2012/08/16 - 2012/08/17
310位(同エリア897件中)
コタさん
お盆休みのクソ暑い中を世界遺産平泉、お隣の衣川あたりをお散歩してきました。
平泉の世界遺産の要素(中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山)及び追加登録を目指す柳之御所遺跡、長者ヶ原廃寺跡、周辺の遺跡(衣川柵、接待館遺跡、泉が城など)も歩いて観てきました。
中尊寺金色堂、毛越寺庭園はさすがに世界遺産だけのことはありますし、毛越寺のお隣の観自在王院跡も広々とした庭園でのんびりできます。たまたま毛越寺の法灯会にあたりましたので夕刻から闇に包まれるまでの毛越寺庭園に佇む機会にも恵まれました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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おっさんの一人旅なので仙台までは往復高速バスです。「旅の散策」のツアーバスで夜行用の横3列ゆったりタイプ。5時間ほど掛かりますが新幹線の半額以下です。
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途中休憩した安達太良SAの展望台から見た安達太良山。5年程前に山頂まで登っています。
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展望台の全景、中々良い雰囲気です。
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定刻よりも早く13時過ぎに仙台到着。お昼はもちろん牛たん、最も有名処の「牛たん利休 西口本店」に向かいます。やはり行列でしたが10分も待たずに店内に。牛たんを目の前で焼いているカウンター席に案内されました、ラッキー。ビールを飲みながらお兄さんが手際よく牛たんを焼いているのを飽きずに眺めていると自分が注文したのを焼いているのが分かりました。
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出てきたのが極厚牛たんの「極」です。とても柔らかい部位とコリコリ感のある部位が半々くらい、あっという間に完食です。
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仙台駅前発15時の一関行き高速バスに乗り、一関蔵ホテルにチェックインの後JRで平泉に向かいます。駅から毛越寺方面に向かい5分くらいで世界遺産「観自在王院跡」に到着しました。この日は平泉町を挙げての送り火の日です。束稲山での大文字送り火、毛越寺での法灯会、町内での灯籠点灯など、ここ観自在王院跡でも数多くのミニ灯籠が置かれていました。
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観自在王院跡庭園はお隣の毛越寺と同じく浄土庭園であったそうで、築山や遣水もあります。
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6時になると世界遺産「毛越寺」の門が開きます。これからの時間は拝観自由でした。
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法灯会は震災後の昨年から行われているとのことで、あまり知られていないのか人の数は多くはありません。
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南大門跡では法要の準備がされておりました。
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夕刻の庭園。ところどころに灯籠が置かれております。
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灯籠流しの灯籠が船にたくさん積まれています。
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立石は震災の影響で傾いてしまい修復工事中でした。
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洲浜にも灯籠が置かれています。
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灯籠にはそれぞれ震災復興祈念や震災物故者供養の祈りがこめられております。
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夕闇が迫ってくると置かれた灯籠に点灯されました。
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7時から法灯会が始まり読経のもと灯籠が池に流されてゆきます。1時間弱の間ずっと灯籠流しが行われ幻想的な光景です。極楽浄土を体験できました。
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8時からは大文字の送り火です。毛越寺を出て観自在王院跡で大文字送り火全点灯を迎え全員で合掌です。
観自在王院跡はお祭りのようで夜店も出ており、発泡酒を買って喉を潤します。 -
8時42分の一関行に乗るために駅へ急ぎます。何とか間に合いました。この列車に乗る人はそんなに多くありませんでしたので、今日の送り火はやはり観光客は多くなくて町内の人が主となって行われているのだと思いました。
