2012/08/09 - 2012/08/17
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学生時代、中東欧の歴史を研究していたので、旅行も自ずとこの地域への渡航も多くなり、95年には殆どのこれら諸国に訪問することができたが、アルバニアにはこの時訪問できなかった。
当時日本にはアルバニア大使館が開館しておらず、そもそも国が長年の鎖国政策から開国して間なしという事情もあり、ビザを取得するのも非常に困難だった。現在では日本人のアルバニアへの渡航は査証も不要、アクセスもイタリアの諸都市からいくつもフライトがあり、ビュンと容易に訪れることができるのだから考えられない。
この国を形容するには異端児というのが相応しい。1912年にオスマントルコから独立した。1914年にドイツから公としてヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィートを招くが、元々アルバニアに縁もゆかりもない公が国を治めることは容易なことではなく、政情不安が続き、第一次世界大戦が始まると公は逃亡した。
1925年には共和国となり、ユーゴスラビアの支援を受けたゾグーが大統領に就任、その後自ら即位し国王に転身する。しかし1939年にイタリアが進攻するといち早くギリシャへ亡命、アルバニアはあっさりとイタリアに占領され、イタリアの傀儡政権が置かれた。その後第二次世界大戦でイタリアは敗北、ドイツがアルバニアの支配者となるが、長くは続かなかった。アルバニア人のスターリン主義者ホジャがパルチザン活動を行うユーゴスラビアのチトーの支援を請いながらアルバニアを掌握し、アルバニアは共産主義となった。
しかし熱烈なスターリン主義者のホジャは、その後スターリンと対立し、独自の自主管理社会主義路線を採り、コミンフォルムから脱退するユーゴスラビアのチトーを「修正主義者」と罵り断交した。ユーゴスラビアからの大きな支援を得ながら共産国になったにもかかわらず、だ。
そうかと思えばスターリン主義を批判し、ユーゴスラビアと融和路線をとったフルシチョフ・ソ連に対し、彼を「修正主義者」と罵り、ソ連とも縁を切る。もしこれがハンガリーやチェコが同様のことをしようものなら大量の戦車が導入され力でねじ伏せられるところだが、ソ連から離れており、しかもコミンフォルムの中でも最貧国だったので、アルバニアはソ連からも逆に見放されることになった。
最大の支援国を失ったアルバニアは、毛沢東・中国との蜜月時代を経るが解放路線に舵を切る中国とも関係が崩れ、ただでさえ鎖国状態であったアルバニアは1980年代に完全な鎖国状態となり、欧州の中でも孤立し取り残される事になった。
1985年に絶対の権力者ホジャが逝き、1993年には民主化され、ベリシャがアルバニアを率いると急速な民主化ゆえの弊害も現れた。アルバニアではねずみ講が横行し、投資会社が民衆から資金を募り運営していた。その資金で麻薬の取引やボスニア内戦での武器密輸を行い利益を得ながら配当した。ベリシャは投資会社の行為を見て見ぬふりをし、多くの公官もこれに手を染め、巨万の富を得、結果的に国民の半数がこのねずみ講に加入することになった。
しかしねずみ講は1995年のデイトン合意によるボスニア内戦の終結により武器密輸も終焉を迎え、配当は滞る事になった。これをいち早く察知した公官たちは、出資金を引き上げた。国民は配当金の要望や、出資金の返還を求めたが、投資会社に支払い能力がなく、ねずみ講の投資会社6者は経営破綻、これに伴い脆弱な基盤しか持たぬアルバニア経済は一瞬で連鎖的に破綻し、国民の3分の1が無一文となった。
怒った国民は反政府の暴動を起こした。アルバニアでは有事(対ユーゴスラビアやソ連)のために各地の民間人が民兵としてパルチザン活動ができるように武器庫が配備されていたり、家庭に重火器が保持されていたので、アルバニア人たちはこれら重火器をもち、装甲車に乗って暴徒化し、アルバニア国内は内戦の一歩手前、無政府状態となっていた。一方で財産を失った多くのアルバニア人が難民となって、コソボやモンテネグロばかりでなく、アドリア海を船で渡り、イタリアへと押し寄せ、イタリア軍が難民船を掃討すべく、撃沈させ多くの難民が亡くなるなど、ヨーロッパにおいてもアルバニア問題はもはや他人事ではなくなった。
結果的に国連はイタリア軍を中心にアルバニアに派遣し、暴動を治め、強硬なまでに退陣を拒んでいたベリシャが辞職することで暴動は終息した。こうしてアルバニアは平穏を取り戻し、現在に至っている。
アルバニアの暴動が起こり15年が経過し、我々はこうして首都ティラナにいるが、いたって平穏で、ヨーロッパをあの時騒がせた同一の国だとは全く思えなかった。街を歩くだけならば、イタリアのミラノを歩くよりも随分安心感があり、とても歩きやすいかった。そして娘にも勉強になったようだ。娘より少し小さな子供がタバコを売って歩いていたり、戦争で手足のない男性が生活のためにモノを乞う・・・。今の日本では考えられない光景を街中で目の当たりにして「怖い」といっていたり、「なんで子供なのに働いているの?」と疑問を持ってくれたりした。これだけでもこの子をアルバニアに連れてきた甲斐はあったかなーと思った。どれだけ自分が恵まれているのか、少しでも考えられればそれはそれで、親としては嬉しい。3歳なのでどれだけこの時に見たことがその後の人生に影響するのかわからないが、少なくとも旅ではこうしたことを娘に教えていきたい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イタリアのボローニャ国際空港を8:20に出発のため、6:30には空港に。
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クッキーを買いたいと言って選んだのがこれ。7ユーロを超えるクッキー。ちょっと味に興味があったので買ったがモロにココアの味。
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ベルエアーに乗っていざアルバニアへ!!っと思っていたら飛行機にはチェコ航空と書かれている。一体どういうこと??と思って訪ねてみると、ベルエアーはチェコ航空から数機リースがあるのだとか。
