2012/10/08 - 2012/10/08
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ルルフさん
2012年大河ドラマ「平清盛」後半の主要人物達の中に、藤原基房と藤原成親がいます。
同じ藤原氏ですが、基房は藤原摂関家の氏長者として摂政関白の座に着いた人物。かたや成親は末茂流の流れを汲み、後白河上皇の近臣としてその側近くに仕えました。
しかし次第に平清盛と対立を深め、後戻りの叶わない決定的な亀裂を生んだ末に、それぞれが流罪に処せられました。
これが偶然どちらも岡山の地なのです。
前日に「讃岐国」香川で崇徳上皇のゆかりの地を巡りました。地元京都へ戻る経由を使って、教科書的には恐らくマイナーであろう(笑)この歴史上人物達の配流先を訪ねてみました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
2泊した高松市内のホテルを後にし(勿論朝食はうどんをチョイス)、JR高松駅へことでんバスに乗って向かいます。
さようならうどん県、ありがとう讃岐国。僕は君を忘れない。
さらばゴミ箱のアンパンマン達。
それにしても四国はアンパンマンまみれである。
(高知はもっとすごい)
そして快速マリンライナーで一路本州へ。 -
6日に四国入りしたのは夜間で真っ暗だったので、明るい時間に海をやっと見れました。
しかもこの素晴らしい天気です。
車窓からの景色にウキウキです。 -
瀬戸内海ってやっぱり太平洋とも違うし、勿論日本海とも全然違うなあ。
-
約1時間弱の乗車でした。
高松→岡山 1470円也。 -
JR岡山駅に到着。
さて、これからドマイナーな歴ヲタ旅スタートです。
宇野バス「四御神行き」を待ちます。
ところでこの地名、読めますか?
よみがみ?
しごがみ?
正解は「しのごぜ」でした。
無茶しやがって…! -
バスに揺られて30分ほど。
どんどん人里(岡山市中心部)を離れていくので、予想はしていたものの不安が募っていく。
初めて行く所はなんでも不安です。
しかも前日とは違い、先導者は誰もいません。その上、自分以外に同じ時間にそこへ行く人はまずいないだろうという史跡です(笑)。
とは言え、無事に目的地・バス停「浄土寺前」に降りました。
バス停の前に目指す目的地の道標もすぐに見つけました。
これは思ったより楽勝かも! -
「最明院」。
途中でこんなものに出くわしました。
あれ、最明……って。もしかして。 -
やっぱり鎌倉幕府五代執権北条時頼、最明寺殿かー!!
(時宗のお父さんです)
何という奇遇!
時頼には「身分を隠して諸国を行脚し民草の視察をした」という水戸黄門的伝説があります(大河ドラマ「北条時宗」の中でも描かれています)。
この辺りには湯迫山浄土寺という巨刹があり(※寺そのものは現存します)、その塔頭の1つ「見明院」に時頼が立ち寄ったそうです。自身が創建した寺の名から「最明寺殿」と呼ばれていた時頼にちなみ、いつしか見明院を最明院と改めたとか。
しかしまあ、ご縁のあること。
昨日は時宗とも関係あるかな? って石塔にも出会ったしね(白峯寺前の十三重石塔)。 -
さあて、そろそろ目的地です。
ここまでバス停から徒歩5分ほど。
いやあ軽い軽い。 -
なかなか立派な石碑が建っているのが見えます。
-
さあ着きました。
「史跡関白屋敷跡」!
