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当初チリの首都「サンティアゴ」と<br />ブラジルの「サンパウロ」は<br />この世界一周堂の旅では<br />訪問地の候補にもならなかったのですが<br />「イースター島」と「イグアスの滝」へ<br />の乗り継ぎ地として急遽浮上しました。<br /><br />それまでの私は、<br />「チリ」といえば南米の太平洋側にある<br />細長い国でアンデス山脈南北に走っている。<br />映画雑誌の歴代ベスト100位の特集で知った<br />「サンティアゴに雨が降る」の舞台の街がある。<br />ことくらいの知識しか持たなかったし<br />(今ならチリのワインもワルくないと1行を加える<br />ことができますが)<br /><br />一方の「サンパウロ」に至っては、<br />かって、多くの日本人が農園の入植者として渡った所。<br />くらいしか思い浮かぶことがありませんでした。<br /><br />どんな街なのか?とさぁ~っと見たガイドブックで<br />「サンパウロ」はブラジルはおろか、南米最大の都市で<br />あることを知り、まずビックリ。<br />それまで、ブラジル1の大都会はリオデジャネイロだと<br />ばっかり思い込んでいました。(汗)<br />こんな知識しか持っていなかった街への旅<br />さぁて、どんな風景が待っているのやらと<br />楽しみにして訪れた街でした。<br />両方の街共に2日~3日の短い滞在でしたが<br />強いインパクトを残してくれました。<br /><br /><br /><br />

伝説のF1ドライバー・セナの墓参り(サンパウロ&サンティアゴ)~世界一周堂航空券を手に

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2002/08/27 - 2002/09/04

214位(同エリア605件中)

5

31

あの街から

あの街からさん

当初チリの首都「サンティアゴ」と
ブラジルの「サンパウロ」は
この世界一周堂の旅では
訪問地の候補にもならなかったのですが
「イースター島」と「イグアスの滝」へ
の乗り継ぎ地として急遽浮上しました。

それまでの私は、
「チリ」といえば南米の太平洋側にある
細長い国でアンデス山脈南北に走っている。
映画雑誌の歴代ベスト100位の特集で知った
「サンティアゴに雨が降る」の舞台の街がある。
ことくらいの知識しか持たなかったし
(今ならチリのワインもワルくないと1行を加える
ことができますが)

一方の「サンパウロ」に至っては、
かって、多くの日本人が農園の入植者として渡った所。
くらいしか思い浮かぶことがありませんでした。

どんな街なのか?とさぁ~っと見たガイドブックで
「サンパウロ」はブラジルはおろか、南米最大の都市で
あることを知り、まずビックリ。
それまで、ブラジル1の大都会はリオデジャネイロだと
ばっかり思い込んでいました。(汗)
こんな知識しか持っていなかった街への旅
さぁて、どんな風景が待っているのやらと
楽しみにして訪れた街でした。
両方の街共に2日~3日の短い滞在でしたが
強いインパクトを残してくれました。



旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー 飛行機
旅行の手配内容
個別手配
  • アメリカのマイアミ空港を<br />8月26日 23:20発の(AA便)で<br />サンチアゴ空港には翌8月27日 7:31着<br />となりました。<br />ジエットの中から日本人は私一人でした。<br />私にとっては初めての南米大陸ということもあり<br />期待と少しの不安と入り混じった第一歩でした。

    アメリカのマイアミ空港を
    8月26日 23:20発の(AA便)で
    サンチアゴ空港には翌8月27日 7:31着
    となりました。
    ジエットの中から日本人は私一人でした。
    私にとっては初めての南米大陸ということもあり
    期待と少しの不安と入り混じった第一歩でした。

  • 空港からホテルのある市内中心部までは<br />空港タクシーだとUS$20で20分程の距離でした。<br />早朝のサンチアゴは霧におおわれていて<br />モノトーンの世界でした。<br /><br />タクシーの運転手さんは多少の英語は解せるとしても<br />ここはスペイン語圏だとの思いもあり会話を控え<br />ひたすら車窓の景色を見ていました。<br /><br />☆画像は「サンティアゴ大聖堂」

    空港からホテルのある市内中心部までは
    空港タクシーだとUS$20で20分程の距離でした。
    早朝のサンチアゴは霧におおわれていて
    モノトーンの世界でした。

    タクシーの運転手さんは多少の英語は解せるとしても
    ここはスペイン語圏だとの思いもあり会話を控え
    ひたすら車窓の景色を見ていました。

    ☆画像は「サンティアゴ大聖堂」

  • 初めて見る南米大陸。<br />空港から少し走った所から葡萄畑が<br />朝もやの中に広がっていました。<br />カーラジオから早口に聞こえるスペイン語の後に<br />何やら聴き覚えのある曲が流れてきました。<br />思わず聞き耳を立てるとビートルズの<br />「フール・オン・ザ・ヒル」でした。<br />何だか地球の反対側の遠い所でなつかしい人に<br />出逢ったような不思議な気持ちになり<br />熱い気持ちがあふれそうになりました。

    初めて見る南米大陸。
    空港から少し走った所から葡萄畑が
    朝もやの中に広がっていました。
    カーラジオから早口に聞こえるスペイン語の後に
    何やら聴き覚えのある曲が流れてきました。
    思わず聞き耳を立てるとビートルズの
    「フール・オン・ザ・ヒル」でした。
    何だか地球の反対側の遠い所でなつかしい人に
    出逢ったような不思議な気持ちになり
    熱い気持ちがあふれそうになりました。

