2012/11/20 - 2012/11/20
248位(同エリア360件中)
キヌちちさん
日月潭は地名からして風光明美な水面を想像しておりましたが、その通りでした。海抜748mの高原に位置する面積116平方kmの湖で、ロープウエーからの眺望も印象に残りました。
-
台中から日月潭まで途中、大きなアパート群が見えました。
-
台中→日月潭、車窓風景。
-
台中→日月潭、車窓風景。
-
台中から約70km、約1時間半。日月潭が見えてきました。
-
日月潭
-
日月潭
-
日月潭
-
建物は湖畔に立つ米洛克飯店(MIRACOLO・VIEW・HOTEL)です。
-
ひらがなで「おみやげ」と書かれています。日本からの観光客が多いということの表れですね。
-
ホテルです。
-
日月潭は台湾本島中央部に位置する台湾最大の淡水湖であり、台湾で最も秀麗な高山湖である。日月潭は湖内にうかぶラル島を境に東側が日輪、西側が三日月に似ていることからこの名がついた。
青い山々と碧い水面が織り成す美しい景色が日月潭の魅力である。海拔748.48メートルにある日月潭に立ちのぼる霧の中、幾重にも重なる山々に囲まれた日月潭の風景はまさに山水画そのものである。景色と風物が一体となって刻々と変化する様は言葉では例えようがない。
早暁、黄昏、春夏秋冬の四季の移ろい、また穏やかな陽射しが射すときも、雨に煙るときも、日月潭の美しさは見飽きることがない。
明け方、湖面には一面薄霧がおおい、朦朧とした世界が広がる。山際から一閃の暁光が射し込み、湖水はその輪郭をしだいに現してくる。湖面は山々や木々の影に区切られ、鳥たちがかしましく活動を始める。
黄昏には、湖水は金光に輝き、瑠璃色の仙境となる。夜の帳がおりると、灯光が湖面に揺れ、爽やかな風とともに、精霊たちがさわぎだす神秘の世界へと一変する。
カーブを回るたびに顔を見せる日月潭のさまざまな風貌を楽しみながら湖辺を散策しよう。また風を切っての湖水一周のサイクリングも快適だ。さらに遊覧船やボートから水しぶきを浴びながら眺める山々の風景も格別。
日月潭は、荘厳な瑠璃色の朝を迎えるために泊りがけで訪れたい。いや、ぜひ2泊3泊してゆっくりと仙境の一日を過ごしたいものである。
(台湾・交通部観光局日月潭国家風景区管理所HPより)。 -
日月潭は水沙連の中心にあり、南投県魚池郷に属し、台湾中央山脈の西麓に山脈と西部平原の間、すなわち、日月潭の西は平地で、東は山脈。ほぼ南投県の中央。東経123度55分、西緯23度52分で、北は埔里鎮、東北は仁愛郷、東南は信義郷、西南は水里、西北は国姓郷と接している。
日月潭付近の地形は彎曲、断層、と河川による侵蝕の影響で、域内には丘陵が多く、盆地は13あり、埔里盆地に属している。そのなかで最も面積が大きいのは魚池盆地(21平方km)、日月潭(5.4平方km)であるが、湖の元々の様子は保っていない。
魚池盆地は過坑山(1331m)、大尖山(2016m)、水社大山(2120m)など埔里板岩山に属する山に囲まれ、烏川支流南港川の流域に所属しているが、日月潭南方にある頭社盆地(1.6平方km)、銃櫃盆地(0.7平方m)は濁水川流域に所属している。
日月潭、頭社、魚池、埔里盆地はもともと湖で、第3紀粘板岩層の陥没地帯である。すなわち粘板岩層の断層地帯で、プレートの変動による彎曲と陥没作用で、大小の盆地になった。これらの盆地に水が溜まって湖となった。
洪積世になる同時に水が溜まりはじめ、長年の間に氾濫や決壊を繰り返し、肥沃な土地となった、現在の頭社、魚池、埔里などがそうである。しかし、日月潭は標高が高かったため、盆地の決壊や河川による侵蝕作用の影響受けにくく、自然の湖を保つことできた。
(台湾・交通部観光局日月潭国家風景区管理所HPより)。 -
文武廟
日本時代、日月潭のそばには二つの廟があった。水社村の龍鳳宮と卜吉村(現在のイタサオ)の益化堂である。やがて発電所の工事が始まって、日月潭の水位が上昇したため、二つの廟は撤去されることになった。
廟は電力株式会社によって買い上げられて、それで得たお金で記念の廟が建てられた。1934年、二つの廟は合併されて日月潭の北側に再登場した。これが今日の文武廟である。
文武廟は中国北朝宮殿式の建築で、規模は大きく、壮麗である。廟は三殿に分かれる。前殿二楼は水雲宮で開基元祖および文昌帝君を祀る。
中殿武聖殿は関聖帝君および岳武穆王を祀る。後殿大成殿は至聖先師孔子を祀る。
文武廟大成殿は全台で唯一正門を開いた孔子廟である(一般の孔子廟は平常閉まっている)。廟によると、日頃から参拝客が多いため、出入りの安全を考えて正門を常時開けているという。
大成殿には青銅の孔子坐像があり、台湾で唯一聖像を奉る孔子廟となっている。孔子のほかに孟子および子思という三尊神像があるが、これらはもともと中国大陸にあって、義和団事件の際に日本の狭山不動寺に運ばれ、その複製が文武廟に奉じられたもの。
廟の前の広場には二つの巨大な朱色の獅子が控えている。これらは新光保険会社の呉火獅会長の寄贈によるもので、当地住民は「呉火獅」と呼んでいる。
(台湾・交通部観光局日月潭国家風景区管理所HPより)。 -
文武廟牌楼です。
-
日月潭は台湾で一番大きな湖で、不規則な菱形の日潭と西に細長い月潭で形成されているため、日月潭と名づけられた。邵族語ではzintunと呼ばれ、日月潭の最初の名称だと思われている。
