2013/01/19 - 2013/01/20
2245位(同エリア4379件中)
倫清堂さん
冬の旅行は何が起きるか分からないものです。
前の週には大雪が降り、仙台空港の滑走路が閉鎖された他、都心でも交通機関がマヒしてしまったと聞いています。
ですから年明けの旅行計画はなるべく避けるようにしていますし、もし決まったとしても慎重に立てるようにしています。
東京で催されるあるイベントに参加するための上京となりますが、2泊出来るところを1泊で計画しました。
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浅草のホテルを予約したため、2日目の朝は浅草寺にお参りすることにしました。
ホテルから約10分ほど歩いたところで、有名な雷門が見えて来ました。
門の両脇に風神・雷神が祀られていることから風雷神門と名付けられたものが、いつしか略されて雷門と呼ばれるようになったものなのだそうです。
創建は平安時代の天慶5年。
創建者の平公雅は平将門の従兄弟にあたる人物です。
父の存命中はともに将門と対立していましたが、父が死んで一時は融和的な雰囲気となったものの、将門が「新皇」を名乗って叛乱を起こしたことで朝廷から包囲を命じられ、平定後に功績が評価されて安房守に任じられました。
その後武蔵守となり、将門の叛乱によって荒廃していた浅草寺の復興に努めたとのことです。
浅草寺を守る総門に風神・雷神を祀ったのは、二度とこの地が荒らされることのないようにとの公雅の願いからのものなのでしょうか。雷門 (風雷神門) 名所・史跡
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まだ朝早い時間でしたが、雷門前も仲見世通りもたくさんの人でにぎわっていました。
浅草寺に詣でて詠む
荒神のむさし平らぐいきほひを
かぜいかづちの神は鎮めり -
仲見世通りを抜けると、宝蔵門が目の前に現れます。
平公雅の願いもむなしく、浅草寺の建物のほとんどは大東亜戦争における東京大空襲で灰燼に帰してしまいました。
宝蔵門も戦災によって焼け落ちた建物のひとつで、昭和になってから復元されたものです。
背面には、巨大な草鞋がかけられていました。宝蔵門 名所・史跡
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そしてその奥に、これまた圧倒するような巨大な本堂がそびえています。
内陣には本尊の聖観音像が安置されています。
かつての本堂は慶安2年に建築されたもので、国宝にも指定されていましたが、やはり戦災で焼失してしまいました。
昭和に再建された建物は、柱は鉄筋で瓦はチタンという冷たい素材が用いられていますが、これも時代の流れと言うべきなのでしょう。 -
境内のどこからでも見える五重塔のそばまで接近。
とてもバランスのよい姿をしており、青空に届けとばかり屹立しています。
やはり戦後の再建。 -
あまり知られていませんが浅草寺の境内には神社もあり、人でごった返す仲見世や本堂とは対照的に、ひっそりとたたずんで僅かな参拝客を迎えています。
おそらく本堂や五重塔のような大規模な建築物がないからなのでしょうが、浅草神社には浅草寺の創始に関わった3人の人物が祀られており、片参りでは失礼なほど重要な神社なのです。
推古天皇36年3月18日、猟師の檜前浜成・竹成兄弟はいつものように浅草浦(現在の隅田川)で漁をしていましたが、その日に限って1匹も魚がかかりません。
網にかかるのは人の形をした木像で、網を揚げるたびにひっかかって来ては、水中に投げ捨てることを繰り返していました。
しかし度々網にかかって来ることを不思議に思い、兄弟は木像を地元の知識人であった土師真中知に見せたところ、それは聖観音像であることが分かったのでした。
兄弟が観音像への信仰に目覚めると大漁を得ることができるようになり、土師真中知は剃髪して自宅に観音像を奉安してこれを寺としました。
これが浅草寺の始まりだったのです。浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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浅草神社は主祭神として、土師真中知命・檜前浜成命・檜前竹成命をお祀りしており、この3神はそれぞれ阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩の化権と解釈しています。
現在は浅草神社と呼ばれていますが、かつては三者権現を称しており、有名な三社祭を斎行するのもこの神社なのです。
社殿は慶安2年に徳川家光公が寄進したもので、東京大空襲にも奇蹟的に焼失をまぬがれ、平成6年には大修理が行われました。 -
少し足を伸ばして東京の新名所、東京スカイツリーへ向かいました。
日曜日とあって、家族連れや団体客でひしめいていました。
東京ソラマチをぶらつき、お土産を購入。
新名所の完成で観光客が集まることを期待していた地元の商店街ですが、逆にソラマチに客を奪われているのが現状のようです。
スカイツリーから徒歩圏内の商店街を歩くと、観光客らしい人の姿は全くありません。
ある店で買い物をした際、在庫限りでスカイツリー関連の商品は取り扱いをやめるのだと、商店主さんがおっしゃっていました。東京スカイツリー 名所・史跡
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スカイツリーから最も近い場所に鎮座する押上天祖神社を参拝。
神職の方は常駐していませんが、町内会の方がお守りなどを売っていて、参道で日向ぼっこをしている野良ネコと一緒にお宮を守っていました。
御創建は延元年間で、天照大神・八幡神・春日両大神をお祀りしています。
一説によると、川の増水によって流された御神体が押し上げられたのを、地元の農民が祀ったのが始まりとされ、地名の押上の由来にもなったとか。
関東大震災と東京大空襲で2度も焼失を経験していますが、明治21年に作られた神輿は無事で、今も地元の人たちの心のよりどころとなっています。
地域再生は新しい建物からではなく、こうした歴史を大事にすることから始まるのだと思います。 -
最後に、完成した東京駅を眺めに行きました。
平成の大修理、無事に終了していました。
新しい東京駅をくまなく散策するだけで、ひとつの旅行記が書けそうですが、それはまた次の機会に譲りたいと思います。
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