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3日目、5/25(土)。<br />曇り。午後から晴れる。<br />ドレスデンからポーランドとの国境の町ゲルリッツとソルブ人の町バウツェンを日帰りで訪れます。ザクセン・チケット22ユーロを買いました。今日は土曜日なのでチケットは午前0時から使えます。<br /><br />ゲルリッツ:人口7万人。第2次世界大戦後ドイツとポーランドとの国境となったオーデル・ナイセラインのナイセ川に臨む町。文献では1071年に登場し中世に塩や麻の交易で栄えた。<br /><br />なおドレスデンの東にあるゲルリッツとかバウツェンなどの地方はラウジッツと呼ばれ、スラブ系少数民族ソルブ人が住んでいます。もとはこの地方の多数民族でしたがナチスのドイツ化政策によりソルブ語が禁止されるなどし少数民族となってしまいました。現在ソルブ人は6万人といわれます。<br />戦後東ドイツはソルブ文化を保護する政策を行いソルブ語を認めるなどし、民族意識も高まりソルブ語復活の動きが高まってきているとのことです。<br />バウツェンでは駅や街、道路の表示がドイツ語とソルブ語の2重表示になっています。<br /><br />写真はドイツ側から見たナイセ川。

'13年旧東独の町、宗教改革ゆかりの町、そしてチューリンゲン、バイエルンの町巡り3。ゲルリッツ。

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2013/05/25 - 2013/05/25

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ベーム

ベームさん

3日目、5/25(土)。
曇り。午後から晴れる。
ドレスデンからポーランドとの国境の町ゲルリッツとソルブ人の町バウツェンを日帰りで訪れます。ザクセン・チケット22ユーロを買いました。今日は土曜日なのでチケットは午前0時から使えます。

ゲルリッツ:人口7万人。第2次世界大戦後ドイツとポーランドとの国境となったオーデル・ナイセラインのナイセ川に臨む町。文献では1071年に登場し中世に塩や麻の交易で栄えた。

なおドレスデンの東にあるゲルリッツとかバウツェンなどの地方はラウジッツと呼ばれ、スラブ系少数民族ソルブ人が住んでいます。もとはこの地方の多数民族でしたがナチスのドイツ化政策によりソルブ語が禁止されるなどし少数民族となってしまいました。現在ソルブ人は6万人といわれます。
戦後東ドイツはソルブ文化を保護する政策を行いソルブ語を認めるなどし、民族意識も高まりソルブ語復活の動きが高まってきているとのことです。
バウツェンでは駅や街、道路の表示がドイツ語とソルブ語の2重表示になっています。

写真はドイツ側から見たナイセ川。

同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 朝のドレスデンHbf。DBの車両。<br />駅で写真を撮ろうとしたのがラッキーだった。カメラを構えたが電源が入りません。昨夜バッテリーを充電したままホテルに置いてきたのでした。もし写真を撮ろうとしなかったら気が付かないで、そのままゲルリッツまで行ってしまいべそをかくところでした。幸いホテルが駅の近くなので急いで取りに戻りましたが予定の列車には乗れなく一列車、といっても1時間30分もあとの列車に乗ることになりました。

    朝のドレスデンHbf。DBの車両。
    駅で写真を撮ろうとしたのがラッキーだった。カメラを構えたが電源が入りません。昨夜バッテリーを充電したままホテルに置いてきたのでした。もし写真を撮ろうとしなかったら気が付かないで、そのままゲルリッツまで行ってしまいべそをかくところでした。幸いホテルが駅の近くなので急いで取りに戻りましたが予定の列車には乗れなく一列車、といっても1時間30分もあとの列車に乗ることになりました。

  • 結局8:09ドレスデン発のREで出発。予定では6:38発でした。私の1日のスタートはこんなに早いのです。<br />写真は途中駅のホームの時計。7時30分を指していますがこの時実際は9時13分です。時間の正確さを要求される鉄道の時計がこの有様、DB職員の全体的な規律の弛緩が窺えます。<br />今や当たり前になった列車の遅延も、合理化のための人員削減による熟練労働者不足がその要因の一つだそうです。

