2009/03/25 - 2009/04/01
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tomozow40さん
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この前年、ベトナム・カンボジア旅行で、費用がかさみ過ぎてしまったことに反省した私は(笑)、基本に戻って、なんとか安く、しかも起伏のある旅行プランが立てられないものかと思い、実現した旅行だった。
悪くないプランだったと、我ながら思っている。
香港で街遊びを楽しんで、マカオで世界遺産を堪能し、マカオから中国へは陸の国境越えを経験し、広州では中国本土の香りも楽しむと言う、どちらかというと中国初心者向けの内容ではある。
ただ、6泊7日で3都市というのは少々欲張り過ぎで、この内容なら10日あればよかったかもしれない。
しかもこの旅行では、いつも以上にトラブルが発生! 「起伏のある旅行」どころか、波乱万丈になってしまった。
その7日間をご紹介します。
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国境を越えるというのは好奇心が刺激されるイベントだ。四方を海に囲まれている島国・日本では、自分の足で国境を越えることができないが、他国でそれは当たり前のように経験できる。
娘に一度国境越えを体験させたかったので、マカオのイミグレーションから、バスで中国本土へ移動することにした。
まずはホテルからタクシーで、マカオのイミグレーション澳門へ。
澳門は結構混んでいた。しかしイミグレーションより大変だったのが中国側・珠海の中国銀行の換金所。接客の要領が悪くて、なかなか列が前に進まない。私の前に並んでいたのは赤ちゃん連れの若いママ。その赤ちゃんが愚図って大変な思いをしているのを見るに見かけて、私の先に並ばせて上げたら、そのまた後ろの年配者が、「私も」と自己申告。「アイムソーリー」と謝ったら、ムッとしていた(笑)。既に珠海ではマカオから完全に中国本土に文化か変わっていたのである。
画像はマカオ側イミグレーション -
珠海の換金所で暇を持て余した娘が、自分撮りで時間をつぶす図(笑)
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換金がやっと終わって広州行きのバスを探すことにする。広い珠海で目的のバスを探すのは大変だと思ったが、なんとなくすぐに見つかった(笑)
2時間半ほどバスに揺られ、広州大酒店に到着。そこから今度はタクシーで、予約していたホワイトスワンホテルに向かった。
画像は広州行きのバス待合室 -
ホワイトスワンホテルは、今から21年前に20日以上に及ぶ中国フリ―旅行を友人と敢行した際、最後の晩餐ならぬ最初で最後の贅沢で泊まった時の思い出のホテルだ。
当時、中国では数少ない5星ホテルで、予約もなく訪れた私たちは、フロントスタッフに、慇懃無礼を絵に描いたような接客を受け、ムカムカしながらチェックインを済ませた記憶がある(笑)。
画像は広州・ホワイトスワンホテル、ツインルーム -
ホテル内には滝が流れ、レストランも洋・中華は言うに及ばず、当時の中国では珍しかった和食レストランも入っていた。が、宿泊代より高いそのプライスに驚愕して、結局その和食レストランは利用しなかったのだけれど。
で、21年振りのホワイトスワンホテルは、慇懃無礼な応対をする化粧の濃いフロントスタッフはもちろんいなくて、ナチュラルメイクの親切な女性が私の下手くそな英語に四苦八苦していた(笑)
昔むかし、同年代のホテルスタッフに馬鹿にされた感が一杯だった私は、将来仕事で成功して、このホテルをもう一度訪れ、この屈辱を晴らしてやろうと密かに決心していたのに、屈辱を晴らす相手はもういない。隔世の感を感じるばかりだ。
通された部屋はスタンダードツイン。21年前に泊まった部屋はなぜかスイートルームだった(笑)。たぶん部屋がたくさん空いていたので、押し込まれたのだろう。
21年前は、ホテルの部屋から眼下には、古ぼけた雑居ビルが所せましと密集していたが、今はそんなビルは跡かたもなくなくなっていた。
ホテルの周辺を散策すると、カフェや雑貨店が点在するオシャレな一帯に変わっていた。
21年前、ホテルのロビーにある滝の前で記念写真を撮った。その同じ場所で娘と記念撮影をする。なんだか感無量であった(笑)
画像はホテル内レストラン近くにある滝。21年前からそのままの光景。 -
だいぶ古ぼけた感が漂う、現在のホワイトスワンホテル外観(笑)
21年前はこのホテルの近くの船着き場からフェリーに乗って香港に戻った。ホワイトスワンホテルを選んだのは、船着き場に近いという理由がいちばん大きかったのである。 -
その後地下鉄を利用して広州駅へ。
昔むかし、21年前に香港から深せんで入境して最初に訪れた中国本土の窓口は、広州だった。「リクルートのヤングツアー」という、航空券と香港から中国への国境越え、そして広州での1泊がツアーとして組み込まれたパッケージツアーを利用したのだ。
広州に到着した私たちはそこで中国現地のツアーコーディネーターさんから、「広州以降の?足?が決まっていない人は、今からチケットを自力で取ってきて」と言われ、いきなり広州の町に放り出された(笑)。
何がなんだかわからない私と友人は、広州駅前の換金所で、初めてトラベラーズチェックを中国元に替えた。「チェンジマネープリーズ」と本に書いてある通りに話し、サインしたトラベラーズチェックを窓口に渡すと、問題なく元が私たちの手元に渡された。なんだ多少ホっとしつつ、北京までの航空券を取得するために、その足で今度は中国民航のオフィスへと向かったのであった。しかし、そこでは飛行機の時間表の見方もわからないし、航空券の申請の仕方もわからず、オフィスでは途方にくれた覚えがある。近くで航空券を購入しようとしていた男性に声をかけても無視されるし、オフィスのスタッフは、ケンモホロロだし。これから20日およぶ旅行の困難さを思って、私たちは暗澹したことをよく覚えている。
それでもなんとか航空券を手にして町に出ると、信号機無視の車がクラクションを鳴らしつつ爆走する無法地帯だ。
「中国って、ヤバい」と身にしみた町、それが私にとっての広州だった。
そんな思い出深い広州駅前にもう一度立ってみたかった。その夢がかない、この時私は娘を連れて広州の駅前に向かった。
広州は変わっていた。それでも私は駅をバックに記念写真を撮った。あれから21年経ち、自分の娘を連れて、私は再びここに戻ってきたという思いを込めて。
で、画像は2009年の広州駅 -
その日の夕食は、有名な広東料理店に行く。しかしここで、私と娘は親子揃って広東料理があまり得意でないことが判明(笑)。
画像は広州の有名な広東料理レストラン(たぶん北園酒店)
というか、広州には三大広州料理レストランがあり、その一店。 -
今、画像を見ても、とても美味しそうな料理なんだけど(笑)
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疲れ果ててホテル付近に戻ってきた私たちは、日中目を付けていたオシャレなカフェに入って、コーヒーとアイスを注文。
その店で、ルックスも美人だが、恐ろしく英語の発音が美しい素敵な店員さんに遭遇する。
中国は本当に変わった…と、ここでも思い知った私であった。
画像はお気に入りのカフェ。
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