2007/02/24 - 2007/02/27
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Huumaさん
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前漢二百年から唐三百年の間、諸王朝が都した長安、今の西安を訪れました。
西安市内及び郊外の碑林博物館、華清池、兵馬俑抗、陜西省歴史博物館、興慶宮公園、大雁塔そして弘法大師空海ゆかりの寺院、青龍寺を巡りました。
2012年9月、今この時期に記憶を甦らせて追ってみました。
表紙は、大慈恩寺内の大雁塔。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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2月24日夜西安に到着、25日0時に入ってもホテルの外は旧正月のお祝い爆竹と花火で朝方まで賑やかでした。
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西安に朝日が上ります。
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ホテルから見る環城南路界隈の朝です。
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西安君楽城堡酒店(原長安城堡大酒店、当時は日系の全日空ホテルズにより運営)。
昨晩からここを三連泊して西安市、及び郊外を巡行。 -
西安市から北東方向の華清池に向かう途中の郊外風景。
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華清宮門。
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華清宮・華清池。
西安市の北東30kmの驪山の麓、3000年の歴史のある温泉地。玄宗皇帝時代に華清宮が整備され、温泉は華清池と名付けられた。 -
唐の玄宗帝と楊貴妃(719?756)石画。
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楊貴妃石画。
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楊貴妃像。
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華清池の温泉。
噴出量豊富、温度43℃。 -
世界遺産 秦始皇帝陵。
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世界遺産兵馬俑坑博物館。
西安市の北東30km、秦始皇陵の東1.5km。 -
世界遺産兵馬俑坑博物館。
1974年この地で井戸を掘ろうとした農民が陶片を発見、これがきっかけで発掘が始まる。 -
始皇帝陵の陪葬坑である兵馬俑坑が2200年の眠りから覚めます。
実物大の馬、戦車、兵器のほか8000体の陶俑が発掘されています。
ここが第1号坑、最初に発見されたところ一番大きい。2号坑、3号坑があります。 -
兵馬俑。
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兵馬俑。
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第1号坑の武官俑。
双板長冠を被り、鎧を着て肩当を付けている。手には武器を持っていたかのよう。 -
修復を待つ兵馬俑。
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騎馬兵馬俑。
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秦陵銅車馬。
1980年12月、秦始皇陵出土。 -
凛々しく戦った兵士の兵馬俑出土時の写真、兵馬俑は彩色が施されていた!
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彩色が施されていたとみられる出土時の兵馬俑の写真。
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西安碑林博物館。
宋時代から孔子廟として栄え、増築された後、博物館となった。後漢から清代までの3000余の石碑が収蔵されています。 -
石台孝経。
玄宗直筆の隷書「孝経」の解説。 -
「篆書目録偏旁字源碑」の「亀趺(きふ)」の亀頭。
撫でさせて頂きます。 -
寧静致遠碑。
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明清代の石刻。
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鼓桜に掲げられた「文武盛地」の額。
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都城隍廟。
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西安城墻。
明の洪武7?11年(1374?78)に造られた城壁。
現存する都市城壁では中国最大規模。高さ12m、総延長約13km。 -
西安城墻。
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西安城墻。
唐長安城の城壁を土台に、明代初期に建造され、ほぼ完全な形で現存しています。
明代の城壁は高さ12m、頂上の幅は12?14m、底部幅15?18m、周囲全長13.7kmあります。 -
西安城壁の上から臨みます。
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夕食は中国式しゃぶしゃぶ料理です。
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タイトアップされた「文武盛地」。
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中環廣場。
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西安城墻。
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オフィスビルのライトアップ。
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私たちが連泊している西安君楽城堡酒店。
