2012/12/16 - 2012/12/16
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sallyさん
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え、気持ち悪い? (↑表紙写真)
明治5年、西暦でいえば1872年。群馬県でも、ちょっと行けば長野県という立地にフランスから取り入れた近代的で効率的な技術で糸を紡ぐ”富岡工女”と呼ばれた女性達がいました。
写真は、その当時はこんな風にせっせっと働いていたんだろうなーの図です。
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ずっと前から来たかった群馬県富岡市の富岡製糸工場を見てきました。
奇しくも日本列島天下分け目の日、群馬県にいるなんて。といっても選挙カーを見かけただけで、その面での”激写”はないんですけれども。
”本認定は難しくネ?” という意見が多々ありのようですが、行ってみれば、、、その意見わからなくもないが、同じ関東の人としてやっぱり入れてあげてヨって感じ。
いいじゃん、ヨーロッパのような規模のものでなくたって。それよりも、この工場が、今ある日本の”はじめの一歩だったんだよ”ってに意味があるんでワールドへリテイジって事で、、、どうでしょう?
んー、我ながら若干きびしい言い分ではあるが。
- 交通手段
- 自家用車
-
東繭倉庫(ひがしまゆそうこ)
長さ104メートル、3階建て。
この倉庫は出来立てホヤホヤの繭糸を乾かす場所です。
ここからボランティアさんによるガイドが始まりました。 -
倉庫の門アーチに ”明治5年”と記されております。
ちょっと前までちょんまげ、と云ってもこの頃もまだ当然その髪型はいたでしょうが、ええと、ちょっと前まで江戸時代、徳川家が日本列島を征していたのに、数年後には群馬の奥地に殖産興業を掲げた明治政府が、このような建物を建てていたのは、すごい事ですよね。 -
ガイドは、まずこのレンガ積みの技術と、メートルを尺貫法に直して積算しなおした当時の大工さんの苦労と、技術の高さの話から入ります。 -
躯体は、木造なんです。木材の骨組みの間にレンガを並べる工法。
そして、この貫き。柾目の方向をそりにあわせて使っていることがわかりますね?
大空間を渡す大きな木材が取れたのも、この地にこの工場をたてた理由の一つだそうです。 -
下から2段目までは規則的な積みかたです。
下から3段目より上は、
長い、短、長い、短、長いの”フランス積み”。
レンガはこの時代なかったから、どこで作ろう?となった時に、この町の近くの瓦を焼く窯、そして当然その材料を産出する土がある事も、この地に工場がきた二つ目の理由です。 -
お次はいよいよ、おカイコさんから糸を紡ぐ、操糸場(そうしじょう)へ。
ゆがんだガラス面が時代を感じさせますが、これはオリジナルではないそう。
そうだよね、さすがに100年以上も前のガラスであるはずがない。
戦争も地震もあった。 -
はぁ〜、、、これがトラス工法というんだそうだ。
この大三角、そこに力学的に重力を分散させる小さな三角+三角の組み合わせが、屋根の重さを壁に分散させて、通し柱を不要にして、より大きな空間を確保するのね。
こんな大空間が、こっちからあっちまでずっと”通し柱なし”だなんて〜。
ここで働いた”とみおか工女”と呼ばれた女性達。
それは選ばれた人材であることを誇りに思ったことでしょう。 -
のちに吸収(合併?)されてしまうプリンスという会社で、糸を紡ぐ機械を作っていました。
日産プリンス→ 今の”日産”です。
と、いっても、これは明治当時のオリジナルではないですよー。 -
とみおか工女の皆さん。
この地域にはちょっと馴染まない(かも知れない)良家のお嬢さんが、新しい技術を学び、里にかえってその技術をひろめるべくを期待されたお嬢さんが集まっていた。
門限厳しく、土地のヤンキーに声なんてかけられたりして由々しき事のないよう、かならず二人組で出掛けなくては行けなかったらしい。
なんて話を聞くと、未だに、この門前の商店街との協調がちょっと感じられないこの工場の存在感がさもありなん、、と思えたり。 -
しかし、、、たいしたものですね。
この技術。 -
こちらにはフランス人の先生、技術者とその家族が住んでいた。
彼が、紡績技術をフランスからこの日本に上陸させるべく、この土地を選び、工場建設の線を引き、技術を教えた。
高床にし、深いポーチをもったこの家屋は、コロニアルスタイル。”アジアの湿気”を嫌がって工夫された様式だそうだが、そうか、その頃は周りの植民地アジア地域と同じ扱いだったのね、日本。と思う。 -
工場のすぐ隣りが、鏑川(かぶらがわ)。
どうして(こんな田舎の?、失礼!)富岡に、明治政府が命運かけたであろう欧米技術導入の工場を建てたのか。
大きくは、土地、水、練炭。
カイコの飼える土地、工場が立てられる大きな敷地と、工場建設のレンガや木材が取れる土地、糸を洗う水があって、紡績エンジンをまわす練炭があるところ。
決して、明治政府のある東京からの便利が第一ではないことがわかります。しかし、今でも結構なへき地だな(富岡の皆さん、ゴメンなさい)と思う。 -
診療所。ここは当然、ここで働く人たちのための医療施設。医師もフランス人だったとか。工女が仏語できた? 医師が日本語できた?
