2009/04/25 - 2009/05/10
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dra66さん
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モスクワ→北京のシベリア鉄道走破で体験した感動と北京でパスポート紛失のハプニングありの忘れられない思い出の旅行記です。
ユナイテッド航空のマイレージを利用して、ドイツのベルリン、ドレスデンに行きました。
親の仕事の関係で、'86〜'89まで旧東ドイツのベルリンにシュタージの監視下で住んでいました。アメリカ、ヨーロッパ、日本の西側諸国の経済衰退で、当時の社会主義の環境で4年間生活したベルリンとドレスデンが懐かしくなり、'09に20年ぶりに訪れました。べルリンの旧友とも再会し、ドレスデンで夜中飲みながら談義してました。旧友は「社会主義の方が生活が安定していた」と言ってました。
東ドイツの中学校で当時は必須だったロシア語を習ったことから、簡単なロシア語は知ってることもあり、ドイツからの帰国時に東ヨーロッパとシベリア鉄道でベルリン→北京を考えてましたが、東ヨーロッパ横断は次回の旅の楽しみにして、モスクワ→北京のみ6泊7日かけてユーラシアを横断しました。さまざまな人々との出会いがあり、飽きることはありませんでした。毎日顔をあわせたイケメン中国人車掌は最初無愛想だったんですが、終着駅北京では愛想がすっかり良くなりました。
北京に到着して気の緩みがあり、天安門でパスポートを紛失してしまい、帰国を5日間遅らせるハプニングがありました。
シベリア鉄道6泊7日を事故、故障、遅延、車内トラブルなく、安全で快適に過ごせたロシア、モンゴル、中国の機関士、機関車、中国人車掌に対し日本人として「ありがとう」、ロシア人、モンゴル人たちに「スパシーバ」、中国人たちに「謝謝」の気持ちだけです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 中国国際航空 ルフトハンザドイツ航空 スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ロシアビザ。ロシア入国にはビザが必要です。
'86〜'89まで旧東ドイツのベルリンに住んでいたので、ベルリンでビザをゲットしようと思いましたが、現在の旧東ドイツはかつてのソビエト連邦同盟国ではなくなり、結局日本でゲットしました。
日本のロシア大使館でのビザは申請から2週間以上の余裕を持って受け取れば、ロシアビザは無料です。ただし、ロシア旅行は基本的に旅行会社発行のバウチャー旅行となるため、実質は5,000円〜1万円程度の出費は発生します。
リトアニア、ポーランドではバウチャー旅行でない自由な旅行ができる業務ビザが取得できるようです。 -
モンゴルトランジットビザ
シベリア鉄道でモンゴルを通過するときに必要です。
東京のモンゴル大使館でゲット、費用は4,000円です。 -
中国ビザを申請するなんて思ってもいませんでした。
北京でパスポートを紛失しました。 -
ユナイテッド航空のマイレージを利用して、ミュンヘン行きルフトハンザ航空を利用。A340型機でした。
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ルフトハンザ航空のボーディングパス
成田→ミュンヘン
ミュンヘン→ドレスデン -
最初の機内食
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到着前の機内食
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もうすぐミュンヘンに到着。成田から10時間ちょっと。
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ミュンヘン国際空港
初めて西ヨーロッパの地に来てしまいました。トランジットだけです。 -
ミュンヘンからドレスデンへ。ATR機でした。
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ドレスデンの広場でドイツビールとシャンパンでいい気分です。
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20年ぶりの懐かしいドレスデンの風景をバックに記念撮影。
ドレスデンは'86〜'89まで旧東ドイツのベルリンに住んでいた当時の面影が数多く残っていて、懐かしくなりました。お店とホテルはずいぶん増えた印象でした。 -
親の仕事の関係で、'86〜'89まで旧東ドイツのベルリンに住んでいました。日本人学校は無く、東ドイツの小学校1年間と中学校3年間を過ごし、社会主義イデオロギー教育を受けていました。「東ヨーロッパは皆平等、西側のヨーロッパは私利、私欲、腐敗、浮浪者の自己中心の集合国家」のような内容です。当時西ドイツのラジオを聴くこはできたため、、マドンナやオリビア・ニュートンジョンのいい歌が流れていたことが思い出です。日本の歌では、小林明子の名曲「恋におちて」が流れたこともあり、聞いた時は「なんていい歌」と思いました。
ブランデンブルク門は旧東ドイツと旧西ドイツを分断した門です。当時はこの門から延々とベルリンの壁がありました。'89にハンガリーやチェコスロバキア、東ドイツで民主化運動が勃発し、事態の収拾のためにソビエトのゴルバチョフ書記長(東ドイツではゴルビー)がベルリンに来ました。シュタージの監視下で「ゴルビー、ゴルビー、ハラショー」と連呼したことを鮮明に覚えています。東ドイツのホーネッカ第1書記は失脚だったか逃亡だったか覚えていませんが、ゴルビーでも民主化運動を阻止できず、記憶ではクレンツ第1書記がこの門の開放を決定しました。大多数の東ドイツ市民が西ドイツに押し寄せて収拾がつかなくなり、冷戦が終結しました。その後、ソビエト連邦が崩壊し、東ドイツではホーネッカ第1書記よりも英雄だったゴルビーも失脚しました。
