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初詣に行ってきました<br />2013年平成25年巳年の始まりですが、母を施設から連れ帰るだけで元日は過ぎ、2日からの初詣となりました<br />毎年恒例の熱田神宮参拝から始めました<br />平成25年創祀1900年の熱田神宮、末社鈴之御前社(まっしゃ れいのみまえしゃ)、摂社氷上姉子神社(せっしゃ ひかみあねごじんじゃ)、荒子観音、行雲寺、園乗寺とまわりました<br /><br />熱田神宮は本年創祀1900年との事でいろいろ行事が有るようです<br /><br />鈴之御前社は、ホームページによりますと、”天鈿女命(あめのうずめのみこと)をお祀り致します。東海道から熱田に詣でる旅人は、この社で祓いを受けた後にお参りする習わしだったといわれております。<br />「鈴の宮」の名で親しまれ、7月31日の例祭は「茅の輪くぐり」という夏の疫病除けの神事で賑わっております。熱田区伝馬町に鎮座します。”という事で、少しわかりにくい旧東海道沿いの小さな神社でした<br />氷上姉子神社は、ホームページに寄りますと、”熱田神宮の相殿神で日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀り致します。仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇四年(690)、現在地に遷座致しました。故地は宮簀媛命の父君の館があった地とされます。例祭は10月第1日曜日に行われます。<br />”との事で緑区の大高インター近くの林の中に有りました<br />地元の方の自転車参拝の方も多く駐車場も一杯でした<br />「高座の井戸のぞき」で名高い摂社 高座結御子神社(せっしゃ たかくらむすびみこじんじゃ)も有りますが、以前参拝したので今回はカットしました<br /><br />荒子観音は地元の寺なので参拝し、聖徳太子の彫った仏像のある中川区千音寺の行雲寺を参拝し、お隣の日蓮宗園乗寺にも立ち寄りました<br /><br />行雲寺は創建時は天台宗の寺でしたが、蓮如上人の頃より東本願寺浄土真宗の寺となっています<br /><br />

初詣2013 その1

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2013/01/02 - 2013/01/02

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

初詣に行ってきました
2013年平成25年巳年の始まりですが、母を施設から連れ帰るだけで元日は過ぎ、2日からの初詣となりました
毎年恒例の熱田神宮参拝から始めました
平成25年創祀1900年の熱田神宮、末社鈴之御前社(まっしゃ れいのみまえしゃ)、摂社氷上姉子神社(せっしゃ ひかみあねごじんじゃ)、荒子観音、行雲寺、園乗寺とまわりました

熱田神宮は本年創祀1900年との事でいろいろ行事が有るようです

鈴之御前社は、ホームページによりますと、”天鈿女命(あめのうずめのみこと)をお祀り致します。東海道から熱田に詣でる旅人は、この社で祓いを受けた後にお参りする習わしだったといわれております。
「鈴の宮」の名で親しまれ、7月31日の例祭は「茅の輪くぐり」という夏の疫病除けの神事で賑わっております。熱田区伝馬町に鎮座します。”という事で、少しわかりにくい旧東海道沿いの小さな神社でした
氷上姉子神社は、ホームページに寄りますと、”熱田神宮の相殿神で日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀り致します。仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇四年(690)、現在地に遷座致しました。故地は宮簀媛命の父君の館があった地とされます。例祭は10月第1日曜日に行われます。
”との事で緑区の大高インター近くの林の中に有りました
地元の方の自転車参拝の方も多く駐車場も一杯でした
「高座の井戸のぞき」で名高い摂社 高座結御子神社(せっしゃ たかくらむすびみこじんじゃ)も有りますが、以前参拝したので今回はカットしました