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機内の様子。ボローニャ・ティラナ線でもほぼ満席に近い状態だった。
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ベルエアーではコーヒーがサービスされる
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フライト2時間もせぬうちにティラナ・リナス国際空港(マザーテレサ国際空港)に到着
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近代化された空港のターミナルに少々驚いた。こじんまりとした空港で、利用しやすそう。ターミナルを出て左側に進むとエアポートバスが停車しているので、これに乗車
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リナス国際空港にて。
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空港にはメータータクシーも停車しているので、これで市内に向かうこともできる。
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エアポートバスで我々は市内へ。
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この日は日曜日なので、街の中では結婚式をよく見かけた。バスで市内に向かう途中う、日本で言う国道のような道になんと結婚式の馬車が!!なんと洒落た結婚式!!馬車の後方では車が渋滞していたがそんなのお構いなしに走る馬車。その一生に一度の結婚式、これぐらいはいいでしょ!
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空港から市内中心部のスカンデルベルク広場までは約20分程度で到着。日本円で200円程度
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ホテルはスカンデルベルク広場のすぐ脇にあるNobelHotel。こじんまりんとしたホテルで、建物の1階と2階がホテルになっている。エレベータがないので、2階の場合は荷物が多いと結構大変。部屋は広くとても快適に使わせてもらった。
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ただ・・・、シャワーブースが狭い!45cm四方しかない上、カーテンもないので、お湯が周辺に散りまくる。
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ホテルに荷物を置いて向かったのがレストランSarajet。
アルバニアの伝統的な造りのレストラン
http://www.sarajet.com/ -
天気も良いのでテラスで食べることに。
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落ち着いた感じが伝統あるレストラン
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今回の旅行で初めてお昼からビールを飲むビールはアルバニアのビールコルチャ。ミルクが混ざったりんごのジュースも美味しかった。
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レストランではサラダとスープ、スパゲティーを注文。
まずはサラダ。久々の青物野菜だったので特に美味しく感じた。 -
食文化もイタリアの影響を受けているので、スパゲティも美味しい!これはシーフードスパ
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ランチを取ったあとに市内を散策
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形からツィルク(サーカス)??かと思いきや、旧エンヴェル・ホッジャ美術館
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中心部のスカンデルベルク広場にある時計塔
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モダンな建物もある。
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マケドニア出身のアルバニア人、マザーテレサ。ちなみにアルバニアはムスリムも多いが、ホジャ政権の影響で無神論者も多い
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オープンテラスのレストラン
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18世紀オスマントルコ時代に作られた石橋、タバケ橋。周辺の建物に埋もれるようにあり、気を抜けば見落としそう。
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ティラナの観光スポットがこうしていろんな場所に看板に掲げられていてわかりやすい
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以前使用されていた政府庁舎
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国立図書館。にしては小さいなァァ
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これが遺産と言われても、扉はしまっているし、なんの遺跡なのかさっぱりわからん
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遺跡であればもう少し大事にしてちゃんと残して欲しい。
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落ち着きある市内。とても暴動が起こるような街には見えない。
