2012/10/06 - 2012/10/07
126位(同エリア288件中)
ルルフさん
2012年大河ドラマ「平清盛」前半に登場していた主要人物の一人・崇徳上皇は平安時代末期に起こった「保元の乱」で敗者となり、讃岐へ流され、京からはるかに遠いこの地で非業の死を遂げました。
現代では「日本史上最大最強の怨霊」とも称され、恐るべき神とも呼ばれる上皇ですが、配流先の地の民は貴なる雅やかな上皇を今も慕い続け、香川県坂出市には上皇が眠る天皇陵やゆかりの地が今も数多く点在します。
そんな場所を、市の観光協会さんが2012年限定でバスツアーを企画されました(追記:2013年3月まで続行するそうです)。
効率良く巡るツアーのため、人気が集中しているそうです。
予約をとるのが何よりのハードルであった(笑)このツアーに運良く参加した記念の旅行記です。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
6日の仕事が終わり、JR京都駅烏丸口より18時50分発の高速バスに乗って香川へ向かいました。ピンクな京都タワーに見送られ、一路讃岐の地へ。
約3時間半の後に無事高松市へ辿り着きました。
私はホテルの関係で、高松駅ではなくバス停「県庁通り」で降車。 -
当日は快晴!
そして高松市内で宿泊したホテルは朝食付。
和食・パンのほかに、うどんがあります。勿論うどんを頼みま素うどーん! -
「ことでんバス」でJR高松駅に到着。
快速マリンライナーに乗って坂出へ。
しかし私の目を引いたのは、隣のホームの瀬戸大橋アンパンマントロッコ号だ! かわゆす! -
約15分でJR坂出駅に到着。
これですよ、この待遇ですよ!
上皇様を全面プッシュする坂出市。素晴らしい。 -
イチオシ
受付を済ませます。
ちなみに数日前参加確認の電話を戴いた時、「そんな遠い所(※自分は京都在住)から…大丈夫ですか?」とえらく心配されました。
え、なぜ?(・∀・)
むしろ遠方者からすると、こんな素敵なツアーをつくって頂いてそれに乗っからせてもらっているので感謝こそすれ、何を恐縮されるのかよくわかりません(笑)。 -
ついにツアー出発。定員は20名ほど。
「雲井御所跡」。
こちらは讃岐へ流された崇徳上皇の最初の住まいと言われるところです。
ただし住まいと言っても、彼を監視していた讃岐国の国府の役人・綾高遠の屋敷の物置小屋だったんだよ、とガイドさん。
3年ほどこちらに身を寄せ、その後別の場所に移されました。
ガイドさん曰く、戦前はこの手前の道を行く時、絶対に帽子をとり靴を脱ぎ裸足となって最敬礼を捧げてからでないと通ることはまかりならん! と大人達からきつく言われていたそうです。 -
江戸時代の高松藩主・松平頼恕公がここに碑を建てました。
上皇の歌にちなみ「雲井御所」と名付けたのもそうです。
頼恕の宗家は水戸藩。つまり国学盛んな家風が背景にあり、自分の治める地にかつて上皇がおわしました事実を重く受け止めていたのでしょう。 -
綾川です。
古代からのこの辺の土地の豪族の名字も「綾」(綾高遠もそうですが、今の市長さんもその流れを汲み、綾さんというそうです)。
しかし崇徳上皇は、この川を「鴨川」と呼んだそうです。勿論、京の都を流れる鴨川のこと。
いつも心の中で、都が懐かしかったんでしょうね…。 -
「鼓岡神社」。
最晩年の崇徳上皇の住まい「木ノ丸殿」の跡地に創建された社です。
都から上皇を慕う者(吉川英治「新・平家物語」緒形拳が演じた阿倍麻鳥のモデルかな?)がやって来て、でも直に拝謁など到底かなわず、鼓を打って来訪を知らせた…というエピソードがあるそうです。 -
この場所で上皇は崩御されました。つまり、
「吾れ深き罪に行はるるに愁鬱浅からず。
速やかに此の功力を以て、彼の科を救はんと欲す。
莫太の行業を、しかしながら、三悪道に拠げ籠み、其の力を以て、日本国の大魔縁となり、皇を民となし、民を皇なさん」