荒子観音は地元の寺なので参拝し、聖徳太子の彫った仏像のある中川区千音寺の行雲寺を参拝し、お隣の日蓮宗園乗寺にも立ち寄りました

行雲寺は創建時は天台宗の寺でしたが、蓮如上人の頃より東本願寺浄土真宗の寺となっています

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
  • まずは上知我麻神社から参拝

    まずは上知我麻神社から参拝

  • 熱田神宮創祀1900年の解説パネルが有りました

    熱田神宮創祀1900年の解説パネルが有りました

  • 本殿前に間もなく到着、1,000円で御垣内特別参拝出来ますが、今回はなし

    本殿前に間もなく到着、1,000円で御垣内特別参拝出来ますが、今回はなし

  • 9時半なので、今のところ前まで行けます<br /><br />今年は参道や道路が出店で一杯でした、写真無くて済みません

    9時半なので、今のところ前まで行けます

    今年は参道や道路が出店で一杯でした、写真無くて済みません

  • お隣の秋葉山円通寺(正式には補陀山 圓通寺)、曹洞宗の寺

    お隣の秋葉山円通寺(正式には補陀山 圓通寺)、曹洞宗の寺

  • 十一面観音像(弘法大師作)があるとかです<br /><br />ウィキペディアによりますと、”始まりは尾張国の豪族であった尾張氏が熱田社に神宮寺として建立したものとされる[2]。弘仁年間(810年 - 824年)に当地を訪れた弘法大師がこの地に小宇を築いて、自ら彫った十一面観音像を安置した”

    十一面観音像(弘法大師作)があるとかです

    ウィキペディアによりますと、”始まりは尾張国の豪族であった尾張氏が熱田社に神宮寺として建立したものとされる[2]。弘仁年間(810年 - 824年)に当地を訪れた弘法大師がこの地に小宇を築いて、自ら彫った十一面観音像を安置した”

  • 毘沙門天様が・・・

    毘沙門天様が・・・

  • 日本三大銘石?群馬県の石?<br />これはなんでしょうか?

    日本三大銘石?群馬県の石?
    これはなんでしょうか?

  • 鈴之御前社<br />夏は茅の輪くぐりで賑わうとか〜<br />熱田区伝馬町旧東海道沿いにあります

    鈴之御前社
    夏は茅の輪くぐりで賑わうとか〜
    熱田区伝馬町旧東海道沿いにあります

  • 鈴之御前社本殿前

    鈴之御前社本殿前

  • 笹宮の解説と中村宗十郎なる歌舞伎役者の出生地の解説が並んでおりました

    笹宮の解説と中村宗十郎なる歌舞伎役者の出生地の解説が並んでおりました

  • 鈴之御前社の西の道路(神宮東門の前の道路225号)から入って西の方には 村社笹宮があり、南楠社、笹社、秋葉社、天王社が祀られ熱田神宮末社の1つみたいです<br /><br />宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠は<br />笹宮の解説看板の後ろの木かな?

    鈴之御前社の西の道路(神宮東門の前の道路225号)から入って西の方には 村社笹宮があり、南楠社、笹社、秋葉社、天王社が祀られ熱田神宮末社の1つみたいです

    宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠は
    笹宮の解説看板の後ろの木かな?

  • 宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠はこれかな?どの木かな?<br />笹宮の解説看板の後ろの木かな?

    宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠はこれかな?どの木かな?
    笹宮の解説看板の後ろの木かな?

  • 南楠社は屋根が新しいですね、これが緑の銅錆,<br />緑青にかわるのかな?<br />宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠はこの社の後の木かな?だとすると前の写真の木ですが・・・?<br />笹宮の解説看板の後ろの木かな?

    南楠社は屋根が新しいですね、これが緑の銅錆,
    緑青にかわるのかな?
    宮簀媛命(みやすひめのみこと)が楠の下で腰かけて休息された楠はこの社の後の木かな?だとすると前の写真の木ですが・・・?
    笹宮の解説看板の後ろの木かな?

  • 氷上姉子神社に到着しました<br />駐車場が並んでいたので、路上駐車になってしましました

    氷上姉子神社に到着しました
    駐車場が並んでいたので、路上駐車になってしましました

  • 参拝者が並んでいます

    参拝者が並んでいます

  • 手水場

    手水場

  • 混んでました<br />参拝者が並んでいました<br /><br />宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀りしています

    混んでました
    参拝者が並んでいました

    宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀りしています

  • 氷上姉子神社の社務所

    氷上姉子神社の社務所

  • 氷上姉子神社の解説、熱田神宮のホームページより、<br />”仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇四年(690)、現在地に遷座致しました。故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされます。この地は往古、火上の里とよばれていました。永徳3年(1382)、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、火高は「大高」に改めたとされております。<br /><br />日本武尊なきあと火上の里にとどめおかれた草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)は、尾張氏の祭祀場所であった熱田に遷しお祀りされました。当社は、隆盛を誇る熱田神宮の創祀に最もゆかりの深い社です。現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したものです。”<br /><br />