    結局8:09ドレスデン発のREで出発。予定では6:38発でした。私の1日のスタートはこんなに早いのです。
    写真は途中駅のホームの時計。7時30分を指していますがこの時実際は9時13分です。時間の正確さを要求される鉄道の時計がこの有様、DB職員の全体的な規律の弛緩が窺えます。
    今や当たり前になった列車の遅延も、合理化のための人員削減による熟練労働者不足がその要因の一つだそうです。

  • ゲルリッツ駅。<br />9:27ゲルリッツ着。

    ゲルリッツ駅。
    9:27ゲルリッツ着。

  • 駅前の風景。どんよりとした空模様と寒さで気持ちがもう一つ高揚しません。

    駅前の風景。どんよりとした空模様と寒さで気持ちがもう一つ高揚しません。

  • タクシーで駅から一番遠いアルトシュタットブリュッケに向かいますが、その前にもう一つの国境の橋ブリュッケ・デア・フロイントシャフト/友好の橋に寄ってもらいました。<br />全く何の変哲もない橋です。

    タクシーで駅から一番遠いアルトシュタットブリュッケに向かいますが、その前にもう一つの国境の橋ブリュッケ・デア・フロイントシャフト/友好の橋に寄ってもらいました。
    全く何の変哲もない橋です。

  • 以前は検問所があったそうですが、2007年にポーランドがシェンゲン協定に加盟して廃止されたそうです。<br />建物はポーランド側。

    以前は検問所があったそうですが、2007年にポーランドがシェンゲン協定に加盟して廃止されたそうです。
    建物はポーランド側。

  • ナイセ川。オーデル川の支流。<br />1945年のポツダム会議でオーデル川とナイセ川を結ぶ線/オーデル・ナイセラインが暫定的にドイツとポーランドの国境とされ、1950年、東ドイツとポーランド両国の間で正式に承認された。<br />川の両側にまたがる一つの町がこれにより両断されたのです。

    ナイセ川。オーデル川の支流。
    1945年のポツダム会議でオーデル川とナイセ川を結ぶ線/オーデル・ナイセラインが暫定的にドイツとポーランドの国境とされ、1950年、東ドイツとポーランド両国の間で正式に承認された。
    川の両側にまたがる一つの町がこれにより両断されたのです。

  • 橋の向こうはポーランドのズゴジェレツ、ZGORZELECの看板が見えます。<br />元々はナイセ川を挟んだ一つの町でしたがナイセ川が国境となったため別々の町、国となりました。<br />

    橋の向こうはポーランドのズゴジェレツ、ZGORZELECの看板が見えます。
    元々はナイセ川を挟んだ一つの町でしたがナイセ川が国境となったため別々の町、国となりました。

  • これよりドイツ連邦共和国。

    これよりドイツ連邦共和国。

  • 再びタクシーに乗って少し北に架かるアルトシュタットブリュッケ/旧市街橋に行きました。タクシー代、待たせて時間もあったのでチップ込10.2ユーロ払いました。<br />橋の向こうはポーランドです。

    再びタクシーに乗って少し北に架かるアルトシュタットブリュッケ/旧市街橋に行きました。タクシー代、待たせて時間もあったのでチップ込10.2ユーロ払いました。
    橋の向こうはポーランドです。