  • やがて朝もやが消え街の様子が見えてました。<br />街道筋に「東芝」「トヨタ」「サンヨー」等<br />日本企業の看板があちらこちらに見かけ<br />心強い思いがしました。<br /><br />ホテル「タラパカ( Tarapaca )」には<br />9:00前に着きました。<br />とりあえず鞄だけでも預けようと<br />話してみたところ何と<br />「お疲れでしょう。直ぐお部屋にご案内<br />いたしますからお休みになってください。」と<br />言われビックリしました。<br />(超過料金は付きませんでした。)<br />このホテルでイースター島の行き帰りに<br />一泊ずつしました。<br /><br />☆サンチアゴ日系の旅行会社で予約をして<br />一泊US152$でした。

    やがて朝もやが消え街の様子が見えてました。
    街道筋に「東芝」「トヨタ」「サンヨー」等
    日本企業の看板があちらこちらに見かけ
    心強い思いがしました。

    ホテル「タラパカ( Tarapaca )」には
    9:00前に着きました。
    とりあえず鞄だけでも預けようと
    話してみたところ何と
    「お疲れでしょう。直ぐお部屋にご案内
    いたしますからお休みになってください。」と
    言われビックリしました。
    (超過料金は付きませんでした。)
    このホテルでイースター島の行き帰りに
    一泊ずつしました。

    ☆サンチアゴ日系の旅行会社で予約をして
    一泊US152$でした。

  • ☆ホテルは50室程の部屋数で<br />レストランやビジネスセンター&プールのほか<br />会議室等を備えたこじんまりとしたホテルで<br />欧米各国からのビジネス客の常宿?の雰囲気で<br />部屋も清潔で心地よいホテルでした。<br /><br />レストランで夕食しょうとするとオーダーを<br />取る人が「メニュー以外でも日本人の貴方が<br />何か食べたいものがないか?<br />?あれば言ってください。」と言ってくれました。<br />冷たい雨の中の街歩きで冷えきっていたので<br />熱いスープを頼んだところそれを聞いた?<br />厨房の人がわざわざ私のテーブルにやって来て<br />「どんなスープが良いのか?」と聞きにきてくれ<br />「熱々を召し上がれ」と<br />豆をつぶしたスープを持って来てくれる等<br />従業員の皆さんが家族的な温かさで接してくれ<br />感激しました。<br /><br />☆ビジネスセンターから電話回線を使ってメールの<br />送信も出来ましたが、アナログですから画像<br />添付だと一通の送信時間が凄い時間を要し常時2〜3人待ちでした。<br /><br />☆部屋に荷物を置いて早速冷たい霧雨の街へ<br />飛び出しました。<br />地下鉄駅も徒歩10分程、バス停は<br />直ぐ近く大変立地に恵まれていました。

    ☆ホテルは50室程の部屋数で
    レストランやビジネスセンター&プールのほか
    会議室等を備えたこじんまりとしたホテルで
    欧米各国からのビジネス客の常宿?の雰囲気で
    部屋も清潔で心地よいホテルでした。

    レストランで夕食しょうとするとオーダーを
    取る人が「メニュー以外でも日本人の貴方が
    何か食べたいものがないか?
    ?あれば言ってください。」と言ってくれました。
    冷たい雨の中の街歩きで冷えきっていたので
    熱いスープを頼んだところそれを聞いた?
    厨房の人がわざわざ私のテーブルにやって来て
    「どんなスープが良いのか?」と聞きにきてくれ
    「熱々を召し上がれ」と
    豆をつぶしたスープを持って来てくれる等
    従業員の皆さんが家族的な温かさで接してくれ
    感激しました。

    ☆ビジネスセンターから電話回線を使ってメールの
    送信も出来ましたが、アナログですから画像
    添付だと一通の送信時間が凄い時間を要し常時2〜3人待ちでした。

    ☆部屋に荷物を置いて早速冷たい霧雨の街へ
    飛び出しました。
    地下鉄駅も徒歩10分程、バス停は
    直ぐ近く大変立地に恵まれていました。

  • 地下鉄でサンチアゴの歴史が色濃く残る<br />旧市街にやって来ました。<br />この一角に<br />内務省・外務省(旧国会議事堂)や<br />モネダ宮殿・サンティアゴ大聖堂<br />エドワルド宮殿等歴史的建造物や<br />博物館・美術館等があります。<br /><br /><br />

    地下鉄でサンチアゴの歴史が色濃く残る
    旧市街にやって来ました。
    この一角に
    内務省・外務省(旧国会議事堂)や
    モネダ宮殿・サンティアゴ大聖堂
    エドワルド宮殿等歴史的建造物や
    博物館・美術館等があります。


  • 広場で何やらの集会で多くの人たちが<br />集まっていました。<br />

    広場で何やらの集会で多くの人たちが
    集まっていました。

  • プラカードを見てもスペイン語で<br />何と書かれているものやら皆目検討も<br />つきませんでしたが、過激な行動をしている<br />人はいないし集まっている人達の顔付きを<br />見ても笑顔の人がいるほか総じて穏やかな<br />人達の集会でひとまずほ〜っとしました。

