2013/05/23 - 2013/05/23
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TAKEおじさん
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本編は三日目前半の松山
朝は、道後温泉の周りを散歩する。
ホテルの隣に有った、伊佐爾波(いさにわ)神社や道後温泉本館を見た後、松山城へ行く。
松山城は、日本に12箇所しか残っていない現存天守なので、見ごたえの有るお城だった。
この後、香川のうどんを食べたかったので、もう少し松山を見たかったが、昼前に高松に移動した。
4日間、岡山を拠点に山陽から四国に渡って瀬戸内海沿岸をぐるっと回った。
山陽は、岡山を始め、倉敷、尾道の美しい風景を見られた。
瀬戸内海の島は、訪れるのは初めてで、しまなみ海道を渡り、瀬戸内海に点在する小島の美しさに魅了された。
また、四国観光は高校生の頃以来で、果たせなかった道後温泉本館にも入れ、美味しい香川のうどんも食べられた。。
それにしても、連日の30度近い暑さには驚かされた。
日程
5月21日(火) 横浜ー岡山ー直島ー岡山泊
① http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10778264/
5月22日(水) 岡山ー尾道ーしまなみ海道ー道後温泉泊
② 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10779333
③ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10779903
5月23日(木) 道後温泉ー松山城ー屋島ー瀬戸大橋ー岡山泊
④ 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10781387
⑤ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10782915
5月24日(金) 後楽園ー岡山城ー倉敷ー岡山ー横浜
⑥ 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10784199
⑦ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10785230
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行三日目の朝は
出発前にホテルの近くを散歩。
昨日入った道後温泉本館までぶらぶらする。向かいの「空の散歩道」から道後温泉本館を見る。
ここだけ、明治の世界が漂っている。 -
2階の神の湯休憩室が垣間見える
本館は、代々松山城の城大工、坂本又八郎が施工した。細部まで工夫が凝らされている。 -
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
ホテルの隣にあった神社。
長い階段でためらわれたが、登ってみた。135段ある。 -
振り返ると
道後を一望できる。 -
伊佐爾波神社 楼門
朱塗りの社殿は八幡造りで、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮と並んで三大八幡宮という。 -
檜皮葺の屋根
八幡造りの社殿は寛文7(1667)年5月15日に竣工。 -
朱塗りの本殿
本殿は三社が横に連ねられた形式で、それぞれに階段と御扉を持っている。 -
回廊には「算額」
本殿を四方から取り囲んでいる回廊には「算額」がかかっていた。
この神社は、「算額」でも有名らしい。
22面の「算額」を所有しているが、傷みが激しいので現在は掲示されていなく、コピーが掲示されている。
22面もの算額を持っている神社は貴重だ。 -
「算額」のコピー
神社には祈願のため絵馬を奉納するが、江戸時代に和算の好きな人が数学の難問を「算額」にして奉納した。
江戸時代の和算は、当時世界最高レベルの数学であり、日本人の数学好きをこの「算額」から想像出来る。
小説(映画にもなった)『天地明察』で、主人公の安井算哲が「算額」の問題で四苦八苦するシーンが出てくる。 -
復元された關家喜多次の「算額」
和算の天才、関孝和の流れか。
問題文は
「いま図のように、円弧内に青、黄、赤、白、黒の5円を入れる。青円の直径、赤円の直径、黒円の直径が分かっているとき、白円の直径はいくらか」
さて、分かりますか? -
大石内蔵助四十七士の絵馬
