2012/09/21 - 2012/09/22
68位(同エリア253件中)
アリヤンさん
ワレワレ以外の外人乗客だった、オーストラリア人カップルとフランス人中年男性が、タブリーズで降りて行った。
特にオーストラリア人カップルは、ワタクシたちが水が切れたと聞けば、5L入りのミネラルウオーターを買って来てくれたりして、大変親切にしてくれました。
彼らにとって、ワタクシたちは自分の親みたいに思うのでしょうか?
タブリーズでは3時間ほど停車して、午後3時ころにテヘランに向けて出発した。
つぎはぎだらけの、トランス・アジア・エクスプレス、ラスト・ランです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
コンパートメントが一緒だったM・Lさんご夫妻です。
L=ラビビさんは奥さんのほうで、料理担当です。
旦那さんは配達担当です。
この2人は、日本の企業戦士であるテヘラン駐在員たちの和食ランチボックスを提供している、ニッポンの貴重なサポーターなのです。
Lさんの説では「列車が一番安全で良い。飛行機はいつ落ちるか分からない。
バスは事故が多いし疲れる。それでワタシたちはいつも列車でトルコに行く」というのです。
バスの事故、は分かるとしても、飛行機はどうかな?
ああ!
いつアメリカに撃ち落されるか分からない、ということか!
ワタクシもかつては中近東を駆け巡る企業戦士でしたので、車内ではいろんなお話が出来ました。
彼らのような優しい人々と一緒に居られる、と言うのがイランの一番の魅力だと思います。
正直、イランは今、危険な橋を渡っています。
原子力疑惑で、いつイスラエルがイラン攻撃をするのか?が取り沙汰されているからです。
一般の人たちも、戦争になるかも知れない、と内心心配しているようです。
Lさんたちは、アメリカ大統領選で民主党のオバマさんに勝って欲しい、と願っていました。
オバマの方が戦争にならない、と思っているようです。
イラン人と一緒の列車は、ほんと、居心地が良いのです。
イランはちょっと怖いけど、イラン人の優しさ、親切さがあるので、随分と精神的に助けられるのです。
普通のイラン人庶民に幸あれ、と願うトランス・アジア・エクスプレスの旅でした。 -
イチオシ
列車は一晩中走って、翌日の早朝6時ころにテヘラン駅に到着しました。
ワタクシたちは顔見知りの(ひと晩の難民生活で殆どの人たちと顔見知りになりました)人々とお別れをして、テヘラン駅頭に立ちました。
どこをどう行けば良いのか?
分かりませんが、通りすがりの誰かが親切に教えてくれます。
黙ってても、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?と声をかけてくれる人が出てくるのです。
お陰で、ワタクシたちは市内バスに乗り(運転手始めみんなが、金は払わんでも良い、と言ってくれます)南バスターミナルまで行き、そこから地下鉄に乗りました。 -
テヘランで地下鉄に乗るのは生まれて初めてです。
45年前にはメトロは無かったし、出張で訪問中は全て代理店の車かタクシーでしたから、メトロなんて知りませんでした。
チケットを買うところが分からないので、オロオロしていたら、知らないオバチャンが自分の定期をかざしてワタクシたちを通してくれた。
時間的にちょうどラッシュアワーだった。 -
ワタクシたちは、ラッシュアワーをやり過ごそうと、ホームのベンチで過ぎ行く人々を見ていました。
テヘランの人々はみんな真面目に働いているのです。 -
大体の女性はスカーフを被っています。
中には全身黒子の女性も居ます。
車両は前の2両くらいが女性専用車になっており、比較的空いているのです。
そう、ラッシュアワーで大変ですが、いつまでも終わらないので、ワタクシたちは思い切って女性専用車に乗り込みました。
日本語で「すいませ~ん」とお辞儀をしたら、みなさん優しく「OK、OKノープロブレム」と乗せてくれました。 -
かくして、ワタクシたちは無事にイマーム・ホメイニ広場駅までやって来ました。
ここのメトロはパリのメトロと同じく、出るときは自動ドアが開いて出られます。
ワレワレチケットがないのでヒヤヒヤしながら、2人一緒にドアが開いた瞬間にドドッと外に出ました。
