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今回の「1974年卒業旅行・欧州1人旅」は<br />私の大学の卒業旅行(2月中旬~3月末)の<br />1人旅の話です。<br /><br />私は美しい景色のドイツを堪能して、フランク<br />フルトから、花の都パリに列車で来ました。<br /><br />パリには欧州で唯一、私の知り合いが居るの<br />で、とても心強く観光名所や、面白い所を案内<br />して貰う予定です。<br /><br />芸術の都パリには、美術館や博物館が多くて<br />10日間の予定でも、廻り切れるか心配でした。<br /><br /><br /><br /><br /><br />この企画は、生前この企画を私が約束して果<br />たせないまま、第二の故郷デンマークで病死<br />した、4トラの悪友のGINさんに捧げます。<br /><br /><br />※後半の美術館の写真は、美術品はモノクロで<br />は判らないので、カラー写真を友人から借り使用<br />しました。<br />

JOSANの心の旅ー②「1974年卒業旅行・欧州1人旅(⑤フランス編)」

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2013/06/28 - 2013/06/28

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josan

josanさん

今回の「1974年卒業旅行・欧州1人旅」は
私の大学の卒業旅行(2月中旬~3月末)の
1人旅の話です。

私は美しい景色のドイツを堪能して、フランク
フルトから、花の都パリに列車で来ました。

パリには欧州で唯一、私の知り合いが居るの
で、とても心強く観光名所や、面白い所を案内
して貰う予定です。

芸術の都パリには、美術館や博物館が多くて
10日間の予定でも、廻り切れるか心配でした。





この企画は、生前この企画を私が約束して果
たせないまま、第二の故郷デンマークで病死
した、4トラの悪友のGINさんに捧げます。


※後半の美術館の写真は、美術品はモノクロで
は判らないので、カラー写真を友人から借り使用
しました。

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  • 私は列車でフランクフルトからパリに着いてさっ<br />そく知人のKさんに、電話を掛け様としましたが<br />、外の公衆電話の掛け方が、まるで日本の掛け<br />方と違うので判らずに、フランス語は挨拶程度で<br />すので、公衆電話の掛け方を聞く事も出来ず焦<br />りました。<br /><br />漸く、英語が判る学生が通り掛り、電話の掛け方<br />を聞きましたが、日本の様に小銭を入れて、掛け<br />るのでは無く、専用のコインを買い、掛けるのだ<br />と初めて知りました。(汗)<br /><br />今ではみんな携帯を持って居ますが、当時はホテ<br />ルの電話か、コイン式の公衆電話しか、連絡手段<br />が有りませんでした。<br /><br />漸くKさんと電話連絡が着き、私のホテルのロビー<br />まで来て貰い、色々とパリでの生活術を、教えて貰<br />いました。(祝)<br /><br />最初にパリで宿泊したホテルは、日本で予約したリ<br />ッチモンドと言う、高級ホテルで、廊下に紅い絨毯が<br />敷き詰められて居て、お風呂の蛇口が金色のライオ<br />ンの顔で、マジで豪華な広い部屋で驚きました。<br /><br />しかし夕食に、ホテルのレストランに行くと、マネー<br />ジャーから「失礼ですが、上着とタイが必要です。」<br />と言われ、慌ててシワだらけのジャケットと、タイを<br />付けて着替えて店に戻りました。<br /><br />今まで日本で、ドレスコードの有る様な高級なホテ<br />ルに、宿泊した事が無いのでマジ焦りました〜。(汗)<br /><br />やはり洒落者の父に、「上着とタイ位持って行きな<br />さい!。」と言はれた言葉を、聴いてて良かった〜<br />と思いました。<br />

    私は列車でフランクフルトからパリに着いてさっ
    そく知人のKさんに、電話を掛け様としましたが
    、外の公衆電話の掛け方が、まるで日本の掛け
    方と違うので判らずに、フランス語は挨拶程度で
    すので、公衆電話の掛け方を聞く事も出来ず焦
    りました。

    漸く、英語が判る学生が通り掛り、電話の掛け方
    を聞きましたが、日本の様に小銭を入れて、掛け
    るのでは無く、専用のコインを買い、掛けるのだ
    と初めて知りました。(汗)

    今ではみんな携帯を持って居ますが、当時はホテ
    ルの電話か、コイン式の公衆電話しか、連絡手段
    が有りませんでした。

    漸くKさんと電話連絡が着き、私のホテルのロビー
    まで来て貰い、色々とパリでの生活術を、教えて貰
    いました。(祝)

    最初にパリで宿泊したホテルは、日本で予約したリ
    ッチモンドと言う、高級ホテルで、廊下に紅い絨毯が
    敷き詰められて居て、お風呂の蛇口が金色のライオ
    ンの顔で、マジで豪華な広い部屋で驚きました。

    しかし夕食に、ホテルのレストランに行くと、マネー
    ジャーから「失礼ですが、上着とタイが必要です。」
    と言われ、慌ててシワだらけのジャケットと、タイを
    付けて着替えて店に戻りました。

    今まで日本で、ドレスコードの有る様な高級なホテ
    ルに、宿泊した事が無いのでマジ焦りました〜。(汗)

