アムステルダム旅行記(ブログ) 一覧に戻る
初めてアムステルダムを訪れたのは22歳になる寸前の二月の頃だった。卒業旅行で一か月の予定での欧州の旅だった。<br />多分ハンブルグの駅構内で遭遇したかと思うが、関西出身の学生と意気投合した私は偶然にも次の目的地が同じアムステルダムという事で、旅は道ずれと相成った。<br /><br />私はアムステルダムに行ったら、何が何でも是非訪れてみたい場所が三か所あった。<br />それはアンネ・フランク・ハウスと私が大好きなゴッホのミュージアム、そして運河に浮かび上がるような妖しい佇まいを醸し出す風情のある妖艶な<飾り窓>である。←訪れる前は自分の中でイメージが何故か際限なくドンドン膨らんで形容詞が幾つも付くものである←やはり若い頃からお馬鹿だったと思う(#^.^#)<br /><br />昔から世界の津々浦々、妖しげエリアの探検家でもある私だった(#^.^#)<br />ハンブルグでも世界的に知られたレーパーバーンという彼の地の歓楽街に夜になって探訪の為に足を踏み入れてみたが、拍子抜けするほどで正直がっかりしたものである。バンコックのパッポン然りである。アメリカ映画<ディア・ハンター>の中でサイゴンの歓楽街を模したロケ地はパッポンだったという話を聞いたことがあったが・・・<br />しかし歌舞伎町の足元にも及ばない、歌舞伎町と比べたら大人と子供程の差がある。何が??<br /><br />何処かのユースホステルで同部屋になったドイツ人が日本に行ったとき、東京では新宿の京王プラザに泊まったという。新宿はど〜だった?と問うと、彼は文字通り目を剥いて顔を左右に振りながら叫んだものである。<カブキチョー!クレージータウン!!>確かに云い得て妙だと私は妙な処で感心したものである。<br />あんな街、世界中の何処にも無いと思う。m(__)m 話が脱線しすぎた(―_―)!!<br /><br />さてアムステルダムである。トラムを利用して最初に訪れたのは運河沿いに建っていたアンネフランクの隠れ家だった。ネットで最近の様子を確認した所、現在の建物はリニューアルされて入場するのにも大変な行列のようである。当時は行列も出来ることなく、ゆっくりとハウスに入場出来た。有名な本棚の背後の隠し梯子段も当時は、梯子段にも登ることだ出来た。アンネのベッドルームの周りには当時の女優や男優、イギリスの王室かと思わせるピンナップがセピア色に貼られていたのが印象的だった。<br /><br /><アンネの家>に滞在中、教会からと思われる鐘の音を耳にした。刹那、何者かによってゲシュタボに密告されるまでの二年間をここで過ごした彼女はどんな想いで運河を隔てた教会の鐘の音を聞いていたのだろうと云う思いに至り、らしくもなく、感傷的な気分になり、とても切ない気持ちになった事を覚えている。<br />帰国後、<アンネの日記>を改めて読んでみた。14歳とはとても思えぬ程に聡明で、鋭い他者に対する洞察力、観察眼、そして早熟でかなりオマセな娘だったという事が<アンネの日記>の行間から伝わってきたものである。<br />アンネ・フランク、生きていれば今年83歳である。<br /><br />このサイトからアンネフランクの隠れ部屋の様子が3D映像で自在に観ることが出来ます。<br />http://www.annefrank.org/en/Subsites/Home/ <br /><br /><br />アンネ・フランク・ハウスを後にした我々は次の目的地ゴッホ・ミュージアムに向かった。<br />ゴッホは自分が中学生の頃から好きだった。印象派の明るい色遣い、概して日本人はゴッホの絵画が好きだと思う。館内では画集や教科書でしか観ることが出来なかった知られた彼の作品がキラ星の如く次から次へと私の目の前に現れる。絵画を観てドキドキして心拍数が上がってしまうような気持ちになったのは、この時が初めての体験だった。生前は評価されず、彼の死後、作品は次々と再評価されていったという。時代を先取りし過ぎていたのか、数周早い時代のランナーだったのか、私には判らない。そして 自分の中ではエドワルド・ムンクとビンセント・バン・ゴッホは何故だか、被ってしまうのだ。リンクしてしまうようなダブってしまう感覚があるのだ。<br /><br />後年、東京でムンク展が開かれたとき、台風のような大雨の日を狙ってムンク展に出掛けたことがあった。思惑通りにギャラリーは少なく、お目当ての<叫び>も軽い興奮で心拍数を上げながらも、じっくり観ることが出来た。作品群を眺めながら何故か思い出してしまうのはゴッホの絵画だった。<br /><br />かのヒットラーがムンクの絵画をひどく忌み嫌っていたというゴシップを誰かのエッセイか、評論か何かで読んだ記憶がある。権力の頂点にいる狂信的且つコンサバティブな人間から見たら、ムンクの絵画は妙に不安を掻き立てられていくような厭な気分になるのだろうか?<br /><br />ゴッホミュージアムを後にした我々は、三つめの目的地、私の中ではメインの?<飾り窓>探訪に向かった。<br /> <br />       <飾り窓>編は次回にアップします、、 こうご期待?(#^.^#)<br />