ポイントは、ここの医療費の支払い、運営もすべて富岡工場。つまり、官営で、日本初の事業主負担の医療施設、福利厚生施設だったって事だそうです。 -
ガイドさん、後ろ姿。
オレンジ色のベストに、この工場の絵がニクい。 -
女工さんたちの寮です。
労働時間は8時間、ただ、電灯のない時代、
夏は朝早く、昼休み長く、夜は暗くなるまでの時間など季節によって流動的でした。
ガイドさんが云っていたが、訪れる人に”ああ野麦峠”と混同される方が結構いるらしい。「こちらはエリート女子」という説明はわかったんだけど、”野麦”の方はどういう時代背景だったか・・・。 -
こちらは西の繭庫。
中も見てみたいな。世界遺産になったら公開してくれるのかな。 -
キューポラのある町。
と、テンポラリーネーミング。 あれ、でも、キューポラってなんだっけ?
って、思いつきで書いてみた。
もとい。
ここの煙突、、、なんの為にあったんだっけ? 解説忘れました、スミマセン。 -
およそ40分のガイドツアー、おしまい。
30人くらいは集まっていただろうか。
解散でーす。 -
工場脇にある展示コーナーを覗いたら、
繭を手でつむぐ作業を、実演していました。
やらせてくれるし、写真を撮ろうとすると、こんな風に紡いだ繭糸がわかるように黒い板を立ててくれたりして、とても親切。 -
これが絹糸、ですね。
余談ですが。
トルコ旅をしてすでに1年以上経っていますが、時間が経つにつれて、買えばよかったなーーーと後悔しているのは、絨毯。
買うならウールより、見る角度によって違った表情をみせるシルクの絨毯だと思う。 -
とみおか美女軍団。
15〜25歳の女性が公募されて糸を紡ぎ、驚くべき事に、その能力によりお給料に差をつけられたんだそう。 -
富岡製糸工場を紹介するビデオ。
ティップスとしては、これは最後に見るのがベター。
なぜなら、映像の方が現実の建物より美しく演出されているから。
ちなみに、この白いスーツの男性は フランス人技術者ボールさんですね。 -
富岡製糸工場付近にあるバーバー、床屋さんですね。
市営駐車場より、付近の個人の軒先”1日駐車300円”の方が安いし、近いかも。
この床屋さんとこの駐車場にとめさせてもらいました。 -
群馬県サービスエリア情報を3枚、添えます。
甘楽サービスエリア。
”かんら”って読むんですよね。
甘くて楽しいなんて、いい字面〜、ここのSA付近通るたびに、甘いものを仕入れてコーヒーを飲みたいなと思う。
そうそ、富岡工場のレンガはこのあたりの釜で焼かれたらしいです。 -
かんらSAでは ”上州麦豚”を使ったメニューがHOTなよう。
なになに、上州麦豚塩丼? トンカツに、かつカレー、、、!!
食べた〜い。
今回は時間の関係でパス、次回は食べてみたいです。 -
冬のこの時期、群馬、長野のこのあたりを通ると、
この太くて短いネギ、下仁田ネギさん。
甘くて柔らかくて、鍋に入れると最高なんです。 -
さいごに、もういちど富岡製糸工場のお話に戻りますが。
工場正門前の商店街。
どうやら、この過疎っぷり、といいますか、ウラぶれ感といいますか。
ええと、、、決してホットでない、” 今、富岡キテるよね ” とは絶対云えない感じが、恐らく、” 富岡製糸工場? え、世界遺産ムリでしょう。” という意見に繋がってないですか?
確かに世界遺産入りして、いろんな国の人々が連なってこの通りを歩くのは、、、想像しづらい。
ただ、わたしは好きデス。
なんでも再開発すりゃいいってもんじゃないし。こういうユルくてガツガツしていない、歩く人もまばらな昼下がりの似合う商店街の雰囲気、いいじゃないですかー。
”また来てしまいそうな” 群馬県の旅、おしまい。
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