    やはり洒落者の父に、「上着とタイ位持って行きな
    さい!。」と言はれた言葉を、聴いてて良かった〜
    と思いました。

  • Kさんは出来の悪い私の高校時代の、東大の家庭<br />教師の学友で、地方から出て来て、下宿して居たの<br />で、月末に成ると金欠病に成り、良く私の家にー緒に<br />遊びに来ては、母の作る食事を食べて帰った、兄の<br />様な人です。(笑)<br /><br />Kさんは大学院を卒業後、国費でソルボンヌ(パリ大学)<br />に留学していたエリートで、私とパリで会つた後も、日<br />本に帰らず学校に残り学友と結婚して、パリに残り20<br />年以上、ソルボンヌの物理学の教授をして居た人です。<br />

    Kさんは出来の悪い私の高校時代の、東大の家庭
    教師の学友で、地方から出て来て、下宿して居たの
    で、月末に成ると金欠病に成り、良く私の家にー緒に
    遊びに来ては、母の作る食事を食べて帰った、兄の
    様な人です。(笑)

    Kさんは大学院を卒業後、国費でソルボンヌ(パリ大学)
    に留学していたエリートで、私とパリで会つた後も、日
    本に帰らず学校に残り学友と結婚して、パリに残り20
    年以上、ソルボンヌの物理学の教授をして居た人です。

  • Kさんは、昔の母の食事のお礼にと、高級フランス<br />料理のレストランに、私を連れて行き、ご馳走して<br />くれました。<br /><br />そしてシャンゼリゼ通りに近い、安いホテルを、紹<br />介して頂きとても助かりました、何しろ最初のホテ<br />ル1泊分で、4泊も泊まれるホテルでしたので、最<br />高でした〜。(笑)<br /><br />そして夜には、カルチエ・ラタンと言う、パリの学生<br />が集まる場所に行き、お酒をー緒に飲みました。<br /><br />また私が昼間観光して帰ると、毎晩パリの面白い<br />お店や、珍しいレストランにもー緒に行き、楽しま<br />せてくれました。<br /><br />

    Kさんは、昔の母の食事のお礼にと、高級フランス
    料理のレストランに、私を連れて行き、ご馳走して
    くれました。

    そしてシャンゼリゼ通りに近い、安いホテルを、紹
    介して頂きとても助かりました、何しろ最初のホテ
    ル1泊分で、4泊も泊まれるホテルでしたので、最
    高でした〜。(笑)

    そして夜には、カルチエ・ラタンと言う、パリの学生
    が集まる場所に行き、お酒をー緒に飲みました。

    また私が昼間観光して帰ると、毎晩パリの面白い
    お店や、珍しいレストランにもー緒に行き、楽しま
    せてくれました。

  • その中でも私が、ー番記憶に残るお店は、カルチ<br />エ・ラタンの古いビルの地下に有る、シャンソニエ<br />と言う、シャンソンを聞かせる老舗のバーでした。<br /><br />そのお店は我々が知る、シャンソンとは少し違い、<br />古い感じのする歌でした、またお店では全身黒い<br />服でシャンソンを歌う、男女の歌手達はみんな、<br />お年寄り達ばかりでした。<br /><br />そしてお店で今日の新人歌手と紹介された女性歌<br />手は、既に40歳を超えて居ました、Kさんが言うに<br />は「人生を知らない、若い人ではシャンソンは未だ<br />歌えない。」と、フランス人は考えるのだそうです。<br /><br />ですのでフランス人が、日本のアイドル歌手達を見<br />たらきっと驚くと、Kさんは笑って居ました。<br /><br />このお店の、古いピアノとアコーデオンだけの伴奏<br />で、マイク無しで歌う年老いた歌手達は最高でした。<br /><br />この様なライブハウスの事を「キャバレー」と、フラ<br />ンスでは呼ぶ事も、私はこの夜に初めて知りました。<br /><br />そして店を出ると、カルチエ・ラタンの小雪の降る寒<br />い路地では、若い大道芸人達が集まり、口から火を<br />吹いたり、ナイフを操る芸を見せては、みんなでお金<br />を稼いで居ました。<br /><br />寒い中立ち止まり、彼らの芸を見て居る人達は、み<br />んな小銭ですが、必ずお金を箱に入れて帰るので、<br />フランス人は芸術を愛する、人達だなと思いましま<br />した。<br /><br /><br /><br />

    その中でも私が、ー番記憶に残るお店は、カルチ
    エ・ラタンの古いビルの地下に有る、シャンソニエ
    と言う、シャンソンを聞かせる老舗のバーでした。

    そのお店は我々が知る、シャンソンとは少し違い、
    古い感じのする歌でした、またお店では全身黒い
    服でシャンソンを歌う、男女の歌手達はみんな、
    お年寄り達ばかりでした。

    そしてお店で今日の新人歌手と紹介された女性歌
    手は、既に40歳を超えて居ました、Kさんが言うに
    は「人生を知らない、若い人ではシャンソンは未だ
    歌えない。」と、フランス人は考えるのだそうです。

