2012/06/12 - 2012/06/12
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JIC旅行センターさん
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6月12日(「ロシアの日」)の祝日に、カリャージンという町まで日帰り旅行に行ってきました。
カリャージンは、モスクワから北へ190kmのほどのところにあるトヴェリ州の小さな古い町です。人口は約1万3千人。ヴォルガ川右岸に位置します。カリャージンは「トヴェリ州のアトランティス」と呼ばれています。そう、水没した町の一つなのです。
「カリャージン」の語源にはいくつかの説がありますが、フイン・ウゴル語で「さかな」(「kola」)を意味するというのが公式の説です。川が近いため、住民の主な職業は漁業だったからです。
カリャージンの町は12世紀に初めて記録に現れました。15世紀にはヴォルガ川左岸に目立つ建築物のカリャージン・至聖三者修道院が建てられました。この修道院は富裕なロシアの修道院の一つでした。イヴァン雷帝、ボリス・ゴドゥノフ、初代ロシア皇帝ピョートルI世などが至聖三者修道院に詣でました。
ヴォルガ川は広大なロシアの主要交通路、貿易路として、町の手工業と商取引の発展に寄与しました。18世紀?19世紀にカリャージンでは年2回フェアーが行われ、ロシア各地からたくさんの商人が集まりました。また、造船業、鍛冶業が栄えました。
しかし、1939年にスターリンによって、ヴォルガ川にウグリチ水力発電所を建設することが決定されました。ダムの建設工事によってヴォルガ川左岸は水没を余儀なくされました。至聖三者修道院と周辺の住宅は取り壊されましたが、なぜか修道院の鐘楼だけが残されました。なぜ鐘楼が残されたかについては、いくつかの推測があります。一つは、鐘楼がパラシュートのタワーに改装される予定だったという説。二つ目は、ただ取り壊す時間がなかったという説。本当のところは、修道院の鐘楼を灯台として使いたかったようです。この部分でヴォルガ川は激しく湾曲しています。
数十年にわたって、鐘楼はずっと水の中に立っていたため、1階部分が徐々に破壊されていきました。破壊を防止するために、鐘楼の周りに人工島が作られ、ボートが係留できる船着場が作られました。今では、島を少し散歩し、鐘楼の2階まで登ることができます。鐘楼からの景色はとてもきれいです。
カリャージンの住民たちは、修道院の鐘楼に因み、「私の悲しみを沈めよう」という習慣を考え出しました。紙に自分の悲しみを書いて、小さい粘土製のレンガに入れ、人工島からヴォルガ川に投げたら、悲しみがなくなると言われています。
カリャージンには鐘楼のほかに名所はありません。けれども、毎年多くの観光客がこの町を訪れています。
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