2012/08/12 - 2012/08/17
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■夏の車旅⑳ 天下分け目の戦いが起きた地
夏の車旅6日目、大垣市の中山道「赤坂宿」から関ケ原町へやってきました。
≪6日目≫・・・・・・・・・・・・・・
▼大垣ひまわりランド/岐阜県大垣市平町地内
▼お茶屋屋敷跡/岐阜県大垣市赤坂町
▼中山道「赤坂宿」/岐阜県大垣市赤坂町
▼関ヶ原ウォーランド/岐阜県不破郡関ケ原町
▼佐和山城跡(清凉寺・龍潭寺)/滋賀県彦根市古沢町
▼彦根城(想い出さがし走行)/滋賀県彦根市金亀町
▼琵琶湖畔「曽根沼」/滋賀県彦根市三津屋町
▼琵琶湖畔「野田沼内湖」/滋賀県彦根市甘呂町
▼東近江「大凧会館」/滋賀県東近江市八日市
▼名神高速八日市インタON/帰宅
■関ヶ原ウォーランド
史上最大の合戦、関ケ原合戦を史実に基づいて再現したものが『関ケ原ウォーランド』です。
関ケ原合戦は今から約410余年前の慶長5年9月15日早朝、日の本を二分し西軍と東軍がその命運を懸けて戦った一大決戦。
ここ関ケ原ウォーランドでは約30,000㎡の敷地内に実物大の武将像を配し、旗指物・陣幕などを再現してあります。
◆関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で戦われた戦い。関ヶ原の役における最大の決戦である。
豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた徳川家康を中心とする派と石田三成を中心とする派の間の抗争の決戦となり、この戦いで勝利した家康は政権を完全に掌握し、徳川氏の覇権を確立した。
この戦いは日本全国のほとんどの大名を徳川派(東軍)と豊臣派(西軍)に二分したことと、戦い後に情勢が徳川氏に完全に傾いたことから『天下分け目の戦い』とも呼ばれている。(Wikipediaより)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■夏の車旅⑳ 関ヶ原決戦の地
夏の車旅6日目、中山道「赤坂宿」/岐阜県大垣市赤坂町から天下分け目の戦いが起きた地『関ヶ原決戦の地』へやってきました。 -
■関ヶ原決戦の地
2年連続の訪問です。 -
▼関ヶ原ウォーランド
・入場口
史上最大の合戦、関ケ原合戦を史実に基づいて再現したものが『関ケ原ウォーランド』です。 -
▼関ヶ原ウォーランド
・合戦資料館
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▼関ヶ原ウォーランド
・合戦資料館
合戦当時の武具甲冑等が展示されてます。 -
▼関ヶ原ウォーランド
ここ関ケ原ウォーランドでは約30,000?の敷地内に実物大の武将像を配し、旗指物・陣幕などを再現してあります。
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▼関ヶ原ウォーランド
◆布陣
関ヶ原布陣図(慶長5年9月15日午前8時前)拡大9月15日、東西両軍は関ヶ原の地に集結した。
旧日本陸軍の参謀本部が編纂した日本戦史関ヶ原の役によれば、東軍10万4千、西軍8万2千、合わせて18万を超える兵力が狭い関ヶ原の盆地に集結したことになる。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆布陣
明治の世となって軍事顧問として来日したドイツのクレメンス・メッケル少佐は関ヶ原における両軍の布陣図をみて、即座に西軍の勝利を断言したという。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆布陣
西軍方は三成の拠る「笹尾山」−宇喜多秀家の拠る「天満山」−小早川秀秋の拠る「松尾山」−そして毛利秀元が布陣する「南宮山」のラインで東軍を囲む鶴翼の陣を敷き、勝利は目の前と思えた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆布陣
関ヶ原は早朝から深い霧が立ち込め、隣の軍の様子も侭ならない。
そんな中、家康から先鋒の約束を取り付けた福島正則は、じっと開戦の火蓋を切る機会を伺っていた。
-
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
濃霧の中で両軍は2時間ほど対峙し続けていた。
やがて、霧も薄くなってきた頃、福島隊の横を松平忠吉の小隊と井伊直政が通り抜けようとしていた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
家康から先鋒を任されたはずの福島正則が呼び止めて詰問するが、「物見」と称して福島隊の前方へ張り出した。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
忠吉の小隊は突然、西軍の主力である宇喜多隊に向けて発砲、ここに関ヶ原の戦いの火蓋が切って落とされた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
対する宇喜多隊も直ちに応射、関ヶ原はたちまちのうちに激戦の様を呈した。
福島隊6千と宇喜多隊1万7千は押しつ押されつ、両者一歩も譲らず、黒田長政隊5千400、細川忠興隊5千100などは一斉に三成の部隊めがけて襲い掛かる。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
三成隊も配下の島勝猛や蒲生郷舎らが奮戦、襲い掛かる敵を撃退してゆく。
三成は、開戦から2時間を過ぎたころ、まだ参戦していない武将に戦いに加わるように促す狼煙を打ち上げた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
激戦をこの地で体験した太田牛一は次のように記している。
「敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う−後略−」 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
