2012/09/20 - 2012/09/21
9位(同エリア26件中)
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アリヤンさん
ワン湖を横断するフェリーは夕方18時にタト・ワンを出航しました。
(VANと書いて現地発音はワンと聞こえますので、ワンに統一します)
対岸のワンに着いたのが21時ころでした。
約3時間のフェリーの旅でした。
ところが、船から下りられたのは22時ころでした。
これから、アリヤン難民事件が起こるのです。
同乗の人々は、いつしか数十人のイラン人と、オーストラリア人2人とワタクシたち日本人の2人となっていました。
トルコ人はみんなワンで列車(=フェリー)を降りたようです。
これからは、イラン側から来る列車に乗り換えるのだそうです。
当然、「イラン側からの寝台列車がソコで待っている」と思うのですが、そうは問屋が卸さない、ようです。
待てど暮らせど、やって来ないのです。
全員、フェリー乗ったままです。
外は真っ暗、9月とはいえどもう秋です。
肌寒くなっています。
みんな夏服のままです。
荷物もあります。
船上では一応キオスクがあって食べ物はお菓子類と飲み物しかありません。
キオスクのオッチャンが両替を呼びかけます。
トルコリラやアメリカドルやユーロをイラン・リアルに両替してやる、と言うのです。
レートはUS$1=22,000リアルなのです。
ワタクシたちはイランリアルが一銭も無かったので換えようか?と思ったのですが、親切なイラン人のニイちゃんが、テヘランでは1ドルが26,000リアルだ、不当なレートだ、とイチャモン付けたのでややこしくなった。
キオスクのオッチャンにしたら商売のじゃまだ、とニイちゃんを排除しようとする。
まわりはみんなイラン人だからニイちゃんの味方をする。
スッタモンダの末、オッチャンは奥に引っ込んだ。
ワタクシたちにしたらテヘランに着いて、現地通貨が一銭もないのは困るので、こっそりオッチャンのトコロに行って10ドルだけ両替した。
さて、もう22時となりました。
船はこれ以上乗客を乗せたままでは居られなくなり、下船するように促されました。
イラン側からの列車はまだ来ていません。
「モウスグ来る」とのうわさでみんな船を降り始めました。
荷物を担いで、狭い通路と階段を通って、やっと外にでた。
- 旅行の満足度
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
トルコ側の寝台列車のうち貨物列車の両のみが乗船していたが、乗客の荷物は降ろされ、港に放置されました。
乗客も放置されました。
夏の終わりころとは言え、夜中はそこそこ肌寒い。
最初のうちはウワサで「イラン側列車は11時に来る」とかいう希望的観測な言葉がささやかれるので、みんな外で待っていました。
そのうち、警備のための警官が何人か来て、全員港湾の待合室に入るよう指示があった。
常時、警備のため?警官が1人、待合室の前に常駐。
他の警官たちはしばらく車の中に居たが、そのうち帰っていった。 -
もう夜中の1時すぎです。
パートナーは寒さ対策に冬用トレーナーとウィンドブレーカーを着込み、スカーフを首やら頭に巻いて寒さをしのぎました。
最初は待合室みたいな狭いところはイヤヤ、と言って外で頑張っていたが、イラン側の列車がいつ来るか分からなくなって、やっと中に入った。
待合室の中は全員イラン人です。
女性は、ほとんどがスカーフをしだしています。
みんな席を譲り合い、年寄りが来れば、席を詰めて座るところを空けてくれます。
「まるで難民ヤナア」っとパートナーと言い合い笑っていました。
イヤ、本当に難民みたいです。
いつこの状態から開放されるのか、分からないのです。
それに警官に見張られています。 -
イチオシ
夜中も2時がすぎ、3時が来ます。
みんな疲れてきています。
若者は元気で、ワタクシたちにしきりに話しかけてきます。
大抵が「なぜイランに行くのか?」と聞くのです。
彼らの多くは「イラン人はみんな良いが、政府がクレージーだ」と言います。
みんな分かっているのです。
最近の原子力開発疑惑で西側諸国、特にイスラエルとアメリカの武力攻撃があるカモ?とウワサされていることを。
外では「イランはコワイところで、テロリストの国だ」と思われているのを、みんな気にしているのです。
でも、ここで接したイラン人の100%がみんな優しく、親切で思いやりがあり、陽気で楽しい人々でした。
政府の失点を国民みんなでなんとか挽回したいと努力している、のではないか?
と思えてきます。 -
中には黒子をすっぽり被った伝統的なスタイルの女性も居ます。
-
フェリーはそのハラを開けて、イラン側からの列車を待っています。
イラン側からの乗客と荷物貨車を積むのでしょう。
一部の若者たちは船のそばのカフェで音楽をならして遊んでいたりしています。
熱いトルコ・コーヒーがあるので、パートナーが飲みたいと言うので、買いに行きました。 -
4時すぎに、ついに、イラン側の列車が来ました。
ワンに夜の9時に到着して以来、ナント、7時間の待合でした。
それもなんの確かな情報も無く、アテも無く、港湾に放置されていたのです。
ひと晩まるまる難民状態そのものでした。 -
ヤレヤレ、やっと乗れるワイ、と安心するのはマダ早すぎた!
イラン側寝台列車のコンパートメントの割りふりが始まったのです。
エッ!?
アンカラで乗車するときに決まっていたコンパートメント番号の延長でエエでないか?と思うのだが、トルコ側で起こったことは全部チャラにして、これからはイラン方式でヤル、らしい。
その席番号を決めるやり方が、また、ヒドイのです。
早いモン勝ちなのです。
ですから、待合室のカウンターにワレモワレモと殺到するのです。
席順を書いたシールをチケットに貼るスタッフは、彼らなりのルールがあるようで、良くわからんが、一人モンばかり先、夫婦モンやグループモンは後回し、にしているようなのです。
ワレ先に窓口に殺到して人より早く権利を得るレースには、ワタクシ、昔のアラブ世界でよくやっていましたので、結構得意なんです。
押しのけて、スタッフにチケットを手渡してしまえば、コッチのモンなのですから。
でも、さすが、イラン人はみんなこんな事にはハシコイんです。
最後のほうになってしまい、席が無くなってしまうのでは?と心配しましたが、ようやく隣同士の席を確保。
どうも1人モンと家族モンの区別をつけて席割りをしていたようで、家族モンのワリフリはあとでなされた。ようです。 -
イチオシ
イラン側からの列車からは乗客が降りてきて、フェリーに乗り込んでいきました。
貨物列車も2両、フェリーのハラん中に入っています。
こんな混乱の最中でも列車から降りてきた人々の中には変わった日本人が居て、ワレワレの姿を見て「エーッ!こんなところに日本人が~!!」とお互いビックリ。
彼らはワレワレが一夜を過ごした港湾施設に入りトルコ側からの列車を待ちます。
ワレワレはイラン側から来た列車にいつ乗れるのか?期待でウズウズしながら列車の近くでウロウロします。 -
そのまままた1時間ほど事態は膠着。
-
列車に乗り込めたのは、もう朝の5時ころでした。
-
この列車に乗り込むのが、また、ひと苦労なのです。
特に背の低いパートナーなんかは列車のデッキが高くて、鉄階段も狭くて、力も弱いので、上から引っ張りあげて+下から押し上げて、やっと乗れたのでした。
本来ならば、時刻表どおりならば、もうテヘランの近くまで来ているハズだったのですが、、、
「事実は小説より奇なり」です。
「イラン人とともにしたアリヤン難民事件」の顛末でした。
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