2002/09/25 - 2002/09/29
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naocomさん
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訪問国:イギリス(ロンドン)・ポーランド(ワルシャワ)・ドイツ(ベルリン・フランクフルト)・チェコ(プラハ)
テーマ:東欧留学の下見
同行者:なし
日数:16日
キャリア:マレーシア航空
トランスファー:クアラルンプール
プラハでの訪問場所
・ヴァーツラフ広場
・カレル大学
・火薬塔
・プラハ城
・ルーブル
・モーゼル
・テスコ
旅のプロローグや、ギターケースで旅行している理由については(1)ロンドン編をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- マレーシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Day 12:ベルリン→プラハ 洪水直後で交通マヒ
ベルリンのティーアガルテン内にあるホステルからUバーンに乗り、バスターミナルへ向かう。バスは出発時間ちょうどにやっと現れ、隣には若い男性が座った。せまいバスの座席で長い脚をもてあましている。道中、ドレスデンの街を車窓から眺めることができた。チェコに入るとバスは山道のようなところを通り、ガソリンスタンドの売店などで休憩を入れながらプラハに向かった。
山道の開けたところから、工場のような敷地にやや先のすぼまった巨大な窯のような煙突のようなものがいくつか見えた。上から煙が出ていて、なんだかすごく環境にわるそうな感じだ。これは原子力発電所の原子炉であることをあとから知った。
私が日本を出発する数日前、チェコでは歴史的な水害が発生した。大雨でブルタバ(モルダウ)川が氾濫し、プラハの中心部は水没してしまった。私はそれをテレビで知り、プラハのニュースが出るとかじりついて見ていた。水害が心配だったこともあるが、日本のテレビのニュースでこんなにチェコがクローズアップされているのをそれまで見たことがなかったので、ニュースの映像がいろんな意味で情報補完になったのだ。
プラハでは、私の大学に交換留学で来ることが決まっているカレル大学の学生、Oさんに大学を案内してもらえるようお願いしていた。事前にメールのやりとりをしていたので、水害のニュースが出てから交通機関がどうなっているのか質問したところ、地下鉄はほぼ全滅、長距離バスの終着点も変更になっているとのこと。とりあえず、到着日に宿泊予定のホステルにどう行けばいいのか聞いておいて、あとは自分でやるつもりだった。
バスが臨時ターミナルのZelivskeho駅前に1時間遅れで到着した。水害がなかったら通常のバスターミナルから地下鉄で移動するはずだったが、ここは郊外なのでトラムしかない。でも、トラムの切符はどこで買えばいいんだろう?近くの公衆電話のところに、さっきまでバスで隣に座っていた男性がいた。駆け寄っていって「トラムの切符はどこで買うの?」と聞くと、彼は困ったように微笑んで「さあ、トラムの中じゃない?」と言った。チェコ人じゃなかったのかもしれない。
トラム乗り場に行き、あらかじめメールで聞いておいたとおり、まずは10番トラムでPalmovkaに移動し、そこで臨時トラムの?-Bに乗ってCeskomoravskaに行けばよかった。Palmovka停留所の路線図で目的地の停留所を探す。どこにも見当たらなかった。あたりはもう真っ暗で、小雨も降っていた。Oさんに電話をかけてみるがつながらない。地図上の位置から察しをつけて、自分で行ってみようとした。行けども行けどもわからず、適当に降りて反対方向のトラムに乗ってもとの停留所に戻った。途方に暮れた。そこに電話がかかってきた。Oさんからのコールバックだ。用事が終わったのでいまからこちらに向かうと。助かった!
人を待っているだけなら、停留所にいるのはつらくない。ほぼ時間通りにOさんはやってきた。電話で少しはわかっていたとはいえ、驚いたことに彼は日本語がペラペラだった。もちろんネイティブ並みではない。でも、まったくコミュニケーションストレスを感じないくらい、話せる。かたや私は留学を希望しているくせにチェコ語はおろか英語すらかなりあやしい。自分の東欧留学がかなり非現実的に思えた一度目の瞬間だった。
結果的には、彼が私に教えていた路線名がまちがっていたことが判明した。結局彼にホステルまで連れて行ってもらい、代わりにチェックイン手続きをして、明日の待ち合わせ時間など打ち合わせた。まちがいがあったとはいえ、初日から迷惑をかけてしまった。ホステルは社会主義時代からあったと思われる粗末なつくりで、ドアなどの建てつけもわるかったが、部屋はオイルヒーターがついていて暖かかった。
(写真は翌日プラハ城に向かうところ) -
Day 13:プラハ カレル大学の重いドア
朝9時に待ち合わせ場所のヴァーツラフ広場に行った。『プラハの春』にも頻繁に登場するおなじみの場所。ちなみに1968年のプラハの春(民主化運動)を収束させたチェコ事件で、ヴァーツラフ広場で焼身自殺をしたのはカレル大学の学生だ。
まず、Oさんが出入りしているチェコ日本人会の事務所でネットを使わせてもらった。事務所には茶室もある。Oさんによると、日本人会の事務所によく来るのは駐在員の妻たちで、彼女らはチェコ語を少しも覚えようとしない、とこぼしていた。Oさんは日本の古典芸能を研究しているのだが、日本人の女性が外国で着物を着ているのは好きではないらしい。それからユーロラインの事務所に行って、フランクフルト行きのバスを予約。これもOさんがやってくれた。とうとう私はこの旅行を通じてユーロラインのチケット発券を一度も自力でやらなかったことになる。 -
