2013/05/21 - 2013/05/21
376位(同エリア668件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州で構成されていました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
その23カ所目にして東海道編の掉尾を飾るべく、安房国(千葉県)の安房神社を訪ねました。
【安房神社(あわじんじゃ)】
[御祭神]天太玉命(あめのふとだまのみこと)
[鎮座地]千葉県館山市大神宮
[創建]皇紀元年(紀元前660年)
[追記]
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[安房国]安房神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜安房國一之宮[安房神社]」のタイトルで連載しております。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
-
JR外房線千倉駅。
約半年ぶりの再訪となった。
最初の巡礼地、洲崎神社を参詣して以来である。
あの時は本当は洲崎神社から安房神社、そして玉前神社と巡礼して東京駅に戻るつもりだった。
しかし、洲崎神社を参拝した時点で日が暮れてしまい、撤収を余儀なくされたわけだ。
地方のバス路線網を甘く見ていたわけでは決してなかったが、己の予断の甘さを深く悔いるばかりだった。 -
千倉駅から館山日東バスに乗車する。
安房白浜行きの路線バス。
平日の昼下がりとあって、乗客は高校生や老人ばかり。
そうした僅かばかりの乗客を乗せ、バスは千倉の古い街並みを縫うように走り抜ける。
千倉の町を出たバスは国道410号線、通称“フラワーライン”へ。
昼下がりの南房総、車窓に広がる風光明媚な景色を眺めているうち、ついウトウトしてしまう。 -
バスは約30分ほどで安房白浜バスターミナルに到着した。
周囲には数多くのリゾートホテルが立ち並んでいる。
しかも源泉が湧いており、どれも温泉ホテルである。
だが、ここから見えるのは指呼の間にある「南国ホテル」ぐらい。
ほとんどのホテルは、もっと海沿い側に立ち並んでいるのだろう。
しかし乗り換え時間が僅かなので、わざわざ確認に出向く暇もない。 -
安房白浜BTはJRバス関東の“駅”でもある。
立派な切符売り場を構え、職員も常在している。
外房線の小さな無人駅より、よほど風格がある。
そのうち安房白浜発「なのはな号」東京行が入線してきた。
高速路線バスなのだが館山駅までは普通の路線バスとして走っている。
なので座席はロングシートではなく2×2のロマンスシート。
客は他に誰もいないので一番前の席に堂々と陣取る。
座り心地は快適、視界も抜群だ。 -
路線バス扱いとはいえ運賃箱が付いているわけではないので、運賃は運転手に前払い。
安房白浜から安房神社前バス停まで440円。
乗車時に乗車券が発行され、降車時に運転手に手渡すシステムだ。 -
16時10分「なのはな44号」は安房白浜バスターミナルを出発。
すると途中のバス亭で、一人のお婆さんが車内に乗り込むでもなく、運転手相手に延々と立ち話をしている。
出入り口の直近に座っているので両者の会話が聞くともなしに聞こえてしまう。
どうやらお婆さんは前に乗ったバスに忘れ物をしたらしく、それを後続のこのバスに届けてもらったらしい。
それにしても年寄りは孤独なせいか、運転手相手に延々と話しかけている。
気付けば5〜6分は経過していたのではないか?
次第にイライラしてくるが、邪険にするのも可哀想。
地方のバスも、なかなか大変である。 -
バスは約30分弱で安房神社前バス停に到着した。
この一帯、地名は「一宮」ではなく「大神宮」という。
無論、地名は安房神社に由来するものだろう。
社号は「神社」なのに地名が「神宮」なのは、それだけ地域からの崇敬の念が篤いということか。 -
国道410号線沿い、コメリと接骨院の間から山の方角へ延びる道が参道だ。
しかし道の両側には普通の住宅が立ち並び、商店は数えるほどしかない。
大きな神社にあるような並木道でも、商店や飲食店が立ち並ぶ仲見世でもない。
大きな神社の参道にしては意外と地味な印象を受ける。 -
ただ、普通の住宅といっても一戸当たりの敷地は広く、建屋も大きい。
立派な生垣を眺めながら奥に見える鳥居の方向へ歩を進める。
と、途中で珍妙な張り紙が目に止まった。
大きな庭を持つ家の入口に掲げられていたもの。
タイトルには『当家の庭で不埒な行為を働いたもの』とあり、併せて男女の2ショット写真も載っている。
どこか警察の指名手配写真を思い起こさせるような写真だか、さすがに顔はモザイクで隠されている。
男と女が他人ん家の庭先で如何な『不埒な行為』を働いたのかは不明だが。