  • ナイセ川。

    ナイセ川。

  • さっきの友好の橋より大きいですが、この時間車は通れないようになっていました。そのかわり人の往来は結構あります。

    さっきの友好の橋より大きいですが、この時間車は通れないようになっていました。そのかわり人の往来は結構あります。

  • ポーランド側の袂の塔。

    ポーランド側の袂の塔。

  • ポーランド側。橋の先は広場になっています。

    ポーランド側。橋の先は広場になっています。

  • 橋から見たドイツ側。

    橋から見たドイツ側。

  • 聖ペーター・ポール教会です。

    聖ペーター・ポール教会です。

  • ドイツ側の橋の袂の標識。<br />左ズゴジェレツとなっています。

    ドイツ側の橋の袂の標識。
    左ズゴジェレツとなっています。

  • 少し高い所からポーランド側の眺め。

    少し高い所からポーランド側の眺め。

  • ナイセ川。

    ナイセ川。

  • 聖ペーター・ポール教会。<br />ナイセ川の高台にそびえる大きな教会、1230年の創設です。

    聖ペーター・ポール教会。
    ナイセ川の高台にそびえる大きな教会、1230年の創設です。

  • 聖ペーター・ポール教会。

    聖ペーター・ポール教会。

  • 聖ペーター・ポール教会。

    聖ペーター・ポール教会。

  • 聖ペーター・ポール教会。

    聖ペーター・ポール教会。

  • 聖ペーター・ポール教会。

    聖ペーター・ポール教会。

  • 聖ペーター・ポール教会。

    聖ペーター・ポール教会。

  • 聖ペーター・ポール教会。<br />子供を含む小さなグループが説明を聴いていました。

    聖ペーター・ポール教会。
    子供を含む小さなグループが説明を聴いていました。

  • 教会の先に元のニコライ教会の塔。

    教会の先に元のニコライ教会の塔。

  • ではゲルリッツの町中へ。

    ではゲルリッツの町中へ。

  • ゲルリッツの自動車のプレート。

    ゲルリッツの自動車のプレート。

  • ウンター・マルクトの方に向かいます。

    ウンター・マルクトの方に向かいます。

  • ウンター・マルクト。<br />旧市庁舎。1378年。

    ウンター・マルクト。
    旧市庁舎。1378年。

  • ウンターマルクト。

    ウンターマルクト。

  • ウンターマルクト。

    ウンターマルクト。

  • 観光客もちらほら見かけました。

    観光客もちらほら見かけました。

  • 広場にある像。三叉の鉾を持っているのでポセイドンでしょう。

    広場にある像。三叉の鉾を持っているのでポセイドンでしょう。

  • ウンターマルクト。<br />シェーンホーフ。シレージエン博物館。1526年。

    ウンターマルクト。
    シェーンホーフ。シレージエン博物館。1526年。

  • シェーンホーフ。

    シェーンホーフ。

  • ウンターマルクト。新市庁舎。

    ウンターマルクト。新市庁舎。

  • 新市庁舎。

    新市庁舎。

  • ウンターマルクト。塔は新市庁舎。その右シェーンホーフ。

    ウンターマルクト。塔は新市庁舎。その右シェーンホーフ。

  • 左ウンターマルクト、右オーバー・マルクト。

    左ウンターマルクト、右オーバー・マルクト。

  • オーバー・マルクト。<br />奥の塔はライヘンバッハ塔。

    オーバー・マルクト。
    奥の塔はライヘンバッハ塔。

  • ここにも強そうな像がありますがなんの像か不明。

    ここにも強そうな像がありますがなんの像か不明。

  • オーバー・マルクトの入り口にある三位一体教会。

    オーバー・マルクトの入り口にある三位一体教会。

  • 三位一体教会。<br />写真撮影料3ユーロ。高いです。大概は1~2ユーロ。いや、むしろ志は置くとしても、料金を取るのは少ないです。

    三位一体教会。
    写真撮影料3ユーロ。高いです。大概は1~2ユーロ。いや、むしろ志は置くとしても、料金を取るのは少ないです。

  • 三位一体教会。

    三位一体教会。

  • 三位一体教会。

    三位一体教会。

  • 三位一体教会。<br />

    三位一体教会。

  • 三位一体教会。<br />考えるキリスト?

    三位一体教会。
    考えるキリスト?