    プラカードを見てもスペイン語で
    何と書かれているものやら皆目検討も
    つきませんでしたが、過激な行動をしている
    人はいないし集まっている人達の顔付きを
    見ても笑顔の人がいるほか総じて穏やかな
    人達の集会でひとまずほ〜っとしました。

  • 「モネダ宮殿」<br />憲法広場と自由広場の間に建つ宮殿。<br />モネダとはお金のことで1784年<br />造幣局として着工されました。<br />この宮殿を有名にしたのは<br />1970年アジェンデが南米で初めての<br />選挙による社会主義政権を樹立した際<br />これに対してアウグスト・ピノチェトを中心<br />とした軍部が1973年クーデターを起こし<br />アジェンデ大統領が最後の砦としたのが<br />この「モネダ宮殿」でした。

    「モネダ宮殿」
    憲法広場と自由広場の間に建つ宮殿。
    モネダとはお金のことで1784年
    造幣局として着工されました。
    この宮殿を有名にしたのは
    1970年アジェンデが南米で初めての
    選挙による社会主義政権を樹立した際
    これに対してアウグスト・ピノチェトを中心
    とした軍部が1973年クーデターを起こし
    アジェンデ大統領が最後の砦としたのが
    この「モネダ宮殿」でした。

  • ☆深田祐介著「革命商人」や<br />映画「サンティアゴに雨が降る」参照。<br /><br />☆空爆を受けた宮殿もすっかり修復され<br />ていました。<br />民政となった今でも軍服姿の軍人が<br />警備についていました。

    ☆深田祐介著「革命商人」や
    映画「サンティアゴに雨が降る」参照。

    ☆空爆を受けた宮殿もすっかり修復され
    ていました。
    民政となった今でも軍服姿の軍人が
    警備についていました。

  • さすがに目つきは鋭いものがありましたが<br />

    さすがに目つきは鋭いものがありましたが

  • フレンドリーに撮影に応じてくれました。

    フレンドリーに撮影に応じてくれました。

  • 前日までの<br />フロリダの太陽がさんさんと降りそそぐ<br />リゾートライフから一変。

    前日までの
    フロリダの太陽がさんさんと降りそそぐ
    リゾートライフから一変。

  • 軍服姿に短剣と銃を携帯<br />装甲車?放水車?も警戒にあたっている<br />様子を見緊張感を禁じ得ませんでした。

    軍服姿に短剣と銃を携帯
    装甲車?放水車?も警戒にあたっている
    様子を見緊張感を禁じ得ませんでした。

  • 冷たい雨が降る中を歩いたせいか<br />一層緊張感を感じました。<br />

    冷たい雨が降る中を歩いたせいか
    一層緊張感を感じました。

  • ☆細長いチリのほぼ真ん中に位置する<br /> 「サンティアゴ」<br />標高520m  600万人以上が暮らしている<br />大都会で、日本と同じ様に四季がありますが<br />地中海性気候のため比較的温暖であり冬でも<br />雪が降り積もることはほとんどないそうです。<br />一年のうち300日が晴天ということですが<br />私が訪れた時には「サンティアゴは雨が降って」<br />いました。まぁ良く考えれば、サンティアゴは<br />盆地であることから晴れた日はスモッグが凄い<br />とか。<br />しかし、晴れた日には街の背後にそびえる<br />アンデスの山々が綺麗に見えるそうで<br />どっちが いいかなぁ(笑)

    ☆細長いチリのほぼ真ん中に位置する
     「サンティアゴ」
    標高520m 600万人以上が暮らしている
    大都会で、日本と同じ様に四季がありますが
    地中海性気候のため比較的温暖であり冬でも
    雪が降り積もることはほとんどないそうです。
    一年のうち300日が晴天ということですが
    私が訪れた時には「サンティアゴは雨が降って」
    いました。まぁ良く考えれば、サンティアゴは
    盆地であることから晴れた日はスモッグが凄い
    とか。
    しかし、晴れた日には街の背後にそびえる
    アンデスの山々が綺麗に見えるそうで
    どっちが いいかなぁ(笑)

  • ご存知の方も多いと多いと思いますが<br />☆チリのワインについて<br />チリの葡萄の苗木はフランスやスペイン等<br />ヨーロッパから持ち込まれたそうです。<br /><br />ところが、本家のヨーロッパで19世紀<br />フィロキセラというアブラ虫の一種が大発生し<br />葡萄の根が枯れる被害に遭いほぼ全滅しました。<br /><br />しかし、チリは地理的地形的条件が幸いし<br />フィロキセラの被害は間逃れました。<br /><br />ヨーロッパのブドウの再生は、この害虫に<br />免疫力のある米国産の葡萄の木を台木に<br />ヨーロッパ系品種を接ぎ木する方法がとられ<br />たそうです。<br />ですからチリワインはヨーロッパ系品種の<br />苗木が根をおろした葡萄の木に実ったブドウ<br />から収穫したものなのです。<br /><br /><br />

