揺られてやってきました。
-
エルミタージュ。
ヴィルヘルミーネ辺境伯妃によって造られた宮殿です。 -
入り口から宮殿までかなり遠い。
長い並木道にちょっとうんざりです。
先ほどまでの博物館や街歩きで、私のか細い(?)足はかなり疲れています。 -
途中には中国茶館みたいな小さな東屋があります。
ヴィルヘルミーネ妃は東洋趣味がお好きなようです。
新宮殿にも「日本間」なるものがあるとか・・。 -
ここが宮殿入り口。
なんだかとってもキンキラして見えました。 -
柱や壁もざらざらした感じ。遠目にはサンドペーパーみたい。
もっと近づいてみましょう。 -
なんと宮殿の素材は小さな色石。
それを貼り付けてあるのです。
なんだか私には遊園地のパビリオンのように見えます。
なんでも内装は東洋趣味を取り入れた特異なロココ様式で、「バイロイト・ロココ」として知られている・・そうです。 -
中に入って庭園のほうから眺めます。
屋根の上には4頭立ての馬車に引かれた古代の騎士像。 -
庭園の中央には見事な噴水を配した池。
ここも膨大な建築費がかかったのでしょうね。
ヴィルヘルミーネの弟、プロイセンのフリードリヒ大王の困った顔が目に見えるようです。
豪華な新宮殿もしかり、建築費に湯水のように使ったようです。
そのツケはフリードリヒ大王に・・・。 -
ここはヨーロッパ有数の公園として知られているんですって。
広い敷地内には洞窟やオランジェリー、旧宮殿などがあるそうです。
ガイドツアーも出ています。
Y子さんはガイドツアーに参加しましたが、私は足が痛いのでパス。 -
その間カフェでビールをいただいて待つことに・・。
花より団子!
疲れているのでラードラー(ビールにレモネードを加えたもの)にします。
ところがどんなに「ラードラー・ビッテ!」って頼んでもぜんぜん通じないのです。
仕方がないのでメニューを指差しました。
そしたら「ああー、るぁあードラーね!」って。
ドイツ語の「R」の発音って難しい・・。 -
Y子さんが戻ってきたのでバス停に向かいます。
あんまり知られていないけど、バイロイト郊外にこんな素敵な場所があるのですね。
ほっと一息つけた時間でした。
バス停の近くの素敵な田舎家。
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この旅行記へのコメント (7)
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- ryujiさん 2013/09/15 10:29:33
- 数少ない私のテリトリー。
- こんにちは、himmelさん。ご無沙汰しています。
ワーグナー博物館・リスト博物館の旅行記を拝読、拝見しました。タイトルでそうなんですが、この旅行に興味と感動の中で楽しまさせて頂きました。
まずは音楽家でのワーグナーとリストの関係、(リストの娘と結婚による感情)興味深いものですね。それと当時のサロンの写真はいい〜です、ジョルジュサンド他、そうそうたる芸術家の集まりに自らも仲間入りした気分です。(不見識も甚だしいですね)
ワーグナーの家族写真ですが、長女の名前はイゾルデですか〜、ぞれは知りませんでした。息子のジークフリートは知っていましたが・・・、いかにもワーグナーらしい発想と思いました。(自身が手がけたオペラ、ヒロインの名にあやかって?) 旅先でのこうした出会いがある事は素敵な事と思います、私のとっては。
(私は性格が変わっているんでしょう、昔ですがヨーロッパの物語での題名「ヒーロー×ヒロイン」の数を調べた事があります。その意味で中世の悲恋物語、「トリスタンとイゾルデ」は少し知っています。観劇されたhimmelさんが羨ましく思いますよ)
たわいのない話となりました。あ・り・が・と・う、frau.himmelさん。
・ ryuji
- frau.himmelさん からの返信 2013/09/16 17:51:23
- RE: 数少ない私のテリトリー。
- ryujiさん こんにちは。
コメントをいただいていましたのに、返信が遅くなって申し訳ありません。
今、ライプチヒでのワーグナーのことを書いておりまして、さっきまで生みの苦しみで唸っておりました。
さっき、やっと仕上がってほっとしたところです。
バイロイトのワーグナーを見ていただいたのですね。有難うございます。
あそこでは、ワーグナー・ワーグナーと持て囃されていたのに、生まれ故郷ライプチヒでは何と冷淡だったことか。
やっぱりワーグナーの反ユダヤという思想が深く影響しているのでしょうね。
彼の芸術性と、彼の思想とはもう今となっては関係ないと思うんですが、そうもいかないのですね。
> まずは音楽家でのワーグナーとリストの関係、(リストの娘と結婚による感情)興味深いものですね。それと当時のサロンの写真はいい〜です、ジョルジュサンド他、そうそうたる芸術家の集まりに自らも仲間入りした気分です。(不見識も甚だしいですね)
ホント、あの絵は有名ですね。自らが開催する音楽サロンに、その時代の錚々たる人々が集っている、しかもそれが絵として残っているというのにも驚きました。
ヨーロッパでは美術館、博物館を見て歩くのがスキなのですが、帰国してから旅行記に纏めるのにいつも苦労しています。
でも、楽しい作業です。
> 「トリスタンとイゾルデ」は少し知っています。観劇されたhimmelさんが羨ましく思いますよ)
ところでこれは・・・?
