2012/10/31 - 2012/11/01
67位(同エリア95件中)
みやじさん
10月31日
レンタカーでのルーマニア1人旅を終えて、日没後にドナウ川をフェリーで渡りブルガリアへ。この日は雨だったため、特に観光せずに、河川港の町ヴィディンのホテルへ直行して寝ました。
11月1日
雨の中、隣国セルビアのローマ時代の遺跡を見に日帰り旅行。地元民向けののどかな国境検問所を通過。セルビアは国際政治の問題でEU加盟の見通しも立たない国家ですが、クレジットカードは通用し、道路状況も快適で、普通のヨーロッパの中進国でした。ここに古代ローマの都市遺跡があり訪問しました。
道路地図を購入するのもこのセルビア訪問の重要な目的だったため、ザイェチャルの町へ行きました。しかし本屋でもガソリンスタンドでも遺跡訪問に使えるような立派なものは見つからずに終わりました。往路とは別の国境検問所を通過し、雨の中ブルガリアに戻りました。
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○1日目:羽田→独FRA→ソフィア→ヴェリコタルノヴォ泊
○2日目:琴欧州の村(不発)→ドナウ川国境→ブカレスト泊
○3日目:ブカレスト市内観光 → シナイア泊
○4日目:シナイア → 城塞廃墟見学 → シギショアラ泊
○5日目:シギショアラ→要塞教会群→ ブラショフ泊
●6日目:ドナウ川平原→ドナウ川の国境→ヴィディン泊
●7日目:セルビア観光 → ヴィディン泊
○8日目:ベログラドチック → ソフィア泊
○9日目:ソフィアで買物 → 独フランクフルト泊
○10日目〜11日目:羽田空港へ
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この旅行記の行程。河川港の町ヴィディンで1泊し、翌日はお隣セルビアの古代ローマの遺跡「ロムリアーナ」を訪問。夜は同じヴィディンで別のホテルに宿泊。
道路地図で見ると、南のブラシュカ・チュカ国境がメジャーな国境(地図記号で区別できる)であるのに対して、北のブレゴヴォ国境は「周辺国の国民用」でした。後者は私のような第3国の旅行者は通過できる保障がありません。そのため時間的余裕のある往路に後者を通る事にしました。 -
10月31日夜遅く。ブルガリア入国の手続きを済ませ、レンタカーで走り出します。写真は港湾地区の出口にあったブルガリアの交通法規の看板です。
右は制限速度で、市街地50km、田舎道は90km、高速道路は130km。制限速度をすべての車が遵守する訳ではありませんが、トラックやバスが真面目に守っているため、結果的に車列が概ね制限速度で走ることになります。
市街地と田舎道はどうやって区別するのか日本人にはピンと来ませんが、ブルガリアでは「ここから○○の町ですよ」という看板が主要道路にあるのです。町を通り過ぎると「市街地はここまで」の看板も立っています。日本にはない、公的な“町ハズレ”概念が存在している訳です。 -
この写真は翌朝撮影したものですが、宿泊したロヴノホテル Rovno Hotelです。ドナウ川の川岸に立つ高層ホテルで(12階建てくらい)、エレベーター完備、室内広々、川越しに隣国ルーマニアもよく見えます。ホテルマンはフレンドリー、料金はシングル1泊朝食つきで21ユーロとお得でした。しかし...
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しかし。このホテルお湯が出ませんでした。シャワーを15分流しっぱなしにしても微温湯までしか温度が上がらず、エアコンも作動不良でした。クレームつける元気もなかったため、厚着して乗り切りました。このホテルは盛夏以外はお勧めしません。
部屋の清掃はよく行き届いています。 -
ホテル1Fの食堂で夕食。23時まで営業。伝統料理のカテゴリーから選びましたが、出てきたのは普通の豚ステーキでした。キノコのバター炒め(左の皿)はボリューム充実してました。
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街の雑貨屋で見つけた、郷土料理ムサカの缶詰。農業国で食料品価格の安いブルガリア。ボリュームたっぷり、味はまあまあ(変な臭みなし)で一応満足しました。
しかし、翌日夕に街の食堂でムサカを食べる機会があり、当然食堂で食べた方が断然美味だったので、結論としては「無理して缶詰買う必要なし」です。 -
翌朝。ホテルの部屋から望む、ドナウ川と隣国ルーマニア。雨に煙ってます。風邪気味だった事もあり、昼のチェックアウトまでホテルの部屋でインターネットして休憩。出発する昼にも雨が降り続いていました。
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牧草地の中、国境に向かってゆっくりと丘陵を登ること40分。セルビアへ抜けるブレゴヴォ国境へ。写真はブルガリア側の検問所です。
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立地・施設ともにショボイ国境ですが、EU未加盟の国へ出国する外交レベルでいうと重要な国境です。さぞかし手続きは厳重だろう...と考えて臨んだのですが。結局は大した審査もなく、田舎のお買いもの御用達国境でした。
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検問所でお隣だったセルビア方向から来た車。ドアが銃撃されています。難民が放棄していった車か何かでしょうか?