    ご存知の方も多いと多いと思いますが
    ☆チリのワインについて
    チリの葡萄の苗木はフランスやスペイン等
    ヨーロッパから持ち込まれたそうです。

    ところが、本家のヨーロッパで19世紀
    フィロキセラというアブラ虫の一種が大発生し
    葡萄の根が枯れる被害に遭いほぼ全滅しました。

    しかし、チリは地理的地形的条件が幸いし
    フィロキセラの被害は間逃れました。

    ヨーロッパのブドウの再生は、この害虫に
    免疫力のある米国産の葡萄の木を台木に
    ヨーロッパ系品種を接ぎ木する方法がとられ
    たそうです。
    ですからチリワインはヨーロッパ系品種の
    苗木が根をおろした葡萄の木に実ったブドウ
    から収穫したものなのです。


  • 地図で見て見たところ広場から<br />繁華街までそう離れていないことを知り<br />歩いて行ってみました。

    地図で見て見たところ広場から
    繁華街までそう離れていないことを知り
    歩いて行ってみました。

  • サンティアゴ一番の繁華街は<br />おしゃれな店が軒を連ね道行く人の服装からも<br />中間層の人たちが多い街で治安もどことなく<br />良さそうでした。

    サンティアゴ一番の繁華街は
    おしゃれな店が軒を連ね道行く人の服装からも
    中間層の人たちが多い街で治安もどことなく
    良さそうでした。

  • にぎやかな通りを一本裏通り<br />に入ってみたらここにも<br />おしゃれなお店が並んでいました。

    にぎやかな通りを一本裏通り
    に入ってみたらここにも
    おしゃれなお店が並んでいました。

  • ガラスばりの感じの良い店に入ってみました。

    ガラスばりの感じの良い店に入ってみました。

  • お腹も空いてきたので<br />久々にパスタ<br />「ほうれん草のフィツトチーネ」<br />を食べました。

    お腹も空いてきたので
    久々にパスタ
    「ほうれん草のフィツトチーネ」
    を食べました。

  • メキシコでのケチャップマン事件を経験の後でしたから<br />陽が沈まないうちにホテルに戻ることにしました。<br />冷たい雨は降り続いていました。<br /><br />この翌日8月28日の16:35発のランチリ航空で<br />イースター島に向かい その後  <br />9月2日 18:00着で<br />再びサンチアゴに戻ってきました。

    メキシコでのケチャップマン事件を経験の後でしたから
    陽が沈まないうちにホテルに戻ることにしました。
    冷たい雨は降り続いていました。

    この翌日8月28日の16:35発のランチリ航空で
    イースター島に向かい その後
    9月2日 18:00着で
    再びサンチアゴに戻ってきました。

  • ここから「サンパウロ編」に移行します。<br />(Sao Paulo  ポルトガル語表記)<br />☆サンパウロは画像が少ないことから<br />当時やり取りしたメール等を基にデータ的<br />なことを記述しておきます。<br /><br />9月3日   サンチアゴ(7:45発    )    <br />サンパウロ12:25着。<br />時計をローカルタイム(現地時間)に<br />1時間進め  12:25に直しました。<br />入国審査官は友好的で<br />日本語で「こんにちはいい旅を続けてください」と<br />あっさりパスポートにスタンプを押印してくれました。<br /><br />新たな国に入ったのでその国の通貨に空港内で両替をしました。<br />トラベラーズチェックUS100$が270レアルで <br />一レアルが44円でした。<br />(☆当時のメールに「近年デノミがあったばかりだそうです。」)<br /><br />空港から路線バスでホテルに向かいました。<br />乗客が集まるまで1時間の待ち時間があり<br />やっと走り出しました。<br />ここがバス道?と思える混みいった細い道を<br />ジグザグ走り終点の大きなバスステーションに<br />着きました。<br />そこがまた、お祭りの街中よりももっと<br />混み合っていていかにも治安が悪そうな雰囲気です。<br />ホテルは、ガイドブックでここから近くにあるはずと<br />思っていましたがなかなか見つかりません。<br /><br />ここは、ポルトガル語圏だ。えぇ〜い。<br />ただ単に「ヒルトンホテル」と言って<br />聞いてみるか。と数人の人に聞きながら<br />歩き出しました。<br /><br />道路のアスファルトが所どころハゲていたり<br />突然コンクリートになったりカバンの車が壊れる<br />のではないかと<br />ひやひやしながら人垣を縫うようにして<br /> やっとホテルに着きました。<br />30レアルのバス料金に惹かれ、<br />タクシー料金US55$を<br />ケチってしまいました。<br /><br />☆ホテルは、治安状態が不安内でしたので<br />Hiltonをネットで予約しておきました。<br />観光には良い立地でしたし英語が通じ部屋から<br />ネットが出来快適でした。<br />それでいて、某カード支払い特典で一泊US70$<br />とヒルトンとしては格安でした。<br /><br />☆万国共通というコネクターを持参したのですが<br />南米では全く役に立ちませんでした。チリとも違う<br />見たことも無いコネクターをフロントで借りました。<br /><br />☆画像〜フロントマン兼コンシェルジェの彼から<br />観光案内や治安状態等を詳しく教えてもらいました。

    ここから「サンパウロ編」に移行します。
    (Sao Paulo ポルトガル語表記)
    ☆サンパウロは画像が少ないことから
    当時やり取りしたメール等を基にデータ的
    なことを記述しておきます。