案の定誰もいません!!(笑) -
イチオシ
藤原基房は、亡き兄・基実の北政所盛子の死後にその遺領、また平重盛没後には重盛の知行地を収公しようとするなど、様々な反平家政策をとります。
無論こうした動きは清盛の逆鱗に触れ、ついに関白を解官されます。
太宰府権帥に任じられ九州へ遠流されそうになりますが、山城国鳥羽近くの羽束師にて出家しました。
落飾した者を配流先へ遣らないのが当時の倣いであり、基房の流刑の地は日向国からこの「備前国湯迫」へと変更されたのです。
時に基房35歳。
ところでこの湯迫も「ゆば」って読むんですね。
(さらに基房の時代は「いばさま」らしい)
難しい…。 -
解説副碑です。
-
明和三年に、岡山藩主池田継政がこの碑を建てました。
「関白松公謫居遺基碑」という名がついています。
「謫居」とは「罪により遠方へ流されること。またその住まいする場所」という意味。
基房はこの地に1年間留まったようです。 -
こんな歌碑もありました。
-
で、まあ、貴種流離譚につきもののボーイ・ミーツ・ガール(ボーイじゃないだろ)なロマンスも、ここにはちゃんとあるのですね。
ただ、この解説を読んでると頭がこんがらがってきました。
後年木曾義仲に嫁す有名な悲劇の姫君である、基房の娘「伊子」=備前の豪族の娘で基房の息子も生んだ「桜姫」?
わけがわからないよ…@キュウべぇ
でもこの解説文の内容に永平寺(伝承では義仲の元から実家に戻った伊子が再嫁した源通親との間に出来たのが曹洞宗宗祖・道元禅師)の書物が使われているし、一応地元では桜姫=伊子を同一視しているということなのでしょうね。 -
それでは備前国から備中国へ移動しましょう。
岡山駅から吉備線に乗り、「吉備津」で降りました。
普通は一宮・吉備津神社に行きますね?
行きますよね? -
でもごめんなさい。
私はこの階段を登らず(遥拝しました)、逆方向へ進路を取ります。 -
吉備津神社の石段下からおよそ10分ほど。
この解説板まで辿り着きました。
「吉備の中山」。
これがもう一つの目的地です。 -
岡山県指定史跡「藤原成親遺跡」。
成親のお墓ですよ!
掃苔しますよ!
掃苔は歴ヲタのたしなみ! -
ええと、なになに。
成親が幽閉されていた高麗寺の仁王門跡…と言われるものはあと2町。
お墓までには5町か。
まあ、そんなもんかな。
※1町=約110m -
え。
なにこれ。
すごい急勾配。
話が違う。
(自分の下調べが不足してるだけです) -
汗だくで登ること数分。
割合すぐに見つかったのが「高麗寺仁王門跡」石碑。
中山茶臼山古墳(通称「御陵」)の隣、現在の八徳寺の場所に建っていたと言われている高麗寺の山門がこの辺りと推定されているとか。 -
……。
……。
(つд⊂)ゴシゴシ
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゜ Д゜) …!?
待て。いや、待ってくれ。
これは一体(汗)。
「急な上り坂につき、足元にご注意ください」
成親のお側に行きたいだけなのに、なんとハードルの高いこと…。 -
ええとね…。
-
なんか、もう、
-
だんだん口が笑ってきた。
(目は笑ってません)
あっ、でも、奥に何か見える! 見えてる!
※ここまでで約20分ほど登ってます。 -
イチオシ
着いたー!
本日最大の目的地、「史跡藤原成親遺跡」です!
