2013/01/13 - 2013/01/14
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歩さん
2003年に、観光特急列車「A列車で行こう」が運行しました。
これは、熊本~三角を結ぶ列車です。
A列車の『A』は、熊本県の天草(AMAKUSA)の『A』と大人(ADULT)の『A』から来ているそうです。
熊本からA列車で天草へ、海に沈む夕日を見に出かけましょう!
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
A列車です。
レトロチックで、乗る前からわくわくします。
「A列車」というと、有名な「A列車で行こう」の曲が浮かんで来ますが、このA列車は、独自の意味を持っています。
写真は最後尾です。進行方向は逆です。 -
みなさん列車の撮影で、大賑わいでした。
2号車を横から見た写真です。
外から見た光景もいいですが、中に入ってびっくり!
2号車から乗ったので、1号車に向かってボルテージが上がって行きました。 -
A列車は、2両からなるかわいい列車です。
全席指定ですので、ゆっくりとくつろげます。
1号車の前列からは運転席がよく見えます。
私は2列目に座ったので、前方の景色も見えました。
列車大好きお兄さんが、カメラを片手に、運転席に張り付いていました。
列車好きにはたまりませんね。 -
『A-Train Bar』です。
乗ってすぐは、お客さんがいっぱいでしたので、みんなが落ち着いたのを見計らって、撮影しました。
ステンドグラスも素敵な雰囲気を醸し出しています。
車内では、デューク・エリントンのジャズ「A列車で行こう」が流れています。なかなかよい感じです。 -
有明海は九州最大の湾で、干満の大きさは日本一です。
ムツゴロウなどがいる独特の生態系も維持していて、アサリやカニ、そして海苔なども獲れる、非常に豊かな海です。
大潮のときなど、干潮時の遠浅の海は、きれいな縞模様の干潟となります。
ちょっと居眠りをしていたら、親切な車内放送で目が覚めました。
「有明海の干潟がきれいな縞模様を描いています。是非、ご覧ください!」
はい!しっかり見ました(^_^) -
あっと言う間に、三角駅に到着です。
みなさんが降りてしまった後に、きれいなお姉さんが、車内の点検をしていました。
先ほどは『A-Train Bar』にいたお姉さんです。
一人で何役もこなします。
今度は、三角駅から熊本駅まで、お客さんを運んでいきます。 -
三角駅では、たくさんの人々がA列車を待っていました。
すぐに記念撮影が始まります。
大人気のA列車です。 -
A列車、またね!
と別れを告げて、次の目的地へ…。 -
三角駅には、写真のような観光垂れ幕が掲げてありました。
見所満載!天草へ向かいます。 -
三角駅です。
-
三角駅の向い側は、三角港になっています。
港には、写真のような建物がありました。
海のピラミッドと呼ばれるフェリーターミナルだそうです。 -
天気がいいと見栄えもいいです。
三角西港は、ちょっとレトロな感じがします。
写真は『浦島屋』という建物です。
明治の頃には実際の旅館として使われていたそうですが、今では、カフェになっていました。
かの有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も滞在したことがあるとか…。
この近辺は、テレビドラマのロケ地にもなったところです。 -
三角西港からは、天草五橋の一番目の橋、『一号橋』が見えます。
かつては、小さな島が点在して、船で行き来をしていたのですが、天草五橋ができてからは、車で、行き来をすることができるようになり、大変便利になりました。 -
『一号橋』です。
五橋というからには、五番目まであるということです。 -
『一号橋』を渡ったところにある展望広場から撮影。
この橋は、別名『天門橋』というそうですが、『一号橋』の方がメジャーのようです。 -
天草五橋が開通した当初は、橋の通行を有料として建設費を償還していたそうですが、通行量の多さに、わずか9年で無料化に至りました。
いかに、五橋が地域の人々に待望されていたかが分かります。
もちろん、橋の完成により、島の外からも多くの人が訪れるようになったであろうことは、言うまでもありません。 -
天草と言えば、『天草四郎時貞』をイメージする人も多いと思います。
写真は、天草四郎メモリアルホールです。
天草四郎は、少年でありながら、そのカリスマ性ゆえにか総大将と崇めたてられ、島原・天草の領民が両藩と戦った1637年の『島原の乱』で有名ですが、誰もがおそらく一度は耳にしたことがある名前です。
島原の乱の勃発の経緯は、圧政に対する反乱、キリシタン迫害に対する信教の自由を求める闘い、飢饉や年貢に苦しんだ農民の怒りなど、いろいろ言われていますが、生活の自由や心の自由といった「自由」を求める闘いだったのではないかと思えてくるのです。
四郎さんはどんな思いで闘ったのでしょうか…。 -
『2号橋』近くの広場にある像です。
「森慈秀(もりじしゅう)」とあります。