(保元物語・下「新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事(六)」
…こうして大魔縁と成り果て給うた地であります。 -
で、これはその木ノ丸殿を模して大正時代に造ったという「擬古堂」。
ただし!実際にはこの1/4サイズだったそうです。
ガイドさんが「何故実寸大で造らなかったんだ!立派に造りたい気持ちはわかるが、同じ大きさじゃないと価値が半減だ!」と熱弁を振るわれていました。
確かにそう思う(笑)。 -
ここで「瀬をはやみ…」の和歌を見るのは、切ないなあ…。
-
「内裏泉」。
木ノ丸殿裏にある湧水です。
崇徳上皇はこの水で喉を潤し顔を洗い、何より大事であった、この水で墨をすって写経を行っていました。 -
深さは1mぐらいだとか。
この辺りは地下水脈が豊富で、どんな旱魃でもこの泉の水は涸れたことがないそうです。 -
「菊塚」。
崇徳上皇のお世話をつとめた綾高遠が自分の娘・綾の局を側に仕えさせ、やがて子供も生まれたそうです。
しかし2歳にならないうちに殺されてしまいました(伝承では2人の子をもうけたとか)。
後白河上皇は崇徳の皇統の継続を嫌い、そう仕向けたというお話。
そんな哀れな乳飲み子「顕末」皇子のお墓です。 -
ちなみに雲井御所に行く途中バスの中から見えていたのが、もう1人の子供(女の子)の墓と呼ばれる「姫塚」です。
-
「盌冢」=碗塚。
崇徳上皇が使った食器を埋め供養した塚……って「そんな事あるかーい!」と思っちゃダメですよ(笑)。
ちなみに私の家でも、「死んだ家族の使っていた茶碗を割って供養する」という習わしはあります。 -
「柳田」碑。
地元ではまことしやかに「崇徳上皇は木ノ丸殿で身罷られたのではなく、追手に弑せしめられたのだ」という話が伝わるそうです。
上皇を狙う刺客を逃れ、綾川沿いの柳の根本にあった祠に隠れたのですが、その衣が川に映り見つかってしまい……。
以来、この辺りは柳が大きく育たなくなってしまったとか。
で!ですね。
この石碑を見るためにテクテク歩いてたのですが、前方の予讃線の線路をガイドさんが堂々と突っ切るのです!(笑)
「えっ!?まずいんじゃ」と驚いたのですが、よーーく見ると、線路の両側に1mほどの長さの「踏切」がありました。
それを「手動(!!!!)」で上げて、線路を通りました。
恐るべしJR四国! -
「白峰宮」。
崩御され給うた崇徳上皇の玉体を、葬礼の指示を朝廷から待っている間この地・八十場の霊水に20日ほど浸していたといいます。
後年二条天皇が命じて造営されました。
その水を間断なく上皇に仕えた神人がかけ続けていたそうですが、毎夜神光が差し、そのためこの神社は別名「明ノ宮」ともいいます。
元は空海が創建した摩尼宝院があった場所。
生前の上皇も度々参拝していたようです。
この三方に張り出した鳥居は三ッ鳥居、三柱鳥居、またムスビ鳥居ともいい、大和国櫻井の大神神社、山城国木島坐天照御魂神社(通称蚕ノ社)などが有名……って、あら私3つとも見てるわ。 -
これが八十場の霊水。
今も勢い良く湧き出ています。 -
で、八十場の名物・「清水屋」さんのところてーん。
食べてみたい! でも団体行動だし無理かな? と思ってたら、ちゃんと自由時間をもうけてくれました。 -
関西人の私は、ところてんwith黒蜜しか無理!(笑)
しかもきなこもかけてもらった(こうなると殆どわらびもち状態だ)。
本当にサラッとしたあと口の、とっても美味しいところてんでした。
300円也。 -
「高屋神社」。
八十場から白峯へ移される途中突然の風雨雷鳴に襲われ、御殯柩をひとまずこの高屋に安置します。 -
「御棺臺石」。
「御柩を運んでいた人々が休息のため石の上に置いた」という紹介文もあるんですが。どっちかしら。
ともあれ、石の上に置いていたところ、ふと見るとその柩から真っ赤な血が噴き出して…!