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翌朝は7時25分一関発の電車で平泉に向かいます。当初はレンタサイクルで廻ろうと思ってましたが、やはり徒歩での散策にしました。まずは駅から柳之御所跡に向かいます。途中伽羅御所跡(立札のみ)を通り北上川堤防方向に向い公園のような遺跡に着きますが「閉園」とのこと。普通の芝生の広場なので入っていこうとすればできますがマナーに従い次の目的地である無量光院跡に行く事にしました。
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世界遺産「無量光院跡」は原っぱの中に松が生えているという空間で、所々遺跡の発掘中でした。ここで突然の強い雨が降ってきて早々に中尊寺方面に向かいます。
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高舘・義経堂に寄りましたが受付の営業前でしたので、階段を登って北上川の流れだけを写真に納めて中尊寺に向かいます。
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すぐにJRの踏切があり渡ると月見坂の登り口です。8時過ぎなのでまだ空いてます。
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鬱蒼とした杉木立の中、急坂をグリグリ登ってゆくと弁慶堂などたくさんの堂宇を廻ってゆきます。
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中尊寺本堂も経由。
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金色堂は8時30分から拝観開始。この時間少し前に讃衡蔵(宝物館)の拝観券売り場に並び拝観券を買った後一番乗りで金色堂に入ります。雨が降った後だったので周囲が濡れており、しっとりとした情景の中金色堂に向かいます。
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金色堂に最接近、中は撮影禁止です。空いてましたので細部に亘る拝観、解説を二回、三回聴いて納得の拝観ができました。5メートル50センチ四方の金色のお堂と中の仏像、螺鈿の造りには圧倒されます。兵どもが夢の跡です。よく現代にまで残っていてくれたものです。
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金色堂を出ると横に経堂があります。このお堂も金色堂と共に創建時から残っている建造物です。そのお隣には昭和37年の現在のコンクリート製覆堂ができるまで金色堂を護っていた旧覆堂があります。中は意外と狭くてここにあの金色堂が収められていたのかと思ってしまいます。
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先に行きますと白山神社、かんざん亭があります。かんざん亭のテラスから見る衣川方面です。
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讃衡蔵に戻り半券で中を観覧。金箔の張られた棺桶や首桶など生々しい収蔵品もあり必見です。横の坂を下ってゆくと大池跡。広い空間が広がっています。ここから毛越寺に至る小径もありますが、これより衣川方面に行きますので本堂横の北参道を下ってゆきます。
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北参道を下ると昔の橋の跡地に着きます。仏様と赤い橋の欄干があり衣川の堤防に登ることができます。新しい橋を渡ると奥州市衣川区に入ります。衣川は最近整備ようで立派な堤防になっています。
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衣川の堤防から高舘方面を望みます。とてもいいお天気になってきて暑い中を歩きます。
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橋から少し歩くと川床とは反対側の堤防の下にある荒地のようなところに案内板が立っています。堤防から降りて見てみると「接待館遺跡」でした。この辺りは今では水田の中に民家が点在する典型的な農村風景ですが奥州藤原氏の頃(11世紀から12世紀)にかけては京都を凌ぐ市街地であったようで、この接待館遺跡は二代基衡の妻の居館があった場所で、このお方が街道を通る人々に施しを与えたことから接待館と言われたとのこと。二代基衡の妻という方は観自在王院を建立されたお方です。とても深く仏法に帰依されたようです。また藤原氏の時代を遡ると安倍氏政権の都であったようでもあります。藤原政権末期においては衣川舘があったと見られており、あの源義経最後の地衣川舘跡なのかも知れません。いずれにせよ今から千年前には今とは全く異なった光景が広がっていたようです。今はご覧のとおり荒地です。
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接待館遺跡より道なりに進むと途中酒屋さんの前を通って集落に入ってゆきます。もう少し進み左手田んぼの向こうに松の木と案内板があります。「七日市場」跡です。今は田んぼですが昔は市が立つほどの賑わいだったようです。その先民家の脇には「関の明神」というお社があります。衣川の関跡とのこと。
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さらに道なりに進むと長者ヶ原廃寺跡との分岐がありまっすぐ進むと「衣川柵跡」です。安倍政権時代の政庁と居館跡で桜並木を植えていたことから並木屋敷跡とも呼ばれます。ここも発掘調査のあとに放置されていて草原となっています。源義経最後の地「衣川の舘」はここも候補地のようです。源義経は高館に居館があり、最後の地は藤原基成の館=衣川館となりいずれにせよこの辺りで最期を迎えたようです。弁慶は義経を守ろうとしてこの少し手前の衣川の川床で立ち往生(死して尚立っていた)したとのことです。