さらに島津隊に応援要請の使いをだす。西軍は総兵力のうち、戦闘を行っている兵力は3万5千ほどながら、戦局をやや優位に運んでいた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
ここで松尾山の小早川隊と南宮山の毛利隊が東軍の側面と背後を衝けば西軍の勝利は確定的となるはずであった。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆開戦
しかし、島津は応援を拒否。また毛利秀元は、吉川広家に道を阻まれ、参戦できずにいた。
吉川広家は毛利家の所領安堵を条件として、家康側に内応していた。これが宰相殿の空弁当である。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆小早川秀秋の寝返り
正午過ぎ、家康は、内応を約していた小早川秀秋隊が動かないことに業を煮やし、松尾山に向かって威嚇射撃を加えるように命じる。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆小早川秀秋の寝返り
迷いに迷っていた小早川秀秋は、この家康の督促に意を決し松尾山を降りる。
但しこの点に関しては、松尾山が比高300mに達する山であり、戦闘のさなかに火縄銃の音が聞こえるのか、また、大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げていた松尾山山麓に近付くのは容易ではないといった点から疑問も呈されている。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆小早川秀秋の寝返り
小早川秀秋隊は、大谷吉継隊右翼を攻撃する。吉継は秀秋の裏切りを予測して温存していた500の直属兵で迎撃し、15600の小早川軍を300mも後退させた。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆小早川秀秋の寝返り
この時小早川軍の武将・松野重元は『盾裏の反逆は武士としてあるまじき事』として一隊を率い傍観する。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆小早川秀秋の寝返り
ところが、藤堂高虎などの内応策によってそれまで模様眺めをしていた脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱らの西軍諸隊も小早川軍に呼応して東軍に寝返る。予測し得なかった四隊の裏切りで戦局は一変する。
西軍は有利な鶴翼の陣をひいていたものの、鶴翼の「翼」の部分に相当する諸将の多くが裏切りや傍観をしていたことになる。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆西軍敗走
西軍総崩れとなるなか、島津義弘隊が一斉に鉄砲を放ち、家康本陣側を通り抜け撤退するという、「前進撤退」(いわゆる島津勢の敵中突破退却戦)を開始。この行動に福島隊ですら腰が引いたとされる。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆西軍敗走
また、追撃した部隊のうち井伊直政と松平忠吉は狙撃され負傷し、本多忠勝は乗っていた馬が撃たれ落馬した。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆西軍敗走
島津隊は島津豊久や阿多盛惇(長寿院盛惇)を犠牲にしわずか80前後の手勢となりながらも撤退に成功した。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆西軍敗走
盛惇は、義弘がかつて秀吉から拝領した陣羽織を身につけ、義弘の身代わりとなって「兵庫頭、武運尽きて今より腹を掻き切る」と叫んで切腹したと言われている。 -
▼関ヶ原ウォーランド
◆西軍敗走
他の西軍部隊は壊滅あるいは逃走した。 -
▼関ヶ原合戦資料館
-
▼関ヶ原合戦資料館
ジオラマで解説が流れていました。 -
▼関ヶ原合戦資料館
歴史 -
▼関ヶ原合戦資料館
東西勢力図 -
▼関ヶ原 天満山宝花寺
祈ノーモア関ヶ原合戦・・・とある。 -
▼関ヶ原ウォーランド売店
天下餅と言うそうです。
「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに食うは家康」
お土産をたくさん買ってウォーランドをあとにしました。 -
▼長林稲荷
ところかわって、西軍の将石田三成の居城佐和山の麓までやってきました。
写真は佐和山の麓の長林稲荷です。 -
▼清凉寺
彦根市の東北、こちらも佐和山の麓にある寺です。 -
▼清凉寺
佐和山は、石田三成の居城があった場所です。 -
▼清凉寺
佐和山城時代に石田三成や家老の島左近の屋敷のあった場所が現在の境内です。 -
▼清凉寺
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▼佐和山城址案内図
登山は長旅で疲れているのでパス。 -
▼佐和山城址
・石田三成公銅像
彦根では、井伊氏の時代になっても、前領主の三成公を懐かしむ声がしばしば聞こえてきたといわれます。 -
▼佐和山城址
・石田三成公銅像
名君だったのでしょう。 -
▼龍潭寺(りょうたんじ)
この寺院は全国有数の禅寺として、また「庭の寺」「だるまの寺」として知られているそうです。 -
▼龍潭寺(りょうたんじ)
・七福神 -
▼龍潭寺(りょうたんじ)
・大洞観音堂 -
▼龍潭寺(りょうたんじ)
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▼龍潭寺(りょうたんじ)
・鐘楼 -
▼龍潭寺(りょうたんじ)
・入り口
この左手に石田三成公銅像がある。 -
イチオシ
▼龍潭寺(りょうたんじ)
境内で母親と蝉取りを楽しむお子さんと出会いました。
最近見られなくなった親子の姿、実にいい光景ですネ。
次の旅行日記は滋賀県東近江市の「大凧会館」」です。
やっと!夏の車旅最終記です。
それでは、また〜。 THE ND.
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