2013/05/16 - 2013/05/19
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akkiy363672さん
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九州ドライブ3日目、いよいよ最終日です。明日は福岡空港から帰りの飛行機に乗りますから、今夜は福岡に着いていなくてはなりません。
で、杖立温泉を出発して熊本城へ寄り、そのあと太宰府天満宮に参拝して、夕方、福岡へ戻りました。夜は博多で「天草大王」に舌鼓を打ち、その余韻の中を帰宅しました。
空の旅は格安航空会社で十分だと確認し、4日間で約500kmを走ったプリウスはガソリン代が2600円…、時代はハイブリッドだとも確認した旅でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー バニラエア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前7時30分起床。8時に朝食を済ませ、8時40分、杖立温泉をあとにしました。
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杖立川沿いに国道212号を西へたどり、松原ダムのダム湖が見えたところで県道12号へ左折…。
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そのあとは国道385号をひたすら走って、熊本を目指します。
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道の両側が、ちょっとにぎやかになってきました。熊本市内に入ってきたのです。
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午前10時50分、熊本市の中心街です。
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10時55分、熊本城に着きました。
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城内の「桜の馬場駐車場」に車を止めました。ここから、「頬当御門」までは近いのですが上りで、15分ごとにシャトルバスが運行されています(無料)。
歩いても10分ほどの距離なのですが、観光客に優しい配慮がなされているのですね。 -
シャトルバスの終着点「西出丸」です。右手に「頬当御門」があります。
左は「宇土櫓」です。 -
「頬当御門」から城内へ…。
熊本城は、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて、豊臣秀吉によって肥後に封じられた加藤清正が、それまであった隈本城をもとに、現在のような姿の熊本城を築きました。 -
鉤型の石垣の間を上っていくと、天守閣の後ろ側に出ました。
7年の歳月をかけて築いたこの城で、清正は肥後54万石を治める大大名として、徳川の治世ににらみを利かせました。 -
黒い城「熊本城」の大小天守閣です。
日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価があります。 -
本丸の南側、「数奇屋丸」に展示されていた、加藤清正の鎧兜です。
西南戦争では、熊本城は政府軍の重要拠点であると同時に、西郷軍の重要攻略目標となりました。
西郷軍の総攻撃2日前、1877年(明治10年)2月19日午前11時40分、原因不明の出火で大小天守などの建物(同時に30日間の米、城下の民家約千軒)を焼失しました。
この「数奇屋丸」にも、ガイドさん(ボランティアなのでしょうか、60代ぐらいの男の方です)がいて、観光客に説明や世話をしてくれます。
章くん、実は出口から入ってしまったのですが、「いいですよ。靴は別に預かっておきますから、どうぞこちらからお入りください」と配慮してくれました。 -
← 二様の石垣 【パンフレットより】
手前の石垣は熊本城の中で古い年代のものであり、真ん中のものは上に行くほど反りがきつくなっていて「武者返し」といわれる構造になっています。
西南戦争のとき、この城に立て籠もった熊本鎮台が西郷軍の猛攻をしのいだのも、この石垣があったからといわれ、事実、西郷軍はこの石垣を登れずに、一兵も場内に入れなかったと伝えられています。 -
← 闇(くらがり)の通路。天守閣に行くには、本丸御殿の下のこの通路を通らねばなりません。
もともと通路によって南北に分断されていた本丸に、1610年(慶長15年)から、通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われました。
これにより天守に上がるには、本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになりました。 -
大天主、小天主を、東側正面からパチリ。
城内へは、右側の小天守下の入り口から入ります。 -
小天主の下へと、やってきました。
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それでは、小天主の下の入り口から、城内へ入ることにしましょう。
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まずは小天主に上り、最上階(4階)から東を眺めた光景です。
本丸広場の向こうに熊本の市街地が望まれ、その向こうに阿蘇の山並みが連なっています。
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西を見ると、熊本西部の丘陵が望まれ、右下には「宇土櫓」が見えています。
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この「宇土櫓」は、熊本城の創建当時から残る唯一の櫓で、地上5階地下1階、並みの城の天守閣に匹敵するといわれます。
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隣の大天主をパチリ!