城壁の南門に面して建っています。 -
2月26日(月) 陝西省歴史博物館。
西安昔の長安は、周、秦、漢、唐など13王朝が都を定めた地。
周恩来元首相の提案で1987年竣工、1991年6月会館の中国国立博物館。陝西省で発掘された遺物40万点収蔵、うち3000点が常時展示されています。 -
興慶宮公園。
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安倍仲麻呂記念碑。
仲麻呂は、753年10月唐王朝の身分のまま遣唐使の藤原清河、副使吉備真備と長安を離れて揚州の鑑真和上を表敬訪問し日本に誘う。11月15日和上と共に日本を目指したが遭難、長安に戻る。 -
興慶宮公園で「中日友好」と水筆で書してくれる地元の人々。
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清龍寺。
西安の東南部に位置する寺院、582年隋の文帝時代創建、711年唐の叡宗時代に青龍寺に改名。
弘法大師空海が当寺の高僧、恵菓阿闍梨法師に学び、密教を伝授。 -
延暦23年(804)5月12日摂津(大阪府)の難波の港から4隻の遣唐船が出帆、その1隻に弘法大師空海乗船。入唐後805年8月、青龍寺の恵菓阿闍梨から伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受ける。
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大雁塔。
玄奘三蔵がインド、西域から持参した仏像、経典を収蔵するための塔でした。
高さは7層64m。 -
大雁塔。
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大雁塔内の書。
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大雁塔の上層から北側を臨みます。
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大雁塔上層から西側。
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大雁塔上層から南側。
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大慈恩寺の境内。
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大慈恩寺の境内。
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大慈恩寺の境内。
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玄奘法師像画。
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玄奘取経路図。
玄奘三蔵(602?664)は、唐王朝初期の貞観3年(629)出国の許可を求めたが、下りず国禁を犯して密かに出国、天山北路を辿って中央アジアからインドに至る。ナーランダ大学に学び、各地の仏跡を巡拝、学問を修めた後、天山南路を経て出国から16年後の645年、657部の経典を長安に持ち帰った。時の太宗も玄奘の業績を高く評価、蜜出国の罪を問われることはなかった。 -
大慈恩寺の屋根。
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大雁塔と夕日。
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夜の餃子宴と唐歌舞ショー。
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陝西歌舞大劇院。
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白紵舞(はくちょぶ)
美しい天女の舞。 -
白紵舞。
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踏歌(とうか)。
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霓裳羽衣舞(げいしょうういのまい)。
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霓裳羽衣舞(げいしょうういのまい)。
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西安鼓楼。
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西安鼓楼。
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238年、卑弥呼が魏国に使者を遣わせてから、1700年余の時を経ています。
玄奘三蔵、鑑真和上そして弘法大師空海は、今の日中の姿を見てどのように思われていることでしょう。
素晴らしい先人たちがいたことを中国の人たちは、あらためて思い起こしてみましょう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- はなかみno王子さん 2014/02/01 22:16:01
- 空海に想いを馳せてーー。
- Huumaさま
はじめまして、こんばんは。
ご訪問と投票ありがとうございます。
空海の生き様に共感を覚えているおうじです
遣唐使の一員として立派に真言密教を日本に
持ち帰っただけではなくてそれを自分のもの
にして世に広めた 。素晴らしい功績ではありませんか。
だから、旅先で空海の足跡が残る地と聞くと必ず訪れた
くなるんですーー。
西安ーー、いいですね。いつかは訪れたいところです。
おうじ
- Huumaさん からの返信 2014/02/02 06:38:26
- RE: 今年は、高野山へ御礼参りいたします。
- 王子さまへ
おはようございます。
あなたさまの旅の凄さに感服いたします。
これからもいろいろ拝見し、勉強させていただきます。
お便り頂き、ありがとうございます。
私ごとですが、車ですが10年かかって四国八十八ヶ寺を昨年秋に廻りきりました。春になったら高野山に御礼参りを致します。
ありがとうございました。
追伸 ご存知かと思いますが、古い本(1984初版)で徳間書店発行、稲垣真実著「空海」を幾度か読み返しています。
Huumaより
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