2012/06/28 - 2012/07/02
6464位(同エリア7850件中)
いだてんさん
個人旅行で、初めてアジアに足を向けることにしました。
今回は、市内を個人で見て歩くスポットが少ないので、現地ガイドが案内してくれるツアーを申込みました。
フリータイムが少ないJTBの旅物語ツアー5日間(現地3泊)を選びました。
料金的にはリーズナブルで、現地のガイドが案内してくれるため、事前の準備は少なめで済みました。
ベトナムは共産主義の国ですが、ホーチミンはそんなことを忘れてしまうほど、若者が多い活気に溢れた街でした。
両替は、米ドル、ドン(ベトナム通貨)が使えるとのことだったので、日本で米ドルに交換しておいたのと、現地で円からドンに交換する予定です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
-
空港に着いたのは夜で、予想どおり蒸し暑い。
市の中心部から2kmほど西側に位置するBoss Hotelに宿泊。
バスタブはあったものの、クラスとしては2ツ星程度のホテルで、窓の外にあるエアコンの振動が部屋に入ってきてうるさかった。
ホテルの窓から街並みを見渡してみると、4階建てほどのカラフルな小さな建物が連担していた。ひとつの建物の間口は4m程度で、下町の匂いが漂っていた。 -
朝、ツアーバスで、メコン川クルーズのために、ミトーへ向かう。
外はそれほど暑くないのでホッとした。東京より少し暑い程度。
ホーチミン市内の道路は、若者のバイクで溢れている。
市内には鉄道がないため、市内を移動するにはバスかバイクになるが、市民はバスに乗る習慣がないので、バイクに乗る機会が多い。
1台あたりの乗者制限は、大人3人+子供1人とのこと。 -
ミトーに向かう国道1号。
日本の援助により整備されたばかりの新しい道路。
車道のうち、歩道側はバイク専用の車線となっている。 -
道路脇で売っている鶏肉。
ホーチミン市から地方に向かう歩道側でお土産用、帰省するときの食料用に売っている。 -
2時間弱でミトーの船着場に到着。
レストランやトイレが併設されており、衛生面では気になることはなかった。 -
船着場から木造船に乗り、メコン川に乗り出した。
現地ガイドが拙い日本語ではあるが、丁寧に説明してくれたので、有難かった。
(ライフジャケットが天井に備え付けられている) -
川の波は思った以上に荒れていた。
右奥に見えるのは、中洲にある島。
川幅は2km以上ほどあるので対岸は見えなかった。
左の船は、乗船している船と同様のクルーズ用の木造船。 -
メコン川の中洲にある島に到着。
島の標高は、川面から1mくらいしかない。 -
島の中では、お土産屋が多く並んでいる。
果物も数多く採れるようだ。 -
現地の人が楽器と歌で歓迎してくれた。
-
島内には数メートル幅の小川が走っており、4人乗りのカヌーに乗って、乗ってきた船に向かう。
-
船に戻る直前、空の雲域が怪しくなってきたと思ったら、凄いスコールとなった。
ライフジャケットを着用して、船の出発を待った。
スコールは30分ほどで止んだ。
この時期は夕方くらいに、30分ほどドサ降りのスコールとなり、道路は雨が溢れたりするが、雨があがると何事もなかったように、すぐ元に戻っていた。 -
韓国製の観光用ツアーバス。
円からドンへは、ガイドさんが車内で両替してくれた。
1000ドンが4円だったので、そのくらいで両替してくれた。
両替商や銀行より若干有利だったと思う。 -
旧南ベトナムの大統領官邸だった統一会堂。
当初はフランス官僚のために19世紀後半に建てられたが、ベトナム戦争中は、極秘の軍事施設として使われた。 -
統一会堂内には100以上の部屋がある。
現在は一般に公開され、国賓を迎える行事にも使われている。 -
統一会堂からヴァンホア公園を望む。
公園の奥まで500mほどある。 -
フランス統治時代の1883年に建てられた聖母マリア教会。
教会のまわりでは、結婚記念の写真を撮っているカップルをあちこちで見かけた。 -
聖母マリア教会の横に建っている中央郵便局。
1891年にフランス人建築家によって建造された中央郵便局。
当時では珍しい鉄鋼構造。 -
建物内はモダンな造りになっている。