    氷上姉子神社の解説、熱田神宮のホームページより、
    ”仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇四年(690)、現在地に遷座致しました。故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされます。この地は往古、火上の里とよばれていました。永徳3年(1382)、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、火高は「大高」に改めたとされております。

    日本武尊なきあと火上の里にとどめおかれた草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)は、尾張氏の祭祀場所であった熱田に遷しお祀りされました。当社は、隆盛を誇る熱田神宮の創祀に最もゆかりの深い社です。現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したものです。”

  • 末社元宮には宮簀媛命(みやすひめのみこと)の父の家が有ったそうです

    末社元宮には宮簀媛命(みやすひめのみこと)の父の家が有ったそうです

  • 林の中には野鳥がいるようです

    林の中には野鳥がいるようです

  • この辺りに宮簀媛命(みやすひめのみこと)の父の家が有ったのかな?

    この辺りに宮簀媛命(みやすひめのみこと)の父の家が有ったのかな?

  • 元宮

    元宮

  • 荒子観音です<br /><br />ウィキペディアによりますと、<br />&quot;正式には「浄海山圓龍(円竜)院観音寺」。「荒子の観音さん」としても親しまれている。尾張四観音のひとつに数えられる。本尊は聖観音(しょうかんのん、33年に1度開扉の秘仏)。&quot;<br /><br />秘仏はまだ拝観できてません〜<br /><br />

    荒子観音です

    ウィキペディアによりますと、
    "正式には「浄海山圓龍(円竜)院観音寺」。「荒子の観音さん」としても親しまれている。尾張四観音のひとつに数えられる。本尊は聖観音(しょうかんのん、33年に1度開扉の秘仏)。"

    秘仏はまだ拝観できてません〜

  • 名古屋市内最古の木造建築の多宝塔の屋根の下はこんな感じ

    名古屋市内最古の木造建築の多宝塔の屋根の下はこんな感じ

  • この中には円空仏が1,100?ほど有ったそうな〜と思いきや、尾張三十三観音霊場ホームページによりますと、<br /><br />”修験、遊行僧であったという円空は、観音寺十世円盛と親しく、たびたび寺を訪れ仁王像を初め、約1240体の円空仏が残されています。<br /><br /> 木像を彫り続けるのは、円空にとって「造仏作善」の行であり、円空が彫ったこれらの像は、仏の本質である「さとり」と「すくい」の両面を備えています。円空独自の造形美とノミさばきが見事で、心のわだかまりをきれいさっぱり削り取ってくれるような作品です”

    この中には円空仏が1,100?ほど有ったそうな〜と思いきや、尾張三十三観音霊場ホームページによりますと、

    ”修験、遊行僧であったという円空は、観音寺十世円盛と親しく、たびたび寺を訪れ仁王像を初め、約1240体の円空仏が残されています。

     木像を彫り続けるのは、円空にとって「造仏作善」の行であり、円空が彫ったこれらの像は、仏の本質である「さとり」と「すくい」の両面を備えています。円空独自の造形美とノミさばきが見事で、心のわだかまりをきれいさっぱり削り取ってくれるような作品です”

  • 荒子観音多宝塔下から撮影

    荒子観音多宝塔下から撮影

  • こちらで毎月第2土曜日に仏像製作されてるのかな

    こちらで毎月第2土曜日に仏像製作されてるのかな

  • 荒子観音南門の横から撮影

    荒子観音南門の横から撮影

  • 尾張三十三観音霊場ホームページより、<br /><br />”荒子観音は、浄海山円龍院観音寺と言い、天台宗系のお寺です。江戸時代の終わりに、時の住職が、お寺の由来を記した「浄海雑記」四巻によれば、古く奈良時代、聖武天皇の天平元年(729)に泰澄和尚によって開基された。<br /><br /> 泰澄和尚は北陸の霊峰白山を開いた名僧で、北陸、近畿、東海を遊歴して、各地に寺院を建立しました。当観音寺もその一つで、御本尊の聖観世音菩薩像は泰澄和尚の作と言われる。<br /><br /> 天平3年(741)に、法相宗の自性上人が七堂伽藍を建立され寺としての姿を整えました。その後、寺は戦乱にまきこれるなどして荒廃したようですが、中世にはこの地方きっての天台宗葉上流の学問道場であった春日井市密蔵院に属する大寺として、多数の僧徒を要し学問が盛んであったようです。<br /><br /> 天文5年(1536)には観音寺の塔頭常住院の賢俊上人によって多宝塔が再建されました。<br /><br /> 本堂は、天正4年(1576)に前田又左衛門利家が再建しました。利家は荒子城主前田利昌の四男に生まれ、織田信長に仕え、後、豊臣秀吉から加賀の国を与えられた戦国武将です。<br /><br /> 前田利家の生誕地は、荒子観音より南西200mの天満天神宮境内に生誕の碑が建立されております。”<br /><br />

