2013/05/06 - 2013/05/06
1755位(同エリア2779件中)
夢自☆さん
新宿未来創造財団 という法人が企画した「落合の追憶」という町歩きイベントに当選したので、参加しました♪
新宿落合は、明治末から昭和初期にかけて。。
都心の喧騒から逃れた多くの文化人たちが暮らしていたため
現在も、緑豊かでモダンな文化が残り、芸術家の旧居やアトリエなどが点在する地域です。
そんな興味深いコースを、佐伯祐三の「下落合描画ポイント」今昔を対比させながら、楽しく歩いてきました♪
★当日のコース★
目白駅で集合・スタート→ 豊栄稲荷神社→中村 彝アトリエ記念館→佐伯 祐三アトリエ記念館→林 芙美子記念館(解散) でした☆
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
目白駅の美しいステンドグラスを確認して出発!!
-
最初のアトリエ「中村彝記念館」
大正5年8月中村彝(つね)29才の時に新築された、アトリエ兼住居でした。
当時は画壇で新進の画家として、
ようやく地位を築きつつある時期でもありました。 -
-
このアトリエで名画「エロシェンコ氏像」を制作しましたが、17才で発病していた肺結核のため37才の若さで逝去しました。
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途中、聖母病院のレトロな建物とも出会いました♪
-
二番目のアトリエは「佐伯祐三記念館」を見学★
大正10年に武蔵野の面影を残す当時の下落合に、
佐伯祐三が建てたアトリエで、佐伯が日本でアトリエを構え、創作活動をした唯一の場所です。 -
北側の大きな採光窓など、大正時代の典型的なアトリエ建築を、今に伝える貴重な建物です。
フランスと日本を行き来した画家人生を、
30才という若さで終えてしまった天才画家でした。 -
当時は後ろに住居部分が建っていましたが。。
現在はアトリエだけが保存公開されています。(当時の建物模型) -
旧目白文化村を歩くと、立派な建物がチラホラ。。
往時(大正11年から14年)は文化人が多く住む、高級住宅街だったとか。 -
三番目は林芙美子記念館を見学しました★
中井駅近く、四の坂途中右手に入口があります。 -
林芙美子記念館の庭、奥へ進むと。。
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芙美子の夫・緑敏のアトリエ(画家)があります。
現在は展示室になっています。 -
林芙美子邸 <1>
アトリエに隣接の建物は家族の住いでした。 -
林芙美子邸 <2>
夫・緑敏 と 息子・泰(養子)の寝室 兼 家族の食事部屋 -
林芙美子邸 <3>
次の間 布団を入れた押入れは、芙美子の希望でインド更紗を貼ったこだわりの部屋。右側に書庫があります。 -
林芙美子邸 <4>
芙美子の書斎・雪見障子からは庭が眺められ。。
四季折々の移ろいを楽しめる工夫がされています。
居心地の良さそうな清々しい部屋でしたよ(笑) -
林芙美子邸 <5>
別棟の建物は一家団欒のスペースと母・キクの部屋・客間・玄関があります。 -
林芙美子邸 <6>
茶の間・一家団欒の部屋は掘りごたつ・吊戸棚・二段押入・収納式神棚など。。暮らしやすさに徹した造りになっています。 -
緑豊かな林芙美子記念館★ 庭から見た建物
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林芙美子記念館にて
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林芙美子記念館にて★ エビネ
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林芙美子記念館にて★薔薇が咲き始めた頃
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林芙美子邸の、孟宗竹に囲まれた風情ある門★
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林芙美子邸の旧門・外側から。。
林芙美子記念館は
芙美子が昭和16年8月から昭和26年6月に生涯を閉じるまで、居住していた家です。
大正11年に上京以来、波乱万丈の日々を送った芙美子でしたが。。
人生の最終章は、こだわりの自分好みの家で、穏やかに暮らした日々だったようです。良かったですね☆
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この旅行記へのコメント (1)
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- 青山蒼渓さん 2013/07/17 10:02:11
- 参考になりました
- 中井には何度も行っているのに、林芙美子記念館には一度も行った事がありません。予想以上に趣のある所みたいですね、今度、訪れてみます。有難う御座います。
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