    9月3日 サンチアゴ(7:45発 )
    サンパウロ12:25着。
    時計をローカルタイム(現地時間)に
    1時間進め 12:25に直しました。
    入国審査官は友好的で
    日本語で「こんにちはいい旅を続けてください」と
    あっさりパスポートにスタンプを押印してくれました。

    新たな国に入ったのでその国の通貨に空港内で両替をしました。
    トラベラーズチェックUS100$が270レアルで
    一レアルが44円でした。
    (☆当時のメールに「近年デノミがあったばかりだそうです。」)

    空港から路線バスでホテルに向かいました。
    乗客が集まるまで1時間の待ち時間があり
    やっと走り出しました。
    ここがバス道?と思える混みいった細い道を
    ジグザグ走り終点の大きなバスステーションに
    着きました。
    そこがまた、お祭りの街中よりももっと
    混み合っていていかにも治安が悪そうな雰囲気です。
    ホテルは、ガイドブックでここから近くにあるはずと
    思っていましたがなかなか見つかりません。

    ここは、ポルトガル語圏だ。えぇ〜い。
    ただ単に「ヒルトンホテル」と言って
    聞いてみるか。と数人の人に聞きながら
    歩き出しました。

    道路のアスファルトが所どころハゲていたり
    突然コンクリートになったりカバンの車が壊れる
    のではないかと
    ひやひやしながら人垣を縫うようにして
    やっとホテルに着きました。
    30レアルのバス料金に惹かれ、
    タクシー料金US55$を
    ケチってしまいました。

    ☆ホテルは、治安状態が不安内でしたので
    Hiltonをネットで予約しておきました。
    観光には良い立地でしたし英語が通じ部屋から
    ネットが出来快適でした。
    それでいて、某カード支払い特典で一泊US70$
    とヒルトンとしては格安でした。

    ☆万国共通というコネクターを持参したのですが
    南米では全く役に立ちませんでした。チリとも違う
    見たことも無いコネクターをフロントで借りました。

    ☆画像〜フロントマン兼コンシェルジェの彼から
    観光案内や治安状態等を詳しく教えてもらいました。

  • この街に一泊しただけで、翌日の13:30発<br />のジエットでイグアスの滝へ向かうので<br />「サンパウロ」の街歩きはこの日の日没までの<br />数時間だけ。<br />シャワーも浴びず早速街に飛び出しました。<br /><br />☆「サンパウロ」<br />人口およそ1130万人(2011年)<br />ブラジルの国民総生産の50%をあげ<br />3000店舗の銀行、7チャンネルのTV局<br />等  南米大陸最大の都市でした。(汗)<br />ほぼ南回帰線(南緯23度26分)に位置する。<br />私が訪ねた8月は冬(6月〜9月)という<br />ことでしたが街中の電光掲示板では午後5時の気温は22℃でした。<br /><br />☆ホテルから一歩外へ出た所からもう人ごみです。<br />道路が整備されておらず<br />蜘蛛の巣状態でメキシコシティーの<br />比ではありません。<br />細い道もバス道になっていたり<br />ゴチャゴチャという感じです。<br />タクシーの運転も、Uターンしたり、<br />一段下の通りへ斜めに道無き道を下ったり(汗)<br />しかも飛ばします。<br />渋滞もあちらこちらにあり排気ガス  ムンム!<br />それでも  タクシーは窓を開けて走っています。<br />それまで訪れた北米大陸では見かけない風景でした。<br /><br />☆画像は、セントロにある<br />「カテドラル・メトロポリターナ」<br />歴代のサンパウロの司教が葬られています。<br /><br />

    この街に一泊しただけで、翌日の13:30発
    のジエットでイグアスの滝へ向かうので
    「サンパウロ」の街歩きはこの日の日没までの
    数時間だけ。
    シャワーも浴びず早速街に飛び出しました。

    ☆「サンパウロ」
    人口およそ1130万人(2011年)
    ブラジルの国民総生産の50%をあげ
    3000店舗の銀行、7チャンネルのTV局
    等 南米大陸最大の都市でした。(汗)
    ほぼ南回帰線(南緯23度26分)に位置する。
    私が訪ねた8月は冬(6月〜9月)という
    ことでしたが街中の電光掲示板では午後5時の気温は22℃でした。

    ☆ホテルから一歩外へ出た所からもう人ごみです。
    道路が整備されておらず
    蜘蛛の巣状態でメキシコシティーの
    比ではありません。
    細い道もバス道になっていたり
    ゴチャゴチャという感じです。
    タクシーの運転も、Uターンしたり、
    一段下の通りへ斜めに道無き道を下ったり(汗)
    しかも飛ばします。
    渋滞もあちらこちらにあり排気ガス ムンム!
    それでも タクシーは窓を開けて走っています。
    それまで訪れた北米大陸では見かけない風景でした。

    ☆画像は、セントロにある
    「カテドラル・メトロポリターナ」
    歴代のサンパウロの司教が葬られています。

  • そんな中をタクシーで向かった先は<br />セナのお墓がある「モルンビー墓地」です。<br /><br />ホテルからタクシーで30分程。<br />セナは、サンパウロ市内を見下ろす小高い丘の上<br />にある公園墓地に眠っていました。<br /><br />『アイルトン・セナ』<br />F1世界選手権で1988年.1990年.<br />1991年と3度ワールドチャンピオンに輝きました。<br />イタリアの「サンマリノグランプリ」に出場中<br />時速312Kmで首位を走行中コースアウトし<br />コンクリートウォールに激突。<br />1994年5月1日(34歳)没<br /><br />イタリアからブラジル空軍機で帰国した<br />亡骸は消防車に移され葬儀会場に。<br />沿道にはおよそ100万人が集まりました。<br />命日の5月1日が「交通安全の日」<br />としてブラジルの祝日となりました。

