2011/09/24 - 2011/09/24
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Miyatanさん
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岩手県陸前高田、一日だけのボランティア。
一日だけのボランティア、ということで岩手県・陸前高田へ向けて、23日の夜にバスは出発。本格的に探し始めたのが約一週間前、いわゆる大手の旅行会社主催の東北復興ボランティアツアーはそのほとんどが満席で、ようやく色々検索して見つけた、茨城県にある小さい会社(小美玉市の中古車販売)主催のボランティアツアーに申し込んで参加。往復車中泊のバス、朝食、昼食、飲料、温泉付きで、4000円なので、かなり安いと思う。結構リピーターもいるみたい。
早朝、東北道一関インターに到着。ここでビックリしたのは、被災車両並びに復興支援車両は料金所は一般レーンだけど、そのレーンが大渋滞。三陸海岸の宮城県北部〜岩手県南部辺りは、一関インターが最寄りのインターになるんだけど、混んでいてビックリ。
いわゆる東北新幹線沿いは被害が少なかった、とは聞いていたものの、一関インターの近くには、明らかに地震の影響でつぶれたと思われる建物が数件。元々建物自体が老朽化しているようにも見えたが。
そこから陸前高田までが遠い、一時間以上。気仙沼の市街地に入る手前くらいから、三陸を縦断する国道45号線のバイパスに入る。
やがて見えてきた陸前高田の市街地、もはや言葉を失う。「廃墟」というよりは、もはや「遺跡」という言葉が似合うくらいの壊滅的状況。三階建て以上の建物は残っているとはいえ、津波の力でガラスは割れ、建物内部は壊滅的で、とても人が住める、仕事ができる状況ではない。車は普通に通っているが、おそらく夜になると闇に閉ざされるのだと思う。人口わずか二万人くらいの小都市だけど、中心街はそこに本当に街があったの、というくらいに辺り一面更地か、瓦礫の山。震災から半年も経っているというのに。そんな中、マスコミでも散々報道された、高田松原の「奇跡の一本松」が印象的。沢山あった松原の松の木も津波で流され、奇跡的に一本だけ生き残っていた松。緑色に塗られているのは、この高さまで津波が来たのだという記録、だと思う。
一旦、陸前高田ボランティアセンターに集まって、オリエンテーション。前で説明をし70近いおじさん、今回の津波で実の姉を亡くしたらしい。前回のボランティアで活動したのが、そのお姉さんが亡くなった場所で、これで天国の姉も喜んでくれています、ということをおっしゃっていた。明るく振る舞ってはいたが、きっと心の奥は悲しみで一杯だったんだと思う。
今回は、陸前高田の「小友地区」での清掃作業。小友地区は、広田半島の付け根に位置していて、津波が左右から来てかなりの被害を受けた地区である。とはいっても、津浪が届かなかった高台は、割と普通の田舎という感じで、何事もなかったかの如くの平穏な地区である。
今回はボランティアバス2台で、約70人程度の参加。そのほかにも全国各地の色々な地区や、同じ岩手県内の比較的被害の少なかった地区からも沢山のボランティアさんが参加していた。同じバスでは、家族連れで参加している人もいた、父親、母親、中三、中二の男の子、小六の女の子、みたいな。千葉県から来ていたみたい。他にも、高校教師の父親と、大学生の長男、愛知県から、みたいな。
ひたすら水田の側溝の泥揚げと、水田の草むしりと、瓦礫の除去。水田の中から、サッカーボール、DVD、シャンプー、ビデオ、茶碗、色々なものが出て着る。おそらく近隣の住居から津波で流されたものだと思う。遺跡の発掘みたい。半年ちょっと前までは、普通にその土地で暮らしている人達がいたんだなあと、この人たちは無事に逃げていてくれたのかなあ。
ボランティアは、とにかく無理しない、で作業を進めるのが基本である。特に誰かが指示をするわけでもなく、場所と作業内容を決めたら、あとはひたすら自分のペースで。ひたすら草を抜いたり、泥を吐き出したり、瓦礫を一か所にまとめたり。せっかくボランティアに来てくれた人たちが、怪我したり、病気したりすることほど、地元の人にとって悲しい事は無いので、とにかく無理はしないようにとのこと。
幸か不幸か、彼岸も過ぎて、暑さもそれほど厳しくは無かった。朝晩は、むしろ寒いくらいでもある。
三時になると、作業終了。本当に、片づけても片づけてもきりがないくらいでもある。それでも、陸前高田の街は少しずつ復興してきているようである、ゆっくりペースだけど。本当に、いつの日か、自分たちが瓦礫を除去し、草をむしった水田から、お米が取れるようになったら、食べてみたいなあ。