    尾張三十三観音霊場ホームページより、

    ”荒子観音は、浄海山円龍院観音寺と言い、天台宗系のお寺です。江戸時代の終わりに、時の住職が、お寺の由来を記した「浄海雑記」四巻によれば、古く奈良時代、聖武天皇の天平元年(729)に泰澄和尚によって開基された。

     泰澄和尚は北陸の霊峰白山を開いた名僧で、北陸、近畿、東海を遊歴して、各地に寺院を建立しました。当観音寺もその一つで、御本尊の聖観世音菩薩像は泰澄和尚の作と言われる。

     天平3年(741)に、法相宗の自性上人が七堂伽藍を建立され寺としての姿を整えました。その後、寺は戦乱にまきこれるなどして荒廃したようですが、中世にはこの地方きっての天台宗葉上流の学問道場であった春日井市密蔵院に属する大寺として、多数の僧徒を要し学問が盛んであったようです。

     天文5年(1536)には観音寺の塔頭常住院の賢俊上人によって多宝塔が再建されました。

     本堂は、天正4年(1576)に前田又左衛門利家が再建しました。利家は荒子城主前田利昌の四男に生まれ、織田信長に仕え、後、豊臣秀吉から加賀の国を与えられた戦国武将です。

     前田利家の生誕地は、荒子観音より南西200mの天満天神宮境内に生誕の碑が建立されております。”

  • 南門の阿吽の像は円空作ですが、写せませんね・・・

    南門の阿吽の像は円空作ですが、写せませんね・・・

  • 中川区千音寺にある行雲寺が、千音寺の地名の由来となった寺です<br /><br />ホームページによりますと、<br /><br />今から1380余年前、推古天皇20年(613)聖徳太子がこの地を訪ねられた時、千手観音と弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を安置するため小堂を建立され、その霊験はあらたかで多くの参詣者があったと云う。後に聖武天皇(724〜)が病になられた時、 この観音さまに祈願され病が平癒されたことにより、太子ゆかりの小堂は天皇の勅命により 、勅使・従一位、右大臣・豊成卿は 天平19年正月(747)・金泥金剛般若経と山号・寺号の勅額を拝領し、寺領10町歩 ・境内3町歩余を賜い七堂伽藍・十八坊舎を建立し、太子の遺徳を冠し、聖徳山千手観音寺が勅願寺として創建されました。

    中川区千音寺にある行雲寺が、千音寺の地名の由来となった寺です

    ホームページによりますと、

    今から1380余年前、推古天皇20年(613)聖徳太子がこの地を訪ねられた時、千手観音と弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を安置するため小堂を建立され、その霊験はあらたかで多くの参詣者があったと云う。後に聖武天皇(724〜)が病になられた時、 この観音さまに祈願され病が平癒されたことにより、太子ゆかりの小堂は天皇の勅命により 、勅使・従一位、右大臣・豊成卿は 天平19年正月(747)・金泥金剛般若経と山号・寺号の勅額を拝領し、寺領10町歩 ・境内3町歩余を賜い七堂伽藍・十八坊舎を建立し、太子の遺徳を冠し、聖徳山千手観音寺が勅願寺として創建されました。

  • のち天平宝字7年(764)に時の住職實雅は千手観音の霊告により奈良の當麻寺で豊成卿の息女・中将姫(ちゅうじょうひめ)に戒を授け、神護景雲3年(769)姫は伊勢太神宮参拝のおり、 父・豊成卿の旧跡であることを慕い千手観音寺に参拝し、この時観音の告げを受け、山門楼上にこもり、浄土経を書写し、これを納めた事から中将門・閑籠門(かんろうもん)と呼ばれ、今でも山門にはその由緒にちなみ閑籠門の額が掲げられています。<br />当時の山門は応仁の乱 (1467〜)で焼け落ちて楼上に安置されていた阿弥陀如来像は一部分が溶けて無事であったことから、後世火防(ひぶせ)の阿弥陀様として久しく信をあつめ、現在も秘仏とされています。 <br /> <br />