…という事で、高屋神社には「血の宮」という名でも呼ばれるようになりました。 -
その石は何故か美しい六角形。
「これはもう松平頼恕が置いたんですね!」byガイドさん(笑)。 -
ところで7日は香川のあちこちで神社のお祭があったみたいで、高屋神社もお神輿が出ていました。
幟もいっぱい。
いつもより華やかな感じ。 -
高屋神社の御祭神は崇徳上皇、そして母上の待賢門院璋子様なんだよね。
亡くなってから初めて共に過ごせるようになった母子…とも言えるのかも…。 -
さて昼食です。場所は白峯パークセンターで。
お昼もツアーに込みです。
勿論うどんもありま素うどーん! -
食事が終わると、職員さんによる紙芝居「保元の乱と崇徳上皇」の上演が。
頼長様、為朝も出てきてうひょひょでした。
信西が超絶悪役だった(笑)。 -
白峯パークセンターから見下ろすの図。
-
バスの中から紹介されたのが、源頼朝が寄進したという十三重石塔(重要文化財)。
でも、実はもう一基建ってます。
それは元寇の際に改めて奉納されたとか。
ということはつまり、時の執権北条時宗か、または治天の君亀山上皇である訳で。
大河ドラマ「北条時宗」も大好きな自分には、ここでこの2人が出てくるとは! と驚きつつ喜ぶしかないのでした。 -
「白峯寺」。
ここは四国霊場の1つ。なので、お遍路さんをたくさん見たのですが、我々の目的地はそちらではなく、奥の「頓証寺殿」なのです。
なお、アップすぎて判りませんが、この門には「屋根」が7つあります。「七棟門」とされる非常に珍しい門なのだそうです。 -
白峯寺には「勅使門」があります。
ここは崇徳上皇の霊域なので、皇族・またはその名代である勅使が来山した際はここをお通りになるのです。 -
頓證寺殿に向かう「勅額門」。
勿論勅額、室町時代の後小松天皇宸筆の額を架けているのでその名があります。
寺の門なのですが、その向こうは崇徳上皇の御廟所的存在なので、両側にいるのは「仁王」ではなく「随身」。
誰あろう源為義(左)・源為朝(右)です。
1年のうち数回しか公開されないとのことで、私はお目にかかれませんでした。
こうして平安最強の武士・ガンダム為朝は今もあちこちで上皇様をお守りしてるのね。
(京都の白峯神宮にも2人はいます) -
イチオシ
「頓証寺殿」。
最初の方で出てきた、崇徳上皇最期の行在所・木ノ丸殿を移したものです。ただし現在見られるのは江戸時代初期に初代高松藩主・松平頼重が再建したものだとか。
剣を掲げているのは日本八大天狗の1人・相模(さがん)坊大権現。
崇徳上皇に仕え、崩御後も御霊を慰め白峯の霊域を守護しているのだそうな。 -
「頓証寺殿」別角度。
実際に上皇がお住まいあそばした頃の建物は、実際には丸木小屋でしかなかったとか…。 -
最大の目的地へ近づいています。
ついでに西行もどんどんクローズアップされていきます(笑)。 -
風狂の歌人・西行は俗名を佐藤義清といい、北面の武士の時代には崇徳天皇の側近くに仕えました。共に美しい情景を歌に詠み込む卓越した才を互いに認め合う、心許す友とも言える間柄だったのです。
……というのは、「平清盛」見ている日本の10%の皆様には今更の話ですが、上皇崩御の数年後に西行が御陵を詣でたという伝説に基いて、いろいろ見られました。
これは西行が参詣の途中腰掛けたという石の上に造られた石像。 -
「頓証寺石灯籠」。
これまた頼朝奉納と言われますが、実際には鎌倉後期のものだそうです。
でも状態が素晴らしく良いです。 -
京都でたくさん見てきている天皇陵の道標です。
(良く天皇陵巡りをしています)
毎度お馴染み、大阪皇陵巡拝会建立かどうか、ちょっと裏面が確認できなかった。 -
そびえ立つ立派な杉並木をぬって向かいます。
-
イチオシ
ついに、ついに掃苔がかないました。
第七十五代崇徳天皇顕仁陛下の白峯陵です! -
いつものように、心を尽くして二礼二拍手一礼。
でも、ちょっとだけいつも以上に心を込める。 -
なお、御陵へ続くこの階段は戦時中に地元の人を駆り出して整備したのだそうです。
(我々はこの階段ではなく、頓証寺殿脇を通るルートを使いました) -
ここの御陵も、やっぱり文久の修陵でこの姿になったのだろうか…。
1人マニアックな疑問がわく私なのであった…。 -
御陵のすぐ下にあるこれは天平時代(!)の石塔だそうですbyガイドさん。
四国で最も古い石塔。
こんな素晴らしいものを、かつての管理者は一般人に一切見せていなかったそうです。
これがあるのは、白峯の山が古代から聖地だった証し。
だから崇徳上皇も、自らの遺志(御遺詔)でこの地に葬られることを願ったのね。
…でも、NHK高松の崇徳様ご当地サイトを見ると、これを「伝源為朝供養塔」としている!(笑)
