2013/05/03 - 2013/05/03
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ねこにゃんさん
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今回は、徒歩で運動を兼ねて寝屋川市にある、高柳大将軍、高柳廃寺跡、現在は長栄寺【国の史跡指定】、若宮神社他を訪ねてみました。本日は1万歩に届きませんでした。
ますは、高柳長栄寺は、聖徳太子が建立したとされる茨田寺とも推測されるお寺で、
70年ほど前に境内の裏から茨田王(聖徳太子の実弟)の蔵骨器が発掘されました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 徒歩
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高柳廃寺跡の標識が・・・・
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入り口には何かの碑が・・・・後で調べよう
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高柳廃寺跡の説明
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高宮廃寺跡は、寝屋川市高宮に所在し、生駒山系の西麓香里丘陵の南端に位置しています。白鳳時代(7世紀後半)に創建され、奈良時代にかけて営まれたあと一時廃絶しました。しかしその後、中世に再建されて室町時代に至る間法灯がともされた、北河内屈指の寺院跡です。
寺域内に延喜式内社大杜御祖神社があり、近くには延喜式内社高宮神社があります。同じ郷に二つの式内社があることは大変珍しいです。高宮廃寺は、古代北河内地方における初期寺院の展開と、氏寺経営のあり方をうかがう上で重要な遺跡です。なお、当廃寺跡は昭和55(1980)年5月13日に国の史跡指定を受けました -
たしかに二つの式内社がある・・・
正面の左の式内社です -
十一面観世音菩薩ですかね
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右にある式内社・・・・
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式内社と式内社の間には鳥居が・・ある
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境内にはツツジが咲いてました・・・・
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長栄寺の蔵骨器
(寝屋川市指定文化財)
70年ほど前に境内の裏から茨田王(聖徳太子の実弟)の蔵骨器が発掘されました。
蔵骨器は、火葬した骨を納めるための容器です。昭和14年(1939)に長栄寺町の長栄寺本堂の真北の水田を発掘した際に、他の石造物と一緒に出土しました。蔵骨器は凝灰岩(ぎょうかいがん)という比較的柔らかい石で作られており、中央部に一辺30cm・深さ7.5cm(現寸)の方形の孔(あな)が開けられています -
誰の墓?後で調査しておこう
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参道です・・・昔は・・すっと参道だったのでしょうね。今では道路が・・・で分断されています
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続いて、高柳大将軍です
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「大将軍」というのは大安や仏滅などとともに暦(こよみ)の吉凶をつかさどる八将軍、太歳神(たいさいしん)、大将軍、太陰神(たいおんしん)、歳刊神(さいきょうしん)、歳破神(さいはしん)、歳刹神(さいせつしん)、黄幡神(おうはんしん)、豹尾神(ひょうびしん)という方位の神のひとつなんだそうです。
高柳村の鬼門(きもん、北東)といわれた方角に、昔は木々がうっそうと茂り、たぬきがすむと恐れられていた場所がありました。高柳村ではそのころ異変が続いていました。村中で話し合われ「鬼門を粗末にしているからだ。大将軍をまつろう」ということになりました。これが高柳村の「大将軍」のおこりだそうです。 -
忠魂碑
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本日の最後は、若宮神社 これだしかありません・・・・・
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「しょうごん」は毎年1月6日に行われる寝屋川市対馬江地区にのみ残っている行事です。数え歳3歳の子どもが対象で、子どもたちの仲間入りと厄除けの願いから出たものだといわれています。1月6日、若宮神社の床の間に皇太神宮の軸を掛け、神酒、洗米、するめ、みかんなどを供え、その前で晴れ着姿の3歳の子どもたちは母親に付き添われてお祝いをうけます。料理は、塩鰯、大豆、ごぼうなどで、子どもたちにはその他に鯛や赤飯、かす汁が出されます。式がすむと、若宮神社の前に座を作って近くの年長の子どもたちに集まってもらい、仲間入りのお礼として塩鰯、大豆、ごぼうなどにかす汁をそえてもてなします。昔から続いている伝統行事だそうです。
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説明のアップ
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歴史の道です
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村だった頃の名残です。
寝屋川の対馬江も昔は淀川の中に浮かぶ2つの中洲で、
港だったことに由来するそうです。 -
文字はかなり風化しています
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本日はここまです
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