この方の尽力なくして、天草五橋の完成はなかったのではないでしょうか。 -
「人が笑おうと
俺はあきらめん
みんなの幸せを願って
夢は叶う」
天草五橋は、森さんが強い思いで成し遂げた『夢の架け橋』なのです。 -
『二号橋』です。
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『三号橋』です。別名『中の橋』というそうです。
位置的にも真ん中の橋という意味なのでしょうが、長さも3番目です。 -
天草四郎さんの像がありました。
背景にあるのが、『四号橋』です。最も長い橋です。別名『前島橋』です。
四郎さんの手には、鳩?がとまっています。
彼には、多くの才能があったようです。
本当にカリスマ四郎さんです。 -
五号橋から見た『四号橋』です。
日本三景、松尾芭蕉があまりの美しさに息を呑んだとされる「松島や ああ松島や松島や」の仙台の松島に匹敵する天草松島の景色です。 -
『五号橋』です。別名『松島橋』です。
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『五号橋』の全体像です。
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五号橋全体像を撮影した港には、足湯がありました。
龍の体の中に足湯があります。
このときは誰もいませんでしたが、ついさっきまで足を浸していたのだろうなという名残のタオルが置いてありました。 -
近くの山に登っていきました。
仙巌山という山だそうです。
橋や松島の景色を見ることができます。 -
島々が点在する様子が分かります。
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撮影した仙巌山展望所は、桜の名所にもなっているようです。
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写真の建物は、天草市の『キリシタン館』です。
その名の通り、天草のキリシタンの歴史や島原の乱についての資料が収められています。 -
また、四郎さんの登場です。
いつも右手の人差し指はどこかを指しているのですが、彼の目には何が写っていたのでしょうか…。
とても見目麗しい少年だったということで、これまで彼を演じた俳優さんは、いわゆるイケメンの方が多かったようです。
何よりも、わずか16歳で民衆を束ねたリーダー性はあっぱれです。 -
ちょっと高台のキリシタン館に行く途中には、墓地もありました。
学校でみんな習ったあのフランシスコ・ザビエルさんが日本にキリスト教を伝えて数年のち、ポルトガル生まれのルイス・デ・アルメイダさんが、天草にやってきます。
彼は、自身の生涯と財産を神と人々に捧げようと決意しました。
彼の布教のおかげか、彼の献身的な人柄の成した業か、キリスト教弾圧が行われるまでは、島民の殆どがキリスト教信者だったということです。 -
天草市の大江というところには、大江天主堂があります。
島原の乱によって弾圧を受けたキリスト教信者が、隠れキリシタンとなって、信仰を続けたところです。 -
大江天主堂がある天草町は、東シナ海に面していて、夕日がとてもきれいに見れるところです。
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多くの人々が、海に沈む夕日を見に来ていました。
観光バスもやってきました。 -
そうです。
ここでは、太陽が海に沈む様子が見れます。
何の邪魔するものもなく、海に吸い込まれるように太陽が沈んでいくのです。
以前見たときは、本当に海に吸い込まれていった夕日でしたが…。 -
残念!この日は天気はよかったものの、水平線付近に雲があり、雲に沈む夕日となってしまいました。
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あっと言う間に人々も去っていきました。
天草といっても、知らない人が多いかもしれない小さな島ですが、そこは、夢の橋を架けるために奮闘した人、領民と共に闘った勇敢な少年、キリスト教の布教に努めた人、そしてその迫害から信者を守った人など、熱い魂を持った人々が愛した場所、日本三景に匹敵するくらいの美しい自然がある場所でした。
駆け足の天草の旅でしたが、今回写真に収められなかった海に沈む夕日を見に、またいつか訪れたいと思います。 -
最後に、森慈秀さんの像の前に、『天草五橋』のミニチュアがありましたので、紹介します。
写真は『一号橋』です。 -
『二号橋』です。
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夢の架け橋と書いてあります。
『三号橋』です。 -
『四号橋』です。
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『五号橋』です。
みんなの夢を叶えた五つの橋でした。
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