    そんな中をタクシーで向かった先は
    セナのお墓がある「モルンビー墓地」です。

    ホテルからタクシーで30分程。
    セナは、サンパウロ市内を見下ろす小高い丘の上
    にある公園墓地に眠っていました。

    『アイルトン・セナ』
    F1世界選手権で1988年.1990年.
    1991年と3度ワールドチャンピオンに輝きました。
    イタリアの「サンマリノグランプリ」に出場中
    時速312Kmで首位を走行中コースアウトし
    コンクリートウォールに激突。
    1994年5月1日(34歳)没

    イタリアからブラジル空軍機で帰国した
    亡骸は消防車に移され葬儀会場に。
    沿道にはおよそ100万人が集まりました。
    命日の5月1日が「交通安全の日」
    としてブラジルの祝日となりました。

  • セナの墓は<br />公園墓地の入口から  まっすぐ<br />  広い公園墓地の真ん中にありました。<br />モルンビー墓地は土葬の為墓石は無く<br />小さなプレートの周りに鉢植えの花が<br />飾られていました。<br />この下にセナが眠っているのだと...<br />手を合わせてきました。<br /><br />☆お墓参りの後に「東洋人街」に行こうとバス停に<br />並びましたが30分待っても来ずあきらめて<br />タクシーに乗りました。<br />丘を下る途中のバス停を見ると<br />どこのバス停にも長〜い行列ができていました。<br />途中幹線道路と思われる片側何車線もある<br />太い道路を通りました。<br />ふと目をやると明らかに貧民街と見うけられる<br />バラック建ての家が集中した地域があり<br />この街の格差社会を目のあたりにしました。<br /><br />やって来た「リベルダージ地区」は<br />日系人が多く住む街とガイドブックで知りました。<br /><br />☆1908年以降約100年間でおよそ13万人の<br />日本人が移住しました。(統計により明らかに。)<br />この一角には一次はおよそ150万人が<br />暮していたそうですが<br />私が訪ねた時には、<br />日本語の看板も多く見受けられる商店街を<br />歩いてみるとさすがに日本の物は食材を<br />はじめとしてあらゆる物が手に入りそうでした<br />が、エリア全体に人通りがやや閑散としていました。<br /><br />後日  知りましたが、二世、三世の方達が大勢<br />地元企業で成功を治めブラジル社会にとけ込んで<br />行く過度期?で、この地から居を離れる傾向<br />が続いていて近年では、中国人や台湾人の方々が<br />経営する店の進出が急増しているとのことでした。<br /><br />かってニュース番組で見た開墾から始まって<br />苦労を重ねやがてコーヒー農園を手にし<br />成功を治めた一世の方々の努力の塊の様な<br />この街角に立つと感慨深いものがありました。<br /><br />☆画像はビデオのみでした。(汗)<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    セナの墓は
    公園墓地の入口から まっすぐ
    広い公園墓地の真ん中にありました。
    モルンビー墓地は土葬の為墓石は無く
    小さなプレートの周りに鉢植えの花が
    飾られていました。
    この下にセナが眠っているのだと...
    手を合わせてきました。

    ☆お墓参りの後に「東洋人街」に行こうとバス停に
    並びましたが30分待っても来ずあきらめて
    タクシーに乗りました。
    丘を下る途中のバス停を見ると
    どこのバス停にも長〜い行列ができていました。
    途中幹線道路と思われる片側何車線もある
    太い道路を通りました。
    ふと目をやると明らかに貧民街と見うけられる
    バラック建ての家が集中した地域があり
    この街の格差社会を目のあたりにしました。

    やって来た「リベルダージ地区」は
    日系人が多く住む街とガイドブックで知りました。

    ☆1908年以降約100年間でおよそ13万人の
    日本人が移住しました。(統計により明らかに。)
    この一角には一次はおよそ150万人が
    暮していたそうですが
    私が訪ねた時には、
    日本語の看板も多く見受けられる商店街を
    歩いてみるとさすがに日本の物は食材を
    はじめとしてあらゆる物が手に入りそうでした
    が、エリア全体に人通りがやや閑散としていました。

    後日 知りましたが、二世、三世の方達が大勢
    地元企業で成功を治めブラジル社会にとけ込んで
    行く過度期?で、この地から居を離れる傾向
    が続いていて近年では、中国人や台湾人の方々が
    経営する店の進出が急増しているとのことでした。

    かってニュース番組で見た開墾から始まって
    苦労を重ねやがてコーヒー農園を手にし
    成功を治めた一世の方々の努力の塊の様な
    この街角に立つと感慨深いものがありました。

    ☆画像はビデオのみでした。(汗)







