2012/10/09 - 2012/10/09
79位(同エリア165件中)
滝山氏照さん
江東区深川にある富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、東京都江東区富岡)は江戸勧進相撲発祥の神社として有名です。江戸時代の相撲興業は京都・大阪から始まりますが、トラブルが多くそのため幕府から度々興業禁止令が出たほどです。
貞享元年(1684)、幕府より春と秋の相撲興業が許されますが、その興業地がなんと富岡神宮の境内でありました。その後約100年に亘り相撲が当神宮で行われ、その間定期興業制や番付制などが確立されるなど、現在の大相撲に至る基礎的な要素は当神宮で培われたものでありました。
横綱力士碑は本殿右側にありまして20トンにもなる見事な石碑がどっしりと構えています。
自分の幼年期には少ない娯楽の中で大相撲の取組は一番の楽しみでしたので、刻された四股名を見ては当時の活躍した横綱の顔・姿が懐かしく甦ってきました。
2022年8月7日追記
当該神社のホームページには下記の通り紹介されています。
『 御 由 緒
富岡八幡宮は寛永4年(1627)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が霊夢に感じ、当時永代島と呼ばれた小島に創祀したと伝えられます。そして、周辺の砂州一帯を埋め立て境内と氏子の居住地を開き、深川発展の基礎が築かれました。
以来隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集め、「深川の八幡さま」として親しまれています。
徳川将軍家は源氏の流れを汲むとされ、源氏の氏神である八幡宮を殊の外尊崇し、将軍を始め一門しばしば参拝、社殿の造営修理を行うなど手厚く保護しました。また明治維新に際して朝廷は勅使を差し使わされて幣?を奉られ、新しい御代の弥栄を祈念されました。
いっぽう庶民の信仰厚く、八幡宮周辺は江戸・東都随一の門前町として栄えました。そして今も変わる事無く人々の信仰をあつめ、特に毎月一日・十五日・二十八日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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富岡八幡宮
八幡宮石標を左に、長い参道の奥には大鳥居が控えています。 -
富岡八幡宮境内案内図
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伊能忠敬銅像
佐原での事業を終えて50歳の時、江戸のこの地に隠居します。寛政12年(1800)6月11日の早朝に当宮に参拝、測量の為に蝦夷に向かいます。忠敬はこの時を含め全部で10回の測量を企画しますが、その内8回までは出発の都度当宮に参拝しますが忠敬にとって縁の深い神社となります。 -
イチオシ
大関力士碑
昭和58年に建てられた碑で、歴代の大関(除横綱昇進した力士)を顕彰するため、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄贈した仙台石を使用しています。 -
釈迦獄雲衛門(しゃかがたけくもえもん)
江戸時代の巨人力士で短命でしたが通算6場所に23勝3敗の立派な成績を残しています。釈迦獄の13回忌に実弟の稲妻咲右衛門(いなづまさきえもん)が天明7年に建立した碑の他巨人力士身長碑、手形碑、足形碑も見応えがあります。 -
神輿庫
江戸時代に深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門より八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され「みこしの深川」の評判を得ますが大正12年の関東大震災で全てを焼失します。
平成3年、「屋根延金地塗神輿」型の日本一の神輿が完成します。総重量が4.5トンで鳳凰の胸にダイヤ7カラットを始め各部位にダイヤやルビーの装飾が施されています。 -
本殿
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イチオシ
横綱力士碑
明治33年第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立されます。当石碑には初代明石志賀之助から69代白鳳までの四股名が刻されています。
新横綱が誕生しますと相撲協会立会いのもとに刻名式が開催され、併せて新横綱の土俵入りが奉納されます。 -
横綱力士碑説明
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横綱力士石碑
懐かしの横綱の四股名が刻まれています。 -
横綱力士石碑
訪問時(平成24年10月9日)では白鳳まで刻されています。 -
連勝記録横綱力士碑
中央には69連勝達成の双葉山が見えます。 -
出羽海一門友愛之碑
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