    ですのでフランス人が、日本のアイドル歌手達を見
    たらきっと驚くと、Kさんは笑って居ました。

    このお店の、古いピアノとアコーデオンだけの伴奏
    で、マイク無しで歌う年老いた歌手達は最高でした。

    この様なライブハウスの事を「キャバレー」と、フラ
    ンスでは呼ぶ事も、私はこの夜に初めて知りました。

    そして店を出ると、カルチエ・ラタンの小雪の降る寒
    い路地では、若い大道芸人達が集まり、口から火を
    吹いたり、ナイフを操る芸を見せては、みんなでお金
    を稼いで居ました。

    寒い中立ち止まり、彼らの芸を見て居る人達は、み
    んな小銭ですが、必ずお金を箱に入れて帰るので、
    フランス人は芸術を愛する、人達だなと思いましま
    した。



  • ガイドブツクに因ると、「エッフェル塔はフランス<br />革命の100周年を記念して、1889年パリで行わ<br />れた、第4回万国博覧会のために、建造された<br />記念塔なのです。」<br /><br />「この記念塔のコンペティションが多数の参加者<br />で開かれここで、ギュスターヴ・エッフェル他の2<br />名の案が、採用になり、最終的にはエッフェルが<br />著作権者となり、塔の名前の由来になつた。」そ<br />うです。<br /><br />建設当時の高さは312.3mで、1930年にニューヨ<br />ークにクライスラービルが、完成するまでは世界<br />一高い建造物でした。<br /><br />やはりパリのシンボルと言えば、このエッフェル塔<br />が―番でしょうね。<br /><br /><br />

    ガイドブツクに因ると、「エッフェル塔はフランス
    革命の100周年を記念して、1889年パリで行わ
    れた、第4回万国博覧会のために、建造された
    記念塔なのです。」

    「この記念塔のコンペティションが多数の参加者
    で開かれここで、ギュスターヴ・エッフェル他の2
    名の案が、採用になり、最終的にはエッフェルが
    著作権者となり、塔の名前の由来になつた。」そ
    うです。

    建設当時の高さは312.3mで、1930年にニューヨ
    ークにクライスラービルが、完成するまでは世界
    一高い建造物でした。

    やはりパリのシンボルと言えば、このエッフェル塔
    が―番でしょうね。


  • この凱旋門は、ナポレオン一世率いる、十字軍<br />の凱旋の為の門で、世界中にもこの凱旋門を模<br />した門が、世界各地に有ります。<br /><br />しかし凱旋門はナポレオン一世が、建造を命じな<br />がら、自らは失脚して、流刑に逢い没して後に、<br />初めて遺体でこの門を、潜ったと言う悲しい話が<br />有ります。<br /><br />この凱旋門は中を284段のらせん階段で屋上に<br />登る事が出来て、屋上からの眺めはマジ最高で、<br />パリ市内が一望出来ます。<br /><br /><br /><br /><br />    <br /><br /><br />

    この凱旋門は、ナポレオン一世率いる、十字軍
    の凱旋の為の門で、世界中にもこの凱旋門を模
    した門が、世界各地に有ります。

    しかし凱旋門はナポレオン一世が、建造を命じな
    がら、自らは失脚して、流刑に逢い没して後に、
    初めて遺体でこの門を、潜ったと言う悲しい話が
    有ります。

    この凱旋門は中を284段のらせん階段で屋上に
    登る事が出来て、屋上からの眺めはマジ最高で、
    パリ市内が一望出来ます。




        


  • 凱旋門から放射状に伸びる、シャンゼリゼ<br />通りはパリ市内の、第8区を横切る約3km、<br />幅70mの大通りです。<br /><br />通りはマロニエの並木道となって居て、東<br />はオベリスクのある、コンコルド広場から、<br />西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴー広場<br />まで全長約3km続き、パリ1番の観光スポ<br />ットとなって居ます。<br /><br />このシャンゼリゼ通りに有るカフェは、不思<br />議と外に有る、通りを眺めながらお茶が出<br />来る席の方が、店内の席より飲み物の料金<br />が高いお店が多い様です。<br /><br />これはフランス人に言わせると、お店の外ま<br />で飲み物を運ぶので、店内より遠いので高い<br />のは当たり前だと言う、理論だそうです。(笑)

    凱旋門から放射状に伸びる、シャンゼリゼ
    通りはパリ市内の、第8区を横切る約3km、
    幅70mの大通りです。

    通りはマロニエの並木道となって居て、東
    はオベリスクのある、コンコルド広場から、
    西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴー広場
    まで全長約3km続き、パリ1番の観光スポ
    ットとなって居ます。

    このシャンゼリゼ通りに有るカフェは、不思
    議と外に有る、通りを眺めながらお茶が出
    来る席の方が、店内の席より飲み物の料金
    が高いお店が多い様です。

    これはフランス人に言わせると、お店の外ま
    で飲み物を運ぶので、店内より遠いので高い
    のは当たり前だと言う、理論だそうです。(笑)