  • マイアミから南米大陸に渡って数カ所を飛び回り<br />リオデジャネイロからスペインのマドリードまでの間<br />ジエットの中で日本人に会うことはありませんでした<br /><br />この後、いよいよ楽しみにしていた<br />「イグアスの滝」へ向いました。<br /><br />訪問をありがとうございます。<br />今回は観光には馴染みの薄い街でもあり<br />ややディープな「旅行記」となりました。<br />メキシコシティーでの経験がこのディープな街で<br />役に立ち更にはこの経験がアフリカで役に立つなど<br />思いもかけませんでした。<br /><br />心弾む楽しい旅を

    マイアミから南米大陸に渡って数カ所を飛び回り
    リオデジャネイロからスペインのマドリードまでの間
    ジエットの中で日本人に会うことはありませんでした

    この後、いよいよ楽しみにしていた
    「イグアスの滝」へ向いました。

    訪問をありがとうございます。
    今回は観光には馴染みの薄い街でもあり
    ややディープな「旅行記」となりました。
    メキシコシティーでの経験がこのディープな街で
    役に立ち更にはこの経験がアフリカで役に立つなど
    思いもかけませんでした。

    心弾む楽しい旅を

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この旅行記へのコメント (5)

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  • エヌエヌさん 2022/02/09 16:26:46
    お初ですよね。
    あの街さま

    ご友人と同じく寒さに強く暑さに弱いエヌエヌです。(#^^#)
    いつもご覧いただきありがとうございます。

    アイルトンセナの大ファンでした。
    まさか、あの街さんが訪れていたとは・・・
    2002年というと死去から8年経った時ですね。
    お葬式の様子などはTVや雑誌で拝見しましたが、埋葬した上に緑が育っているのを見ると時が経ったのがわかります。

    自分セナのフィギュアと事故当時の車のダイキャストカー持ってます。(#^^#)

    また寄らせていただきますね。

    エヌエヌ

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/02/09 23:03:02
    RE: 1994
    エヌエヌさま
    お初ですよね。けど
    いつも懐かしい旅行記を見ていただき
    その都度、自分も見返すことが楽しみ(⌒▽⌒)になり
    エヌエヌさまを記憶♪( ´▽`)することとなりました。♪
    ありがとうございます♪ (⌒▽⌒)
    > >
    久しぶりぶりに思い返して見れば
    アイルトン・セナのあの旅から
    20年になるのだなぁ。と時の流れに改めて
    驚いています。
    スマホは、まだまだ先のことでした。

    地球の裏側の南米は、一般観光客のほとんどはツアー客で
    マイアミ空港からチリのサンチャゴ入りしてからは
    南米各地を回るジャンボ機で日本人に会うことはなく
    Hotelの予約は、限られたガイドBookで探すか
    旅行会社で高いHotelを予約するしか手はなく。

    携帯の海外通話料金は天井知らず状態。
    ノート型パソコンは、まだべら棒に高く
    それでも、背に腹はかえられぬ。と持参して
    メールを送信しようとしても、Hilton等
    大型Hotelは、なんとか繋がっても
    それ以外のHotelは、まず繋がらず
    ビジネスセンターから送信するも
    少し文章が長くなるとビジーとなり
    やっと送信した分のツケは帰国後
    高額な電話料金になって返ってきました。(;゜0゜)

    南米を後にヨーロッパ大陸に抜け
    ホッとしたことを覚えています。

    まさに今は昔。ですね。
    スマホ・Google maps・4T
    と 便利でありがたい時代になりました。

    ゆえに ひとつ・ひとつ、一ヶ所一ヶ所
    得難い体験が詰まっていて
    愛おしく思うあの旅でした。

    > >自分セナのフィギュアと事故当時の車のダイキャストカー持ってます。(#^^#)

    セナの乗った車のフィギュア持っているって良いですね。
    いつまでも愛し忘れないでいてくれる
    ファンの一人が28年経った今も
    地球の反対側にいる程 セナも凄い奴だったなぁと
    思います。
    ありがとうございました。

      あの街から
  • レモングラスさん 2012/12/14 22:46:41
    サンティアゴ
    こんばんは。

    10年前の旅行をよく覚えておられるなんてスゴイですよ!
    サンティアゴの銃を持った警備さん?・・よく話しかけられましたね・・それにカメラもOKなんて・・凄い勇気だわ〜(笑)

    あの街からさんの旅行記は私が行かないような国、景色を見ることが出来て楽しいし刺激的です!

    また、待ってますね!(^^)!
                     レモングラス

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2012/12/15 17:30:06
    RE: サンティアゴ

    レモングラスさん おはようございます。
    いつもありがとうございます。

    > 10年前の旅行をよく覚えておられるなんてスゴイですよ!