アメリカ、ヨーロッパ、日本の西側諸国の経済衰退で、当時の社会主義の環境で4年間生活したベルリンが懐かしくなり、'09に20年ぶりに訪れました。東ドイツでの生活とシュタージの監視、尾行を経験した当時と比べると驚愕の連続でした。端的に言うと店の数、市民の服装、食べ物、車のすべてにおいて、東の発展がすごいの一言でした。ただし、平等ではなくなり、巨万の富が増えたいっぽう、ホームレスは多くなっています。
冷戦終結から20年以上経過して、社会主義が正論なのか民主主義が正論なのか、はっきりわかりませんが、当時受けた社会主義教育は正論もあると感じています。 -
ベルリン大聖堂
ベルリン大聖堂の前の一面の芝生は東ドイツ(東ベルリン)市民の憩いの場でした。シュタージの監視が厳しく大聖堂の中には入ったことがありませんでした。今回初めて入ってパイプオルガンや大理石いっぱいの豪華な設備にびっくりしました。 -
ベルリンからモスクワまではスカンジナビア航空を利用
ストックホルムまではブリティッシュエアロスペース機でした。この飛行機は怖かったです。当時あった旧東ドイツのインターフルク航空で経験したイリューシン以来、生きた心地がしませんでした。 -
ベルリンからモスクワまではスカンジナビア航空を利用
ストックホルムからはMD81型機でした。 -
スカンジナビアのボーディングパス
ベルリン→ストックホルム→モスクワ -
モスクワ上空
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モスクワ市内、空港から最寄りのメトロ駅まで市バスを利用
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エアポートバス
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リニューアルされたモスクワメトロの車両
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スターリン時代からあるレトロなメトロ車両
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宿泊先のイズマイロボホテル。モスクワオリンピックの選手村でした。ロシアのホテルに宿泊するときはレギスレーション登録(滞在登録)をやらないと、あとあとポリスの検問で厄介なことになります。
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宿泊した部屋。ソビエトを感じさせるレトロな雰囲気です。ルームキーは最新式のキーカードで、各フロアにルームキーを管理してるオバサンはいません。
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部屋からの眺望
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ホテルの朝食ビュッフェ。味は結構いけます。
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モスクワメトロの駅。中ではポリスが鋭い眼光で人々を監視してます。明らかにロシア人に見えない人はパスポートとレギスレーションチェックのターゲットになりやすく、不備があれば拘束されます。黄色肌で黒髪の小生もターゲットとなり、ロシア語で対応したため、ポリスも「こいつからは金が取れん」というような表情で驚いていました。普段は賄賂を払わないと解放されません。
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リニューアル車両のモスクワメトロ
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天気が良かったので、赤の広場(クラースナヤ・プローシャチ)を散策。聖ワシリー寺院にて
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モスクワメトロの駅。彫刻が施されており見ものです。
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レトロなモスクワメトロ
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モスクワメトロのエスカレータです。
1989年の冷戦時代までは核攻撃された時のシェルターを兼ねていたため、異常に長く速いです。日本の感覚で乗ると危険です。 -
シベリア鉄道の始発駅、モスクワ・ヤロスラブリ駅
モスクワからシベリア、モンゴル、中国、極東ウラジオストク方面のターミナル駅です。 -
左上のNo.4列車が北京行き、No.2がウラジオストク行きロシア号です。出発時間差は10分です。この先いろいろな駅でロシア号と遭遇することになります。
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シベリア鉄道のチケット
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こちらはウラジオストク行きNo.2列車のロシア号の入線。北京行きNo.4列車より10分早発で、この先イルクーツク手前まで各駅で遭遇します。
北京行きNo.4列車はまだ入線してません。 -
北京行きNo.4列車が入線しました。
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中国製車両です。モスクワ→ウランバートル→北京の行き先表示板と天安門の紋章の前で記念撮影。5月というのに夜9時で相当寒いです。日本の2月末くらいの感覚でした。
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シベリア鉄道二等寝台、いよいよ6泊7日かけ北京へ。窓の先はウラジオストク行きのNo.2列車ロシア号。