  • ピエタ。

    ピエタ。

  • 三位一体教会。<br />お金を払ったのでほかにも一杯撮りました。

    三位一体教会。
    お金を払ったのでほかにも一杯撮りました。

  • 三位一体教会。

    三位一体教会。

  • オーバー・マルクト。

    オーバー・マルクト。

  • ウンター・マルクト、オーバー・マルクトとも美麗なバロックハウスが立ち並んでいます。

    ウンター・マルクト、オーバー・マルクトとも美麗なバロックハウスが立ち並んでいます。

  • オーバー・マルクト。

    オーバー・マルクト。

  • オーバー・マルクト。<br />塔は手前が三位一体教会、奥が新市庁舎。

    オーバー・マルクト。
    塔は手前が三位一体教会、奥が新市庁舎。

  • 広場の西端に立つライヘンバッハ塔。

    広場の西端に立つライヘンバッハ塔。

  • ライヘンバッハ塔。<br />14~15世紀の建築。

    ライヘンバッハ塔。
    14~15世紀の建築。

  • Goerlitzer Kaisertrutz。直訳するとゲルリッツの皇帝の抵抗。何のことか分かりません。<br />今は文化歴史博物館になっています。

    Goerlitzer Kaisertrutz。直訳するとゲルリッツの皇帝の抵抗。何のことか分かりません。
    今は文化歴史博物館になっています。

  • 皇帝の抵抗。

    皇帝の抵抗。

  • ライヘンバッハ塔と皇帝の抵抗。

    ライヘンバッハ塔と皇帝の抵抗。

  • ライヘンバッハ塔と皇帝の抵抗。

    ライヘンバッハ塔と皇帝の抵抗。

  • 傍に立派な像がありました。<br />「市長ゴットロープ・ルードヴィヒ・ダミアニ。市民より感謝をこめて。1862年。」<br />多分市に貢献した市長さん。

    傍に立派な像がありました。
    「市長ゴットロープ・ルードヴィヒ・ダミアニ。市民より感謝をこめて。1862年。」
    多分市に貢献した市長さん。

  • その向かいには市立劇場。

    その向かいには市立劇場。

  • フィガロの結婚とかソフォクレスのアンティゴネーなどをやっています。

    フィガロの結婚とかソフォクレスのアンティゴネーなどをやっています。

  • マリエン広場に向かいます。<br />アンネカペレ。

    マリエン広場に向かいます。
    アンネカペレ。

  • これ小学校です。

    これ小学校です。

  • フラオエン塔、別名ディッカー(太った)塔。

    フラオエン塔、別名ディッカー(太った)塔。

  • フラオエン塔。

    フラオエン塔。

  • マリエン広場。

    マリエン広場。

  • マリエン広場のフラオエン教会。

    マリエン広場のフラオエン教会。

  • フラオエン教会。

    フラオエン教会。

  • フラオエン教会。

    フラオエン教会。

  • フラオエン教会。

    フラオエン教会。

  • フラオエン教会。<br />子供の作った十字架です。

    フラオエン教会。
    子供の作った十字架です。

  • 願い事を紙に書いて貼ってあります。<br />「私は私のパパとママ(マリア様?)がとても健康になるように願っています。そうなると私たちはもっともっと長い間一緒に過ごすことが出来るからです。」

    願い事を紙に書いて貼ってあります。
    「私は私のパパとママ(マリア様?)がとても健康になるように願っています。そうなると私たちはもっともっと長い間一緒に過ごすことが出来るからです。」

  • フラオエン教会。

    フラオエン教会。

  • フラオエン教会。

    フラオエン教会。

  • マリエン広場の先のポスト広場の郵便局。

    マリエン広場の先のポスト広場の郵便局。

  • ポスト広場。<br />ムシェルミンナの泉。

    ポスト広場。
    ムシェルミンナの泉。

  • 駅に向かうヤーコブ通り。

    駅に向かうヤーコブ通り。

  • ヤーコプ通り。

    ヤーコプ通り。

  • 片側には公園が広がっています。

    片側には公園が広がっています。

  • 地下道で線路を潜り駅の向こう側に出ると立派なホテルがありました。

    地下道で線路を潜り駅の向こう側に出ると立派なホテルがありました。

  • その向いにはこんな廃屋が。なんともアンバランスな光景です。<br />これからも旧東独の町では表通りは綺麗でも一歩裏道に入ると廃屋や瓦礫が残っているといった光景が見られました。