  • パリを縦断して流れるセーヌ川は、とても<br />広く観光客に人気が有ります。<br /><br />天井がガラス張りの観光船や、夜にはレス<br />トランに変る遊覧船も沢山有り、シーズンに<br />は予約を取るのも大変の様です。<br /><br />Kさんに因るとパリの超高級レストランの給<br />仕はお店からのお給料は無しで、決められ<br />た担当のテーブル席から頂くチツプが、収入<br />の全てだそうです。<br /><br />そして彼らは親子代々、決められたテーブル<br />席の権利を守り、予約を受け馴染みの客の<br />給仕の仕事を、受け継いで行くそうです。<br /><br />殆どの欧州のお店では、給仕の収入はお給<br />料とチツプが半々の様です、ですので外国で<br />は、チツプの習慣が根付いて居るのですね。

    パリを縦断して流れるセーヌ川は、とても
    広く観光客に人気が有ります。

    天井がガラス張りの観光船や、夜にはレス
    トランに変る遊覧船も沢山有り、シーズンに
    は予約を取るのも大変の様です。

    Kさんに因るとパリの超高級レストランの給
    仕はお店からのお給料は無しで、決められ
    た担当のテーブル席から頂くチツプが、収入
    の全てだそうです。

    そして彼らは親子代々、決められたテーブル
    席の権利を守り、予約を受け馴染みの客の
    給仕の仕事を、受け継いで行くそうです。

    殆どの欧州のお店では、給仕の収入はお給
    料とチツプが半々の様です、ですので外国で
    は、チツプの習慣が根付いて居るのですね。

  • Kさんに因ると、日本人が考えるパリは「小パリ」<br />で、1区〜10区までの、小さな地区で観光名所<br />が多数有り、大勢の人が住んで居るそうです。<br /><br />それ以外の11〜20区は、「大パリ」と呼ばれ工<br />場やお店が多く、当時は人は余り住んで居ない<br />そうです。<br /><br />ですから「小パリ」の地区では、人口が多く庭の<br />無い家ばかりで、どんな高級なアパルトマンでも<br />、中には庭はマジで無いそうです。<br /><br />ですのでパリのお金持ち達は、週末にはパリ郊<br />外の庭のある、大きな別荘で過すそうです。<br /><br />そしてパリの男の子達は、みんな路地で球を蹴<br />り、サッカーで遊んで居ました。

    Kさんに因ると、日本人が考えるパリは「小パリ」
    で、1区〜10区までの、小さな地区で観光名所
    が多数有り、大勢の人が住んで居るそうです。

    それ以外の11〜20区は、「大パリ」と呼ばれ工
    場やお店が多く、当時は人は余り住んで居ない
    そうです。

    ですから「小パリ」の地区では、人口が多く庭の
    無い家ばかりで、どんな高級なアパルトマンでも
    、中には庭はマジで無いそうです。

    ですのでパリのお金持ち達は、週末にはパリ郊
    外の庭のある、大きな別荘で過すそうです。

    そしてパリの男の子達は、みんな路地で球を蹴
    り、サッカーで遊んで居ました。

  • 私はパリでは毎日、メトロと言う地下鉄に乗り<br />、地図を見ながら市内を観光して居ました。<br /><br />私がパリの街で驚いた事は、毎日夕方に成る<br />と、街の路地から大勢の、アフリカ系の労働者<br />が皆、手にほうきを持ち出て来る事でした。<br /><br />何をするかと見ていると、道路の脇から勢い良<br />く、水が出て来て、彼らがゴミをほうきで掃いて、<br />排水溝に入れてるでは有りませんか。<br /><br />Kさんによると、これはフランスの植民地の就職<br />難を解決する為に、始めた仕事だそうです。<br /><br />そして1番面白い物は、宅配ピッア屋の様な大き<br />な箱が、後ろに付いたバイクが走りながら、掃除<br />機のホースで街中の道路に有る犬の糞を、後ろ<br />の箱に吸い取り掃除して、走つて居る事でした。

    私はパリでは毎日、メトロと言う地下鉄に乗り
    、地図を見ながら市内を観光して居ました。

    私がパリの街で驚いた事は、毎日夕方に成る
    と、街の路地から大勢の、アフリカ系の労働者
    が皆、手にほうきを持ち出て来る事でした。

    何をするかと見ていると、道路の脇から勢い良
    く、水が出て来て、彼らがゴミをほうきで掃いて、
    排水溝に入れてるでは有りませんか。

    Kさんによると、これはフランスの植民地の就職
    難を解決する為に、始めた仕事だそうです。

    そして1番面白い物は、宅配ピッア屋の様な大き
    な箱が、後ろに付いたバイクが走りながら、掃除
    機のホースで街中の道路に有る犬の糞を、後ろ
    の箱に吸い取り掃除して、走つて居る事でした。

  • 私がパリの街で、不便だなと思ったのはトイレで<br />した、それは自分のホテルの部屋の、トイレ以外<br />は、殆ど有料で小銭が無いと、入れない所です。<br /><br />地下鉄やビルのトイレも有料で、入り口や中で椅<br />子に座り編み物をして居る、お婆さんが居てお金<br />を、徴収するのです。<br /><br />ある日夕方に、私は観光の帰りに我慢できずに<br />薄くらい公園の奥の、小さなトイレに入ると中に、<br />小さな妖怪の様なお婆さんが、椅子に座って居<br />て私はマジで驚いて「ウァ〜。」と大声を挙げた、<br />恥ずかしい思い出が有りました〜。<br /><br /><br />