喫煙者にはうれしく、コンパートメント内と食堂車はいつでもたばこOKです。ロシア、この先のモンゴル、中国は喫煙者には寛容な国です。 -
石炭で沸かしてる各車両にあるサモワール(給湯器)カップラーメン、コーヒー、味噌汁、スープやトイレでの洗髪に重宝します。
実際に食べたロシア料理とモンゴル料理は不味いので、お湯を注いで食べられる食料とミネラルウオーターと洗髪のための桶を準備しておくことをお奨めします。 -
シベリア鉄道の石炭ヒーター
-40℃以下にもなる酷寒のシベリアでは石炭ヒーターでないと、停電などのトラブル発生時は命にかかわってきます。
5月上旬のモスクワは日本(東海地方静岡県)の真冬と同レベルでしたので、車内も石炭で暖房してます。 -
1日目夜
モスクワ出発後、最初の停車ウラジミール駅。北京行きNo.4列車と10分早発のウラジオストク行きNo.2列車ロシア号。まっくらな光景がシベリアを連想させます。 -
最初の停車駅でもう台車の打音検査。この先中国国境まで約7,000キロ走行するので、各停車駅で入念な打音検査があります。
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二等寝台四人コンパートメントを途中のイルクーツクまで独り占めできたので、快適でした。
旧ソビエト連邦諸国を走る鉄道の線路規格は広い広軌を採用しているため、客車の幅がありますので、コンパートメントも広くゆとりがあります。身長170センチの小生でも頭の先に手を伸ばせる程度のゆとりでした。狭い狭軌を採用している日本のブルートレインや新幹線を除く特急の「狭い」という圧迫感がありません。 -
2日目朝
モスクワ出発後、最初の朝の停車キーロフ駅、5月というのに気温は0℃です。 -
コンパートメントの通路。スウェーデンとアメリカからの乗客です。あとはロシアへ出稼ぎのモンゴル人が多かったです。
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イチオシ
2日目昼
またまたロシア号との遭遇。西シベリアの駅。 -
イチオシ
機関車交換
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長時間の停車。乗客、車掌とも外でラックス。写真に写ってるアメリカから来た乗客は半そで&短パンですが、日本の真冬並みの寒さです。とても半そで&短パンでは過ごせません。しかし、車内は石炭によるヒーターが十分効いており、ぬくぬくです。
このアメリカ人はフォト好き&陽気で仲良くなりました。 -
イチオシ
北京へ向けGO!
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ロシアの大河
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ロシアの大河、ヴォルガ河
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シベリアらしい雰囲気の都市
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2日目夕方
再びロシア号と遭遇、西シベリアの駅で。 -
No.4列車、モスクワ→ウランバートル→北京(ロシア語:ペキン)
上からロシア語、中国語、モンゴル語
ロシア語とモンゴル語はほぼ同じです。 -
No.2列車ロシア号
モスクワ→ウラジオストク(ロシア語:ウラジボストーク) -
北京へ向け再びGO!
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西シベリアの夕日
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2日目夜
エカテリンブルクに到着 -
3日目午前
オムスク駅に到着 -
駅の露店販売、炭酸入りミネラルウオーター、ヒロシキほかさまざまなものを売ります。
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シベリアの真ん中付近の駅
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各駅で商売する露店の人々
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駅のおばちゃんから買ったたべもの。不気味な魚とヒロシキと黒パン
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3日目午後
5月というのに雪が降ってます。まさに酷寒のシベリアです。 -
3日目夜
No.4列車北京行きに連結されているロシアの食堂車、客は入ってません。従業員は暇を持て余してます。 -
3日目夜
食堂車で食べたロシア料理のボルシチ。味はビミョー。お客さんがいない理由がわかりました。これっきりロシアの食堂車には行きませんでした。 -
3日目夜遅く
ノボシビルスク駅に到着。 -
4日目朝
クラスノヤルスクに到着 -
クラスノヤルスク駅に展示してあるSL
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酷寒のシベリアで、半そで短パンで過ごしていた陽気なアメリカ人乗客の一等寝台コンパートメントにお邪魔しました。
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エニセイ河の鉄橋
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機関車交換。直流→交流
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駅のおばちゃんから買ったたべもの。チキンとヒロシキ。
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機関車交換完了。北京へ向けGO!