    のち天平宝字7年(764)に時の住職實雅は千手観音の霊告により奈良の當麻寺で豊成卿の息女・中将姫(ちゅうじょうひめ)に戒を授け、神護景雲3年(769)姫は伊勢太神宮参拝のおり、 父・豊成卿の旧跡であることを慕い千手観音寺に参拝し、この時観音の告げを受け、山門楼上にこもり、浄土経を書写し、これを納めた事から中将門・閑籠門(かんろうもん)と呼ばれ、今でも山門にはその由緒にちなみ閑籠門の額が掲げられています。
    当時の山門は応仁の乱 (1467〜)で焼け落ちて楼上に安置されていた阿弥陀如来像は一部分が溶けて無事であったことから、後世火防(ひぶせ)の阿弥陀様として久しく信をあつめ、現在も秘仏とされています。

  • その後千手観音寺は年久しくして盛衰を重ね、この地に荘園(富田荘)が成立したころ(1087〜)には千音寺と略称され、鎌倉の圓覺寺所蔵の富田荘図(1326頃)にその名がみえる。<br /><br /><br />その前後して、堀川関白兼道公六世の孫・本多三河守・政家の子、左近丞政春は無常転変の世をはかなみ、世上の栄利をきらっつて出家し一音と名乗っていたが、相模の国 ・国府津で教化されていた親鸞聖人のもとに赴き、弟子となって西光坊の法号を授かり、嘉禎元年(1235)聖人が諸国教化の途中、千音寺に立ち寄られた時も随伴し、この地が一音先祖の所領地であっつたことから暫らく逗留後、聖人の命により廃寺同然の千音寺を再興し、新たに西光坊と称して創建した。<br />その後宗派も天台宗から浄土真宗に転派しました。 以後法灯は星霜年移り第十世・教尊の時、文明年中(1469〜)蓮如聖人が当地において教化され再び隆盛したので教尊をもって中興の祖としています。<br />

    その後千手観音寺は年久しくして盛衰を重ね、この地に荘園(富田荘)が成立したころ(1087〜)には千音寺と略称され、鎌倉の圓覺寺所蔵の富田荘図(1326頃)にその名がみえる。


    その前後して、堀川関白兼道公六世の孫・本多三河守・政家の子、左近丞政春は無常転変の世をはかなみ、世上の栄利をきらっつて出家し一音と名乗っていたが、相模の国 ・国府津で教化されていた親鸞聖人のもとに赴き、弟子となって西光坊の法号を授かり、嘉禎元年(1235)聖人が諸国教化の途中、千音寺に立ち寄られた時も随伴し、この地が一音先祖の所領地であっつたことから暫らく逗留後、聖人の命により廃寺同然の千音寺を再興し、新たに西光坊と称して創建した。
    その後宗派も天台宗から浄土真宗に転派しました。 以後法灯は星霜年移り第十世・教尊の時、文明年中(1469〜)蓮如聖人が当地において教化され再び隆盛したので教尊をもって中興の祖としています。

  • なかなか立派なイブキです

    なかなか立派なイブキです

  • 行雲寺参拝終了

    行雲寺参拝終了

  • お向かいの日蓮宗園乗寺

    お向かいの日蓮宗園乗寺

  • 橘も井桁の中の家紋なのね

    橘も井桁の中の家紋なのね

  • 三十番神社とは?<br />私の今年の熱田神宮のおみくじは三十番で末吉でしたが・・・???

    三十番神社とは?
    私の今年の熱田神宮のおみくじは三十番で末吉でしたが・・・???

  • 熱田神宮土産の”おとそ羊羹”6個入り<br />中村区大秋町(有)五ツ橋製菓で製造されたお屠蘇入りのようかんです<br />お正月や祝いの日にお召し上がり下さい

    熱田神宮土産の”おとそ羊羹”6個入り
    中村区大秋町(有)五ツ橋製菓で製造されたお屠蘇入りのようかんです
    お正月や祝いの日にお召し上がり下さい

  • 父母の為の快気守りも買いました

    父母の為の快気守りも買いました

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