    私がパリの街で、不便だなと思ったのはトイレで
    した、それは自分のホテルの部屋の、トイレ以外
    は、殆ど有料で小銭が無いと、入れない所です。

    地下鉄やビルのトイレも有料で、入り口や中で椅
    子に座り編み物をして居る、お婆さんが居てお金
    を、徴収するのです。

    ある日夕方に、私は観光の帰りに我慢できずに
    薄くらい公園の奥の、小さなトイレに入ると中に、
    小さな妖怪の様なお婆さんが、椅子に座って居
    て私はマジで驚いて「ウァ〜。」と大声を挙げた、
    恥ずかしい思い出が有りました〜。


  • また或る日私が、1人でレストランに行き、英語<br />のメニューが無いので、判らずに適当に上から<br />3品頼んだら、具の違うオムレツが3皿出て来て<br />、思わず泣きそうに、成った思い出も有りました。<br /><br />道理で注文したらウエイトレスの女の子が、ニヤ<br />ニヤ笑って居た訳が、後で良く判りました〜。<br /><br />フランス人は、個人主義で意地悪ですね!。<br /><br />冬のパリでは街頭で、焼き立ての分厚い甘いワ<br />ッフルや焼き栗や生のカキを氷の板に乗せて、<br />食べさせるお店が多くて、楽しみながら散歩しな<br />がら食べ歩いて居ました。<br /><br />中でもー番気に入ったのは、長いフランスパンを<br />2つに切り、赤く焼けた鉄の杭にパンを刺し中心<br />を焼き、刺して焼けた穴に細い長い、焼いたソー<br />セイジとケチャプとチリソースを入れ食べる、屋台<br />のパンの店でした。<br />

    また或る日私が、1人でレストランに行き、英語
    のメニューが無いので、判らずに適当に上から
    3品頼んだら、具の違うオムレツが3皿出て来て
    、思わず泣きそうに、成った思い出も有りました。

    道理で注文したらウエイトレスの女の子が、ニヤ
    ニヤ笑って居た訳が、後で良く判りました〜。

    フランス人は、個人主義で意地悪ですね!。

    冬のパリでは街頭で、焼き立ての分厚い甘いワ
    ッフルや焼き栗や生のカキを氷の板に乗せて、
    食べさせるお店が多くて、楽しみながら散歩しな
    がら食べ歩いて居ました。

    中でもー番気に入ったのは、長いフランスパンを
    2つに切り、赤く焼けた鉄の杭にパンを刺し中心
    を焼き、刺して焼けた穴に細い長い、焼いたソー
    セイジとケチャプとチリソースを入れ食べる、屋台
    のパンの店でした。

  • 私はパリでは、数多くの美術館や博物館を巡り、<br />楽しい時を過しました。<br /><br />特にルーブルは、大きく広いので2日間掛けて、<br />館内の廊下の総距離23kmを全て歩いて見て<br />廻りました。(汗)<br /><br /><br />※後半の美術館の写真は、美術品はモノクロ<br />では素晴らしさが判らないので、カラー写真を<br />友人から借りて使用しました。<br />

    私はパリでは、数多くの美術館や博物館を巡り、
    楽しい時を過しました。

    特にルーブルは、大きく広いので2日間掛けて、
    館内の廊下の総距離23kmを全て歩いて見て
    廻りました。(汗)


    ※後半の美術館の写真は、美術品はモノクロ
    では素晴らしさが判らないので、カラー写真を
    友人から借りて使用しました。

  • ルーブルは素晴らしい絵画や彫刻が沢山有り<br />ますが、絵画以外は殆ど十字軍が遠征して、<br />略奪して来た物で、フランスの独自の美術品で<br />は有りません。<br /><br />ガイドブツクには、「ナポレオン1世はヨーロッパ<br />諸国に対して、軍事行動を起こし勝利し、イタリ<br />アでは終戦条約に伴う賠償として、美術品を略<br />奪して居ます。」と書いて有ります。<br /><br />また「北ヨーロッパでは戦利品として、美術品を<br />略奪エジプトでは発掘による出土品として、古代<br />美術品を手に入れました。」と書いて有ります。<br /><br />ただし、「エジプトの古代美術品の大部分は、18<br />01年のナイルの海戦で、イギリス海軍が勝利しイ<br />ギリスに取られました。」と書いて有ります。<br /><br />ですのでルーブルはー時期「ナポレオン博物館」<br />と呼ばれていた時代も有りました、この様にルー<br />ブルは「十字軍の略奪美術館」と、呼んだ方がお<br />似合いではないかと、私は思いました。<br /><br />

    ルーブルは素晴らしい絵画や彫刻が沢山有り
    ますが、絵画以外は殆ど十字軍が遠征して、
    略奪して来た物で、フランスの独自の美術品で
    は有りません。

    ガイドブツクには、「ナポレオン1世はヨーロッパ
    諸国に対して、軍事行動を起こし勝利し、イタリ
    アでは終戦条約に伴う賠償として、美術品を略
    奪して居ます。」と書いて有ります。