家主に写真を晒されるほどの怒りを買ったというだけで、その内容が伺える。 -
そして、ここにも“不埒”な掲示が。
またしても見かけた聖書の看板。
だが、さすが「大神宮」の名を背負う御神域、やることが違う。
その上から「粗大ごみ有料化のお知らせ」のビラが貼られていた。
看板とビラ、どちらが現世の人々にとって有益な情報かは一目瞭然。
“不埒”なのは粗大ごみの告知ではなく、神聖なる御神域に無遠慮に侵入してきた異教の看板のほうである。 -
地味な割にドラマツルギーが横溢していた参道も、ここで終点。
安房神社一の鳥居に到着した。
シンプルな鋼鉄製の神明鳥居だが、色は真っ白。
両脇に建つ石灯籠の色も白。
すべてが白で統一されている。 -
鳥居の右側に立つ社号標は昭和8(1933)年の建立。
揮毫は全国の社号標でおなじみ東郷平八郎元帥の手によるもの。 -
安房神社のシンボルともいえる桜並木の参道。
シーズンともなると“桜のトンネル”を愛でる花見客で賑わうそう。
しかし、とっくに桜のシーズンも終わり、平日の夕方という“逢魔が時”に一人っきりでは、なかなかイメージが湧きにくい。 -
参道を抜けると、そこには大正時代半ばの築と云われる社務所が。
関東大震災にも耐えた堅牢な造りは当時の建設技術の高さを物語っている。 -
社務所の脇には、二の鳥居。
こちらも一の鳥居と同様、純白の神明鳥居だ。
安房神社の創始は今を遡ること2670年以上も前の皇紀元(西暦紀元前660)年と伝わっている。
神武天皇から「肥沃な土地を探せ」との勅命を拝した天富命は、まず南海道阿波国(現徳島県)に上陸。
そこで麻や穀(カジ=紙などの原料)などを植栽し、開拓を進めた。
その後、天富命一行は更なる肥沃な土地を求め、阿波国に住む忌部一族を引き連れ海路黒潮に乗り、はるばる房総半島の南端にたどり着いた。 -
本殿前に設けられた禁足地。
さて、房総半島南端へ上陸した天富命一行と忌部一族は、ここが麻の栽培に適していたことから「総国(ふさのくに)」と命名。
「総」とは古代語で「麻」と同義語で、ここでも麻や穀を播植し、産業地域の拡大に努める。
同時に上陸地点を出発地の「阿波」と呼び、後に「安房」へ変わったとされる。
忌部氏は朝廷での祭祀を担当してきた氏族で、それに使う祭具の製作部門も管轄していたことから、あらゆる産業の総祖神とされる。
この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、祖先の天太玉命(あめのふとたまのみこと)と天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を祀った。
これが現在の安房神社の起源となっている。
なお、阿波国一之宮「大麻比古神社」の主祭神「大麻比古大神」は安房神社の主祭神「天太玉命」の別名。
つまり、安房国と阿波国の各一之宮の主祭神が同じということになる。 -
拝殿は昭和52(1977)年築。
鉄筋コンクリート造りで、本殿の建築様式に倣い神明造りとなっている。
主祭神の天太玉命は、あらゆるモノを生み出す優れた力が御神徳の、日本の産業創始の神。
高皇産霊神の孫と云われ、天孫降臨の時に宮中での神鏡の守護神として、また祭祀を司る重要な神として中臣氏の祖神である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに地上に遣わされた。
配神に后神の天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)が祀られている。
安房国もうひとつの一之宮洲崎神社では、逆に天比理刀咩命が主祭神であり、天太玉命と天富命は配神となっている。
太古の昔は安房神社が「男神」、洲崎神社が「女神」を祀り、双方合わせて「安房國一之宮」だったのか?
それを裏付ける物証など無論どこにも存在しないのだが。 -
拝殿に掲げられた扁額。
安房神社には本社「上の宮」と摂社「下の宮」の二社が祀られている。
安房へ“移住”し房総半島を開拓した天富命は「下の宮」、その天富命が祀った天太玉命は「上の宮」の、それぞれ主祭神となっている。
天太玉命は遥か太古の昔、天照大神の側近だった神様で、中臣氏と共に朝廷の祭祀を司った忌部氏(斎部氏)の祖神に当る。
天照大神が弟の素盞鳴尊の狼藉に怒って天岩戸に閉じこもった際には、天児屋命(あめのこやねのみこと)と協力して御出現を願う祭礼を挙行した。
その折、天太玉命は忌部氏を指揮して祭礼の挙行に必要な鏡や玉、幣帛や織物、武具などをつくり出した。
神社で見かける玉串や注連縄などの神具は天太玉命がルーツ。
この故事が天太玉命を「日本の産業創始の神」たらしめる由縁となっている。 -
拝殿の奥、本殿側の壁面に掲げられた扁額。
そこには「当國一宮」と記されている。
養老元(717)年、安房神社は現在の鎮座地である吾谷山(あづちやま)の麓に遷座された。