八郎!えっどうなんだその辺!! -
さて、白峯陵参拝もすませ、88の歌碑を眺めつつ階段を降ります。
-
中には崇徳上皇の御製も…。
-
上皇様の歌で「虫」とあったのを見た次に目が合ってしまったカマキリちゃん。
-
余りにも有名な西行の辞世「願わくは」。
-
歌碑で見つけられなかったので、少し前のところで撮っておいたものから紹介。
西行が崇徳上皇の御陵へ詣でた折に詠んだ歌です。
白峯と申ける所に御墓の侍けるにまゐりて『山家集』
「よしや君 昔の玉の床とても
かゝらん後はなにかはせん」 -
もう一つ、崇徳上皇御製。
-
という訳で、「西行法師のみち」でした。
このすぐ脇にあるのが… -
「青海神社」。
何故かここだけちゃんとした写真を撮り忘れています(バカ)。
玉体を荼毘に付した時、紫に彩られたその煙が京の方角へ向かってたなびき、やがて麓の青海神社へたまりました。
そこから今では「煙の宮」とも呼ばれているのです。
で、あともう一つ。
その煙が消え失せた後、小さな玉が残されていました。
崇徳上皇が大切にしていた蹴鞠の玉だったそうです。
おや、ここで京都の白峯神宮で球技の神となった(※白峯神宮の建立地は蹴鞠道の家元飛鳥井家の邸宅跡)事と奇妙な共通点が。
こちらも祭神は「顕仁尊」(崇徳上皇)と「藤原璋子命」(待賢門院)です。 -
最後にバスの中から案内されたのが「崇徳天皇御着船地 松山津」。
崇徳上皇が讃岐の地に上陸あそばした津(港)の旧跡です。
最初の第一歩として讃岐に御御足を降ろされ給うた場所を、最後に紹介されるとは…(笑)。 -
ともかく、本当に盛り沢山のバスツアーでした。
参加費・ガイド代・昼食込みで料金:1000円の大破格値!
いいのかそれで!
本当にありがとうございました坂出の皆様! -
すいません、もう一つデジカメで撮るの忘れてたスポットがありました。
「平清盛」第30回「平家納経」の回で生き霊となった崇徳上皇のエピソード。
その血を叩きつけた写経を押さえる文鎮(撮影時の実物)が特別展示でロビーにあると @nhk_takamatsu さんの情報により知っていたので、高松駅からホテルまで戻る途中にNHK高松に寄り、それを確かに拝見しました!
演ずる井浦新さんのサイン入り。
文鎮といっても、普通の石です。
青い色をしていたので、もしかしてサヌカイトかな?
撮影不許可なので目に焼き付けて参りました。
NHKを出て、丸亀商店街アーケードを歩いていると、突然の通り雨!
結構きつかったです。
あとはホテルに帰るだけ、っていうところでの雨ですから、これまた凄いタイミングでした。 -
雨もおさまった夕方、1人ディナーに選んだのは鍛冶屋町「一鶴」さん。
香川グルメとして最近注目の骨付き鶏の有名店。
30分ほど行列に並び、美味しく戴きました。
初心者はこちらを、ということで「ひなどり」チョイス。 -
とり飯も注文。
ご馳走様でした。
この後ホテルに戻り、20時からの「平清盛」第39回「兎丸無念」を視聴。
見届けた後、知らんうちに事切れる(笑)。お疲れ様でした。
翌日からは「備前・備中国」へ場所を変えて「清盛」関連一人旅は続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 讃岐おばさんさん 2012/10/10 08:11:37
- ようこそ香川県へ。
- 白峯寺は桜や紅葉の名所でもあり、毎年訪れています。
丁寧なレポート、大変参考になり、これからは違った目で見ることができます。
本当にありがとうございます。
1月に浜松市からブログ友が来られたときに栗林公園へ行きましたが、ボランティアガイドさんにお願いして案内をしてもらいました。
香川に生まれ育った私ですが栗林公園だけでも知らない事が沢山でした。
8月に父の納骨で京都へ行きましたが、紅葉のころに行ってみたいです。
- ルルフさん からの返信 2012/10/10 18:54:23
- RE: ようこそ香川県へ。
- こんばんは。
今回の旅を記録に残したくて4Travelに登録したばっかりなのですが、
早々にコメントを頂戴しありがとうございます。
私が行ったのはもう限定されたところだけだったので、
栗林公園も素通りしてしまいました。
(大昔に家族旅行で行ったことはあるのですが…)
今回行った場所はどこも緑が多かったので、
あと1ヶ月半ほどしたら紅葉が綺麗だろうなと思って見ていました。
今度はまた別の狙いを定めて香川を回りたいです。
それこそ初心に戻って「うどんツアー」でも(笑)。
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