成親のお墓です! -
藤原成親は、京東山の鹿ヶ谷にあった法勝寺の俊寛僧都の別荘で、平家追討の密議を謀り、首謀者の1人として捕らえられました。
清盛の嫡男・重盛に実妹を娶せていた姻戚関係によって死一等は減ぜられ、備前と備中の境のここ「有木の別所」に流されます。
この辺りの山荘(それが高麗寺とも伝えられている)に幽閉され、重盛からのわずかな援助を頼り寂しく暮らしたとも、いや実は清盛の命によって早々に暗殺されたのだ、それは餓死させたんだ、いや毒入りの酒を飲ませたが死に切れず、崖の下に剣を埋めて崖から突き落とし惨殺したのだ、などなど、いろんな説があります。 -
解説副碑です。
-
イチオシ
奥の石柵の中に小さくあるのがお墓です。
-
「芙蓉の殿上人」とも称された、美貌と才知で世を渡ってきた公卿・成親。
少年期は左大臣藤原頼長に、頼長が保元の乱で失脚・敗死してからは平清盛に、やがて後白河天皇へ近づき、彼らの威光を背景にし権勢を得ました。
有木で月を望みながら、己の思うまま振る舞い、それがあらゆる場・あらゆる時に許されてきた、その放埒な人生を振り返る時間はあったのでしょうか。
毒酒を注がれた時、あるいは崖の上へと追いやられる時、または餓えて徐々に衰えてゆく時、その脳裡によぎった人は誰だったのでしょう。
院近臣としてその寵愛を欲しいままにした後白河法皇?
鹿ヶ谷で共に捕らえられた共犯者でもある年上の義弟、西光?
様々な成親の窮地を助け続けた、妻の兄を見捨てられない心優しい平家の棟梁・重盛?
そして成親の全てを握りつぶした、大いなる権力者・清盛? -
とまあ、歴ヲタがあれこれ妄想繰り広げている間も、邪魔するものはなんにもない訳です。
なんたって誰も来ません。
成親と私の二人だけ(はあと)。
しかしここまでわざわざ来ようという人間までも、こんなに苦労させるなんて。
どこまでも周囲を翻弄させただけあるわ。
ニクイやつだぜ。
愛しさ倍増だ。
一応申し上げておくと、成親遺跡までの「道順」そのものは割合簡単です。
着いてしまえば「なーんだ」という感じです(男性の足ならそれほど大したことないでしょう)。
ただその手前の急斜面と山道が、知らずに行くとびっくりしてしまった、ということです。
…よく考えたら「岸の二丈ばかりある下に、菱を植ゑ、それにつき落し、貫かれてぞ失せ給ひける。」の亡くなり方で言えば、この辺りが本当にその「殺害現場」だとすれば、急勾配の地であるのは当然なのであった…。 -
掃苔(墓参)は、自分と歴史上の人物を唯一繋ぐ手段だと私は思っています。
なので、思い入れのあるキャラクターだととても嬉しいし、尊敬する相手や、非業の死を遂げた人物であれば心をこめて冥福を祈ります。
そして、現代の自分が手を合わせることが出来る意味を考えます。
「今」そこが存在するということは、誰かが「その人」を伝えようと努めた証しなのですよね。
当人の思いと、当人を忘れない誰かの思いを、自分が受け止める意味に、いつも思いを深くします。
本当の埋葬地であれば何よりですが、そうでない場合の方が多いかも知れません。
(特にこんな平安時代の人物であれば、ねえ)
でも、思いを受け取ることは出来るのです。キリッ。 -
名残を惜しみつつ成親墓を後にします。
しかし想像以上に徒歩に時間を食い(駅からの往復1時間あればお釣りが来ると思っていた。実際には1時間半以上かかった。吉備の中山を甘く見ていた)、想定より岡山行きの電車を3本逃しました。
ところが何と岡山駅で偶然広島旅行中の母親と出会い(本当に唐突に)、帰路は一緒でした。
実はお昼を食べそこねていたので(バスと電車の乗り継ぎが今イチ上手くいかなかった)、ホームでの待ち合わせまでにエキナカでお弁当を買ってもらっていました。
16時前になってありつけたランチ。可愛いお弁当!
特にフルーツトマトのオリーブオイル漬け(と思う)が最高に美味しかったです! -
貧乏ヲタク旅なので、在来線です(笑)。
山陽本線で岡山→相生、相生→姫路(ここまで鈍行)、姫路→京都(新快速)。
およそ3時間半。
という訳で、藤と芙蓉の公卿二人、さらには菊の上つ御方の配流地三ヶ所をめぐる一人旅を無事終えることが出来ました。
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