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この辺りまで来ると衣川整備事業の手が及んでいないようで、衣川は昔のままの姿でゆったり流れています。ここから上流の衣川はものすごく蛇行していて、この辺りでは衣川が二つに別れて流れています。その中州にあたる部分に三代秀衡の三男(四代泰衡の弟)である忠衡の館があり、泉が城という地名になっています。確かに橋(衣川の支流)を渡って田んぼの向こうに高台があります。忠衡は義経親派であったことから義経自害後に兄泰衡により殺害されたとのことです。
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この高台には民家があって「観光地ではない」との表示があります。無断進入しないようにしましょう。この対岸には「琵琶柵」という安倍貞任の兄の居館跡があったとのことですが、今は全くの藪の中です。然しながらこの辺りは千年前には京をも凌ぐ都市であったことは間違いのない事実のようですが、全く狐につままれたような思いです。
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少々戻って「長者ヶ原廃寺跡」に向かいます。見事にだだっ広い草原となっており奈良の平城京を彷彿とさせます。
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遺跡の核心部分には礎石が残されています。発掘調査の結果ここは寺院の跡だと判断されている訳ですが、長者ケ原の名の通りここは金売吉次の屋敷跡と言い伝えられてきました。金売吉次は謎の人物で、三代秀衡に見込まれて奥州で産出する砂金を京で売り捌いていた商人であり、鞍馬山で修行していた義経を奥州の地に導いたという伝説の人です。確かにこんなに広い空間に屋敷があったとは、どんな金持ちだったんでしょうか。
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長者ヶ原廃寺跡の一画にあった道祖神。この地も遺跡だと言われる前は田んぼだったんでしょう。
「長者ヶ原廃寺跡」は世界遺産登録の際には遺産の中に入っていたのが、登録の際に外されたとのことで、追加登録を目指しています。 -
長者ヶ原廃寺跡から帰る際に見た関山(中尊寺のある山というか丘陵)です。ここからあの山にある中尊寺に戻って平泉にある世界遺産群を見て回ります。全部歩きですから結構疲れてきて頭がボーっとしてきました。
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中尊寺北参道から登って月見坂を下り、平泉文化遺産センターをさっと見てから金鶏山に登ります。登り口には義経の正妻である北の方の墓があります。標高は99メートルとそんなに高くはない山なので一気に登ってゆきます。
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山頂には一段高いところに祠があり、その下には三角点があります。この山は北上川から人夫を並ばせて石ころを積んでゆき一晩で完成させたという伝説がありますが、頂上の祠の下の石は丸い川石でした。
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頂上は木が生い茂っておりあまり眺望は良くありませんが、木々の梢の隙間からは昨日行われた大文字送り火の大の字が見えました。
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次に向かうのは朝一で寄ったものの雨が降ってきてざっとしか見ていなかった「無量光院跡」です。三代秀衡が建立した建物跡地で、宇治の平等院鳳凰堂と同等の建物があったとのこと。今は荒地の中に松の木があるだけ。
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平泉文化遺産センターで見た昔(と言っても10年程度)の写真では、松の木のあるところ以外は水田になっていて、田んぼの中に松の木や石組みがあるという衝撃的なものでした。中々絵になっていました。今後発掘調査が行われてその遺構が明らかになることでしょう。それからこの「無量光院」の庭園は金鶏山を借景としています。
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次に、朝入れなかった「柳之御所遺跡」に向かいます。すぐに芝生の広場となっている遺跡に着きます。ここも世界遺産登録時に対象遺産から漏れてしまっています。ここは平泉舘跡(藤原政権の政庁跡)ですので、平泉の浄土思想とは異なる要素を持つことから世界遺産登録から外されたとのこと。
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高館まで続く草原です。きれいに整備されており立派な公園然としております。
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最期に「観自在王院跡」に戻りゆっくりと見て歩きます。きれいな公園になっており、ここに千年前にはもっと壮麗な庭園があったというのは感慨ひとしお。
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お隣の毛越寺はやはりすごい人出のようですが、ここ観自在王院は訪れる人も少なくひっそりしています。
一泊二日でひたすら歩いた平泉・衣川世界遺産のお散歩もこれにて終了。熱中症にならずによかったです。
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