(チケットかICカードを持っている正規の乗客がメトロ駅から出る改札ドアを出るとき、一瞬だけドアが開きます。その瞬間を狙ってワレワレ2人一緒にドドッと外に出るのです。45年以上前のパリ・メトロの経験がものを言いました。ま、ワレワレはこの時、見知らぬオバちゃんが入札時に彼女のICカードをかざしてくれたので、決して無賃乗車ではありません!そのオバちゃんが下車時に一緒でなかっただけです。)
無事、メトロから出られ、エレベーターで地上に上がりました。 -
イマーム・ホメイニ広場からアミール・カビール通りへ出ます。
まずはホテル探しからです。
バックパッカー御用達のホテル・マシャットを覗いてみたが、清潔度に問題ありでパス。
アミール・カビール通りは、自動車用品、部品の店が一杯並んでおり、ゴチャゴチャしていて、環境的にはよろしくない。
少し横丁に入ったハヤム・ホテルも見てみた。
ここは高い割にはトイレが洋式で無かった。
それで、最初からフィルーゼ・ホテルが良かろうとめぼしをつけていたので、そこに行って見た。 -
イチオシ
イマーム・ホメイニ広場からアミール・カビール通りに入って左側2つ目の角を左側がハヤム・ホテルに突き当たる。
-
アミール・カビール通りの左側3つ目の角を左へ入ると、すぐにフィルーゼ・ホテルがある。
まん前はタイヤ交換屋さん。 -
フィルーゼ・ホテル。
-
この人がオーナーのムサビさん。
ちょっと神経質だが、誠実で親切な人。
予約なしで行ったのだが、トリプル・ルームが開いているので、それを特別価格1泊650,000Rialで貸してあげよう、と仰る。
ワタクシたちは別にトリプルでなくても良いのだが、仕方ない。
しかし、長期に滞在するのに650,000Rialは高い!と交渉開始。
ワタクシの指値は400,000Rial.
スッタモンダの末、450,000rialで折り合った。
日本円で1500円だ。
6泊する条件を出していた。
最後は朝食をつけるか付けないか、まで条件に入れて交渉した。
結局は朝食付きで終結。
*昔のイラン商人とのビジネストークを思い出す。 -
ロビー。
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寝室。
-
ビジネス・カード表。
ホームページを持っているので、事前予約や空港送迎も頼める。 -
ビジネス・カード裏。
-
ネットのサイトにあったルーム・レート。
これからすると、ドルやユーロで支払うとエライ損をする。
このときは異常な円高でもあり、特にイラン・リアルは急落している時なので、イランリアルで払えば1500円だが、ユーロ支払いならツインで2600円相当となる。 -
まあ、部屋もトリプルでちょっとは広いし、キレイし、朝食も付いているし、オーナーも良い人だし、「安くて、きれいで、快適な宿」として合格だろう。
ホッとして、近所の小さな市場に出かけた。
(オーナーに教えてもらった)
相変わらず、アミール・カビール通りは騒がしい。 -
小さな青果市場でさっそく、イランのハラボゼ(ワタクシたちはハラボテとおぼえていた)を買ってきた。
砂漠の中でのどを潤すには、このハラボゼに限る。 -
-
いつものように2つに割って、半分づつスプーンで食べる。
非常に甘い。
味はメロンだ。
ちょっと甘すぎ? -
甘いなあ、甘すぎるなあ、とかごちゃごちゃ言いながら、お互い完食。
今晩はゆっくり寝よう。
難民生活でひと晩まるまる寝られなかったのだから、、、 -
トランス・アジア・エクスプレス。
2泊3日がイラン側列車の遅れで3泊4日のたびとなった。
しかもひと晩は難民生活状態だった。
結論です。
「トランス・アジア・エクスプレス」はもう、「ブッチギレ・ズタズタ・エクスプレス」だった。
45年前の蒸気汽車、イスタンブール⇒テヘランが本来のトランス・アジア・エクスプレスであった。
時代が進むにつれ、この地域では確実に、時代が後戻りしているのでした。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9910n/ToTehranMap.jpg
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