2012/12/15 - 2012/12/15
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2012年12月15日(土)、朝一番にサリーの着付けをお願いして、アグラ(Agra)のハイライト、タージ・マハル(Taj Mahal)とアグラ城(Agra Fort)の観光を満喫することができました。名所、旧跡を訪ねるだけではなく、素顔のインドに触れることができました。他の国と比べたり、何が良いとか、悪いとかを考えるのではなく、自分の目で見たありのままのインドをできるだけまっすぐに理解したいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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朝食前にマターグ・バーグ(Mehtab Bagh)に行きました。タージ・マハルからヤムナー川を渡った対岸にある庭園で、「黒いタージ・マハル」が建設される予定地であったと言われる場所です。
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駐車場からこの道を歩いてすぐでした。
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あいにくの曇り空でしたが、日の出にあわせて対岸からタージ・マハルを眺めることができました。
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朝日に輝くタージ・マハルは見られませんでしたが、朝焼けに霞むタージ・マハルも神秘的でした。
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ヤムナー川にかかるアグラ橋(Agra Bridge)。
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ジェイピー・パレス・ホテル(Jaypee Palace Hotel)の正門です。24時間体制でゲートや敷地内の警備をしていて、セキュリティは万全だと思いました。
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ジェイピー・パレス・ホテル(Jaypee Palace Hotel)のエントランスにはなぜか菊の花が植えられていました。
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ジェイピー・パレス・ホテル(Jaypee Palace Hotel)の朝食です。パン、カレー、お粥、何でもありました。
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ジェイピー・パレス・ホテル(Jaypee Palace Hotel)の敷地内には水しぶきをあげる噴水があちこちにありました。
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ホテルの廊下は回廊のようになっていて、自分の部屋に辿り着くのに、何度も迷いました。
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トラックの荷台で荷物を押さえながら乗るというスタイルが一般的でした。
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この美容サロンでサリーをお借りして、着付けをお願いしました。
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サリーの生地は、木綿、絹、その他いろいろですが、どれも幅1.1m、長さ5.25mの一枚の布地であることに変わりがなく、着る方法によってお洒落にもなれば、ダサイ感じにもなります。
まず、丈の短い半袖のブラウスを着て、次にペチコートを履いて、そのペチコートの紐をしっかり縛り、サリーをひと巻きした後、前でタックを10本取り、裾丈を床すれすれに合わせてタックをペチコートの紐に押し込みました。そして、残りの布を前から肩にかけて、肩のところで一つだけ安全ピンで布を止めてくれました。
これで街を歩くのは難しそうです。地面が汚いので、裾を引きずって汚さないよう、少し丈を短くしていただきました。 -
タージ・マハルのチケット売り場までは結構遠いですので、リキシャが営業しています。この日は27℃で汗ばまずに観光できましたが、夏は47℃ぐらいになるそうですから、炎天下を歩かずにタージ観光のエネルギーを温存したほうが良さそうです。
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リキシャに乗りました。私たちがかけているマリーゴールドのレイはジェイピー・パレス・ホテルで昨夜いただいたものです。リキシャの前もマリーゴールドのレイで飾られていました。インドではお祝い事があるとマリーゴールドの花で飾り立てるようです。
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タージ・マハル正門です。
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズのために22年の歳月を費やして建てた白大理石の世界で一番豪華な墓、タージ・マハルが目に飛びこんできました。入口は観光客でごった返していました。
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タージで外国人の方に「ネパール人?」と言われました。なかなかインド人には見えないと思いますが、ネパール人に見えたのならちょっと嬉しいです。ベトナムに行ったらアオザイを着て観光しなければ…という気になりました。
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正門からタージへと続く道をタージ・マハル側から見た風景です。
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タージ・マハルの入口です。イスラム教は唯一の神“アラー”以外の存在を認めないので、建物の装飾も人物像や動物の姿はありません。デザイン化されたアラビア文字と草花の模様に見とれました。
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『真珠の涙』とも呼ばれるタージは、インドで開花したイスラム建築の傑作ですが、高さ67mのドームが青空に映えて美しいものの、その完璧なシンメトリーにどこか違和感というか、もの寂しさを感じました。
愛妃ムムターズに寄り添うようにシャー・ジャハーンの棺も安置されたタージ・マハル。共に生きていくためではなく、愛妻の死に捧げるために建てられたお墓だからでしょうか。
タージが完成した2年後にはシャー・ジャハーンは病に倒れ、3ヶ月病床にある間に「皇帝死す」の噂が流れ、3人の王子のうち、3番目の王子アウラングゼーブが2人の兄を次々殺して王位につき、シャー・ジャハーンはアグラ城内に監禁される身となったそうです。 -