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毎日、100両以上ありそうな貨物列車と幾度とすれ違います。シベリア鉄道はユーラシア大陸の物流大動脈です。
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10分経たないうちにまたまた大編成の貨物列車とすれ違いです。タイミングを見計らないと写真撮影も大変です。
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イチオシ
日本の新幹線よりも広い広軌線路。
JR東海、西日本の「のぞみ」はより狭い線路幅で300キロで走ってますので、日本の鉄道技術も凄いと感じます。
ロシアが広軌の線路規格で新幹線を導入したら、300キロ以上は楽に出そうな感じがします。 -
こんな風景が1日中続きます。
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5日目早朝
イルクーツクに到着。バイカル湖のゲートウエイ都市。 -
白樺から朝日
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5日目早朝
早朝の朝日を浴びる北京行きNo.4列車、イルクーツク駅にて。 -
イルクーツクを出発後、バイカル湖が見えてきました。
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イルクーツク出発後、シベリア鉄道で唯一のトンネルを通過
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トンネルを出たら朝日のバイカル湖でした。
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朝日のバイカル湖
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5月なのにまだ氷一面のバイカル湖
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5月なのにまだ氷一面のバイカル湖
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5月なのにまだ氷一面のバイカル湖
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イチオシ
氷一面のバイカル湖と雪山
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氷一面のバイカル湖と山々
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バイカル湖の山々
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シベリアの古い家
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5日目午後
ウランウデ駅に到着。この駅でモンゴル/北京方面とウラジオストク方面が分岐します。モンゴル方面は電化されていない区間となるため、電気機関車からディーゼル機関車に交換。 -
ウランウデ駅のクマ
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ディーゼル機関車に交換
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モンゴル、北京へGO!
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モンゴル国境近くの風景
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5日目午後
氷一面の湖、外は見るからに酷寒のようです。ロシアともいよいよお別れです。 -
ロシア、モンゴルの国境駅
ロシアの出国イミグレーション、税関検査、麻薬犬によるボディーチェックがあり、3時間近く停車。ロシアのイミグレーションの女性はスレンダーなメガネ美人でした。
この先、かなり長い緩衝地帯があり、モンゴルの最初の駅まで30分以上かかります。各車両にライフル銃を持ったロシア軍人が乗り込んで、不法侵入者をこまめにチェックしていました。モンゴル人のロシア不法入国者が多いようです。 -
6日目朝
5日目深夜にロシア、モンゴル国境を通過,6日目朝早くモンゴルの首都ウランバートルに到着。ロシアに出稼ぎのモンゴル人と白人の旅行者がかなり下車しました。また、中国へ出稼ぎに行くモンゴル人や中国へ行く新たな観光客が乗車してきました。深夜のロシア、モンゴルイミグレーションにたたき起こされたため、ほとんど寝られませんでした。 -
ウランバートル駅にいるモンゴル人
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ウランバートル駅前の光景
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ウランバートル駅で車両の大掃除とクリーニングです。モスクワから約6,000キロ走破してきました。