郵便局の他に、お土産なども売っていた。 -
広場の名前は分からないが、ここがホーチミンであることを忘れる景色である。
-
ホーチミンでも、先進的な建築物が建っていた。
2010年に完成したビテクスコ・フィナンシャルタワーで高さは驚きの262m(68階建て)!! -
ホーチミンで最も有名なドンコイ通り。
歩行者専用道路かと思ったら、車道の両側に歩道がある普通の通りだった。
お土産屋が立ち並んでおり、日本語が通じるお店も多く、買い物するには便利だ。
値段的には日本より安いが、現地にとっては高額商品が売られている。 -
ドンコイ通りの中間部にある市民劇場。
フランス人の建築家により19世紀末に築造されたバロック様式の建造物。
現在の建物は2000年に復元されたとか‥。 -
市内で2番目の規模を持つビンタイ市場。
中は、物凄い数のお店がところ狭しと並んでいた。
ここはスリが多いので、要注意のスポットである。
価格は安いが、品質は疑問符がつく。 -
ここの歩道は綺麗に整備されており、点字ブロックが設置されていた。
歩道がある道路は多いが、街路樹の根が盛り上がっていたり、バイク置き場、屋台があったりして、まともに歩ける歩道は少ない。
近くに移動するときもバイクなので、人が歩道を歩く習慣がないとのこと‥。
歩くのは観光客くらいとか。 -
夜、時間が空いていたので、水中人形劇のツアーを申し込んだ。
統一会堂そばにある水上人形劇を見に行った。
舞台の左右で、楽器を生演奏していた。 -
演技時間は50分ほどだった。
水中での人形の動きは素早くて、結構楽しかった。 -
ホーチミン市の北西約70kmにあるクチにマイクロバスで向かった。
ここは、ベトナム戦争時、ベトコンと呼ばれる農民たちが、地下にトンネルを掘って、ここを基地にしてアメリカ軍と戦った。
左下の長方形が地下トンネルの入口。
入り口も中の通路も肩幅くらいしかない。
大柄のアメリカ軍が入れないように作ったとのこと。
あまりの狭さに、息が詰まりそうだった。 -
トンネルの入口。
入口は肩幅くらいしかないが、中の通路も同じくらいで高さは1mくらいしかなかった。
狭いところは苦手とは思っていなかったが、急性閉所恐怖症になった感じがして、10mくらい歩いて出てしまった。 -
ベトコンに捕獲されたアメリカ軍の戦車。
戦利品?として展示されている。 -
射撃場で銃を撃ってみた。
生まれて初めての射撃であった。
銃撃音が凄いので、防音用の耳あてをしている。 -
ベトコン兵士の人形。
こんな服装で戦っていたのか?少々疑問‥。 -
ベトナム戦争史の戦争証跡博物館。
戦争の残虐さを克明に表したものが多く展示されている。 -
アメリカ軍がベトコン対策として、空中から枯葉剤を散布したため、大量のダイオキシンがばらまかれ、多くの死傷者や奇形児が生まれる悲惨な結果となった。
その写真が展示されており、眼を覆う思いだった。 -
ベトナム戦争の反対運動は、日本でもかなりの広がりをみせた。
その様子が現地の博物館に展示されているのは、興味深い。 -
戦争史証跡博物館の広場に展示されているアメリカ軍の戦闘機。
-
ベトナムは権力争いによる内戦が続いていたこともあり、いわゆるベトナム戦争が始まった時期がはっきりしない。
1960年(又は1965年)頃に始まったとも言われている。 -
1973年にアメリカ軍がパリ協定を経て撤退し、1975年にサイゴン陥落により戦争は終結した。
-
市内の中心部からタクシーに乗って、ホテルまで戻った。
日本車が多く、これはトヨタ車だが日本では販売されていない車種だった。 -
ホテル近くを散歩してみると、バイクは昼間より更に多くなっていた。
正面は、映画館か何かで若者で溢れかえっていた。
夜、バイクの若者が多いのは、家の中は暑いので、暑さ凌ぎのためにバイクで走りまわっているとのこと。
国によって、事情が違うのですなぁ‥。 -
歩道に屋台が出ていて、歩くのに支障があるが、歩道を人が歩けないのは、ごく当然のことのようだ。
-
日本のコンビニも徐々に進出していた。
こちらはサークルK。
この夜、ホーチミンをあとにして帰国の途についた。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
42