アナーキーなアムステルダム<アンネフランクハウス>&<ゴッホミュージアム>編

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2012/09/15 - 2012/09/16

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kio

kioさん

初めてアムステルダムを訪れたのは22歳になる寸前の二月の頃だった。卒業旅行で一か月の予定での欧州の旅だった。
多分ハンブルグの駅構内で遭遇したかと思うが、関西出身の学生と意気投合した私は偶然にも次の目的地が同じアムステルダムという事で、旅は道ずれと相成った。

私はアムステルダムに行ったら、何が何でも是非訪れてみたい場所が三か所あった。
それはアンネ・フランク・ハウスと私が大好きなゴッホのミュージアム、そして運河に浮かび上がるような妖しい佇まいを醸し出す風情のある妖艶な<飾り窓>である。←訪れる前は自分の中でイメージが何故か際限なくドンドン膨らんで形容詞が幾つも付くものである←やはり若い頃からお馬鹿だったと思う(#^.^#)

昔から世界の津々浦々、妖しげエリアの探検家でもある私だった(#^.^#)
ハンブルグでも世界的に知られたレーパーバーンという彼の地の歓楽街に夜になって探訪の為に足を踏み入れてみたが、拍子抜けするほどで正直がっかりしたものである。バンコックのパッポン然りである。アメリカ映画<ディア・ハンター>の中でサイゴンの歓楽街を模したロケ地はパッポンだったという話を聞いたことがあったが・・・
しかし歌舞伎町の足元にも及ばない、歌舞伎町と比べたら大人と子供程の差がある。何が??

何処かのユースホステルで同部屋になったドイツ人が日本に行ったとき、東京では新宿の京王プラザに泊まったという。新宿はど〜だった?と問うと、彼は文字通り目を剥いて顔を左右に振りながら叫んだものである。<カブキチョー!クレージータウン!!>確かに云い得て妙だと私は妙な処で感心したものである。
あんな街、世界中の何処にも無いと思う。m(__)m 話が脱線しすぎた(―_―)!!

さてアムステルダムである。トラムを利用して最初に訪れたのは運河沿いに建っていたアンネフランクの隠れ家だった。ネットで最近の様子を確認した所、現在の建物はリニューアルされて入場するのにも大変な行列のようである。当時は行列も出来ることなく、ゆっくりとハウスに入場出来た。有名な本棚の背後の隠し梯子段も当時は、梯子段にも登ることだ出来た。アンネのベッドルームの周りには当時の女優や男優、イギリスの王室かと思わせるピンナップがセピア色に貼られていたのが印象的だった。

<アンネの家>に滞在中、教会からと思われる鐘の音を耳にした。刹那、何者かによってゲシュタボに密告されるまでの二年間をここで過ごした彼女はどんな想いで運河を隔てた教会の鐘の音を聞いていたのだろうと云う思いに至り、らしくもなく、感傷的な気分になり、とても切ない気持ちになった事を覚えている。
帰国後、<アンネの日記>を改めて読んでみた。14歳とはとても思えぬ程に聡明で、鋭い他者に対する洞察力、観察眼、そして早熟でかなりオマセな娘だったという事が<アンネの日記>の行間から伝わってきたものである。
アンネ・フランク、生きていれば今年83歳である。

