2012/06/25 - 2012/06/25
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マキタン2さん
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瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は高岡山。本尊は釈迦如来。開基は前田利常、開山は広山恕陽。仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、1997年に国宝に指定されている。これは富山県下における初の国宝指定であり、2011年現在も富山県唯一の国宝である。
加賀藩2代藩主前田利長(1562年 - 1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。利長は慶長10年(1605年)、44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594年 - 1658年)に譲り、自らは隠居した。隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築いた。
前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改めた(後、さらに瑞龍寺に改称)。
前田利常は承応3年(1654年)から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手した。建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々「善右衛門」を名乗る)が棟梁となって進められた。山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったものといい、伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663年)頃であった。
瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。
伽藍の配置
A:総門、B:山門、C:回廊、D:仏殿、E:法堂、F:禅堂、G:鐘楼、H:大庫裏
仏殿・・国宝。棟札により万治2年(1659年)の竣工とわかる。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。
法堂・・国宝。墨書から明暦元年(1655年)の建立とわかる。
総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪である。手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
瑞龍寺については・・
http://www.zuiryuji.jp/
高岡山/瑞龍寺に参詣*3棟が国宝 ☆豪雨でも孤高を誇って
時期: 2010年09月08日 写真: 全57枚
http://4travel.jp/traveler/maki322/album/10522928/
奥能登 感動の旅3日間 日本最大の半島をぐるり周遊!!
1日目 (6月25日)
東京駅発==新幹線【グリーン車】==上野駅==上田駅==[1]◎【国宝】瑞龍寺(加賀百万石・前田氏の菩提寺)【約60分】==高岡駅==[2]▲氷見線(海越しに立山連峰を望むローカル列車)【自由席/約25分】==氷見駅==能登・羽咋 (泊) 16:30着 バス走行距離:305km
【宿泊先:能登ロイヤルホテル【指定】 0767-32-3111】
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- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
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