    その向いにはこんな廃屋が。なんともアンバランスな光景です。
    これからも旧東独の町では表通りは綺麗でも一歩裏道に入ると廃屋や瓦礫が残っているといった光景が見られました。

  • 聖ヤーコプ大聖堂。

    聖ヤーコプ大聖堂。

  • 閉まっていました。

    閉まっていました。

  • 聖霊教会。<br />聖ヤーコプ大聖堂の向かいにあります。

    聖霊教会。
    聖ヤーコプ大聖堂の向かいにあります。

  • 聖霊教会。

    聖霊教会。

  • 聖霊教会。トーチカみた様な格好。<br /><br />これでゲルリッツは終わり、バウツェンに向かいます。

    聖霊教会。トーチカみた様な格好。

    これでゲルリッツは終わり、バウツェンに向かいます。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • Reinheitsgebotさん 2019/08/22 08:43:55
    16年前は……
    こんにちは。

    ドレスデンからレンタカーを走らせてゲルリッツを日帰り往復したのは、2003年のことです。

    ざっとした旅行記ですが。
    https://4travel.jp/travelogue/11480538
    https://4travel.jp/travelogue/11480887

    あまり街歩きをしない旅をしていますが、それでもまだEU加盟前のポーランド領へ徒歩で橋を渡り、国境検問所でパスポートチェックされて入国するというのは、なかなかできない経験でした。当時の友好橋は車道の下を歩行者が歩くようになっていました。

    ドレスデンに戻るのに市内をぐるりと回っていた時、あのかわいい市電が入るかわいい市電車庫を見つけた時はうれしかったですね。

    車だったのでビールぐびぐび!できなかったのは残念。

    ベーム

    ベームさん からの返信 2019/08/22 17:19:04
    Re: 16年前は……
    Reinheitsgebotさん、
    メッセージ有難うございました。
    16年前のゲルリッツ、ドレスデンの写真、興味深く拝見しました。その頃はシェンゲン協定前だったのですね。再建工事中のフラオエン教会の姿も貴重なものです。私にとってもあの有名なオーデル・ナイセラインを歩いて渡ったことは良い思い出です。
    私はもう海外旅行から引退しましたが、Reinheitsgebotさんにはまだまだご活躍ください。
               ベーム
  • frau.himmelさん 2013/07/01 17:10:44
    ゲルリッツ
    ベームさん こんにちは。

    ゲルリッツにいらっしゃったのですね。
    私たちは今回はいけませんでした。

    2007年に1度訪れたことがあります。
    あの友好の橋でしたっけ、あそこの風景はよく覚えています。
    ただ、ポーランド側には警官が立っていましたね。
    ですから、あの橋も半分だけ行って引き返しました。
    今回ベームさんの旅行記を拝見して、2007年に私たちが訪れたときはまだシャンゲン協定に加入していなかったんだと納得しました。

    さて、次はパオツェン編を見せていただきます。
    ここは昨年のリベンジで、今回は私も訪れました。
    やっぱり先を越されてしまった(笑)。

    himmel

    ベーム

    ベームさん からの返信 2013/07/01 20:30:59
    RE: ゲルリッツ
    himmelさん、

    今晩は。

    訪問くださって有難うございます。
    バウツェン、リベンジなさったのですか。昨年は駅の付近しか行けなかったのでしたね。綺麗な町でした。とくにフリーデン橋からの眺めは素晴らしかったです。勿論himmelさんたちもご覧になったでしょう。束の間の晴れにも恵まれました。やたらに塔が多く私の旅行記では名前が間違っているかもしれません。間違っていましたら教えてください。

    ゲルリッツは2007年はまだ検問があった時なんですね。

    ところでバイロイトのホテルは私もゴルデナー・ヒルシュです。himmelさん同様いい部屋でした。写真を撮ってありますのでバイロイト編でご覧に入れます。ただもう雨、雨で。ワーグナーの家は全くの工事中で周りを回っただけでした。そのかわり市立墓地に行ってワーグナー一族やリスト、ジャン・ポールのお墓を見てきました。

                       ベーム
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