2012/06/06 - 2012/06/08
332位(同エリア865件中)
阿蘇美忍さん
前回は天草5橋巡る日帰りでしたが、今回は少し足を伸ばしました。
天草の中心部でも有る、本渡に遊び人in。
空港も有り、熊本空港からなら30分で来れるとか・・・
今回も海好きな遊び人はビーチの有るホテルへ向かいましたが、残念ながら当日の九州は梅雨に入りました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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本渡バスセンター(産交バス営業所) に着くと何故か目立つ銅像が出迎える。
鈴木三公(鈴木重成、鈴木正三、鈴木重辰)の像が天草島民の浄財により天草信用金庫構内に建立された。
像の建設に当たって、公費を投入したり、公的場所に建設するのはいかがなものかとクレームが付き、像建設そのものが危ぶまれたが、写真のような見事な像が完成したのはよかった。
ただ、像建設に当たり、いくばくかの寄付をしたものに言わせて貰えば、経過報告もなければ、像建設の知らせもなかった。民衆を大切にした鈴木公の精神とはちょっとかけ離れたところで造られた感もした。
それに、鈴木重成とは誰?という島民も若い世代には多いだろう。寄付者の銘板もいいが、鈴木三公の業績・建設の趣旨などの案内板も作ってほしかった。と思う。
「天草市南新町 天草信用金庫構内」 -
本名を益田四郎時貞といい、元和7年(1621)江部村(現在の宇土市旭町江部)に生まれる。父益田甚兵衛はキリシタン(切支丹)大名小西行長の元家臣で、小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。家族ともに敬謙なキリシタン信徒ででした。
当時の天草・島原地方は、飢きんや重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達してた。その不満を抑えていたのが、慶長18年(1613)、マルコス宣教師が追放される時残した予言「25年後に神の子が出現して人々を救う」。人々は神の子の出現に懸けていたのだ。予言にある25年目の寛永14年(1637)、長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂される。四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられるのである。 -
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一年間に数える程度ではありますが、華館客室またはロビーからホテルのそばまで遊びに来た”いるか”達の姿が見られることがあります。スタッフやお客様が運良く見つけています。ホテル下の海岸は浅瀬でいるかは現れないと思われていましたが、運がよければ見えるかも!!お越しの際はぜひ、ゆっくりと海を眺めてみてください。心も落ち着き、目にも優しくおすすめです。
ホテルのHPより。 -
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日帰り温泉施設です。
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