享保12年(1727年)献之、古い絵馬が多い。 -
松山城へロープウェイ
近所散策を終えて、車で松山城へ。
本丸は標高132mの山頂にあり、歩いても20分余りだが、昼には香川のうどんを食べたいのでロープウェイで登る。平行しているリフトも利用可能。
往復500円。3分で山頂駅に着く。 -
本丸へ 高い石垣
すぐに高い石垣が見えてくる。
本丸を囲む高石垣で高さ10mを超える立派なもの。 -
急な勾配
上に行くにつれ勾配が急になる。 -
松山城にはいろいろな石垣が有る
1602年築城なので、乱雑な古い石垣から、1800年代の天守再建時の整然とした石垣もある。 -
打込ハギ乱積み
石の隙間を少なくし,空いた隙間にも間石(あいいし)を噛ませる積み方です。
左側は、横方向に石の列が揃っているので、打込ハギ布積みか。 -
整然とした石垣も 切込ハギ・布積み
天守は再建されたの1800年代の美しい石垣。
切込ハギ・布積みは積み石を加工して隙間が無い。
お城は、石垣だけ見ても楽しい。 -
大手門から入っていく
大手門は跡しか無い。
正面の櫓(やぐら)は太鼓櫓で、その前を折り返す。 -
太鼓櫓の先に小天守
太鼓櫓からその先の乾門へ続く石垣は、屏風折と呼ばれ、石垣が屈折している。寄手が何処に居ても攻撃出来るようにしている。 -
戸無門
太鼓櫓を折り返すと戸無門。本来は本丸の大手途上道に設けれた高麗門だが、その名の通り戸が無いので江戸時代から戸無門と言われていた。
左に筒井門西続櫓。 -
戸無門を裏から
扉を吊るした痕跡も無い。当初から戸が無かった。 -
筒井門
正木城から移建されたと伝えられる松山城最大の門。
上に、筒井門続東櫓(右側)、筒井門続西櫓(左側)。
三之丸・二之丸から本丸へ向かう、大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、城中で最も重要かつ堅固な所となっている。
頑丈そうな門である。敵が入ろうとしても上の櫓から攻撃される。 -
隠門・上に隠門続櫓
筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっている。
脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや格子窓形式の突揚げ戸などとともに、築城当時の面影を見ることができる。 -
筒井門を裏から
櫓がよく分かる。 -
隠門続櫓
右に筒井門の櫓。繋がっている。 -
太鼓門
筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えた。
残念ながら、昭和20年に戦災で消失し再建した。 -
太鼓門を裏から
太鼓櫓が門の上に。
いよいよ本丸だ。 -
大天守
いよいよ天守が見えてきた。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちの一つである。
加藤嘉明が1627年に築いた四国最大のお城。 -
美しい天守
平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定された。 -
大天守、左に小天守
大天守、小天守、隅櫓を廊下で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、姫路城と並ぶわが国の代表的な連立式城郭といわれている。
大天守の全高は、本壇から20m。標高は約161m。
正岡子規の歌に
「松山や 秋より高き 天守閣」 -
紫竹門(重要文化財)
本壇に接して紫竹門および続塀がある。乾門方面からの侵入に対し、この門と東塀・西塀によって大きく仕切ることにより、本丸の搦手(裏)を防衛する重要な構えである。 -
ゆるキャラは「よしあきくん」
入場券売り場に、松山城築城400年祭で誕生した、松山城のマスコットキャラクター。
名前の「よしあきくん」は松山城の初代城主 加藤嘉明(よしあき)にちなんで名付けられた。 -
本壇に入っていく
正面に大天守、左に小天守。
松山城は、本丸の奥に独立した天守曲輪(てんしゅぐるわ)である、「本檀」を有する。 -
松山城 本壇 配置図
ここから天守を守る門が続く。
順番に見ていく。 -
一ノ門(重要文化財)
一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっている。形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できる。
天守までの門が多く戦国のお城だ。 -
二ノ門(重要文化財)
本壇における第二番目の門で、薬医門の形式を持つ。