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ウランバートル市内。都会の中にゲルがポツンとあります。いかにもモンゴルって感じです。
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ウランバートル市街
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北京行きNo.4列車をけん引するモンゴルのディーゼル機関車。
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イチオシ
6日目午前
ウランバートルを出発。モンゴルの砂漠を北京へ向けてGO! -
モンゴルのド派手な食堂車。モスクワ−北京間で食堂車だけは国境で交換されます。
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6日目昼
内装もド派手なモンゴルの食堂車。 -
仲良くなったロシア人とモンゴル人。北京まで一緒でした。
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6日目昼
食堂車で注文した無難に見えたチキン料理。正直生臭くて口にあいません。一口食べて止めました。悲しそうな顔して片づけたウエイトレスには申し訳ないんですが。。 -
モンゴルの料理は生臭く、どれも不味そうなのでチンギスビールを追加注文しました。
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6日目午後
ゴビ砂漠を北京に向け快走中。 -
イチオシ
6日目午後
途中で砂嵐に遭遇 -
モンゴルの地方都市、ポツンとあるゲル。
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6日目夕方
モンゴルと中国の国境駅に到着。夕日がきれいです。モンゴルの出国イミグレーションで約2時間停車しました。 -
6日目深夜
すっかり暗くなって中国側の二連浩特駅に到着。この駅は中国と旧ソビエト連邦の国境で、線路規格が広軌→標準機(日本の新幹線と同等)と異なるため、台車交換があります。中国入国イミグレーション、台車交換、機関車交換があり、停車時間が3時間あります。1時間程度散策でき、駅の外の売店で食糧と日用品を購入できます。この辺まで南下してくると、酷寒のロシア、モンゴルとは違い春らしい陽気となっていました。
イルクーツクから同じコンパートメントに乗ってきた中国人ビジネスマンから聞いたんですが、20数年前の冷戦時代に本物のオリエント急行がロンドンからこの二連浩特駅で台車交換を施して香港まで走破したそうです。 -
イチオシ
いよいよ広軌→標準機の台車交換です。
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イチオシ
一両、一両すべて切り離して台車交換中。大変な作業です。
このような光景は国境を接しない小国の島、日本では見ることができませんので、見る価値はあります。写真撮影は問題なし。かなりの旅行者が写真撮影に夢中でした。
普通に考えれば、国境で列車を乗り換えた方が時間的にも速く、効率的だと思うんですが、このように大国ロシアと大国中国の威信をかけて、台車交換してまで国境を走破させることに感動しました。 -
イチオシ
一両、一両切り離された車両。
このような台車交換は旧ソビエト連邦の国々の国境を通過する駅で見ることができます。
台車交換が見れる旧ソビエト連邦国境を通過する鉄道
モンゴル−中国(シベリア鉄道、モスクワ−北京、5泊6日)
ロシアー中国(シベリア鉄道、モスクワ−北京/ピョンヤン、6泊7日)
カザフスタン-中国(ウルムチ−アルマトイ、1泊2日)
ベラルース−ポーランド(モスクワ−プラハ/ワルシャワ/ベルリン/ブダペスト/ウイーン、1泊2日〜2泊3日、ベルリンにてトランジットで、パリ/ローマまで2泊3日、マドリードまで3泊4日)
ウクライナ−ルーマニア(モスクワ−ブカレスト/ソフィア、2泊3日、ベオグラード3泊4日)
ウクライナ−ポーランド(キエフ−ワルシャワ、1泊2日)
リトアニア−ポーランド(ヴィリニュス−ワルシャワ、1日または1泊2日) -
台車交換のため大型ジャッキで客車をアップ。
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広軌→標準機の台車交換中。
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広軌→標準機台車交換後、ジャッキで客車をダウン。
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最後に中国のディーゼル機関車を連結。いよいよ北京へ向けラストランです。
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中国の食堂車を連結。いよいよ北京へ向けラストラン。
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二連浩特駅で購入した中国のカップめんとフルーツ
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7日目朝
中国の食堂車。中国の食堂車は朝食が無料で提供されます。 -
中国食堂車の無料朝食券
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7日目朝