     それには2つのことが言えます。
     1つ目は
     当時職場の友人(同僚&後輩うち女子1名含む)や
    学生時代からの友人7名と
    旅先からメールのやり取りをしていました。 
    みんな面白がって色々な事を聞いてきたものです。
    たとえば、イスタンブールに着いた時には
    「トルコアイスクリームってどんなものか食べて感想を送れ」(笑)等。
    旅の途中から全員から承諾を得、
    私からのメールは同文で一斉配信としました。
    そのメールがけっこうな数となりましたが、
    帰国後友人の一人が全メールをCDーROMに焼き付け
    プレゼントしてくれました。
     もう一つは、
    ビデオのメモリーが全行程(治安等で撮影出来なかった場所を除いて)
    残されていることです。

    ですから
    「サンティアゴ編」でタクシーで聴いたビートルズの曲は車窓から
    朝もやに煙る風景をビデオ撮影していた時カーラジオから流れていたものです。

     あの旅のビデオ画像やメール等は帰国後1度見ただけで
    本箱の奥深くに眠っていましたが、
    今年4Tに参加して皆さんの「旅行記」を拝読し
    自分のあの旅も残しておこうと思い書き出してみる事にしました。
    その時にメールのCDやビデオのメモリーの存在を思い出し
    数年振りで目を通してみると
    付随した色々なことが次々思い出すことができました。

     まぁ、ノンフィクション作家 
    沢木耕太郎とは次元が大きく違いますが(笑)
    彼がパソコンも無い時代に、乗り合いバスでアジアを横断し
    ポルトガルまで旅したのは26歳の頃
    旅行記「深夜特急」の出版されたのは
    10年以上経過した1986年5月のことでした。
    彼が旅行記の中で、当時友人宛のはがきや
    金銭出納をメモに書きにしていたものが残されていて、
    そのメモを見て多くのことを思い出し書くことができた。
    と後年のエッセイで読んだと記憶しています。

    > サンティアゴの銃を持った警備さん?・・よく話しかけられましたね・・
    それにカメラもOKなんて・・凄い勇気だわ〜(笑)

     たしかに、あの画像だけご覧になるとごもっとも 無鉄砲さが際立ちますが 
    あの前段として
    まず、現場ではその場の雰囲気を察知。感触が良い場合には
    カバンから旅行ガイドブックやカメラを取り出し
    手に持ち「私は単なる観光客です」とさりげなくアッピール(汗)
    その後、挨拶から話しかけてみます。
    それでOKとなれば画像として残せる訳です。

     この旅を書きながら最新のガイドブック等も
    出来るだけ目を通す様にして新旧の変わり?
    等も書き込んでゆきたいと思っています。 
    例えば、最新(12〜13年度)の
    地球の歩き方「アルゼンチン チリ編」によりますと
    「モネダ宮殿」の欄にこんな記載が載っていますのでごくごく一部を抜粋してみます。
    〜宮殿を警備する兵士(汗)たちの表情も和らぎ、記念撮影に気軽に応じてくれるようになった。
     と載っていました。

     9.11の翌年のNY。駅舎の建築も素晴しい「グランドセントラル」でのこと
    駅舎の待合室でカメラを構えたら警備員が飛んできました。(冷や汗)
    しかし、時は流れ 今では、皆さんの旅行記を拝見しますと
    「グランドセントラル」も 警戒の厳しかった「入国審査エリア」の
    画像までUP出来いるのを見かけ 変わり行くものだと感じています。
    そうは言いましても、楽しい旅を続ける為にも
    危険の及ぶ事には 近づかない事は大事ですね。

    私のあの旅でも「サンチャゴ編」は特異パターンです。
    >
    > あの街からさんの旅行記は私が行かないような国
     景色を見ることが出来て楽しいし刺激的です!
    >
     この「ワンワールドの旅」には、少し前にも 
     ウッディさんから同様の書き込みを頂きましたが
     その際にも少し書きましたが
     今思えば、あの旅はあらゆる条件?が奇跡的に整い実現しました。
     休暇〜抱えていた大きな仕事が一段落。次の大きな仕事の準備期間まで
     何とかそれまでたまった休暇を取ることができました。
     (上司、同僚等バックアップをしてもらえました。)
     資金〜新車を買うための貯金がタイミング良く
        満期をむかえそれを充てました。
        新車はあきらめ中古車にしました。(汗)
     小型のノートパソコンで旅の途中で情報や
     日本の友人達と交信が出来るようになりました。
     まだまだPCを外国に持ち出す人は少ない頃で、
     友人たちには喜んでもらえました。(汗)
     そして何より、
     友人たちのいろいろなバックアップがありました。
     その辺のところは、この旅行記に出せる所は時折掲載し
     なんとか最終訪問地まで書き進む事ができましのなら
     「あとがき」として 少し詳しく書こうかな
     と考えています。

     なので 「ワンワールドの旅」は 
     私にとりまして特別な旅となりました。
     もちろん、
     最初でおそらく最後の世界一周の旅なのです。
     
     今は、あの旅のように飛び飛びの旅ではなく 
     一カ所でゆっくり街歩きをしたい派?
     に変わりつつあり今年の香港で初めて同じホテルに連泊をし満足しました。
     けれど、来年の旅の検討をはじめた今、地図を広げながら
     「あそこまで行くなら ここも行ってみたい 病」が
     出はじめています。(汗) 

    > また、待ってますね!(^^)!
    >                  レモングラス

     その様な訳ですので、この旅にも是非お付き合いください。
     よろしくお願いします。
     長々とありがとうございます。
       
     レモングラスさんへ
                         あの街から 



    レモングラス

    レモングラスさん からの返信 2012/12/15 18:27:26
    ご丁寧にありがとうございます。
    あの街から様

    とてもわかりやすく教えてくださってありがとうございます。

    な〜るほど!10年前の記憶はそういうことだったんですね!

    素敵な友人(旅仲間)をお持ちで羨ましいです。

    このような掲示板でのやりとりでも感じますが、旅は人を繋げますね♪

                            レモングラス

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