それに伴い、天富命を祭神とする「下の宮」の社殿も併せて造営された。 -
本殿は明治14(1881)年の竣工。
建築様式は神明造りで、屋根は薄く剥いだ檜の皮を重ね合わせて作られた「檜皮葺き」。
平成21(2009)年に「平成大修造」が実施され、面目を一新した。 -
上の宮社殿の右隣りにある神饌所は明治41(1908)年の築。
神饌所とは神様に奉る神饌(お食事)を作るための建物。
現在は毎年1月14日に行われる「置炭神事」(おきずみしんじ)の祭場として主に使用されている。
置炭神事は1月14日夕刻、門松に使われた松材を薪に用い、浄火を焚いて粥を煮る。
燃え残った松材から12本取り出し、その焼き色によって1年間の天候を占う神事だ。 -
神饌所を更に左奥へ進むと、そこは「下の宮」の鎮座地。
養老元(717)年に安房神社が遷座された際、天富命を祀る摂社として創建されたことは既に触れた。
配神の天忍日命(あめのおしひのみこと)は天太玉命の弟神で、日本武道の祖神という。
下の宮は室町時代以降、数百年間にわたって途絶えていたが大正時代に復活した。
天太玉命は「日本産業の総祖神」なのに対し、孫の天富命は「房総開拓の神」と、どこか親しみを感じる神様だ。 -
下の宮を出て鳥居をくぐり、石段を下りたところに佇む御神木の槙。
御神木といえば拝殿の前など目立つ場所にあるのが一般的だが、目立たない場所にあるのは意外と珍しい。 -
下の宮への坂を下りたところに立つ社号標。
「勲一等 安房座太神宮 御鎮座」と刻まれている。
安房神社は延喜式に「安房坐(あわにます)神社」と記されていることから、この社号標は昔使われていたものを移設したのだろう。
風化して文字が読みにくくなっているが、それが逆に歴史を感じさせる。 -
社域の東側に広がる神池。
更にその東側を、下の宮と社務所の前を結ぶ細い道が通っている。 -
その細い道が尽きて参道とぶつかる位置に立つ「あづち茶屋」。
平成25年2月20日に開店したばかりの真新しい一服処だ。
店名は現在の鎮座地「吾谷山(あづちやま)」に由来する。
ただし営業は金・土・日・月・祝日の午前10時〜午後4時。
午後5時を回った現在、残念ながら営業はしていない。 -
再び参道を一の鳥居へと歩く。
その右側に、注連縄で囲まれた苗床を見かけた。
既に田植えのシーズンは終わっているが、苗床では真新しい苗が育っている。
これから御神田に植えられるのだろう。 -
参道の西側には「館山野鳥の森」が広がる。
道理で鳥の鳴き声が喧しかったわけだ。
年中無休で営業時間は午前9時〜午後4時半。
当然ながら既に閉館後。
鳥の鳴き声だけを聞きながら、安房神社を後にしたのだった。 -
帰路は安房神社前バス停ではなく、もう少し海寄りの相の浜バス停から乗車することに決めた。
なので来る時に通った正面の道ではなく、一の鳥居を出て左に曲がり、のどかな風景に囲まれた道を歩く。
20〜30分ほど歩いたろうか、国道410号線に出、相の浜バスに到着した。 -
バス亭の脇から細い坂道が海の方角へ延びている。
漁村の佇まいを湛えた住宅街を5分ほど歩くと、正面に小さな漁港が姿を現した。
相浜漁港、又の名を富崎漁港。
漁を終えた漁船の群れが、暮れていく夕日を浴びて静かに佇んでいた。 -
相の浜バス亭からJRバスに乗り館山駅へ。
めでたく東海道の一之宮を全て巡礼し終えたことを記念し、一献やろうかと画策。
駅に行くと「館山炙り海鮮丼」「館山旬の八色丼」というチラシを発見。
これらは「新・ご当地グルメ」と呼ばれるもので、観光客へ向けて新たに開発されたメニューとの由。
ところが駅の近くで供している店は2店のみ。
うち一店はランチだけ。
残りの一軒も限定25食というから売り切れ必至だろう。
それでもダメ元で行ってみたら…案の定、売り切れ。
ここまで気軽に食べることのできないメニューを「新・ご当地グルメ」としてプッシュすることに何の意味があるのか良く分からない。
止む無く駅近辺をウロついて飲食店を探したところ、海鮮料理「有香」という店を発見。
さんが焼きと焼き魚定食で剣菱をチビチビと呑る。
接客にクセのある店ではあるが、魚そのものは美味いのでハマれば結構イケる。
そのうち「食べログ」にレビューを書くとしようか。 -
「有香」を出、帰郷のため館山駅へ。
しかし、次の東京行き電車まで時間がある。
そこで駅前から伸びる大通りを海まで歩いてみた。
堤防に腰掛け、夜の海を眺めながら、これまで巡礼してきた一之宮の数々を思い返してみる。
結構な数を巡ってきたように思えたが、まだ旅は実際のところ始まったばかりなのだ。
電車の発車時刻が近づいてきたので駅へ戻る。
上空を見上げると、丸い月がポッカリと浮かんでいた。
「次はいつ出かけようかな?」
そんなことを思いながら、駅の階段を上った。
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