2011/09/25 - 2011/09/26
143位(同エリア179件中)
みやじさん
9月25日
日没後、すでに真っ暗になってからクロアチアを出国しモンテネグロへ。モンテネグロでは交通取り締まりが厳しいようで、一般車は制限速度を守って走行していました。予約していたコトルの宿は、実はコトル旧市街ではなく、コトル湾沿いのお隣の小さな村に。宿に電話して行き方を尋ねても女主人は英語が不自由で「タクシーで来い」。通行人に道を尋ねながら1時間かけて探し当てました。
9月26日
コトルの旧市街はろくに観光もせず、モンテネグロの海岸線を南へ。途中で山の上に近代戦の陸上要塞があるようだったので、そちらで時間をつぶしました。この日の宿泊地のブドヴァを通過して、午後遅くにですが、さらに隣国であるアルバニアに入りました。
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2011年9月にクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロを
レンタカーで旅行してきました。39歳男性、1人旅です。
○21日:羽田→パリ→ザグレブ → ラストケ → プリトヴィツェ泊
○22日:プリトヴィツェ観光 → ビハチ → コレニツァ泊
○23日:→ クニン → クルカ国立公園 → シベニク泊
○24日:→ スプリット → モスタル泊
●25日:→ ブラガイの砦 → ストン → コトル泊
●26日:コトル近郊の要塞 → ショコダル湖 → ブドバ泊
○27日:ブドバ近郊の砲台 → ヘルツェグノビ泊
○28日:→ ドブロブニク →(国内航空)→ ザグレブ泊
○29日:→ パリ→羽田
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
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クロアチアからモンテネグロに入国するための国境検問所。ここでは審査に5分近くかかり、自動車保険?の提出も求められました。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナに比べると厳格です。自動車入国者は「環境税?」10ユーロも徴収されます。
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海沿いのカーブの多い道を小一時間。コトルのプチホテルに到着しました。
1室50ユーロ(豪華朝食付き)。レンタカー旅行では都市中心部の宿にしないと都市観光ができないとシベニクで学習したため、ここでは割り切って旧市街に近い高価な宿をとりました。 -
明けて9月26日朝、出発前にプチホテルで。女主人は英語が苦手ですが、いい人でした。
この日はアドリア海沿いを行けるところまで南下し、運がよければアルバニアを訪問する方針に。宿はブドヴァ(コトルから20km南)に確保してあり、計画としてはゆとり十分です。 -
出発して20分、ティヴァト Tivat 付近で。海外で運転する時に話題になる「ロータリー/ラウンドアバウト」のサインです。ロータリーは重要ルール2つ(優先関係など)が分かってしまえば簡単です。
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途中の坂道で。1人旅する女性旅行者。日本ではほぼ絶滅した「ランドナー」というタイプの自転車です。前後輪ともパニアバッグの本格派です。
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道端に史跡のマークの案内。Gorazda ゴラジュダと読めます。予定にはなかったのですが立ち寄る事に。
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丘を車で10分ばかり上ると…。城ではなく第1次大戦型の陸上要塞でした。日露戦争時の旅順の要塞群とも同じカテゴリーです。
分かりにくいですが最上部の円柱型の見張所があります。右側に隠頭式の砲塔の天蓋が見えていました。参考:ほかの要塞での隠頭式砲塔の写真(Wikipedea)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Maginot2ix.jpg -
要塞の周囲の原っぱで放牧されているロバ君。お食事中。
このロバ君達の糞が要塞周囲に散らばっていたため、要塞周囲は地雷リスクは低いと判断しました。 -
要塞の周囲は深さ5m〜10mの空堀。なるほどこれなら歩兵も戦車も接近できません。堀の底には堀に落ちた敵兵を掃射するための廓が突出しています。
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その堀を渡るのは簡単でした。コンクリート製の橋が整備され、要塞内部に立ち入れるようになっていました。
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要塞の入口の扉。扉の文は英語で言うと We are Tito's, Tito is ours. でしょうか? Titoは冷戦期のユーゴスラビアの指導者チトー大統領のことです。
果たして、こんな文化財のような施設が冷戦期まで現役だったのでしょうか?? -
空気銃の破片が落ちていました。要するに子供の玩具です。モンテネグロの若者が、ここで撃ち合いしているようです。
なお要塞の2階・3階に登る螺旋階段が内部にあったのですが、下半分が意図的に取り除かれているように見えたため、念のため探検は控えました。 -
Goolge Earth から航空写真。チトー大統領要塞(いまつけた名前)の全景が分かりやすく写っています。
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要塞を後にし、南へ向かってドライブ続行。
途中で見かけたスヴェティ・ステファン島。島全体が超高級リゾートだとか。 -
アルバニアが近づくにつれて山深くなります。道路沿いに湖の看板があったのですが、いったい何処に湖が?と思いつつ通過。
実はこの日の夕方、その湖と正面の山を半泣きになりながら堪能することになります。 -
途中バル Bar の軍港で一休み。岸壁には複数のコルベットが係留されています。バルはモンテネグロを代表する港です。
またバルはセルビアからの重要な鉄道の終点でもあります。この鉄道は風光明媚な路線とのこと。本当はバル駅を見たかったのですが、貨物駅側から近づいたせいか、駅入口の検問所で追い返されてしまいました。 -
後で知ったのですが、バルには巨大な旧市街 Stari Bar の廃墟があり、公園に整備されて見学できるようになっています。知ってたら行きたかったです。写真は町の案内板で、撮影時は気づきませんでしたが Stari Bar がしっかり載ってます。
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ところでモンテネグロ最南部を構成するバルと、その南の町ウルツィニュは、歴史的にはアルバニア人の土地です。1878年に南スラブ人(=セルビアとモンテネグロ)がオスマン帝国を破った際に戦利品として併合した土地です。現在でもウルツィニュの多数派住人は、取り残されたアルバニア人だそうです。
このモンテネグロ最南部と同様の方法で、30年後にさらに南スラブ人が勝ち取った別の土地がコソボです。コソボは20世紀末に独立で揉めて有名になりました。モンテネグロ最南部がコソボのような紛争に至らなかった理由は何なのでしょう? 詳しい人教えてください。 -
ウルツィニュ Ulcinj を過ぎると、道は幹線道路のハズなのに急カーブの連続する山道に。道路脇には落ち葉が溜まり、夜は絶対通りたくない道です。「この先アルバニア」みたいな看板も一切なし。迷子になっていないか心配しながら走りました。
ところが、この風景の直後に急に道路がよくなり、大きなスーパーやガソリンスタンドが出現。その先にモンテネグロの出入国管理所がありました。次の旅行記に続きます。
http://4travel.jp/traveler/ivan_toby/album/10726242/
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