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アルバニアで一番のビール、コルチャ
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政府庁舎
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すごい形の建設中の建物。将来きっとティラナのランドマークになるだろう。
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市内の建物は決して高くないし、共産主義時代に建てられた建物が多く残る
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市内にはバスが走るが、バス停がほとんどなく、一体どこから乗っていいのやらよくわからん
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1822年に建設された時計塔
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1789?1823年に建設された伝統あるエザム・ベイ・モスク
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オペラハウスとは思えない建物。でもオペラハウス。
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スカンデルベルク広場にあるスカンデルベルク像。迫るオスマントルコ軍を撃退しアルバニアを死守した英雄。
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市内中心部の町並み
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スカンデルベルクとアルバニアの国旗
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色彩豊か
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市内中心部
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美味しいケバブ。約130円
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ティラナ駅。ホーム1本で二番線のみ。とても首都の中央駅とは思えん。
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時間に余裕があれば列車の旅もしたかった。
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駅舎もどれがどれだか・・・
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この旅行記へのコメント (4)
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- duc teruさん 2015/10/06 12:59:00
- ご訪問ご投票ありがとうございました
- worldspanさん
アクセス数 871千超、の大先輩にボケ老人の愚作にご投票いただき、恐縮です、お礼に参上いたしました。
先輩のきめ細かい解説と写真、世界狭しと飛ばれる行動力には感心させられました。大変勉強になりました、又お邪魔します。
duc teru
- worldspanさん からの返信 2015/10/06 23:45:59
- ありがとうございます。
- duc teruさん
こんばんは。ご丁寧なコメントありがとうございます。中東欧圏については自分自身の思いや知識もあるので書くことができるのですが、7月に訪れた南アジアについては疎く、旅行記の記載にも大変波があるのが実情です。とはいえ、旅行に行かれる際の参考になればと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
worldspan
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- wmuwmuさん 2012/09/16 05:31:43
- はじめまして。
- こんにちは。
訪問。投票ありがとうございました。
worldspanさんは親子2人でご旅行されたのですね。
イタリアには行ったことが事がありますが、地下鉄にはエレベーターがなく長い階段をベビーカーを子供を乗せたまま担いで登り降りしたり、公共のお手洗いも清潔なところを探すのが大変だった記憶があります。
それでもまた来たいな〜といつも思います。
たくさんご旅行されているようですが、まだ読み切れておりません。時間を見つけてじっくり拝読させていただきますね。
我が家は短期で欧州に滞在中で駆け足で観光地を旅行していますので、worldspanさんのような、内容のある旅行はしておりませんが、マイペースに旅行記もアップしていこうと思いますので、また遊びに来てくださいね。
- worldspanさん からの返信 2012/09/16 23:58:57
- RE: はじめまして。
- mzmzmzさん
こんばんは。
コメントありがとうございます。
私はイタリアには何度か行ったことがあるのですが、実はあまり勉強をしていないせいかよくわかっていないので、訪れると新鮮さを感じました。リミニに行ってもこんな片田舎でも味のある町だなーっと思いながら、感心しました。幸い自分もおんぶっこバギーという子供をベビーカーに乗せて背中に担ぐことができるバギーだったので、駅の上り下りには大変重宝しました。これがないと思うと、荷物を持ったうえに、娘を連れて階段を上り下りをすると思うと本当にゾッとします。
こちらこそまたよろしくお願いします。
worldspan
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