    また「北ヨーロッパでは戦利品として、美術品を
    略奪エジプトでは発掘による出土品として、古代
    美術品を手に入れました。」と書いて有ります。

    ただし、「エジプトの古代美術品の大部分は、18
    01年のナイルの海戦で、イギリス海軍が勝利しイ
    ギリスに取られました。」と書いて有ります。

    ですのでルーブルはー時期「ナポレオン博物館」
    と呼ばれていた時代も有りました、この様にルー
    ブルは「十字軍の略奪美術館」と、呼んだ方がお
    似合いではないかと、私は思いました。

  • でも絵画は素晴らしい、コレクションばかりで、<br />館内ではいつも、美術学校の生徒の模写の姿<br />が絶えない様です。<br /><br />しかしルーブルでは、定期的に世界的な名画は、<br />期間限定で外国に貸し出されるので、来館する<br />時はご注意を。

    でも絵画は素晴らしい、コレクションばかりで、
    館内ではいつも、美術学校の生徒の模写の姿
    が絶えない様です。

    しかしルーブルでは、定期的に世界的な名画は、
    期間限定で外国に貸し出されるので、来館する
    時はご注意を。

  • 私も初めてパリで本物の名画に触れて、その素<br />晴らしさに、時を忘れて仕舞いました。<br /><br />美術館は時を越えて、素晴らしい絵画をベストの<br />状態で後世に残す事は、大変な仕事です。<br /><br />でももうこれ以上略奪した美術品は、増えないと<br />思いますので、新しく出来たガラスのピラミットは<br />、私はルーブルには似合わ無いのではと、思う<br />のですが。<br /><br />

    私も初めてパリで本物の名画に触れて、その素
    晴らしさに、時を忘れて仕舞いました。

    美術館は時を越えて、素晴らしい絵画をベストの
    状態で後世に残す事は、大変な仕事です。

    でももうこれ以上略奪した美術品は、増えないと
    思いますので、新しく出来たガラスのピラミットは
    、私はルーブルには似合わ無いのではと、思う
    のですが。

  • これらの略奪された美術品は、外国から返還<br />の訴訟を多数起こされて、長い期間争われて<br />居ましたが、だいぶ返還されたそうです。<br /><br />もしタイから略奪された物が有れば、また昔の<br />様にカラバオが歌を作って、抗議するでしょうね。(笑)

    これらの略奪された美術品は、外国から返還
    の訴訟を多数起こされて、長い期間争われて
    居ましたが、だいぶ返還されたそうです。

    もしタイから略奪された物が有れば、また昔の
    様にカラバオが歌を作って、抗議するでしょうね。(笑)

  • パリの街には、太平洋戦争の混乱時に、日本<br />の美術品が、大量に持ち出されて、東洋美術<br />館の所蔵物として、パリに沢山有りました。<br /><br />このコレクションには、浮き世絵から、刀や陶<br />器、鎧兜、と日本に有る国宝級の物が、殆ど<br />揃って居る事に、私は驚きました。<br /><br />日本よりパリの方が、素晴らしい日本の美術<br />品が見れるとは、皮肉ですね〜。(涙)

    パリの街には、太平洋戦争の混乱時に、日本
    の美術品が、大量に持ち出されて、東洋美術
    館の所蔵物として、パリに沢山有りました。

    このコレクションには、浮き世絵から、刀や陶
    器、鎧兜、と日本に有る国宝級の物が、殆ど
    揃って居る事に、私は驚きました。

    日本よりパリの方が、素晴らしい日本の美術
    品が見れるとは、皮肉ですね〜。(涙)

  • パリにはオルセー美術館、・オランジュリー美<br />術館等々、1ヶ月掛けても、廻り切れない程の<br />素晴らしい美術館が沢山有るので、やはりパ<br />リが「芸術の都」と呼ばれるのも、当たり前で<br />すね。<br /><br />このオルセー美術館は、セーヌ河畔にありルー<br />ブル美術館から歩いてもすぐです、館内は広い<br />ので1日では、見る事が出来ずに2日間通いま<br />した。(祝)

    パリにはオルセー美術館、・オランジュリー美
    術館等々、1ヶ月掛けても、廻り切れない程の
    素晴らしい美術館が沢山有るので、やはりパ
    リが「芸術の都」と呼ばれるのも、当たり前で
    すね。

    このオルセー美術館は、セーヌ河畔にありルー
    ブル美術館から歩いてもすぐです、館内は広い
    ので1日では、見る事が出来ずに2日間通いま
    した。(祝)

  • このオルセー美術館は、昔の鉄道のオルセー<br />駅を改造した建物だけに、内部は広くて複層で<br />多重構造でした。<br /><br />平面積は、さほどではないですが立体的で、エ<br />スカレーターや階段を、さかんに昇り降りする為<br />に、見学はマジ疲れま〜す。(汗)<br /><br />でも「晩鐘」を見ると疲れも癒されますね〜。(祝) <br />   <br />   <br />

    このオルセー美術館は、昔の鉄道のオルセー
    駅を改造した建物だけに、内部は広くて複層で
    多重構造でした。

    平面積は、さほどではないですが立体的で、エ
    スカレーターや階段を、さかんに昇り降りする為
    に、見学はマジ疲れま〜す。(汗)

