2012/08/07 - 2012/08/07
243位(同エリア440件中)
滝山氏照さん
富岡製糸場(とみおかせいしじょう、群馬県富岡市富岡)は明治維新政府が西洋列強諸国を意識し、富国強兵と併せて打ち出した殖産興業のシンボルとして、当時としては具体的な取組みを打ち出した意欲的な工場でした。
現地入手のパンフレットには下記の通り説明がなされています。
『 【製糸場沿革】
明治維新直後、時の政府は日本の近代国家への礎として工場化された産業施設を計画しました。これは、近代化された諸外国への仲間入りを目指して行われた「殖産興行」政策の一翼でした。
特に、貿易による外貨獲得の道として「生糸の輸出振興」が打ち出されると、フランス人ポ-ル・ブリュナを指導者として雇い入れ、政府は尾高惇忠(おだかあつただ)を中心として、ヨーロッパの先駆的な技術を持つ近代的な器械製糸工場の創設に動き出しました。
そして明治5年(1872)、この富岡の地に全国初となる官営模範製糸場が創設されます。操業開始は同年10月4日のことでした。やがて、当時の最新鋭だった器械製糸技術は、全国から集まった工女らの手で各地へ伝播された他、富岡製糸場を模範とする製糸工場が各地に建設されました。
その後、経営は官から民(三井、原合名会社、片倉工業?)へと変遷しますが、創業当時の特色ある建造物群は、常に日本の近代産業のシンボルとして、140年近くもの間ほぼ明治時代の姿のまま活用・保存がされてきました。片倉工業(株)より平成17年(2005)10月1日、富岡市に管理が移され、現在も大切に保存されています。
現在富岡製糸場は、歴史的な建物が残る文化遺産として、また、日本の製糸業の近代化を牽引した産業遺産として、群馬県内の絹産業遺産群とともに世界遺産登録を目指しています。
【製糸場の役割と効果】
明治政府はまず富岡製糸場をモデル工場として位置付けますがその目的は次の二つでした。一つは製糸技術をを学ぶため全国各地から集まった工女たちが一定のノウハウを身につけて帰郷した後にその役割を果たすこと、二つ目は富岡製糸場を模範とした製糸場を各地に広めることに在りました。
その結果開業時期のずれはありますが全国で24ヶ所で富岡式を主体とする器械設備を導入し操業するに至り、明治政府はこれにより「富国強兵」に必要な外貨獲得の手段を確保し急ピッチの西洋化の道をひた走ります。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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旧富岡製糸場入口
何組かの団体見学者が訪れていました。 -
旧富岡製糸場門標
「世界遺産へ推薦決定」の看板が立てられています。 -
片倉工業記念碑
官営操業で役割を果たした後、経営は民間に委譲され三井、原合名会社、片倉工業(株)へと変遷します。そして平成17年(2005)10月に片倉工業から富岡市に管理が移されて現在に至ります。 -
旧富岡製糸場石碑
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石碑周辺
サルスベリが実に見事な花を咲かせています。 -
行啓記念碑
明治天皇の要請で皇太后及び皇后が創業の翌年明示6年(1873)に当製糸場に行啓した時の記念碑です。 -
見学受付所
希望者には時間を限定してガイドによる内部説明をします。 -
天皇皇后訪問記念写真
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繰糸場入口
繭から生糸を取る作業をする所で、創業当初はフランス式繰糸器300釜が設置され、世界最大規模を持つ工場でした。 -
繰糸場内部
機械は操業休止時のまま保存されています。 -
繰糸場見学
ガイドの説明を熱心に聴く団体見学者一行です。 -
建物内部骨組み
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繰糸場
工場に設置された機械類が現状のまま保存管理されています。 -
診療所
昭和15年(1940)に建てられた3代目の診療所で明治時代には病院と呼ばれていました。当初の診療所は敷地の北東部に建てられ、フランス人医師が治療していました。官営時代には治療費・薬代は工場側が負担しており、官営から片倉工業までの全期間を通じて厚生面が充実していた事が理解できます。 -
ブリュナ館
製糸の技術を日本へ導入したフランス技術者で富岡製糸場建設の責任者として、工場の建設から工場管理、繰り糸・選繭・蒸殺等に亘り熱心に指導を行い発展に大きく寄与しました。 -
寄宿舎
片倉工業当時(昭和13年〜昭和20年)の製糸場で勤務していた従業員の寄宿舎と思われます。 -
下水溝
繰糸場から出る糸を取った後の排水や雨水を川に流すために地下に造られた全長320mの下水道があります。環境衛生を考慮されて造られた下水道は当時では珍しく、レンガ造りの下水溝は現在でも完全に機能しています。 -
東繭倉庫
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変電室
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東繭倉庫
明治5年完成の長さ104.4mの2階建て木骨(もっこつ)レンガ造りです。当初は1階北は繭取扱所、南は事務室として使用されていました。2階は繭の保管所でした。 -
イチオシ
通用門と西繭倉庫
東繭倉庫の一部は通用門となっており、その向こうには西繭倉庫を見ながら敷地内部に入ってゆきます。 -
西繭倉庫一望
通用門のア−チを過ぎますと通路を経て西繭倉庫が現れます。 -
西繭倉庫
建物の長さ・高さ・幅については東繭倉庫とほぼ同一です。当初は1階の北はは石炭置場、南は糸取扱い、撰繭場として、また2階は繭の保管所でした。 -
西繭倉庫近景
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西繭倉庫と繭扱場
倉庫手前は広々とした敷地となっています。 -
繭扱場・乾燥場
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東繭倉庫を一望
西繭倉庫から東繭倉庫を展望します。通路を左右広く確保しており、併せて樹木を施し落着いた雰囲気を醸し出しています。 -
展示室
東繭倉庫1階に富岡製糸場に関する展示室があります。 -
製糸場模型
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展示室
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展示室
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礎石
創設当時の礎石のようで相当時間経過しているようです。
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