いいえ、観劇したのは私ではなくて、ワーグナーの義父のリストでした。(笑)
ryujiさん どうも有難うございます。
またryujiさんのきれいなお写真と、それにつけられた流れるような文章を拝見させていただきます。
himmel
-
- ベームさん 2013/07/07 09:15:01
- 残念だったヴァーンフリート館。
- himmelさん、
お早うございます。
バイロイトの旅行記じっくり拝見させていただいています。
またもやうっちゃりを喰らい残念でしたね。私もそうなんです。
前のhimmelさんのバイロイト旅行記で今年は大丈夫だろうと行ったところあの有様です。悔しいので入り口付近のパネル写真だけ撮ってきました。
心も沈みましたがこのままでは悔しいので雨の降るなか頑張って市立墓地まで行き、ヴァーグナー一族、リスト、ジャン・パウルのお墓を訪ねました。
ニーチェもヴァーンフリート館を訪れたとのことですが、ナウムブルクのニーチェの家でニーチェとコジマの写真を見ました。二人は歳は離れていましたが心は通い合っていたようですね。
ベーム
バイロイトのホテルゴルデナー・ヒルシュで6月2日に日本宛のはがきの投函を頼んだのですがなんと昨日着きました。消印が6月26日となっていますのでホテルが投函を忘れたのですね。やはりポストに入れるくらい自分でやらなければ。
- frau.himmelさん からの返信 2013/07/07 15:36:44
- RE: 残念だったヴァーンフリート館。
- ベームさん こんにちは。
ベームさんもヴァーンフリート館はご覧になれなかったのですね。
ずいぶん長いこと修復にかかっていますね。そんな大きな工事だとも思えないのですが・・。
今年のバイロイト音楽祭には間に合うのでしょうか。
墓地までいらっしゃったのですか?
それは素晴らしい。リストのお墓があるんですよね。
さて、ニーチェってもっと昔の人かと思ったら、意外と最近の人なのですね。ワーグナー夫妻と親交があったそうですから。
ニーチェはコジマのことは大変尊敬していたようですね、だけどワーグナーとは後に決裂したそうです。
調べるほどにワーグナーってかなり性格的に問題がある人のようです。
きっと私だって、ワーグナーのような人がいたら近づかないでしょうね。
でも作品は素晴らしい。
さて、ベームさんの旅行記アップが早くて、私もあせっています。
少し頑張らねば・・・(笑)。
himmel
-
- norisaさん 2013/07/07 06:33:18
- 自然の中の
- frau.himmelさん
おはようございます。
どちらの博物館も自然豊かな中にあるのですね。
ワグナーは西端200年でしたか。
亡くなってから150年もたっていないのですか。
教科書で習った時はずっと昔の人かと感じていました。
絵画の有名人の年代よりも作曲家の年代の方が比較的若いようです。
さて、最近ハプニングが少ないですね。
お連れさまの功徳でしょうか(笑=失礼しました)
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/07/07 15:21:52
- RE: 自然の中の
- norisaさん こんにちは。
毎日暑いですねーーー!
こんな時は、norisaさんの沖縄旅行記で紺碧の海を見せていただくに限ります。
美しい熱帯魚と海中散歩、ホントにうらやましいです。
さて、ワーグナー生誕200年、まだ没後120年しか経っていないのですね。
ずいぶん前の人のように思いますが、意外とそうでもないですね。
なんたって、コジマがヒトラーと会ったことがあるそうですから、あらー私が生まれる・・・その後は言いません(笑)。
今回は博物館入場付きのカードを買ったのですが、ことごとく外れでした。
街のガイドツアーも週末しかやっていないとかで、これもダメ。
でも12.9ユーロ、3日間の交通費込みですからちゃんと元は取っています(笑)。
そう今回は、友人のお陰で楽な旅をしました。
言葉が通じるって本当に楽ですーーー。
でも、失敗はやっていますよ。
これから旅の中盤に入ると、いろいろ出てきます。
ご出発、もうそろそろではないですか?
himmel
- norisaさん からの返信 2013/07/07 15:24:50
- RE: RE: 自然の中の
- frau himmelさん、
いえいえ弊社夏休みは7月末からなので。そこで出発です。
今行ったらクビです(笑)
珍道中ご期待ください。
norisa
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