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「のぼうの城」を見て、舞台となった埼玉県行田市へ行ってきました。<br /><br />行田市内は、忍城こそわずかに土塁などの跡をとどめるのみですが、当時の地名は各地に残しています。<br />そのほか、石田光成が本陣をとったといわれる丸墓山古墳や「水攻め」で知られる石田堤は、現在もとてもよく残っていました。<br /><br />行田は、「ゼリーフライ」や「フライ」など、埼玉県を代表するB級グルメの街としても県内では知られています。<br />そのほか、さきたま古墳からは国宝「金錯銘鉄剣」などが発見され、行田市埼玉は、埼玉県名発祥の地としても有名です。

「のぼうの城」の忍城と石田堤を行く

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2012/11/24 - 2012/11/24

135位(同エリア453件中)

「のぼうの城」を見て、舞台となった埼玉県行田市へ行ってきました。

行田市内は、忍城こそわずかに土塁などの跡をとどめるのみですが、当時の地名は各地に残しています。
そのほか、石田光成が本陣をとったといわれる丸墓山古墳や「水攻め」で知られる石田堤は、現在もとてもよく残っていました。

行田は、「ゼリーフライ」や「フライ」など、埼玉県を代表するB級グルメの街としても県内では知られています。
そのほか、さきたま古墳からは国宝「金錯銘鉄剣」などが発見され、行田市埼玉は、埼玉県名発祥の地としても有名です。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
利用旅行会社
個別手配

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  • 忍城は関東7名城の一つに数えられる、沼地の中に浮かぶ浮城のような水城でした。<br /><br />現在は、都市開発などの影響で、面影は周辺に少し残す程度です。<br /><br />現在、本丸跡地には「行田市郷土博物館」があります。<br />入場料は大人100円でした。<br /><br />館内は写真撮影ができないので写真はありません。<br />しかし、館内には「のぼうの城」にも登場する、成田家当主成田氏長(西村雅彦)が、正木丹波守(佐藤浩一)に送った感状など、貴重な遺品が多数あるほか、水城だった往時の地図などが多数あります。<br /><br />映画に登場する正木丹波は、実在の人物だったようです。<br />この感謝状は、成田氏が後北条勢として上杉方の羽生城を攻めたときの活躍への感謝を表した文章だったようです。

    忍城は関東7名城の一つに数えられる、沼地の中に浮かぶ浮城のような水城でした。

    現在は、都市開発などの影響で、面影は周辺に少し残す程度です。

    現在、本丸跡地には「行田市郷土博物館」があります。
    入場料は大人100円でした。

    館内は写真撮影ができないので写真はありません。
    しかし、館内には「のぼうの城」にも登場する、成田家当主成田氏長(西村雅彦)が、正木丹波守(佐藤浩一)に送った感状など、貴重な遺品が多数あるほか、水城だった往時の地図などが多数あります。

    映画に登場する正木丹波は、実在の人物だったようです。
    この感謝状は、成田氏が後北条勢として上杉方の羽生城を攻めたときの活躍への感謝を表した文章だったようです。

  • 郷土博物館のすぐ裏手には、忍城の本丸土塁が良好な状態で残っていました。<br /><br />博物館と本丸土塁を結ぶ入口は、忍藩の藩校だった進修館の門と言い伝えられる門が移築されて、その門をくぐることができます。

    郷土博物館のすぐ裏手には、忍城の本丸土塁が良好な状態で残っていました。

    博物館と本丸土塁を結ぶ入口は、忍藩の藩校だった進修館の門と言い伝えられる門が移築されて、その門をくぐることができます。

  • 忍城の石垣の一部。何箇所かに展示されていました。

    忍城の石垣の一部。何箇所かに展示されていました。

  • 郷土博物館を出て、道路を渡ると正面に忍東照宮と諏訪神社があります。この諏訪神社の裏手に、諏訪曲輪の跡が残っています。<br /><br />ここは、面積は小さいものの、往時の浮城の名残をとどめる貴重な遺構でした。

    郷土博物館を出て、道路を渡ると正面に忍東照宮と諏訪神社があります。この諏訪神社の裏手に、諏訪曲輪の跡が残っています。

    ここは、面積は小さいものの、往時の浮城の名残をとどめる貴重な遺構でした。

  • 諏訪曲輪の土塁跡と堀の沼地。

    諏訪曲輪の土塁跡と堀の沼地。

  • 私は遺跡地に来ると、必ず地面をあさります。<br />これは、当時のものかどうかは知りませんが、焼き物の破片らしきものが転がっていました。

    私は遺跡地に来ると、必ず地面をあさります。
    これは、当時のものかどうかは知りませんが、焼き物の破片らしきものが転がっていました。

  • 神社に沿って土塁はきれいに名残をとどめています。<br />一見すると単なる雑木林にしか見えません。

    神社に沿って土塁はきれいに名残をとどめています。
    一見すると単なる雑木林にしか見えません。

  • 次は、さきたま古墳群へ移動。<br />目的は、光成が陣をとった丸墓山古墳です。<br /><br />ここは日本一大きな円墳と言われ、墳頂からは忍城や秩父、群馬方面などを眺望することができます。<br /><br />ちなみに、古墳は伸びる小高い一本道は石田堤の一部です。<br />春はとてもきれいな桜並木になり、花見の名所です。

    次は、さきたま古墳群へ移動。
    目的は、光成が陣をとった丸墓山古墳です。

    ここは日本一大きな円墳と言われ、墳頂からは忍城や秩父、群馬方面などを眺望することができます。

    ちなみに、古墳は伸びる小高い一本道は石田堤の一部です。
    春はとてもきれいな桜並木になり、花見の名所です。

  • 丸墓山古墳の墳頂から。<br /><br />左の古墳が、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳。<br />右は、日本で2例しかない馬冑が出土した将軍山古墳。<br /><br />いずれも畿内の大和王権と関わりのある、身分の高い豪族の墓ではないかと目されている古墳です。