水に映り込む姿も美しいタージ・マハル。「デジカメを貸してごらん」とインド人の方に言われ、地面に近いところから写すように教えていただきました。
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タージをつまむようなポーズで写すのは難しいです。この写真はガイドのネギさんが写した素人の写真です。
実は、このブログにはUPしていないプロのカメラマンの方にポーズをつけて撮っていただいた写真(8枚800INR)があります。帰国前に受け取ってビックリ。良いカメラなので遠くのタージが近くに写っていて、園内の観光客たちが小さく背景に溶け込んでいるような構図になっていました。ポーズを取らされ次々に手早く写していきましたが、いずれもタージと被写体がバッチリで、ブロマイドのような仕上がりのものもあり、さすがはプロと思いました。
入場ゲート界隈で群がってくる自称カメラマンではなく、園内のプロのカメラマンに撮影をお願いすることを推奨します。 -
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タージ・マハルの入場料は以前は15ルピーと安かったが、2000年より外国人の料金は750INR(2012年12月のレートで約1,185円)に値上げされました。750INRのうち500INRはADAチケットといって、インド考古学局に支払う料金です。インド人の場合はADAの10INRと入場料10INRをあわせた20INR(約32円)で、低額に据え置かれています。
当然、入場ゲートも外国人用とインド人用は分かれていて、沢山のインド人の方々が並んでいました。 -
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タージ・マハールの入場ゲートの外には大勢の自称カメラマンが営業していました。
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アグラ城(Agra Fort)が見えてきました。
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飾りのついた白馬の馬車が停車していました。
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ヤムナー川岸にそびえるアグラ城(Agra Fort)は、周囲2.5?に及ぶ広大な城塞です。
デリーからアーグラへの遷都に伴い、ムガル帝国第3代皇帝アクバル帝によって1565年に着工され、1573年に完成し、その後第4代ジャハーンギール、第5代シャー・ジャハーンまで3代の居城となりました。現存しているのは、第4代ジャハーンギール、第5代シャー・ジャハーン、第6代アウラングゼーブによって建てられたものです。
赤砂岩でできた重厚な城壁で囲まれ、「赤い城」と呼ばれています。赤色は帝国の力強さの象徴であり、この城は300年余に渡ってインドで繁栄を誇ったムガル帝国の権力の象徴です。
タージ・マハルとは違った迫力がありました。 -
アグラー城の門は南と西にあるが現在入場は南門からのみとなっており、南のアマル・スィン門をくぐると100mほどの坂道が続きました。
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坂を登りきったところにシャハンギール宮殿がありました。第3代皇帝アクバルが息子の第4代皇帝シャハンギールのために建てた宮殿です。シャハンギール宮殿の前の庭園も、タージマハルで見たような「四分庭園」でした。
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庭園の中央には大きな石の浴槽がありました。これは、「ハウズィ・シャハンギール」と言われ、シャハンギールの妻がバラの花びらを浮かべて利用されたとも言われています。
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内壁や外壁の窪みには、かつては宝石や金で装飾がなされていたそうですが、盗掘にあったため、現在では窪んだままになっています。
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国籍はわかりませんが、アジア系の赤ちゃんを抱いた女性に一緒に写真を撮りたいと頼まれて、記念撮影しました。少し逆光なのが残念ですが…。
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タージ・マハルを建設したシャー・ジャハーンは、皇帝の座を狙った三男により、晩年は城内のこの部屋に幽閉されました。皇帝は死ぬまでの8年間、出ることを許されず、この部屋から見ていたのが、ヤムナー川の向こうにあるタージ・マハル、愛妃の白亜の霊廟だったとのことです。栄華を誇った皇帝は、亡き妃への想いだけを慰めにしながらここで息を引きとったそうです。
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アグラ城内にあるジャハンギール宮殿の北側に、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)があります。一番向こうに突きだしている八角形の塔です。
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白大理石でできたムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)。内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石を使った立派な造りです。
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赤砂岩の外壁に囲まれた白亜の礼拝堂、モーティ・マスジット(Moti Masjid)は『真珠のモスク』で、信仰心の篤かったアウラングゼーブ帝が、礼拝ごとにジャマー・マスジットまで出かける手間を省くために造った皇帝専用のモスクだそうです。ただし見学はできません。
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一般市民との謁見の間「ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)」はシャー・ジャハン帝が造ったものです。
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一般市民との謁見の間「ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)」の正面奥には皇帝の玉座があり、壁面には色とりどりの宝石がはめ込まれていたそうです。
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昼食はこのお店でいただきました。
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インド風の中華料理をいただきました。機内からカレーづくしが始まり、連日朝、昼、晩とカレーばかり食べてきたので、久しぶりの中華料理にほっとしました。