    でも「晩鐘」を見ると疲れも癒されますね〜。(祝) 
       
       

  • この絵は、19世紀フランス絵画界の偉大なる<br />巨匠ドミニク・アングルの代表作「泉」です。<br /><br />この「泉」はオルセー美術館の代表的な絵画<br />で、ルーブルの「モナリザ」と並び、フランスの<br />代表的な新古典主義における、裸婦の傑作と<br />しても名高い作品ですね。

    この絵は、19世紀フランス絵画界の偉大なる
    巨匠ドミニク・アングルの代表作「泉」です。

    この「泉」はオルセー美術館の代表的な絵画
    で、ルーブルの「モナリザ」と並び、フランスの
    代表的な新古典主義における、裸婦の傑作と
    しても名高い作品ですね。

  • 此方はパリのシテ島にあるローマ・カトリック<br />教会のノートルダム大聖堂です。<br /><br />ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」<br />すなわち聖母マリア様を指すそうです。<br /><br />聖母マリア様は「バラの花」とも言われ、教会<br />や大聖堂においてバラ窓はしばしば聖母マリ<br />ア様を暗示して居て、バラの花を内装に使う事<br />も多いです。<br /><br />そして映画の中にせむし男が出て来る「ノート<br />ルダムのせむし男」はとても有名ですね。<br />

    此方はパリのシテ島にあるローマ・カトリック
    教会のノートルダム大聖堂です。

    ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」
    すなわち聖母マリア様を指すそうです。

    聖母マリア様は「バラの花」とも言われ、教会
    や大聖堂においてバラ窓はしばしば聖母マリ
    ア様を暗示して居て、バラの花を内装に使う事
    も多いです。

    そして映画の中にせむし男が出て来る「ノート
    ルダムのせむし男」はとても有名ですね。

  • このヴェルサイユ宮殿は、パリから約20km<br />南西に位置し、パリ中心部からはバスや電<br />車で簡単に行く事が出来る、とても有名な観<br />光地です。<br /><br />ガイドブツクに因ると「庭園はアンドレ・ル・ノ<br />ートルによって造営された。バロック建築の<br />代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園<br />で有名です。」と有ります。<br /><br />「宮殿よりも噴水庭園のほうが建設にかかっ<br />た労力は上で、宮殿建設の25,000人に対し、<br />36,000人が投入されて、そして噴水にルイ14<br />世の、三つの意図が込められて居ました。」<br />と有ります。<br /><br />ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が建造した宮<br />殿で有りその為に、フランス絶対王政の象徴<br />的建造物なのです。<br /><br />「ルイ14をはじめとした王族や、その臣下の貴<br />族達も共に住むェルサイユ宮殿においては、<br />生活のすべてが絶対王政の実現の為に利用<br />され、その結果さざまなルール、エチケット、マ<br />ナーが生れた。」と書いて有ります。<br /><br />驚く事に18世紀当初のフランスでは、貴族で<br />も未だ手で直に、料理を持ち食べて居たと言う<br />文献が有るそうです。<br /><br />

    このヴェルサイユ宮殿は、パリから約20km
    南西に位置し、パリ中心部からはバスや電
    車で簡単に行く事が出来る、とても有名な観
    光地です。

    ガイドブツクに因ると「庭園はアンドレ・ル・ノ
    ートルによって造営された。バロック建築の
    代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園
    で有名です。」と有ります。

    「宮殿よりも噴水庭園のほうが建設にかかっ
    た労力は上で、宮殿建設の25,000人に対し、
    36,000人が投入されて、そして噴水にルイ14
    世の、三つの意図が込められて居ました。」
    と有ります。

    ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が建造した宮
    殿で有りその為に、フランス絶対王政の象徴
    的建造物なのです。

    「ルイ14をはじめとした王族や、その臣下の貴
    族達も共に住むェルサイユ宮殿においては、
    生活のすべてが絶対王政の実現の為に利用
    され、その結果さざまなルール、エチケット、マ
    ナーが生れた。」と書いて有ります。

    驚く事に18世紀当初のフランスでは、貴族で
    も未だ手で直に、料理を持ち食べて居たと言う
    文献が有るそうです。

  • ルイ14世は民衆に、ベルサイユ宮殿の建築<br />と噴水を作る難しさと、貴族達を統制している<br />自分の力を、誇示して居たのでしょう。<br /><br />ガイドブツクには「当時のベルサイユ地方には<br />、水源が無く10キロも、離れたセーヌ川から水<br />道橋を作り、水を引き噴水を建設した自分の偉<br />大さを民衆に知らして、絶対王政を堅固な物に<br />した。」と有ります。<br /><br />ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るの<br />を許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園<br />鑑賞法」というガイドブッを発行したそうです。<br /><br />それには、「ラトナの噴水の前で一休みして、ラト<br />ナの周りにある彫刻をみよ、王の散歩道、アポロ<br />ンの噴水の向こうの運河を見渡そう」と書かれて<br />居たそうです。

    ルイ14世は民衆に、ベルサイユ宮殿の建築
    と噴水を作る難しさと、貴族達を統制している
    自分の力を、誇示して居たのでしょう。

    ガイドブツクには「当時のベルサイユ地方には
    、水源が無く10キロも、離れたセーヌ川から水
    道橋を作り、水を引き噴水を建設した自分の偉
    大さを民衆に知らして、絶対王政を堅固な物に
    した。」と有ります。

    ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るの
    を許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園
    鑑賞法」というガイドブッを発行したそうです。

    それには、「ラトナの噴水の前で一休みして、ラト
    ナの周りにある彫刻をみよ、王の散歩道、アポロ
    ンの噴水の向こうの運河を見渡そう」と書かれて
    居たそうです。

  • それにしてもこの宮殿の、豪華絢爛な事には<br />驚きます、流石に庭は見せても宮殿内部は、<br />見せられ無かったでしょう。<br /><br />マリーアントワネットの寝室などは、もの凄い<br />豪華なインテリアで飾られて居ました〜。

    それにしてもこの宮殿の、豪華絢爛な事には
    驚きます、流石に庭は見せても宮殿内部は、
    見せられ無かったでしょう。

    マリーアントワネットの寝室などは、もの凄い
    豪華なインテリアで飾られて居ました〜。

  • この様な豪華な宮殿に住み、美食をして居<br />たので遂には、王族は国民に反感を持たれ<br />、皆斬首されたのでしょう。<br /><br />この様にフランスの貴族や王族が追放され<br />、お抱えの料理人達が、職を失い街に出て<br />生きる為にお店を開いたのが、フランスのレ<br />ストランの始まりだと、物の本に書いて有り<br />ました。<br /><br />そしてー部の料理人達は英国に渡り、英国<br />王室の料理人に成り、イギリスの不味い料<br />理が、とても美味しく成つたと言う笑い話を、<br />何処かで聞いた事が有ります。<br /><br /><br /><br />10日間の楽しいパリ観光が終り、次の6ヶ国<br />目の国は、小便小僧とチョコで有名な、ベルギ<br />ー王国です。<br />

    この様な豪華な宮殿に住み、美食をして居
    たので遂には、王族は国民に反感を持たれ
    、皆斬首されたのでしょう。

    この様にフランスの貴族や王族が追放され
    、お抱えの料理人達が、職を失い街に出て
    生きる為にお店を開いたのが、フランスのレ
    ストランの始まりだと、物の本に書いて有り
    ました。

    そしてー部の料理人達は英国に渡り、英国
    王室の料理人に成り、イギリスの不味い料
    理が、とても美味しく成つたと言う笑い話を、
    何処かで聞いた事が有ります。



    10日間の楽しいパリ観光が終り、次の6ヶ国
    目の国は、小便小僧とチョコで有名な、ベルギ
    ー王国です。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • バートンさん 2013/07/03 21:53:54
    初めての海外旅行はローマ・パリ8日間の旅でした♪
    josanさん、こんにちは。

    昔の旅を振り返るのってなんだかいいですね〜。
    私も初めてパリへ行った時のことを思い出しちゃいました。
    トイレが少ない、あってもお金を取られる、
    レストランの中でさえ徴収されたのには閉口しました(-_-;)

    美術館も沢山行って感動したなぁ。セーヌ川のバトームッシュ(でいいんでしたよね)に乗ったり、エッフェルに登ったり、思いつく限りのパリ観光をしたっけなぁ。
    エッフェルも美術館も今更、なんて思っていたけどjosanさんの旅行記を読んでいて原点に帰るのもなんだかいいなぁ、としみじみ思ってしまいました。
    初めて行った海外のワクワク感をまた味わいたいな。

    ばーとん

    josan

    josanさん からの返信 2013/07/04 12:46:50
    RE: 初めての海外旅行はローマ・パリ8日間の旅でした♪
    > josanさん、こんにちは。

    今日は〜バートンさん、お久でした〜。

    > 昔の旅を振り返るのってなんだかいいですね〜。
    > 私も初めてパリへ行った時のことを思い出しちゃいました。
    > トイレが少ない、あってもお金を取られる、
    > レストランの中でさえ徴収されたのには閉口しました(-_-;)

    この企画は昔、GINさんと話して約束して居た企画でした
    ので、昔を思い出しながら書いて居ます。(汗)

    そうですね!この時代には日本では、有料トイレは未だ無い
    頃でしたね〜。(笑)

    > 美術館も沢山行って感動したなぁ。セーヌ川のバトームッシュ(でいいんでしたよね)に乗ったり、エッフェルに登ったり、思いつく限りのパリ観光をしたっけなぁ。
    > エッフェルも美術館も今更、なんて思っていたけどjosanさんの旅行記を読んでいて原点に帰るのもなんだかいいなぁ、としみじみ思ってしまいまた。
    > 初めて行った海外のワクワク感をまた味わいたいな。

    私の最近の旅のスタイルは少し他の人と違い、世界遺産や観光地
    よりも美術館や博物館、庶民の市場と変な所が大好きなんで〜す。(笑)

    未踏地ハンターのバートンさん、世界の砂漠ハンターを楽しみに
    して居ま〜す、ガンバ!。(祝)

    お友達がラオスに来て居るのですね、来訪の節はウドンにもお立
    ち寄り下さいね〜。(マジ)



    ウドンよりJOSAN。

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