    丸墓山古墳の墳頂から。

    左の古墳が、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳。
    右は、日本で2例しかない馬冑が出土した将軍山古墳。

    いずれも畿内の大和王権と関わりのある、身分の高い豪族の墓ではないかと目されている古墳です。

  • 丸墓山古墳から、忍城方向を眺める。<br /><br />光成も、ここから忍城を眺めたのでしょう。<br />そして、正面には広大な田畑と難攻不落の巨大な浮城の風景が広がっていたのでしょう。

    丸墓山古墳から、忍城方向を眺める。

    光成も、ここから忍城を眺めたのでしょう。
    そして、正面には広大な田畑と難攻不落の巨大な浮城の風景が広がっていたのでしょう。

  • さきたま古墳を出て、いざ鴻巣方向へ向かうと、石田堤がきれいに残されています。<br /><br />道は細いですが、無料駐車場もあるので安心して車で行くことができます。<br /><br />さきたま古墳群からは数キロ離れてはいますが、ウォーキングがてら行ってみてもいいのかもしれません。<br /><br />さいたまナビというホームページで、「石田堤史跡公園」を調べカーナビで目的地設定していきました。<br />http://saipo.net/11217105.html

    さきたま古墳を出て、いざ鴻巣方向へ向かうと、石田堤がきれいに残されています。

    道は細いですが、無料駐車場もあるので安心して車で行くことができます。

    さきたま古墳群からは数キロ離れてはいますが、ウォーキングがてら行ってみてもいいのかもしれません。

    さいたまナビというホームページで、「石田堤史跡公園」を調べカーナビで目的地設定していきました。
    http://saipo.net/11217105.html

  • 駐車場と史跡公園は、ちょうど忍川が堤に沿って流れています。<br />あと、新幹線の高架と交差する地点ですので、場所は比較的見つけやすかったです。

    駐車場と史跡公園は、ちょうど忍川が堤に沿って流れています。
    あと、新幹線の高架と交差する地点ですので、場所は比較的見つけやすかったです。

  • 石田堤は、この橋のあたりからもろくも決壊し、水攻めには失敗したそうです。<br /><br />なぜ、これだけ簡単に堰が決壊したかは、後でわかります。

    石田堤は、この橋のあたりからもろくも決壊し、水攻めには失敗したそうです。

    なぜ、これだけ簡単に堰が決壊したかは、後でわかります。

  • 史跡公園に沿って、堤らしきものが続いています。

    史跡公園に沿って、堤らしきものが続いています。

  • 史跡公園には、石田堤の断面が展示されています。<br /><br />こうやってみると、いろいろな色の土が積み重なって堤が作られていたのがわかります。<br /><br />このあたりの土地は、麦の産地の田園地帯で、しかも東埼玉は基本的に沼地でした。<br /><br />決して丈夫でない田んぼの土などを農民の協力などで積み重ねて築いた堤だっただけに、丈夫な堤ではなかったのでしょうね。忍城と古墳周辺の地形の誤算だけでなく、突貫工事ゆえのもろさ、強い水力に耐えきる郷土まではなかったのでしょう。<br /><br />当時、堤の内側は強力な水流で城を攻めたというよりは、堤の内側に水高をあげて城を孤立させ降伏に持ち込もうとしたのだと思いますが、水は堤の中に入りこみ、ただ土を重ねただけの堤はの浸食により隙間から簡単に崩れていったのではないかと思います。

    史跡公園には、石田堤の断面が展示されています。

    こうやってみると、いろいろな色の土が積み重なって堤が作られていたのがわかります。

    このあたりの土地は、麦の産地の田園地帯で、しかも東埼玉は基本的に沼地でした。

    決して丈夫でない田んぼの土などを農民の協力などで積み重ねて築いた堤だっただけに、丈夫な堤ではなかったのでしょうね。忍城と古墳周辺の地形の誤算だけでなく、突貫工事ゆえのもろさ、強い水力に耐えきる郷土まではなかったのでしょう。

    当時、堤の内側は強力な水流で城を攻めたというよりは、堤の内側に水高をあげて城を孤立させ降伏に持ち込もうとしたのだと思いますが、水は堤の中に入りこみ、ただ土を重ねただけの堤はの浸食により隙間から簡単に崩れていったのではないかと思います。

  • このあたりの堤はとても広大に残っています。

    このあたりの堤はとても広大に残っています。

  • 堤の上に上ることができます。

    堤の上に上ることができます。

  • こんな感じで上越新幹線の高架まで堤は続いています。

    こんな感じで上越新幹線の高架まで堤は続いています。

  • と言うことで「のぼうの城」巡りは終了^^<br /><br />ちなみにこの平べったい物質は、行田の名物「フライ」です。<br /><br />忍城近くの「かねつき堂」というお店で買いました。<br /><br />忍城や観光案内所には、フライやゼリーフライの食べられるお店を案内したマップも配布していました。ホームページでもダウンロードできます。ぜひ行田へ行ってみてください。

    と言うことで「のぼうの城」巡りは終了^^

    ちなみにこの平べったい物質は、行田の名物「フライ」です。

    忍城近くの「かねつき堂」というお店で買いました。

    忍城や観光案内所には、フライやゼリーフライの食べられるお店を案内したマップも配布していました。ホームページでもダウンロードできます。ぜひ行田へ行ってみてください。

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