大天主は地上6階地下1階で、さすがに大きいです。 -
大天主では、各階にさまざまな展示物がありました。
これは、天守閣の屋根の上で踊る 鯱(しゃちほこ)です。 -
城内のパネルにあった、加藤清正像です。
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大小天守閣の骨組み模型もありました。
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大天守閣最上階から東を…。
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同じく、西を…。
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天主から降りてくると、表に顔をはめこんて写真を撮る鎧兜姿の型枠がありました。
以前行ったタイでは有料で、知らずに写真を撮るとどこからともなく男が現れて料金を請求するということてしたが、ここでは無料でした。 -
これは、杉の大木。西南戦争の時に、この木も焼けてしまったのだけれど、根が残っていて、そこから新芽が再生してこの大きさに育ったのだという。
西南戦争が1877年(明治10年)たから、この杉は樹齢120余年といったところ…。先代とともに、熊本城の歴史を見てきたのですね。 -
大杉の横に建てられている「本丸御殿」に入ってみました。お殿様が、日常起居していたところです。(細川家の藩主は、外堀になっている坪井川を越えた外に住まいを定めていたようですが…。)
← 大広間。遥か向こうに、お殿様が座っているのです。
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「本膳」料理です。
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本丸御殿の奥まったところに「昭君の間」と呼ばれる、豪華な一室がありました。
悲劇の美女「王昭君」の故事が豪華な襖絵に描かれています。 -
天井にも見事な彩色が施されていて、この部屋の豪華さをいっそう引き立たせていました。
一説には、加藤清正は秀頼を徳川幕府が迫害すれば、秀頼をこの城に迎えて一戦交えようと考えていたのだといいます。
そのときに秀頼を迎えるための部屋だったと伝えられています。 -
外に出ると、大杉の枝下に熊本城が休んでいるような…。
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帰り道、本丸石垣の雄大さに、改めて感心させられました。
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「頬当門」から、振り返ったところ。
この石垣の高さはどうですか。難攻不落が、納得させなれます。 -
帰りは、車を止めた桜の馬場まで、行幸坂を歩いていきました。
「数奇屋丸」(右)下の、空堀です。 -
右側の歩道を、真っ直ぐに降りてきました。
左手に「奉行丸」の石垣が見事です。 -
さらに下ると、葉桜の樹間から「飯田丸櫓(5階)」が見え、その下の「備前堀」が水を湛えていました。
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← 「行幸坂」。今は、桜の葉の緑が鮮やかでした。
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桜の馬場にある、ショッピングモール。
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その中の1軒「桜道」で昼食を食べました。
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桜道御前(?)
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午後2時30分。
城の前の道路に出ると、ン…、市電が走っていました。 -
と…、前からやってきました。
2系統の路線があって、全線大人150円だそうです。 -
九州道に乗って、「太宰府天満宮」に向かいます。
ここは、大分道・長崎道の分岐点。 -
西鉄「大宰府駅」、大宰府線の終点駅です。
駅の近くに、いくつかの駐車場がありました。 -
駅前から伸びる参道…。お店屋さんが並んでいます。
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参道にあった店の店頭にいた招き猫。この店のグッズは、全てネコです。
この地方になぜネコにちなんだものが多いのかということを、この旅で知りました。
阿蘇山の内輪山「阿蘇五岳」のうちの「根子岳」は、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳たちと、誰が一番早く高くなれるか競っていました。結果は末っ子の根子岳が長男の高岳さえも追い抜いて一番高くなったのですが、しかし、それは鬼たちに阿蘇の国で自由に暴れさせる代わりに、竹田から土を運んで自分の頭に積ませたからでした。
これを知った阿蘇大明神は激怒し、根子岳の頭をピシャリピシャリと何度も叩き、そのおかげで根子岳の頭はギザキザになってしまいました。
その山の形が、ネコが耳を立てた形に似ているので、「根子岳」という名前がついたのですが、ここからがメインで、肥後国の猫は7歳になると根子岳へ修行に来るというのです。
そして、人に化けて、迷った旅人をおびき寄せ、散々もてなして振る舞ったあと、寝ている隙に食べてしまうというのです。
アニメ「まんが日本昔ばなし」で紹介された時は、温泉のお湯で旅人を猫に変えてしまうとなっています。 -
ここから境内の鳥居
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心字池をまたぐ太鼓橋。
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楼門が見えてきました。
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楼門の手前に、伝説の珍獣「麒麟」がいました。
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楼門。
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本殿。
菅原道真公を祭神とし、またその墓所でもある太宰府天満宮は、全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも年間700万人、初詣にも九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者があるといいます。 -