日月潭という名称が初めて現れたのは清朝道光元年(1821年)、北道理番同知!)ケ傳安の<遊水裡社記>文に、<<蠡測彙抄>>に「其水不知何来、瀦而為潭、長幾十里、闊三之一、水分丹碧二色、故名為日月潭」と書かれていた。
漢人が水沙連を開拓するにつれて、歴代の政府の官吏、文芸学者などによって、水社大湖、水裡湖、水裡社潭、水社海仔、竹湖、龍潭、龍湖などとも呼ばれていた。
清朝末期に、西洋人の伝道士が邵族の人に伝導しようとやって来て、Doagon lake、lake Candidius、Nin-Isivatan lakenなどと名付けた。
日月潭の中ほどに島があり、ここは邵族の旧居住地で、邵族の最も神聖な祖零pashalaの宿る地でもあった。邵族語ではlaru、清朝では珠嶼(嶼:島の意味)、珠仔嶼、珠山、珠仔山、珠潭浮嶼などと呼ばれていた。
また、lalu島は、邵族語でkunbarizと呼ばれた青龍山と、邵族語でtitabuと呼ばれた崙龍山、この二つの山の丁度真ん中にあって、二頭の龍が珠で遊んでいるように見えることから、珠嶼(しゅしょ:玉の島)などとと呼ばれていた。
清朝光緒時代、ここに来た西洋人がpearl islet(珍珠島)と名づけた。日本殖民時代には玉島(水中島とも呼ばれていた)と名づけ、日月潭水力発電が順調に進められるように祈るため、島に玉女女神「市杵島姫命」(神様の名前)、を祀り「玉島社」と名づけた。
中華民国88年「921大震災」後、南投県庁が邵族に敬意を表すため、光華島を正式に拉魯(Lalu)島と名づけた。観光局日月潭国家風景区管理所がこの島を邵族の祖霊島と銘打ち、中華民国89年10月12日に、「千人植木、千人保護」のキャンペーンを行い、邵族の人の最も神聖な祖霊の居場所に茄苳木を植えた。
(台湾・交通部観光局日月潭国家風景区管理所HPより)。 -
牌楼の後ろに置かれていた銅像です。
-
朱色の石獅子です。
-
文武廟水雲宮です。
-
水雲宮から日月潭を眺望。
-
水雲宮
-
関聖帝君と岳武穆王を祀った武聖殿です。
-
武聖殿
-
武聖殿
-
関聖帝君(関羽将軍)像です。
-
岳武穆王(岳飛将軍)像です。
-
おみくじの自動販売機。
-
武聖殿
-
喫茶店
-
大理石の椅子
-
大成殿前にある九頭の龍の彫刻。
-
大成殿、至聖先師孔子像。
-
大成殿、顔子と子思子像。
-
赤、青、緑、オレンジ、紫の5色別に願い事と住所、名前、E−MAILが書かれた祈求札。学業成就の紫色はなくなっていました。ガイドさんによれば「台湾の受験競争はとても厳しく、たくさんの人が願を掛ける」そうです。
-
青色(健康)、オレンジ色(仕事)の祈求札です。
-
赤色(結婚)、緑色(金運)の祈求札です。
-
文武廟
-
孔子にまつわる絵が彫られています。
-
孔子にまつわる絵が彫られています。
-
文武廟
-
文武廟
-
龍の口から水が池に流れ落ちています。
-
上の龍の口からも水が滝のように垂れ落ちています。
-
上のアップです。
-
孔子の逸話を描いたレリーフです。
-
孔子の逸話を描いたレリーフ。
-
文武廟
-
文武廟
-
男性トイレの壁に貼られていた注意書きです。「便器の外に落とさないように近付いて」というようなニュアンスだと思います。わざわざこんな注意書きがあるということは、マナーの悪い人が多いということでしょうか。
-
文武廟から日月潭を眺望します。
-
文武廟からの日月潭の眺望。
-
文武廟からの日月潭の眺望。
-
年梯
日月潭一周道路が未開通のとき、文武廟へ行くには必ず船で文武廟下方の波止場についてから、かなり急な階段を上らなければならなかった。相当に苦労でこの階段は「通天梯」と呼ばれたりした。
後に一周道路が完成すると、しだいに人々は文武廟下方の苦痛の階段を忘れていった。
最近、管理処においてこの階段を改修した。全長約150mで366段あるという。一年366日に相当する。(閏年)毎月一日に当たるところには踊り場が設けられ、二十四節気に相当するところにそのデータが刻まれている。階段を上り下りしながら、中国の民俗文化に触れられる仕組みである。この階段は「文武廟年梯」あるいは「年梯歩道」と呼ばれ、人気を集めている。
「年梯歩道」上には二十四節気のほかに、「祈福風鈴」という工夫も施されている。これは幸福を祈る一種のおまじない。まず文武廟で自分の干支の祈福風鈴を購入し、廟で「加持過火」の後、自分の姓名および願い事を書いて、入り口のところで大型の風鈴を鳴らしてから階段を下り、自分の誕生日のところに風鈴をかければ完成だ。
(台湾・交通部観光局日月潭国家風景区管理所HPより)。 -
年梯の説明看板です。
-
文武廟入り口前でギター演奏のパフォーマンスが繰り広げられていました。
-
文武廟入り口前に土産店などが軒を連ねていました。写真はイノシシの肉だそうです。
-
卵とシイタケだそうです。
-
土産店
-
ソフトクリームもありました。
-
文武廟後山公園
-
文武廟の駐車場、正面はトイレです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
キヌちちさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
60