まあ長靴とか、踏み抜き防止インソールとか色々と道具も買ったし、汚れてもいい服装ということで、もはやボロボロで捨てようと思っていた衣服ももう一度活躍してもらったし、まあ機会があればもう一度参加してみようかなあと。少しでもいいから、苦しんでいる人達の助けになれれば、自己満足かもしれないけど、それはそれで嬉しいし。
帰りは、気仙沼の温泉へ。気仙沼の漁港の上の高台にある、気仙沼プラザホテルの露天風呂へ。塩分を含んだ温泉。少し前までは、露天風呂自体が使えなかったので、それを考えると少しずつ気仙沼の街も復興に向かっているようである。
気仙沼の街には、漁船自体が津波で流されて陸に上がっている。その殆どは移動されたが、一隻だけ、津波の記憶として、陸地に乗り上げた漁船が保存されるという。
気仙沼の街の被害は、陸前高田に比較したらまだましである。消滅してしまったJR陸前高田駅とは違って、JR気仙沼駅周辺はほぼ無傷。一関からのJR大船渡線も、気仙沼までは開通しているという。気仙沼から先の大船渡線も、JR気仙沼線も、復旧の見通しはまだ立っていないが。
気仙沼の街は、確か7年前に一度訪れた事がある。海に近い辺りの建物は、津波の影響で一階が崩れていたりもしたけど、それでもまだまし。以前訪れた「お魚市場」も通常営業していたし、ちょうど9月で焼いたさんまを売っていた岸壁も、多少崩れてはいたけど。今回確認は出来なかったが、「シャークミュージアム」と「氷の博物館」、はどうなっているんだろう。以前訪問している。
気仙沼の街を去り、一路一関へ。帰りのバスの中で、他の人が体験した話。近くにあった小友中学校の時計は、3:19で止まっていたという。地震は2:46くらいだったが、津波到達まで約30分。ちょうど中学校の卒業式前日で、卒業式の練習をしていたという。津波に飲まれて、亡くなった中学生もいたという。
参加した方々、色々な思いがあったようである。仕事の合間に来た人、旦那と子供を置いて一人参加した母親とか、勿論大学生もいたし。色々な人たちの思いがあったと思う。
こんな震災があって、何もできない自分自身に悩んでいた事もあったけど、少しは吹っ切れた気がした。まあ現地でも説明があったけど、実際に被災地で目で見て体験したことを、周りの友人、知人たちにしっかりと伝えて、いく事も一つの社会貢献、とも聞いた。風評被害を減らす、被災地の産品を購入して、消費して、復興のための経済支援をする、義捐金を送る、色々なやり方があると思う。震災といえば、どちらかといえば福島の原発が取り沙汰されて、半年経って宮城県、岩手県の被災状況は、忘れられかけていると思う。とはいっても、まだまだ復興までの道のりは遠いと感じる一方で、少しずつだけど前に向いている気もしてきた。
とまあ、短いですがこんな感じでした。慣れない力仕事のおかげで、体中筋肉痛。夜行バスで帰ってきたので、疲労困憊である。。。
ほんの少しでも、社会貢献はしていきたいなあと思う。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- fuzzさん 2020/11/25 16:07:48
- ボランティアで岩手に
- Miyatanさん、こんにちは。
先ほどもコメントを入れて、再びです。
来月、GOTOで行く先々を調べている中で、Miyatanさんが岩手にボランティアで来てくださった旅行記を見つけました。
ありがとうございます。
あれから、来年の3月で10年になります。
Miyatanさんが、あの日見た岩手に比べると復興も進んでいます。
来年の3月には実家の宮古へ行こうと思っています。
10年たちますが、あっという間。そんな気持ちです。
fuzz
- Miyatanさん からの返信 2020/11/25 21:33:38
- RE: ボランティアで岩手に
- fuzzさん、こんばんは。
もうすぐ震災から10年、そんなに経つのですね。あの頃は日本中が暗い雰囲気でした。ようやく復興も進んで明るくなってきて、いよいよオリンピックかと言う所でのコロナですよね。。。
ボランティア、、、本当に大したことしていないです。でもあの日見た光景は忘れられないです。2015年にも三陸に行って、復興は確実に進んでいるなーと思いました。
そして何より旅行記にも書いたのですが、この時ボランティアでがれき撤去していたエリアが、2015年の秋には見事なくらい稲穂が実っていたのを見た時には感動しました。
Miyatan
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