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セルビアに入って最初の町、ネゴティン negotin の町の看板。看板の右側の絵はブドウです。ワインの産地をアピールしてるようです。
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ネゴティンから高速道路(無料)に入ったところで発見した、目指すロムリアーナ宮殿の看板。セルビアの数少ない世界遺産です。観光資源として力を入れているのでしょう。
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セルビアでも家畜の横断は日常的な光景です。
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セルビアを走ること1時間。ロムリアーナ宮殿に到着。何もない牧草地の中に遺跡とチケット販売所があるだけの 寂しい所です。先客なし。広い駐車場に従業員の通勤の乗用車と、私のレンタカーの2台が駐車しています。ここには結局1時間滞在したのですが、他の観光客は皆無でした。
チケットは4ユーロです。後で気付いたのですが「地球の歩き方 中欧」によるとこの遺跡は11月以降は冬季休館となっています。私の訪問は11月1日でしたが、単なるラッキーと思われます。 -
まずは遺跡の隅っこにあった模型で予習。かつては塔型兵舎が一列に並んでいたようです。
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説明看板にあった航空写真。城塞全体は正方形の城壁に囲われ、その外側に配置されていた塔型兵舎は基部のみが現存しています。城壁内部の神殿や共同浴場も基部のみ残存しています。
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出土品。ローマですな〜。
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綺麗に復元された城壁の門。綺麗すぎて魅力半減。
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建物の柱。1800年間これだけが立っていたとも思えないので、おそらく復元でしょう。
これら宮殿の主人である皇帝ガレリウスは、ディオクレティアヌス帝(四分割統治を始めた有名な人)の副官です。上司であるディオクレティアヌスも似たような宮殿を建造しており、そちらはクロアチアに現存し観光地として栄えています。それと比べるとこちらロムリアーナは…廃墟ですね。 -
こちらは城壁が廃墟のまま残っている箇所。味わいがあります。
皇帝がなぜ、ローマからも遠いこんな山中に宮殿を建てたか不思議です。「地球の歩き方」はここが「複数のローマ街道が交差する交通の要衝だったから」と説明していますが、辺境に皇帝が住む理由にはなりません。
ガレリウス帝の担当地域(現ハンガリー〜現ブルガリア)の中心が現セルビアだからかと私は思うのですが。参考:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/07/Tetrarchy_map3.jpg -
晩秋のヨーロッパを象徴するような、どんよりした曇り空。
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帰りに立ち寄った、地方都市ザィエチャル。地球の歩き方「中欧」でわざわざ紹介されていますが、この町自体は特に見どころなしです。
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ザイェチャルの本屋。しかし目当ての道路地図は購入できず。初めて訪問したセルビアですがそろそろ疲れも溜まっていたいたので、街の雰囲気を楽しむのは程々に、ブルガリアへの帰路につきました。
- - -以下は自分用メモです- - -
9:00〜9:30朝食。部屋でネットで情報確認し11:47出発(メーター23347km)。12:30〜12:50ブレゴヴォ国境手続き。14:18ザイレチャルのガソリンスタンドで給油。14:30〜15:27ロムリアーナで観光。本屋探しのあと16:30ブラシュカ・チェカ国境に到着したが20分待たされた。16:53〜17:01ブルガリア入国手続き。17:56運転終了(メーター23512km)。 -
ブルガリアへ抜けるブラシュカ・チュカ国境。雨のなか通行車両はまばら。冷たい静かな夕方でした。ブルガリアに戻ってからの行程は旅行記7に続きます。
http://4travel.jp/traveler/ivan_toby/album/10723556/
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