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アグラの街には猿があちこちでたむろしていました。猿はインド神話に登場するハヌマーン(猿神)が信仰されていることもあり、ノラ猿ということではなく、人々に大切にされて餌ももらえるので、優雅に暮らしていると言えます。
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猿に比べると、雄の牛の暮らしは悲惨な感じがしました。乳を出す牝牛と違って、仕事を失った『ノラ牛』として街のあちこちのお邪魔な存在に映りました。実際、宗教的な意味での“聖牛観”は崩壊しつつあるようで、人々に邪険にされているようです。ただでさえ人間が多い国で、その間を縫って動物が生活しているので、本当に大変です。
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街中で寝転んでいる人、昼寝をしている人をしばしば見かけました。なぜ、日陰で休まないのかが疑問です。酔っ払って寝込んでいる人が多いらしいです。行き倒れではないかと心配になってしまうような方もいました。
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途中、列車を見かけました。
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デリーへ向かう途中、突然マンション建設現場がありました。周りに何もないところにマンションが建てられているのを何度も見ました。
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街中の牛は食べているものも悪く、糞が崩れていたので、綺麗な牛糞を見たいとお願いして、車を停めていただきました。
牛糞に泥を混ぜ合わせて練って、適当な大きさの円形の団子を作り、陽に当てて干し、乾いたら牛糞燃料の出来上がりです。ザルに入れて売り歩いている少年も見かけました。 -
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土産物店でトイレ休憩をしました。ここで、ふくろうが4つ繋がったトーテムポールのような木彫りの置物を買うことができました。
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土産物店の入口で踊っていた子どもたちです。
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バイクの3人乗り。4人乗りも頻繁に見かけました。いずれも女性は跨げないので、最後尾に横乗りしていました。
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最後の最後で追突事故。“ボコン”と鈍い音がしたので、車を止めました。私たちの乗っているTOYOTA Galaxyにバイクが突っ込んだようで、バンパーが壊れていました。
私たちの運転手のラーンさんが降りて交渉するも、100INR(158円)札1枚を出して、「これで・・・」と悪びれた様子もなく言ったバイクの男性。工場で働いているそうで、「貧しからこれ以上払えない」と開き直ったそうです。貧しいほうが開き直るのが当たり前らしく、わざとぶつかって怪我をして多額の金を要求する人間もいるそうです。
運転手の方だって金持ちではありません(貧しいかもしれません)。会社の車で、事故に遭えば、不注意と上司から小言を言われるだけでは済まないはず。『私も貧しい。これは会社の車だ。連絡先を教えるとか、誠意を見せてください。』とでも言って、がんばってほしいと言いましたが、空港へ急がねばならない私たちのことも考えていただいたのか、10分程度話をしただけで、結局100INRすら受け取らずに加害者と別れてしまいました。
インドでは警察を通せば、警察にお金(ワイロ)を渡さなければ問題は解決せず、時間とお金ばかりかかるそうで、こうして我慢できるほうが我慢して泣き寝入りするというのが普通らしいです。 -
デリーのコンノート・プレイスから約6kmに位置する“Delhi Haat”にあるレストランで夕食をいただきました。このあたりの土産物店はぼったくりで有名だそうですが、入場料が必要なので、物乞いに遭うこともなく、車を駐車しておいても心配が少ないのではないでしょうか。何事もメリットとデメリットが隣り合わせですから、何を重視するかでお店なども選択していくと楽しめると思います。
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最後の最後までカレーづくしでした。ここでタンドリーチキンもいただきました。
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車が停まるとやってくる子ども。どこで見ているのか、外国人観光客が乗車する車をめがけて走ってきます。子どもたちは額に手を当てたりしながら、小さい手を差し出して、バクシーシ(施し)を求めてきます。
親が乞食の場合、それを職業と考えているので、それ以上の暮らしをしようとはせず、乞食でお金を得ても子どもを学校にも行かせず、その職業(乞食)を押しつけてしまうそうです。 -
デリーのインディラ・ガンディー国際空港のターミナル3に到着しました。ここで、ガイドさん、運転手さんとお別れしました。
ビザ取得や旅行日数(5日)という制約から、珍しく自由旅行ではなく、ツアーでの旅行を選択しましたが、私たち2人とガイドのガネス・ネギさん、運転手のラーンさんの4人で各地を周り、終始きめ細やかなサポートをしていただいて、とても快適な旅でした。 -
インディラ・ガンディー国際空港です。空港内の免税店ではUSドルしか使えず、手持ちのINR(インドルピー)を空港に着くまでに使っておいて良かったと思いました。
INR(インドルピー)が使えるのは、飲み物や日用品など免税品以外を扱っているお店だけでした。 -
インディラ・ガンディー国際空港を23時15分に飛び立ったAI 314 (Boeing 777-300ER)の機内では、香港に向かう4時間45分のフライトで夕食が出ました。夕食を食べていたので、ベジ(野菜)を選択したものの、ほとんど食べられませんでした。
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現地時間で朝6時35分に香港に到着し、多くの乗客が降りたので、満席だった機内がガラガラになりました。
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現地時間の7時45分に香港を離陸し、日本までの3時間20分のフライトで朝食が出されました。
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12月16日(日)11時45分に関西空港に着陸しました。
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