このサイトからアンネフランクの隠れ部屋の様子が3D映像で自在に観ることが出来ます。
http://www.annefrank.org/en/Subsites/Home/ 


アンネ・フランク・ハウスを後にした我々は次の目的地ゴッホ・ミュージアムに向かった。
ゴッホは自分が中学生の頃から好きだった。印象派の明るい色遣い、概して日本人はゴッホの絵画が好きだと思う。館内では画集や教科書でしか観ることが出来なかった知られた彼の作品がキラ星の如く次から次へと私の目の前に現れる。絵画を観てドキドキして心拍数が上がってしまうような気持ちになったのは、この時が初めての体験だった。生前は評価されず、彼の死後、作品は次々と再評価されていったという。時代を先取りし過ぎていたのか、数周早い時代のランナーだったのか、私には判らない。そして 自分の中ではエドワルド・ムンクとビンセント・バン・ゴッホは何故だか、被ってしまうのだ。リンクしてしまうようなダブってしまう感覚があるのだ。

後年、東京でムンク展が開かれたとき、台風のような大雨の日を狙ってムンク展に出掛けたことがあった。思惑通りにギャラリーは少なく、お目当ての<叫び>も軽い興奮で心拍数を上げながらも、じっくり観ることが出来た。作品群を眺めながら何故か思い出してしまうのはゴッホの絵画だった。

かのヒットラーがムンクの絵画をひどく忌み嫌っていたというゴシップを誰かのエッセイか、評論か何かで読んだ記憶がある。権力の頂点にいる狂信的且つコンサバティブな人間から見たら、ムンクの絵画は妙に不安を掻き立てられていくような厭な気分になるのだろうか?

ゴッホミュージアムを後にした我々は、三つめの目的地、私の中ではメインの?<飾り窓>探訪に向かった。
 
       <飾り窓>編は次回にアップします、、 こうご期待?(#^.^#)

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  • SUR SHANGHAIさん 2012/10/18 11:29:58
    お久しぶりです。
    アンネ・フランクの家は切ないですよね。
    あの家を出ることができたのは収容所送りのためだった、という彼女の終わりが地団太踏むほど悔しくて悲しい。

    私がオランダを訪れたのは90年代初め(だったかな)の話で、細かい部分は憶えてないんですが、上に書いた気持ちになったのは不思議に記憶に残ってます。

    ご報告: やっとフィンランドへ行ってきました。と言ってもヘルシンキ+郊外位ですが。(;^ω^)
    フィンランドの人って、本当に穏かでフレンドリー。暖かい気持ちになれました。
    kioさんが今戻って行っても、昔出逢った笑顔に再会出来そうな気がします。

    kio

    kioさん からの返信 2012/10/18 23:29:27
    RE: お久しぶりです。
    sur shanghaiさん こんばんわ!

    > アンネ・フランクの家は切ないですよね。

    はい 切なくて苦しくて 胸が痛くなりますよね
    アンネフランクは日記が世に出て、世界中に知られる存在になりましたが
    彼女のようなユダヤ人というだけで収容所に送られた数十万の人々の
    象徴としてアンネフランク・ハウスが今も存在しているんですね


    > ご報告: やっとフィンランドへ行ってきました。と言ってもヘルシンキ+郊外位ですが。(;^ω^)
    > フィンランドの人って、本当に穏かでフレンドリー。暖かい気持ちになれました。
    > kioさんが今戻って行っても、昔出逢った笑顔に再会出来そうな気がします。

    ヘルシンキに行ってきましたか! 以前 彼の地に 行くかもという話は
    書き込みで見た記憶がありましたが、旅行者に優しいというか、親切というか、そんな印象が北欧4か国と比べて、群を抜いてあったような印象が
    ありました。sur shanghaiさんもスオミの人々の穏やかな優しさに
    触れることが出来たのですね。 スオミ偏の旅行記、楽しみにしてますよ

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