午後5時、本殿に参拝して、今日のお勤めが終わります。
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入り口の鳥居の横の「御神牛」くんにご挨拶して、大宰府天満宮をあとにしました。
天満宮でなぜ牛が珍重されるかというと、道真公の亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなった故事からとあります。
ということは、牛が動かなくなった地は、ここということですね。 -
大宰府からは、「福岡都市環状線」に乗って、福岡に向かいます。
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午後6時15分、福岡駅近くの営業所にレンタカーを返しました。
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地下鉄で、中州へ向かいます。
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地下鉄の「中洲川端」で降りて、川沿いに歩きます。
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明るいうちの那珂川沿い。
ぶらぶらと10分ほど歩いて、今夜の宿「東横イン」に着きました。 -
夕食は、東横インから徒歩1分の「なぎの木」。8年前に初めて福岡に来たときに、福岡在住の友人に連れて行ってもらって、すっかり気に入ったお店です。
章くんの定番「まぐろの刺身」は、トロかと見まごう光沢の良さ、脂の乗りです。
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博多に来たら、明太子でしょう。
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おすすめ、活イカのつくり。
佐賀の呼子より、毎日直送してもらっている、透明度抜群で甘味の多い逸品です。 -
調理されて皿の上に並んでいるのに、まだ元気いっぱい手足を動かしている。
『君の命、確かにいただくからね』と足をつつくと、その吸盤でしっかりと握り返してきました。 -
そしてメインの「天草大王の水炊き」。
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7時間をかけて炊き出した白濁スープが「なぎの木」の自慢。
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暖かくなってきたら、まずスープだけをとり、刻み小ネギと少しの塩を加えて味わいます。
濃厚なのにあっさりした味が、口の中に広がります。 -
と…、先ほどの活イカのゲソと帽子わ、てんぷらに揚げてくれました。
イカの揚げ物というと歯応えがあるものですが、みんなとても柔らかでホクホクといただきました。 -
天草大王のコリコリした鶏肉と、ありたどりのつみれ、それにたっぷりの野菜でお腹いっぱいだったのですが、あとのスープでつくった雑炊は、2杯も食べてしまい、身動きできず…。
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腹ごなしを兼ねて、中州を歩いてみました。
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花屋さんがたくさんあるのは、夜の町の特徴でしょうか。
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揺れるネオンの那珂川沿いを、夜風に吹かれて歩きました。
やっぱり中州は、夜のほうがよく似合う。 -
4日目の朝です。
午前6時20分、ホテル出発。 -
地下鉄で、福岡空港へ行きます。中州から空港までは、4駅9分250円。
朝6時過ぎから開いているラーメン屋さんがありました。と…思ったら、「24時間営業」と書いてありました。
さすが、ラーメンどころです。 -
6時44分、空港行きです。
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福岡空港に着きました。国内線出発ロビーは第一ターミナル。結構遠いです。
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エア・アジアの受付カウンターは、即席感いっぱいです。
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荷物は、ANAカウンターで預かってくれます。
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セキュリティチェックの前に、スタンドを置いて受付です。
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国内線待合室。朝から、ごった返していました。
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JALのカウンターには征服に身を固めた受付上が並んで、搭乗案内は電光掲示板に表示されています。
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エア・アジアのカウンターは移動式で、係りの女の子が制服(…赤いジャンパー)姿でスタンバイです。
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電光掲示板もなくって(苦笑)、係りの女の子が書いたものを掲げて、叫んでいます。
さすがはLCC…と感心するばかり。でも、ちょっと気の毒…かな。 -
章くんたちが乗るエア・アジア機。さっき着いたばかりなんだけど…。
でも、ハワイで島々を結ぶ飛行機に乗ったときも、着いたらすぐに出発でした。バスみたいなものですね。
そういえば、席も決まっていなくて、先着順でしたね。 -
午前8時30分、搭乗開始。
点検しています。点検担当は一人です。
セントレアに着いたときも、すぐに作業車が来て、点検を始めていました。 -
8時45分、飛び立ちました。
日本も、思いついたときに切符を買って出かける、空の旅の時代が始まったということですね。
安全性は問題ないのかって…? エア・アジアだって、みんな命かけて飛んでいるんですからね。それなりに万全を尽くしてくれていますよ。
と…、いっているうちに、セントレアに到着! お疲れ様でした。
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