中国の食堂車の朝食。シベリア鉄道では不味いロシア料理と生臭いモンゴル料理に舌が汚染されたこともあり、お米のご飯と温々ぬくぬくの中華料理がすごく美味しかったです。ご飯は3回おかわりしました。 -
7日目昼
万里の長城付近、いよいよ終着駅北京です。 -
シベリア鉄道のトイレ。トイレットペーパーはありませんので、事前に調達が必要です。小生は乗車前に宿泊したホテルで2個ゲットしました。
垂れ流し式で、シャワーがないため、ここで洗髪します。 -
イルクーツクから一緒だった中国人ビジネスマン(左)とウランバートルから乗ってきたモンゴル人(右)と最後に記念撮影。
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7日目午後
終着駅北京で7日間一緒だった車掌と記念撮影。
この車掌さんとは7日間毎日何回も顔をあわせました。4日目くらいまでは無愛想でしたが、5日目のイルクーツクあたりから会話が始まりました。
イケメンでクールなナイスガイです。 -
終着の北京駅
時刻通り終着駅北京までけん引してきてくれた中国の電気機関車。7日間乗り通して事故、故障、遅延、車内トラブルはありませんでした。すごいことだと思います。本当にご苦労様でした。
6泊7日を事故、遅延、車内トラブルなく、安全で快適に過ごせたロシア、モンゴル、中国の機関士、機関車、中国人車掌に対し日本人から「ありがとう」、ロシア人、モンゴル人たちに「スパシーバ」、中国人たちに「謝謝」の気持ちだけです。 -
終着駅北京駅。何とも言えない感動。酷寒だったロシア、モンゴルと違い、北京は初夏の陽気です。
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北京到着の夜、シベリア鉄道を走破して安心してしまい、飲み歩いて気が緩んでパスポートを紛失。このあと、5日間北京に滞在することに。。
-
帰国のための渡航書。こんなもん申請するのは情けないことです。
申請までの流れは以下の通りでした。
1.中国公安局に出頭
紛失届を発行してもらう。(丸半日〜1日)
盗難届となると事件扱いとなり厄介。日本大使館からのアドバイス
2.日本大使館に出頭
中国公安で発行してもらった紛失届と身分証明書、パスポートサイズの写真を持参して、帰国のための渡航書または新規にパスポートを申請する。(丸1日)
身分証明証:パスポートのコピーまたは戸籍謄本あるいは免許証
3.中国ビザ局に出頭
帰国のための渡航書または新規に申請したパスポートを持って、帰国のための中国ビザを申請(丸2日〜3日程度)
ビザ審査官次第ですが、800元〜1,000元の賄賂を払えば特急でビザを発行してくれます。 -
ユナイテッド航空のマイレージ特典で中国国際航空の成田行きに搭乗。快晴の北京キャピタルエアポートでタラップによる搭乗です。B757型機でした。
マイレージ特典旅行は往路の航空券を使用後は日程変更ができないですが、北京のユナイテッド航空のオフィスにパスポートを紛失したことをアピールしました。おかげで、特別措置として変更してくれました。 -
中国国際航空ののボーディングパス
北京→成田 -
成田行きの機内食。中国国際航空はなかなか美味しい温々の機内食を出します。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 一歩人さん 2013/01/04 04:52:13
- ふ、ふ、ユーラシア大陸の大横断ですよね。
- dra66さんへ
ふ、ふ、ロシアの大河が出っぱなしで、驚きました。
ふ、ふ、その昔、会社の社長が、抑留されていた話を思いだしました。
黒パンが当時、とてもおいしくて、後に旅行先で食べてみたが、おいしくなかったと複雑な表情で話していたことを思い出しました。
ふ、ふ、北京へ行ったとき、空港で、大量の酒を買い込んだ段ボールを持ったロシア観光客が空港のロビーを占領していたことも思い出しました。
ふ、ふ、先輩がロシア出張でおみやげに買ってきたウオッカをみんなで飲みました。酒ビンが凍っていて、不思議な印象を思い出しました。
そうまとうのように行き過ぎる思い出を感じながら拝見しました。とさ。
ありがとうございました。
失礼しま〜す♪
- dra66さん からの返信 2013/01/10 23:47:32
- RE: ふ、ふ、ユーラシア大陸の大横断ですよね。
- ありがとうございます。
近日中にロシア→東ヨーロッパ横断も旅行記をアップさせる予定です。
ぜひご覧いただければと存じます。
> dra66さんへ
> ふ、ふ、ロシアの大河が出っぱなしで、驚きました。
> ふ、ふ、その昔、会社の社長が、抑留されていた話を思いだしました。
> 黒パンが当時、とてもおいしくて、後に旅行先で食べてみたが、おいしくなかったと複雑な表情で話していたことを思い出しました。
> ふ、ふ、北京へ行ったとき、空港で、大量の酒を買い込んだ段ボールを持ったロシア観光客が空港のロビーを占領していたことも思い出しました。
> ふ、ふ、先輩がロシア出張でおみやげに買ってきたウオッカをみんなで飲みました。酒ビンが凍っていて、不思議な印象を思い出しました。
>
> そうまとうのように行き過ぎる思い出を感じながら拝見しました。とさ。
>
> ありがとうございました。
> 失礼しま〜す♪
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