天守閣三の門東塀から射撃される構えとなっている。 -
三ノ門(重要文化財)
本壇における第三番目の門で、高麗門の形式を持つ。
三の門南櫓・天守閣から射撃される構えとなっている。 -
筋鉄門、筋鉄門東塀
筋鉄門は櫓門で、門の柱に鉄板が張ってあるので、この名がある。
この門の櫓は小天守と大天守の通路になっていて、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっている。 -
ようやく天守
これだけの門を通って、攻めてきた敵は、途中で撃退されているだろう。 -
古い階段を
昔のままの急な階段を登っていく。
古いお城のままなので江戸時代に戻った様。 -
城内展示
お城の典型的な展示物で、武具や古文書など、お城にまつわるものが多数展示されている。 -
やっぱり加藤嘉明
「よしあきくん」で名前を覚えた。 -
見事な書 松平定国の五言絶句
九代藩主定国の1784年晩夏(6月)の作品。
この年の元日、天守が落雷で消失し、幕府の再建許可を受けたのは6月29日。
人皆苦炎熱
我愛夏日長
薫風自南来
殿閣生微涼 -
天守鯱雛形(てんしゅしゃちひながた)
天守再建時(1848−1852)に、京都清水から取り寄せた雛形を原型に天守鯱瓦が製作された。
平成16年から平成18年にかけて大改修で、81年目で交替した。現存天守の築城が1854年であることを考え合わせると、今回の「しゃちほこ」は3〜4代目か。
しゃちほこの愛称を平成18年に全国へ公募したところ、南側(一の門から見える方)のしゃちほこが「天丸」、北側のしゃちほこが「まつ姫」と命名された。 -
狭間(さま)、石落(いしおとし)
敵の攻撃のために、狭間や石落から鉄砲や矢を射た。石落から石を落としたとも思えないけど。 -
大天守最上階
松山平野を360度見渡せる。 -
南側の眺望
細長い本丸がよく分かる。
松山の中心街はやや霞んでいる。 -
小天守 南側のやや右側
-
小天守の鯱
落下防止?のワイヤーが余りにも不粋。
修理中なのか? -
北側
遠く瀬戸内海。 -
小天守へ登る
大天守の隣の小天守には建物を通って行ける。 -
松山城は連立式天守
松山城は連立式天守で、大天守・小天守・櫓を四方に配置し、多聞(たもん)櫓(長屋形式の櫓)でつないでいる。建物で仕切られた中庭が出来る。 -
中庭の敵を狙い撃ち
敵が厳重な門を通ってきても、四方から狙い打つ厳重な防備になっている。
天守防衛の究極の姿であるとも言われており、「現存12天守」の中では、姫路城と同じ構成となってる -
大天守を望む
小天守の狙い撃ちの窓から大天守。 -
仕切門 重要文化財
天守を降りて城の周りを見る。
仕切門は、脇戸付の高麗門、天守閣の北側に位置し、内門との間が枡形となっている。天守閣、玄関多聞によって防衛される。 -
天神櫓
本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったのでこの名になっている。 -
紫竹門(重要文化財)
本壇から外に出る。
乾門方面からの侵入に対し、この門と東塀・西塀によって大きく仕切ることにより、本丸の搦手(裏)を防衛する。 -
乾櫓(いぬいやぐら)(重要文化財)
乾櫓は築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅の鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っている。乾門・同東続櫓とともに搦手(裏側)を防衛する重要な構えである。 -
手前から乾(いぬい)門東続櫓・乾門・乾櫓
この門、櫓は慶長年間正木城から移建されたといわれ、乾一ノ門とともに、松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっている。 -
乾門を通って
-
乾門を出て乾櫓を仰ぎ見る
-
松山城ともお別れ
遠足の児童達がやって来た。 -
帰りはリフトで
帰りはゆっくりとリフトに乗って帰る。
風を切って気持ちが良い。 -
花嫁御寮も
ケーブルカーには綺麗な花嫁さんが。
お城で記念撮影みたいだ。
松山城は期待以上に素晴らしいお城だった。
姫路城と並ぶ連立天守は美しく、江戸時代以前の「現存12天守」は、歴史を感じさせられた。
続きは以下の旅行記で。
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10782915/
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