旧市街にあるカレル大学の校舎はとても歴史のある建物。日本やアメリカのようにキャンパスがあるのではなく、街の中に大学の建物が点在しているのがおもしろい。14世紀に設立された中欧最古の名門校で、フランツ・カフカやカレル・チャペック、チェコの歴代大統領、古い人ではフスの火刑で有名な宗教家ヤン・フスを輩出している。あとで日本人留学生に聞いた話では、カレル大学の校舎のドアはとても重厚で重く、難関大学であることの比喩になっているとのこと。
(写真は火薬塔) -
昼は一人でプラハ城に行った。大学の先輩に頼まれていた鶏の鳴き声のするおもちゃを買いたかったが、間がわるかったのか露天商を見つけることができなかった。Oさんと落ち合ってから、カレル大学生がよく利用するという食堂でランチ。次にOさんの所属する日本語学科に行き、日本人教授に自分の留学計画を話すとあきれられてしまい、自分がすごく大それたことをしようとしている気がして恥ずかしくなった。
郊外にある大学の寮も見せてもらった。自分の大学の資料室で少し写真を見たことがあったけれど、想像をはるかに超えたぼろさで、しかも相部屋。教授に会ったことで少々落ち込んでしまい、ここに留学している自分があまりイメージできない。
(写真はプラハ城の一角にある聖ヴィート大聖堂) -
夜は、Oさんの紹介で現在留学中の日本人Iさんに会い、ルーブルというカフェで食事をし、夜中まで話し込む。Iさんはもうすぐ留学明けで、すでに日本の大手自動車部品メーカーに就職を決めていた。おすすめの参考図書をいろいろ教わってメモした。デザートにはアイスクリームを注文。ここでは1スクイーズごとにオーダーできるので、いろいろなフレーバーを組み合わせて楽しんだ。アイスクリームはチェコ語でzmrzlina。会計のとき、ウエイターがおつりをごまかそうとしたので、持っているなかで一番小さいコインを1枚だけテーブルに置いて帰った。
Iさんにもらった切符でトラムに乗り、ホステルに戻る。夜中なので正直なところ送ってほしかったが、郊外なのでしかたない。停留所からホステルまでは小走りで移動し、すでにロックされた玄関を内側から開けてもらって無事到着。
(写真はプラハ城の一角にある聖ヴィート大聖堂) -
Day 14:プラハ モーゼルのカフスが買いたい
あまり寝ることができないまま朝になった。きょうは10時に日本人会事務所へ行き、荷物を置かせてもらった。それから一人でミュシャ美術館を見て、ボヘミアングラスの専門店モーゼルに行った。『プラハの春』に登場するガラスのカフスボタンに興味があったのだ。しかし、店員さんに「カフス」と言っても通じず、英語で何と言うのかわからなかった(正しくはcuff links)。いすれにしろ装身具のたぐいはないとのことだったので、あきらめて店をあとにした。
お昼はOさんとピザを食べ、ワインを2杯飲んだ。京都や、『いちげんさん』という小説など、日本とチェコの話で盛り上がる。『プラハの春』の小説も知っているとのこと。カフスを探しているけど見つからないという話をすると、いっしょに探してくれて、なんとか琥珀の専門店で琥珀のカフスを買うことができた。これは彼氏Yへのおみやげ。この旅行いちばんの買いものなので、TAX REFUNDの書類ももらった。
街中で、松葉づえをついて苦しげな表情をしている物乞いを頻繁に見た。Oさんが言うには、彼らは歩けないふりをしているらしい。なぜわかるのかというと、短時間にありえない距離を移動しているからとのこと。 -
TESCOで飲みものやおみやげなどを調達したあとで日本人会に戻り、トラムに乗る前にOさんと別れた。Oさんとは1週間後に京都で会うことになる。
私は路面電車大好きなのだが、そのなかでもプラハのトラムはいちばん好きかもしれない。高低差の激しい地形を縫うように走り、車体はいい感じに古くて小ぶり、次の停車駅を知らせる放送のはじめに鳴る鐘のような効果音もいい。この街自体、とてもトラムが似合うのだ。 -
Day 15:フランクフルト→クアラルンプール
21時発フランクフルト行きの長距離バスはすいていた。途中、トイレ休憩した場所は大きな駐車場を備えたマクドナルドだった。国境で車内パスポートコントロールがあり、TAX REFUNDの書類も手渡す。しかし、書類はパスポートが戻ってくるときに係員に「No!」と言われて突き返された。理由は説明してもらえなかった。
フランクフルトに到着してからたたき起こされ、あわてて起き上がると私が最後の乗客で、ドアの外には私のギターケースを持った係員が待機していたのだった。早朝のフランクフルトはおそろしく寒い。駅でトイレに行ってから、大学の図書館でコピーした数枚のガイドページだけを頼りに、Uバーンで空港に向かった。
出発ロビーで眠りこけそうになりながら座っていると、いつのまにかマレーシア航空のチェックインカウンターができていてすでにかなりの人が並んでいた。あなたが最後の窓際席を取ったと言われてうかれていたら、なんとその席には窓がなく、隣のオーストラリア人と顔を見合わせた。機内ではもちろん爆睡。
(写真はプラハの街並み) -
Day 16:クアラルンプール→大阪
その後、交換留学は選考落ちした。カレル大学の希望者は予想より多かったものの実質的なライバルは一人だったが、そのライバルが留学を勝ち取った。自分のこれまでの人生を振り返っても、この時期は未来が見えないまま迷走していてかなりつらかった。留学できていたらまったくちがう人生が開けていたかもしれないし、そうならなかったかもしれない。はっきり言えるのは、留学しなかった人生もそんなにわるくない、ということ。
(写真はプラハの街並み)
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